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倉義和の情報 (くらよしかず)
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【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

倉義和の情報(くらよしかず) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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倉 義和さんについて調べます

■名前・氏名
倉 義和
(読み:くら よしかず)
■職業
野球選手
■倉義和の誕生日・生年月日
1975年7月27日 (年齢48歳)
卯年(うさぎ年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
京都出身

(昭和50年)1975年生まれの人の年齢早見表

倉義和と同じ1975年生まれの有名人・芸能人

倉義和と同じ7月27日生まれの有名人・芸能人

倉義和と同じ出身地京都府生まれの有名人・芸能人


倉義和と関係のある人

段田安則: 余命3ヶ月を、生きる(2011年3月、フジテレビ) - 高倉義和


磯村嘉孝: 2017年は前年に現役を退いた倉義和二軍バッテリーコーチから背番号40を継承。


阿部俊人: 初盗塁:2012年5月16日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回表に二盗(投手:ブライアン・バリントン、捕手:倉義和


マーティー=ブラウン: 4月は打撃好調の倉義和が、交流戦前からは石原慶幸がマスクを被る機会が増えるが、打撃の好不調や先発投手との相性もあり固定には至らなかった。


田中一徳: 初盗塁:2001年8月1日、対広島東洋カープ15回戦(広島市民球場)、8回表に二盗(投手:酒井大輔、捕手:倉義和


會澤翼: チーム最年少捕手ながら石原慶幸、倉義和に次ぐ15試合に出場。


石原慶幸: 結局8月中旬以降は、自身の故障中に起用されていた倉義和に再び正捕手の座を奪われた。


木村一喜: 捕手のポジションは石原慶幸や倉義和などの起用が多く、なかなか先発出場の機会が回ってこなかったが、6月27日の対阪神タイガース戦で先発出場する。


瀬戸輝信: 木村一喜や石原慶幸、倉義和が一軍に定着するようになったが西山に次ぐ二番手捕手として起用。


片岡新之介: 西山秀二、倉義和、石原慶幸らを指導した。


南竜介: 初盗塁:2008年5月25日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、3回表に二盗(投手:篠田純平、捕手:倉義和


桑原義行: 初盗塁:2006年10月9日、対広島東洋カープ22回戦(横浜スタジアム)、6回裏に二盗(投手:ビクトル・マルテ、捕手:倉義和


渡辺直人: 100盗塁:2011年7月13日、対広島東洋カープ10回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回表に二盗(投手:中村恭平、捕手:倉義和


ドミンゴ=グスマン: 初盗塁:同上、7回表に二盗(投手:長谷川昌幸、捕手:倉義和


宮本洋二郎: 小まめに全国の高校、大学、社会人と歩き回り、逆指名や希望枠の時代が終わると、ドラフト戦略は相手への密着マークより他球団の動向や当該選手の希望などの情報戦が重要となったが、宮本は愚直に選手を追い続けるスタイルを貫き、倉義和・前田健太などを獲得。


大家友和: 高校時代の同級生に元広島東洋カープの捕手の倉義和がいる。


南竜介: 2005年6月8日の対日本ハム戦で吉崎勝からプロ初安打を放ち、7月14日の対広島戦では広島・倉義和のレフト前安打での勝ち越し点を防ぐ好返球を見せた。


森岡良介: 初盗塁:2007年4月24日、対広島東洋カープ3回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に二盗(投手:林昌樹、捕手:倉義和


田坂るり: 2008年4月3日、広島市民球場で行われたカープ対タイガースの試合終了後に異例の「田坂るりアナウンサー 引退セレモニー」と称し、ブラウン監督、山本浩二前監督、倉義和選手会長から花束が贈呈され、カープナインとの記念撮影の後、胴上げも行われた。


廣瀬純: 9月20日に球団を通じて倉義和と共に現役引退を発表した。


久保貴裕: 倉義和とのバッテリーで高校3年生時の1992年夏には京都府大会・木津高戦でノーヒットノーランを達成、準々決勝は延長14回を投げたが敗れて甲子園大会出場はならなかった。


橋本到: 初盗塁:2011年8月26日、対広島東洋カープ16回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、9回表に二盗(投手:デニス・サファテ、捕手:倉義和


倉義和の情報まとめ

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倉 義和(くら よしかず)さんの誕生日は1975年7月27日です。京都出身の野球選手のようです。

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選手としての特徴・人物、詳細情報などについてまとめました。現在、テレビ、ドラマ、引退に関する情報もありますね。倉義和の現在の年齢は48歳のようです。

倉義和のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

倉 義和(くら よしかず、1975年7月27日 - )は、京都府京都市山科区出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、コーチ。現在は広島東洋カープの二軍バッテリーコーチを務めている。

京都成章高校3年生の夏に、大家友和とのバッテリーで選手権京都大会に出場すると、チームを準優勝に導いた。京都産業大学への進学後は、関西六大学野球のリーグ戦77試合に出場。250打数64安打、打率.256、5本塁打、33打点という成績を残すとともに、4年時の春季リーグ戦では、捕手としてベストナインに選ばれた。野球用具はサンアップ社製のものを愛用していた。プロ入り後はローリングス。

1997年のプロ野球ドラフト会議で、広島東洋カープに5巡目で指名。契約金5,000万円、年俸840万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は40。

1998年は、5月7日の対横浜ベイスターズ戦(藤崎台県営野球場)延長10回裏の守備から、捕手として一軍デビュー。12回表に迎えた初打席でスリーバントの失敗で併殺打に倒れたが、14回表の第2打席では、チームに勝利をもたらす適時打で一軍での初安打を記録した。しかし、一軍公式戦全体では、6試合の出場にとどまった。

1999年から数シーズンは、毎年数十試合程度一軍公式戦に出場するも、一軍に定着することはできなかった。

2004年は、8月7日の対中日ドラゴンズ戦6回裏の打席で、遠藤政隆から一軍初本塁打を記録。8月20日の対読売ジャイアンツ戦(いずれも広島市民球場)では、延長12回裏に代打で登場すると、野球人生で初めてのサヨナラ安打を放った。広島のベンチ入り野手では最後の出場だったが、この一打によって、5時間42分(セントラル・リーグで歴代10位の長時間試合)に及んだ熱戦に終止符を打った。シーズン全体では、一軍公式戦24試合に出場。ウエスタン・リーグ公式戦では、45試合の出場で打率.324を記録した。

2005年は、春季キャンプの投球練習でブルペン捕手を務めた際に、練習相手だった黒田博樹の怒りを買う一幕があった。新調したばかりのキャッチャーミットで黒田のボールを捕っていたことや、黒田に対して投球数を曖昧に伝えていたことによるもの。その日からは一球の重みを再認識し、キャッチングの練習に日夜励んだことで信頼を取り戻していった。 このキャンプ中に前年までの正捕手石原慶幸が骨折で戦線離脱し、一軍公式戦の開幕までに復帰できなかったため、4月1日の巨人戦(東京ドーム)では、プロ入り後初となる開幕戦スタメンマスクを被った。以降の公式戦でも正捕手の座を確保した。打撃に優れた石原が一軍に復帰した直後こそ石原に正捕手の座を譲ったが、小山田保裕など復帰前に好調だった投手が揃って調子を崩したことからすぐに正捕手へ復帰する。最終的にキャリア最多の一軍公式戦109試合に出場し、打撃面に課題は残ったものの盗塁阻止率.400は、この年のセントラル・リーグ公式戦で規定の出場試合数を満たした捕手で最も高かった。黒田との相性は特に良く、翌2006年以降の公式戦でも、黒田が先発する場合には「専属捕手」扱いで長らくバッテリーを組んでいた。

2006年は、一軍公式戦で石原と併用された。石原が85試合出場した事に続き自身もほぼ同数の84試合出場したが前年から一転してリーグ最低の盗塁阻止率を記録した。

2007年は、一軍の打線が総じて低迷していた公式戦開幕直後に、チームメイトの新井貴浩と一緒にセリーグの打率トップ争いを展開。自身の前を打つ6・7番打者の出塁率が低かったこと、1・2番打者が極度の不調に陥ったことを背景に、5月下旬には一時7番を任されるぐらい打撃が好調だった。しかし6月ごろから打撃の調子が下降線をたどり始めると、シーズン中盤は打撃好調の石原にスタメンマスクを譲ることが相次いだ。それでも終盤に打撃が復調したためシーズン通算では打率.274、7本塁打、長打率.403をマークし、併殺打をわずか2本にとどめるなど自己最高の打撃成績を残した。シーズン終了後の10月13日に放送された日本テレビ制作の連続ドラマ「ドリーム☆アゲイン」第1話では、反町隆史演じる巨人の打者・小木駿介と対決するという設定で、チームメイトの永川勝浩と揃って冒頭のシーンに登場している(一部の演技をスタントマンが担当)。

2008年は、黒田がロサンゼルス・ドジャースへ移籍したことから、シーズン序盤の一軍公式戦では高橋建が先発で登板する場合に「専属捕手」として出場。高橋の前半戦の活躍に貢献すると、シーズン中盤以降は、青木高広や齊藤悠葵など他の左腕投手が先発する試合でもスタメンマスクを任された。しかし、打率が2割前後に低迷した影響で、上記以外の投手が先発する試合では石原が正捕手として積極的に起用された。自身の出場は48試合にとどまったが、5月31日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(クリネックススタジアム宮城)で、この年はシーズン通算201.2回を投げて僅か3本の本塁打しか許さなかった岩隈久志から貴重な本塁打を放っている。

2009年は、高橋がニューヨーク・メッツに移籍。シーズン序盤から石原が打撃不振に陥ったものの、自身の打撃も低調だったことから、正捕手の座を奪うには至らなかった。さらに、夏場には、若手捕手の會澤翼が一軍で台頭。シーズン終盤に石原とほぼ均等に併用されるようになったが、一軍公式戦全体では、43試合の出場にとどまった。打撃面も、一軍に定着した2005年以降では初めて、打率が1割台に低迷。チームが広島市民球場より広いMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島へ本拠地を移したこともあって、6年振りに本塁打を放てなかった。シーズン中の5月に国内FA権を取得したが、シーズン終了後の10月24日には、FA権を行使せずに広島へ残留する意向を表明している。

2010年は、石原が前年から打撃の調子を持ち直した影響で、一軍公式戦への出場は45試合にとどまった。それでも、青木高広とのバッテリーでスタメンに起用された4月30日の対中日ドラゴンズ戦(マツダ)では、プロ入り後初めての満塁本塁打を放つなどの活躍で青木の一軍公式戦初完封勝利をアシストした。一軍公式戦全体では、打席に立つ機会こそ少なかったが、自己最高の打率(.281)や2年振りの本塁打を記録した。

2011年は、一軍公式戦への出場機会を55試合に増やしながら、打撃が再び低迷した。打率は.185で、本塁打を1本も放てなかった。

2012年は、4月6日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)に前田健太とのバッテリーでスタメンに起用されると、前田によるノーヒットノーランをリード面でアシストした。シーズン全体では、一時故障で戦線を離脱したものの、一軍公式戦70試合に出場した。打撃面では、打率が.195にとどまる一方で、一軍公式戦2年振りの本塁打を放っている。

2013年は、一軍公式戦で39試合、ウエスタン・リーグ公式戦で12試合の出場にとどまった。

2014年は、一軍公式戦26試合に出場したが、打率が.093を記録するなど振るわなかった。

2015年は、一軍公式戦1試合に出場したが、守備に就いただけで打席に立つ機会がなかった。ウエスタン・リーグ公式戦でも、21試合の出場で6打数無安打に終わっている。

2016年は、現役生活を続けながら、二軍バッテリーコーチを兼務。捕手としてはシーズン終盤まで一軍昇格の機会がなく、9月20日には、廣瀬純と共に現役引退を発表した。球団では、この発表を受けて、9月25日の本拠地シーズン最終戦(対東京ヤクルトスワローズ25回戦)を倉・廣瀬の引退試合として開催した。この試合に黒田が先発で登板したことから、倉も「8番・捕手」としてスタメンに起用された。2人がバッテリーを組んだのは2007年9月27日の同カード以来だったが、黒田が1回表に先頭打者・坂口智隆へストレートの四球を出した時点で、石原と交代。さらに、1回表2死1・3塁の時点から激しい雨に見舞われたため、試合自体も1時間20分の中断をはさんで降雨ノーゲームになった。倉自身は、ノーゲーム後に雨中のダイヤモンドを一周すると、頭から本塁へ滑り込むパフォーマンスを披露。9月26日付で出場選手登録を抹消されたため、10月1日にマツダスタジアムで催された上記カードの振替試合には出場できず、記録上はこの年に一軍公式戦へ出場しないまま現役を退いた。なお、倉は振替試合後の引退セレモニーに登場。「入団して19年、下手くそだった自分をここまで育てていただき、ありがとうございました。今年の(セントラル・リーグ)優勝は、最高に嬉しかったです。世界一のカープファンの皆さん、ありがとうございました!」と感謝の言葉を残した。

2017年からは、広島で二軍のバッテリーコーチに専念。背番号を76に変更している。

2020年から一軍バッテリーコーチを務めている。

選手としての特徴・人物

現役時代は強肩と強気のリードに定評がある捕手として活躍。同僚の石原慶幸と長年に渡って熾烈な正捕手争いを演じ続けた。また、1学年先輩の黒田博樹との相性が良く、専属捕手を務めた。アマチュア時代までは打撃も売りにしていたが、プロ入り後はレベルの違いを痛感し、課題となった。

ライバルであった石原慶幸とはユニフォームを脱ぐと頻繁に食事を共にし、低迷期に陥っていたチームについて日々語り合っていた。倉は「(石原とは)『チームの何をどうしたら勝てるようになるのか』という話をよくしていた。ライバル関係を強調してチームが勝てるならそうしていただろうけど、そうではない。蹴落とすようなことは年下の選手に与える影響も良くないし、同じ方向を向いてやることが大事だと思った。自分たちだけの力ではないだろうけど、反省ばかりだった」と振り返っている。

詳細情報

年度別打撃成績

年度 球団 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 出塁率 長打率 OPS
1998 広島 6 4 4 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .250 .250 .250 .500
1999 15 21 18 2 4 0 0 0 4 1 1 0 1 0 1 0 1 2 0 .222 .300 .222 .522
2000 20 35 31 0 5 0 0 0 5 0 0 0 2 0 1 0 1 12 0 .161 .212 .161 .373
2001 35 46 44 4 6 2 0 0 8 1 0 0 1 0 1 0 0 13 0 .136 .156 .182 .337
2002 13 26 21 0 3 1 0 0 4 0 0 0 3 0 2 0 0 6 0 .143 .217 .190 .408
2003 4 8 5 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 1 0 .000 .375 .000 .375
2004 24 23 21 3 3 0 0 1 6 2 0 0 0 0 2 0 0 4 2 .143 .217 .286 .503
2005 109 306 267 18 56 8 1 4 78 22 1 0 15 3 16 4 5 42 7 .210 .265 .292 .557
2006 84 265 247 16 59 7 0 5 81 14 1 1 4 0 7 1 7 51 8 .239 .280 .328 .608
2007 82 274 248 19 68 11 0 7 100 25 1 2 5 2 15 4 4 42 2 .274 .323 .403 .727
2008 48 128 121 8 25 6 0 2 37 11 0 0 0 1 4 1 2 23 0 .207 .242 .306 .548
2009 43 106 100 4 19 2 0 0 21 7 0 0 2 1 2 0 1 17 6 .190 .212 .210 .422
2010 45 105 89 12 25 3 0 2 34 13 1 0 4 0 10 3 2 20 4 .281 .366 .382 .748
2011 55 135 108 9 20 1 0 0 21 8 0 0 9 1 13 0 4 25 3 .185 .294 .194 .488
2012 70 160 133 9 26 6 0 1 35 15 1 0 8 0 14 0 5 20 6 .195 .296 .263 .559
2013 39 75 64 4 15 2 1 0 19 4 0 0 3 0 6 0 2 14 1 .234 .319 .297 .616
2014 26 50 43 1 4 0 0 1 7 2 0 0 3 0 2 1 2 14 1 .093 .170 .163 .333
2015 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
通算:18年 719 1767 1564 110 339 49 2 23 461 126 6 3 60 8 96 14 39 306 41 .217 .278 .295 .574

2016年は出場した1試合がノーゲームとなったため、一軍出場なし

年度別守備成績

年度 球団 捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1998 広島 6 8 0 0 0 0 1.000 0 0 0 .---
1999 10 26 3 0 0 1 1.000 6 4 2 .333
2000 18 53 4 1 2 0 .983 10 8 2 .200
2001 23 76 5 0 2 0 1.000 10 7 3 .300
2002 12 59 4 1 2 0 .984 6 4 2 .333
2003 3 11 1 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
2004 21 70 4 2 1 2 .974 8 7 1 .125
2005 106 631 49 2 8 5 .997 50 28 22 .440
2006 82 501 34 3 5 5 .994 43 31 12 .279
2007 80 487 38 6 10 4 .989 55 41 14 .255
2008 39 173 23 0 3 3 1.000 28 15 13 .464
2009 35 182 18 2 1 0 .990 16 11 5 .313
2010 43 165 9 4 2 1 .978 22 15 7 .318
2011 51 266 18 0 2 6 1.000 32 24 8 .250
2012 66 377 26 3 3 4 .993 33 24 9 .273
2013 39 145 15 3 2 0 .982 10 8 2 .200
2014 26 101 8 0 2 1 1.000 9 7 2 .222
通算 662 3331 259 27 45 32 .992 339 235 104 .307

記録

初出場:1998年5月9日、対横浜ベイスターズ7回戦(熊本県藤崎台球場)、10回裏に捕手で出場

初打席:同上、12回表に斎藤隆から一ゴロ

初安打・初打点:同上、14回表に西清孝から中前決勝適時打

初盗塁:1999年9月26日、対横浜ベイスターズ25回戦(広島市民球場)、9回裏に重盗での二盗(投手:五十嵐英樹、捕手:谷繁元信)

初先発出場;1999年9月30日、対阪神タイガース24回戦(広島市民球場)、8番・捕手で先発出場

初本塁打:2004年8月7日、対中日ドラゴンズ19回戦(広島市民球場)、6回裏に遠藤政隆から右中間へソロ

初満塁本塁打:2010年4月30日、対中日ドラゴンズ7回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、3回裏に小笠原孝から

背番号

40(1998年 - 2016年)

76(2017年 - )

2024/06/20 18:36更新

kura yoshikazu


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1965年11月23日生まれの有名人 東京出身

坪倉 善彦(つぼくら よしひこ、1965年11月23日 - )は、NHKの元シニアアナウンサー。 筑波大学附属駒場高等学校を経て東京大学教養学部を卒業後、1989年入局。報道関係の番組を多く担当し…

坪倉 由幸(つぼくら よしゆき)
1977年9月9日生まれの有名人 神奈川出身

坪倉 由幸(つぼくら よしゆき、1977年〈昭和52年〉9月9日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。お笑いトリオ・我が家の大ボケ担当(ネタによっては小ボケ)、谷田部にはツッコミ担当。 神奈川県横…

石倉良信(いしくら よしのぶ)
1968年10月17日生まれの有名人 東京出身

石倉 良信(いしくら よしのぶ、1968年10月17日 - )は、日本の俳優、声優、スーツアクター。東京都荒川区出身。以前はACファクトリー、オフィスPSCに所属していた。 旧芸名は石倉 良笙。身長…

十倉 好紀(とくら よしのり)
1954年3月1日生まれの有名人 兵庫出身

十倉 好紀(とくら よしのり、1954年3月1日 - )は、日本の物理学者。専門は物性物理学。学位は工学博士(東京大学・1981年)。国立研究開発法人理化学研究所創発物性科学研究センターセンター長、東…

松倉 海斗(まつくら かいと)
【Travis Japan】
1997年11月14日生まれの有名人 神奈川出身

松倉 海斗(まつくら かいと、1997年11月14日 - )は、日本の俳優、歌手、タレント。男性アイドルグループ・Travis Japanのメンバー。愛称は、まつく、クラ。 神奈川県出身。STAR…

大倉 忠義(おおくら ただよし)
【SUPER EIGHT】
1985年5月16日生まれの有名人 大阪出身

大倉 忠義(おおくら ただよし、1985年〈昭和60年〉5月16日 - )は日本の歌手、ドラマー、俳優。大阪府東大阪市出身。STARTO ENTERTAINMENT所属。SUPER EIGHTのメンバ…

倉田 安治(くらた やすはる)
1963年2月1日生まれの有名人 静岡出身

倉田 安治(くらた やすはる、1963年2月1日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 藤枝東高校3年次の高校選手権(1979年度)に出場、優勝…

阪倉 裕二(さかくら ゆうじ)
1967年6月7日生まれの有名人 三重出身

阪倉 裕二(さかくら ゆうじ、1967年6月7日 - )は三重県四日市市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 四日市中央工業高校、順天堂大学を経て、日本サッカーリーグ…

小倉 隆史(おぐら たかふみ)
1973年7月6日生まれの有名人 三重出身

小倉 隆史(おぐら たかふみ、1973年7月6日 - )は、三重県鈴鹿市出身の元サッカー選手。サッカー指導者、解説者、タレント。2016シーズンにJリーグの名古屋グランパスのゼネラルマネージャー兼監督…

倉田 秋(くらた しゅう)
1988年11月26日生まれの有名人 大阪出身

倉田 秋(くらた しゅう、1988年11月26日 - )は、大阪府高槻市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ガンバ大阪所属。ポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ/ボランチ)。元日本代表。 …

米倉 恒貴(よねくら こうき)
1988年5月17日生まれの有名人 千葉出身

米倉 恒貴(よねくら こうき、1988年5月17日 - )は、千葉県千葉市稲毛区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ジェフユナイテッド千葉所属。ポジションはディフェンダー(右サイドバック)、ミッドフィー…

藤倉 修一(ふじくら しゅういち)
1914年3月12日生まれの有名人 東京出身

藤倉 修一(ふじくら しゅういち、1914年〈大正3年〉3月12日 - 2008年〈平成20年〉1月11日)は、日本のアナウンサー、放送評論家。 昭和中期のラジオ全盛期にNHKに勤務し、第1回NHK…

大倉 修吾(おおくら しゅうご)
1941年9月8日生まれの有名人 新潟出身

大倉 修吾(おおくら しゅうご、1941年〈昭和16年〉9月8日 - 2016年〈平成28年〉7月22日)は、新潟県を中心に活動していたラジオパーソナリティ、ローカルタレント。血液型はO型。 新潟…

板倉 俊彦(いたくら としひこ)
1946年1月24日生まれの有名人 千葉出身

板倉 俊彦(いたくら としひこ、1946年1月24日 - 2018年)は、毎日放送(MBS)の元アナウンサー。 東京都出身。血液型はA型。早稲田大学卒業後の1968年に、アナウンサーとして毎日放送…

松倉 悦郎(まつくら えつろう)
1946年1月24日生まれの有名人 埼玉出身

松倉 悦郎(まつくら えつろう、1946年(昭和21年)1月24日 - )は、元フジテレビアナウンサー、現在は浄土真宗本願寺派の僧侶。僧としての名は「結城思聞(ゆうき・しもん)」。仏教学者の結城令聞は…

大倉 聡(おおくら さとし)
1977年9月7日生まれの有名人 岡山出身

大倉 聡(おおくら さとし、1977年9月7日 - )は、長崎県の政治家。NBC長崎放送の元アナウンサー。長崎県議会議員(1期)。身長173cm、血液型A型。同局では一時、報道記者兼ニュースキャスター…

倉田 大誠(くらた たいせい)
1982年3月4日生まれの有名人 長野出身

倉田 大誠(くらた たいせい、1982年3月4日 - )は、フジテレビのアナウンサー。 長野県長野市出身。 中学時代は陸上部に所属し、1500メートル競走で長野県代表として北信越大会に出場したこ…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「倉義和」を素材として二次利用しています。

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