田川賢吾の情報(たがわけんご) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
田川賢吾の情報まとめ
田川 賢吾(たがわ けんご)さんの誕生日は1990年5月22日です。京都出身の野球選手のようです。
田川賢吾の現在の年齢は34歳のようです。
田川賢吾のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 田川 賢吾(たがわ けんご、1994年5月22日 - )は、京都府舞鶴市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 小学3年生の時から野球を始めると、中学生時代には赤星憲広が設立したレッドスターベースボールクラブに所属していた。 高知中央高等学校への入学当初は、外野手としてプレー。2年時の春から投手としての練習を始めると、秋から本格的に転向した。3年春の高知県総体では、高知商業高校との試合で本塁から中堅までの距離が121mである高知市野球場のバックスクリーンにソロ本塁打を放った。3年夏の選手権高知大会では、岡豊高校との3回戦で自己最速の148km/hを記録。無四球1失点という内容で完投勝利を収めた。しかし、続く高知高校との準々決勝では、延長10回まで戦った末に1-2で敗退し、在学中には春夏とも、甲子園球場での全国大会への出場はなかった。 2012年度プロ野球ドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズから3巡目指名を受け、契約金5000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団。入団当初の背番号は35。 2013年には、イースタン・リーグ公式戦3試合に登板。0勝1敗、防御率9.00を記録した。 2014年には、4月10日に腰椎椎間板ヘルニアの摘出手術を受けたため、一・二軍とも公式戦への登板機会がなかった。 2015年には、イースタン・リーグ公式戦3試合に登板。0勝1敗、防御率8.44を記録した。 2016年には、イースタン・リーグ公式戦19試合に登板。2勝3敗、防御率7.28という成績を残した。入団以来一軍公式戦での登板機会がないまま10月1日に球団から支配下選手契約の解除を通告されたが、通告後も球団に籍を置いたままフェニックスリーグへ参加。11月22日には育成選手として契約を結ぶとともに、背番号を117へ変更することが球団から発表された。 2017年には、イースタン・リーグ公式戦で過去最多の28試合に登板。5勝6敗、防御率4.43という成績を残したが、支配下登録選手への復帰や一軍公式戦へのデビューには至らなかった。育成選手に関するNPBの規定で、10月31日にいったん自由契約選手として公示。公示後に、育成選手として再び契約を結んだ。 2018年には、オープン戦の途中から一軍へ昇格すると、救援投手として登板を重ねた。3月20日には、支配下登録選手へ復帰するとともに、背番号を62へ変更。さらに、プロ入り後初めての一軍公式戦出場選手登録を、開幕一軍入りで果たした。4月3日の対広島東洋カープ戦でプロ初登板も果たしたが、結果としてこの年は1試合の出場に留まった。 2019年は、イースタン・リーグ公式戦16試合に登板。4勝5敗、防御率3.70という成績を残した。2試合連続完投勝利(内1試合は完封)を挙げるなど成長を見せた。9月15日にマツダスタジアムでの広島戦で先発登板し、5回と2/3を1失点に抑えプロ入り初勝利を挙げた。 2020年は、イースタン・リーグ20試合に登板し、防御率1.95の好成績を残したが、一軍での登板はなく、11月2日に戦力外通告が公示された。 2021年からは、社会人野球の日立製作所でプレーを続ける。 長身から投げ下ろす最速148km/hのストレートが武器。キレの良いスライダーを中心に、カーブ・フォークと多彩な変化球を投げられる。 ヤクルト入団後の2016年春季キャンプ前には、小川泰弘と共に上原浩治の自主トレーニングに参加し、上原から「素材は素晴らしい」との賛辞を受けた。 また、プロ入り初勝利を挙げた際は、上原から祝福を受けている。 2020年度シーズン終了時 2020年度シーズン終了時 初登板:2018年4月3日、対広島東洋カープ1回戦(明治神宮野球場)、8回表に4番手で救援登板、1回無失点 初奪三振:同上、石原慶幸から空振り三振 初先発登板:2019年8月24日、対阪神タイガース19回戦(明治神宮野球場)、3回1/3 6失点で敗戦投手 初勝利・初先発勝利:2019年9月15日、対広島東洋カープ24回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、5回2/3 1失点 初打席:2019年8月24日、対阪神タイガース19回戦(明治神宮野球場)、3回裏に西勇輝から二ゴロ 35(2013年 - 2016年) 117(2017年 - 2018年3月19日) 62(2018年3月20日 - 2020年) 「Can't Get Enough」Leeroy Feat Nagla(2015年 - 2017年) 「pride」GReeeeN(2018年) 「Slow Down」Lights Follow(2019年 - ) ^ “田川「レッド魂」だ! 投打ハイレベル「投手で活躍したい」”. スポニチ Sponichi Annex (2012年10月26日). 2013年3月5日閲覧。 ^ “神宮つばメ~ル:第19回 ドラフト3位・田川賢吾、驚異の18歳”. SPORTS COMMUNICATIONS (2013年1月7日). 2013年3月5日閲覧。 ^ “小さな司令塔 熱投導く/高知中央・森本君”. asahi.com (2012年7月22日). 2013年3月5日閲覧。 ^ “プロ野球ドラフト会議!”. 東京ヤクルトスワローズ (2012年10月25日). 2013年2月1日閲覧。 ^ “戦力外通告について”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2016年10月1日). 2016年10月1日閲覧。 ^ “ヤクルト、戦力外通告の田川と育成契約 背番号は117”. サンケイスポーツ (2016年11月22日). 2017年2月23日閲覧。 ^ “自由契約選手(育成選手)|2017年度公示”. 日本野球機構 (2017年10月31日). 2017年11月1日閲覧。 ^ ヤクルト・田川、2年ぶり支配下復帰 オープン戦7試合登板. サンケイスポーツ (2018年3月21日). 2019年1月7日閲覧。 ^ “ヤクルト田川 プロ6年目で初開幕一軍「ここからが本当の勝負」”. スポーツニッポン (2018年3月27日). 2018年3月30日閲覧。 ^ “ヤクルト・田川、7年目ついにつかんだプロ初勝利!「忘れられない一日に」”. サンケイスポーツ (2019年9月16日). 2020年1月19日閲覧。 ^ "来季の契約について". 公式サイト. 東京ヤクルトスワローズ. 2 November 2020. 2020年11月2日閲覧。 ^ “ヤクルト田川賢吾に戦力外通告、12年3位昨季1勝”. 日刊スポーツ (2020年11月2日). 2021年4月6日閲覧。 ^ “元ヤクルト・田川、社会人野球の日立製作所入り 近日中に正式契約”. サンスポ.com (2021年1月9日). 2021年4月6日閲覧。 ^ “5位転落のヤクルトに世代交代の波 松坂世代の剛腕&柱のベテランが戦力外(4)上原称賛の右腕も戦力外に”. Full-Count (2016年11月9日). 2017年2月23日閲覧。 ^ “【ヤクルト】7年目右腕の田川がプロ初勝利 師匠の上原氏も「泣きそう」”. スポーツ報知 (2019年9月16日). 2020年1月19日閲覧。 大阪府出身の人物一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 大谷・藤浪世代 個人年度別成績 田川賢吾 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube 表 話 編 歴 1位:石山泰稚 2位:小川泰弘 3位:田川賢吾 4位:江村将也 5位:星野雄大 6位:谷内亮太 7位:大場達也 日本の野球選手 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 東京ヤクルトスワローズの育成選手 日立製作所硬式野球部の選手 高知中央高等学校出身の人物 大阪府出身の人物 1994年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/21 08:40更新
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tagawa kengo
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