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平井正史の情報 (ひらいまさふみ)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

平井正史の情報(ひらいまさふみ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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平井 正史さんについて調べます

■名前・氏名
平井 正史
(読み:ひらい まさふみ)
■職業
野球選手
■平井正史の誕生日・生年月日
1975年4月21日 (年齢49歳)
卯年(うさぎ年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
愛媛出身

(昭和50年)1975年生まれの人の年齢早見表

平井正史と同じ1975年生まれの有名人・芸能人

平井正史と同じ4月21日生まれの有名人・芸能人

平井正史と同じ出身地愛媛県生まれの有名人・芸能人


平井正史と関係のある人

高橋和幸: 初盗塁:2002年9月18日、対オリックス・ブルーウェーブ26回戦(福岡ドーム)、6回裏に二盗(投手:平井正史、捕手:日高剛)


中嶋聡: 最優秀バッテリー賞:1回(1995年 投手:平井正史


平田洋: また懸案事項だった右肩腱板損傷についても「『その後遺症は100%ない』と言ってよい」(巨人・関東孝雄スカウト)段階まで回復しており、同年のドラフト会議を控えて高校生では宇和島東高校・平井正史とともに「ドラフト1位候補」と高く評価されていた。


嘉㔟敏弘: なお、2002年からメジャーリーグに挑戦し2010年に復帰した田口壮、2003年に中日に移籍後2013年に復帰した平井正史らとは異なり、1度も移籍せずオリックス一筋でブルーウェーブのリーグ優勝・日本一を経験し引退した最後の選手だった。


野村貴仁: 1995年は抑えの平井正史に繋ぐセットアッパーとして37試合に登板し防御率0.98をマークしてリーグ優勝に貢献した。


小松聖: 7月28日の対埼玉西武ライオンズ戦以降は10試合に先発して9勝負け無し、シーズン最終登板となった9月28日の対西武戦で3度目の完投勝利を挙げ、球団では1995年の平井正史以来13年ぶりとなる15勝目を記録した。


橋本将: 愛媛県立宇和島東高等学校に在学中は、2年時に平井正史とバッテリーを組む。


平尾博嗣: そして、中日ドラゴンズとの日本シリーズでは第7戦に平井正史からソロ本塁打を放ち、日本一に貢献した。


新沼慎二: 初打席:同上、5回裏に平井正史から二塁ゴロ


井箟重慶: 新垣の指名にあたっては周辺の根回しなどダイエー有力という理由で他のスカウトから猛反対を受けていたが、井箟は平井正史投手獲得実績もあり交渉次第で行けると判断し、強行指名したと自身の著書で述べている。


広田庄司: 本格派左腕投手として注目されるが、春は真木将樹擁する東筑紫学園に、夏は平井正史がエースの宇和島東に初戦で敗れる。


藤井秀悟: 「伊予の怪腕」と呼ばれ、同年夏の全国高等学校野球選手権愛媛大会決勝で、平井正史を擁する宇和島東と対戦するが3-5で敗れる。


荒木雅博: 7月20日のヤクルト戦(札幌ドーム)では6回表1死二、三塁の場面で二塁走者として塁上にいたが、先発投手・平井正史のスクイズで二塁から一気に本塁に突入し2ランスクイズを成功させた。


上甲正典: 平井正史(1993年ドラフト1位 オリックス→中日→オリックス)


鈴木義広: 中盤以降はコントロールを生かした投球内容で小林正人、清水昭信、平井正史の3人と共にビハインドや同点の状況でのリリーフとして優勝に貢献した。


髙島祥平: 2009年は二軍スタートだったが練習試合で好投し、春季キャンプ終盤に山本昌、平井正史とともに一軍に合流した。


鈴木平: 1995年に山内嘉弘との交換トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍すると、クローザーの平井正史に繋ぐセットアッパーを野村貴仁とともに務めた。


青木宣親: 1000安打:2010年7月4日、対中日ドラゴンズ11回戦(秋田県立野球場)、6回裏に平井正史から左翼二塁打 ※史上258人目、770試合目での達成はセ・リーグ歴代最速


伊志嶺忠: オープン戦の最終カードだった3月29日の対中日ドラゴンズ戦では、同点で迎えた8回表に代打へ起用されると、平井正史から決勝の2点本塁打を放った。


中田昌宏: しかし以後は1990年に長谷川滋利・野村貴仁、1991年に田口壮・イチロー、1992年に小林宏・金田政彦、1993年に平井正史・三輪隆らの獲得に成功。


平田洋: ドラフト会議当日(1993年11月20日)まで「オリックスが強行1位指名する可能性がある」と囁かれてはいたが、オリックスは結局平田を断念して宇和島東高校・平井正史を1位指名した。


