もしもし情報局 > 1975年 > 2月10日 > 野球選手

黒田博樹の情報 (くろだひろき)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【4月6日】今日誕生日の芸能人・有名人

黒田博樹の情報(くろだひろき) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

黒田 博樹さんについて調べます

■名前・氏名
黒田 博樹
(読み:くろだ ひろき)
■職業
野球選手
■黒田博樹の誕生日・生年月日
1975年2月10日 (年齢50歳)
卯年(うさぎ年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
大阪出身

(昭和50年)1975年生まれの人の年齢早見表

黒田博樹と同じ1975年生まれの有名人・芸能人

黒田博樹と同じ2月10日生まれの有名人・芸能人

黒田博樹と同じ出身地大阪府生まれの有名人・芸能人


黒田博樹と関係のある人

戸田隆矢: 5月8日、黒田博樹が右踝の炎症で登録抹消され、黒田が先発予定だった同日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)に二軍での好成績を買われ、代役で先発(結果は6回2失点で初白星)。


石原慶幸: 2016年は開幕戦に8番捕手でスタメン出場を果たし、その後もジョンソン、黒田博樹、野村祐輔が登板する試合を中心に正捕手を務めた。


金子千尋: 基本年俸分では、この時点でNPBの現役選手最高額に達した(同月17日に広島の黒田博樹が推定年俸6億円で更改)。


村山実: 大学卒業選手で通算200勝以上を記録した会員は村山が史上初で、後に黒田博樹(日米通算203勝)がいるのみである。


妻夫木聡: 40歳編 - 黒田博樹と共演


ボイ=ロドリゲス: 開幕2戦目の対広島戦(広島市民球場)で黒田博樹からNPB初安打を本塁打で飾る。


廣瀬純: 廣瀬は先発投手黒田博樹の代打として7回裏に現役最後の打席を迎え、松岡健一から大きなレフトフライを打ち上げた。


広岡達朗: バンクーバーで通訳・経営に携わったエーシー興梠は能力を買われてロサンゼルス・ドジャースアジア地区担当取締役に就任し、黒田博樹を獲得している。


山上烈: 秋になり、新チームはエースの西浦克拓、筒井壮、黒田博樹らを擁し、秋季近畿大会で準優勝を飾り、1992年の第64回選抜高等学校野球大会への出場が確実視された。


今成亮太: 6月23日の対広島戦(長野オリンピックスタジアム)では、黒田博樹からこの年自身唯一の本塁打。


木村拓也: アテネオリンピックでの野球日本代表は各チームから2名以内の選出という申し合わせ事項があり、広島からエースの黒田博樹と共に選出された選手は、当時連日スタメンに名を連ねていた前田智徳や新井貴浩ではなく、グレッグ・ラロッカや緒方孝市と交代でセカンドやセンターで出場する機会の多かった木村だった。


山田喜久夫: OF LIFE「わらび餅職人 山田喜久夫」(2020年1月28日、毎日放送) - 広島時代の同僚だった黒田博樹がナビゲーターを務めるドキュメンタリー


鈴木尚典: 開幕後の4月こそ黒田博樹から決勝本塁打を放つなど打率3割を打ち活躍を見せるも、5月以降は調子を落とす。


本郷宏樹: 初安打・初打点:同上、2回裏に黒田博樹から右翼線適時二塁打


遠藤淳志: 憧れの選手は球団OBの黒田博樹


松井秀喜: 7月9日に黒田博樹から通算300号本塁打を放つ。


佐伯和司: なお最近では同じく広島に在籍経験のある黒田博樹が「打撃の下手な投手」として知られているが、佐伯も1973年から1975年にかけて71打席連続無安打のセ・リーグ記録を打ち立てた。


ダルビッシュ有: 24日のニューヨーク・ヤンキース戦では黒田博樹と投げ合い、8回1/3を7安打、無失点、10奪三振、2四球で最速97 mph(約156 km/h)も記録する投球で3勝目を挙げる。


河野友軌: 初打席:同上、7回表に黒田博樹の前に三振


嶋尾康史: OF LIFE「嶋尾康史 演出家は元トラ戦士」(2020年2月5日、毎日放送) - 自身の引退後にNPB(広島東洋カープ)などで右投手として活躍した黒田博樹がナビゲーターを担当


服部桂吾: フジテレビ  奇跡体験!アンビリバボー「広島カープを25年ぶりのリーグ優勝に導いた立役者 黒田博樹の知られざるエピソード」再現 先輩父兄


倉義和: 2005年は、春季キャンプの投球練習でブルペン捕手を務めた際に、練習相手だった黒田博樹の怒りを買う一幕があった。


廣瀬隼也: またこの日の試合では、黒田博樹が7回を6安打1失点の好投で10勝目を挙げ、日米通算7年連続2ケタ勝利を達成。


吉原基貴: 誰がために 〜黒田博樹物語〜(原案協力・取材:戸塚啓、協力:広島東洋カープ、『ヤングアニマル』2007年14号、15号、『ヤングアニマルDensi』2015年3月13日、全3話、白泉社) - 単行本未収録


ラッセル=マーティン: 捕球もミットがブレず、黒田博樹は「すごくうまい」と語っている。


西浦克拓: 上宮高校では黒田博樹、筒井壮と同期。


松坂大輔: しかしその後の登板は全て4失点以上を喫し白星を挙げることができず、シーズン最終登板となった10月3日のヤンキース戦では黒田博樹と投げ合うも、2回1/3を投げ2本塁打を含む6安打、5失点の投球で7敗目を喫しシーズンを終えた。


平岡敬人: 目標とする投手は「誰もが知っている投手なので」と球団OBの黒田博樹を挙げた。


長谷川昌幸: 2003年シーズンはエース黒田博樹に続く投手として期待されたが春先に扁桃腺炎を患って活躍できず、この年以降、故障と不調に苦しむこととなる。


星孝典: 初打席:同上、2回裏に黒田博樹から投ゴロ


黒田博樹の情報まとめ

もしもしロボ

黒田 博樹(くろだ ひろき)さんの誕生日は1975年2月10日です。大阪出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

引退、卒業、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。黒田博樹の現在の年齢は50歳のようです。

黒田博樹のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

黒田 博樹(くろだ ひろき、1975年2月10日 - )は、大阪府大阪市住之江区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、解説者。

広島東洋カープの球団アドバイザーを務める。

投手としてMLB(ロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・ヤンキース)で3度の地区優勝に貢献。個人ではNPBで合計4個のタイトル(2個)・主要表彰(2個)を獲得している。

元メジャーリーガーで、現役時代にはNPBの広島東洋カープ、MLBのロサンゼルス・ドジャースやニューヨーク・ヤンキースで活躍。日本人投手として初めて、日米通算先発勝利数のみで公式戦200勝を達成。2024年シーズン終了時点で、日米の40球団から勝利を挙げた唯一の日本人投手でもある。また、広島時代に着用した背番号「15」は、現役を引退した2017年から同球団の永久欠番として扱われている。2004年アテネオリンピック野球の銅メダリスト。2024年に野球殿堂入り。

実父の黒田一博もプロ野球選手(外野手、内野手)であった。

引退後は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー→吉本興業とマネジメント契約。

父は元プロ野球選手の黒田一博。母は砲丸投げでオリンピックを目指した選手で、選手引退後は高校で体育教師をしていた。小学生の時に父が監督を務めたボーイズリーグのチーム・オール住之江に所属。上宮高に進学。高校での1学年先輩には中村豊、薮田安彦、市原圭、久保孝之がおり、同級生にはエースナンバーも付けた西浦克拓や筒井壮らがいる。しかし、高校では黒田自身が「夏の甲子園の予選でも、投げた記憶がない」と回顧するほど登板機会がなく、高校を卒業する。尚、2年秋の近畿大会決勝・天理高戦では序盤で西浦が打ち込まれて降板すると3回から登板して無失点に抑えたが近畿大会準優勝ながら選抜の選考前に学校が辞退を表明したため出場していない。地元の関西圏の大学から推薦枠での誘いがあったものの、父から「大学野球が盛んな関東地方の大学でもう一回勝負してみたらどうだ」と薦められたこともあり、東都の専修大学のセレクションを受験した。当日の投球内容が指導者から高く評価され、その日のうちに指導者から「ウチで投げてくれ」と内々に伝えられたことで合格となり、専修大学へ進学した。

専修大学では1学年上の小林幹英との2本柱で3年生秋、東都大学1部リーグに昇格に貢献、1996年春、同年から大学野球でのスピードガン場内表示が始まった神宮球場において、大学生としては初めてとなる球速150km/hを計測している。1部リーグ通算15試合6勝4敗防御率3.33。2部通算19試合、8勝5敗、防御率3.24。

1996年のNPBドラフト会議前には、森中聖雄(東海大学)の争奪戦で横浜ベイスターズに敗れた中日ドラゴンズが黒田の上位指名を検討している旨が報じられていたが、黒田本人は広島東洋カープを逆指名し、同会議で2位指名を受けて、契約金1億円・出来高払い5000万円・年俸1300万円(金額は推定)という条件で入団。プロ入り時から着用した背番号15は引退後、広島球団史上3人目の永久欠番となった。

1997年は春季キャンプが終了したのち、二軍でのスタートとなる。広島東洋カープ由宇練習場での練習試合に中継ぎ投手として登板するも、1イニング10失点を喫する。当時の二軍監督である安仁屋宗八は打たれ続けてもイニング終了まで投げさせた。二軍で迎えたシーズン開幕後も、初回に7点を奪われた試合もあったという。4月25日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)にて初登板・初先発・初勝利・初完投の快挙を達成。6月3日の対阪神タイガース戦(西京極野球場)では自身初の完封勝利を飾った。その後も同じく新人の澤崎俊和と共に先発ローテーションに入るものの、勝ち星こそ伸びず負けが先行し、23試合に登板して6勝9敗、防御率4.40という成績でシーズンを終えたが、投球回数は規定投球回を上回る135回を記録した。

1998年は6度の先発で僅か1勝でシーズンを終えた。

1999年は4月6日の対阪神戦(広島市民球場)でシーズン初先発登板し、5回1/3を2失点でシーズン初勝利を挙げた。7月14日の対中日戦(ナゴヤドーム)では8回無失点で勝利投手となり、チームの連敗を13で止めた。同月31日の対巨人戦(広島市民球場)では1回にプロ野球タイ記録となる1イニング4被本塁打を含む2回途中まで5被本塁打7失点で敗戦投手となった。9月30日の対阪神戦(広島市民球場)ではシーズン5勝目を完封で飾った。シーズン終了後、シドニーで行われたインターコンチネンタル杯に日本代表として出場し、11月5日の対韓国戦で勝利、同月10日の対台湾戦で完封勝利を収める。同年、カープの先発ローテに名を連ねる。

2000年は4月11日の対中日戦(ナゴヤドーム)で9回2失点でシーズン初勝利を完投で飾った。9月20日の対巨人戦から10月9日の対中日戦(広島市民球場)まで4連続完投勝利を挙げた。オフの12月5日に1500万円増となる推定年俸3500万円で契約を更改した。

2001年はこの年から新たに監督に就任した山本浩二から期待を掛けられると、4月19日の対中日戦(福山市民球場)で7回2失点でシーズン初勝利、6月9日の対ヤクルトスワローズ戦(岩手県営野球場)では自身初の無四球完封勝利を挙げた。この年は自身初のオールスターゲームに出場。シーズン後半戦に入ると、8月22日の対中日戦(広島市民球場)で4回表に井端弘和に許した遊撃手への内野安打のみの1安打完封勝利。9月は11日の対中日戦(ナゴヤドーム)で5試合連続完投、及び自身初の2桁勝利となる1-0完封勝利を含む3勝を挙げ、自身初の月間MVPに選出された。同年は初の2桁勝利となる12勝、またリーグトップとなる13完投を記録し、チームの勝ち頭となる。オフの12月13日に3700万円増となる推定年俸7200万円で契約を更改した。

2002年は3月31日の対横浜ベイスターズ戦(広島市民球場)で6回4失点でシーズン初勝利。5月24日の対巨人戦(広島市民球場)では13奪三振で1-0完封勝利。8月6日の対阪神戦(倉敷マスカットスタジアム)でも1-0完封勝利を記録した。途中先発ローテーションから外れたが、10月4日の対ヤクルト戦(広島市民球場)で2年連続2桁勝利を達成した。オフの12月9日に1800万円増となる推定年俸9000万円で契約を更改した。

2003年は3月28日のヤクルトとの開幕戦(明治神宮野球場)でそれまでのエース・佐々岡真司に代わって初の開幕投手となり、9回1失点で完投勝利となり、シーズンで完投一番乗りとなった。8月17日の対横浜戦(広島市民球場)では完封でプロ通算50勝目を挙げた。9月13日の対横浜戦(広島市民球場)で3年連続2桁勝利を達成し、最終的に13勝を挙げ、自身初となる投球回200イニング以上を果たした。オフの12月15日に3500万円増となる推定年俸1億2500万円で契約を更改した。アテネオリンピック野球アジア予選にも出場。

2004年も2年連続で開幕投手を務める。4月9日の対横浜戦(広島市民球場)では9回2失点完投でシーズン初勝利。6月20日のヤクルト戦(松山坊っちゃんスタジアム)で1-0完封勝利を飾った。アテネオリンピックでは野球日本代表に選出され、中継ぎとして1次リーグで対オランダ戦と対台湾戦で計2勝を挙げ、銅メダル獲得に貢献した。

2005年は4月1日の巨人との開幕戦(東京ドーム)で9回2失点完投でシーズン初勝利を飾った。同月15日の対横浜戦(広島市民球場)では三浦大輔と互いに完封リレーを行い、0-0で引き分けた。5月は4勝を挙げ、自身2度目の月間MVPに選出された。同年はオールスターゲームにファン投票で選出され、4年ぶりの出場を果たした。オールスターゲームでは第2戦(阪神甲子園球場)に先発登板し、2回無失点で球宴で初の勝利投手となった。シーズン後半戦に入ると、8月13日の対中日戦(広島市民球場)で9回1失点で2年ぶりの2桁勝利を無四球完投で飾った。シーズン通しては15勝を挙げ、下柳剛と並んで最多勝のタイトルを獲得。シーズンの終了後にはセ・リーグの投手部門でベストナインとゴールデングラブ賞を初めて受賞。オフの12月22日にタイトル料を含めて推定年俸2億円で契約を更改した。

ちなみに、球団再編騒動の最中、当時資金面で困窮していた球団から提示された年俸は1億9500万円であったが、チームの顔として2億円の大台到達にこだわる黒田は「僕が500万円出すので(会見で)2億円と言っていいですか」と詰め寄る場面もあったという。

2006年は国別対抗戦WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に選出されるも、2月24日の12球団選抜との練習試合で大村直之(福岡ソフトバンクホークス)からの打球を右手に受け負傷。翌25日に右手人差し指打撲のため、出場辞退を余儀なくされる。シーズンが始まると4月17日の対阪神戦(阪神甲子園球場)で8回1失点でシーズン初勝利、同月27日の対巨人戦(広島市民球場)では無四球完封勝利を飾った。5月31日にFA権を取得。6月まで5勝6敗、防御率2.40、WHIP1.11と安定した投球を続け、オールスターゲーム出場直前の7月2日の中日戦からは負け無しの8連勝を記録。7月は4勝0敗の活躍で月間MVPをチームメイトの栗原健太とともに受賞。更に8月も続けて4勝0敗、防御率1.11の活躍で月間MVPを連続受賞。球団史上初の2か月連続月間MVP受賞となった。この時、「広島カープの歴史に名前を残せて嬉しい」と発言した。しかし、9月には右肘を痛めて長期離脱。10月16日、シーズン最終戦となった中日戦の9回二死という場面で復帰登板、打者1人を抑えプロ初セーブを記録した(この試合で掲げられた横断幕については#人物に詳述)。シーズン成績13勝6敗1セーブ、防御率1.85で最優秀防御率のタイトルを獲得。1点台でのタイトル獲得は1992年の赤堀元之以来、セ・リーグでは1989年の斎藤雅樹以来の快挙となった。また、テンポの良い投球を評価されてスピードアップ賞を受賞。オフには監督のマーティ・ブラウンの奨めで渡米し右肘関節のクリーニング手術(数か月で投球可能となる軽い手術)を行った。FA権取得に伴い、10月15日に球団から「4年10億円+生涯保障、指導者手形」という条件を提示される。そして11月6日に4年12億円(基本年俸2億5000万円+単年最大5000万円の出来高込。当初の条件に出来高を上乗せしている)でFA権を行使せずに残留することを表明。「今後も国内他球団の移籍はない」と明言し、国内なら「生涯広島」を宣言した。なおこの契約は、4年の契約期間内で自由にメジャーリーグ挑戦できるようになっていた。FA権を行使せずに残留を決めたこと、残留会見での「僕が他球団のユニフォームを着て、広島市民球場でカープのファン、カープの選手を相手にボールを投げるのが自分の中で想像がつかなかった」、「僕をここまでの投手に育ててくれたのはカープ。そのチームを相手に僕が目一杯ボールを投げる自信が正直なかった」と発言した。また、この年の選手会のベストエピソード賞に選ばれ、黒田の野球用具を担当するSSKは、社を挙げて黒田をキャンペーンすることを決定した。そして市民に感動を与えたことが評価され、広島市は「広島市民表彰」を黒田に授与すると発表した(球団4人目)。

2007年も3月30日の阪神との開幕戦(京セラドーム大阪)で開幕投手を務め、長谷川良平以来球団2人目の5年連続開幕投手となる。試合は7回1失点(自責点0)でシーズン初勝利となった。またデーゲームは大の得意で、6月3日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では2003年7月6日からのデーゲーム13連勝を記録した。7月14日の対巨人戦(東京ドーム)にて9回2失点完投で通算100勝を達成した(ちなみにプロ初勝利も東京ドームでの巨人戦だった)。オールスターゲームに2度目のファン投票選出で4度目の出場。例年夏場を得意としていたが、この年の8月からはクオリティ・スタートすら守れない試合が続き、8月と9月は2勝3敗、防御率4.58、WHIP1.48を喫した。10月18日にFA権を行使することを明らかにした。MLB球団は以前から黒田に目を付けており、特にテキサス・レンジャーズゼネラル・マネージャーのジョン・ダニエルズが興味を示した発言をしていた。ジョー・アーボンとスティーブ・ヒラードと代理人契約を結び、12月1日に球団本部長の鈴木清明へメジャー挑戦を決断したことを報告。記者会見では「評価されるのもカープのおかげで、また日本に帰ってプレーするならこのチームしかない」とも語った。

2007年12月15日、ロサンゼルス・ドジャースと総額3530万ドルの3年契約を結んだことをAP通信が明らかにした。これにより、カープ初の日本人メジャーリーガー誕生となった。背番号は「18」だったが、会見場では「08」を着けた。これはユニフォームが間に合わなかったためであり、同年にドジャースとマイナー契約したロバート・ブースが先に背番号「08」を着けていた。ドジャースから当初提示された条件は4年契約だったが、「ワクワクする気持ちはほとんど湧いてこなかった。戦地に行くつもりでアメリカに行く。4年間もそんな苦しいことはできない。『苦しい時間』が短い方が自分は頑張れる。3年間できちんとした成績を残せれば、4年目に同等かそれ以上の契約を交わせるはずだ」として契約年数短縮を自ら申し出た。

2008年は4月4日のサンディエゴ・パドレス戦でメジャーデビューし、初勝利を挙げた。5月21日のシンシナティ・レッズ戦では8回を5安打2失点に抑え、9回には斎藤隆が無安打無失点で抑え勝利し、日本人史上初の同試合での先発勝利とセーブ達成を記録。27日のシカゴ・カブス戦では福留孝介とメジャー初対戦する。6月6日のカブス戦では9回4安打無失点11奪三振無四球の快投でメジャー初完封を記録。しかし19日に右肩腱炎で故障者リスト入り。7月2日のヒューストン・アストロズ戦で復帰し、7日のアトランタ・ブレーブス戦では7回終了時点まで完全試合の9回1安打無失点で完封勝利を挙げ、最終的にも走者は8回に出した1人しか許さなかった。新人投手が8回途中まで完全試合を続けるのは、1984年のオーレル・ハーシュハイザー以来初めてで、完全試合を達成していれば、サンディ・コーファックスに次ぐドジャース史上2人目、日本人メジャー初の快挙となっていた。前半戦は17試合の先発で5勝6敗、防御率3.43、WHIP1.20の成績で折り返し、後半戦初戦となった18日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦に先発するも2回6失点を喫し降板。その後も監督のジョー・トーリから「どちらが本当の彼なのか」と言われるなど好不調の激しい登板を繰り返したが、8月からは11試合の先発で4勝2敗、防御率2.56、WHIP1.03と好投。シーズン通算では防御率とWHIP、クオリティ・スタートでリーグ20傑に入り、FIPではリーグ9位の3.59を記録する。ポストシーズンではカブスとのディビジョンシリーズ第3戦に先発し、6回1/3を6安打無失点の好投で勝利投手となり、リーグチャンピオンシップシリーズに進出。フィラデルフィア・フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、6回0/3を5安打2失点の投球で勝利投手となる。この試合でシェーン・ビクトリーノの頭部付近への投球が騒動となり罰金が科せられた。チームは第5戦で敗退。オフには翌年の第2回WBC日本代表の第一次候補に挙げられたが辞退する。

2009年は野茂英雄、松坂大輔に次いで日本人史上3人目の開幕投手として4月6日のパドレス戦に先発し、5回2/3を4安打1失点の投球で白星を挙げる。しかし直後に左脇腹を痛めて10日に故障者リスト入りする。6月1日のダイヤモンドバックス戦で復帰し、23日のシカゴ・ホワイトソックス戦で復帰後初勝利を挙げる。28日のシアトル・マリナーズ戦ではイチローとメジャー初対戦。7月12日のミルウォーキー・ブルワーズ戦では登板間隔の関係からメジャー初の救援登板したが、1回1/3を投げ2安打3失点を喫した。前半戦はWHIP1.14と安定した投球を続けるも3勝5敗、防御率4.67を喫する。8月16日のダイヤモンドバックス戦ではラスティ・ライアルの打球を頭部に受け故障者リスト入りする。9月6日のパドレス戦で復帰し、最終的に規定投球回には達しなかったが、後半戦は5勝2敗、防御率2.98、WHIP1.13と好投を続け、チームは2年連続の地区優勝を果たす。ポストシーズンでは首痛でセントルイス・カージナルスとのディビジョンシリーズは登録を外れ、フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズで第3戦に先発するが、1回1/3を6失点で降板。チームは前年に続き第5戦で敗退した。

2010年4月9日のフロリダ・マーリンズ戦で初登板し、8回5安打1失点の好投で3年連続初登板勝利を記録。5月2日のピッツバーグ・パイレーツ戦では岩村明憲とメジャー初対戦し、8回5安打1失点の投球で、メジャー通算20勝となる3勝目を挙げる。前半戦は17試合の先発で7勝7敗、防御率3.87、WHIP1.37の成績で折り返す。7月22日のニューヨーク・メッツ戦では高橋尚成と投げ合い、8回5安打無失点の好投で8勝目を挙げる。その後は好投するも打線の援護に恵まれない試合が続き、8月25日のブルワーズ戦で6試合ぶりの白星を挙げる。30日のフィリーズ戦では8回一死までノーヒットノーランの快投を見せ、メジャー移籍後初の10勝目に到達。後半戦は14試合の先発で防御率2.87、WHIP0.93と好調だったが、「勝ち負けは(自分では)どうすることもできないって、今年はつくづく感じている」と語るほど好投するも打線の援護に恵まれない試合が多く、4勝6敗に留まったが、シーズン通算では11勝、防御率3.39、投球回数196回1/3、奪三振数159と主要カテゴリーでメジャー自己最高の成績を記録した。オフにはドジャースとの契約が終了しFAとなる。ESPNが作成したFA選手ランクリストでデレク・ジーターを上回るベスト30に入り「援護が少なく、勝利数が伸びなかったため過小評価されている」と高評価を受け、複数球団が獲得を目指し去就が注目された。一部報道で古巣広島へ復帰の可能性も報じられ、日本の球団も獲得に動いたが、11月15日に1年1200万ドルでドジャースと再契約。その後記者会見では「ドジャースが必要としてくれるなら第一に考えたかった」と語り、自身のブログでは広島への復帰報道について謝罪し「日本に復帰するならカープしか考えていなかった」と改めて明言した。

2011年のスプリングトレーニングでは東日本大震災の募金活動に参加し、自身も5万ドルを寄付した。4月3日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で初登板し、7回を6安打3失点の投球で4年連続の初登板勝利を挙げる。9日のパドレス戦では9回二死まで無失点の好投でメジャー通算30勝となる2勝目を挙げる。しかしその後は6月までの9敗中6試合でクオリティ・スタートを記録するなど好投しても打線の援護に恵まれない試合が続き、7月1日のロサンゼルス・エンゼルス戦でメジャー通算100先発を達成し、8試合ぶりの白星を挙げる。前半戦は18試合の登板で6勝10敗、防御率3.06、WHIP1.22と過去最高の成績で折り返し、7月までポストシーズン進出を目指す複数の球団がトレードでの黒田の獲得を目指していることが盛んに報じられたが、トレード期限前の7月30日にトレード拒否権を行使して残留。「プレーオフの魅力はあったし葛藤はあった。昨年契約した時ドジャースでやると決めたし、その原点に戻りました」とコメントする。8月26日のカージナルス戦で2年連続の2桁勝利となる10勝目を挙げ、8月は5勝を挙げる。9月11日のジャイアンツ戦では4回2/3を投げ3失点で、日本人選手ワースト記録となる16敗目を喫する。16日のパイレーツ戦ではメジャー通算40勝目となる自己最多の12勝目を挙げ、27日のダイヤモンドバックス戦でメジャー移籍後初の200イニングにも到達。後半戦も14試合の登板で7勝6敗、防御率3.09、WHIP1.20と安定した投球を続け、前年に引き続き得点援護率がリーグワースト2位を記録するなど打線の援護に恵まれず、シーズン通算では16敗を喫したものの13勝とリーグ9位の防御率3.07、161奪三振と主要3部門で2年連続キャリアハイを更新した。

2012年1月26日にニューヨーク・ヤンキースと1500万ドルの1年契約を結んだ。背番号はドジャース時代と同じ「18」。4月13日のエンゼルス戦で移籍後初勝利を挙げる。24日のテキサス・レンジャーズ戦ではダルビッシュ有と投げ合い、6回2/3を5安打2失点に抑えるも3敗目を喫した。6月13日のブレーブス戦ではNPB/MLB通算150勝を達成。17試合の登板で8勝7敗、防御率3.50、WHIP1.26の成績で前半戦を終える。7月18日のトロント・ブルージェイズ戦では、野茂英雄、大家友和に次いで日本人史上3人目となるメジャー通算50勝を達成。試合は7回雨天コールドのため、記録上完封勝利となった。23日のシアトル・マリナーズ戦では、この日トレードでヤンキースに移籍したイチローと共に先発出場し、7回を3安打1失点9奪三振の好投で野茂英雄以来日本人選手史上2人目となる3年連続の10勝目を挙げる。8月14日のレンジャーズ戦では、日本人選手単独2位のメジャー通算52勝目となるシーズン2度目の完封勝利を挙げ、監督のジョー・ジラルディに「同年の投手陣の中で最高の投球内容だった」と絶賛された。9月16日のタンパベイ・レイズ戦ではメジャー移籍後自己最多の14勝目を挙げ、2年連続の200投球回にも到達した。レギュラーシーズン最終戦となった10月4日のボストン・レッドソックス戦では松坂大輔と投げ合い、7回7安打2失点の投球でプロ入り後キャリアハイとなる16勝目を挙げ、チームも地区優勝を決めた。また、防御率3.32はヤンキース先発陣のトップ。投球回219回2/3はリーグ4位。勝率.593はメジャー自己ベストであった。ポストシーズンではボルチモア・オリオールズとのディビジョンシリーズ第3戦に先発し、ポストシーズンでの日本人選手最長となる8回1/3を5安打2失点の投球でチームの勝利に貢献。デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは中3日で先発登板し、5回まで走者を出さず、7回2/3を5安打3失点、ポストシーズンでの日本人選手最多となる11奪三振の好投を見せるも黒星を喫し、チームは第4戦で敗退した。11月20日に1500万ドルの1年契約で再契約した。

2013年6月7日のシアトル・マリナーズ戦でNPB・MLB通算2000奪三振を達成。19日のロサンゼルス・ドジャース戦では、6回2/3を8安打2失点の投球で7勝目を挙げ、ナショナル・リーグ全球団からの勝利を達成した。前半戦を19試合の先発で8勝6敗、リーグ2位の防御率2.65、WHIP1.05の成績で折り返し、オールスターゲーム代替出場選手の最終候補にも名前が挙がったが、選出は逃した。7月25日のレンジャーズ戦で7回6安打無失点の好投で10勝目を挙げ、日本人選手最多記録となる4年連続2桁勝利を達成。8月11日のエンゼルス戦で11勝目を挙げ、17日のレッドソックス戦ではメジャー移籍後自己ワーストの11被安打で8敗目を喫するも防御率リーグトップとなる。しかしその後は制球を乱し後半戦は13試合の先発で防御率4.25、WHIP1.32の成績を喫し、さらに勝利投手の権利を有して降板した際も3度のセーブ失敗に遭うなどもあり、後半戦の勝敗は3勝7敗に終わり、チームもポストシーズン進出を逃した。10月31日にFAとなり、12月7日に年俸1600万ドル+出来高の1年契約で再契約。

2014年4月25日のエンゼルス戦で自己ワーストの8失点を記録するなど5月までは防御率4.56、WHIP1.32を喫する。7月初旬にはCC・サバシアや田中将大の故障者リスト入りにより、開幕から先発ローテーションを守る唯一の投手となり、前半戦は19試合の先発で6勝6敗、防御率4.10、WHIP1.21の成績で折り返す。7月25日のブルージェイズ戦で日本人史上2人目のメジャー通算200先発に到達。30日のレンジャーズ戦では黒田と入れ替わりで広島に所属していたコルビー・ルイスと投げ合うが黒星を喫し、QS達成での敗戦数が現役選手最多の30敗となった。8月25日には広島市の土砂災害の被災者への義援金を送ったことを発表。28日のデトロイト・タイガース戦で日本人選手では野茂英雄以来の5年連続規定投球回に到達。9月3日のレッドソックス戦では前年の自らの記録を更新する5年連続2桁勝利に到達。14日のオリオールズ戦ではNPB/MLB通算3000投球回に到達。シーズン最終登板となった25日のオリオールズ戦では、完投すれば自身3年連続200投球回達成という状況の中、8回2失点と好投するが、9回にデビッド・ロバートソンが同点打を許し勝ち星を逃す。この試合ではシーズンを通しての黒田の好投と貢献度を見てきた監督のジョー・ジラルディから、9回もいったんマウンドに上がりファンに見送られながら降板することも提案されていたが、デレク・ジーターの現役最後のホームゲームだったことから「今日は僕の日じゃないので」と断ったという。チームは2年連続でポストシーズン出場を逃したが、後半戦は13試合の先発で5勝3敗、防御率3.16、WHIP1.03の成績を残し、チームの先発投手で唯一開幕から先発ローテーションを守った。日本人初のMLB全30球団勝利は持ち越した(デトロイト・タイガース以外の29球団に勝利)。シーズン終了後FAとなった。11勝は田中の13勝に次ぐチーム2位、奪三振数はチームトップの146だったが、ヤンキースはFA選手に対して1年契約を提示するクオリファイング・オファーを申請せず、その後古巣のドジャースがオファーを提示したことが報じられ、この他にパドレスも1800万ドルのオファーを提示したことが報じられた。

2014年12月27日に古巣の広島と契約したことが球団から発表された。1年契約で年俸は推定4億円(プラス出来高)、背番号は2007年まで着けていた「15」に決定した。上記の海外での高額オファーを断って日本国内の古巣・広島カープに復帰するというニュースは、日本球界関係者のみならず大リーグ関係者にも大きな反響があった。

2015年は球団から調整法を任せられていたため、春季キャンプは2月17日からの沖縄二次キャンプから合流した。合流前日(2月16日)に広島市内で行われた復帰記者会見では、「年齢的な部分を考えても残りの野球人生は長くないと思っていますし、いつ最後の登板になっても良いという気持ちでやっています。1球1球にどれだけの気持ちを込めて投げられるかと考えた時に、カープのユニフォームを着て投げて最後の1球になった方が、後悔が無いと思い復帰を決断しました」と語った。3月29日のヤクルト戦(マツダスタジアム)で復帰後公式戦初登板し、7回5安打無失点で復帰後初勝利を挙げた。また、この試合の4回に復帰後初ヒット(記録は二塁打)を放った。5月3日、右腓骨筋腱周囲炎により出場登録を抹消される。40歳のシーズンとなったが、最終的に11勝8敗、リーグ7位の防御率2.55の成績を残した。同年9月10日、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたが、10月8日にコンディションが万全ではないことを理由に代表メンバーを辞退することを発表した。翌年の去就が注目されていたが12月8日に現役続行の意思を固め、12月17日にはマツダスタジアム内の球団事務所で契約更改に臨み、推定約6億円プラス出来高で契約更改した。この金額はオリックス・バファローズの金子千尋を上回り、日本球界最高年俸となる。日本選手の歴代最高は2004年、2005年の佐々木主浩(横浜)の6億5000万円で、6億円は2002年の松井秀喜(巨人)の6億1000万円に次いで、2014年の阿部慎之助(巨人)とともに歴代3番目となる。なお、広島の選手が球界最高年俸となるのは1985年の山本浩二(当時8500万円)以来である。

2016年4月2日の巨人戦(マツダスタジアム)で120球を投げて4安打完封勝利を記録した。40代での完封勝利は史上8人目、41歳以上では4人目の快挙であった。7月23日の阪神戦(マツダスタジアム)では7回を投げ5安打無失点で、NPB/MLB通算200勝(NPB:121勝、MLB:79勝)を達成した。NPB・MLB通算200勝は野茂英雄に次いで2人目で、大卒での200勝達成は村山実以来46年ぶり。そして、広島生え抜きの200勝達成は1992年の北別府学以来2人目となる。6月29日のヤクルト戦(マツダスタジアム)で勝利した後の記事で、NPB/MLB通算199勝の内198勝が先発勝利(先発登板時の勝利)であることが紹介された。そのため、8月20日のヤクルト戦(マツダスタジアム)での先発勝利が野茂英雄と並ぶNPB/MLB通算201勝目であると同時に、史上初めて先発勝利のみでNPB/MLB通算200勝を達成。また、大卒投手としてもNPB通算、NPB/MLB通算問わず史上初めて先発勝利のみでの200勝を達成した。8月30日には、新井貴浩、リオオリンピック金メダリスト金藤理絵とともに広島県民栄誉賞の受賞が決定。9月10日の巨人戦(東京ドーム)でNPB/MLB通算202勝目を挙げたことで野茂英雄のNPB/MLB通算201勝を抜き、NPB/MLB通算イニング数に続きNPB/MLB通算勝星数においても歴代でトップとなる。広島が優勝マジックを1として迎えた9月10日、東京ドームでの2位巨人との直接対決に先発し、6回6安打3失点で9勝目を挙げた。この試合に勝利した広島は25年ぶり7度目のリーグ優勝を決め、黒田は緒方孝市監督、新井貴浩とともに胴上げされた。10月1日のヤクルト戦(マツダスタジアム)での勝利で、ドジャース所属時の2010年から続けて7年連続2桁勝利を達成。NPBでは40代での2年連続2桁勝利という史上3人目の快挙を達成した。2リーグ制以降では工藤公康以来2人目、右腕投手としては初の快挙である。

2016年10月18日に今シーズンで現役を引退することを表明。広島市内のホテルで記者会見を行った。当日、日本シリーズへの練習をする前に、マツダスタジアムの右翼付近に集まった選手に対し引退の旨を表明した。引退表明までの成績は日米通算203勝184敗1セーブ。2016年10月25日の日本シリーズ第3戦(札幌ドーム)が最終登板となり、5回2/3を投げ85球4被安打1奪三振1失点。最後の打者は大谷翔平だった。オフの11月4日には引退記者会見が開かれ、球団は背番号「15」を永久欠番にすると発表した。翌5日の優勝パレード・優勝報告会がユニフォーム姿での最後の場となり、報告会での引退セレモニー後に改めてナインから背番号と同じ15回胴上げされ、最後はマウンド手前で涙を流し蹲った。12月2日、自由契約公示された。

2017年からはアメリカ在住の為、日本帰国時に野球解説者として活動。日本テレビ・広島テレビ・TBSテレビ・J SPORTSゲスト解説者として出演。

2022年11月18日、広島新井貴浩新監督の要請を受け、広島東洋カープ球団アドバイザーに就任することが発表された。非常勤で主に若手の指導サポートの役割を担う。

スリークォーターからメジャー時代の平均球速91.9mph(約147.9km/h)の速球(シンカー、フォーシーム)と平均球速86.7mph(約139.5km/h)のフォーク(スプリッター)、平均球速83.8mph(約134.9km/h)のスライダーを投げ分ける本格派右腕で、稀にカーブやカットボールも織り交ぜる。中でもスライダーとフォークはメジャーでも高い評価を獲得し、特にフォークはメジャー時代にはダン・ヘイレンのスプリッターと共に「現役最高のスプリッター」と評された。速球の最速はメジャー移籍前の広島在籍時に計測した157km/h。広島復帰後はカットボールの投球割合を増やしていた。

メジャー移籍前後で投球スタイルを変えており、メジャー移籍前はフォーシームを主体としていたが、ドジャースに移籍する数年前から「ツーシーム系を内に、スライダー系を外に、フォークで高低をつける。打者が狙っている球を投げ、打たせて取ることが理想」という理想図を描き、移籍後はフォーシームをほとんど投げずツーシーム系主体の投球となった。そのため広島時代に投げていた最速150km/hを越えることもあるシュートを、右打者の膝元に沈ませる速球・シンカー(握りはツーシーム)に進化させたという。

広島時代(メジャー移籍前)には完投数リーグ1位の年が6度もあるタフさから「ミスター完投」の異名を持った一方で、完封数は年に1回程度。11年間で74完投を記録したが、完封に関しては14回に留まった。黒田自身も完投にこだわりを持っていたが、メジャーでプレーするようになってからは「いくら1試合を完封しても、次の登板でノックアウトを喫してしまってはチームにとって意味がない。それよりも7回、7回を連続してきっちり投げた方がチームへの貢献度が高くなる。この場所で完投にこだわることは自己満足に過ぎない」と思うようになったという。

OBからの評価も高く、江川卓は自著で「調子がいい時の彼のストレートは、ど真ん中に放っても打たれない」、2006年7月2日の中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で完封勝利を収めた際には、中日監督の落合博満から「今日(3安打完封)の黒田は俺が現役の時でも打てない。だからうちの選手が打てる訳がない」と絶賛された。

フィールディングの評価も高く、2008年には35のアシストを記録した。1999年の甲子園での阪神戦では満塁で決勝のセーフティバントを成功させたことがある一方、打撃は苦手で連続無安打の記録を作ったこともあり、2010年に開幕から39打席無安打を続けた際には地元紙から「いくらピッチャーでもひどい」と書かれたことがある。

上記のように高い評価を得る一方で、好投した試合での打線の援護に恵まれないことで有名であり、先述した通りドジャース時代には毎年のように好投しながらも援護に恵まれず、監督のジョー・トーリからも同情されていた他、ESPNからも「援護が少なく、勝利数が伸びなかったため過小評価されている」と指摘され、2006年の広島時代には最優秀防御率でありながら援護率で最下位を記録している。ヤンキース時代も他のローテーションピッチャーと比べて好投した試合での援護が著しく少なく、メディアから「黒田は弁護士を雇ってチームメイトを無援護で訴えるべきだ」と書かれたこともあった。

愛称は「クロ」、「ヒロ」。

両親をガンで喪ったため、ガンの研究や啓発を行う活動に多額の寄付をしており、ロサンゼルスのメディアに紹介されたこともある。父が肺ガンになった際は入院先の広島に足しげく通い、メジャー挑戦を一年先延ばしにしたのは、父の闘病を支えたい気持ちが強かったというのも理由の一つだった。

上宮高校時代の3年間は控え投手だった。特に高校3年生の夏は、西浦克拓(元日本ハム)、溝下進崇に続く三番手投手と目されていた。

広島時代の2006年のシーズン終盤、FA移籍の情報が各スポーツ紙を賑わせている真っ只中、ファンが動き、完成させたのが広島市民球場外野席に突如現れた巨大横断幕である。それには多くのファンからのメッセージ、そして大きな文字で「我々は共に闘って来た 今までもこれからも… 未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる Carpのエース 黒田博樹」と記されていた。更にシーズン最終登板試合には満員のファンが黒田の背番号15の赤いプラカードを掲げ球場を赤色に染め上げ、後に「あのファンの気持ちは大きかった」と述べた。この一連のエピソードは翌年7月に『誰がために〜黒田博樹物語〜』(漫画:吉原基貴、原案協力・取材:戸塚啓)として漫画化され、ヤングアニマル(白泉社)に掲載された。

クレイトン・カーショウとはドジャース時代にお互いMLBではルーキーながらメジャーに定着 (カーショウはメジャーのスプリングトレーニング→AAジャクソンビルで開幕→5月末にメジャーに昇格) したことからほぼ毎日キャッチボールをしていたため仲が良い。

引退報告にカーショウを訪ねた際にも先発登板の翌日だったカーショウにキャッチボールに誘われ、5年間使ったグラブにメッセージを添えた物を贈られた。

NPBとはやり方の違うMLBのトレーニングについて「アメリカに来たのでアメリカの野球を受け入れないと、自分のことも受け入れてもらえないと思った。こっちに来た以上はこっちのやり方も自分でトライしてみないと。そういう姿勢というのは、みんなに伝わると思う。アメリカの野球をしに来たので、調整法であれ、トレーニングであれ、一度受け入れることは大事」として積極的に取り入れ、「結果も毎年良くなっているので、アメリカのやり方を信じてトライしたのも僕にとっては良かった」と語っており、また、日本でプレーしていた頃は「練習や試合だけの日もあれば、ゆっくりする日もあるんだろうな」とメジャーについてのイメージを漠然と描いていたが、毎日のようにユニフォームを着て球場に行かなければならない実状を経験して、練習時間が長いと言われる日本のほうがむしろ「しんどくない」と思ったという。そのため「日本と同じような調整では絶対に身体がもたない」と思い、調整法を変えていくことに至ったという。

高校時代、西郷隆盛が甥の市来政直に贈った漢詩の一節『雪に耐えて梅花麗し』に感銘を受け、以来それを座右の銘としている。ヤンキース時代の2012年のスプリング・キャンプのミーティングで各選手が日替わりで自分の好きな言葉を披露した際に、黒田はこの言葉を紹介している。この言葉には主将のデレク・ジーターや監督のジョー・ジラルディも共鳴したという。

高校生くらいの頃からB'zの曲をよく聞いており、2015年度の登場曲に使用された「RED」は、黒田から直々に登場曲制作の依頼に応えた書き下ろした楽曲である(B'zがジャンルを問わず一個人のために楽曲を提供するのは今回が初となる)。

日本人投手で史上初めてNPB/MLBの先発勝利数のみで200勝(野茂英雄の先発勝利数は199勝)かつ大卒プロ史上初めて先発勝利数(先発投手勝利数)で200勝に達した投手である。(これまで大卒200勝投手は4人いたが、いずれも先発投手勝利と救援投手勝利の合算で200勝している。大卒200勝投手の先発勝利数は、村山実が188勝、藤本英雄が184勝、若林忠志が179勝、杉下茂が133勝となっている。ちなみに高卒社会人プロの野茂英雄は先述のとおりNPB/MLB通算先発勝利数は199勝であり、救援投手勝利の2勝との合算で201勝となっている。)

2015年9月には国際連合訓練調査研究所(ユニタール(英語: unitar))の親善大使に任命されている。

広島時代の2年後輩であり、自身の広島復帰と同じく2014年オフに広島に復帰した新井貴浩とは「盟友」とも呼べる間柄であり、新井が現役を引退した直後の2018年11月5日には中国新聞朝刊に新井の引退を労う全面広告(表裏2面)を私費で掲載した。事前の予告等は全くなく、新井本人にも知らせなかったという。広島の地元紙の広告ながら、東京でも同紙を求める人が続出し、全国的に話題となり、翌年には日本新聞協会による第39回新聞広告賞の大賞に選出された。大賞を個人が獲得するのは初めて。また、2024年に黒田が野球殿堂入りを果たした際は、表彰式当日の7月23日朝刊に新井からの野球殿堂入りを祝う全面広告が掲載された。

各年度の太字はリーグ最高

各年度の太字はリーグ最高

各年度の太字年はゴールデングラブ賞受賞

最多勝利:1回(2005年)

最優秀防御率:1回(2006年)

ベストナイン:1回(投手部門:2005年)

ゴールデングラブ賞:1回(投手部門:2005年)

コミッショナー特別表彰:1回(功労賞:2016年)

月間MVP:4回(2001年9月、2005年5月、2006年7月、2006年8月)

最優秀投手:1回(2005年)

最優秀JCB・MEP賞:1回(2003年)

優秀JCB・MEP賞:2回(2001年、2006年)

スピードアップ賞:1回(2006年)

広島市民賞:2回(2006年、2016年)

広島県民栄誉賞(2016年)

ビートたけしのエンターテインメント賞:2回(特別賞:2015年、男気賞:2017年)

ハッピーハンド(2016年)

新聞広告賞 広告主部門・新聞広告大賞(2019年)

初登板・初先発・初勝利・初完投:1997年4月25日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、9回1失点

初奪三振:同上、1回裏に松井秀喜から

初完封勝利:1997年6月3日、対阪神タイガース9回戦(西京極野球場)

初セーブ:2006年10月16日、対中日ドラゴンズ22回戦(広島市民球場)

1000投球回:2004年4月22日、対ヤクルトスワローズ6回戦(明治神宮野球場)、4回裏に二死目を打ち取った時点で達成 ※史上295人目

1000奪三振:2006年4月6日、対阪神タイガース2回戦(倉敷マスカットスタジアム)、5回表に赤星憲広から ※史上117人目

1500投球回:2006年8月18日、対横浜ベイスターズ14回戦(横浜スタジアム)、5回裏に二死目を打ち取った時点で達成 ※史上157人目

100勝:2007年7月14日、対読売ジャイアンツ11回戦(東京ドーム)、9回2失点完投勝利 ※史上123人目

2000投球回:2016年8月27日、対中日ドラゴンズ18回戦(ナゴヤドーム)、3回裏無死から近藤弘基を二ゴロに打ち取り、一死目を奪い達成 ※史上88人目

初打点:1997年4月25日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、4回表に西山一宇から押し出し四球

初安打:1997年5月27日、対読売ジャイアンツ8回戦(福岡ドーム)、5回表に槙原寛己から右前安打

初盗塁:2005年5月17日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(福山市民球場)、5回裏に二盗(投手:小野晋吾、捕手:橋本将)

NPB通算:595打数 47安打(.079) 0本塁打 20打点

オールスターゲーム出場:5回(2001年、2005年、2006年、2007年、2015年)

シーズン2桁勝利:8回

1イニング4被本塁打:1999年7月31日、対読売ジャイアンツ17回戦(広島市民球場)、1回表に高橋由伸、ドミンゴ・マルティネス、清水隆行、二岡智宏から ※プロ野球タイ記録、史上12人目

初登板・初勝利:2008年4月4日、対サンディエゴ・パドレス戦(ペトコ・パーク)

初奪三振:同上、1回裏に井口資仁から

初完封:2008年6月6日、対シカゴ・カブス戦(ドジャー・スタジアム)

3年連続200イニング(以上)

ナ・リーグ全球団勝利:2013年6月19日、対ロサンゼルス・ドジャース戦(ヤンキー・スタジアム) ※日本人初

MLB29球団勝利※野茂英雄と並び日本人投手の最高記録

初安打:2008年4月14日、対ピッツバーグ・パイレーツ戦(ドジャー・スタジアム)

初打点:2008年4月14日、対ピッツバーグ・パイレーツ戦(ドジャー・スタジアム)

シーズン2桁勝利:5回

150勝:2012年6月13日、対アトランタ・ブレーブス戦(ターナー・フィールド)、6回2失点

2000奪三振:2013年6月7日、対シアトル・マリナーズ戦(セーフコ・フィールド)、2回裏にラウル・イバニェスから空振り三振

200勝:2016年7月23日、対阪神タイガース17回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回無失点

200勝(先発投手勝利のみにおける200勝目):2016年8月20日、対ヤクルトスワローズ19回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回無失点※史上初(NPB/MLB)

3000投球回:2015年9月14日、対ボルチモア・オリオールズ戦(オリオールパーク)、3回無死 ニック・ハンドリー(三ゴロ) ※史上2人目(日米)

NPB/MLB40球団勝利(MLB29球団/NPB11球団):2015年5月29日、対オリックス・バファローズ(京セラドーム大阪)

15(1997年 - 2007年、2015年 - 2016年)(広島東洋カープの永久欠番)

18(2008年 - 2014年)

B'z「RED」(2015年 - 2016年)※書き下ろし曲

『決めて断つ』ベストセラーズ、2012年5月。ISBN 978-4584133828。

    2015年3月に文庫化(ワニ文庫、2015年3月)ISBN 978-4584393666

    『クオリティピッチング』ベストセラーズ、2013年5月。ISBN 978-4584134962。

    迫勝則『黒田博樹 1球の重み』宝島社、2016年1月。ISBN 978-4800249432。

    森拓磨『黒田博樹 人を導く言葉 - エースの背中を追い続けた15年 -』ワニブックス、2017年9月。ISBN 978-4847096068。

    『黒田博樹のカープ愛~野球人生最後の決断』(2015年3月、 TCエンタテインメント)

    『日めくり 黒田博樹 ~一言入魂~ DVD付き』(2016年4月27日、ワニブックス)

    ドリーム☆アゲイン(2007年、日本テレビ)本人 役

    情熱大陸(2013年4月14日・2015年3月29日、毎日放送)

    アスリートの魂(2013年8月1日、NHK)

    奇跡体験!アンビリバボー(2016年11月3日、フジテレビ

    OFLIFE(2018年10月24日 - 2020年9月23日、毎日放送)

    スカパー 「交流戦CM」(2015年5月)

    サッポロビール サッポロ生ビール黒ラベル「大人エレベーター」(2016年1月)

    キリンビール 淡麗極上〈生〉(2017年3月)

    第26回参議院議員通常選挙「その選択が明日を決める。」(2022年6月22日-7月10日、広島県選挙管理委員会)同テレビCMも出演。

    ^ 最多勝利1個、最優秀防御率1個

    ^ ベストナイン1個、ゴールデングラブ賞1個

    ^ この間に、10月4日の対ヤクルト戦(明治神宮野球場)では完封勝利を記録。

    ^ 黒田 博樹 野球殿堂博物館

    ^ 「広島黒田7回無失点、野茂に並んだ日米最多201勝」『日刊スポーツ』2016年8月21日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「黒田、日米40球団勝利!8年ぶり交流戦で1カ月ぶり4勝」『スポーツニッポン』2015年5月30日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 黒田博樹 2015, p. 82.

    ^ 黒田博樹 2015, p. 87.

    ^ 高校時代控えも…メジャーで活躍するまでに這い上がった黒田の足跡 - スポーツニッポン(2015年1月16日)

    ^ 黒田博樹 2015, p. 27.

    ^ 黒田博樹 2015, p. 28.

    ^ 黒田博樹 2015, p. 30.

    ^ 黒田博樹 2015, p. 30-31.

    ^ 黒田博樹 2015, p. 32.

    ^ 黒田博樹 2015, p. 45.

    ^ 神宮球場ガイドブック1996年春号

    ^ 中日スポーツ編集『月刊ドラゴンズ』第163号、1996年11月1日、72-73頁「阿知波浩二のアマ野球通信 今年の超目玉・井口はナント中日に来る!? 運命のドラフトは11月21日だ」(中日新聞社)

    ^ 「沢崎、黒田が広島と契約」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1996年(平成8年)11月22日付朝刊、15面(スポーツ面)。

    ^ 黒田博樹 2015, p. 56.

    ^ 広島・黒田博樹「不屈の野球道」(3)プロ入り後、活躍するまでに時間がかかった - アサ芸プラス(2015年4月8日)

    ^ 黒田博樹 2015, p. 57.

    ^ 「G打線 また"初顔"に沈黙 ルーキー黒田 初登板初完投」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1997年(平成9年)4月26日付朝刊、21面(スポーツ面)。

    ^ 「セ新人一番! 黒田完封」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1997年(平成9年)6月4日付朝刊、17面(スポーツ面)。

    ^ 黒田博樹 2015, p. 58.

    ^ 黒田博樹 2015, pp. 58–59.

    ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1999年(平成11年)4月7日付朝刊、16面(スポーツ面)、広島対阪神1回戦の試合結果より。

    ^ 「コイ勝った ●連敗13でストップ ○"奮投"黒田がドラ封じ」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1999年(平成11年)7月15日付朝刊、21面(スポーツ面)。

    ^ 「巨人が1イニング4本塁打」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1999年(平成11年)8月1日付朝刊、17面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田、試合ぶち壊し」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1999年(平成11年)8月1日付朝刊、17面(スポーツ面)。

    ^ 「阪神再び最下位」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1999年(平成11年)10月1日付朝刊、22面(スポーツ面)。

    ^ 「IC杯野球 プロが活躍 日本初白星」『北海道新聞』(縮刷版) 1999年(平成11年)11月6日付朝刊、16面(スポーツ面)。

    ^ 「台湾を完封 日本が4勝 IC杯野球」『北海道新聞』(縮刷版) 1999年(平成11年)11月11日付朝刊、16面(スポーツ面)。

    ^ 「武田誤算 竜3連敗」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2000年(平成12年)4月12日付朝刊、25面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田3安打完封」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2000年(平成12年)10月5日付朝刊、24面(スポーツ面)。

    ^ 「本拠地最終戦 黒田完投勝ち」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2000年(平成12年)10月10日付夕刊、4面。

    ^ 「球界情報 5日 東出800万増、黒田1500万増」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2000年(平成12年)12月6日付朝刊、24面(スポーツ面)。

    ^ 黒田博樹 2015, p. 65.

    ^ 「黒田初白星 広島猛攻11点」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2001年(平成13年)4月20日付朝刊、21面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田は無四球完封」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2001年(平成13年)6月10日付朝刊、27面(スポーツ面)。

    ^ 「オールスターゲーム出場メンバー」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2001年(平成13年)7月12日付朝刊、24面(スポーツ面)。

    ^ 「「10勝」に手ごたえ」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2001年(平成13年)8月23日付朝刊、23面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田1安打完封」『読売新聞』 2001年(平成13年)8月23日付朝刊、23面(スポーツ面)。

    ^ 「広島8連勝 黒田完封」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2001年(平成13年)9月12日付朝刊、24面(スポーツ面)。

    ^ 「松井3年ぶり月間MVP」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2001年(平成13年)10月4日付朝刊、27面(スポーツ面)。

    ^ 黒田博樹 2015, p. 66.

    ^ 「球界情報 13日 黒田、倍増更改」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2001年(平成13年)12月14日付朝刊、23面(スポーツ面)。

    ^ 「緒方逆転弾 コイ連勝」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2002年(平成14年)4月1日付朝刊、21面(スポーツ面)。

    ^ 「故障明け黒田 13K完封 空切る巨人 完敗」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2002年(平成14年)5月25日付朝刊、29面(スポーツ面)。

    ^ 「片岡落とした トラ落ちた4位」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2002年(平成14年)8月7日付朝刊、17面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田2年連続10勝」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2002年(平成14年)10月5日付朝刊、19面(スポーツ面)。

    ^ 「球界情報 9日 佐々岡1億6000万円」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2002年(平成14年)12月10日付朝刊、19面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田151キロでツバメ討ち」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2003年(平成15年)3月29日付朝刊、21面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田通算50勝」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2003年(平成15年)8月18日付朝刊、21面(スポーツ面)。

    ^ 「広島気迫の辛勝」『北海道新聞』(縮刷版) 2003年(平成15年)9月14日付朝刊、19面(スポーツ面)。

    ^ 「プロ野球情報 黒田が1億円突破」『北海道新聞』(縮刷版) 2003年(平成15年)12月16日付朝刊、23面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田12K初勝利 ハマ連勝止める」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)4月10日付朝刊、19面(スポーツ面)。

    ^ 「10安打浴びたけど黒田 復活の完封 復帰戦で3年ぶり野口」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)6月21日付朝刊、19面(スポーツ面)。

    ^ 「オランダ下し 日本2勝目」『北海道新聞』(縮刷版) 2004年(平成16年)8月17日付夕刊、7面。

    ^ 「日本逆転 4強 台湾に4-3 小笠原サヨナラ犠飛」『北海道新聞』(縮刷版) 2004年(平成16年)8月22日付朝刊、22面(スポーツ面)。

    ^ 「「北京こそ」誓う銅 長嶋ジャパン 意地の圧勝」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)8月26日付朝刊、21面(スポーツ面)。

    ^ 「ミセリ2発浴びる 開幕戦4連敗 上原の好投生かせず」『北海道新聞』(縮刷版) 2005年(平成17年)4月2日付朝刊、16面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田・三浦譲らず」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2005年(平成17年)4月16日付朝刊、23面(スポーツ面)。

    ^ 「月間MVPに杉内、金本ら」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2005年(平成17年)6月4日付朝刊、27面(スポーツ面)。

    ^ 「オールスターゲーム出場メンバー」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2005年(平成17年)7月9日付朝刊、23面(スポーツ面)。

    ^ 『読売新聞』(縮刷・関東版) 2005年(平成17年)7月24日付朝刊、19面(スポーツ面)、セ・リーグ対パ・リーグ第2戦の試合結果より。

    ^ 「セ界 劇的サヨナラデー 広島緒方会心弾 ドラ足踏み」『北海道新聞』(縮刷版) 2005年(平成17年)8月14日付朝刊、19面(スポーツ面)。

    ^ 「切れた直球、2ケタ勝利」『北海道新聞』(縮刷版) 2005年(平成17年)8月14日付朝刊、19面(スポーツ面)。

    ^ 「セ・リーグ全日程終了 202安打 青木首位打者 .344 2年目開花」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2005年(平成17年)10月15日付朝刊、17面(スポーツ面)。

    ^ 「最優秀新人、ベストナインの得票数」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2005年(平成17年)11月5日付朝刊、20面(スポーツ面)。

    ^ 「ゴールデングラブ賞 ロッテ5人 内野独占」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2005年(平成17年)11月9日付朝刊、20面(スポーツ面)。

    ^ 「契約更改交渉 22日」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2005年(平成17年)12月23日付朝刊、14面(スポーツ面)。

    ^ 「<16> 2004年9月6日 球界再編騒動 ファンが支え、唯一棄権」『中国新聞デジタル』2020年5月9日。2022年1月27日閲覧。

    ^ 「黒田、指打撲 代表外れる 代わりに久保田」『北海道新聞』(縮刷版) 2006年(平成18年)2月26日付朝刊、20面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田粘投初勝利」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2006年(平成18年)4月17日付朝刊、23面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田 114球無四球完封」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2006年(平成18年)4月28日付朝刊、21面(スポーツ面)。

    ^ 「月間MVPに広島・黒田ら」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2006年(平成18年)8月3日付朝刊、19面(スポーツ面)。

    ^ 「8月MVPにリグスら」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2006年(平成18年)9月6日付朝刊、25面(スポーツ面)。

    ^ 「ドラ7冠 ウッズ・福留・川上2冠 岩瀬セーブ王」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2006年(平成18年)10月17日付朝刊、27面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田 広島残留 FA権 行使せず」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2006年(平成18年)11月7日付朝刊、27面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田7回1失点 トラ、下柳を援護できず」『北海道新聞』(縮刷版) 2007年(平成19年)3月31日付朝刊、23面(スポーツ面)。

    ^ 「記録 14日」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2007年(平成19年)7月15日付朝刊、20面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田 FA権行使へ」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2007年(平成19年)10月19日付朝刊、20面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田がメジャー挑戦表明」『日刊スポーツ』2007年11月30日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「ドジャース黒田入団発表、背番号18希望」『日刊スポーツ』2007年12月17日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「黒田心意気の出来高払いなし」『日刊スポーツ』2007年12月18日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 黒田博樹 2015, p. 108.

    ^ 「黒田完璧7回3安打1失点、初登板初勝利」『日刊スポーツ』2008年4月6日。2022年1月26日閲覧。

    ^ 「日本人初!黒田→斎藤「先発勝利&S」」『日刊スポーツ』2008年5月23日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「カブス福留、初対決ドジャース黒田に快勝」『日刊スポーツ』2008年5月29日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「黒田「壊れてもいい」志願の続投で初完封」『日刊スポーツ』2008年6月8日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「黒田がDL入り、復帰は最短で28日」『日刊スポーツ』2008年6月20日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「黒田復活最速155キロ20日ぶり登板4勝」『日刊スポーツ』2008年7月4日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「黒田「悔しい」1安打無四球で完全逃す」『日刊スポーツ』2008年7月9日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「July 29, 1984 Cincinnati Reds at Los Angeles Dodgers Box Score and Play by Play」『Baseball-reference.com』Sports Reference, Inc.、1984年7月29日。2008年7月7日閲覧。(英語)

    ^ 完全試合に迫った黒田、「素晴らしいサポート受けている」 - ウェイバックマシン(2008年7月14日アーカイブ分) - MAJOR.JP(2008年7月8日)

    ^ 「黒田球宴休み生かせず2回8安打KO」『日刊スポーツ』2008年7月20日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 輝きを放ったルーキーたち『月刊スラッガー』2008年12月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-12、29頁。

    ^ 「黒田で突破ドジャース3連勝/プレーオフ」『日刊スポーツ』2008年10月6日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「黒田内角攻めでド軍1勝/プレーオフ」『日刊スポーツ』2008年10月14日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「黒田に75万円、選手とコーチ7人に罰金」『日刊スポーツ』2008年10月15日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「黒田「悔しいが充実の1年」/プレーオフ」『日刊スポーツ』2008年10月17日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「ドジャース黒田WBC辞退調整間に合わず」『日刊スポーツ』2008年12月21日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 黒田、ピービ倒して野茂以来の開幕白星 - 日刊スポーツ(2009年4月8日)

    ^ 黒田脇腹違和感でDL入り「不本意です」 - 日刊スポーツ(2009年4月12日)

    ^ 黒田戦列復帰、トーリ監督「よく投げた」 - 日刊スポーツ(2009年6月3日)

    ^ 黒田「長かった」4・6開幕戦以来の2勝 - 日刊スポーツ(2009年6月25日)

    ^ イチロー内野安打で黒田攻略3点突破口 - 日刊スポーツ(2009年6月30日)

    ^ 黒田がメジャー移籍後初救援で3失点 - 日刊スポーツ(2009年7月14日)

    ^ 黒田の頭に打球直撃し退場…検査異常なし - 日刊スポーツ(2009年8月17日)

    ^ 黒田、今季2度目の故障者リスト入り - 日刊スポーツ(2009年8月20日)

    ^ 黒田22日ぶり復帰も5回4失点で6敗目 - 日刊スポーツ(2009年9月7日)

    ^ 黒田ドジャースが2年連続の地区優勝 - 日刊スポーツ(2009年10月5日)

    ^ 黒田はベンチで観戦/プレーオフ - 日刊スポーツ(2009年10月9日)。

    ^ 黒田撃沈、39球6失点KO/プレーオフ - 日刊スポーツ(2009年10月20日)。

    ^ 黒田悔しいブルペン終戦/プレーオフ - 日刊スポーツ(2009年10月23日)

    ^ 黒田3年連続初登板飾った 8回自責ゼロ - 日刊スポーツ(2010年4月11日)

    ^ 黒田8回1失点3勝目!96マイルに96球 - 日刊スポーツ(2010年5月4日)

    ^ 尚成と投げ合うと黒田が勝つ8回0封8勝 - 日刊スポーツ(2010年7月24日)

    ^ 黒田8敗…気温40度超6回1失点も - 日刊スポーツ(2010年7月19日)

    ^ 4試合連続勝ち星なしの黒田が練習で汗 - 日刊スポーツ(2010年8月18日)

    ^ 黒田7回2失点も援護なく5戦白星なし - 日刊スポーツ(2010年8月20日)

    ^ 黒田気合入れメジャー最多タイ9勝 - 日刊スポーツ(2010年8月27日)

    ^ 黒田惜しい!8回1死までノーヒッター - 日刊スポーツ(2010年9月1日)

    ^ 黒田6回1失点も「今年はつくづく…」 - 日刊スポーツ(2010年9月12日)

    ^ 黒田援護なし…6度目無得点12敗目 - 日刊スポーツ(2010年9月7日)

    ^ 黒田ド軍と正式に再契約「うれしい」 - 日刊スポーツ(2010年11月17日)

    ^ ド軍残留黒田「世界一を目指したい」 - 日刊スポーツ(2010年11月24日)

    ^ ドジャース残留黒田がブログで騒動を謝罪 - 日刊スポーツ(2010年11月19日)

    ^ ドジャースが義援金集め、黒田も感謝 - 日刊スポーツ(2011年3月20日)

    ^ 黒田「自分も協力」義援金5万ドル - 日刊スポーツ(2011年3月16日)

    ^ 黒田が4年連続初登板勝利「強いので」 - 日刊スポーツ(2011年4月5日)

    ^ 黒田9回2死まで0封「最後ヘロヘロ」 - 日刊スポーツ(2011年4月11日)

    ^ 黒田1カ月半ぶり白星、去就注目度アップ - 日刊スポーツ(2011年7月3日)

    ^ 黒田は悩んでド軍残留「眠れなかった」 - 日刊スポーツ(2011年8月1日)

    ^ 黒田10勝 2年連続2ケタ勝利 - 日刊スポーツ(2011年8月26日)

    ^ 黒田11勝目 8月で5勝「たまには…」 - 日刊スポーツ(2011年9月1日)

    ^ 黒田日本人ワースト16敗「疲れがある」 - 日刊スポーツ(2011年9月13日)

    ^ 黒田12勝 メジャー自己新で通算40勝 - 日刊スポーツ(2011年9月18日)

    ^ 黒田200イニング登板 FA結論はまだ先 - 日刊スポーツ(2011年9月29日)

    ^ 「「ワールドシリーズ制覇を」=黒田ヤンキース移籍発表-米大リーグ」『時事通信』2012年1月27日。2012年1月27日閲覧。

    ^ 重圧に打ち勝ったヤンキース・黒田、最高のNYデビュー - スポーツナビコラム(2012年4月14日)

    ^ 「黒田「浸っている余裕はない」/一問一答」『日刊スポーツ』2012年7月19日。2012年7月19日閲覧。

    ^ 「黒田7回1失点で10勝 3年連続2ケタ」『日刊スポーツ』2012年7月24日。2012年7月24日閲覧。

    ^ 「日本人投手単独2位の勝利数!ヤンキース黒田投手」『All About』2012年8月19日。2012年8月23日閲覧。

    ^ コツコツ黒田2年連続200投球回 - 日刊スポーツ(2012年9月18日)

    ^ 「イチ2点二塁打、黒田7回2失点16勝」『日刊スポーツ』2012年10月4日。2012年10月19日閲覧。

    ^ 「黒田16勝「いつもと同じ気持ちだった」」『日刊スポーツ』2012年10月4日。2012年10月19日閲覧。

    ^ 「黒田2発被弾も好投「神懸かり的」」『日刊スポーツ』2012年10月11日。2012年10月19日閲覧。

    ^ 「黒田が導いた「漫画の世界」も瞬間見れず」『日刊スポーツ』2012年10月12日。2012年10月19日閲覧。

    ^ 「黒田5回まで完全の快投も」『日刊スポーツ』2012年10月16日。2012年10月19日閲覧。

    ^ 「黒田「まだ負けたという実感がない」」『日刊スポーツ』2012年10月19日。2012年10月19日閲覧。

    ^ Yankees re-sign Kuroda - FOX SPORTS(2012年11月20日)

    ^ 黒田2000K到達も8安打4失点5敗目 - 日刊スポーツ(2013年6月8日)

    ^ 黒田 古巣ド軍斬り ナ・リーグ制覇 - 日刊スポーツ(2013年6月21日)

    ^ 黒田、球宴最終候補リストに名前あった - 日刊スポーツ(2013年7月16日)

    ^ 黒田10勝 野茂超え日本人初4年連続2桁日刊スポーツ、2013年7月25日。

    ^ ダル15K見て、黒田9度目の0封11勝 - 日刊スポーツ(2013年8月14日)

    ^ 黒田8敗 味方守備、判定に怒り抑え… - 日刊スポーツ(2013年8月19日)

    ^ 終盤苦しんだ黒田 チーム背負い活躍、疲労が心身に - 日経新聞コラム(2013年9月30日)

    ^ 黒田、勝ち投手権利をリベラに消される - 日刊スポーツ(2013年9月10日)

    ^ Yankees sign RHP Hiroki Kuroda - MLB.com

    ^ Yankees, Hiroki Kuroda finalize one-year deal CBS Sports

    ^ ヤ軍黒田8失点「紙一重の部分が野球」日刊スポーツ、2014年4月27日。

    ^ 黒田7勝目 野茂に次ぐ200戦先発達成日刊スポーツ、2014年7月26日。

    ^ 黒田7敗目 元広島エース対決に敗れる日刊スポーツ、2014年7月31日。

    ^ 不運な黒田、QSクリアも現役最多30敗日刊スポーツ、2014年8月1日。

    ^ ヤンキース黒田が広島市に義援金日刊スポーツ、2014年8月25日。

    ^ 黒田7回2失点も「30球団制覇」逃す日刊スポーツ、2014年8月30日。

    ^ 黒田が“黒田超え”5年連続10勝日刊スポーツ、2014年9月5日。

    ^ 黒田 3000投球回到達に「まさか…」日刊スポーツ、2014年9月15日。

    ^ 黒田「ジーターは持っているものが違う」日刊スポーツ、2014年9月26日。

    ^ 黒田 ジーターと2度のハグ「言葉じゃなくてね…」Sponichi Annex、2014年9月27日。

    ^ 黒田博樹 2015, p. 8.

    ^ 唯一ローテ守り抜いた 黒田「最低限の目標だが一番難しい」Sponichi Annex、2014年9月29日。

    ^ 黒田7回2失点も2つの記録は持ち越し日刊スポーツ、2014年8月29日。

    ^ イチロー、松坂らFAに 選手会が121人公示スポーツニッポン、2014年11月1日

    ^ FA黒田にオファーなくヤンキースと決別

    ^ 黒田獲得へ ド軍“本気”18億円オファー!大型補強第1弾スポニチアネックス 2014年11月21日

    ^ 2014年12月27日 中国新聞朝刊16版17面他

    ^ 「黒田博樹選手復帰のお知らせ」『広島東洋カープ』2014年12月27日。2014年12月27日閲覧。

    ^ 「カープ、黒田復帰を発表 年俸4億円、背番号15」『中国新聞アルファ』2014年12月27日。2014年12月27日閲覧。

    ^ 「黒田博樹の"男気伝説" 広島復帰を決断した右腕が米国でも見せた心意気」『Full-Count』2014年12月28日。2025年2月2日閲覧。

    ^ おかえりなさい!黒田博樹選手入団記者会見!2015年2月16日広島球団公式サイト配信

    ^ 「黒田7回0封で2740日ぶり星」『デイリースポーツ』2015年3月29日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「黒田 登録抹消 右足のくるぶしを痛める チーフトレーナー「投球に支障が出ている」」『スポーツニッポン』2015年5月3日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年9月10日) 2015年9月20日閲覧

    ^ 【広島】黒田、プレミア12出場辞退 コンディション万全でない スポーツ報知 2015年10月9日閲覧。

    ^ 「広島黒田「想像以上」球界最高年俸6億円でサイン」『日刊スポーツ』2015年12月17日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「プロ野球 | 広島の黒田博樹投手が球界最高年俸6億円に」『毎日新聞』2015年12月17日。2015年12月20日閲覧。

    ^ 「【広島】黒田6億円で球界最高年俸、広島からは山本浩二さん以来」『スポーツ報知』2015年12月18日。2015年12月20日閲覧。

    ^ 「黒田あっぱれ41歳完封、日本復帰後初 9年ぶり」『日刊スポーツ』2016年4月3日。2016年4月10日閲覧。

    ^ 広島・黒田が日米通算200勝 阪神戦で7回無失点 - 日本経済新聞 2016年7月23日(同日確認)

    ^ 広島・黒田 3度目の正直で日米通算200勝達達成 - 東京スポーツ 2016年7月23日(同日確認)

    ^ 「広島黒田が日米200勝「数多くのサポートあった」」『日刊スポーツ』2016年7月23日。2024年3月29日閲覧。

    ^ 「広島・黒田が日米通算200勝を達成!「残る仕事は優勝のみ」と期待の声」『Sirabee』2016年7月23日。2024年3月29日閲覧。

    ^ 「広島・黒田、日米200勝の原動力は「マウンドに立ち続ける責任感」」『Yahoo!ニュース(THE PAGE)』2016年7月23日。2024年3月29日閲覧。

    ^ 「ほぼ先発だけで200勝達成へ 東尾修が讃える「黒田」という財産」『AERA dot.』2016年7月9日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「ソフトB連勝、黒田201勝/20日プロ野球まとめ」『日刊スポーツ』2016年8月20日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 黒田、新井らに広島県民栄誉賞 黒田は「うれしい」新井は「光栄」デイリースポーツ(2016年8月30日)

    ^ 「広島25年ぶり優勝、黒田9勝 巨人連勝4で止まる - 戦評」『日刊スポーツ』2016年9月10日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「広島25年ぶり7度目リーグ優勝!黒田涙の胴上げ」『日刊スポーツ』2016年9月10日。2016年9月13日閲覧。

    ^ 広島・黒田 日米通算7年連続2桁勝利 今季最終戦で到達、バットで逆転呼ぶ スポニチアネックス (2016年10月1日)

    ^ 広島・黒田が現役引退 日米通算203勝右腕「素晴らしい夢を見させてもらった」 - デイリースポーツ 2016年10月18日

    ^ 「黒田博樹選手 引退のお知らせ」『広島東洋カープ』2016年10月18日。2016年11月13日閲覧。

    ^ 広島カープ黒田投手が引退表明 「日本一で恩返し」 - 中国新聞アルファ 2016年10月18日

    ^ 広島黒田が現役引退「個人的なことで申し訳ない」 - 日刊スポーツ 2016年10月18日

    ^ 現役最後、大谷選手に投じた8球の“真実”|黒田博樹 - Hiroshima Athlete Magazine 2022年9月28日

    ^ 広島黒田ひざつきうずくまり33秒 3万人が見た涙 日刊スポーツ、2016年11月13日閲覧。

    ^ 「自由契約選手|2016年度公示」『NPB.jp 日本野球機構』2016年12月2日。2016年12月3日閲覧。

    ^ 「広島、黒田博樹氏の球団アドバイザー就任を発表「できる範囲で」新井監督サポートへ」『Full-Count』2022年11月18日。2024年8月4日閲覧。

    ^ 「【広島】黒田博樹氏が球団アドバイザー就任 “盟友”新井貴浩監督からの熱烈オファーに根負け」『スポーツ報知』2022年12月2日。2024年8月4日閲覧。

    ^ 「【野球殿堂】元広島の黒田博樹氏、元中日監督の谷繁元信氏が殿堂入り! エキスパート部門2年ぶり選出なし」『スポーツニッポン』2024年1月18日。2024年7月26日閲覧。

    ^ 2024年 野球殿堂入り発表 谷繁元信氏、黒田博樹氏、谷村友一氏が殿堂入り!」『野球殿堂博物館』。2024年7月26日閲覧。

    ^ 「BrooksBaseball.net Player Card:Hiroki Kuroda」『www.brooksbaseball.net』。2020年6月26日閲覧。

    ^ 「Kuroda expects to feel pressure」『Los Angeles Times』2007年12月17日。2024年3月29日閲覧。

    ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』廣済堂出版、2009年、404頁。ISBN 978-4-331-51370-5。

    ^ FanGraphs Hiroki Kuroda Pitch Type

    ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2010』廣済堂出版、2010年、404頁。ISBN 978-4-331-51439-9。

    ^ 「2010-11 MLB投手白書 球種別解説&データファイル スプリッター スカウト部長の解説」『月刊スラッガー』2011年2月号、日本スポーツ企画出版社、19頁。雑誌15509-2。

    ^ 「黒田 セ5球団偵察隊うならせた 「動く」球で若鯉を貫禄料理」『スポニチ Sponichi Annex』2015年2月26日。2022年1月26日閲覧。

    ^ 「緒方監督も驚く、メジャー経た黒田の投球 本人と周囲が手応え示す球種とは」『Full-Count』2015年2月26日。2022年1月26日閲覧。

    ^ 「日本人メジャーリーガー新機軸 黒田博樹」『週刊ベースボール』2010年3月号、ベースボール・マガジン社、3-7頁。雑誌20441-1/25。

    ^ 黒田博樹 2015, pp. 147–148.

    ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2007』アスペクト、2007年、374–375頁。ISBN 978-4-7572-1338-8。

    ^ 黒田博樹 2015, pp. 123–124.

    ^ メジャー斎藤、黒田 ベテラン2人の優しさと気迫 - ウェイバックマシン(2012年3月7日アーカイブ分) - 産経新聞(2012年3月6日)

    ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011』廣済堂出版、2011年、450頁。ISBN 978-4-331-51518-1。

    ^ 「好きな言葉は「気迫」。NYが認めた黒田博樹の志。~常勝軍団でつかんだエースの座~」『Number Web』2012年9月10日。2025年2月2日閲覧。

    ^ Kuroda should sue for lack of support - ESPN(2012年8月26日)

    ^ 「同級生だった元日本ハム・西浦氏が語る黒田の高校時代 ひと晩中走らされたノーコンのクロ」『イザ!』2016年7月27日。2022年2月4日閲覧。

    ^ 「黒田博樹のエース道<後編>「『自分をチームに捧げられる』というマインドを持っている人がエース」|carp|連載|広島アスリートマガジン」『広島アスリートマガジン』2020年6月2日。2021年9月30日閲覧。

    ^ 「黒田博樹氏 カーショーとグラブに刻む絆「ヒロへ。これからもずっと…」」『スポーツニッポン』2017年6月30日。2017年6月30日閲覧。

    ^ 黒田博樹 2015, pp. 96–97.

    ^ 「元チームメイトが語る「控え投手時代の黒田博樹」」『web Sportiva』2016年7月12日。2024年7月26日閲覧。

    ^ 好調ドジャースが浮上 最下位からの巻き返し - スポーツナビコラム(2010年5月25日)

    ^ 黒田博樹 2015, pp. 161–163.

    ^ 黒田 ドジャース残留決断は名誉よりチームへの愛着 - スポーツニッポン(2011年8月1日)

    ^ 黒田博樹 2015, pp. 166–168.

    ^ 黒田博樹 2015, pp. 168–169.

    ^ 黒田博樹 2015, pp. 170.

    ^ 黒田、雄叫び7回0封「抑えるしかない」 - 日刊スポーツ(2013年8月1日)

    ^ 黒田7回無失点も勝敗つかず「仕方ない」 - 日刊スポーツ(2013年8月1日)

    ^ Dodgers derailed despite Kershaw's gemMLB.com Recap、2013年7月31日。

    ^ 黒田が苦しみを乗り越えて得たもの=2011シーズンを終えて - スポーツナビコラム(2011年10月11日)

    ^ 黒田博樹 2015, pp. 114–115.

    ^ 黒田、完封11勝目!座右の銘「耐雪梅花麗」チームに浸透 - スポーツニッポン(2012年8月16日)

    ^ B’z、広島カープ黒田投手の登場曲を書き下ろし「自分を投影できるB'z作品に」 - BARKS音楽ニュース(2015年3月25日)

    ^ 広島黒田7回無失点、野茂に並んだ日米最多201勝 - 日刊スポーツ(2016年8月21日)

    ^ unitar United Nations Institute for Training and Research

    ^ 「黒田氏、引退決断の盟友・新井にエール「最後までたくさんの声援を受けて過ごしてもらいたい」」『サンケイスポーツ』2018年9月5日。2018年12月20日閲覧。

    ^ 「「結局、新井は凄かった」 カープOB黒田さんが粋な新聞広告」『産経新聞』2018年11月6日。2018年12月20日閲覧。

    ^ 「新聞広告賞2019」『新聞広告データアーカイブ』日本新聞協会。2021年11月30日閲覧。

    ^ 「新聞広告大賞は元プロ野球選手・黒田博樹氏の「結局、新井は凄かった」」『電通報』2019年9月10日。2021年11月30日閲覧。

    ^ 「黒田博樹さんに広告大賞 個人で初、新聞協会」『日本経済新聞』2019年9月6日。2021年11月30日閲覧。

    ^ 「新井監督「黒田さんは凄かった」」『デイリースポーツ online』2024年7月25日。2024年7月25日閲覧。

    ^ 「藤井が最優秀MEP賞」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2001年(平成13年)10月18日付朝刊、23面(スポーツ面)。

    ^ 「平成18年度(2006年度)以前の広島市民賞被表彰者名簿 (PDF)」『広島市』。2017年8月6日閲覧。

    ^ 「平成28年度(2016年度)広島市民賞被表彰者名簿 (PDF)」『広島市』。2017年8月6日閲覧。

    ^ 「顕彰 - 黒田 博樹(くろだ・ひろき)」『広島県』。2017年8月6日閲覧。

    ^ 「歴史と観光「ハッピーハンド」」『幸手市観光協会』。2017年9月13日閲覧。

    ^ 「通算1000投球回」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)4月23日付朝刊。17面(スポーツ・人間ドラマ面)。

    ^ 「広島・黒田が1000奪三振」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2006年(平成18年)4月7日付朝刊、21面(スポーツ面)。

    ^ 「広島・黒田が1500投球回」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2006年(平成18年)8月19日付朝刊、21面(スポーツ面)。

    ^ 「黒田 博樹(広島東洋カープ) | 個人年度別成績」『NPB.jp 日本野球機構』。2024年3月29日閲覧。

    ^ 「黒田博樹が米国で残した足跡 メジャーで刻んだ2つの「日本人初」」『Full-Count』2015年1月1日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「黒田1カ月ぶり7勝 ナ15球団から白星」『日刊スポーツ』2013年6月20日。2025年2月2日閲覧。

    ^ 「黒田 3000投球回到達に「まさか…」」『日刊スポーツ』2014年9月15日。2025年2月2日閲覧。

    黒田博樹『決めて断つ』〈ワニ文庫〉、ベストセラーズ、2015年3月。ISBN 978-4584393666。

    大阪府出身の人物一覧

    専修大学の人物一覧

    広島東洋カープの選手一覧

    オリンピックの野球競技・メダリスト一覧

    日本出身のメジャーリーグベースボール選手一覧

    黒田博樹 プロフィール - 吉本興業株式会社

    個人年度別成績 黒田博樹 - NPB.jp 日本野球機構

    選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

    選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

    60 ヴィクトル・スタルヒン

    62 池田豊

    63 中島治康

    64 若林忠志

    65 川上哲治, 鶴岡一人

    69 苅田久徳

    70 天知俊一, 二出川延明

    72 石本秀一

    74 藤本定義, 藤村富美男

    76 中上英雄

    77 水原茂, 西沢道夫

    78 松木謙治郎, 浜崎真二

    79 別所毅彦

    80 大下弘, 小鶴誠

    81 飯田徳治, 岩本義行

    83 三原脩

    85 杉下茂, 白石勝巳, 荒巻淳

    88 長嶋茂雄, 別当薫, 西本幸雄, 金田正一

    89 島秀之助, 野村克也, 野口二郎

    90 真田重蔵, 張本勲

    91 牧野茂, 筒井修, 島岡吉郎

    92 廣岡達朗, 坪内道則, 吉田義男

    93 稲尾和久, 村山実

    94 王貞治, 与那嶺要

    95 杉浦忠, 石井藤吉郎

    96 藤田元司, 衣笠祥雄

    97 大杉勝男

    99 中西太, 広瀬叔功, 古葉竹識, 近藤貞雄

    00 米田哲也

    01 根本陸夫, 小山正明

    02 山内一弘, 鈴木啓示, 福本豊, 田宮謙次郎

    03 上田利治, 関根潤三

    04 仰木彬

    05 村田兆治, 森祇晶

    06 門田博光, 高木守道, 山田久志

    07 梶本隆夫

    08 山本浩二, 堀内恒夫

    09 若松勉

    10 東尾修

    11 落合博満

    12 北別府学, 津田恒実

    13 大野豊

    14 野茂英雄, 秋山幸二, 佐々木主浩

    15 古田敦也

    16 斎藤雅樹, 工藤公康

    17 伊東勤

    18 松井秀喜, 金本知憲

    19 立浪和義

    22 髙津臣吾, 山本昌

    23 アレックス・ラミレス

    24 谷繁元信, 黒田博樹

    25 イチロー, 岩瀬仁紀

    09 青田昇

    10 江藤慎一

    11 皆川睦雄

    13 外木場義郎

    16 榎本喜八

    17 星野仙一, 平松政次

    18 原辰徳

    19 権藤博

    20 田淵幸一

    23 ランディ・バース

    25 掛布雅之

    59 正力松太郎, 平岡凞, 青井鉞男, 安部磯雄, 橋戸信, 押川清, 久慈次郎, 沢村栄治, 小野三千麿

    60 飛田忠順, 河野安通志, 桜井彌一郎

    62 市岡忠男

    64 宮原清

    65 井上登, 宮武三郎, 景浦將

    66 守山恒太郎

    67 腰本寿

    68 鈴木惣太郎, 田邊宗英, 小林一三

    69 三宅大輔, 田部武雄, 森岡二朗, 島田善介, 有馬頼寧

    70 田村駒治郎, 直木松太郎, 中馬庚

    71 小西得郎, 水野利八

    72 中野武二, 太田茂

    73 内海弘蔵, 天野貞祐, 広瀬謙三

    74 野田誠三

    76 小泉信三

    77 森茂雄, 西村幸生

    78 伊丹安広, 吉原正喜, 岡田源三郎

    79 平沼亮三, 谷口五郎

    80 千葉茂

    81 佐伯達夫, 小川正太郎

    82 鈴木龍二, 外岡茂十郎

    83 内村祐之

    84 桐原眞二

    85 田中勝雄, 山内以九士

    86 中河美芳, 松方正雄

    87 藤田信男, 山下実

    88 横沢三郎, 芥田武夫, 永田雅一

    89 池田恒雄, 伊達正男

    90 佐伯勇

    91 中澤良夫

    92 吉田正男

    94 廣岡知男

    95 呉昌征, 村上實

    96 牧野直隆, 保坂誠

    97 山本英一郎

    98 中尾碩志, 井口新次郎

    99 吉國一郎

    00 福島慎太郎

    01 武田孟, 長谷川良平

    02 中澤不二雄, 生原昭宏

    03 松田耕平

    04 秋山登

    05 志村正順

    06 川島廣守, 豊田泰光

    07 松永怜一

    08 嶋清一

    09 大社義規, 君島一郎

    10 古田昌幸

    12 長船騏郎, 大本修

    13 福嶋一雄

    14 相田暢一

    15 林和男, 村山龍平

    16 松本瀧藏, 山中正竹

    17 郷司裕, 鈴木美嶺

    18 瀧正男

    19 脇村春夫

    20 前田祐吉, 石井連藏

    21 川島勝司, 佐山和夫

    22 松前重義

    23 古関裕而

    24 谷村友一

    25 富澤宏哉

    02 フランク・オドール, 正岡子規

    03 ホーレス・ウィルソン, 鈴鹿栄

    金田正一

    稲尾和久

    小山正明

    米田哲也

    梶本隆夫

    皆川睦雄

    村山実

    鈴木啓示

    堀内恒夫

    山田久志

    江夏豊

    平松政次

    東尾修

    村田兆治

    北別府学

    佐々木主浩

    高津臣吾

    工藤公康

    野茂英雄

    山本昌広

    岩瀬仁紀

    黒田博樹

    上原浩治

    藤川球児

    平野佳寿

    山内一弘

    榎本喜八

    野村克也

    長嶋茂雄

    広瀬叔功

    張本勲

    王貞治

    江藤慎一

    土井正博

    高木守道

    松原誠

    柴田勲

    大杉勝男

    藤田平

    衣笠祥雄

    福本豊

    山崎裕之

    山本浩二

    有藤通世

    若松勉

    谷沢健一

    加藤秀司

    門田博光

    大島康徳

    新井宏昌

    秋山幸二

    駒田徳広

    立浪和義

    鈴木一朗(イチロー)

    清原和博

    古田敦也

    野村謙二郎

    石井琢朗

    松井秀喜

    田中幸雄

    前田智徳

    金本知憲

    松井稼頭央

    小笠原道大

    稲葉篤紀

    宮本慎也

    小久保裕紀

    アレックス・ラミレス

    中村紀洋

    谷繁元信

    井口資仁

    和田一浩

    新井貴浩

    福留孝介

    荒木雅博

    青木宣親

    阿部慎之助

    鳥谷敬

    内川聖一

    福浦和也

    坂本勇人

    栗山巧

    大島洋平

    1950 大島信雄

    1951 松田清

    1952 梶岡忠義

    1953 大友工

    1954 杉下茂

    1955 別所毅彦

    1956 渡辺省三

    1957 金田正一

    1958 金田正一

    1959 村山実

    1960 秋山登

    1961 権藤博

    1962 村山実

    1963 柿本実

    1964 G.バッキー

    1965 金田正一

    1966 堀内恒夫

    1967 権藤正利

    1968 外木場義郎

    1969 江夏豊

    1970 村山実

    1971 藤本和宏

    1972 安田猛

    1973 安田猛

    1974 関本四十四

    1975 安仁屋宗八

    1976 鈴木孝政

    1977 新浦寿夫

    1978 新浦寿夫

    1979 平松政次

    1980 松岡弘

    1981 江川卓

    1982 斉藤明夫

    1983 福間納

    1984 小林誠二

    1985 小松辰雄

    1986 北別府学

    1987 桑田真澄

    1988 大野豊

    1989 斎藤雅樹

    1990 斎藤雅樹

    1991 佐々岡真司

    1992 盛田幸妃

    1993 山本昌広

    1994 郭源治

    1995 T.ブロス

    1996 斎藤雅樹

    1997 大野豊

    1998 野口茂樹

    1999 上原浩治

    2000 石井一久

    2001 野口茂樹

    2002 桑田真澄

    2003 井川慶

    2004 上原浩治

    2005 三浦大輔

    2006 黒田博樹

    2007 高橋尚成

    2008 石川雅規

    2009 チェン

    2010 前田健太

    2011 吉見一起

    2012 前田健太

    2013 前田健太

    2014 菅野智之

    2015 K.ジョンソン

    2016 菅野智之

    2017 菅野智之

    2018 菅野智之

    2019 大野雄大

    2020 大野雄大

    2021 柳裕也

    2022 青柳晃洋

    2023 村上頌樹

    2024 髙橋宏斗

    1950 真田重男

    1951 杉下茂

    1952 別所毅彦

    1953 大友工

    1954 杉下茂

    1955 大友工, 長谷川良平

    1956 別所毅彦

    1957 金田正一

    1958 金田正一

    1959 藤田元司

    1960 堀本律雄

    1961 権藤博

    1962 権藤博

    1963 金田正一

    1964 G.バッキー

    1965 村山実

    1966 村山実

    1967 小川健太郎

    1968 江夏豊

    1969 高橋一三

    1970 平松政次

    1971 平松政次

    1972 堀内恒夫

    1973 江夏豊

    1974 松本幸行, 金城基泰

    1975 外木場義郎

    1976 池谷公二郎

    1977 高橋里志

    1978 野村収

    1979 小林繁

    1980 江川卓

    1981 江川卓

    1982 北別府学

    1983 遠藤一彦

    1984 遠藤一彦

    1985 小松辰雄

    1986 北別府学

    1987 小松辰雄

    1988 小野和幸, 伊東昭光

    1989 斎藤雅樹, 西本聖

    1990 斎藤雅樹

    1991 佐々岡真司

    1992 斎藤雅樹

    1993 今中慎二, 山本昌広, 野村弘樹

    1994 山本昌広

    1995 斎藤雅樹

    1996 斎藤雅樹, B.ガルベス

    1997 山本昌

    1998 川崎憲次郎

    1999 上原浩治

    2000 M.バンチ

    2001 藤井秀悟

    2002 上原浩治, K.ホッジス

    2003 井川慶

    2004 川上憲伸

    2005 下柳剛, 黒田博樹

    2006 川上憲伸

    2007 S.グライシンガー

    2008 S.グライシンガー

    2009 吉見一起, 館山昌平

    2010 前田健太

    2011 吉見一起, 内海哲也

    2012 内海哲也

    2013 小川泰弘

    2014 R.メッセンジャー, 山井大介

    2015 前田健太

    2016 野村祐輔

    2017 菅野智之

    2018 大瀬良大地, 菅野智之

    2019 山口俊

    2020 菅野智之

    2021 青柳晃洋, 九里亜蓮

    2022 青柳晃洋

    2023 東克樹

    2024 菅野智之

    1967 小川健太郎

    1968 江夏豊

    1969 高橋一三

    1970 平松政次

    1971 平松政次

    1972 堀内恒夫

    1973 高橋一三

    1974 堀内恒夫

    1975 外木場義郎

    1976 池谷公二郎

    1977 小林繁

    1978 新浦寿夫

    1979 小林繁

    1980 江川卓

    1981 江川卓

    1982 北別府学

    1983 遠藤一彦

    1984 山根和夫

    1985 小松辰雄

    1986 北別府学

    1987 桑田真澄

    1988 小野和幸

    1989 斎藤雅樹

    1990 斎藤雅樹

    1991 佐々岡真司

    1992 斎藤雅樹

    1993 今中慎二

    1994 山本昌広

    1995 斎藤雅樹

    1996 斎藤雅樹

    1997 山本昌

    1998 佐々木主浩

    1999 上原浩治

    2000 工藤公康

    2001 藤井秀悟

    2002 上原浩治

    2003 井川慶

    2004 川上憲伸

    2005 黒田博樹

    2006 川上憲伸

    2007 高橋尚成

    2008 S.グライシンガー

    2009 D.ゴンザレス

    2010 前田健太

    2011 吉見一起

    2012 内海哲也

    1950 真田重男

    1951 別所毅彦

    1952 別所毅彦

    1953 大友工

    1954 杉下茂

    1955 別所毅彦

    1956 別所毅彦

    1957 金田正一

    1958 金田正一

    1959 藤田元司

    1960 秋山登

    1961 権藤博

    1962 村山実

    1963 金田正一

    1964 G.バッキー

    1965 村山実

    1966 村山実

    1967 小川健太郎

    1968 江夏豊

    1969 高橋一三

    1970 平松政次

    1971 平松政次

    1972 堀内恒夫

    1973 高橋一三

    1974 堀内恒夫

    1975 外木場義郎

    1976 池谷公二郎

    1977 小林繁

    1978 新浦寿夫

    1979 小林繁

    1980 江川卓

    1981 江川卓

    1982 北別府学

    1983 遠藤一彦

    1984 山根和夫

    1985 小松辰雄

    1986 北別府学

    1987 桑田真澄

    1988 小野和幸

    1989 斎藤雅樹

    1990 斎藤雅樹

    1991 佐々岡真司

    1992 斎藤雅樹

    1993 今中慎二

    1994 山本昌広

    1995 斎藤雅樹

    1996 斎藤雅樹

    1997 山本昌

    1998 佐々木主浩

    1999 上原浩治

    2000 工藤公康

    2001 藤井秀悟

    2002 上原浩治

    2003 井川慶

    2004 川上憲伸

    2005 黒田博樹

    2006 川上憲伸

    2007 高橋尚成

    2008 S.グライシンガー

    2009 D.ゴンザレス

    2010 前田健太

    2011 吉見一起

    2012 内海哲也

    2013 前田健太

    2014 菅野智之

    2015 前田健太

    2016 野村祐輔

    2017 菅野智之

    2018 菅野智之

    2019 山口俊

    2020 菅野智之

    2021 柳裕也

    2022 青柳晃洋

    2023 東克樹

    2024 菅野智之

     投  黒田博樹

     捕  矢野輝弘

     一  新井貴浩

     二  荒木雅博

     三  今岡誠

     遊  井端弘和

     外  青木宣親 / 赤星憲広 / 金本知憲

    1972 堀内恒夫

    1973 堀内恒夫

    1974 堀内恒夫

    1975 堀内恒夫

    1976 堀内恒夫

    1977 堀内恒夫

    1978 堀内恒夫

    1979 西本聖

    1980 西本聖

    1981 西本聖

    1982 西本聖

    1983 西本聖

    1984 西本聖

    1985 西本聖

    1986 北別府学

    1987 桑田真澄

    1988 桑田真澄

    1989 西本聖

    1990 斎藤雅樹

    1991 桑田真澄

    1992 斎藤雅樹

    1993 今中慎二, 桑田真澄

    1994 桑田真澄

    1995 斎藤雅樹

    1996 斎藤雅樹

    1997 桑田真澄

    1998 桑田真澄

    1999 上原浩治

    2000 工藤公康

    2001 野口茂樹

    2002 桑田真澄

    2003 上原浩治

    2004 川上憲伸

    2005 黒田博樹

    2006 川上憲伸

    2007 川上憲伸

    2008 石川雅規

    2009 D.ゴンザレス

    2010 前田健太

    2011 浅尾拓也

    2012 前田健太

    2013 前田健太

    2014 前田健太

    2015 前田健太

    2016 菅野智之

    2017 菅野智之

    2018 菅野智之

    2019 西勇輝

    2020 菅野智之

    2021 柳裕也

    2022 森下暢仁

    2023 東克樹

    2024 菅野智之

     投  黒田博樹

     捕  矢野輝弘

     一  A.シーツ

     二  荒木雅博

     三  岩村明憲

     遊  井端弘和

     外  金城龍彦 / 福留孝介 / 赤星憲広

    1950 内藤幸三

    1951 杉浦竜太郎

    1952 大田垣喜夫

    1953 長谷川良平

    1954 長谷川良平

    1955 長谷川良平

    1956 長谷川良平

    1957 長谷川良平

    1958 長谷川良平

    1959 備前喜夫

    1960 備前喜夫

    1961 河村英文

    1962 大石清

    1963 大石清

    1964 池田英俊

    1965 大石清

    1966 池田英俊

    1967 安仁屋宗八

    1968 大石弥太郎

    1969 安仁屋宗八

    1970 外木場義郎

    1971 大石弥太郎

    1972 白石静生

    1973 外木場義郎

    1974 佐伯和司

    1975 外木場義郎

    1976 外木場義郎

    1977 外木場義郎

    1978 高橋里志

    1979 福士明夫

    1980 池谷公二郎

    1981 池谷公二郎

    1982 北別府学

    1983 北別府学

    1984 北別府学

    1985 大野豊

    1986 北別府学

    1987 北別府学

    1988 北別府学

    1989 北別府学

    1990 大野豊

    1991 長冨浩志

    1992 川口和久

    1993 北別府学

    1994 北別府学

    1995 佐々岡真司

    1996 大野豊

    1997 山内泰幸

    1998 大野豊

    1999 N.ミンチー

    2000 佐々岡真司

    2001 佐々岡真司

    2002 佐々岡真司

    2003 黒田博樹

    2004 黒田博樹

    2005 黒田博樹

    2006 黒田博樹

    2007 黒田博樹

    2008 大竹寛

    2009 C.ルイス

    2010 前田健太

    2011 前田健太

    2012 前田健太

    2013 B.バリントン

    2014 前田健太

    2015 前田健太

    2016 K.ジョンソン

    2017 K.ジョンソン

    2018 野村祐輔

    2019 大瀬良大地

    2020 大瀬良大地

    2021 大瀬良大地

    2022 大瀬良大地

    2023 大瀬良大地

    2024 九里亜蓮

    2025 森下暢仁

    84 サム・キンバー

    85 ジョン・ハーキンズ

    86 ジョン・ハーキンズ

    87 ヘンリー・ポーター

    88 ボブ・カラザーズ

    89 ミッキー・ヒューズ

    90 ボブ・カラザーズ

    91 ジョージ・ヘミング

    92 デーブ・ファウツ

    93 エド・ステイン

    94 ブリックヤード・ケネディ

    95 ブリックヤード・ケネディ

    96 ブリックヤード・ケネディ

    97 ハーレイ・ペイン

    98 ブリックヤード・ケネディ

    99 ブリックヤード・ケネディ

    00 ブリックヤード・ケネディ

    01 ビル・ドノバン

    02 ビル・ドノバン

    03 ヘンリー・シュミット

    04 オスカー・ジョーンズ

    05 オスカー・ジョーンズ

    06 ハリー・マッキンタイア

    07 エルマー・ストリックレット

    08 ナップ・ラッカー

    09 カイザー・ウィルヘルム

    10 ナップ・ラッカー

    11 サイ・バーガー

    12 ナップ・ラッカー

    13 ナップ・ラッカー

    14 エド・ロイルバック

    15 ジェフ・フェファー

    16 ラリー・チーニー

    17 ウィーザー・デル

    18 ルーブ・マーカード

    19 レオン・カドール

    レオン・カドール

    21 レオン・カドール

    22 ダッチ・ルエザー

    23 ダッチ・ルエザー

    24 ダッチ・ルエザー

    25 ダジー・ヴァンス

    26 ジェシー・ペティー

    27 ジェシー・ペティー

    28 ジェシー・ペティー

    29 ワティー・クラーク

    30 ワティー・クラーク

    31 ジャック・クイン

    32 ウェイト・ホイト

    33 ワティー・クラーク

    34 バン・マンゴー

    35 バン・マンゴー

    36 ジョージ・アーンショウ

    37 バン・マンゴー

    38 バン・マンゴー

    39 レッド・エバンズ

    40 ウィット・ワイヤット

    41 ウィット・ワイヤット

    42 カート・デイビス

    43 エド・ヘッド

    44 ハル・グレッグ

    45 カート・デイビス

    46 ハル・グレッグ

    47 ジョー・ハッテン

    48 レックス・バーニー

    49 ジョー・ハッテン

    50 ドン・ニューカム

    51 カール・アースキン

    52 プリーチャー・ロー

    53 カール・アースキン

    54 カール・アースキン

    55 カール・アースキン

    56 ドン・ニューカム

    57 ドン・ニューカム

    58 ドン・ドライスデール

    59 ドン・ドライスデール

    60 ドン・ドライスデール

    61 ドン・ドライスデール

    62 ジョニー・ポドレス

    63 ドン・ドライスデール

    64 サンディー・コーファックス

    65 ドン・ドライスデール

    66 クロード・オスティーン

    67 ボブ・ミラー

    68 クロード・オスティーン

    69 ドン・ドライスデール

    70 クロード・オスティーン

    71 ビル・シンガー

    72 ドン・サットン

    73 ドン・サットン

    74 ドン・サットン

    75 ドン・サットン

    76 ドン・サットン

    77 ドン・サットン

    78 ドン・サットン

    79 バート・フートン

    80 バート・フートン

    81 フェルナンド・バレンズエラ

    82 ジェリー・ロイス

    83 フェルナンド・バレンズエラ

    84 フェルナンド・バレンズエラ

    85 フェルナンド・バレンズエラ

    86 フェルナンド・バレンズエラ

    87 オーレル・ハーシュハイザー

    88 フェルナンド・バレンズエラ

    89 ティム・ベルチャー

    90 オーレル・ハーシュハイザー

    91 ティム・ベルチャー

    92 ラモン・マルティネス

    93 オーレル・ハーシュハイザー

    94 オーレル・ハーシュハイザー

    95 ラモン・マルティネス

    96 ラモン・マルティネス

    97 ラモン・マルティネス

    98 ラモン・マルティネス

    99 ケビン・ブラウン

    00 ケビン・ブラウン

    01 朴賛浩

    02 ケビン・ブラウン

    03 野茂英雄

    04 野茂英雄

    05 デレク・ロウ

    06 デレク・ロウ

    07 デレク・ロウ

    08 ブラッド・ペニー

    09 黒田博樹

    10 ビセンテ・パディーヤ

    11 クレイトン・カーショウ

    12 クレイトン・カーショウ

    13 クレイトン・カーショウ

    14 クレイトン・カーショウ

    15 クレイトン・カーショウ

    16 クレイトン・カーショウ

    17 クレイトン・カーショウ

    18 クレイトン・カーショウ

    19 柳賢振

    20 ダスティン・メイ

    21 クレイトン・カーショウ

    22 ウォーカー・ビューラー

    23 フリオ・ウリアス

    24 タイラー・グラスノー

    25 山本由伸

    大田垣耕造

    林裕幸

    野村収

    長崎慶一

    杉浦正則

    藤田太陽

    原田洋

    愛敬尚史

    森憲久

    鈴木学

    黒田博樹

    前田和之

    的場直樹

    鈴木輝彦

    高根澤力

    工藤賢二

    阿部真宏

    沖原佳典

    平馬淳

    岩村明憲

    玉野宏昌

    鷹野史寿

    梶山義彦

    斉藤宜之

    濱中治

    川口憲史

    3 長嶋茂雄

    33 中畑清

    32 大野豊

    31 高木豊

    11 木佐貫洋

    13 岩瀬仁紀

    15 黒田博樹

    16 安藤優也

    18 松坂大輔

    19 上原浩治

    21 和田毅

    30 小林雅英

    61 石井弘寿

    8 谷繁元信

    9 城島健司

    2 小笠原道大

    6 宮本慎也

    7 松井稼頭央

    17 二岡智宏

    48 井端弘和

    1 福留孝介

    5 和田一浩

    10 谷佳知

    23 木村拓也

    24 高橋由伸

    33 中畑清

    31 高木豊(守備・走塁)

    32 大野豊(投手)

    11 清水直行

    13 岩瀬仁紀

    15 黒田博樹

    16 安藤優也

    17 三浦大輔

    18 松坂大輔

    19 上原浩治

    20 岩隈久志

    21 和田毅

    30 小林雅英

    61 石井弘寿

    9 城島健司

    59 相川亮二

    2 小笠原道大

    5 中村紀洋

    6 宮本慎也

    8 金子誠

    25 藤本敦士

    1 福留孝介

    10 谷佳知

    23 村松有人

    24 高橋由伸

    27 木村拓也

    55 和田一浩

    1位:澤﨑俊和(逆指名)

    2位:黒田博樹(逆指名)

    3位:河野昌人

    4位:福良徹

    VIAF

    日本

    CiNii Books

    CiNii Research

    黒田博樹

    日本の野球選手

    広島東洋カープ及び広島カープの選手

    最優秀防御率 (NPB)

    最多勝利 (NPB)

    NPBオールスターゲーム選出選手

    MLBの日本人選手

    ロサンゼルス・ドジャースの選手

    ニューヨーク・ヤンキースの選手

    野球日本代表選手

    オリンピック野球日本代表選手

    日本のオリンピック銅メダリスト

    野球のオリンピックメダリスト

    名球会

    日本プロ野球永久欠番保持者

    日本の野球殿堂表彰者

    在アメリカ合衆国日本人の野球選手

    吉本興業

    専修大学硬式野球部の選手

    上宮高等学校出身の野球選手

    大阪市出身の人物

    大阪府出身のスポーツ選手

    1975年生

    存命人物

    外部リンクがリンク切れになっている記事/2013年5月

    ISBNマジックリンクを使用しているページ

    野球に関する記事

    プロジェクト人物伝項目

    Reflistで3列を指定しているページ

    ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

    VIAF識別子が指定されている記事

    NDL識別子が指定されている記事

    CINII識別子が指定されている記事

    CRID識別子が指定されている記事

2025/04/03 11:32更新

kuroda hiroki


黒田博樹と同じ誕生日2月10日生まれ、同じ大阪出身の人

沖口 優奈(おきぐち ゆうな)
1998年2月10日生まれの有名人 大阪出身

沖口 優奈(おきぐち ゆうな、1998年2月10日 - )は、日本の女性アイドル、アイドルプロデューサー。タロット占い師。女性アイドルグループ・マジカル・パンチラインのメンバーでリーダーとプロデューサ…

野元 愛(のもと まなみ)
1996年2月10日生まれの有名人 大阪出身

野元 愛(のもと まなみ、1996年2月10日 - )は、日本の元女性アイドル、元タレントであり、女性アイドルグループ・アイドリング!!!およびHOP CLUBの元メンバー。大阪府出身。ホリプロ大阪に…

久世 寛信(くぜ ひろのぶ)
1920年2月10日生まれの有名人 大阪出身

2月10日生まれwiki情報なし(2025/03/29 22:46時点)

木村 雄宗(きむら たけむね)
1931年2月10日生まれの有名人 大阪出身

木村 雄宗(きむら たけむね、1931年2月10日 - 2006年2月5日)は、日本の経営者。三菱自動車工業社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1954年に京都大学工学部を経て、1955年に京都…

森田 隆和(もりた たかかず)
1945年2月10日生まれの有名人 大阪出身

森田 隆和(もりた たかかず、1945年2月10日 - )は、大阪府出身の実業家。参天製薬の経営者である。 2000年6月、参天製薬の一般大衆向け目薬に何者かが異物を混入したとの偽情報をもとに発生し…


中川 治(なかがわ おさむ)
1951年2月10日生まれの有名人 大阪出身

中川 治(なかがわ おさむ、1951年2月10日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、大阪府議会議員(3期)などを務めた。父は寝屋川市議会議員を務めた中川清治。 大阪府寝屋川市出身。大阪府立…

玄月(げんげつ)
1965年2月10日生まれの有名人 大阪出身

玄 月(げん げつ1965年2月10日 - )は、小説家、教育者。大阪芸術大学教授。執筆活動の傍ら大阪南船場で文学バー「リズール」を経営している。 大阪市生野区出身。大阪市立南高等学校卒業。高校卒業…

関 純子(せき じゅんこ)
1965年2月10日生まれの有名人 大阪出身

関 純子(せき じゅんこ、1965年2月10日 - )は、関西テレビコンテンツデザイン局アナウンス部所属のアナウンサー。現姓:非公表 大阪府豊中市出身。大阪府立豊中高等学校(2学年下に毎日放送アナウ…

佐藤 元彦(さとう もとひこ)
1973年2月10日生まれの有名人 大阪出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 佐藤 元彦(さとう もとひこ、1943年1月1日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(投手)。 熊本高校では、1960年の夏…

槙 真太郎(まき しんたろう)
1977年2月10日生まれの有名人 大阪出身

ヤポンスキー Японский - ロシア語で「日本(人)の」を意味する言葉(の男性形)。日本では「ロシア人が用いる(とされる)日本人の蔑称」としても用いられたことがあった。なおロシア語での発音は「…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


黒田博樹と近い名前の人


黒田 英邦(くろだ ひでくに)
1976年1月10日生まれの有名人 兵庫出身

黒田 英邦(くろだ ひでくに、1976年(昭和51年)1月10日 - )は、日本の実業家。コクヨ株式会社代表取締役社長・最高経営責任者。 曽祖父はコクヨ創業者の黒田善太郎。祖父は黒田暲之助。父は黒田…

黒田 秀樹(くろだ ひでき)
1958年4月30日生まれの有名人 大阪出身

黒田 秀樹(くろだ ひでき、1958年4月30日 - )は、日本のCMディレクター、映画監督。黒田秀樹事務所代表。信州大学特任教員。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分で…

黒田 響生(くろだ ひびき)
2000年7月21日生まれの有名人 福井出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 黒田 響生(くろだ ひびき、2000年7月21日 - )は、福井県福井市出身の元プロ野球選手(内野手・育成選手)。 敦賀気比では1年…

黒田 みゆ(くろだ みゆ)
1998年12月20日生まれの有名人 兵庫出身

黒田 みゆ(くろだ みゆ、1998年12月20日 - )は、日本テレビのアナウンサー。 兵庫県西宮市出身。三田学園高等学校、関西学院大学社会学部社会学科卒業後、2021年日本テレビにアナウンサーとし…

黒田 万結花(くろだ まゆか)
1990年9月12日生まれの有名人 埼玉出身

黒田 万結花(くろだ まゆか、1990年9月12日 - )は、埼玉県出身の元グラビアアイドル、元レースクイーンである。愛称はちゃんまゆ。 埼玉県にて3人兄妹(姉と兄がいる)の末っ子として生まれる。5…


黒田 彩(くろだ あや)
1989年10月21日生まれの有名人 東京出身

黒田 彩(くろだ あや、1989年10月21日 - )は、日本のタレント、グラビアアイドルである。 東京都出身。 プロマージュ所属。 趣味はショッピング・映画鑑賞。 2008年に結成された芸能人女子…

黒田 百合(くろだ ゆり)
1975年3月16日生まれの有名人 神奈川出身

黒田 百合(くろだ ゆり、1975年3月16日 - )は、日本の女優、ダンサー、演出振付家。神奈川県出身。 18歳のときにジャズダンスを始める。単身イギリスへ渡り、帰国後にダンス創作活動を開始する。…

黒田 知永子(くろだ ちえこ)
1961年6月3日生まれの有名人 東京出身

黒田 知永子(くろだ ちえこ、1961年6月3日 - )は、日本のファッションモデル、タレント。東京都出身。アクラ所属。 成城学園高等学校を経て、成城短期大学在学中からファッション雑誌『JJ』のモデ…

黒田 大地(くろだ だいち)
1978年8月29日生まれの有名人 愛知出身

黒田 大地(くろだ だいち、1978年8月29日 ‐ )は日本の俳優、モデル、歌手である。愛知県出身。1994年に第7回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストに選出された。The Seekerのボーカル…

黒田 美礼(くろだ みれい)
1978年4月20日生まれの有名人 埼玉出身

黒田 美礼(くろだ みれい、本名: 加藤 千帆、1978年4月20日 - )は、日本の元タレント、元グラビアアイドル。1996年(平成8年)度のフジテレビビジュアルクイーン。 1994年(平成6年)…


黒田 としえ(くろだ としえ)
1987年5月4日生まれの有名人 岡山出身

黒田 としえ(くろだ としえ、1987年5月4日 - )は、岡山県出身のタレント。身長163cm、血液型はO型。BLUE ROSE所属。 かつては黒田 稔恵名義でローカルアイドルユニット・Bachi…

黒田 福美(くろだ ふくみ)
1956年7月21日生まれの有名人 東京出身

黒田 福美(くろだ ふくみ、本名:同じ、1956年7月21日 - )は、日本の女優、エッセイスト、翻訳家である。キャストパワー所属。2008年2月末まではアミューズに所属していた。東京都立豊多摩高等学…

黒田 義之(くろだ よしゆき)
1928年3月4日生まれの有名人 愛媛出身

黒田 義之(くろだ よしゆき、1928年3月4日 - 2015年1月22日)は、日本の映画監督、特撮監督。 1928年(昭和3年)、愛媛県松山市生まれ。京都市立太秦小学校の同級生には、森田富士郎がい…

黒田 友佳(くろだ ゆか)
1984年8月9日生まれの有名人 茨城出身

黒田 友佳(くろだ ゆか、1984年8月9日 - )は、日本の声優、ナレーター、タレント。茨城県出身。サンミュージックプロダクション所属。 当初から声優になりたかったというわけではなく、警察官、カメ…

黒田 弥生(くろだ やよい)
3月1日生まれの有名人 北海道出身

黒田 弥生(くろだ やよい、1971年3月1日 - )は、日本の女性声優。 2012年5月までマウスプロモーションに所属していた。北海道出身。 太字はメインキャラクター。 1996年 超者ライ…


黒田 崇矢(くろだ たかや)
1965年4月17日生まれの有名人 東京出身

黒田 崇矢(くろだ たかや、1965年4月17日 - )は、日本の俳優、声優。東京都出身。アクセルワン所属。本名・旧芸名は黒田 隆哉(読み同じ)。 ブラジルの帰国子女である。 腰椎分離症、すべり症…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
黒田博樹
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

PASSPO☆ 私立恵比寿中学 SMAP SUPER EIGHT CheekyParade DA PUMP 夢みるアドレセンス Rev.from DVL HKT48 AKB48G 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「黒田博樹」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました