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福留孝介の情報 (ふくどめこうすけ)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

福留孝介の情報(ふくどめこうすけ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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福留 孝介さんについて調べます

■名前・氏名
福留 孝介
(読み:ふくどめ こうすけ)
■職業
野球選手
■福留孝介の誕生日・生年月日
1977年4月26日 (年齢47歳)
巳年(へび年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
鹿児島出身

(昭和52年)1977年生まれの人の年齢早見表

福留孝介と同じ1977年生まれの有名人・芸能人

福留孝介と同じ4月26日生まれの有名人・芸能人

福留孝介と同じ出身地鹿児島県生まれの有名人・芸能人


福留孝介と関係のある人

大田垣耕造: 上原浩治、高橋由伸、福留孝介らを擁した第9回IBAFインターコンチネンタルカップではキューバを国際大会151連勝で止め世界一に導いた。


前田忠節: PL学園高校時代は投手として春2回、夏1回甲子園に出場し、3年夏ベスト8が最高(同期に福留孝介・辻田摂)。


吉原正平: 日生野球部からの若獅子賞受賞者は、福留孝介以来2人目。


戸村健次: 一方で交流戦の開幕カードとなった阪神タイガース(甲子園)との3連戦では、2戦目・3戦目と連続して本塁打、押し出し四球という形でサヨナラ負けを喫した(打者はいずれも福留孝介)。


飯田哲矢: 初奪三振:2015年6月24日、対阪神タイガース9回戦(富山アルペンスタジアム )、5回表に福留孝介から空振り三振


福敬登: 9月28日の対阪神戦(ナゴヤドーム)で、4回表二死満塁の場面で一軍復帰登板を果たしたが、制球が定まらず、福留孝介に対してストレートの四球で押し出しを与えた。


前田健太: 10月11日の阪神タイガースとのクライマックスシリーズファーストステージ第1戦は、福留孝介のソロ本塁打のみの6回1失点と好投を見せるが打線が沈黙、敗戦投手となった。


マット=マートン: 2013年は金本知憲の現役引退と福留孝介の加入による一軍外野陣の再編成によって、守備位置が右翼手から左翼手に変更。


大島洋平: 2014年シーズンに福留孝介に並んで球団シーズン最多安打のタイ記録となる186安打を記録した。


榎田大樹: なお、このチームの監督の新留勝郎は、後に阪神タイガースで榎田とチームメイトとなる福留孝介を指導した人物である。


青木宣親: 38歳9か月での受賞は2015年の福留孝介(38歳6か月)を抜く外野手最年長記録である。


庄田隆弘: 1年夏は福留孝介・前川克彦・前田忠節・辻田摂らを擁するPL学園高校を準々決勝で破って4強入りに貢献し、自身も本塁打を放った。


堂上直倫: 剛裕がドラフト会議で中日から6位指名を受けた直後の同年11月29日にナゴヤドームで行われた中日ドラゴンズのファン感謝デーでは、「リトルシニア東海選抜」の4番・投手として先発出場し、相手投手を務めた福留孝介から左翼席へ本塁打を放った(チームも7対4で勝利)。


中村順司: 清原和博、桑田真澄のKKコンビを始め、立浪和義、松井稼頭央、サブロー(大村三郎)、福留孝介らを代表とする、数々の超高校級の選手を育てあげた名将。


森福允彦: 阪神との日本シリーズは第1戦にして福留孝介にタイムリー2ベース打たれ、その1試合の登板に終わった。


田代将太郎: 小さい頃は中日ドラゴンズのファンで、福留孝介に憧れていた。


原俊介: 1995年度ドラフト会議にて読売ジャイアンツから1位指名(福留孝介の外れ1位)を受け入団。


伊藤隼太: この年も代打で本塁打を記録したが、23試合でスタメン出場を果たしたほか、後半戦には正左翼手の福留孝介・正右翼手の糸井嘉男が欠場する試合などでクリーンアップに随時起用。


内藤尚行: また、2006年に同チームが中日ドラゴンズのファン感謝デーでエキシビションゲームを行なった際、福留孝介に本塁打を浴びている。


鵜飼航丞: 憧れの選手は福留孝介


会田有志: 初奪三振:2007年4月3日、対中日ドラゴンズ1回戦(東京ドーム)、8回表に福留孝介から見逃し三振


大野雄大: 中日の選手で年俸が3億円に到達するのは、2015年度の岩瀬仁紀の年俸3億円以来であり、落合博満、岩瀬仁紀、福留孝介、川上憲伸、井端弘和、和田一浩に次いで7人目となる。


髙山俊: 2019年、レギュラーシーズンの開幕から一軍に帯同したが、福留孝介・糸井嘉男に加えて新人の近本光司が外野のレギュラーに抜擢されたため、入団後初めて開幕戦でのベンチスタートとなった。


新井貴浩: 2015年に9年ぶりに同賞を受賞した福留孝介を抜くセ・リーグ史上最長ブランクでの受賞となった。


高橋光信: 5月6日、セ・パ交流戦初戦となるオリックス・バファローズ戦で、暴力事件で出場停止となっていたタイロン・ウッズに代わり4番指名打者でスタメン出場し、3番レフト立浪和義5番ライト福留孝介とクリーンナップを形成。


原口文仁: 「野球人生で初めて」というサヨナラ本塁打で、阪神の選手としては、2015年5月27日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で福留孝介が記録して以来のサヨナラ本塁打でもあった。


堀井和人: スカウト時代は西川佳明・元木大介(ダイエー時代、入団拒否)・中村紀洋・福留孝介(近鉄時代、入団拒否)・坂口智隆・岡田貴弘を担当 。


関川浩一: 監督が山田久志に代わった2002年シーズンは福留孝介の外野手転向や英智の台頭もあり出番が減り、73試合の出場に留り打率.212と低迷した。


中谷将大: 後半戦でのスタメン起用は、正左翼手・福留孝介の休養日に事実上限られた。


金城龍彦: 2年生の夏に、大阪大会決勝で松井稼頭央・福留孝介を擁するPL学園に勝利し、第75回全国高等学校野球選手権大会に出場(背番号15)。


福留孝介の情報まとめ

もしもしロボ

福留 孝介(ふくどめ こうすけ)さんの誕生日は1977年4月26日です。鹿児島出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

卒業、父親、引退、テレビ、現在、ドラマ、事件に関する情報もありますね。今年の情報もありました。福留孝介の現在の年齢は47歳のようです。

福留孝介のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

福留 孝介(ふくどめ こうすけ、1977年4月26日 - )は、鹿児島県曽於郡大崎町出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投左打)、野球解説者。

1999年にNPB(セントラル・リーグ)の中日ドラゴンズへ入団し、2007年まで在籍。その間、首位打者を2回(2002年および2006年)、リーグ最優秀選手 (MVP)を1回(2006年)獲得。2003年・2006年にはシーズン30本塁打以上を記録したが、中日球団が本拠地をナゴヤ球場からナゴヤドームに移転した1997年以降、2021年までに30本塁打以上を記録した生え抜きの日本人打者は、福留が唯一である。アトランタオリンピック野球の銀メダリスト、アテネオリンピック野球の銅メダリスト。

2008年 - 2012年はMLB、2013年 - 2020年はセ・リーグの阪神タイガース、2021年 - 2022年は14年ぶりに復帰した中日ドラゴンズでプレーしていた。

大崎町立大崎小学校・大崎中学校出身で、小学校3年生の時にソフトボールのチーム「大崎ソフトボールスポーツ少年団」に入り、6年時に全国大会に出場。中学時代には将来プロ野球選手になることを意識して中学校の軟式野球部ではなく硬式球を使用するボーイズリーグの「鹿屋ビッグベアーズ」に入団し、全国制覇を果たした。また、中学校の卒業文集には「将来の夢はプロ野球選手」と記していた。

幼少期には小柄ながらも広大な阪神甲子園球場で本塁打を打つ立浪和義(PL学園高校から中日ドラゴンズへ入団)の姿に憧れ、「野球は体の大きさがすべてではない」と考えるきっかけとなった。少年時代に住んでいた鹿児島県大崎町に近い宮崎県串間市の串間市営球場で中日ドラゴンズが一軍春季キャンプを実施していたことから、福留は物心つくころから父親に連れられて、宮崎県内でキャンプを開催していた中日・広島東洋カープなどの練習を見学していた。小学校4年生の時(1988年春)に串間春季キャンプを見学した際には、同年にドラフト1位で入団した立浪を見て興味を持ち、最後まで練習を見学し、その後、立浪から1本のバット・サインをプレゼントされた。これがきっかけとなって、立浪と同じPL学園高校・中日でのプレーを目指した。

福留本人は「当時は小さかったから選手の記憶はほとんどないが、親によれば当時から立浪さんに興味を持っており、立浪さんのことをよく親に『あの選手は誰なの?』と聞いていた」「大きな選手がいる中でも目立っていた立浪さんを『すごい』と思った」と述べている。ちなみに中日時代の2006年には『毎日新聞』(毎日新聞社)の記事で「PL学園の先輩・立浪に代わる『ミスタードラゴンズ』に成長した」と言及されたことがあるほか、立浪の応援歌を流用した中日時代の応援歌は1999年の入団から2006年の歌詞変更を経て翌2007年の退団まで使用された。

中学校卒業時には地元の複数の有力高校から勧誘を受けたが、立浪への憧れに加えて「先(プロ野球)のことを考えたらより強い高校へ進学したほうがいい」という理由でPL学園高校(大阪府富田林市)へ進学した。1年(1993年)の夏から5番打者、1年の秋には4番打者を任された。1994年には2年春の第66回選抜高等学校野球大会で2年生にして唯一のレギュラー選手として出場。チームは準決勝で智弁和歌山高校に惜敗したが、福留は神戸弘陵高校との準々決勝で、2安打(いずれも適時打)を放つとともに3打点を挙げた。さらに、2年の冬に開かれた第1回AAAアジア野球選手権大会にも、日本代表として出場。渡辺元智監督の下で、代表チームの優勝に貢献した。

3年生だった1995年には、2年連続で選抜大会に出場。初戦の相手である銚子商業高校の4番打者にして、自身と同じ左打者の澤井良輔(銚子商業高校)と並び称される格好で、大会屈指のスラッガーとして注目された。この試合では、澤井の本塁打で銚子商業が先制すると、福留もバックスクリーンに3点本塁打を放つなど、両チームで打撃戦を展開した末に延長戦へ突入。しかし、延長11回表に3点を勝ち越されると、チームは7-10で初戦敗退を喫した。