山田久志: 山口高志と共に平井正史を育成し、平井は1995年に15勝5敗27セーブで最優秀救援投手、最高勝率に輝き、新人王を獲得する急成長をみせた


三浦貴: 2003年9月15日の中日ドラゴンズ戦では、平井正史から野手転向後初安打となるプロ初本塁打を放った。


村西良太: 離脱後は二軍で調子が上がらなかったものの、平井正史育成コーチのアドバイスで腕の位置を下げると、8月3日に一軍再昇格。


塚原頌平: オリックスで10代の投手が一軍公式戦で勝利を挙げたのは、1995年の平井正史以来であった。


橋本到: 初打席:2010年4月28日、対中日ドラゴンズ5回戦(ナゴヤドーム)、9回表に平井正史から振り逃げ


髙木伴: 2014年のオリックスへの入団記者会見では、同年で現役を引退し、二軍投手コーチに就任した平井正史の背番号36を継承し、平井のように強い速球とフォームのコンビネーションで勝負することを目標に挙げた。


山田久志: 監督時代にはオリックス時代の教え子であり、故障で不振の平井正史を獲得し中継ぎの一人として復活させたこと、強肩だが内野守備に難がありポジションが固定されなかった福留孝介を外野にコンバートしたこと、荒木雅博と井端弘和のアライバコンビを辛抱強く使い続けたこと、FAで谷繁元信を獲得して正捕手を強化したことなど、後の中日躍進の基礎を築いた人物でもある。


城島健司: 2000年は4月13日の対西武ライオンズ3回戦の8回の守備でファウルチップを受けて右手指を骨折し、84試合の出場にとどまったが、7月17日の対日本ハムファイターズ戦では3-3の同点の9回二死二塁の打席で岩本ツトムからサヨナラ安打、9月2日の対オリックス戦では4-4の同点の延長10回二死無走者の打席で平井正史からサヨナラ本塁打を放ち、チームはリーグ2連覇を果たし日本シリーズに出場。


高須洋介: 初安打:同上、5回表に平井正史から左前安打


平井正史の情報まとめ

もしもしロボ

平井 正史(ひらい まさふみ)さんの誕生日は1975年4月21日です。愛媛出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

現在、卒業、引退、父親、趣味に関する情報もありますね。今年の情報もありました。平井正史の現在の年齢は49歳のようです。

平井正史のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

平井 正史(ひらい まさふみ、1975年4月21日 - )は、愛媛県宇和島市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。

現役時代はNPBのオリックス・ブルーウェーブ(パシフィック・リーグ)、中日ドラゴンズ(セントラル・リーグ)で主力投手として活躍した。現在は、ブルーウェーブの後身球団であるオリックス・バファローズ投手コーチを務めている。

宇和島市の離島・九島で生まれ育ち、宇和島市立九島小学校・市立城南中学校を卒業した。宇和島東高校時代は1993年の甲子園に春夏連続出場を果たす。高校時代から既に球速150 km/h前後の速球投手として注目されていた。その後、ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブから1位指名を受け入団。当初は福岡ダイエーホークス入りを希望していたが、オリックス側の説得を受けて翻意した。

1994年、9月10日の対近鉄バファローズ戦、同点で迎えた9回裏無死満塁の場面でプロ初登板し、一死は取ったものの次の打者にサヨナラ犠牲フライを打たれるデビュー結果となった。その後は初勝利を挙げるなど8試合登板、1勝3敗の成績で終わった。

1995年、当時の投手コーチだった山田久志は先発投手としての育成を考えたが、監督の仰木彬の意向により、リリーフとして起用されることとなった。開幕から抑えとして活躍しオールスターゲーム出場。この年は15勝5敗27セーブを記録し、パ・リーグの最優秀救援投手と最高勝率のタイトルを獲得、リーグ新人王にも選出された。リーグ優勝を決めた9月19日の西武ライオンズ戦では、最後の打者吉竹春樹を一塁ゴロに抑え胴上げ投手になっている。ヤクルトスワローズとの日本シリーズにも登板したが、第2戦では勝ち越し本塁打、第3戦ではサヨナラ本塁打を打たれ2連敗し、シーズンのような活躍を見せることはできず、その後の登板機会はなくチームも日本一を逃した。

1996年、前年の登板過多から球が走らず苦しい投球が続き、抑えの座を鈴木平に明け渡す。終盤復調しリーグ連覇に貢献。読売ジャイアンツ(巨人)との日本シリーズでも、第一戦で前年記録できなかったセーブを記録。日本シリーズ制覇に貢献した。同年オフに投手コーチの山田は先発起用を懇願しチームを退団する。

1997年、前投手コーチの山田の希望通り、先発投手に転向。開幕から先発ローテーションに入り、第3戦目に登板したがスタミナ不足で長いイニングが投げられず、5月半ばに二軍(ウエスタン・リーグ)へ降格する。終盤に一軍復帰したが、同シーズンはわずか2勝に終わる。

1998年、中盤からセットアッパーとしてチームに貢献。終盤には先発ローテーションにも入り復調した。

1999年以降、右肘の怪我や不調のため、2002年までの4年間は勝ち星を挙げることができなかった。

2002年シーズン終了後(2003年1月)に山﨑武司との交換トレードで、山田が監督を務めていた中日ドラゴンズに移籍。2003年1月15日に入団会見を行った。背番号は36。

2003年は、開幕3戦目となる3月30日の対巨人戦(東京ドーム)で、移籍後初勝利を挙げた。この勝利はオリックス時代の1998年以来5年ぶりの勝利となった。この試合は序盤で中日が8-1と7点リードしていたが先発の野口茂樹が5回持たずに降板したことで、巨人に追い上げられ最終的に10-9と辛くも逃げ切っての勝利だった。この勝利でチームは開幕カードを2勝1敗で勝ち越した。平井は序盤はリリーフで結果を残し、後述するチーム事情もあり21試合目の登板となる5月22日の横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)から先発ローテーションに入った。6月13日の横浜戦(横浜スタジアム)ではオリックス時代の1998年以来5年ぶりに先発登板で勝利を挙げた。同時に、この勝利が中日移籍後先発初勝利となった。6月27日の巨人戦(ナゴヤドーム)では本拠地初勝利を挙げ、移籍後初めてヒーローインタビューを受けた。試合前に山田久志監督の休養が発表された9月9日の広島東洋カープ戦(しまなみ球場)ではプロ初完封勝利を挙げた。9月は4勝、3完投、防御率1.14の成績を残し、1995年以来8年ぶりに月間MVPを受賞した。チームが不振に喘ぎ、先発投手陣ではエースの川上憲伸、前年初の2桁勝利を挙げた朝倉健太らが故障で離脱するなど苦しい事情の中で勝ち星を重ね、40試合に登板し、初の規定投球回到達を達成してチームトップの12勝を挙げ、カムバック賞を受賞した。防御率3.06はリーグ2位の数字だった。

オフには新球シュートの取得を目指していることが報道された。

2004年は開幕4戦目の4月6日の巨人戦(ナゴヤドーム)でシーズン初先発したが、5回4失点で敗戦投手となった。5月1日の横浜戦(ナゴヤドーム)でシーズン初勝利。しかし、5月23日の横浜戦(横浜スタジアム)で左脇腹を痛め、7月7日に復帰するまで約1か月半戦線離脱した。

7月までは主に先発として登板していたが、8月4日の横浜戦(ナゴヤドーム)からはアテネオリンピックで抜けた岩瀬仁紀に代わり抑えを務めることとなった。8月8日の広島戦(広島市民球場)では6年ぶりにセーブを記録し、これが中日移籍後初セーブとなった。岩瀬がオリンピックから戻った後は中継ぎとして登板。最終的に38試合の登板で5勝6敗5セーブ、防御率3.93を記録し、リーグ優勝に貢献した。

中日移籍後初の西武との日本シリーズでは第2戦、第4戦、第7戦に登板。第2戦は1回を投げ無失点だったが、第4戦は勝ち試合ではあったものの中島裕之にソロ本塁打を打たれ、第7戦ではホセ・フェルナンデスに適時打、平尾博嗣にソロ本塁打を打たれ2失点するなどやや苦しみ、チームも50年ぶりの日本一を逃した。

7月までは防御率5点台だったものの、中継ぎ・抑えに回った8月以降は防御率1点台と安定した投球をしたことが評価され、オフの11月6日に2000万円増の年俸7000万円(自己最高年俸)で契約更改した。

2005年からは中継ぎ専任となった。この年のチームは阪神と終盤優勝争いをしていた。9月7日の阪神戦(ナゴヤドーム)では敗戦投手となったが、この試合は優勝争いをする意味で非常に大きな試合となった。9回に阪神が得点した際、2人目の走者中村豊が微妙な判定でアウトとなり、阪神監督の岡田彰布が抗議したが、覆らなかった。そしてその裏の中日の攻撃で走者が生還した際はアウトのタイミングになったが今度はセーフの判定で再び岡田が猛抗議し、今度は阪神の野手陣を引き上げさせた。没収試合寸前だったが、岡田は球団社長の説得を受け入れる形で試合は再開された。チームはその後追いつき、延長戦に突入した。自身は延長10回途中から登板し、イニングを跨ぎ11回も登板したが、9回にアウトになった中村に勝ち越し本塁打を打たれ、これが決勝点となった。この試合を境に阪神は勢いづいて2年ぶりのリーグ制覇を果たし、中日は一度は追い上げを見せるも阪神に及ばずリーグ連覇を逃した。この年は55試合に登板したが、防御率は3.83と安定したとは言い難かった。

2006年は自己最多の57試合に登板し、2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは第2戦と第5戦に登板し、いずれも無失点に抑えたが日本一にはなれなかった。同年オフの契約更改交渉では当初、球団から年俸9,300万円(前年比1,300万円増)を提示されたがこれを保留し、「中継ぎの評価が先発に比べて低い」という旨を述べていた。最終的に、年俸9,500万円(同1,500万円増)で更改した。同年オフに背番号を33に変更。

2007年は先発に再転向する予定だったが故障のため開幕二軍スタートとなった。結局は中継ぎのままとなったが5月に一軍昇格するとそのまま中継ぎに定着し、45試合に登板した。日本シリーズでは前年同様日本ハムとの対戦となったが、第3戦と第4戦の2試合に登板し無失点に抑えた。そしてチームの日本一に貢献した。

2008年はこれまでのような安定感がなく打ち込まれることもあり、二軍落ちを味わうなど37試合の登板に留まり9ホールドに留まり防御率も5点台となってしまった。

2009年は前年同様不振でこの年NPBに復帰した河原純一が積極起用されたことや先発で不振だった浅尾拓也が中継ぎに回ったこともあり、25試合の登板に終わった。

2010年は46試合に登板して防御率2点台の成績を残し、4年ぶりのリーグ優勝に貢献した。しかし、千葉ロッテマリーンズと対戦した日本シリーズでは第1戦に登板したものの井口資仁にソロ本塁打を打たれるなど2回2失点と不調でこれ以降の登板はなく日本一を逃した。

2011年は33試合の登板に終わった。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは第2戦で9回の1イニング抑えると延長10回に味方が勝ち越し、そのまま勝利したことで自身初の日本シリーズ初勝利を挙げた。日本シリーズはこの1試合だけの登板だけで2年連続でチームは日本一を逃している。

2012年は浅尾の不調もあったが先発から中継ぎ、抑えとフルに活躍した山井大介の存在もありわずか2試合の登板に終わり、10月2日に球団から戦力外通告を受けた。本人は「覚悟はしていた」と話し、現役続行を希望。同年11月9日に行われた12球団合同トライアウト(日本製紙クリネックススタジアム宮城)に参加したところ、古巣オリックスから誘いを受け、同球団の秋季キャンプで入団テストを受験。18日に松本幸大とともに合格が発表され、12月1日に11年ぶりの古巣復帰が発表された。

2013年は若手の佐藤達也などが台頭したこともあり、21試合にしか登板できなかったが限られた登板の中で自分の役割を果たした。

2014年はチームは優勝争いするも若手の台頭により1試合の登板に終わった。10月8日に同年限りでの現役引退を発表。同時に、2015年よりオリックスの二軍投手コーチに就任することが発表された。

2016年まで二軍投手コーチを務めたあと、2017年からは一軍投手コーチを務める。2020年8月21日に、中嶋聡二軍監督が一軍監督代行に就任することに合わせて、二軍投手コーチへと配置転換された。2021年からは育成コーチに配置転換となった。

若手時代は最高球速157 km/h、常時、150 km/hを出すストレートに落差のあるフォークでストッパーとして活躍し、当時の平井のボールは、「浮き上がる」「うなる」と打者に恐れられた。神戸を未曾有の大震災が襲い、「がんばろうKOBE」とユニホームの肩に縫い付けて戦ったこの1995年のシーズンに入団2年目の平井は、15勝27セーブの大活躍でオリックスのリーグ優勝、日本一へ貢献。新人王並びに最優秀救援賞を獲得した。

プロ初登板でサヨナラ負けを喫したことで試合後に本人は落ち込んでいたが、当時監督だった仰木彬に監督室に呼ばれると「これで北新地に行ってこい」と賞金をもらっている。負け試合で監督賞を貰ったのは後にも先にもこれが初めてで、後に「あれがあったからここまで来られた」と仰木への感謝の気持を口にしている。

プロ入り前は九島から船で四国の学校へ登校していたため、遅くまで練習していると九島への帰りの船の最終便時刻を過ぎてしまうことがあり、その際には父親に漁船で迎えに来てもらっていたという。1995年時点で、プロ野球選手としては珍しい4級小型船舶免許を所有していたことが報じられている。趣味は釣りで、自ら船を操縦して沖で釣りをすることもあったという。特技は水泳で、高校時代には野球部監督の上甲正典に夏の練習メニューとして水泳を取り入れるよう進言したこともある。

各年度の太字はリーグ最高

「-」は記録なし

通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す

最高勝率:1回(1995年)

最優秀救援投手:1回(1995年)

新人王(1995年) ※セーブ王との同時受賞は、パ・リーグでは他に三瀬幸司のみ

月間MVP:2回(投手部門:1995年6月、2003年9月)

最優秀バッテリー賞:1回(1995年 捕手:中嶋聡)

ファイアマン賞:1回(1995年)

IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回(1995年)

カムバック賞(2003年)

優秀JCB・MEP賞:1回(2003年)

サンスポMVP新人賞(1995年)

初登板:1994年9月10日、対近鉄バファローズ23回戦(藤井寺球場)、9回裏無死満塁に4番手で救援登板・完了、2/3回無失点

初奪三振:同上、9回裏に村上嵩幸から

初勝利:1994年9月15日、対日本ハムファイターズ26回戦(東京ドーム)、7回裏一死に3番手で救援登板・完了、2回2/3を無失点

初先発:1994年10月4日、対西武ライオンズ26回戦(グリーンスタジアム神戸)、5回無失点

初セーブ:1995年4月19日、対日本ハムファイターズ4回戦(グリーンスタジアム神戸)、8回表に2番手で救援登板・完了、2回無失点

初先発勝利:1997年4月24日、対西武ライオンズ6回戦(グリーンスタジアム神戸)、7回2/3を1失点

初完投勝利・初完封勝利:2003年9月9日、対広島東洋カープ24回戦(しまなみ球場)

初ホールド:2005年4月5日、対ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、8回裏に3番手で救援登板、1回無失点

初安打・初打点:2003年5月28日、対読売ジャイアンツ11回戦(ナゴヤドーム)、2回裏にゲーリー・ラスから右前適時打

500試合登板:2010年7月31日、対阪神タイガース14回戦(阪神甲子園球場)、10回裏二死に8番手で救援登板、1回1/3無失点 ※史上86人目

1球勝利投手:2007年7月31日、対広島東洋カープ11回戦(広島市民球場)、9回裏一死に石原慶幸を遊撃ゴロ併殺打 ※史上23人目(セ・リーグ13人目)

オールスターゲーム出場:1回(1995年)

33(1994年 - 2002年、2007年 - 2012年)

38(2003年移籍当初)

36(2003年 - 2006年、2013年 - 2014年)

72(2015年 - )

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^ “2004年度日本シリーズ 試合結果(第4戦)”. NPB(一般社団法人日本野球機構). 2022年5月5日閲覧。

^ “2004年度日本シリーズ 試合結果(第7戦)”. NPB(一般社団法人日本野球機構). 2022年5月5日閲覧。

^ “平井、自己最高!!7000万円 監督に感謝”. 中日スポーツ (2004年11月7日). 2005年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月5日閲覧。

^ 「平井、1億円に届かず保留」『名古屋日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞西日本、2006年12月10日、紙面から。オリジナルの2006年12月12日時点におけるアーカイブ。

^ “2006年度日本シリーズ 試合結果(第2戦)”. NPB(一般社団法人日本野球機構). 2022年5月5日閲覧。

^ “2006年度日本シリーズ 試合結果(第5戦)”. NPB(一般社団法人日本野球機構). 2022年5月5日閲覧。

^ 山本諭「平井「中継ぎ評価して」 先発転向に揺れる」『中日スポーツ』中日新聞社、2006年12月18日。オリジナルの2007年1月2日時点におけるアーカイブ。

^ 「平井が9500万円で更改」『名古屋日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞西日本、2006年12月26日、紙面から。オリジナルの2007年1月8日時点におけるアーカイブ。

^ “2007年度日本シリーズ 試合結果(第3戦)”. NPB(一般社団法人日本野球機構). 2022年5月5日閲覧。

^ “2007年度日本シリーズ 試合結果(第4戦)”. NPB(一般社団法人日本野球機構). 2022年5月5日閲覧。

^ “2010年度日本シリーズ 試合結果(第1戦)”. NPB(一般社団法人日本野球機構). 2022年5月5日閲覧。

^ “2011年度コナミ日本シリーズ 試合結果(第2戦)”. NPB(一般社団法人日本野球機構). 2022年5月5日閲覧。

^ “中日ドラゴンズ 公式サイト - ドラゴンズニュース ★来季の契約について”. 中日ドラゴンズ公式サイト. 2012年10月3日閲覧。

^ “平井、小笠原ら7人に戦力外通告…中日”. スポーツ報知大阪版 (2012年10月3日). 2012年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月3日閲覧。

^ “オリックスが平井ら獲得”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年12月1日). オリジナルの2012年12月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121203075729/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/12/01/kiji/K20121201004682420.html 2013年4月13日閲覧。 

^ 平井 引退&来季2軍投手コーチ就任 理想は恩師2人スポーツニッポン2014年10月10日配信

^ “平井投手コーチが1軍へ/オリックス来季の組閣一覧”. 日刊スポーツ. (2016年10月27日). https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/1730031_m.html 2021年12月12日閲覧。 

^ “コーチ配置転換のお知らせ”. オリックス・バファローズ (2020年8月20日). 2021年12月12日閲覧。

^ “オリックスが来季コーチ陣25人を発表 8人が新入閣”. ベースボールキング (2020年12月8日). 2021年12月12日閲覧。

^ “豪腕ストッパーのオリックス・平井が引退会見 「いつも前を向いていた」”. THE PAGE(ザ・ページ). (2014年10月9日). オリジナルの2014年10月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141013151615/https://thepage.jp/detail/20141009-00000002-wordleafs?page=1 2014年10月9日閲覧。 

^ 『現代ビジネス』2023年3月3日「プロ野球・裏面史探偵(23) 実は多い「離島」出身のプロ野球選手、その中で最も活躍したのは誰か」(講談社 二宮清純)

^ “【ファン交歓会一問一答】原口、関西弁の女性「いいと思います」(画像6)歴代サンスポMVP大賞、新人賞の受賞者”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). (2016年11月23日). https://www.sanspo.com/gallery/20161122-JEYGFEERFFNUPIAFIRRQJ3A66A/ 2017年9月8日閲覧。 

^ “初安打初打点 平井”. 中日スポーツ (2003年5月29日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月3日閲覧。

愛媛県出身の人物一覧

オリックス・バファローズの選手一覧

中日ドラゴンズの選手一覧

個人年度別成績 平井正史 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube

71 岸田護

88 水本勝己(ヘッド)

87 齋藤俊雄(戦略)

75 厚澤和幸(投手)

77 比嘉幹貴(投手)

78 嶋村一輝(打撃)

82 川島慶三(打撃)

83 安達了一(内野守備・走塁)

70 松井佑介(外野守備・走塁)

74 山崎勝己(バッテリー)

81 波留敏夫(監督)

76 風岡尚幸(ヘッド)

89 小林宏(育成チーフ)

73 牧野塁(投手)

72 平井正史(投手)

85 髙橋信二(打撃)

79 福川将和(打撃)

80 小島脩平(内野守備・走塁)

86 由田慎太郎(外野守備・走塁)

97 松井雅人(バッテリー)

90 小田裕也(育成)

91 飯田大祐(育成)

84 鈴木昂平(育成)

00 エスピノーザ

11 山下舜平大

12 東晃平

13 宮城大弥

14 宇田川優希

15 椋木蓮

16 平野佳寿

17 曽谷龍平

19 山岡泰輔

20 阿部翔太

21 山﨑颯一郎

22 村西良太

23 吉田輝星

26 齋藤響介

28 富山凌雅

29 田嶋大樹

35 比嘉幹貴

42 マチャド

43 前佑囲斗

46 本田仁海

48 東松快征

52 横山楓

54 カスティーヨ

56 小木田敦也

57 山田修義

58 井口和朋

59 ペルドモ

63 河内康介

66 鈴木博志

93 佐藤一磨

94 川瀬堅斗

95 才木海翔

96 髙島泰都

97 古田島成龍

98 権田琉成

2 若月健矢

4 森友哉

32 福永奨

37 石川亮

44 頓宮裕真

62 堀柊那

3 安達了一

5 西野真弘

6 宗佑磨

8 ゴンザレス

9 野口智哉

10 大城滉二

24 紅林弘太郎

25 内藤鵬

30 廣岡大志

31 太田椋

34 横山聖哉

36 山足達也

40 セデーニョ

53 宜保翔

64 大里昂生

67 中川圭太

0 渡部遼人

1 福田周平

7 西川龍馬

27 元謙太

33 杉澤龍

38 来田涼斗

39 池田陵真

41 佐野皓大

50 小田裕也

55 T-岡田

61 茶野篤政

99 杉本裕太郎

032 入山海斗

041 寿賀弘都

042 大江海透

043 宮國凌空

044 芦田丈飛

130 小野泰己

034 村上喬一朗

045 河野聡太

126 香月一也

1950 荒巻淳

1951 蔭山和夫

1952 中西太

1953 豊田泰光

1954 宅和本司

1955 榎本喜八

1956 稲尾和久

1957 木村保

1958 杉浦忠

1959 張本勲

1961 徳久利明

1962 尾崎行雄

1965 池永正明

1967 高橋善正

1969 有藤通世

1970 佐藤道郎

1971 皆川康夫

1972 加藤初

1973 新美敏

1974 三井雅晴

1975 山口高志

1976 藤田学

1977 佐藤義則

1978 村上之宏

1979 松沼博久

1980 木田勇

1981 石毛宏典

1982 大石大二郎

1983 二村忠美

1984 藤田浩雅

1985 熊野輝光

1986 清原和博

1987 阿波野秀幸

1988 森山良二

1989 酒井勉

1990 野茂英雄

1991 長谷川滋利

1992 高村祐

1993 杉山賢人

1994 渡辺秀一

1995 平井正史

1996 金子誠

1997 小坂誠

1998 小関竜也

1999 松坂大輔

2001 大久保勝信

2002 正田樹

2003 和田毅

2004 三瀬幸司

2005 久保康友

2006 八木智哉

2007 田中将大

2008 小松聖

2009 攝津正

2010 榊原諒

2011 牧田和久

2012 益田直也

2013 則本昂大

2014 石川歩

2015 有原航平

2016 高梨裕稔

2017 源田壮亮

2018 田中和基

2019 高橋礼

2020 平良海馬

2021 宮城大弥

2022 水上由伸

2023 山下舜平大

1974 佐藤道郎

1975 村田兆治

1976 佐藤道郎

1977 江夏豊

1978 山口高志

1979 金城基泰

1980 金城基泰

1981 江夏豊

1982 江夏豊

1983 森繁和

1984 山沖之彦

1985 石本貴昭

1986 石本貴昭

1987 牛島和彦

1988 吉井理人

1989 井上祐二

1990 鹿取義隆

1991 武田一浩

1992 赤堀元之

1993 赤堀元之

1994 赤堀元之

1995 平井正史

1996 赤堀元之, 成本年秀

1997 赤堀元之

1998 大塚晶文

1999 B.ウォーレン

2000 R.ペドラザ

2001 R.ペドラザ

2002 豊田清

2003 豊田清

2004 三瀬幸司, 横山道哉

2005 小林雅英

2006 MICHEAL

2007 馬原孝浩

2008 加藤大輔

2009 武田久

2010 B.シコースキー

2011 武田久

2012 武田久

2013 益田直也

2014 平野佳寿

2015 D.サファテ

2016 D.サファテ

2017 D.サファテ

2018 森唯斗

2019 松井裕樹

2020 増田達至

2021 益田直也

2022 松井裕樹

2023 松井裕樹

2024 則本昂大

1950 野村武史

1951 中谷信夫

1952 柚木進

1953 大神武俊

1954 西村貞朗

1955 中村大成

1956 植村義信

1957 稲尾和久

1958 秋本祐作

1959 杉浦忠

1960 小野正一

1961 稲尾和久

1962 皆川睦男

1963 田中勉, 森中千香良

1964 J.スタンカ

1965 林俊彦

1966 皆川睦男

1967 石井茂雄

1968 村上雅則

1969 清俊彦

1970 佐々木宏一郎

1971 山田久志

1972 佐藤道郎

1973 八木沢荘六

1974 竹村一義

1975 鈴木啓示, 野村収

1976 山田久志

1977 稲葉光雄

1978 山田久志

1979 山田久志

1980 木田勇

1981 間柴茂有

1982 工藤幹夫

1983 高橋直樹

1984 石川賢

1985 石本貴昭

1986 渡辺久信

1987 工藤公康

1988 郭泰源

1989 星野伸之

1990 野茂英雄

1991 工藤公康

1992 石井丈裕

1993 工藤公康

1994 郭泰源

1995 平井正史

1996 星野伸之

1997 西口文也

1998 黒木知宏

1999 篠原貴行

2000 小野晋吾

2001 田之上慶三郎

2002 J.パウエル

2003 斉藤和巳

2004 岩隈久志

2005 斉藤和巳

2006 斉藤和巳

2007 成瀬善久

2008 岩隈久志

2009 ダルビッシュ有, 杉内俊哉

2010 杉内俊哉

2011 田中将大

2012 攝津正

2013 田中将大

2014 岸孝之

2015 大谷翔平

2016 和田毅

2017 千賀滉大

2018 M.ボルシンガー

2019 山岡泰輔

2020 石川柊太

2021 山本由伸

2022 山本由伸

2023 山本由伸

2024 伊藤大海

1991 工藤公康 - 伊東勤

1992 石井丈裕 - 伊東勤

1993 金石昭人 - 田村藤夫

1994 吉田豊彦 - 吉永幸一郎

1995 平井正史 - 中嶋聡

1996 西口文也 - 伊東勤

1997 西口文也 - 伊東勤

1998 西口文也 - 伊東勤

1999 工藤公康 - 城島健司

2000 吉田修司 - 城島健司

2001 田之上慶三郎 - 城島健司

2002 豊田清 - 伊東勤

2003 斉藤和巳 - 城島健司

2004 三瀬幸司 - 城島健司

2005 渡辺俊介 - 里崎智也

2006 斉藤和巳 - 的場直樹

2007 成瀬善久 - 里崎智也

2008 岩隈久志 - 藤井彰人

2009 涌井秀章 - 銀仁朗

2010 杉内俊哉 - 田上秀則

2011 田中将大 - 嶋基宏

2012 吉川光夫 - 鶴岡慎也

2013 田中将大 - 嶋基宏

2014 金子千尋 - 伊藤光

2015 大谷翔平 - 大野奨太

2016 石川歩 - 田村龍弘

2017 菊池雄星 - 炭谷銀仁朗

2018 多和田真三郎 - 森友哉

2019 増田達至 - 森友哉

2020 千賀滉大 - 甲斐拓也

2021 山本由伸 - 若月健矢

2022 山本由伸 - 若月健矢

2023 山本由伸 - 若月健矢

2024 有原航平 - 甲斐拓也

1974 石岡康三

1975 安仁屋宗八

1976 船田和英

1977 浅野啓司

1978 野村収

1979 三村敏之

1980 谷沢健一

1981 藤田平

1984 鈴木孝政

1986 津田恒実

1987 杉浦享, 新浦壽夫

1988 有田修三

1989 西本聖, 中尾孝義

1990 吉村禎章, 遠藤一彦

1992 伊東昭光

1993 川崎憲次郎

1994 彦野利勝

1996 加藤伸一

1997 伊藤智仁

1998 斎藤隆

1999 遠山奬志

2000 種田仁

2001 成本年秀

2002 前田智徳

2003 平井正史, 鈴木健

2004 小久保裕紀

2008 平野恵一

2012 大竹寛

2015 館山昌平

2017 岩瀬仁紀

2018 松坂大輔

1位:平井正史

2位:三輪隆(逆指名)

3位:斉藤秀光

4位:福留宏紀

日本の野球選手

愛媛県立宇和島東高等学校出身の野球選手

オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手

中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手

最多セーブ投手及び最優秀救援投手 (NPB)

パシフィック・リーグ最優秀新人 (NPB)

最高勝率 (野球)

カムバック賞 (NPB)

NPBオールスターゲーム選出選手

日本の野球指導者

愛媛県出身のスポーツ選手

1975年生

存命人物

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野球に関する記事

プロジェクト人物伝項目

ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

2024/11/17 11:20更新

hirai masafumi


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平井 真軌(ひらい まき、1969年1月4日 - )は、京都府出身の俳優。仕事(無名塾)所属。 身長178cm。体重77kg。血液型A型。特技はアメリカンフットボール、野球、殺陣。金沢大学卒業。 …

平井 雅幸(ひらい まさゆき)
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平井 雅幸(ひらい まさゆき、1964年5月26日 - )は、テレビ岩手開発センターの代表取締役社長。以前はテレビ岩手の営業局販促事業部長。元同局アナウンサー。通称は「雅さん」。 この節は検証可能な…


平井 正穂(ひらい まさお)
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平井 正穂(ひらい まさお、1911年12月10日 - 2005年2月24日)は、日本の英文学者。東京大学名誉教授。斎藤勇の娘婿。 福岡県久留米市に生まれ、福岡市で育つ。旧制第八高等学校卒業後、19…

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平井 理央(ひらい りお、1982年11月15日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント。元フジテレビアナウンサー。所属事務所は、姉が代表を務めるマネジメント会社 deJaneiro(デジャネイ…

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平井 沙知(ひらい さち、1984年2月8日 - )は、日本のグラビアアイドル、元レースクイーンである。プラチナムプロダクションに所属していたが現在は退所している。 石川県出身。 身長168cm、B…

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平井 麗奈(ひらい れな、1991年12月12日 - )は、神奈川県横浜市出身のラジオDJ、女優、ダンサー。プラスプラス所属。 身長157cm。 小学2年の時に、ダンサーへの道を志すべく、ジャズダン…

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1935年9月9日生まれの有名人 東京出身

平井 道子(ひらい みちこ、1935年〈昭和10年〉9月9日 - 1984年〈昭和59年〉7月3日)は、日本の女優、声優。東京都出身。テアトル・エコー所属。 10歳頃からNHK専属の童謡歌手として活…


平井 佳織(ひらい かおり)
1986年9月13日生まれの有名人 神奈川出身

平井 佳織(ひらい かおり、1986年9月13日 - )は、日本の女優・タレント・モデル、フリーアナウンサー。SHUプロモーション所属。かつてはセントラルグループ・セントラルプロダクションやエヴォルト…

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1978年7月16日生まれの有名人 京都出身

平井 直人(ひらい なおひと、1978年7月16日 - )は、京都府出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー(GK)。 京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)下部組織出身…

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1987年12月4日生まれの有名人 徳島出身

平井 将生(ひらい しょうき、1987年12月4日 - )は、徳島県徳島市出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 地元の徳島県でサッカーを始め、高校進学の際プロサッカー選手になるべく、中…

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平井 隆博(ひらい たかひろ)
1954年3月28日生まれの有名人 福岡出身

平井 隆博(ひらい たかひろ、1954年3月28日 - )は、日本の男性俳優、声優、音響監督。福岡県出身。惟プロダクション所属。以前は三船プロダクション、ぱらーた企画、九プロダクションに所属していた。…


平井 誠一(ひらい せいいち)
1967年8月18日生まれの有名人 広島出身

平井 誠一(ひらい せいいち、1967年8月18日 - )は、日本の男性声優、ナレーター。広島県出身。東京俳優生活協同組合所属。 盈進高等学校を卒業後、俳協養成所16期生を経て東京俳優生活協同組合に…

平井 啓二(ひらい けいじ)
1979年2月15日生まれの有名人 東京出身

平井 啓二(ひらい けいじ、1979年2月15日 - )は、日本の男性声優、ナレーター。東京都出身。青二プロダクション所属。 青二塾東京校19期生卒業後、2002年より青二プロダクションに声優として…

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