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金子千尋の情報 (かねこちひろ)
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【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

金子千尋の情報(かねこちひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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金子 千尋さんについて調べます

■名前・氏名
金子 千尋
(読み:かねこ ちひろ)
■職業
野球選手
■金子千尋の誕生日・生年月日
1983年11月8日 (年齢41歳)
亥年(いのしし年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
長野出身

(昭和58年)1983年生まれの人の年齢早見表

金子千尋と同じ1983年生まれの有名人・芸能人

金子千尋と同じ11月8日生まれの有名人・芸能人

金子千尋と同じ出身地長野県生まれの有名人・芸能人


金子千尋と関係のある人

横山徹也: オリックス時代には、下山真二、大引啓次、金子千尋など、歴代のチームメイトのブログに登場し、「ゴンゾウ」の愛称で選手やファンに親しまれていた。


吉良俊則: 同年1月の新人合同自主トレーニングから新人・若手選手を指導したほか、馬原孝浩のストレッチや、金子千尋・西野真弘のリハビリなども担当した。


金子洋平: 初打点:同上、9回表に金子千尋から三塁ゴロの間に記録


上野弘文: 社会人時代は安藤優也、川岸強、金子千尋、吉見一起らと同僚であった。


山本由伸: 2018年の金子千尋の6億円を上回り、球団史上最高年俸となった。


本多雄一: 10月18日の対オリックス戦で初回に金子千尋・鈴木郁洋のバッテリーから二盗を決め、自己最多となるシーズン60盗塁を達成した。


薮田和樹: 2017年は、開幕一軍入りし当初はリリーフだったが、交流戦から先発に転向し、6月13日のオリックス・バファローズ戦(三次)では金子千尋と投げ合い8回を無失点に抑え、8月12日の巨人戦(マツダスタジアム)では菅野智之との投げ合いを1対0で制し、プロ入り初の完封勝利。


川岸強: 金子千尋とは同期入社。


山本由伸: 2019年は本人の希望に加えて、前年オフに金子千尋・西勇輝が移籍したチーム事情もあり、先発へ再転向。


大田泰示: 4月24日のオリックス戦から「2番・右翼手」として出場し、金子千尋から2打席連続本塁打を打った。


若月健矢: 2017年、開幕戦となる3月31日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(京セラドーム大阪)では、金子千尋とのバッテリーで初の開幕スタメンを勝ち取った。


大引啓次: 2010年は開幕戦に九番・遊撃手として出場し、3回裏に岩隈久志から同年のチーム初打点となる先制適時打を打ち、完封勝利を挙げた金子千尋と共に試合後にヒーローインタビューを受けた。


白仁田寛和: オリックスが白仁田を獲得した背景には、前年(2013年)にウエスタン・リーグで2つのタイトルを獲得したほどの潜在能力の高さを評価したことに加えて、エースの金子千尋が国内FA権の行使によって他球団へ移籍した場合に備えて先発要員の補強を図っていたことによる。


山崎勝己: 金子千尋や中盤からは山岡泰輔とバッテリーを組み、最終盤まで帯同しオリックス移籍後最多の81試合に出場した。


クレイグ=ブラゼル: この時の相手先発投手は金子千尋で、西武・阪神に続きロッテでも入団して最初の対戦相手が金子となった。


山岡泰輔: その後もリリーフ登板を重ねていたが、8月15日の西武戦に先発予定だった金子千尋が首から背中にかけての強い張りで前日に登録抹消となり、急遽先発すると6回2失点で勝利投手。


松田宣浩: 高校卒業後、宣浩は亜細亜大学へ進学、兄はトヨタ自動車野球部に所属(金子千尋と同期入社であり、高卒での入社はこの2人のみ)し、初めて兄とは別のチームに所属することとなる。


吉村裕基: 6月17日には横浜スタジアムで行われた対オリックス戦で1番右翼手で出場し、2点ビハインドの6回無死三塁の場面で金子千尋が初球に投じた変化球をセンターへ運び同点2点本塁打とすると、これにより2009年4月7日の井口資仁に続く日本プロ野球史上8人目となる「全打順での本塁打」を達成した。


柳瀬明宏: 4月14日京セラドーム大阪で行われた対オリックス戦で8回同点二死二塁から登板、4者連続の凡退とすると10回に金子千尋の押し出し四球、暴投により2点の援護を得て、レギュラーシーズンでのプロ入り初勝利を挙げた。


坪井智哉: 現役引退後、週刊ベースボールのインタビューにて「今まで対戦したなかでNo.1の投手は?」という質問に、「松坂大輔や金子千尋など素晴らしい投手はたくさんいたが、特に斉藤和巳は負けない投手で、彼の背中から炎が見えるようだった」「マウンド上に立っている斉藤は背後に何かが見える感じ」「彼がどのような気持ちで投げていたか分からないですけど、すごく伝わるものがありました。


菅野智之: また、選考基準を全て満たしたのは2013年の金子千尋以来5年ぶり、選考基準を全て満たしてでの受賞は2011年の田中将大以来7年ぶり、セ・リーグでの全選考基準達成者は1993年の今中慎二以来25年ぶりとなった。


中田翔: 夏場には金子千尋、涌井秀章、和田毅、田中将大らエース級の投手から立て続けに本塁打を打ったが、9月に入ると調子を落とし、最終的には打率.233、9本塁打、22打点に終わった。


加藤大輔: 8月25日の北海道日本ハムファイターズ戦で3点リードを守れず1/3回5失点と打ち込まれた後は中継ぎに配置転換され、金子千尋が抑えを任された。


松田宣浩: 7月5日の対オリックス・バファローズ戦(ほっともっとフィールド神戸)では公式戦では自身初の1イニング2安打、同月12日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)では公式戦通算1000試合出場、8月11日の対オリックス・バファローズ戦(福岡ヤフオク!ドーム)では金子千尋から公式戦通算150本塁打を達成。


中山慎也: クライマックスシリーズ進出が差し掛かった場面では監督の岡田彰布から金子千尋・寺原隼人に並ぶ先発3本柱とまで評価された。


岩隈久志: 2010年、オリックスとの開幕戦では5安打1失点完投の好投を見せるも、打線が金子千尋に4安打完封と抑えこまれ、敗戦投手となった。


平沼翔太: 初打席:同上、8回裏に金子千尋から空振り三振


飯塚悟史: 初打席:2017年6月19日、対オリックス・バファローズ3回戦(横浜スタジアム)、3回裏に金子千尋から投犠打


近澤昌志: 2回戦の長野商高戦では、金子千尋と対戦している。


榊原翼: 2勝2敗、防御率2.28と結果を残し、かつ金子千尋などの一軍先発陣に離脱が相次いだため、9月に先発として再昇格。


金子千尋の情報まとめ

もしもしロボ

金子 千尋(かねこ ちひろ)さんの誕生日は1983年11月8日です。長野出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

現在、父親、テレビ、引退、卒業、結婚、母親に関する情報もありますね。今年の情報もありました。金子千尋の現在の年齢は41歳のようです。

金子千尋のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

金子 千尋(かねこ ちひろ、1983年11月8日 - )は、新潟県三条市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。現在は北海道日本ハムファイターズのファーム投手コーチ。

2019年から2021年までの登録名は金子 弌大(かねこ ちひろ)。

三条市桜木町で生まれ、4歳年上の姉がいる。本成寺保育園を経て三条市立南小学校に入学、3年生まで同校に通学していた。千尋は自著で、幼少期はサッカーに熱中していた旨を述べているが、同市の地元紙『三條新聞』は、同市に住んでいたころから野球が大好きだったという旨を報じている。

NTTに勤めていた父親の転勤に伴い、小学4年への進級時に長野市立朝陽小学校に転校する。少年野球が盛んな地域だったことから、朝陽小5年生の時、野球に本格的に取り組むようになり、地元の石渡育成会少年野球倶楽部に投手として入団し、左打ちを始めた。当時は長野の小学生にとって、自宅で観戦できるプロ野球のテレビ中継は読売ジャイアンツの試合が中心だったため、自然と巨人の選手に注目するようになったが、当時は投手よりも打者(緒方耕一・高橋由伸ら)に憧れた。

長野市立長野東部中学校に進学後は長野北シニアリーグに所属し、エースとして活躍。また、このころからプロ野球選手になることを意識するようになる。中学在学時から長野県内の野球強豪校の数校から勧誘されたが、長野商業高校の野球部監督から「創立100周年に一緒に甲子園をめざそう」と言われたことを意気に感じ、同校に進学した。

高校進学後は自宅から40分かけて通学し、夜遅くまで練習して21 - 22時に帰宅する毎日を送った。毎日の走り込みで体力の向上に努め、3年生が引退した1年秋の第101回北信越高校野球大会1回戦でリリーフとして初登板を果たし、5回を1失点に抑える。当初は2年生のエースに続くリリーフとして登板していたが、同大会の県予選準々決勝で初先発すると、東海大学第三高校(前年のセンバツ出場校)を1失点完投で退け、注目を浴びる。そして、実質的に甲子園への切符を賭けた試合となった高岡第一高校(富山県)との準決勝で先発登板すると、延長12回、141球を完投し、6被安打・14奪三振の快投で勝利投手となった。当時は身長174cm、体重60kgと細身ではあったが、最高球速134km/hの速球に、得意のスライダーを織り交ぜた投球を武器にしていた。これにより、甲子園出場を確実なものとしたチームは決勝へ進出したが、金子自身は決勝戦では登板はなく、敦賀気比の2年生バッテリー内海哲也と李景一の前に、チームは零封に終わる。2年時の2000年春に第72回選抜高等学校野球大会へ出場。2回戦で、近澤昌志・平野佳寿などを擁する鳥羽高校に敗れた。夏の選手権長野大会では、2年時に準優勝。3年時には2回戦で7回参考ながらノーヒットノーランを記録したが、準決勝で12奪三振を記録しながら塚原青雲高校に敗れた。高校時代から、後に入団するオリックス(当時の球団名は「オリックス・ブルーウェーブ」)のスカウトを務めていた熊野輝光が、千尋の投球に注目しており、特にカーブを高く評価していた。

高校卒業後に、社会人野球のトヨタ自動車へ入社。入社3年目の2004年にクローザーとして頭角を現し、都市対抗野球大会でも好投した。

2004年11月17日に行われたNPBドラフト会議で当時、存在していた自由獲得枠を通じてオリックス・バファローズに入団。大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併によって誕生したオリックス・バファローズが最初に獲得した新入団選手の1人となった。この会議は、前述の合併および東北楽天ゴールデンイーグルスの新規参入によるプロ野球再編問題の渦中に開かれたため、オリックス・バファローズは直前まで参加を危ぶまれていた。

ルーキーの2005年には一軍公式戦での登板機会はなかった。二軍(サーパス神戸)の一員として、ウエスタン・リーグ公式戦12試合に登板。勝敗は付かなかったが、防御率0.69という好成績を残した。

2006年は、中継ぎを中心に、一軍公式戦21試合に登板。4月12日の対西武ライオンズ戦(スカイマークスタジアム)に救援で一軍公式戦初勝利を挙げると、7月1日の同カード(インボイスSEIBUドーム)で一軍初先発。救援では、9試合連続無失点も記録した。

2007年は、一軍の中継ぎ要員として公式戦の開幕を迎えた。開幕当初は不振だったが、右肘の故障でプロ入り後に実戦での投球を控えていたカットボールを、セ・パ交流戦の期間中から再び投げ始めたことを機に復調。8月には、再び先発に転向した8月18日の対西武戦で先発初勝利を挙げると、8月26日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(京セラドーム大阪)で一軍初完封を記録した。結局、一軍公式戦では、先発転向後6連勝でシーズンを終了。この結果に、一軍監督のテリー・コリンズは、シーズン終了後に「もう少し早く先発で使うべきだった」と絶賛した。なお、この年には、高校の同級生と結婚している。

2008年は、1月に第1子(長男)が誕生。公式戦では、自身初の開幕投手に指名されると、7回1失点10奪三振で勝利投手になった。以降は、平野佳寿やトム・デイビーが故障で離脱したことを背景に、先発ローテーションの軸に定着。しかし、4月下旬からセ・パ交流戦の序盤まで精彩を欠いたため、交流戦の途中から救援要員に回った。リーグ戦の再開後に先発に復帰すると、7月には4戦4勝、防御率1.38の成績でパシフィック・リーグの投手部門月間MVPを初受賞。9月7日の対西武戦で自身初のシーズン10勝目に到達すると、4点近い防御率ながら、チーム9年ぶりのAクラス入り・クライマックスシリーズ初進出に貢献した。一軍公式戦では、小松聖に次ぐチーム2位の投球回数で、自身初の規定投球回に到達。リーグ8位の126奪三振を記録する一方で、被安打数・被本塁打数がリーグ2位に達したほか、好不調の波が激しかった。

2009年は、一軍公式戦で2年連続の開幕投手を逃したものの、開幕から先発陣の一角を担った。開幕直後はやや不調だったが、5月5日の対福岡ソフトバンクホークス戦では、自身2年ぶりの完投勝利を記録。チーム全体で4勝しか挙げられなかった6月には、1人で3勝を稼いだ。オールスターゲームには、パシフィック・リーグの監督推薦選手として初出場。第2戦では、3回を無失点に抑えたことで、ベストピッチャー賞を受賞した。8月22日の対楽天戦では、2試合連続完封勝利を挙げるとともに、星野伸之以来球団史上12年ぶりの2年連続2桁勝利を達成した。その一方で、9月からは、不調の加藤大輔に代わってクローザーに転向。9月12日の対西武戦では、シーズン初セーブを挙げるとともに、チームの連敗を6で止めた。一軍公式戦全体では、11勝8敗4セーブ、防御率2.57と165奪三振(いずれもリーグ5位)を記録。また、前年から被安打数と被本塁打数を減らした。

2010年は、3月20日の楽天との開幕戦(京セラドーム大阪)で自身2年ぶりの開幕投手を務めると、被安打4で無四球完封勝利を挙げた。しかし、5月21日の対阪神タイガース戦で8点リードの5回表に一挙5点を失って降板するなど、6月までは試合中盤に突如大量失点を喫することが相次いだ。しかし7月には、7月1日の対楽天戦・7月8日の対西武戦・7月14日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)で、パ・リーグタイ記録となる3試合連続完封を記録。3試合連続完封を達成したのは球団では米田哲也以来45年ぶりとなった。同月から2か月連続での登板5試合全勝と月間MVP選出を経て、9月20日の対日本ハム戦まで13連勝を達成。自己最多にして、球団では1993年の野田浩司以来の17勝でシーズンを終えるともに、最多勝利のタイトルを和田毅(ソフトバンク)と分け合った。また、自身初の200投球回数へ到達するとともに、自己最多の190奪三振、7完投6完封を記録。3完封を挙げた楽天戦、2完封を挙げた西武戦はいずれも5勝ずつ、防御率1点台という好成績を残した一方で、ロッテ戦では2勝5敗、防御率6.18と苦しんだ。シーズン終了後には、推定年俸1億5000万円で契約を更改。チームの投手では唯一、年俸が1億円を超えた。

2011年は、春季キャンプ中に右肘の違和感を訴えたことから、2月9日に右肘遊離軟骨除去手術を受けた。5月5日に阪神とのウエスタン・リーグ公式戦で実戦復帰を果たすと、一軍に復帰した6月5日の同カードでは、6回3失点でシーズン初勝利を記録。その一方で、8月23日の対西武戦では、プロ入りワーストの8失点で敗戦投手となった。9月には、4戦3勝で防御率0.25(自責点1)、リーグトップの2完封を含む3完投勝利で自身4度目の月間MVPに選出。レギュラーシーズン最終戦であった10月18日の対ソフトバンク戦で、チームのクライマックスシリーズ進出を賭けて先発を託されたが、6回4失点で敗戦投手になった。しかし、レギュラーシーズンでは、開幕に出遅れながらも規定投球回数に到達。自己最高の防御率2.43・WHIP1.06を記録するとともに、10勝4敗という成績で4年連続のシーズン2桁勝利を達成した。

2012年は、春季キャンプ中とオープン戦中に右上腕部の張りを訴えたうえに、オープン戦中に腰痛も発症したことから、当初予定していた開幕戦での登板を回避。本拠地・京セラドーム大阪での初戦(4月6日の対楽天戦)でシーズン初登板を果たした後に、二軍での調整を経て、5月8日の対ソフトバンク戦でシーズン初勝利を挙げた。しかし、6月22日の練習中に右肘の張りを訴えたため、翌23日に予定していた対西武戦の先発を回避。その後の検査で右肘内側部の炎症と診断されたため、出場選手登録を再び抹消された。レギュラーシーズン終了間際の10月5日に、対ソフトバンク戦で一軍復帰を果たすと、7回無失点の好投でシーズン4勝目を挙げた。前述した故障の影響で、一軍公式戦への登板は9試合しかなく、連続2桁勝利も4シーズンで止まった。

2013年は、右前腕部回内筋の炎症で春季キャンプを途中で離脱。その影響でオープン戦に登板しなかったものの、自身2年ぶり・3度目の開幕投手を務めた。レギュラーシーズンでは、戦線を離れることなく、一軍公式戦で2010年以来2度目の200投球イニングに到達。投球回数・完投数・登板数・奪三振はリーグトップ、勝ち星、防御率はリーグ2位、勝率はリーグ3位の好成績で最多奪三振を獲得。2011年のダルビッシュ有・田中将大以来2年ぶりに沢村賞の選考全7項目を満たした。しかし、完投数で選考基準を下回りながら、NPB公式戦史上4人目のシーズン無敗で最多勝、最高勝率、最優秀防御率を挙げた田中が沢村賞を受賞した。7項目の内、勝ち星(金子15、田中24)、勝率(金子.652、田中1.000)、防御率(金子2.01、田中1.27)は田中が上、奪三振(金子200、田中183)、完投数(金子10、田中8)、登板数(金子29、田中28)、投球回数(金子223回1/3、田中212回)は金子が上で、以上の項目で沢村賞を選考するようになった1982年以降で、全項目を満たした投手が受賞できなかった事例は、同年の江川卓、2008年・2011年のダルビッシュに続いて、この時の金子が4例目である。また、この年の金子への得点援護率がリーグワーストの3.18だった。シーズン終了後の秋季キャンプ最終日(11月16日)には、一軍監督の森脇浩司が、金子に翌2014年の開幕投手を通達。12月20日の契約更改では、球団からの複数年契約の提示を固辞しながらも、推定年俸2億円・1年契約で残留を決めた。

2014年は、3月上旬にインフルエンザへの感染で一時チームから離れたものの、前年末の指名通りに日本ハムとの開幕戦(3月28日・札幌ドーム)で先発。4月には、4日の対西武戦(西武ドーム)に自己最多の14奪三振による完封でシーズン初勝利を挙げると、26日の対楽天戦(京セラドーム大阪)では14奪三振・1被安打の完封勝利を記録した。メジャーリーグ(MLB)4球団のスカウトが視察した5月24日の対広島戦(ほっともっとフィールド神戸)では、7回裏の打席に前田健太からの二塁打で一軍初打点を記録すると、8回無失点の内容で前田との投げ合いにも勝利。5月31日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(京セラドーム大阪)では、先発で9回を4与四球1失策の無安打無得点に抑えた。しかし、0対0で迎えた9回裏一死二塁で迎えた自身の打席で、代打に駿太を送られ交代。その後チームは得点できず試合が延長戦に突入したため、単独でのノーヒットノーラン達成を逃した(詳細後述)。9回まで無安打無得点ながらノーヒットノーラン達成を逃した投手はNPB史上11人目、9回以上を無安打無得点で降板した投手は2人目であった。レギュラーシーズン全体では、16勝で最多勝利、防御率1.98で最優秀防御率のタイトルを獲得。前年に逃した沢村賞を、チーム史上初めて受賞したほか、チームはリーグ優勝を逃したものの最優秀選手に選ばれた。オリックスの選手が最優秀選手に選ばれた事例は、チームが日本シリーズを制した1996年のイチロー以来であった。

オフの11月に日本で開催された日米野球2014の日本代表に選出された。第2戦で先発登板した。また、「アメリカの球場の雰囲気に昔から憧れていた」として、MLBへ挑戦する意向があることを明言した。シーズン中に国内FA権の取得要件を満たしたことから、国内FA権を行使したうえでオリックスへ残留した後に、MLB球団への移籍に向けて球団にポスティングシステムの行使を容認する可能性が一時は報じられた。しかし、11月29日に右肘骨棘こつきょくの除去手術を受けたことから、MLB球団への移籍をひとまず断念。12月24日には、4年契約・推定年俸総額20億円に出来高分を加えた条件で残留することを表明した。

2015年は、前年末に右肘を手術したことや、オープン戦期間中に患部のリハビリで戦線を離脱したことから、一軍公式戦では開幕戦の登板を回避。5月23日の対ロッテ戦に先発で実戦復帰を果たしたが、清田育宏に満塁本塁打を打たれるなど6点を失った末に、プロ入り後最短タイ記録の3回でKO。7月には、5日の対ソフトバンク戦(ほっともっとフィールド神戸)で、自己ワーストタイ記録の8失点を喫して降板。球団通算1万試合目の公式戦であった同月13日の対ロッテ戦(京セラドーム大阪)では、8回3分の2を3失点という好投で、チームに勝利をもたらした。しかし、先発で登板した9月2日の対楽天戦(楽天koboスタジアム宮城)4回裏に、右肩の違和感を訴えて緊急降板。谷佳知の引退試合であった10月3日のシーズン最終戦(京セラドーム大阪のソフトバンク戦)に自身5年ぶりの救援登板で実戦復帰を果たしたが、シーズン通算では規定投球回に達せず、7勝に終わった。

オフの11月に開催された第1回WBSCプレミア12の日本代表には、シーズン中に候補選手となった。しかし、右肩の不調などから、最終的に選出されなかった。その一方で、12月14日には、推定年俸5億円に出来高の条件を加えて契約を更改。基本年俸分では、この時点でNPBの現役選手最高額に達した(同月17日に広島の黒田博樹が推定年俸6億円で更改)。

2016年は、3月25日に、西武との開幕戦(西武プリンスドーム)に先発。自身2年ぶりの開幕投手で、勝敗は付かなかったものの、7回裏の途中で交代するまでにプロ入り後自己最多の7与四球を記録した。4月30日の対楽天戦でシーズン初勝利を自身2年ぶり・通算20回目の完封で挙げると、5月20日の対ロッテ戦(いずれも京セラドーム)で一軍公式戦通算100勝を達成。NPB通算133人目の100勝に、球団史上最少タイ記録の敗戦数(通算56敗)で到達した。その一方で、前年と同様の右肩痛に見舞われたため、6月10日に出場選手登録を抹消。後に一軍へ復帰すると、2年ぶりにパ・リーグの最終規定投球回へ到達した。一軍公式戦全体では、前年を上回る24試合に登板。通算防御率は3.83で、与四球数が自己ワーストの59個に達したほか、自身初の負け越し(7勝9敗)を喫した。その一方で、12月12日には、前年と同じ条件で契約を更改。黒田がこの年限りで現役を引退したことから、基本年俸分(推定5億円)でNPBの現役選手最高額に達した。

2017年は、3月31日の対楽天戦(京セラドーム)で2年連続6度目の開幕投手を務めたが、前年に続いて勝敗は付かなかった。4月14日の対ソフトバンク戦(福岡ヤフオクドーム)では、5回裏まで1人も走者を出さなかった末に、被安打2の無四球完封勝利を自己最少の92球で達成(マダックス)。一軍公式戦での完封勝利は通算21回目で、NPB現役投手での最多達成者である杉内俊哉の記録に並んだ。同年の全投手でソフトバンク相手に挙げた唯一の完封勝利でもあった。さらに、4月26日の対西武戦でも、3失点を喫しながら完投勝利を記録。4月には先発で登板した4試合で全勝したことから、チームメイトのT-岡田と揃ってパ・リーグ3・4月度の月間MVPを受賞した。5月23日の対楽天戦では一軍公式戦自己ワーストタイ記録の8失点、6月6日の対阪神戦(いずれも京セラドーム)では自己ワーストの9失点で黒星を喫したが、8月30日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)での2失点完投勝利によって自身3年ぶりの一軍公式戦シーズン2桁勝利を達成した。一軍公式戦全体では、27試合の登板(リーグ最多の27先発登板)で、12勝8敗・防御率3.47を記録。シーズン終了後には、推定年俸6億円(前年より1億円増でNPBの当時、現役選手最高額)という条件で契約を更改した。

2018年は、レギュラーシーズンの開幕投手を西勇輝が務め、金子は4月3日の対ロッテ戦で公式戦初登板。しかし、この試合から5月3日の対西武戦(いずれも京セラドーム)まで自己ワーストの開幕4連敗を喫するほど不調で、公式戦での初勝利は5月23日の対楽天戦(楽天生命パーク)にまで持ち越された。一軍公式戦全体でも、17試合の登板で、4勝7敗、防御率3.87と不振。首から背中にかけて強い張りを抱えていたこともあって、8月14日に出場選手登録を抹消されてからは、実戦へ登板せずにシーズンを終えた。シーズン終了後の契約交渉では球団からNPB野球協約の減額制限(年俸1億円超の選手に対しては40%を上限に設定)を大幅に超える減俸を提示される。この提示に対して金子は11月28日に球団へ自由契約を申し入れ、球団は金子に対し了承を伝えつつ再契約による残留も容認することを伝えた。12月2日付でNPBから自由契約選手として公示され、3日に北海道日本ハムファイターズが金子との入団契約交渉を行った。

2018年12月4日に、北海道日本ハムファイターズとの間で1年契約の締結に合意した。背番号はオリックス時代と同じ19。年俸は6億円から4億5000万円減の1億5000万円(推定)となり、移籍を伴うため参考記録ながら、減俸額は杉内俊哉(当時、巨人)と並ぶタイ記録であった。「新しいチームで一から始める姿をファンに見せていきたい」という意向で、登録名は「金子 弌大」(読みは本名と同じ)に変更した。

2019年は、前年にMLBで広まったオープナー戦術を採用する方針を当時の監督である栗山英樹が打ち出したことを背景に、オープナー(ショート・スターター)として先発した投手を試合の前半から救援する「第二先発」(ロングリリーフ)要員として調整。レギュラーシーズンの開幕後も、左投手の加藤貴之や堀瑞輝がオープナーに起用された試合で「第二先発」を務めた。その一方で、オリックス時代に続いて、本来の先発(スターター)にも随時起用。4月18日の対オリックス戦(ほっともっとフィールド神戸)では、5回無失点1被安打の好投で移籍後初勝利を挙げたことによって、林昌範以来およそ5年ぶりにNPB一軍公式戦史上18人目の全球団勝利を達成した。一軍公式戦全体では、先発で19試合、救援で7試合に登板。通算成績は8勝7敗だが、全ての白星を先発だけで挙げた一方で、中継ぎを含めた救援登板では2ホールドを記録した。特に古巣のオリックスにめっぽう強く、初対決の試合の3回に2失点して以降30イニング無失点で防御率0.49、5勝無敗を記録した。チームの全日程終了後の10月19日に、オリックス時代の前年に取得した海外FA権を行使せず、1年契約で日本ハムへ残留することを表明。

2020年は、本人の希望でもある中継ぎとして主に登板し、34試合で1勝3敗、防御率5.11だった。12月17日、契約更改交渉に臨み、年俸1億8000万円から約80%減となる年俸3500万円プラス出来高払いでサインした。

2021年は先発6試合を含む8試合に登板したが、0勝4敗、防御率6.21だった。オフに1500万円減となる推定年俸2000万円で契約を更改し、2022年シーズンから登録名を本名の「金子 千尋」に戻すことを表明した。

2022年は、一軍では3試合の登板で1勝2敗、防御率4.85の成績に終わったが、二軍ではイースタン・リーグでチームトップ7勝、防御率2.49を記録した。しかし、翌年の構想から外れ、シーズンオフにGMの稲葉篤紀から現役引退とコーチ就任を要請されたが、現役続行を希望して辞退したことで、10月17日に自由契約となることが発表された。NPB球団での現役続行を希望していたが、オファーは届かず、12月23日に現役引退を表明した。

2022年12月23日に日本ハムの特命コーチに就任し、翌年の春季キャンプの時期からアメリカへコーチ留学を行うことも発表した。背番号は91。2024年からはファーム投手コーチを務める。

スリークォーターから平均球速約144km/h、最速154km/hのストレート、先発転向後精度が向上した縦のカーブ、スライダー、カットボール、ツーシーム、チェンジアップ、スプリットフィンガード・ファストボール、パワーシンカー、まれにワンシームを投げ分ける。

四球が少なく、与四球率は2018年までの通算で2.09と優秀な数値を記録。オリックス時代には、2008年から3年連続で1個台にとどめていた(2008年1.85、2009年1.78、2010年1.94)。

先頭打者への投球前には「両手を帽子のこめかみに当てるポーズ」を取るが、これは精神統一の際に「自分に言い聞かせていることをカメラに撮られたくない」為に顔と口元を隠す意味で始めたという。

汗をかくことを嫌うため、グラブを持つ左の掌が布地に隠れるほど左袖が長い特注品のアンダーシャツを愛用している。このシャツを着て登板する試合では、距離や角度によって投球の合間にボールをもむ動作が左袖の布地に触れる格好でボールをこねているように見えることがあるという。オリックス時代の2014年には、その動作をめぐって、オープン戦(3月21日・阪神戦)と公式戦(5月2日・札幌ドームの対日本ハム戦)の登板中に審判団から注意を受けた。オリックス球団では、「ボールがアンダーシャツに直接触れないようにすれば(ボールをグラブ・身体・着衣で摩擦することを投手の禁止事項に定めている)公認野球規則に抵触しないことを、日本野球機構の審判部に確認済み」として、金子が注意を受けた後も上記のシャツの着用を容認。金子自身も、ボールをもむ際に左手の指を立てるように工夫しながら、着用を続けている。

愛称は「ネコ」「ちーちゃん」など。

三条市立南小学校時代から父親とキャッチボールをすることが大好きで、2000年の正月に父親の実家に帰省した際には、祖父母に対し「甲子園に行くことになったら、おじいちゃん、おばあちゃん絶対に見に来い」と言っていた。

オリックス時代の2006年には、トレーニングを兼ねて宮古島キャンプを訪れていたイチローと紅白戦で対戦。前田大輔のリードで初球にカーブを投げたところ、チームメイト(当時)の清原和博に「真っ直ぐ(ストレート)で勝負せなアカンやろ」と怒られた。これについては後に自分の一番良い球で抑えてアピールしないといけないという持論を語っている。もっとも、自身の著書で明かしたところによると、その後変化球で打ち取られたイチローには、すれ違った際に「最後の球はスライダー?ナイスボール」と声をかけられ「プロに入ってから、ずっと自信を持てなかった僕に前を向く勇気を与えてくれました」と振り返っている。

オリックス時代の2009年には、母校の長野市立朝陽小学校の校庭に芝生を植える目的で、公式戦で1勝するたびに10万円を同校へ寄付。この年には11勝を挙げたため、寄付の総額は110万円にまで達した。

2010年の開幕直後(4月29日)、ソフトバンクから同姓の金子圭輔が移籍してきた際、スコアボードの表示名が一時「金子千」に変更された。しかし、千尋自身の「バランスが悪い」という指摘により、5月8日の対ロッテ戦から表示名がフルネームの「金子千尋」に改められた。2012年1月17日に圭輔がソフトバンクに復帰し、他に金子姓の選手はいなくなったものの、2018年まで「金子千尋」の表示を継続し、公式記録で他の選手が名字のみになっている箇所でも、常にフルネームで表示されていた。日本ハムへ移籍した2019年からは、同姓の選手がいないことや、自身の登録名を「金子弌大」に変更したことから、再び苗字のみ表示となった。登録名を本名に戻した2022年からは、再び表示名がフルネームの「金子千尋」に改められた。

先発で9回表終了まで無安打に抑えながら、その裏の代打で交代を余儀なくされた2014年5月31日の対巨人戦(前述)では、延長戦に入ってからも救援陣が継投で記録を継続。11回表に佐藤達也が片岡治大にチーム初安打、12回表に馬原孝浩が亀井善行に決勝本塁打を許すなど延長12回まで、もつれ込んだ末にチームは0対1で敗れた。金子は、この結果について、試合終了後に淡々とした姿勢で「(巨人打線が)ノーヒットだったのは知っていたが、9回まで0-0でいっていたので、ノーヒットを意識することなく最後まで投げられた。9回の裏にサヨナラ(で勝っていた)なら、ノーヒットノーランとして記録に残るので嬉しいけど、自分の使命はチームに勝ちを付けること。それができなかったので、ノーヒット(ノーランを達成できなかったこと)へのコメントはできない」と振り返っていた。なお、先発投手からの継投で無安打投球を続けた末に、延長で初安打を許したチームは日本プロ野球公式戦2例目(NPBの公式戦では初めての事例)であった。

オリックス時代の2011年10月に、オリジナル写真集サイトの「PHOちょ+」から自身の監修による初の公式写真集が販売された(現在は終了)。

「ファンと交流の場を設けたい」という自身の希望から、オリックス時代の2011年と2015年には、シーズン終了後に有料定員制の「ファンミーティング」を大阪市内のホテルで開いている。

恐妻家として語られることもある。金子が年俸5億をもらっていたシーズンで「月の小遣いは20万。ほしいものがあれば相談する」という。

各年度の太字はリーグ最高

- は10位未満(防御率における規定投球回未達も - と表記)

太字は規定投球回到達年度、年度背景色金色は最優秀選手賞(MVP)受賞年度、年齢背景色金色は沢村栄治賞受賞年度

太字年はゴールデングラブ賞受賞年

最多勝利:2回(2010年、2014年)

最優秀防御率:1回(2014年)

最多奪三振:1回(2013年)

沢村栄治賞:1回(2014年)

最優秀選手:1回(2014年)

ベストナイン:1回(投手部門:2014年)

ゴールデングラブ賞:1回(投手部門:2014年)

月間MVP:7回(投手部門:2008年7月、2010年7月、8月、2011年9月、2014年8月、9月、2017年3・4月)

最優秀バッテリー賞:1回(2014年 捕手:伊藤光)

JA全農Go・Go賞:1回(最多奪三振賞:2012年5月)

「ジョージア魂」賞:1回(2014年度第5回)

オールスターゲーム ベストピッチャー賞:1回(2009年第2戦)

日本プロスポーツ大賞 殊勲賞:1回(2014年)

日本プロスポーツ大賞 功労賞:1回(2014年)

ヤナセ オリックス・バファローズMVP賞:1回(2014年)

初登板:2006年4月12日、対西武ライオンズ3回戦(スカイマークスタジアム)、9回表に2番手で救援登板、1回無失点

初奪三振:同上、9回表に炭谷銀仁朗から空振り三振

初先発:2006年7月1日、対西武ライオンズ9回戦(インボイスSEIBUドーム)、4回7失点で敗戦投手

初勝利:2006年8月9日、対西武ライオンズ14回戦(京セラドーム大阪)、8回表一死に3番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点

初ホールド:2006年8月13日、対福岡ソフトバンクホークス14回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、9回裏一死に4番手で救援登板、1回2/3を無失点

初セーブ:2007年3月29日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(スカイマークスタジアム)、8回表一死に2番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点

初先発勝利:2007年8月18日、対西武ライオンズ18回戦(グッドウィルドーム)、5回3失点

初完投勝利・初完封勝利:2007年8月26日、対東北楽天ゴールデンイーグルス20回戦(京セラドーム大阪)

初安打:2009年6月17日、対横浜ベイスターズ4回戦(横浜スタジアム)、5回表に吉見祐治から三塁内野安打

初打点:2014年5月23日、対広島東洋カープ1回戦(ほっともっとフィールド神戸)、7回裏に前田健太から中越適時二塁打

1000投球回:2013年7月24日、対北海道日本ハムファイターズ12回戦(京セラドーム大阪)、3回表一死目にマイカ・ホフパワーから見逃し三振で達成 ※史上335人目

1000奪三振:2014年4月25日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(京セラドーム大阪)、5回表に枡田慎太郎から見逃し三振で達成 ※史上136人目

100勝:2016年5月20日、対千葉ロッテマリーンズ9回戦(京セラドーム大阪)、7回2失点 ※史上133人目

1500投球回:2016年8月19日、対東北楽天ゴールデンイーグルス15回戦(京セラドーム大阪)、7回表三死目にジャフェット・アマダーから空振り三振で達成 ※史上173人目

1500奪三振:2018年4月10日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(京セラドーム大阪)、1回表にカルロス・ペゲーロから空振り三振で達成 ※史上53人目

2000投球回:2021年5月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス10回戦(楽天生命パーク宮城)、1回裏三死目に茂木栄五郎から中飛で達成 ※史上91人目

全球団勝利:2019年4月18日、オリックス・バファローズ6回戦(ほっともっとフィールド神戸)、5回無失点 ※史上18人目

9回まで無安打無得点:2014年5月31日、対読売ジャイアンツ戦(京セラドーム大阪)、9回を無安打4与四球1失策無失点。チームは延長12回0対1で敗戦

オールスターゲーム出場:3回(2009年、2014年、2017年)

19(2005年 - 2022年)

91(2023年 - )

金子 千尋(かねこ ちひろ、2005年 - 2018年、2022年 - )

金子 弌大(かねこ ちひろ、2019年 - 2021年)

「HIGH G.K LOW 〜ハジケロ〜」GReeeeN(2008年 初回投球練習時)

「ALWAYS」FUNKY MONKEY BABYS(2008年 5回表投球練習時)

「超!」DJ OZMA(2009年)

「海賊船」遊助(2010年 - 2011年)

「ミッキーマウス・マーチ(ユーロビートバージョン)」Domino(2012年)

「with you」ゆず(2013年)

「ピタカゲ (CROOKED) -JPN-」G-DRAGON(2014年)

「Good Boy」GD X TAEYANG (from BIGBANG)(2015年)

「BANG BANG BANG -KR Ver.-」BIGBANG(2015年)

「Dumb & Dumber -KR Ver.-」iKON(2016年)

「Just Another Boy -KR ver.-」iKON(2017年)

「B-DAY -KR Ver.-」iKON(2017年)

「SINOSIJAK -JP ver.-」iKON(2018年)

「TELL ME」hide(2019年 - 2020年)

「The beginning」ONE OK ROCK(2021年)

「Re;make」ONE OK ROCK(2022年)

『どんな球を投げたら打たれないか』PHP研究所、2014年11月。ISBN 978-4569821351。 

『金子千尋の変化球バイブル ハンディ版』ベースボール・マガジン社、2015年8月。ISBN 978-4583108995。 

^ 千尋の父親は三条市桜木町出身で、母親は三条市に隣接する燕市の出身である。

^ 当時、秋の北信越大会では上位2校が翌年のセンバツ出場校として選ばれることが慣例となっていた。

^ 2006年の八木智哉につぐ。

^ 2リーグ分立前年の1949年に一宮球場で催された中日ドラゴンズ対東急フライヤーズ戦で、中日の先発・杉下茂が試合開始から無安打投球を続けていたものの、8回表に浜田義雄が放った打球で利き手(右手)の指を痛めたためこの回限りで降板。降板した時点で許した走者は、自身の与四球による2人と、味方野手の失策による1人だけであった。9回表から急遽服部受弘がマウンドに立ったが、0-0のスコアで迎えた10回表に、先頭打者の大下弘によるソロ本塁打でこの試合チーム初の被安打と失点を記録。結局、中日は投手陣が9回終了まで東急打線をノーヒットノーランに抑えながら、延長10回まで戦った末に敗れている。

^ 『三條新聞』2000年2月3日付「春のセンバツ出場の長野商業投手 金子千尋君(16歳)は三条っ子 正月三条に帰り『絶対見に来い』 南小時代から野球大好き 三条の祖父母 成長ぶりに大喜び」(三条新聞社)

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^ 「日本ハム連敗 栗山監督「金子弌大信じてマウンドに送った。オレのせい」」『日刊スポーツ新聞社』2021年9月30日。2021年11月29日閲覧。

^ 「日本ハム金子は減額で更改 登録名「弌大」→「千尋」に戻して心機一転だ」『日刊スポーツ』日刊スポーツNEWS、2021年12月8日。2021年12月8日閲覧。

^ 「日本ハム金子千尋、自由契約に“謝罪”「申し訳ない」 コーチ就任要請も現役続行希望」『Full-Count』2022年10月17日。2022年11月3日閲覧。

^ 「【日本ハム】14年沢村賞・金子千尋が現役引退、今後は球団入りし後進の育成へ 午後2時に会見」『日刊スポーツ』2022年12月23日。2022年12月23日閲覧。

^ 「現役引退の金子千尋 日本ハム・特命コーチに就任へ「スケール大きい選手を多く育てたい」」『スポーツニッポン』2022年12月23日。2022年12月23日閲覧。

^ 「日本ハムが2軍首脳陣を発表 稲葉篤紀GMが監督就任…清水雅治氏と“五輪金タッグ”」『Full-Count』2023年11月18日。2023年11月18日閲覧。

^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁。ISBN 978-4-930942-98-2。

^ 「オリックス・金子 僕はエースじゃない 三振の話題は「ほっといて」」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2014年5月23日。2016年11月3日閲覧。

^ 週刊ベースボール (ベースボール・マガジン社) (2010年6月14日号): 20-21. 雑誌20442-6/14. 

^ テレビ朝日『Get Sports』2014年4月20日放送

^ 柏原誠「オリ金子「超完封」に岡田監督ご満悦」『日刊スポーツ』2010年3月21日。2016年11月3日閲覧。

^ オリックス・バファローズ観戦ガイド「Bs TIME」Vol.9 2ページ

^ 「金子に不正投球疑惑 審判団が指摘」『日刊スポーツ』日刊スポーツ、2014年5月2日。2016年11月3日閲覧。

^ 「オリックス 金子に疑惑の目が…直後に2発連続被弾」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2014年5月2日。2016年11月3日閲覧。

^ 「オリックス・金子“潔白”で長袖アンダーシャツ変えぬ」」『デイリースポーツ』2014年5月9日。2016年11月3日閲覧。

^ 「【7月14日】2010年(平22) 金子千尋 3戦連続完封 45年ぶり“ガソリンタンク”に並ぶ」『スポーツニッポン』2012年7月14日。2016年11月3日閲覧。

^ 「社会貢献事業サポート」『OUTFIELD(アウトフィールド)』。2016年11月3日閲覧。

^ 「オリ金子が母校小学校に110万円芝生寄贈」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2009年12月24日。2016年11月3日閲覧。

^ 金子千尋「フルネーム。。。」『金子千尋オフィシャルブログ『顔晴れ!』』2010年5月16日。2016年11月3日閲覧。

^ 「「金子千尋」1人になっても登録名変えず」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2012年1月20日。2016年11月3日閲覧。

^ 「2012年4月6日 【公式戦】 試合結果 (オリックスvs東北楽天)」『NPB.jp 日本野球機構』2012年4月6日。2016年11月3日閲覧。2011年は「金子千」表記。

^ 「日本ハム金子弌大、元通り登録名を金子千尋に「僕が一番弌大に違和感」」『日刊スポーツ』2021年12月9日。2022年6月1日閲覧。

^ 朝日新聞2014年6月1日スポーツ面

^ 堀まどか「オリックス金子9回ノーヒッター降板」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2014年6月1日。2016年11月3日閲覧。

^ 「金子 9回無安打、幻ノーヒッター 外野へ飛んだのは1本だけ」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2014年6月1日。2016年11月3日閲覧。

^ 「オリックス・金子、ファンミーティング「来季はこの悔しさをぶつけて…」」『SANSPO.COM』産経デジタル、2015年12月17日。2016年11月3日閲覧。

^ 「年俸5億ももらっているのに!オリックス金子は月20万円のお小遣い制」『デイリースポーツ online』株式会社デイリースポーツ、2018年1月13日。2022年12月22日閲覧。

^ 「2014年度第47回日本プロスポーツ大賞受賞者」『公益財団法人 日本プロスポーツ協会 — オフィシャルウェブサイト』公益財団法人 日本プロスポーツ協会、2014年。2015年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月17日閲覧。

^ 「ヤナセ、プロ野球MVP賞を各球団で実施」『Car Watch』2014年12月25日。2018年2月28日閲覧。

^ 「マエケン、3敗目…エース対決も金子にタイムリー許す」『SANSPO.COM』産経デジタル、2014年5月23日。2014年5月23日閲覧。

新潟県出身の人物一覧

オリックス・バファローズの選手一覧

北海道日本ハムファイターズの選手一覧

個人年度別成績 金子千尋 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube

選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

金子 弌大(金子 千尋)((カネコチヒロ)) (@kanekochihiro_official) - Instagram

金子弌大 (金子千尋) カネコチヒロ Chihiro Kaneko (@kanekochihiro) - X(旧Twitter)

金子千尋オフィシャルブログ 顔晴れ!―がんばれ!― - Ameba Blog(2009年4月1日 - 2015年12月7日)

1 新庄剛志

77 林孝哉(ヘッド)

73 武田久(投手)

82 加藤武治(投手)

89 八木裕(打撃)

72 山田勝彦(バッテリー)

85 谷内亮太(内野守備走塁)

80 森本稀哲(外野守備走塁)

79 代田建紀(データ分析担当兼走塁)

90 稲葉篤紀(監督)

78 清水雅治(総合)

83 浦野博司(投手)

91 金子千尋(投手)

92 江口孝義(投手)

75 小田智之(打撃)

81 横尾俊建(打撃)

87 佐藤友亮(打撃)

71 的場直樹(バッテリー)

74 岩舘学(内野守備走塁)

76 紺田敏正(外野守備走塁)

-- 山中潔(捕手インストラクター)

12 矢澤宏太

13 生田目翼

14 加藤貴之

16 達孝太

17 伊藤大海

18 山﨑福也

19 玉井大翔

20 上原健太

22 杉浦稔大

24 金村尚真

25 宮西尚生

26 田中正義

28 河野竜生

29 細野晴希

31 マーフィー

32 黒木優太

34 堀瑞輝

40 福田俊

41 ロドリゲス

42 ザバラ

45 バーヘイゲン

46 畔柳亨丞

47 鈴木健矢

48 齋藤友貴哉

51 石川直也

52 池田隆英

54 安西叶翔

55 松浦慶斗

57 北山亘基

59 根本悠楓

60 鍵谷陽平

62 宮内春輝

63 北浦竜次

67 山本拓実

93 田中瑛斗

94 福島蓮

95 柳川大晟

2 マルティネス

10 清水優心

23 伏見寅威

27 古川裕大

30 郡司裕也

33 進藤勇也

64 田宮裕涼

98 梅林優貴

4 上川畑大悟

5 野村佑希

9 中島卓也

21 清宮幸太郎

35 福田光輝

38 石井一成

39 有薗直輝

43 水野達稀

44 阪口樂

49 若林晃弘

56 細川凌平

58 奈良間大己

65 明瀬諒介

7 松本剛

8 淺間大基

36 宮崎一樹

37 江越大賀

50 五十幡亮汰

53 水谷瞬

61 今川優馬

66 万波中正

68 星野ひので

99 レイエス

113 加藤大和

114 松本遼大

115 齊藤伸治

126 中山晶量

128 山本晃大

137 柿木蓮

168 松岡洸希

196 孫易磊

111 濵田泰希

112 平田大樹

124 阿部和広

125 藤田大清

127 山口アタル

1947 別所昭

1948 中尾碩志

1949 藤本英雄

1950 真田重男

1951 杉下茂

1952 杉下茂

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 別所毅彦

1956 金田正一

1957 金田正一

1958 金田正一

1959 村山実

1960 堀本律雄

1961 権藤博

1962 小山正明

1963 伊藤芳明

1964 G.バッキー

1965 村山実

1966 村山実, 堀内恒夫

1967 小川健太郎

1968 江夏豊

1969 高橋一三

1970 平松政次

1972 堀内恒夫

1973 高橋一三

1974 星野仙一

1975 外木場義郎

1976 池谷公二郎

1977 小林繁

1978 松岡弘

1979 小林繁

1981 西本聖

1982 北別府学

1983 遠藤一彦

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 大野豊

1989 斎藤雅樹

1990 野茂英雄

1991 佐々岡真司

1992 石井丈裕

1993 今中慎二

1994 山本昌広

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹

1997 西口文也

1998 川崎憲次郎

1999 上原浩治

2001 松坂大輔

2002 上原浩治

2003 井川慶, 斉藤和巳

2004 川上憲伸

2005 杉内俊哉

2006 斉藤和巳

2007 ダルビッシュ有

2008 岩隈久志

2009 涌井秀章

2010 前田健太

2011 田中将大

2012 攝津正

2013 田中将大

2014 金子千尋

2015 前田健太

2016 K.ジョンソン

2017 菅野智之

2018 菅野智之

2020 大野雄大

2021 山本由伸

2022 山本由伸

2023 山本由伸

1950 別当薫

1951 山本一人

1952 柚木進

1953 岡本伊三美

1954 大下弘

1955 飯田徳治

1956 中西太

1957 稲尾和久

1958 稲尾和久

1959 杉浦忠

1960 山内和弘

1961 野村克也

1962 張本勲

1963 野村克也

1964 J.スタンカ

1965 野村克也

1966 野村克也

1967 足立光宏

1968 米田哲也

1969 長池徳二

1970 木樽正明

1971 長池徳二

1972 福本豊

1973 野村克也

1974 金田留広

1975 加藤秀司

1976 山田久志

1977 山田久志

1978 山田久志

1979 C.マニエル

1980 木田勇

1981 江夏豊

1982 落合博満

1983 東尾修

1984 ブーマー

1985 落合博満

1986 石毛宏典

1987 東尾修

1988 門田博光

1989 R.ブライアント

1990 野茂英雄

1991 郭泰源

1992 石井丈裕

1993 工藤公康

1994 イチロー

1995 イチロー

1996 イチロー

1997 西口文也

1998 松井稼頭央

1999 工藤公康

2000 松中信彦

2001 T.ローズ

2002 A.カブレラ

2003 城島健司

2004 松中信彦

2005 杉内俊哉

2006 小笠原道大

2007 ダルビッシュ有

2008 岩隈久志

2009 ダルビッシュ有

2010 和田毅

2011 内川聖一

2012 吉川光夫

2013 田中将大

2014 金子千尋

2015 柳田悠岐

2016 大谷翔平

2017 D.サファテ

2018 山川穂高

2019 森友哉

2020 柳田悠岐

2021 山本由伸

2022 山本由伸

2023 山本由伸

1950 荒巻淳

1951 柚木進

1952 柚木進

1953 川崎徳次

1954 宅和本司

1955 中川隆

1956 稲尾和久

1957 稲尾和久

1958 稲尾和久

1959 杉浦忠

1960 小野正一

1961 稲尾和久

1962 久保田治

1963 久保征弘

1964 妻島芳郎

1965 三浦清弘

1966 稲尾和久

1967 足立光宏

1968 皆川睦男

1969 木樽正明

1970 佐藤道郎

1971 山田久志

1972 清俊彦

1973 米田哲也

1974 佐藤道郎

1975 村田兆治

1976 村田兆治

1977 山田久志

1978 鈴木啓示

1979 山口哲治

1980 木田勇

1981 岡部憲章

1982 高橋里志

1983 東尾修

1984 今井雄太郎

1985 工藤公康

1986 佐藤義則

1987 工藤公康

1988 河野博文

1989 村田兆治

1990 野茂英雄

1991 渡辺智男

1992 赤堀元之

1993 工藤公康

1994 新谷博

1995 伊良部秀輝

1996 伊良部秀輝

1997 小宮山悟

1998 金村暁

1999 工藤公康

2000 戎信行

2001 N.ミンチー

2002 金田政彦

2003 斉藤和巳, 松坂大輔

2004 松坂大輔

2005 杉内俊哉

2006 斉藤和巳

2007 成瀬善久

2008 岩隈久志

2009 ダルビッシュ有

2010 ダルビッシュ有

2011 田中将大

2012 吉川光夫

2013 田中将大

2014 金子千尋

2015 大谷翔平

2016 石川歩

2017 菊池雄星

2018 岸孝之

2019 山本由伸

2020 千賀滉大

2021 山本由伸

2022 山本由伸

2023 山本由伸

2024 L.モイネロ

1950 荒巻淳

1951 江藤正

1952 野口正明

1953 川崎徳次

1954 宅和本司, 田中文雄

1955 宅和本司

1956 三浦方義

1957 稲尾和久

1958 稲尾和久

1959 杉浦忠

1960 小野正一

1961 稲尾和久

1962 久保征弘

1963 稲尾和久

1964 小山正明

1965 尾崎行雄

1966 米田哲也

1967 池永正明

1968 皆川睦男

1969 鈴木啓示

1970 成田文男

1971 木樽正明

1972 山田久志, 金田留広

1973 成田文男

1974 金田留広

1975 東尾修

1976 山田久志

1977 鈴木啓示

1978 鈴木啓示

1979 山田久志

1980 木田勇

1981 今井雄太郎, 村田兆治

1982 工藤幹夫

1983 東尾修, 山内和宏

1984 今井雄太郎

1985 佐藤義則

1986 渡辺久信

1987 山沖之彦

1988 渡辺久信, 西崎幸広, 松浦宏明

1989 阿波野秀幸

1990 渡辺久信, 野茂英雄

1991 野茂英雄

1992 野茂英雄

1993 野田浩司, 野茂英雄

1994 伊良部秀輝

1995 K.グロス

1996 K.グロス

1997 西口文也, 小池秀郎

1998 西口文也, 武田一浩, 黒木知宏

1999 松坂大輔

2000 松坂大輔

2001 松坂大輔

2002 J.パウエル

2003 斉藤和巳

2004 岩隈久志

2005 杉内俊哉

2006 斉藤和巳

2007 涌井秀章

2008 岩隈久志

2009 涌井秀章

2010 和田毅, 金子千尋

2011 D.ホールトン, 田中将大

2012 攝津正

2013 田中将大

2014 金子千尋

2015 大谷翔平, 涌井秀章

2016 和田毅

2017 東浜巨, 菊池雄星

2018 多和田真三郎

2019 有原航平

2020 千賀滉大, 石川柊太, 涌井秀章

2021 山本由伸

2022 山本由伸

2023 山本由伸

2024 有原航平、伊藤大海

1950 米川泰夫

1951 阿部八郎

1952 柚木進

1953 米川泰夫

1954 宅和本司

1955 河村久文

1956 梶本隆夫

1957 梶本隆夫

1958 稲尾和久

1959 杉浦忠

1960 杉浦忠

1961 稲尾和久

1962 米田哲也

1963 稲尾和久

1964 尾崎行雄

1965 尾崎行雄

1966 田中勉

1967 鈴木啓示

1968 鈴木啓示

1969 鈴木啓示

1970 鈴木啓示

1971 鈴木啓示

1972 鈴木啓示

1973 成田文男

1974 鈴木啓示

1975 東尾修

1976 村田兆治

1977 村田兆治

1978 鈴木啓示

1979 村田兆治

1980 木田勇

1981 村田兆治

1982 松沼博久

1983 山沖之彦

1984 佐藤義則

1985 佐藤義則

1986 渡辺久信

1987 阿波野秀幸

1988 小川博

1989 阿波野秀幸

1990 野茂英雄

1991 野茂英雄

1992 野茂英雄

1993 野茂英雄

1994 伊良部秀輝

1995 伊良部秀輝

1996 工藤公康

1997 西口文也

1998 西口文也

1999 工藤公康

2000 松坂大輔

2001 松坂大輔

2002 J.パウエル

2003 松坂大輔

2004 新垣渚

2005 松坂大輔

2006 斉藤和巳

2007 ダルビッシュ有

2008 杉内俊哉

2009 杉内俊哉

2010 ダルビッシュ有

2011 ダルビッシュ有

2012 田中将大

2013 金子千尋

2014 則本昂大

2015 則本昂大

2016 則本昂大

2017 則本昂大

2018 則本昂大

2019 千賀滉大

2020 千賀滉大, 山本由伸

2021 山本由伸

2022 山本由伸

2023 山本由伸

2024 今井達也

1950 荒巻淳

1951 江藤正

1952 柚木進

1953 川崎徳次

1954 西村貞朗

1955 中村大成

1956 梶本隆夫

1957 稲尾和久

1958 稲尾和久

1959 杉浦忠

1960 小野正一

1961 稲尾和久

1962 稲尾和久

1963 稲尾和久

1964 J.スタンカ

1965 尾崎行雄

1966 田中勉

1967 足立光宏

1968 皆川睦男

1969 鈴木啓示

1970 木樽正明

1971 山田久志

1972 山田久志

1973 成田文男

1974 金田留広

1975 鈴木啓示

1976 山田久志

1977 山田久志

1978 鈴木啓示

1979 山田久志

1980 木田勇

1981 村田兆治

1982 工藤幹夫

1983 東尾修

1984 今井雄太郎

1985 東尾修

1986 渡辺久信

1987 工藤公康

1988 西崎幸広

1989 阿波野秀幸

1990 野茂英雄

1991 郭泰源

1992 石井丈裕

1993 工藤公康

1994 伊良部秀輝

1995 伊良部秀輝

1996 E.ヒルマン

1997 西口文也

1998 西口文也

1999 松坂大輔

2000 松坂大輔

2001 松坂大輔

2002 J.パウエル

2003 斉藤和巳

2004 岩隈久志

2005 杉内俊哉

2006 斉藤和巳

2007 ダルビッシュ有

2008 岩隈久志

2009 ダルビッシュ有

2010 和田毅

2011 田中将大

2012 吉川光夫

2013 田中将大

2014 金子千尋

2015 大谷翔平

2016 大谷翔平

2017 菊池雄星

2018 菊池雄星

2019 千賀滉大

2020 千賀滉大

2021 山本由伸

2022 山本由伸

2023 山本由伸

 投  金子千尋

 捕  伊藤光

 一  E.メヒア

 二  藤田一也

 三  銀次

 遊  今宮健太

 外  中田翔 / 糸井嘉男 / 柳田悠岐

 指  中村剛也

1972 足立光宏

1973 成田文男

1974 足立光宏

1975 足立光宏

1976 足立光宏

1977 山田久志

1978 山田久志

1979 山田久志

1980 木田勇

1981 山田久志

1982 山田久志

1983 東尾修

1984 東尾修

1985 東尾修

1986 東尾修

1987 東尾修

1988 西崎幸広

1989 阿波野秀幸

1990 渡辺久信

1991 郭泰源

1992 郭泰源

1993 野田浩司

1994 工藤公康

1995 工藤公康

1996 西崎幸広

1997 西口文也

1998 西口文也

1999 松坂大輔

2000 松坂大輔

2001 松坂大輔

2002 西口文也

2003 松坂大輔

2004 松坂大輔

2005 松坂大輔

2006 松坂大輔

2007 ダルビッシュ有

2008 ダルビッシュ有

2009 涌井秀章

2010 涌井秀章

2011 田中将大

2012 田中将大

2013 田中将大

2014 金子千尋

2015 涌井秀章

2016 涌井秀章

2017 菊池雄星

2018 岸孝之

2019 千賀滉大

2020 千賀滉大

2021 山本由伸

2022 山本由伸

2023 山本由伸

 投  金子千尋

 捕  伊藤光

 一  T-岡田

 二  藤田一也

 三  松田宣浩

 遊  今宮健太

 外  陽岱鋼 / 糸井嘉男 / 柳田悠岐

1991 工藤公康 - 伊東勤

1992 石井丈裕 - 伊東勤

1993 金石昭人 - 田村藤夫

1994 吉田豊彦 - 吉永幸一郎

1995 平井正史 - 中嶋聡

1996 西口文也 - 伊東勤

1997 西口文也 - 伊東勤

1998 西口文也 - 伊東勤

1999 工藤公康 - 城島健司

2000 吉田修司 - 城島健司

2001 田之上慶三郎 - 城島健司

2002 豊田清 - 伊東勤

2003 斉藤和巳 - 城島健司

2004 三瀬幸司 - 城島健司

2005 渡辺俊介 - 里崎智也

2006 斉藤和巳 - 的場直樹

2007 成瀬善久 - 里崎智也

2008 岩隈久志 - 藤井彰人

2009 涌井秀章 - 銀仁朗

2010 杉内俊哉 - 田上秀則

2011 田中将大 - 嶋基宏

2012 吉川光夫 - 鶴岡慎也

2013 田中将大 - 嶋基宏

2014 金子千尋 - 伊藤光

2015 大谷翔平 - 大野奨太

2016 石川歩 - 田村龍弘

2017 菊池雄星 - 炭谷銀仁朗

2018 多和田真三郎 - 森友哉

2019 増田達至 - 森友哉

2020 千賀滉大 - 甲斐拓也

2021 山本由伸 - 若月健矢

2022 山本由伸 - 若月健矢

2023 山本由伸 - 若月健矢

1936春夏 宮武三郎

1936秋 北井正雄

1937春 石田光彦

1937秋 石田光彦

1938春 宮武三郎

1938秋 小田野柏

1939 浅野勝三郎

1940 重松通雄

1941 浅野勝三郎

1942 橋本正吾

1943 天保義夫

1944 笠松実

1946 天保義夫

1947 天保義夫

1948 天保義夫

1949 今西錬太郎

1950 天保義夫

1951 天保義夫

1952 天保義夫

1953 柴田英治

1954 梶本隆夫

1955 柴田英治

1956 梶本隆夫

1957 梶本隆夫

1958 梶本隆夫

1959 米田哲也

1960 梶本隆夫

1961 米田哲也

1962 石井茂雄

1963 梶本隆夫

1964 米田哲也

1965 足立光宏

1966 石井茂雄

1967 米田哲也

1968 石井茂雄

1969 米田哲也

1970 米田哲也

1971 米田哲也

1972 足立光宏

1973 足立光宏

1974 竹村一義

1975 山田久志

1976 山田久志

1977 山田久志

1978 山田久志

1979 山田久志

1980 山田久志

1981 山田久志

1982 山田久志

1983 山田久志

1984 山田久志

1985 山田久志

1986 山田久志

1987 佐藤義則

1988 佐藤義則

1989 佐藤義則

1990 星野伸之

1991 佐藤義則

1992 星野伸之

1993 星野伸之

1994 星野伸之

1995 佐藤義則

1996 星野伸之

1997 星野伸之

1998 星野伸之

1999 小林宏

2000 小林宏

2001 金田政彦

2002 E.ヤーナル

2003 吉井理人

2004 具臺晟

2005 川越英隆

2006 川越英隆

2007 川越英隆

2008 金子千尋

2009 小松聖

2010 金子千尋

2011 木佐貫洋

2012 A.フィガロ

2013 金子千尋

2014 金子千尋

2015 B.ディクソン

2016 金子千尋

2017 金子千尋

2018 西勇輝

2019 山岡泰輔

2020 山岡泰輔

2021 山本由伸

2022 山本由伸

2023 山下舜平大

2024 宮城大弥

自由獲得枠:金子千尋

2巡目:光原逸裕

4巡目:町豪将

5巡目:田中彰

井浦新

吉沢悠

高良健吾

中島歩

田中麗奈

香里奈

知花くらら

菊池亜希子

橋本真実

三根梓

中条あやみ

深川麻衣

安倍萌生

森高愛

志田彩良

中井友望

樹麗

守屋茜

長澤樹

新津ちせ

大沢あかね

アンミカ

道端カレン

MALIA.

加藤未央

ダンカンレミ

村瀬紗英

森麻季

金子千尋

仁科由紀子

前田典子

アンミカ

小泉里子

生方ななえ

ケリー

道端カレン

はな

AYUMI

宮本りえ

えれな

美優

日比野玲

榊ゆりこ

マリア

伊藤ニーナ

静まなみ

榊原美紅

橋本まゆ

愛甲千笑美

赤谷奈緒子

青山夕夏

斉藤千穂

香川絵馬

長谷川ミキ

みほ

いかりさとみ

彩友美

カミラ

ユリ

波音セーラ

波音ステファニー

横山エリカ

梅園アマンダ

辻香緒里

織香

坂本悠子

藤森香衣

宮本えり

友紀

伴沙織

池畑薫

阪井あゆみ

坂田梨香子

高堰うらら

阿部菜渚美

中山咲月

村瀬リリヤ

鎌田えみり

ギャビー

石川恋

藤本リリー

メレンゲ

JAMOSA

安田レイ

VIAF

日本

日本の野球選手

長野県長野商業高等学校出身の野球選手

トヨタ自動車硬式野球部の選手

オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手

北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手

最優秀選手 (NPB)

最優秀防御率 (NPB)

最多勝利 (NPB)

最多奪三振 (NPB)

沢村栄治賞

NPBオールスターゲーム選出選手

日本の野球指導者

テンカラット

新潟県出身のスポーツ選手

1983年生

存命人物

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2024/11/09 22:26更新

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