もしもし情報局 > 1979年 > 1月9日 > 野球選手

洗平竜也の情報 (あらいだいたつや)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

洗平竜也の情報(あらいだいたつや) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

洗平 竜也さんについて調べます

■名前・氏名
洗平 竜也
(読み:あらいだい たつや)
■職業
野球選手
■洗平竜也の誕生日・生年月日
1979年1月9日 (年齢45歳)
未年(ひつじ年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
青森出身

(昭和54年)1979年生まれの人の年齢早見表

洗平竜也と同じ1979年生まれの有名人・芸能人

洗平竜也と同じ1月9日生まれの有名人・芸能人

洗平竜也と同じ出身地青森県生まれの有名人・芸能人


洗平竜也と関係のある人

奈良将史: 大学選手権、明治神宮大会では後輩の吉見祐治、洗平竜也らのリリーフに回っている。


歌藤達夫: 高校卒業後は東北福祉大に進み、同期に吉見祐治と洗平竜也がいた。


金沢成奉: 洗平竜也


吉見祐治: 大学の同期には洗平竜也と歌藤達夫がおり、4年時投手としての位置付けは吉見がエース、洗平が二番手、歌藤は三番手以降だった。


川満寛弥: 大学の同期生だった3人の左投手が、同じ時期にNPBの球団に在籍した事例は、東北福祉大学出身の吉見祐治・洗平竜也・歌藤達夫以来である。


仲井宗基: 洗平竜也


石原慶幸: 吉見祐治、洗平竜也や木谷寿巳とバッテリーを組む。


洗平竜也の情報まとめ

もしもしロボ

洗平 竜也(あらいだい たつや)さんの誕生日は1979年1月9日です。青森出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

現在、卒業、引退、結婚、兄弟に関する情報もありますね。去年の情報もありました。洗平竜也の現在の年齢は45歳のようです。

洗平竜也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

洗平 竜也(あらいだい たつや、1979年1月9日 - )は、青森県上北郡六戸町出身の元プロ野球選手(投手)。

中学生時代までは軟式野球でのプレーを経験していた が、光星学院高校(現在の八戸学院光星高校)への進学を機に硬式野球部へ入ると、1年時の夏からエースとして活躍。3年間でストレートの球速を20km/h上げた末に、サイドスローから最速142km/hのストレートを投げ込む速球派の左投手として、NPB球団のスカウトから注目されるまでに成長した。もっとも、夏の全国高等学校野球選手権青森大会で3年続けて決勝で敗れるなど、在学中は春夏とも甲子園球場の全国大会と無縁であった。洗平自身は後年、「下半身の強化などを含めて、プロ(NPB)行きに必要な土台は光星(学院高校)だったから身に付けられた」と語っている。

高校からの卒業後に進学した東北福祉大学 では、自身と同じ左投手の吉見祐治・歌藤達夫と同期であった。山岡洋之が4年生エースで、その下に左腕・松修康がいてさらに、吉見が台頭にするなど投手陣の層が厚く、入学当初は公式戦へ登板する機会がなかった。それでも、3年時以降は、吉見に次ぐ2番手扱いながらエース級で活躍。仙台六大学野球のリーグ戦で通算10勝無敗という成績を残したほか、4年時には、春季リーグでの優勝し、吉見と最優秀選手となり全日本大学野球選手権での準優勝を経験した。在学中の3学年先輩に鈴木郁洋、1学年先輩に奈良将史、1学年後輩に石原慶幸、2学年後輩に木谷寿巳・橋本健太郎、3学年後輩に岸田護・中村公治などがいる。

大学4年時の2000年には、仙台六大学秋季リーグでの優勝を経て臨んだ明治神宮野球大会の北海道・東北地区王座決定戦で、北海学園大学打線から19三振を奪った。この好投でNPB球団のスカウトから再び注目されたこと を背景に、大会後のNPBドラフト会議で、当時存在していた逆指名制度を通じて中日ドラゴンズへ入団することを宣言。年俸1300万円、契約金1億円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は32。ちなみに、この会議では、吉見も逆指名制度を通じて横浜ベイスターズに2位で入団している。

2001年には、春季キャンプのスタートを一軍で迎えたが、ブルペンでの投球練習で最初から暴投が相次いだ。その後も、ブルペンへ入るたびに極度の制球難を露呈。「キャッチャーミットを目がけて投げ込んだ球が、バックネットや隣の投球レーンの捕手を直撃する」という有様で、キャンプの中盤から二軍に回った。この年にはウエスタン・リーグ公式戦25試合に登板。

2002年には10試合に登板。二軍で投球フォームの修正に取り組んだものの、制球力の向上には至らなかった。

2003年限りで球団から戦力外を通告。光星学院高校時代に続いて、オープン戦やウエスタン・リーグの公式戦でも甲子園球場のマウンドに立てなかった。

ちなみに、前述した制球難については、入団当初「極度の緊張によるイップスが原因である」と報じられていた。

愛知県内の会社に勤務しながら、2004年から社会人野球の硬式野球クラブ 東海REXでプレー。しかし、制球難は相変わらずで、ベーブルース杯では打者の頭に死球をぶつけたこともあった。チームが東海地区の第3代表として出場した第32回社会人野球日本選手権大会(2005年)では、日本生命との2回戦に救援で登板。

2007年シーズン限りで現役を引退したことを機に、東海REXを退部した。

千葉県船橋市に転居。東海REX在籍中の2004年に結婚すると、その年に長男を授かったことを皮切りに3児(いずれも男児)をもうけている。会社勤めのかたわら、長男が所属した少年野球チームでコーチを務めたことがきっかけ で、2013年に学生野球資格の回復へ向けた講習会に参加。2014年4月8日付で日本学生野球協会から資格回復の適性を認定されたことによって、同協会に加盟する高校・大学の硬式野球部での指導が可能になった。

苗字の洗平は、出身地の六戸町を中心に、「日本国内で40人程度しか付けていない」とされるほど珍しい苗字である。

前述したように、光星学院高校時代の夏には3年とも青森大会決勝で敗れていることから、高校球界に関する報道や特集で当時の洗平を「不運のエース」と称することがある。

一卵性双生児の兄として出生。実弟の隼人(はやと)も元野球選手(捕手)で、兄の竜也と揃って光星学院高校と東北福祉大学へ進学した後に、2001年から2005年まで社会人野球の東北マークスに在籍していた。東北福祉大学時代までは控え捕手だったが、東北マークスでは正捕手の座をつかんでいる。

長男・次男とも現役の野球選手で、2人とも竜也・隼人兄弟の母校に当たる八戸学院光星高校へ進学。いずれも、在学中に硬式野球部へ在籍していて、竜也も隼人も果たせなかった全国高等学校野球選手権大会への出場を成し遂げている。長男は右投手で、佐倉リトルシニアに所属していた中学3年時(2019年)にシニアリーグの全国選抜大会で優勝。2歳下の次男は竜也の現役時代と同じ左投手で、長男に続いて佐倉リトルシニアへ在籍すると、リトルシニア関東連盟の最優秀選手を受賞している。ちなみに、長男は2020年・次男は2022年に八戸学院光星高校へ入学。2022年には兄弟揃って第104回全国高等学校野球選手権大会へ出場したほか、長男が國學院大學へ進学した2023年には、次男が第105回全国高等学校野球選手権記念大会で阪神甲子園球場のマウンドに再び立っている。

一軍公式戦出場なし

32 (2001年 - 2003年)

^ 元中日 悲運のエース洗平さん(青森・六戸出身)がアマ指導者で新たな一歩 Web東奥 2014年5月9日(金)13時49分配信 2014年5月11日閲覧

^ 輝け光星’19センバツ/中 誰にでもチャンス 県外も県内も関係ない(『毎日新聞』青森版2019年3月21日付記事)

^ 逆指名制度の対象にならない高校生(春日部共栄高校3年生)の中里篤史を1位で指名するために、指名上は2位と扱われたが、実際には1位に相当する評価を受けていた。

^ 八戸学院光星・洗平が練習試合デビュー 父は元中日(『日刊スポーツ』2020年5月31日付記事)

^ 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者(日本学生野球協会)

^ 日本姓氏語源辞典「洗平」

^ “八戸学院光星・洗平兄弟 元中日の父の前で力投も無念 兄から弟へエール「経験を糧に」”. スポーツニッポン. (2022年8月13日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/08/13/kiji/20220813s00001002075000c.html 2022年11月20日閲覧。 

^ “元プロの父と元エースの兄の思い受け継ぎ4安打完封、八戸学院光星の2年生エース洗平「思いを込めてしっかり投げた」”. デイリースポーツ. (2022年8月12日). https://www.daily.co.jp/baseball/2023/08/12/0016692076.shtml 2023年8月13日閲覧。 

青森県出身の人物一覧

東北福祉大学の人物一覧

中日ドラゴンズの選手一覧

根市寛貴 - 光星学院高校時代の後輩で、同校から2001年に読売ジャイアンツへ入団した右投手。大阪近鉄バファローズへ最後に所属していた選手の1人で、2006年に東北楽天ゴールデンイーグルスで現役を引退した。

1位:中里篤史

2位:洗平竜也(逆指名)

3位:井本直樹

4位:岡本真也

5位:土谷鉄平

6位:山﨑賢太

7位:仲澤忠厚

8位:辻田摂

日本の野球選手

八戸学院光星高等学校出身の野球選手

東北福祉大学硬式野球部の選手

中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手

日本製鉄東海REX及びその前身チームの選手

日本出身の双子

双子のプロ野球選手

青森県出身の人物

1979年生

存命人物

野球に関する記事

プロジェクト人物伝項目

2024/11/21 08:27更新

araidai tatsuya


洗平竜也と同じ誕生日1月9日生まれ、同じ青森出身の人

山崎 岩男(やまさき いわお)
1901年1月9日生まれの有名人 青森出身

山崎 岩男(やまざき いわお、1901年1月9日 - 1964年11月23日)は日本の政治家。衆議院議員や青森県知事を務めた。 1901年、北海道久遠村(現せたな町大成区)に青森県出身の漁師の末子と…

高橋 正衛(たかはし まさえ)
1923年1月9日生まれの有名人 青森出身

高橋 正衛(たかはし まさえ、 1923年1月9日 - 1999年9月26日)は、日本の編集者、歴史学者、昭和史研究家。元みすず書房取締役。 筆名は渡辺正治。 青森県八戸市出身。1943年中央大学専…

三条 町子(さんじょう まちこ)
1925年1月9日生まれの有名人 青森出身

三条 町子(さんじょう まちこ、1925年1月9日 - 2022年8月30日)は、日本の歌手。本名は藤田 信子(旧姓:宮野)。三條 町子の表記もある。 青森県八戸市に生まれる。作曲家大村能章の弟子。…

鶴ヶ﨑 好昭(つるがさき よしあき)
1990年1月9日生まれの有名人 青森出身

鶴ヶ﨑 好昭(つるがさき よしあき、1990年1月9日 - )は、日本の元ラグビー選手。サーブプロモーション所属。 青森県出身。 ポジションはウィング(WTB)。 身長 185cm、体重 93kg …


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


洗平竜也と近い名前の人

新井田 雅樹(あらいだ まさき)
1972年12月20日生まれの有名人 北海道出身

新井田 雅樹(あらいだ まさき、12月20日 - )は日本の女性声優、ナレーター。北海道出身。シグマ・セブン所属。 1986年東鳩製菓(現・東ハト)主催のキャンペーンガール「東鳩オールレーズンプリン…


荒維 大地(あらい だいち)
1988年8月17日生まれの有名人 京都出身

荒維 大地(あらい だいち、1988年8月17日 - )は、京都府出身のサッカー選手。 ポジションは、MF。 2004年 - 2006年 福知山成美高校 2007年 - 2010年 神戸国際大学 …

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
洗平竜也
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

PASSPO☆ SMAP CheekyParade Rev.from DVL 私立恵比寿中学 HKT48 アイドリング SUPER EIGHT SUPER☆GiRLS Ya-Ya-yah 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「洗平竜也」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました