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石原慶幸の情報 (いしはらよしゆき)
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【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

石原慶幸の情報(いしはらよしゆき) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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石原 慶幸さんについて調べます

■名前・氏名
石原 慶幸
(読み:いしはら よしゆき)
■職業
野球選手
■石原慶幸の誕生日・生年月日
1979年9月7日 (年齢44歳)
未年(ひつじ年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
岐阜出身

(昭和54年)1979年生まれの人の年齢早見表

石原慶幸と同じ1979年生まれの有名人・芸能人

石原慶幸と同じ9月7日生まれの有名人・芸能人

石原慶幸と同じ出身地岐阜県生まれの有名人・芸能人


石原慶幸と関係のある人

手塚一志: 石原慶幸


坂倉将吾: オフに、900万円増となる推定年俸1800万円で契約を更改し、同年限りで引退した石原慶幸の背番号31を引き継ぐことが発表された。


八幡えつこ: 2012年11月、プロ野球・広島東洋カープに所属する石原慶幸と結婚したことが報道された。


一場靖弘: 初盗塁:2009年5月2日、対広島東洋カープ4回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、5回表に二盗(投手:コルビー・ルイス、捕手:石原慶幸


住吉重信: その後2006年9月7日の広島東洋カープ対横浜ベイスターズ21回戦で、広島の石原慶幸捕手が住吉以来となる42年ぶりのサヨナラ打撃妨害を記録している。


矢野謙次: 初盗塁:2005年7月8日、対広島東洋カープ10回戦(広島市民球場)、7回表に二盗(投手は横山竜士、捕手は石原慶幸


白濱裕太: 2020年は、8月7日に広島東洋カープ由宇練習場で行われたウエスタンリーグ公式戦(対阪神タイガース)において、9回裏に石原慶幸の代打で出場し、尾仲祐哉から左前安打を放った。また、石原慶幸が負傷したことで一軍へ登録され、9月5日の対横浜DeNAベイスターズ戦(マツダスタジアム)の8回表から守備交代で出場(3シーズンぶりの一軍出場)し、9回に打席に立ち、DeNA先発大貫晋一のツーシームを打ち返すも、遊撃手倉本寿彦がこれを処理し、ショートゴロとなった。


白濱裕太: 10月6日に、負傷した石原慶幸と入れ替わりで昇格し、同日の対中日ドラゴンズ戦で8回裏から守備交代によって一軍初出場を果たす。


白浜裕太: 10月6日に、負傷した石原慶幸と入れ替わりで昇格し、同日の対中日ドラゴンズ戦で8回裏から守備交代によって一軍初出場を果たす。


浜田智博: 初奪三振:同上、8回裏に石原慶幸から空振り三振


横川史学: 初盗塁:2008年6月22日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)、6回表に二盗(投手:コルビー・ルイス、捕手:石原慶幸


能見篤史: 翌7日には広島・石原慶幸の引退試合として開催された対広島戦(マツダ)8回裏に、石原の現役最終打席限定で登板。


黒瀬春樹: さらに、小窪 → 捕手・石原慶幸 → 一塁手・喜田剛への転送によって一塁走者が封殺された結果、NPBの公式戦では珍しい「7(左翼手)-2(捕手)-3(一塁手)」という併殺が成立。


宮﨑一彰: 初盗塁:2003年5月4日、対広島東洋カープ6回戦(東京ドーム)、2回裏に二盗(投手:クリス・ブロック、捕手:石原慶幸


大須賀允: 広島時代もチームメイトの石原慶幸は同大学の同期であった。


奥村武博: 3年時(1997年)夏の選手権岐阜大会では、決勝への進出を果たしたものの、県立校同士の対戦で石原慶幸がいた岐阜県立岐阜商業高等学校に敗れている。


荒木郁也: 初盗塁:2013年6月29日、広島東洋カープ7回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に二盗(投手:久本祐一、捕手:石原慶幸


藤井秀悟: 藤井は2回から2番手で登板したが栗原健太に2ラン本塁打、石原慶幸にソロ本塁打を打たれ5回3失点で降板した。


會澤翼: 石原慶幸の故障や捕手陣の打撃低迷もあって徐々に先発出場を増やし、3割を越える打率を維持して7月半ば以降正捕手に定着した。


瀬戸輝信: 木村一喜や石原慶幸、倉義和が一軍に定着するようになったが西山に次ぐ二番手捕手として起用。


井生崇光: この日の起用は逃げ腰リードの倉や、8日の試合でサヨナラ打撃妨害をした石原慶幸への「見せしめ」の意味合いもあった。


倉義和: ライバルであった石原慶幸とはユニフォームを脱ぐと頻繁に食事を共にし、低迷期に陥っていたチームについて日々語り合っていた。


會澤翼: チーム最年少捕手ながら石原慶幸、倉義和に次ぐ15試合に出場。


近藤芳久: 北海道・東北地区を担当し、石原慶幸、中村恭平、伊東昂大、大道温貴らの獲得に関わった。


平井正史: 1球勝利投手:2007年7月31日、対広島東洋カープ11回戦(広島市民球場)、9回裏一死に石原慶幸を遊撃ゴロ併殺打 ※史上23人目(セ・リーグ13人目)


田中尊: 1969年まで正捕手として活躍し、広島球団の捕手としての出場試合数は2016年に石原慶幸が更新するまで歴代1位であった。


田中祐貴: 一軍のレギュラーシーズン最終戦に当たる10月10日の対広島戦(神宮)が志田宗大との合同引退試合として開催され、6回表に「打者1人だけ」という条件で登板したユウキは、「最高に遅い」と自認するスローボールを交えながら、石原慶幸から3球で三振を奪って13年間の現役生活を締めくくった。


高田夏帆: バッターは牧原大成、捕手は石原慶幸、審判はスラィリー。


白浜裕太: 『若手捕手を育てる』という球団の方針で(一軍公式戦への)出場機会になかなか恵まれなくても、守備の能力では(かつての正捕手だった)石原慶幸や(2022年時点での正捕手である)會澤翼と互角の白濱が『保険の保険』として控えていることは、チームにとって最大の安心材料になっているだろう」と評価している。


藤原通: 初盗塁:2007年8月4日、対広島東洋カープ13回戦(広島市民球場)、8回表に二盗(投手:佐竹健太、捕手:石原慶幸


石原慶幸の情報まとめ

もしもしロボ

石原 慶幸(いしはら よしゆき)さんの誕生日は1979年9月7日です。岐阜出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

選手としての特徴、詳細情報などについてまとめました。結婚、引退、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。石原慶幸の現在の年齢は44歳のようです。

石原慶幸のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

石原 慶幸(いしはら よしゆき、1979年9月7日 - )は、岐阜県安八郡墨俣町(現:大垣市)出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、プロ野球コーチ。

愛称は「イシ」、「うーたん」。

岐阜県立岐阜商業高等学校では、2年夏に第78回全国高等学校野球選手権大会に出場。2回戦でPL学園とあたって敗退。3年夏にも第79回全国高等学校野球選手権大会に出場し、甲子園自身初安打も放ったが、1回戦で敗退した。高校通算57本塁打を記録している。高校の2年後輩は、後に同僚となる青木高広がいる。

その後、東北福祉大に入学。吉見祐治、洗平竜也や木谷寿巳とバッテリーを組む。後に同僚となる大須賀允は同期。大学3年時に大学日本代表・シドニーオリンピック野球日本代表候補に選出された。4年秋はリーグ最優秀選手。ベストナイン捕手3回。

2001年のドラフト4巡目指名で広島東洋カープに入団した。背番号は31。

2002年は10月以降の消化試合で5試合の出場にとどまったが、初出場の対ヤクルトスワローズ戦で、石井弘寿から初安打を放った。

2003年はシーズン中から一軍出場機会が増え、2年目ながら116試合に出場。肩・打撃の衰えが見られる西山秀二の正捕手の座を脅かし、前年活躍した木村一喜をも抜き去る存在となった。打率は2割前後を推移したが、シーズン通算4本塁打のうち、2本が満塁、2ラン・3ランが1本ずつと良い場面での本塁打が多かった。強肩で知られる谷繁元信を超える盗塁阻止率も残した。

2004年は8番捕手でプロ入り初の開幕スタメンの座を掴むと、不振に終わった前年より安定感を増した打撃が評価され、西山から正捕手の座を勝ち取った。シーズン終了までほぼ全試合に出場した。自身初の規定打席に到達し、135試合出場、打率.288、6本塁打と好成績を残した。

2005年はオープン戦でファウルを打った際に左手有鈎骨を骨折し、春先は出場できなかった。5月末に復帰後はスタメン捕手として起用されたが、打撃で足踏み状態が続き、目立った活躍は8月2日の対巨人戦でサヨナラ打を打った程度であった。守備でも8月9日の対ヤクルト戦で、振り逃げのリック・ガトームソンに気を取られ、三塁走者アダム・リグスに背を向けて一塁に緩慢な送球を行っている間に、リグスにホームインを許すなど精彩を欠いた。結局8月中旬以降は、自身の故障中に起用されていた倉義和に再び正捕手の座を奪われた。

2006年は倉と併用される形で捕手を務めた。この年は倉も打率.239と不振で、石原も開幕直後こそ打撃好調であったが、5月から不調に陥り、打率.221に終わった。得点圏打率は1割を下回り、満塁では6打数無安打(4併殺打)と勝負弱さが目立った。5月31日の対西武ライオンズ戦でスクイズプレイを敢行するもピッチアウトされ、ジャンプしたもののバットにボールが当たらず失敗に終わっている。8月12日の対巨人戦では、前年に続きサヨナラ打を放っているが、信頼を掴むには至らなかった。9月7日の対横浜戦において、10回裏2死満塁打者佐伯貴弘の4球目に、31年ぶりとなるサヨナラ打撃妨害を犯した。この日は本人の誕生日で、レフトスタンドからも第一打席でハッピーバースデーの歌で祝福されただけに、何とも味の悪い誕生日になった。石原は「永川に申し訳ない。どうのこうの言えない」と肩を落とした。ブラウン監督は「あんなプレーは初めて見た。あってはならない。また明日!また明日!」と気持ちを切り替えていた。

2007年は前年に続き倉と併用される形が続き、スタメン機会はほぼ半々だった。5月8日の対中日ドラゴンズ戦では中継ぎ投手の負担軽減のため、ブルペンで投球練習を行ったこともあった。登板はなかったが、今後も同様な場面があった場合の登板を示唆されていた。5月26日の対福岡ソフトバンクホークス戦の同点の八回に、顔付近に来た球にのけぞって尻もちをつきながらも、三塁方向にスクイズ成功。チームの交流戦初勝利に貢献した。5月から6月までは打撃好調で、2004年に次ぐ打率.281の好成績を残した。しかし今度は倉も8月以降打撃が上向いて打率.274を記録し、8月にはスタメン捕手の座を譲ることも多かった。10月1日の対中日戦の8回裏1死3塁の場面、初球からスクイズを敢行するがピッチアウトされ、前年の対西武戦で外された時よりも更に大きくジャンプしたものの届かず失敗に終わった。

2008年は2004年以来となる開幕スタメンの座を掴むと、倉の打撃不振もあり、出場機会を増やし4年ぶりの100試合出場、規定打席到達となった。打撃でも勝負強さを見せ、6番を任される試合もあった。本塁打と打点は自身最高の数字を残した。

2009年は開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。第一次の東京ラウンドでは出場機会はなかったが、サンディエゴでの第二次ラウンド韓国戦で初出場を果たした。登録メンバーの野手でただ一人打席に立つ機会がなかった。WBC終了後、チームに合流するとキャプテンに任命される。シーズンでは、新本拠地であるマツダスタジアム開催の恩恵もあり、マツダオールスターゲームに初めてファン投票で選出された。しかし、シーズンでは開幕から打率2割にも満たない極度の打撃不振に陥る。ライバルである倉も打撃不振だったためにレギュラー固定され続けたが、調子は一向に上がらず、一時は1982年の山倉和博以来となる「規定打席到達での1割打者」となる可能性も取り沙汰されていた。8月29日の横浜ベイスターズ戦で2打席連続本塁打、1試合5打点と意地の活躍を見せた。最終的に打率は.206とぎりぎりで2割台に乗せたが、シーズン後半は倉や若手の會澤翼と併用されて途中出場や途中交代が増え、前年より1試合多い124試合に出場しながら、規定打席には届かずに終わった。なお本塁打は自身初となる二桁の10本を放ち、サヨナラ本塁打を打つなど低打率ながら意外性のある活躍も見せた。広島の捕手でシーズン二桁本塁打を打ったのは1976年の水沼四郎(11本)以来33年ぶりである。

2010年は開幕して暫くは打撃が不調だったが、徐々に調子を上げて行き、他の捕手との併用や腰痛等もあったものの2年ぶりに打率が2割5分を越えるなど、終始不調だった前年よりも打撃面が改善された。また前田健太と共に最優秀バッテリー賞を受賞した。8月5日に国内他球団への移籍が可能なFA権を取得。去就が注目されていたが、11月15日にFA権を行使せずに3年契約を結んで残留することを発表した。年俸は1億円。

2011年は5月14日の巨人戦ではレビ・ロメロから死球を受け、押し出しという形でチームの逆転サヨナラ勝利に貢献し、お立ち台に立った。5月21日のオリックス戦で今季初本塁打を放ち、チームの交流戦初勝利に貢献した。8月22日には海外FA権を取得した。

2012年は7月17日の中日戦で岩瀬仁紀からセ・リーグでは18年ぶりとなるサヨナラスクイズを決め、チームの5連勝に貢献したが、7月26日のヤクルト戦で右太もも裏を痛め出場選手登録から外れるなど2度の故障により、出場試合は77試合にとどまった。シーズン後、元タレントの八幡えつこと結婚

2013年は3年ぶりに120試合以上出場を果たした。打率.248であったが、四死球は自己最多の55個を選び出塁率はキャリアハイの.350をマークした。Aクラスを争う勝負所の9月17日の阪神タイガース戦で久保康友から自身4度目となるサヨナラ本塁打を放ちチームを4年ぶりの7連勝に導くなど、チームの16年ぶりのAクラス入りに大きく貢献した。この年で3年契約が終了したが、11月11日にFA権を行使せず残留する意向を発表。球団と3年総額3億円(推定)の契約を結んだ。

2014年は開幕当初は正捕手を務めていたが、前半戦の打率が.141という極度の打撃不振に陥り、肩の故障もあり6月末に登録抹消。その間に正捕手の座を會澤に奪われ、1軍復帰後も出場機会は大きく減少した。會澤が負傷離脱したシーズン終盤には再び正捕手を務めたものの、80試合の出場で打率は.192とキャリアで初めて2割を切った。また、新井貴浩の復帰が決まった際には歓迎会を開くなど生え抜きベテランとしてチームを支えた。

2015年は開幕スタメンを會澤に譲ったが、2戦目にクリス・ジョンソンとバッテリーを組み史上45人目(初登板での達成は史上初)の準完全試合を記録した。その後もジョンソンが登板する試合は全て正捕手を務め、シーズン終盤にはレギュラーに復帰した。

2016年は開幕戦に8番捕手でスタメン出場を果たし、その後もジョンソン、黒田博樹、野村祐輔が登板する試合を中心に正捕手を務めた。8月2日のヤクルト戦ではウラディミール・バレンティンが空振りをした際にバットを頭部に受け、脳振とう、後頭部打撲と診断され登録抹消となった。しかし、脳震盪特例措置が適用されたため10日を待たず9日に再登録され、復帰戦で安打を放った。打撃は前半戦を終えた時点で打率.147と不振が続いたが、後半戦は打率.299を記録するなど復調して下位打線を支えた。最終的には106試合に出場し、3年振りに出場試合が100を上回った。また、広島の優勝に貢献したことが評価され、セリーグ最年長の37歳にして、初のゴールデングラブ賞 、ベストナインを獲得し、また、自身三度目となる最優秀バッテリー賞も野村と共に受賞した。2016年の日本シリーズではノーヒットに終わり日本一を逃した。

2017年は2年連続で開幕スタメン出場を果たした。序盤戦は會澤と併用される形で起用され、4月13日の対巨人戦では池田駿から2シーズンぶりの本塁打を放つなど打撃好調だった。しかし後半戦は打率.109と不振に陥ったことで會澤が正捕手の座に就き、シーズン終盤は磯村嘉孝にもスタメンマスクを譲る機会が増えたことにより、77試合の出場にとどまった。7月12日の対DeNA戦で史上189人目となる通算1500試合出場を達成。

2018年は5月11日の対阪神戦で能見篤史から左前打を放ち、史上292人目の通算1000本安打を達成。38歳8カ月での達成は史上最年長、広島の捕手では球団史上初の記録だった。シーズンを通じては58試合の出場にとどまり、打率はキャリアワーストの.177であったが、ジョンソンが先発登板する試合では全試合先発マスクを務めた。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも第2戦(10月28日)でシーズン同様にジョンソンとバッテリーを組み、チームのシリーズ唯一の勝利へ導いた。

2019年はジョンソンが先発登板する試合のみ先発マスクを被ったため、前年をさらに下回る31試合の出場にとどまったが、慢性的な肩痛が回復し盗塁阻止率は自己ベストタイの.500を記録、4月17日の対巨人戦ではライアン・クックから球団ワーストの開幕から5カード連続負け越しを止める決勝適時打を放つなど随所で存在感を示した。

2020年は8月27日の対横浜DeNAベイスターズ戦で左脚を負傷した後に登録抹消となって以降はリハビリに励んでいたが、実戦復帰は叶わないまま10月12日に球団に引退を申し入れて了承され、11月7日の対阪神タイガース戦(マツダスタジアム)が引退試合となり、8回1アウトランナー1塁から打席入りし、能見篤史からライトフライを打ち上げて現役生活を終えた。試合後には引退セレモニーが行われた。

2021年からは日本テレビ・広島テレビ野球解説者とデイリースポーツの野球評論家に就任。

2022年10月24日、2023年シーズンから広島の一軍バッテリーコーチを務めることが発表された。

選手としての特徴

WBCメンバー選出の際には伊東勤から「12球団トップクラス」と評されたほどの高いキャッチング技術を持つ。藤井彰人は「最強の捕手」と評し、「投げる、捕る、止める。ずっと石原が一番うまいと思ってきましたよ」と述べている。構えてから捕球するまでミットが動かず、広島投手陣からは投げやすいと言われていた。

現役時代には、試合中に選手のケガによる中断があった際に、相手チームの選手のバットを真っ直ぐ立てる技を披露したことがあった(立てたバットは、強風以外で倒れたことが一度もない)。

試合を決める勝負強さを持っており、8度のサヨナラ勝ちの立役者となっていた。そのうち2009年から2014年までは6年連続でサヨナラを決めていた。

詳細情報

年度別打撃成績

年度 球団 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 出塁率 長打率 OPS
2002 広島 5 10 10 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .300 .300 .300 .600
2003 116 338 305 19 65 14 2 4 95 21 0 1 10 0 17 7 6 78 6 .213 .268 .311 .580
2004 135 435 396 32 114 22 0 6 154 35 0 1 9 1 21 7 8 70 6 .288 .336 .389 .725
2005 74 194 174 13 42 6 0 2 54 12 0 0 3 2 11 1 4 29 6 .241 .298 .310 .609
2006 85 267 240 17 53 9 0 3 71 11 2 0 6 2 15 2 4 43 6 .221 .276 .296 .572
2007 89 284 256 24 72 12 0 3 93 15 2 2 6 0 16 1 6 47 9 .281 .338 .363 .701
2008 123 457 422 36 112 19 0 9 158 50 6 6 10 2 22 0 1 80 7 .265 .302 .374 .676
2009 124 422 364 31 75 15 1 10 122 37 2 3 11 4 39 4 4 90 11 .206 .287 .335 .622
2010 122 408 369 33 97 19 0 8 140 41 4 4 6 1 29 5 3 81 10 .263 .321 .379 .700
2011 110 342 299 15 60 10 0 4 82 27 2 2 14 3 22 3 4 49 7 .201 .262 .274 .536
2012 77 250 217 22 52 15 0 1 70 22 0 1 9 1 22 5 1 37 7 .240 .311 .323 .634
2013 121 398 327 32 81 9 0 7 111 35 0 2 15 3 45 2 8 76 12 .248 .350 .339 .689
2014 80 223 193 17 37 8 0 4 57 19 1 2 8 0 21 4 1 43 6 .192 .274 .295 .570
2015 83 238 216 15 52 6 0 2 64 12 1 0 8 0 14 2 0 42 10 .241 .287 .296 .583
2016 106 289 243 19 49 7 0 0 56 17 4 1 12 1 29 5 4 54 8 .202 .296 .230 .526
2017 77 167 147 11 30 4 0 1 37 12 1 0 8 2 10 0 0 33 8 .204 .252 .252 .503
2018 58 107 96 6 17 1 0 1 21 7 0 0 4 1 5 2 1 27 4 .177 .223 .219 .442
2019 31 67 56 3 11 2 0 1 16 5 0 0 5 1 5 0 0 18 1 .196 .258 .286 .544
2020 4 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:19年 1620 4901 4335 346 1022 178 3 66 1404 378 25 25 144 24 343 50 55 899 125 .236 .299 .324 .622

各年度の太字はリーグ最高

WBCでの打撃成績

年度 代表 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 出塁率 長打率
2009 日本 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ----

年度別守備成績

年度 球団 捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
2002 広島 4 27 3 1 0 0 .968 2 1 1 .500
2003 115 686 48 7 11 8 .991 69 47 22 .319
2004 135 975 57 5 15 3 .995 81 55 26 .321
2005 71 412 35 3 8 6 .993 28 16 12 .429
2006 84 483 32 6 5 3 .988 49 37 12 .245
2007 86 442 43 4 2 3 .992 57 40 17 .298
2008 121 763 72 6 11 3 .993 94 65 29 .309
2009 124 773 62 7 9 3 .992 77 54 23 .299
2010 118 696 52 4 8 4 .995 70 50 20 .286
2011 106 698 55 1 6 5 .999 65 47 18 .277
2012 77 471 26 5 2 2 .990 37 29 8 .216
2013 121 727 48 3 12 2 .995 80 60 20 .333
2014 79 431 27 4 2 2 .991 35 28 7 .200
2015 83 490 41 7 8 2 .987 54 37 17 .315
2016 106 549 31 1 4 3 .998 36 24 12 .333
2017 76 338 18 1 2 1 .997 25 19 6 .240
2018 57 238 9 1 1 3 .996 29 26 3 .103
2019 31 154 20 2 2 0 .989 14 7 7 .500
2019 4 11 3 0 0 0 1.000 2 1 1 .500
通算 1598 9364 682 68 108 53 .993 904 643 261 .289

各年度の太字はリーグ最高

表彰

ベストナイン:1回(捕手部門:2016年)

ゴールデングラブ賞:1回(捕手部門:2016年)

最優秀バッテリー賞:3回(2010年 投手:前田健太、2013年 投手:前田健太、2016年 投手:野村祐輔)

月間サヨナラ賞:2回(2012年7月、2013年9月)

記録

初出場:2002年10月5日、対ヤクルトスワローズ26回戦(広島市民球場)、6回表に西山秀二に代わり捕手で出場

初打席・初安打:同上、7回裏に石川雅規から中前安打

初先発出場:2002年10月14日、対横浜ベイスターズ28回戦(広島市民球場)、8番・捕手で先発出場

初打点:2003年4月12日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、2回表に野口茂樹から左越適時二塁打

初本塁打:2003年4月27日、対阪神タイガース5回戦(阪神甲子園球場)、1回表に下柳剛から左越満塁本塁打

初盗塁:2006年5月11日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、2回表に二盗(投手:D・J・カラスコ、捕手:山崎勝己)

1000試合出場:2012年6月14日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(QVCマリンフィールド)、9番・捕手で先発出場 ※史上451人目

1500試合出場:2017年7月12日、対横浜DeNAベイスターズ14回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8番・捕手で先発出場 ※史上189人目

1000安打:2018年5月11日、対阪神タイガース7回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、3回裏に能見篤史から左前安打 ※史上292人目、38歳8か月での達成は史上最年長

オールスターゲーム出場:3回(2008年、2009年、2011年)

フランチャイズ・プレイヤー:プロデビューから引退まで移籍なし(18年間)

背番号

31(2002年 - 2020年)

    29(2009年WBC)

    81(2023年 - )

    登場曲

    FUNKY MONKEY BABYS 「悲しみなんて笑い飛ばせ」(2012~2013途中)

    PSY 「江南スタイル」(2013途中~不明)

    三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE 「R.Y.U.S.E.I.」(2015年)

    RADIO FISH 「PERFECT HUMAN」(2016年)

    WANIMA 「やってみよう」(2018年~)

    代表歴

    2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

2024/06/25 19:32更新

ishihara yoshiyuki


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