同年夏の第77回全国高等学校野球選手権大会では、大阪大会で7本塁打を記録。チームの全国大会出場に貢献するとともに、「高校No.1スラッガー」としてNPB球団のスカウト陣から注目を集めた。全国大会では、北海道工業高校(現・北海道科学大学高等学校)と1回戦で対戦。3回裏には、打線が自身の右前安打を皮切りに4点を奪うと、打者一巡で迎えた2回目の打席でライトスタンドに満塁本塁打を放った。さらに、5回裏の打席で選手権全国大会史上11人目の2打席連続本塁打を記録するなど、3打数3安打6打点の大活躍。1回戦での大勝を受けて臨んだ熊本・城北高校との2回戦では無安打に終わったものの、日本大学藤沢高校との3回戦では三塁打1本と1打点を記録。続く智弁学園との準々決勝でも二塁打1本を含む3安打を放ったが、チームは6-8で惜敗した。

3年生の夏の大会で打率.467(15打数7安打)・7打点・2本塁打と好成績を残したことから、秋のNPBドラフト会議では7球団(中日・巨人のほか近鉄バファローズ・日本ハムファイターズ・千葉ロッテマリーンズ、オリックス・ブルーウェーブ、ヤクルトスワローズ)から1位指名を受けた。NPBのドラフト会議で、高校生の選手に対して7球団が1位指名で重複した事例は初めてで、高校の先輩・清原和博に対する6球団競合(1985年)をも上回った。結局、7球団による抽選の末に、近鉄バファローズが福留への交渉権を獲得。抽選に臨んだ近鉄の監督・佐々木恭介は、交渉権の獲得を意味する当たりクジを引いた瞬間、「ヨッシャー」と声を上げながら喜んだ。しかし、福留自身が会議の前に「希望する中日、読売ジャイアンツ(巨人)以外の球団から指名された場合には社会人野球・日本生命硬式野球部へ進む」との意思を示していたことから、近鉄からの指名後に入団を辞退。結局、日本生命へ入社した。

日本生命への入社後は三塁手へ転向し、入社1年目の1996年には第67回都市対抗野球大会で若獅子賞を受賞。アトランタオリンピックの野球日本代表に選ばれると、2本塁打を放つなど代表チームの銀メダル獲得に貢献した。アトランタオリンピックの野球競技へ出場した時点の年齢は19歳で、当時のオリンピック野球日本代表の最年少記録であった。翌1997年の第68回都市対抗野球大会で優勝。オフシーズンには社業の一環で保険の外交営業活動へ従事。また1998年の第25回社会人野球日本選手権大会では決勝戦でNTT関東硬式野球部相手に敗退し準優勝に終わったが、3試合連続で4本塁打を放った。社会人時代の通算成績は公式戦93試合出場・打率.383・33本塁打・96打点・25盗塁で、社会人時代も公式戦以外では木製バットを使用して練習していた。

入社3年目の1998年にドラフト会議の指名対象へ再び入ったことから年明け直後から、「子供の頃から立浪さんに憧れていた」と中日入りを熱望しており、逆指名制度を設けていたこの年のドラフト会議では、当時、立浪が所属していた中日を逆指名した。ドラフト1位扱いで、内野手として入団した。背番号は1で、契約金は1億円、年俸は1300万円(金額は推定)。

1999年、チームの新人では1989年の大豊泰昭以来10年ぶりに開幕戦でスタメン起用された。星野仙一監督の方針でスタメンへ積極的に起用されたが、オープン戦やシーズン序盤は不振だった。それでもその後は復調し、一時は打率3割を記録。監督推薦でオールスターゲームに選出された。最終的に一軍公式戦132試合に出場し、打率.284、16本塁打、52打点という上々の成績で、チームのセントラル・リーグ優勝に貢献した。しかし、三振数リーグ1位(121三振)を記録するなど粗さも目立ち、加えてリーグワーストの19失策を記録するなど主に遊撃手を務めた守備にも難があった。9月4日の広島東洋カープ戦(広島市民球場)では、0-0の9回裏二死一・二塁の場面で左翼手の守備に就いていたが、フライ性の打球を落球。走者を返しサヨナラエラーとなった。この試合を始め、ペナントレースや福岡ダイエーホークスとの日本シリーズでも敗因に繋がるミスが続出し、試合終盤は交代させられた。ちなみに、応援歌には、1997年まで立浪の応援歌として使われていた楽曲が流用された。オフの11月26日、新人野手では史上最高の上げ幅(当時)となる2900万円増の年俸4200万円で契約を更改した。

2000年、全135試合に3番・遊撃手で出場し、打率3割を達成することを目標にシーズンに臨んだ。オープン戦では打撃好調で打率.414、4本塁打を記録したが、シーズンは左投手が先発する試合ではスタメン落ちすることが多々あったこと、8月1日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)で藪恵壹から死球を受けて右腓骨を亀裂骨折し1か月以上戦線離脱したこともあり、97試合の出場に終わり前年より成績を落とした。

また、守備ではシーズン後半から負担が少ない三塁手へコンバートされるものの、失策続きは相変わらずで、14失策を記録した。その一方で、秋季キャンプでは内野守備が上達したことを評価されMVPに選ばれた。オフの11月28日、現状維持の年俸4200万円で契約を更改した。

2001年、6月26日の札幌ドームで初めて行われたプロ野球の試合となった対読売ジャイアンツ戦1回表、先頭打者としてダレル・メイ投手が投じた第1球を打つと、右中間スタンドに飛び込む本塁打となった。この本塁打は史上初めての「こけら落とし初球本塁打」であり、また、「背番号1の福留がその球場の1試合目の1回表に1番打者として1球目を第1号本塁打」と、「1」尽くめの歴史的本塁打にもなった。札幌ドームではその歴史的初本塁打のボールの落下点となった右中間スタンドの座席(111通路20列147番)に本人の名前を記した記念プレートが設置されている。

この年は開幕から8試合連続打点を記録するなど、好調なスタートを切ったが、その後は30打席無安打を記録したほか、6月15日には打率が.227まで低下するなど、不振に陥った。最終的には規定打席に到達したものの、成績は打率.251、15本塁打、56打点と低迷した。また、内野は一塁に山﨑武司、二塁に立浪、三塁にレオ・ゴメス、遊撃に井端弘和がいたことから、外野手としての出場も多かった。

オフの契約更改では球団から200万円増の4400万円の年俸を提示されたが、これを固辞し、現状維持の4200万円で契約更改。

2002年、福留にとって飛躍の年となる。

前年オフ、近鉄監督時代の1995年にドラフト会議1巡目で福留の交渉権を引き当てた佐々木恭介が一軍打撃コーチとして入団。「2年で2億狙える選手にするから」と宣言して二人三脚での再生に着手。連日1日3,000スイングの猛練習の末に打撃が開眼、3番打者に定着するほど打撃も成長した。このシーズンのセ・リーグ公式戦では、松井秀喜が三冠王目前の好成績を残したものの、福留は打率.343で首位打者のタイトルを獲得した。また、10月2日の阪神戦(阪神甲子園球場)で球団のシーズン最多安打記録(1949年に坪内道典が記録した177安打)に並ぶと、翌日の広島戦(広島市民球場)で1回表に三塁打を放ち、球団のシーズン最多安打記録を更新。最終的にシーズンの通算安打数を186本とした。この年は初めてベストナインに選出された。

守備では監督の山田久志の下、一軍外野守備走塁コーチの二宮至の進言により、本格的に外野にコンバートされた。当初も守備には難があったものの、辛抱強く起用され続け、右翼手に定着し、本来の俊足や強肩を生かしたプレーを見せてライトゴロを記録したほか、好返球でチームを救う場面も見られ、最終的にリーグトップの14補殺を記録した。この年は初めてゴールデングラブ賞を受賞した。

また、終盤は右肘の状態が良くなく、守備だけの出場に留まった試合もあったものの、最終的にチームで唯一全試合出場を果たした。

オフの12月19日、8000万円増の年俸1億2200万円で契約更改。25歳の年のオフに1億円に到達するのは、1994年の立浪に並んで野手では球団史上最速となった。

2003年、3月28日の巨人との開幕戦(東京ドーム)では開幕戦本塁打を2年連続で記録したほか、同点で迎えた7回一死一・三塁で決勝打を打ってチームを勝利に導いた。4月2日のヤクルトスワローズ戦(ナゴヤドーム)で延長12回裏に高津臣吾から自身初となるサヨナラ本塁打を放った。その後も4月20日の巨人戦(ナゴヤドーム)では上原浩治から、4月29日の広島戦では高橋建から先頭打者本塁打を放つなど、4月は自己最多となる月間6本塁打を記録した。6月8日の広島戦(ナゴヤドーム)でサイクル安打を達成。8月17日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)では2打席連続本塁打・4打点の活躍を見せ、本塁打・打点とも自己最多を更新した。同年は9月に5試合連続本塁打、10試合連続打点を記録したほか、9月15日の対巨人26回戦(ナゴヤドーム)では、1回裏に久保裕也から30号本塁打を打ち、初の30本塁打を達成。ナゴヤドームが開場した1997年以降、30本塁打を達成した中日の打者はレオ・ゴメス以来2人目で、日本人打者としては初であった。また、10月5日の横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)では3回表に33号ソロ本塁打を放ってシーズン105得点目を記録し、球団記録を更新した。

最終的には打率.313で前年に続いて打率3割を達成したほか、34本塁打、96打点を記録(いずれもチーム1位)して中軸を担うスラッガーとしての評価を不動のものにした。加えてリーグ最多の11三塁打を記録したほか、最高出塁率のタイトルを獲得した。この頃からバックスイング・フォロースルーとも大きく取るフォームを身につけた。

オフの12月25日、7800万円増の年俸2億円で契約更改。入団5年目での年俸2億円到達は同期入団の岩瀬仁紀と並び球団史上最速、26歳での年俸2億円到達は球団史上最年少だった。そして、同年限りで退団した佐々木恭介コーチの就任時の福留に対する「2年で2億狙える選手にするから」という宣言が現実のものとなった。

2004年、春季キャンプで右脹脛を痛めたため、オープン戦は5試合の出場に留まった。序盤は15打席以上安打が出ない時期が2度あったが、5月16日の横浜戦(ナゴヤドーム)では5安打6打点(いずれも自己最多タイ)の活躍でチームを勝利に導いた。この試合では1試合2本塁打を記録し、自身のナゴヤドームでの通算本塁打数を史上最多に並ぶ51本とした。5月25日のヤクルト戦(明治神宮野球場)で石川雅規から10号本塁打を打ち、プロ1年目から6年連続で2桁本塁打を達成。自己最速となる39試合目で2桁本塁打を記録した。8月3日の横浜戦(ナゴヤドーム)では三浦大輔の右前打を素早く処理し、打者の三浦を右ゴロに打ち取った。

また、アテネオリンピック野球日本代表の一員として選ばれ、銅メダルを獲得した。オリンピックから帰国後、8月28日の横浜戦(ナゴヤドーム)からチームに復帰し、翌日の横浜戦(ナゴヤドーム)と8月31日の阪神戦(ナゴヤドーム)では2試合連続本塁打を記録した(シーズン5度目)。ところが、9月1日の対阪神戦(ナゴヤドーム)で下柳剛から死球を受け、左手人差し指を骨折。シーズンの復帰は絶望となった。チームは福留を欠いたままリーグ優勝こそ果たすが、西武ライオンズとの日本シリーズでは3勝4敗と惜敗。不在は大きな痛手となった。同年は打率は.277(リーグ34位)だったが、開幕から8月にアテネオリンピックで離脱するまで4番打者を務め、一時期リーグ1位の打点を記録していたこともあった。球団と6度の交渉の末、翌年1月31日に推定年俸2億円(現状維持)で契約更改。

2005年、前年まで2年連続でセ・リーグ本塁打王のタイトルを獲得していたタイロン・ウッズが横浜から加入したことにより、4番の重圧から解放された。前年の左手人差し指の骨折の影響もあり序盤は不振で、4月終了時点では打率.231だった。だが、5月から調子を上げていき、6月には打率.300に到達。前半戦終了時点で打率.319(リーグ6位)を記録していた。

9月25日の対巨人戦(ナゴヤドーム)では上原浩治から27号2点本塁打を打ち、自身初の100打点に到達。中日の選手としてはゴメス(1999年)以来の100打点到達となった。また、同年はウッズも100打点に到達したため、中日球団としては初の「100打点コンビ」が完成した。同年は6月(交流戦終盤)に左脇腹を痛め欠場した試合があったものの、142試合の出場で打率.328・28本塁打・103打点と好成績を挙げ、最高出塁率、通算3度目のゴールデングラブ賞を受賞。同年オフからは試行錯誤を重ね、グリップの位置を後ろに引き気味に構えてテイクバックを小さくする打撃フォームに変更した。オフに推定年俸2億7000万円で契約更改。

2006年は開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。同大会ではスタメン3番として起用されたが、1次リーグでの中国戦の本塁打以外はなかなか結果が出なかった。しかし、スタメンから外された準決勝の対韓国戦において、7回表一死二塁の場面で代打で出場し、金炳賢から先制2点本塁打を放ち、日本の決勝進出に大きく貢献。それまで日本は韓国相手に2敗しており3連敗はできない状況だったことと、この試合の実況を担当した松下賢次が「生き返れ福留」と言った直後に本塁打を放ち、結果「生き返ったぞ福留!!」と絶叫したことも相まって、この本塁打はマスコミにも大きく取り上げられた。キューバとの決勝戦でも代打で2点適時打を放つなど、持ち前の勝負強さを発揮した。日本代表はWBCで優勝したため、4月10日にチームメイトの谷繁元信と共に愛知県スポーツ功労賞を受賞した。

シーズンに入ってからは開幕は5番で起用されるものの、前を打つ2番藤井淳志、3番井端弘和の不調もあり、3番に昇格。序盤は打率1割台の時期もあったものの、その後は復調。「福留デー」として開催された4月26日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)では7回裏に決勝適時打を放った。最終的に打率.318、8本塁打、14打点で4月を終えた。その後も5月は月間打率.370、6月は月間打率.362と好調を維持した。6月14日の西武戦(インボイスSEIBUドーム)で、クリストファー・ギッセルから左中間に二塁打を放ち、史上241人目となる通算1000安打を達成。ところが、6月25日の巨人戦(ナゴヤドーム)で右膝を痛め、その後7月8日に二軍へ降格した。

7月25日の阪神戦(ナゴヤドーム)で復帰すると、8月、9月とも.350を超える月間打率を残すなど首位打者争いを独走。10月10日、マジックナンバーを1として迎えた対巨人戦(東京ドーム)で、延長12回表に決勝点となる勝ち越し適時打を放ち優勝を決めると共に、シーズン打率.351・長打率.659・本塁打30本(最終的には31本塁打)・100打点(最終的には自己最多となる104打点)・100得点を達成。このうち打率3割・30本塁打・100打点・100得点は中日の選手としては1950年の西沢道夫以来2人目・56年ぶりの達成となった。また同日の試合では4回表の第二打席で巨人の先発投手・姜建銘から右中間への二塁打を放ち、セ・リーグ新記録となるシーズン46二塁打を記録した。10月は打率.275、OPS.831とやや調子を落としたが、3月から9月まで月間打率3割、同OPSも10割を切ることのない安定した打撃をシーズンを通して続け、2002年以来4年ぶりの首位打者と2年連続の最高出塁率を獲得し、二塁打も当時のセ・リーグ年間記録を塗り替える47本を記録した。また4番を担ったウッズも同年47本塁打・144打点と西沢の年間球団記録である46本塁打・135打点をともに塗り替えた上で本塁打王・打点王の二冠王に輝き、打撃三部門タイトルはこの2人により独占された。ポジションも開幕は右翼手、その後は元々予定されていた中堅手へコンバートされたが、シーズン終盤からは右翼手に固定となった。

北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは、第2戦で一時は勝ち越しとなるソロ本塁打を放ったものの、トータルでは打率.200、2打点とあまり活躍できず、チームは日本一を逃した。11月14日には最優秀選手賞を受賞した。この年はWBC開幕前の2月から右肩痛を抱えており、オフの日米野球2006に選出されていたが出場を辞退した。

オフの契約更改では4億円を希望した福留に対し、球団は3億8000万円を提示したため、交渉が難航したが、翌年キャンプ中の2月22日に推定年俸3億8500万円で合意した。

2007年、ナゴヤドームでの入場曲にレッド・ホット・チリ・ペッパーズの『アラウンド・ザ・ワールド』を使用した(2006年シーズンはホワイト・ストライプスの『ブルー・オーキッド』を使用していた)。開幕から不動の3番・右翼手として起用され、4月21日のヤクルト戦(明治神宮野球場)で3年ぶりに1試合5安打を記録、4月終了時点で打率.363、9本塁打、24打点(打率はリーグ2位、本塁打と打点はリーグ1位)を記録するなど、序盤から打撃好調だった。しかし、5月10日の広島戦(広島市民球場)の守備でダイビングキャッチをした際に負傷。その後、5月は本塁打がなく、交流戦中の5月末から6月前半には6試合31打席無安打、13試合打点なしと不振に陥り、打率も3割を下回った。6月3日のソフトバンク戦では、ダイビングキャッチの際に負傷したが、それでもチームで唯一、開幕からフルイニング出場を続けていた。タイロン・ウッズが腰痛で欠場した6月16日から20日までの4試合は4番で起用された。ところが、7月15日の阪神戦(甲子園球場)の守備で右肘痛を悪化させ、前半戦最後のヤクルト3連戦(ナゴヤドーム)ではスタメン落ちした(1戦目と2戦目は代打で出場、3戦目は欠場)。ファン選出されたオールスターゲームは第1戦でウッズの代走から次の打席に指名打者として打席に立った(結果は遊ゴロ)だけだった。その後7月24日に登録抹消され、8月に渡米して内視鏡による除去手術を行うことを決意。シーズン中の復帰は不可能になり、続くクライマックスシリーズ、日本シリーズも出場することはできなかった(日本シリーズ出場選手40人枠には入っていた)。チームは53年ぶりに日本シリーズ優勝を果たしたが、FA宣言したこともあり、日本一パレードやファン感謝デーには参加しなかった。

2007年は規定打席に到達しなかった上、上述のように不振に陥った時期もあったが、200打席以上の選手では、リーグ内でOPSが2位、NOIが1位と非常に優秀な成績であった。

シーズン終了後にはこの年から適用された故障者特例措置によりFA権を取得し、11月12日に正式に行使することを表明。同日に、一般女性と入籍したことも明らかにした。12月16日に第1子(長男)が誕生。

2007年12月12日、ジョー・アーボンを代理人とし、シカゴ・カブスと4年総額4800万ドル(約53億円)の契約に合意。身体検査を経て19日に本拠地で正式契約を交わし、背番号は1になることが発表された。なお報告記者会見は帰国後の22日に行った。カブス入団決定後、地元シカゴのメディアは福留のローマ字表記、「FUKUDOME」が放送禁止用語の「FUCK」を連想させるとして、懸念する記事を掲載した。

2008年、3月31日のミルウォーキー・ブルワーズとのMLB開幕戦に、「5番・右翼手」としてスタメンで出場。この試合では複数のカブスファンが福留に対し、カブスファンの常套句である「It's gonna happen」(「何かが起こるぞ」あるいは「ついにその時が来た」)の誤訳と思われる「偶然だぞ」と書かれたサインボードを掲げる珍事が起こった(当時はGoogle翻訳で「It's gonna happen」を訳すと「偶然だぞ」になっていたが、これが話題になったためか、後に修正されている。)。初打席ではベン・シーツから二塁打を放ち、9回裏無死一・二塁の場面ではエリック・ガニエから同点3点本塁打を放ち、鮮烈な印象を与えるデビューとなった。4月までは打率.327、出塁率.436、長打率.480、OPS.915の成績を残し、多くの地元紙がチーム四球数の増加を受けて「カブス打線を変えた福留」という記事を取り上げる活躍を見せた。その後はオールスターにもファン投票で選出されたが、インコースの速球に弱いと見抜かれると徐々に調子を落とし、以降は打率と出塁率が前月の数字を上回ることがなく、5月以降は打率.241、出塁率.340、長打率.355の成績に終わり、起用法も9月以降は守備要員としての出場が増えていった。チームはディビジョンシリーズに進出したものの、福留自身は第1戦と第2戦でスタメン出場して8打数無安打4三振に終わり、監督のルー・ピネラは「もう福留を使う意味がない」と公言、3戦目の移動のために利用したシカゴのオヘア空港では「フクドメ・コウスケさん、シンシナティ・レッズへ向かってください。トレードが決まりました」といたずらの館内放送を流されるなどファンからも見放され、チームもディビジョンシリーズ3連敗でシーズンを終えた。右翼手として守備は±システム1、DRS3、UZR6.0との数値を残した。

2009年、開幕前の3月に開催された第2回WBCの日本代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。シーズンでは前年に続いて、4月は打率.338、出塁率.461、長打率.592、OPS1.052の好成績を残すも、5月以降は打率.245、出塁率.360、長打率.393と失速した。特に左投手に.164と振るわず、後半戦は左投手が先発のときはベンチスタートとなることが増えた。慣れない中堅の守備でも苦労し、中堅手として±システムは-8で両リーグワースト6位、DRS-5は両リーグワースト8位、UZR-7.6は両リーグワースト7位であったが(右翼の守備は依然高レベルであり、44試合の出場ながら±システム9・守備防御点8・UZR7.8を残した)、本人は「納得する形でできた」と自己評価した。

2010年、4月には3年連続で好成績(打率.344、出塁率.443、長打率.525、OPS1.084)を残すも、6月は自己ワーストの月間OPS.485を残すなどその後は失速し、8月2日には打率が.247まで降下したが、それ以降は復調し8月はメジャー3年目で最高となる月間打率.365、出塁率.467、OPS1.118を記録して9月1日には打率が.281まで上昇する。8月10日のAT&Tパークでのサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で、ティム・リンスカムからライトスタンドを越える場外本塁打を放ち、日本人初の「スプラッシュ・ヒット」を記録した(ただし、フェンス最後部にある旗に当たってから海に落下したため、障害物に触れた打球は公式には「スプラッシュ・ヒット」として認定されていない)。しかし9月に再び失速し、最終的に打率や長打率、本塁打数などでカブス移籍後自己最高の成績を残したが、好不調の波が激しかったことが災いし、3年目で初めて規定打席に到達できなかった。守備では右翼手として起用されたが、±システム-3、DRS-3、UZR-4.4と振るわなかった。オフにはシカゴ市内にマンションを購入した他、グリーンカードを取得し、カブスとの契約終了後もメジャーでのプレーを希望していることを明らかにした。

2011年、4月は打率.383、出塁率.486、長打率.400、OPS.886の好成績を残す。しかしその後は例年と同じく調子を落とし、76試合の出場で打率.275、3本塁打、OPS.751の成績で前半戦を折り返したが、1打席あたりの平均球数は7月までリーグトップの4.34を記録した。

2011年7月28日にアブナー・アブレイユ、カールトン・スミスとのトレードでクリーブランド・インディアンスへ移籍。背番号は中日、カブス時代と同じ1となった。この移籍により、この年の日本人野手は全員アメリカンリーグの球団に所属することになった。

7月29日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で移籍後初出場。8月は打率.293、1本塁打、OPS.744と復調し、27日には契約終了後もMLBでのプレーを希望していることをクリーブランドの地元紙に明かした。9月は4本塁打を放ったが、打率.216、OPS.623と再び調子を落とし、特に出塁率は移籍前には.374と高い数字を残していたが、移籍後は.300と低下した。最終的にシーズン通算で打率.262、8本塁打、35打点、OPS.712に終わったが、これは打率を除けばメジャー移籍後ワーストの成績であった。一方、安打数はメジャー自己最多139、守備では補殺7、アームレーティング7(いずれも中堅手と右翼手としての合計)と自己ベストの強肩ぶりを見せたが、右翼手として両リーグ最下位のUZR-10.5、同ワースト4位のDRS-1、同じく±システム-6と守備範囲に顕著な課題を残した。

2012年2月14日にシカゴ・ホワイトソックスと1年100万ドルで契約する(2年目は年俸300万ドルの球団オプション)。主に代打や守備要員として起用されるも、24試合の出場で打率.171、本塁打なし、OPS.489を喫し、6月7日に右脇腹痛でDL入りする。22日にDFAとなり、26日に自由契約となった。

2012年7月13日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。AAA級スクラントンでは39試合の出場で打率.276、2本塁打、OPS.818を残し、外野手の他22試合で一塁手としても起用されるが、メジャー昇格はならず、シーズン最終戦の9月3日に自由契約となった。後にNPBへ復帰する意向を示したことから、阪神タイガースや横浜DeNAベイスターズなど、複数のNPB球団が福留の獲得に向けて交渉を進めた。

2012年12月25日に阪神タイガースとの入団合意が発表された。2013年1月5日に正式契約を交わした後、入団会見が行われた。背番号は8。福留は入団にあたって「長らく待って頂き、正式に入団となりましたが、今はスッキリとした気持ちと大丈夫かなという不安と半々です」とコメントし、入団の決め手について「僕自身が(アマチュア時代に)関西でプレーしたことがありますし、一度プレーしたことのある場所はすんなり入って行けるのではと思いましたので。それと凄く熱心に誘って頂き、最後まで我慢強く待って頂いたという所も僕の中では凄く有り難く、嬉しい気持ちでしたので、そういうところが大きな決め手となりました」とコメントした。

2013年、一軍公式戦の開幕から「5番(または6番)・右翼手」として連日スタメンに起用。春先には、チームトップの打点を挙げていた。4月19日のヤクルト戦(甲子園)では、7回裏に同球場で6年ぶり(阪神移籍後では初めて)の本塁打を放ったことを皮切りに、2本塁打・6打点と活躍。同点で迎えた延長12回裏には、二死満塁からこの試合2本目となる本塁打を放つことで、チームにサヨナラ勝利をもたらした。しかし、5月3日のヤクルト戦(甲子園)第1打席で一塁へ走った際に左膝を痛めて交代すると、以降の4試合に続けて欠場。同月8日付で出場選手登録を抹消された。同月28日に患部のクリーニング手術を受けてからは、リハビリと二軍での再調整を経て、夏季長期ロード中の8月13日に一軍へ復帰した。8月26日の中日戦(ナゴヤドーム)からは、故障で戦線を離脱した大和に代わり、中日時代の2006年以来6年ぶりに中堅手としてスタメン出場。8月28日の巨人戦(東京ドーム)では、4回表の第2打席で、中日時代の2005年以来7年ぶりに同カードで本塁打を放った。ところが、6回表の第3打席で安打を放って出塁した際に、左ふくらはぎを痛めて途中交代。その影響で9月1日に出場選手登録を再び抹消された。9月11日に一軍へ復帰したが、阪神のシーズン最終戦になった広島とのクライマックスシリーズ・ファーストステージ第2戦(10月14日・甲子園)でも、1回裏の第1打席で右足のふくらはぎを痛めて2回表の守備から交代。移籍後最初のシーズンは63試合の出場に留まり、打率は2割、出塁率も3割を下回るなど、「打率3割、出塁率4割」というシーズン前の公約を大きく裏切る結果に終わった。

2014年、右翼手として公式戦開幕3戦目の巨人戦(3月30日・東京ドーム)2回裏の守備で、大竹寛が放った浅い飛球を追って二塁手の西岡剛と激突(記録は右越2点三塁打)。その勢いで宙を舞った西岡は、後頭部からグラウンドに落下したため、救急車で病院に搬送された(搬送先の病院での診断は鼻骨の骨折・胸部の打撲・軽度の左肩鎖関節の脱臼)。福留もしばらく昏倒していたが、西岡の搬送後から守備に復帰。4回表の第2打席(失策による出塁)で代走を送られるまで出場を続けた後に、病院での診察で胸部打撲との診断を受けた。4月29日の広島戦(甲子園)でブライアン・バリントンから決勝のソロ本塁打を放ってNPB一軍通算200本塁打を記録したが、以降の公式戦では1か月以上長打が出なかった。また、打率.188、2本塁打、9打点と不振に陥ったことに加えて、緒方凌介の台頭などの影響で次第に出場機会が減少。6月10日から同月26日までは、阪神への入団後初めて、不調を理由に出場選手登録を抹消されていた。一軍復帰後は、コンパクトなスイングへの改造によって打撃が復調したことから、再び右翼のレギュラーを確保。7月16日の中日戦(ナゴヤドーム)では自身10年ぶりの犠打を成功させるなど、攻守にわたってチームプレーをたびたび披露している。同月22日の巨人戦(甲子園)では、引き分け寸前の延長12回裏二死無走者で迎えた打席で、スコット・マシソンからライトポール直撃のサヨナラ本塁打を放った。福留はこの本塁打で、NPBの一軍公式戦における延長12回以降のサヨナラ本塁打の通算最多記録(3本)を樹立。巨人戦における延長12回以降のサヨナラ本塁打は、阪神球団史上初の快挙であった。さらに、8月1日の対DeNA戦(甲子園)でも、同点で迎えた延長10回裏一死一・三塁から中前にサヨナラ安打。代打で登場した関本賢太郎が敬遠四球で出塁した直後の打席で、この日が開場90周年の節目に当たる甲子園球場に花を添えた。クライマックスシリーズファーストステージ(対広島、甲子園)では、第1戦で前田健太からソロ本塁打を放って決勝点を挙げた。

2015年、3月29日の中日戦(京セラドーム大阪)にて、NPB/MLB通算250本塁打を記録した。5月27日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、延長11回裏、二死一塁から自身4本目となるサヨナラ本塁打(2ラン)を放ち、さらに翌5月28日にも、延長11回、二死満塁というチャンスで、フルカウントから際どい投球を見送り、押し出し四球を選び、阪神タイガースの球団通算5000勝をサヨナラで飾り、2日連続でサヨナラ劇を演じる。また6月27日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)で、2010年のカブス時代以来5年ぶり、日本球界では2007年の中日時代以来8年ぶりに、シーズン10本塁打を、9月25日の広島戦では2006年以来となるシーズン20本塁打を記録した。最終的に打率.281(チーム2位)、20本塁打(チーム1位)、76打点(チーム1位)と、打撃三部門いずれもチームでトップクラスの数字を残した。巨人とのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージでは、第3戦の7回にソロ本塁打を放ったが、チームは1勝2敗で敗れた。同年は9年ぶりにゴールデングラブ賞を受賞した。

2016年、6月20日のオリックス戦(甲子園)で、プロ野球史上121人目となるNPB通算1500安打を達成。第1打席に右中間方向への二塁打を放つと、続く第2打席にライト前安打を放ち大台に到達した。その2試合後となる6月25日の広島戦(マツダスタジアム)で、日米通算2000安打を達成した。第2打席にライトへの二塁打を放ち王手とすると、続く第3打席に二塁方向への内野安打を放ち達成した。7月30日の中日戦(甲子園)で、中日に所属していた2003年6月8日の広島戦(ナゴヤドーム)で達成して以来、13年ぶり自身2度目となるサイクル安打を達成した。これはNPBでは通算69度目の達成となる。最終的に、一軍公式戦131試合に出場し、打率.311、11本塁打を記録した。

2017年、球団史上最年長の40歳でチームキャプテンに就任。前年まで5シーズン務めてきた鳥谷の後任で、他球団からの移籍によって阪神へ入団した選手からの起用は球団史上初めてであった。レギュラーシーズン中は、左投手の先発が予告された試合を中心に、首脳陣の方針で「積極的休養」(週に1~2試合ペースでの欠場)をはさみながら一軍公式戦93試合で4番打者に起用。6月6日の対オリックス戦(京セラドーム)からは、守備位置を右翼から左翼へ変更した。

レギュラーシーズン全体では、127試合の出場で、チーム2位の18本塁打、前年を上回る79打点、打率.263を記録。シーズン2号本塁打を記録した4月21日の対巨人戦(東京ドーム)から本塁打を放った試合でチームを12連勝に導いたり、8月に休養明けの5試合ですべて本塁打を記録するなど、前述した首脳陣の配慮にも応え続けた。レギュラーシーズン終盤の9月には、甲子園球場で3日に催された古巣の中日戦で、NPB一軍公式戦通算350二塁打を達成。29日の対DeNA戦(横浜)では、全4打席の出塁でシーズン初の4打点を挙げたことによって、チームの大勝と2年ぶりCS進出確定に貢献した。DeNAとのCSファーストステージ(甲子園)では、40歳5か月で迎えた10月14日の第1戦で決勝本塁打を放ったことによって、NPBのポストシーズンにおける決勝本塁打の最年長記録を更新。しかし、日本シリーズへの進出には至らず、12月11日には推定年俸2億2000万円(前年から1000万円減)という条件で契約を更改した。

2018年、前年に続いてチームキャプテンを務めながら、左翼手としてレギュラーシーズンをスタート。「積極的休養」をはさみながら、クリーンアップの一角を担った。開幕当初は、この年に入団したウィリン・ロサリオを4番打者に固定する方針の下で、ロサリオの前後の打順(3番か5番)を任されていた。ロサリオが打撃不振で4番を外れた5月下旬からは、4番にも随時起用。3番打者として臨んだ6月14日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)では、8回表の打席で公文克彦からシーズン5号本塁打を放った。福留は中日時代の2005年にセ・パ交流戦が始まって以降、NPB一軍公式戦のカードで対日本ハム戦にのみ本塁打を記録していなかったが、この本塁打によってNPB史上33人目(阪神の選手では3人目)の全球団本塁打を達成した。7月3日に甲子園球場で催された古巣・中日との公式戦では、1回裏の第1打席で小笠原慎之介から右前打を放ったことによって、NPB実働15年目で史上57人目の一軍公式戦3000塁打を記録している。同年は123試合に出場し、打率.280、14本塁打、72打点でシーズンを終えた。オフに推定年俸1億5000万円で翌年の契約を結んだ。

2019年、チームキャプテンを糸原健斗に託し、「5番・左翼手」としてスタメンでレギュラーシーズンをスタート。4月6日の対広島戦(マツダ)では、8回表の打席で放ったシーズン1号ソロ本塁打で、NPB一軍公式戦通算1000打点を達成した。NPB史上46人目の記録だが、41歳11か月での達成は、中日時代のチームメイトだった谷繁元信の42歳5か月に次いで史上2番目の年長記録である。さらに、5月5日の対DeNA戦(甲子園)では、5-5の同点で迎えた9回裏二死一塁の第5打席で、5番打者として三嶋一輝から3号本塁打を記録。この本塁打で、セ・リーグ公式戦通算5万号本塁打、阪神の公式戦における令和時代初のサヨナラ本塁打および、セ・リーグ公式戦史上最年長(42歳)のサヨナラ本塁打を同時に記録した。その後も「積極的休養」をはさみながら公式戦へのスタメン出場を続けていたが、5月31日の対広島戦(マツダ)の試合中に右脹脛の張りを訴えて途中交代。後の診察で右脹脛に軽度の筋挫傷が生じていることが判明したため、翌6月1日付で出場選手登録を抹消された。福留の登録抹消は2014年6月以来5年ぶりだが、故障を理由に抹消されたのは、阪神1年目の2013年9月に左脹脛を痛めて以来6年ぶりである。実際には、最短抹消期間である10日の調整だけで一軍に復帰。6月16日の対オリックス戦(京セラドーム)9回裏に代打で出場すると、増井浩俊から2点適時二塁打を放ったことによって、日本人選手としては史上3人目のNPB/MLB公式戦通算500二塁打を達成した。復帰を急いだ反動で左脹脛にも張りが生じたため、同月22日に登録を再び抹消。7月23日に一軍へ戻ると、同月28日の対巨人戦(東京ドーム)2回表に走者として本塁へ生還したことによって、NPB公式戦通算1000得点を史上最高齢の42歳3か月で達成した。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦104試合に出場。5年ぶりに規定打席に到達しなかったものの5番打者として62試合、3番打者として36試合にスタメンで起用されたほか、5年連続で2桁本塁打(10本)を記録するなどの活躍でチームを2年ぶりのCS進出に導いた。42歳で臨んだ12月12日の契約交渉では、推定年俸1億3000万円(前年から2000万円減)という条件で契約を更改。

2020年、NPBの現役最年長選手としてレギュラーシーズンの開幕から一軍に帯同していたが、極度の打撃不振でスタメン出場の機会が例年から大幅に減少。開幕の翌月(7月)からは二軍が甲子園球場か阪神鳴尾浜球場でデーゲーム(ウエスタン・リーグ公式戦)、一軍が甲子園球場でナイトゲーム(セ・リーグ公式戦)を開催する日に自身の希望で両方の試合(いわゆる「親子ゲーム」)に出場することが相次いでいた。10月20日には翌年の戦力構想から外れていることを通告された。しかし、他球団での現役続行を希望したため、11月6日にはこの年限りで能見篤史・上本博紀と共に退団することが球団から正式に発表された。12月2日付でNPBから自由契約選手として公示。

2020年12月9日に中日が非公式で入団交渉を行い、大筋で合意。3日後の12日、球団から獲得が発表された。背番号は9で、推定年俸は3000万円。

2021年、キャンプは二軍スタートとなった。3月18日に一軍昇格し、同月21日の対日本ハム戦で秋吉亮から右翼に代打2点本塁打を放ち、一軍における中日復帰後初安打となった。一軍で迎えた3月26日の広島との開幕戦(マツダスタジアム)では8回表に代打で出場し、四球を選んだ。この打席が日米通算10000打席目となった。4月3日の阪神戦(京セラドーム大阪)では復帰後初安打を記録。交流戦ではほぼレギュラーの位置付けとなり、5月29日の日本ハム戦(札幌ドーム)で3番・指名打者として出場し、4安打を記録。44歳での4安打は2015年5月4日の阪神戦で記録した谷繁元信以来2人目となった。中日での猛打賞は2007年6月10日の千葉ロッテマリーンズ戦以来、実に5102日ぶりであった。7月7日の巨人戦(東京ドーム)で中日復帰後初本塁打を放ったほか、7月10日のDeNA戦(バンテリンドーム ナゴヤ)では同球場で中日復帰後初本塁打を記録した。後半戦は、8月27日の巨人戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で通算1000四球(史上最年長)、9月12日のヤクルト戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で球団史上最年長本塁打、10月10日のDeNA戦(横浜スタジアム)でNPB通算2000試合出場(史上最年長)を達成した。だが、チームのBクラスが決定的な状況だったため、若手選手に出場機会を譲る目的で10月11日に登録抹消され、そのままシーズンを終えた。オフの11月20日に300万円増の年俸3300万円+出来高払いで契約更改。

2022年、キャンプは一軍から始まった。巨人との開幕戦(東京ドーム)では巨人の開幕投手・菅野智之との相性の良さを買われて「3番・左翼手」としてスタメン起用され、日本ハム時代の落合博満を抜き、開幕戦の史上最年長スタメンとなったが、4打数無安打2三振で7回裏の守備から交代した。同年は開幕から25打席無安打が続き、シーズン初安打は5月26日の西武戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で森脇亮介から打った右翼線適時二塁打だった。この一打により、山﨑武司が保持していたセ・リーグ史上最年長二塁打の記録を45歳1か月に更新した。しかし、その後も安打が出ず、交流戦終了時点で打率.043と不振で、交流戦終了後の6月13日に登録抹消された。9月7日に同年限りでの現役引退の意志を固め、翌8日に球団を通して正式に現役引退を表明、会見を開いた。引退の理由として「気持ちの面が一番」とした上で、24年間の現役生活については「本当にこれだけ好きな野球をやらせて頂いて、自分の好きなように生きてきて、本当に楽しかったです」と語った。引退会見では大島洋平、大野雄大、祖父江大輔、木下拓哉、阿部寿樹、高橋周平、柳裕也、京田陽太がサプライズで登場し、チームを代表して花束をもって福留を労った。9月23日の巨人戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で引退試合が行われ、この試合では9回表から右翼手として出場。9回裏に現役最終打席に立ち、鍬原拓也に二飛に打ち取られた。

2023年からは、日本テレビ・中京テレビ・東海テレビ・NHKBSMLB中継・東海ラジオ・MBSラジオの野球解説者、中日スポーツの野球評論家に就任(CBCテレビテレビ愛知・フジテレビONE・カンテレ・サンテレビ等のプロ野球中継でもゲスト解説者として出演することがある)。

2023年1月11日、プロ入り前に在籍した日本生命硬式野球部で特別コーチに就任した。単年契約で、月に5,6回程度の指導を行う予定。

高校時代より節目ごとにフォーム改造に取り組んでおり、打球を広角に放つことができる。中日時代に30本塁打以上を2度記録しているが、カブス移籍後は1、2番での起用が多くなり、出塁を優先するスタイルとなった。中日時代に3度の最高出塁率を記録し、現役のメジャーリーガー中7位の通算四球率.134を記録した打席での辛抱強さと出塁能力の高さはメジャーでも高い評価を得た。2009年には日本人選手MLBシーズン最多記録となる93個の四球を選んでいる。しかし、中日時代から左投手に対しての好不調の波が年によって激しく、2009年には左投手に対し打率.164と不振に陥り、カブス時代はそれ以降左投手と対戦する場合の先発を外れることが多くなった他、メジャー時代は例年4月は通算打率.345、OPS.979と好成績を残したが、5月以降は通算打率.244、OPS.718と結果を残せずにいた。

MLBにおける右翼手の平均水準を上回る強肩の持ち主で、阪神時代の2017年序盤までの試合では、主に右翼の守備へ就いていた。しかし、加齢などに伴って守備力が徐々に低下したため、同年のセ・パ交流戦以降は左翼手に転向している。

右翼の守備では、フライの軌道の読みが鋭く、阪神への移籍後にゴールデングラブ賞を1度獲得した。「外野の守備が難しい球場」として知られるリグレー・フィールドが本拠地であるカブス時代には、2008・2009年に、右翼手としてDRSとUZR共に高い数値を記録した。2010年以降は、通算DRSが2、通算UZRが-2.2にまで低下。中堅手にも起用されたが、通算DRSは-10、通算UZRは-9.7で、いずれも中堅手としてのMLB平均を大きく下回った。

走塁面では、カブス時代に本塁から一塁への到達タイムで最速4.05秒を記録したほどの俊足の持ち主。

愛称は「ドメさん」など。

野球を始めた当初は右打ちで、右手の力が強すぎるため打球がことごとくレフト方向に切れファウルになっていた。小学4年生時に両親らの勧めもあり左打ちに転向した。

中日入団直後の1998年末には『中日新聞』(中日ドラゴンズの親会社・中日新聞社発行)記者・西沢智宏のインタビューを受けたが、その際には「好きな食べ物は魚。海に近い町で育ったから子供のころから魚を多く食べており、釣りにもよく行った」と述べており、星野監督も「(福留は)魚をたくさん食べていたようだからそのおかげで体が頑丈に育ったようだ」と述べている。

愛媛県立今治西高校の左投手だった藤井秀悟とは、高校2年時の第1回AAAアジア野球選手権大会で日本代表へ一緒に選出されて以来の親友。藤井も早稲田大学を経てNPBの4球団(ヤクルト・日本ハム・巨人・DeNA)で投手生活を送ったため、福留とは、NPBのオープン戦や一軍公式戦で何度も対戦している。

本人曰く「子どものころからコマやけん玉が得意」。2002年12月27日にNHKの番組「東海2002・この1年」に生出演した際には、けん玉の「ホームラン」という大技を成功させた。

マネジメントは吉本興業が担当している。

阪神移籍後の2013年4月23日に古巣・ナゴヤドームで開かれた中日戦では、5回裏にチームメイトの久保田智之が同年初の一軍登板(救援)で8失点を喫すると、イニング終了後に阪神ベンチの上から久保田に向けて野次を飛ばした観客へグラウンド上から応戦するという一幕があった。その一方で、左翼手として出場していた2017年9月12日の対巨人戦(甲子園)では、延長12回表に寺内崇幸が放った左翼フェンス直撃の打球(記録は二塁打)を処理中に、左翼スタンドの観客が福留に向かってプラスチック製の容器を投下。容器は、福留の頭上を通過した末に、左翼のフェアグラウンドへ落下した。

阪神への入団当初は、チームメイトで同郷(鹿児島県出身)の大和(前田大和)、榎田大樹、金田和之を食事に誘って「鹿児島県人会」を開いていた。ただし、金田は2017年にオリックス、大和は同年のシーズン後にDeNA、榎田は2018年のオープン戦期間中に西武へ移籍している。

NPB現役最年長選手として阪神で迎えた2020年シーズンには、新人選手による公式戦シーズン最多安打のセ・リーグ記録(159安打)を前年に樹立した正中堅手の近本光司が、6月19日の開幕から1割台の打率に陥っていた。自身も極度の打撃不振に見舞われていた福留は、広島遠征中の7月3日にマツダスタジアムで予定されていた対広島戦が雨天で中止になったことを受けて、同スタジアムの室内練習場で近本へバッティングを直々に指導した。わずか10分間であったが、近本はこの指導をきっかけに打撃フォームを修正。7月に月間打率.276、8月に.362を記録するなど、徐々に調子を戻している。一軍の監督として指導の様子を見届けていた矢野は、「(打撃不振から脱出する)きっかけをどこからでもつかむことはあり得るので、チカ(近本)にとって、同じ左(打者)の(福留)孝介から教えてもらうことは良かったと思う」という表現で、福留の熱心な姿勢を高く評価している。

日本テレビの『はじめまして!一番遠い親戚さん』(2022年1月2日放送)にて、はとこの子(7親等の血族)が俳優・歌手の北村匠海であると判明した。

各年度の太字はリーグ最高

2003年は規定打席到達者の中でリーグ1位。同年は、ロベルト・ペタジーニが規定打席に20打席不足していたが、20打席分を凡打と仮定しても、出塁率.436、OPS1.079でいずれも福留を上回る。なお、この場合、現在の公認野球規則10.22(a)では最高出塁率はペタジーニとなるが、当時は出塁率は対象外だった。

各年度の太字はリーグ最高

太字年はゴールデングラブ賞受賞

首位打者:2回(2002年、2006年)

最高出塁率:3回(2003年、2005年、2006年)

最優秀選手:1回(2006年)

ベストナイン:4回(外野手部門:2002年、2003年、2006年、2015年)

ゴールデングラブ賞:5回(外野手部門:2002年、2003年、2005年、2006年、2015年)

月間MVP:1回(野手部門:2002年9月)

セ・リーグ 連盟特別表彰:1回(功労賞:2022年)

最優秀JCB・MEP賞:1回(2006年)

優秀JCB・MEP賞:1回(2005年)

JA全農Go・Go賞:5回(強肩賞:2002年9月、2003年9月、2004年9月、2005年9月、最多二・三塁打賞:2005年8月)

スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞年間大賞:1回(2014年)

月間サヨナラ賞:3回(2013年4月、2014年7月、2015年5月)

出身地別東西対抗戦最優秀選手:1回(1999年)

出身地別東西対抗戦優秀選手:1回(2001年)

ヤナセ・中日ドラゴンズMIP賞:1回(2003年)

ヤナセ・阪神タイガースMVP賞:1回(2015年)

サンスポMVP大賞:1回(2017年)

ドラゴンズクラウン賞:最優秀選手賞(2002年)、優秀選手賞(2003年、2005年、2006年)

愛知県スポーツ功労賞(2006年4月10日)

初出場・初先発出場:1999年4月2日、対広島東洋カープ1回戦(ナゴヤドーム)、2番・遊撃手で先発出場

初打席:同上、1回裏にネイサン・ミンチーから中飛

初打点:1999年4月4日、対広島東洋カープ3回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に広池浩司から中犠飛

初安打:同上、7回裏に紀藤真琴から右中間二塁打

初本塁打:1999年4月16日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、3回表にバルビーノ・ガルベスから右中間ソロ

初盗塁:1999年6月23日、対読売ジャイアンツ13回戦(ナゴヤドーム)、4回裏に二盗(投手:三澤興一、捕手:村田真一)

100本塁打:2004年4月14日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、8回表に上原浩治から右越2ラン※史上230人目

150本塁打:2006年4月9日、対読売ジャイアンツ3回戦(ナゴヤドーム)、6回裏にゲーリー・グローバーから右越ソロ ※史上140人目

1000安打:2006年6月14日、対西武ライオンズ5回戦(インボイスSEIBUドーム)、3回表にクリストファー・ギッセルから左中間二塁打 ※史上241人目

1000試合出場:2007年4月6日、対横浜ベイスターズ1回戦(ナゴヤドーム)、3番・右翼手で先発出場 ※史上415人目

200本塁打:2014年4月29日、対広島東洋カープ4回戦(阪神甲子園球場)、8回裏にブライアン・バリントンから中越ソロ ※史上99人目

300二塁打:2015年8月16日、対東京ヤクルトスワローズ19回戦(明治神宮野球場)、8回表にオーランド・ロマンから左中間適時二塁打 ※史上63人目

1500安打:2016年6月20日、対オリックス・バファローズ3回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に西勇輝から右前安打 ※史上121人目

1500試合出場:2016年9月10日、対東京ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)、4番・右翼手で先発出場 ※史上185人目

250本塁打:2017年8月12日、対横浜DeNAベイスターズ16回戦(横浜スタジアム)、10回表に砂田毅樹から左越ソロ ※史上61人目

3000塁打:2018年7月3日、対中日ドラゴンズ12回戦(阪神甲子園球場)、1回裏に小笠原慎之介から右前安打 ※史上57人目

1000打点:2019年4月6日、対広島東洋カープ2回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回表に中田廉から中越ソロ ※史上46人目

1000得点:2019年7月28日、対読売ジャイアンツ16回戦(東京ドーム)、2回表に桜井俊貴から右越ソロで記録 ※史上42人目

400二塁打:2021年4月18日、対広島東洋カープ6回戦(バンテリンドーム ナゴヤ)、1回裏に高橋昂也から右越二塁打 ※史上13人目、43歳11か月での達成は史上最年長

1000四球:2021年8月27日、対読売ジャイアンツ18回戦(バンテリンドーム ナゴヤ)、1回裏に山口俊から四球 ※史上16人目(史上最年長)

2000試合出場:2021年10月10日、対横浜DeNAベイスターズ23回戦(横浜スタジアム)、9回表に髙松渡の代打で出場 ※史上54人目(史上最年長)

サイクル安打:2回 ※史上55人目(複数回は史上4人目)

    1回目:2003年6月8日、対広島東洋カープ14回戦(ナゴヤドーム) ※史上59度目

    2回目:2016年7月30日、対中日ドラゴンズ17回戦(阪神甲子園球場) ※史上69度目、最年長記録(39歳3か月)

    5試合連続本塁打:2003年9月9日 - 9月13日

    シーズン186安打:2002年 ※中日球団タイ記録

    全球団から本塁打:2018年6月14日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(札幌ドーム)、8回表に公文克彦から右越2ラン ※史上33人目

    リーグ最多二塁打:3回 ※セ・リーグ最多タイ

    42歳0か月でサヨナラ本塁打:2019年5月5日、対横浜DeNAベイスターズ9回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に三嶋一輝から右越2ラン ※令和初サヨナラ本塁打、2009年の金本知憲が記録した41歳1か月を上回り、セ・リーグ史上最年長

    オールスターゲーム出場:4回(1999年、2002年、2003年、2004年) ※2006年も選出されたが出場辞退

    MLBオールスターゲーム選出:1回(2008年)

    1000得点:2014年4月29日、対広島東洋カープ4回戦(阪神甲子園球場)、8回裏にブライアン・バリントンから中越ソロ

    250本塁打:2015年3月29日、対中日ドラゴンズ3回戦(京セラドーム大阪)、4回裏に八木智哉から右越2ラン

    1000打点:2016年5月26日、対東京ヤクルトスワローズ11回戦(神宮球場)、4回表に小川泰弘から左越ソロ

    2000安打:2016年6月25日、対広島東洋カープ11回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、6回表に岡田明丈から二塁内野安打 ※日本人選手史上6人目

    300本塁打:2018年4月13日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(阪神甲子園球場)、9回裏にデービッド・ブキャナンから右越2ラン

    500二塁打:2019年6月16日、対オリックス・バファローズ 3回戦(京セラドーム)、9回裏に代打で増井浩俊から中越2点適時二塁打※史上3人目

    10000打席:2021年3月26日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回表に藤嶋健人の代打で出場、大瀬良大地から四球

    通算出場試合数:2619 ※日本人8位

    通算打席数:10245 ※日本人11位

    通算打数:8751 ※日本人12位

    通算得点数:1304 ※日本人14位

    通算安打数:2450 ※日本人15位

    通算二塁打数:520 ※日本人3位

    通算長打数:910 ※日本人10位

    通算塁打数:8751 ※日本人14位

    通算犠飛数:84 ※日本人11位

    通算四球数:1316 ※日本人6位

    通算出塁数:3823 ※日本人10位

    1(1999年 - 2012年)

      1(2004年アテネオリンピック、2009年WBC)

      17(2006年WBC)※岩村明憲・金城龍彦と背番号が重複したため。

      8(2013年 - 2020年)

      9(2021年 - 2022年)

      「Don't Stop」Gorgeous(2002年)

      「Not Gonna Get Us」t.A.T.u.(2003年)

      「The Push」Paul Jackson & Steve Smith(英語版)(2004年)

      「I Want It All」Queen(2005年)

      「Blue Orchid」The White Stripes(2006年)

      「Around The World」Red Hot Chili Peppers(2007年)

      「タマシイレボリューション」Superfly(2013年、2014年)

      「It's Time」Imagine Dragons(2014年 - 2020年)

      「DEJAVU」AAA(2019年)

      「Freak It! Feat. 東京スカパラダイスオーケストラ」MAN WITH A MISSION(2021年 - 2022年)

      1996年アトランタオリンピックの野球競技・日本代表

      2004年アテネオリンピックの野球競技・日本代表

      2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

      2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

      Dramatic Baseball(日本テレビ放送網・中京テレビ放送)

      東海ラジオガッツナイター(東海ラジオ放送)

      メジャーリーグ中継(NHK BS1)

      中日スポーツ専属評論家(系列の東京中日スポーツにも寄稿)

      おはよう朝日です(朝日放送テレビ、スポーツコメンテーター、火曜日担当)

      メナード青山リゾート(名古屋地区のラジオCM)

      アーレックス(名古屋地区のラジオCM、中日の先輩の山本昌投手とともに、2007年からしばらくの間出演していた。なおCMではかつて出演していたアレックス・オチョアのモノマネを聴くことができる。BGMは私設応援団による自らの応援歌)

      名古屋市交通局(地下鉄名城線(放映当時:地下鉄4号線)のナゴヤドーム最寄りのナゴヤドーム前矢田駅を含む大曽根駅~砂田橋駅間開通時のテレビCM、岩瀬仁紀投手とともに出演)

      『福留孝介物語』(1996年8月、集英社、月刊少年ジャンプ(読切作品))原作:矢崎良一 漫画:太田文彦

      『ひとを見抜く』澤宮優 著、河出書房新社、2010年(1995年にドラフト指名した福留選手の入団交渉に向かった近鉄スカウト・河西俊雄の評伝)

      ^ 1997年以降、シーズン30本塁打以上を記録した中日の日本人選手は2021年時点で福留と、西武ライオンズから移籍してきた和田一浩(2010年・37本塁打。同年のリーグMVP)の2人のみである。

      ^ 中日時代の2004年には「当時の(近鉄を含む)パシフィック・リーグはテレビ中継が少なく、鹿児島ではセントラル・リーグの試合しか放映されなかったから」と述べているほか、後年『ベースボールマガジン』のインタビューでは「親族・関係者から『セ・リーグ(の球団)に向いている』とのアドバイスを受けた影響で、パ・リーグの球団から指名された場合には社会人野球へ進むことを決めていた」と述べている。

      ^ なお、日本生命の硬式野球部は社業に必要な資格との関係で大卒の選手のみ入部させるため、福留のように高卒で入部することは例が少ない。

      ^ 1996年5月初めのアトランタ五輪全日本代表候補合宿では社会人野球・五輪で使用される金属バットから芯の小さいプロ野球使用の木製バットへ握り替えたことがあったが、『朝日新聞』では「そのバットは高校の先輩である中日・立浪からもらった」と述べられている。

      ^ 2021年8月13日に佐藤輝明に更新されるまでは新人選手のシーズン最多三振記録だった。

      ^ 特に、日本シリーズ第5戦(ナゴヤドーム)では、1点リードの3回表一死満塁の場面でメルビン・ニエベスの併殺性の当たりの遊ゴロを後逸。このプレーで同点に追いつかれたばかりか、この回一気に6点取られてしまった。試合も4-6で中日が敗れ、ダイエーの日本一が決定した。

      ^ 引退セレモニーのスピーチの中で「松井秀喜さんに勝って初めて首位打者を獲得したとき、この世界でやっていける自信を持てた」と当時のことについて語っている。

      ^ この試合では満塁本塁打と1試合5安打も記録している(いずれも自身2回目)。

      ^ 従来の球団記録は1950年に西沢道夫が記録した104。

      ^ 11三塁打は平成時代のセ・リーグ記録となっている。

      ^ 中日の選手が最高出塁率のタイトルを獲得するのは、1991年の落合博満(翌年から中日の監督に就任)以来12年ぶりのことだった。

      ^ 2回に左越え2点本塁打、8回に左越え3点本塁打を放った。

      ^ 922試合目での1000安打達成は球団史上最速記録となった。

      ^ 1950年の大沢清と1978年の松原誠を超え、2017年にケーシー・マギーが48二塁打を記録するまで、11年間保持した。

      ^ 福留が発言したとされる「評価は言葉ではなく金額」というコメントが「誠意は言葉ではなく金額」として大きく取り上げられることとなった。

      ^ サイクル安打を複数回達成した選手としては、藤村富美男、松永浩美、ロバート・ローズに次ぐ4人目となる。また、2016年は7月20日に大島洋平が達成しており、2004年以来となる2人以上のサイクル安打達成者が誕生した年となった。なお、このサイクル安打は39歳3か月での達成であり、1983年4月30日に達成した山本浩二の36歳6か月を更新し、最年長記録を塗り替えた。

      ^ 福留が左翼を守るのは、中日時代の2003年10月9日以来14年ぶりであった。

      ^ 福留が登録抹消された2日後、10月13日のヤクルト戦(バンテリンドーム ナゴヤ)に敗れ、Bクラスが確定。

      ^ 順位は2023年終了時点

      ^ イチロー及びNPB歴代上位6選手に次ぐ

      ^ イチロー・松井秀喜・松井稼頭央及びNPB歴代上位7選手に次ぐ

      ^ イチロー・松井稼頭央・松井秀喜・青木宣親及びNPB歴代上位7選手に次ぐ

      ^ イチロー・松井稼頭央・松井秀喜・青木宣親及びNPB歴代上位9選手に次ぐ

      ^ イチロー・松井稼頭央・青木宣親・松井秀喜及びNPB歴代上位10選手に次ぐ

      ^ イチロー・松井稼頭央に次ぐ

      ^ 松井秀喜・イチロー及びNPB歴代上位7選手に次ぐ

      ^ イチロー・松井秀喜・松井稼頭央及びNPB歴代上位10選手に次ぐ

      ^ 松井秀喜及びNPB歴代上位9選手に次ぐ

      ^ 松井秀喜及びNPB歴代上位4選手に次ぐ

      ^ イチロー・松井秀喜及びNPB歴代上位6選手に次ぐ

      ^ 「ドラゴンズ情報 ドラゴンズニュース」『中日ドラゴンズ』2020年12月12日。2020年12月12日閲覧。

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      ^ 『中日新聞』1998年11月3日朝刊第一運動スポーツ面21頁「福留『バットでアピール』 中日逆指名『やっと安心』」

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      ^ 『朝日新聞』1996年5月30日東京朝刊第三総合面3頁「福留孝介さん 五輪日本代表が確実な野球選手(ひと)」(文・写真 山本秀明)

      ^ 『朝日新聞』2018年1月13日大阪朝刊大阪市内第一地方面25頁「(ヒーローからの伝言 なにわの高校野球100回)福留孝介さん〈PL学園〉/大阪府」(聞き手・渡辺元史)

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      個人年度別成績 福留孝介 - NPB.jp 日本野球機構

      選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

      福留孝介オフィシャルウェブサイト (2019年8月16日時点でのアーカイブ)

      選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

      福留孝介選手引退特設ページ - 中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト

      「勝たなきゃ面白くないぞ」福留孝介から竜ナインへ「責任は指導者ではなく選手個人」【引退独占手記】 - 中日スポーツ・東京中日スポーツ(2022年9月24日)

      1950 小鶴誠

      1951 川上哲治

      1952 別所毅彦

      1953 大友工

      1954 杉下茂

      1955 川上哲治

      1956 別所毅彦

      1957 与那嶺要

      1958 藤田元司

      1959 藤田元司

      1960 秋山登

      1961 長嶋茂雄

      1962 村山実

      1963 長嶋茂雄

      1964 王貞治

      1965 王貞治

      1966 長嶋茂雄

      1967 王貞治

      1968 長嶋茂雄

      1969 王貞治

      1970 王貞治

      1971 長嶋茂雄

      1972 堀内恒夫

      1973 王貞治

      1974 王貞治

      1975 山本浩二

      1976 王貞治

      1977 王貞治

      1978 若松勉

      1979 江夏豊

      1980 山本浩二

      1981 江川卓

      1982 中尾孝義

      1983 原辰徳

      1984 衣笠祥雄

      1985 R.バース

      1986 北別府学

      1987 山倉和博

      1988 郭源治

      1989 W.クロマティ

      1990 斎藤雅樹

      1991 佐々岡真司

      1992 J.ハウエル

      1993 古田敦也

      1994 桑田真澄

      1995 T.オマリー

      1996 松井秀喜

      1997 古田敦也

      1998 佐々木主浩

      1999 野口茂樹

      2000 松井秀喜

      2001 R.ペタジーニ

      2002 松井秀喜

      2003 井川慶

      2004 川上憲伸

      2005 金本知憲

      2006 福留孝介

      2007 小笠原道大

      2008 A.ラミレス

      2009 A.ラミレス

      2010 和田一浩

      2011 浅尾拓也

      2012 阿部慎之助

      2013 W.バレンティン

      2014 菅野智之

      2015 山田哲人

      2016 新井貴浩

      2017 丸佳浩

      2018 丸佳浩

      2019 坂本勇人

      2020 菅野智之

      2021 村上宗隆

      2022 村上宗隆

      2023 村上頌樹

      1950 藤村富美男

      1951 川上哲治

      1952 西沢道夫

      1953 川上哲治

      1954 与那嶺要

      1955 川上哲治

      1956 与那嶺要

      1957 与那嶺要

      1958 田宮謙次郎

      1959 長嶋茂雄

      1960 長嶋茂雄

      1961 長嶋茂雄

      1962 森永勝治

      1963 長嶋茂雄

      1964 江藤慎一

      1965 江藤慎一

      1966 長嶋茂雄

      1967 中暁生

      1968 王貞治

      1969 王貞治

      1970 王貞治

      1971 長嶋茂雄

      1972 若松勉

      1973 王貞治

      1974 王貞治

      1975 山本浩二

      1976 谷沢健一

      1977 若松勉

      1978 水谷実雄

      1979 F.ミヤーン

      1980 谷沢健一

      1981 藤田平

      1982 長崎啓二

      1983 真弓明信

      1984 篠塚利夫

      1985 R.バース

      1986 R.バース

      1987 篠塚利夫, 正田耕三

      1988 正田耕三

      1989 W.クロマティ

      1990 J.パチョレック

      1991 古田敦也

      1992 J.ハウエル

      1993 T.オマリー

      1994 A.パウエル

      1995 A.パウエル

      1996 A.パウエル

      1997 鈴木尚典

      1998 鈴木尚典

      1999 R.ローズ

      2000 金城龍彦

      2001 松井秀喜

      2002 福留孝介

      2003 今岡誠

      2004 嶋重宣

      2005 青木宣親

      2006 福留孝介

      2007 青木宣親

      2008 内川聖一

      2009 A.ラミレス

      2010 青木宣親

      2011 長野久義

      2012 阿部慎之助

      2013 T.ブランコ

      2014 M.マートン

      2015 川端慎吾

      2016 坂本勇人

      2017 宮﨑敏郎

      2018 D.ビシエド

      2019 鈴木誠也

      2020 佐野恵太

      2021 鈴木誠也

      2022 村上宗隆

      2023 宮﨑敏郎

      2024 T.オースティン

      1967 王貞治

      1968 王貞治

      1969 王貞治

      1970 王貞治

      1971 王貞治

      1972 王貞治

      1973 王貞治

      1974 王貞治

      1975 王貞治

      1976 王貞治

      1977 王貞治

      1978 王貞治

      1979 山本浩二

      1980 山本浩二

      1981 掛布雅之

      1982 田尾安志, 掛布雅之

      1983 山本浩二

      1984 谷沢健一

      1985 R.バース

      1986 R.バース

      1987 落合博満

      1988 落合博満

      1989 W.クロマティ

      1990 落合博満

      1991 落合博満

      1992 T.オマリー

      1993 T.オマリー

      1994 T.オマリー

      1995 T.オマリー

      1996 江藤智

      1997 R.ローズ

      1998 松井秀喜

      1999 R.ペタジーニ

      2000 松井秀喜

      2001 R.ペタジーニ

      2002 松井秀喜

      2003 福留孝介

      2004 G.ラロッカ

      2005 福留孝介

      2006 福留孝介

      2007 青木宣親

      2008 内川聖一

      2009 青木宣親

      2010 和田一浩

      2011 鳥谷敬

      2012 阿部慎之助

      2013 W.バレンティン

      2014 W.バレンティン

      2015 山田哲人

      2016 坂本勇人

      2017 田中広輔

      2018 丸佳浩

      2019 鈴木誠也

      2020 村上宗隆

      2021 鈴木誠也

      2022 村上宗隆

      2023 大山悠輔

      2024 D.サンタナ

      1950 青田昇, 岩本義行, 小鶴誠

      1951 青田昇, 岩本義行, 金田正泰

      1952 杉山悟, 南村不可止, 与那嶺要

      1953 金田正泰, 南村不可止, 与那嶺要

      1954 杉山悟, 与那嶺要, 渡辺博之

      1955 町田行彦, 与那嶺要, 渡辺博之

      1956 青田昇, 田宮謙次郎, 与那嶺要

      1957 青田昇, 田宮謙次郎, 与那嶺要

      1958 田宮謙次郎, 森徹, 与那嶺要

      1959 大和田明, 坂崎一彦, 森徹

      1960 中利夫, 並木輝男, 森徹

      1961 江藤慎一, 近藤和彦, 森永勝治

      1962 近藤和彦, 並木輝男, 森永勝治

      1963 江藤慎一, 近藤和彦, 藤井栄治

      1964 江藤慎一, 近藤和彦, 重松省三

      1965 江藤慎一, 近藤和彦, 中暁生

      1966 江藤慎一, 中暁生, 山本一義

      1967 近藤和彦, 柴田勲, 中暁生

      1968 江藤慎一, D.ロバーツ, 山内一弘

      1969 高田繁, D.ロバーツ, 山本一義

      1970 江尻亮, 高田繁, 中暁生

      1971 柴田勲, 高田繁, 水谷実雄

      1972 柴田勲, 高田繁, 若松勉

      1973 江尻亮, 柴田勲, 若松勉

      1974 G.マーチン, 末次利光, 若松勉

      1975 井上弘昭, 山本浩二, ロジャー

      1976 張本勲, 谷沢健一, 若松勉

      1977 張本勲, 山本浩二, 若松勉

      1978 C.マニエル, 山本浩二, 若松勉

      1979 M.ラインバック, 山本浩二, 若松勉

      1980 杉浦亨, 山本浩二, 若松勉

      1981 J.ライトル, 田尾安志, 山本浩二

      1982 田尾安志, 長崎啓二, 山本浩二

      1983 田尾安志, 松本匡史, 山本浩二

      1984 山崎隆造, 山本浩二, 若松勉

      1985 杉浦享, 真弓明信, 山崎隆造

      1986 W.クロマティ, 山本浩二, 吉村禎章

      1987 W.クロマティ, C.ポンセ, 吉村禎章

      1988 C.ポンセ, J.パチョレック, 広沢克己

      1989 W.クロマティ, 彦野利勝, 山崎賢一

      1990 J.パチョレック, 原辰徳, 広沢克己

      1991 R.J.レイノルズ, 原辰徳, 広沢克己

      1992 飯田哲也, 前田智徳, L.シーツ

      1993 A.パウエル, 新庄剛志, 前田智徳

      1994 A.パウエル, G.ブラッグス, 前田智徳

      1995 A.パウエル, 金本知憲, 松井秀喜

      1996 A.パウエル, 松井秀喜, 山崎武司

      1997 鈴木尚典, D.ホージー, 松井秀喜

      1998 鈴木尚典, 前田智徳, 松井秀喜

      1999 関川浩一, 高橋由伸, 松井秀喜

      2000 金本知憲, 新庄剛志, 松井秀喜

      2001 稲葉篤紀, 金本知憲, 松井秀喜

      2002 清水隆行, 福留孝介, 松井秀喜

      2003 赤星憲広, A.ラミレス, 福留孝介

      2004 金本知憲, 嶋重宣, T.ローズ

      2005 青木宣親, 赤星憲広, 金本知憲

      2006 青木宣親, 金本知憲, 福留孝介

      2007 青木宣親, A.ラミレス, 高橋由伸

      2008 A.ラミレス, 青木宣親, 金本知憲

      2009 A.ラミレス, 青木宣親, 内川聖一

      2010 M.マートン, 青木宣親, 和田一浩

      2011 長野久義, M.マートン, 青木宣親

      2012 長野久義, 大島洋平, W.バレンティン

      2013 W.バレンティン, M.マートン, 長野久義

      2014 M.マートン, 丸佳浩, 雄平

      2015 筒香嘉智, 福留孝介, 平田良介

      2016 鈴木誠也, 筒香嘉智, 丸佳浩

      2017 丸佳浩, 鈴木誠也, 筒香嘉智

      2018 丸佳浩, 鈴木誠也, N.ソト

      2019 丸佳浩, 鈴木誠也, N.ソト

      2020 佐野恵太, 丸佳浩, 鈴木誠也

      2021 鈴木誠也, 近本光司, 塩見泰隆

      2022 近本光司, 佐野恵太, 岡林勇希

      2023 近本光司, 西川龍馬, 岡林勇希

      1972 柴田勲, 高田繁, 山本浩司

      1973 柴田勲, 高田繁, 山本浩司

      1974 柴田勲, 高田繁, 山本浩司

      1975 高田繁, 山本浩二, ローン

      1976 池辺巌, 柴田勲, 山本浩二

      1977 柴田勲, 山本浩二, 若松勉

      1978 J.ライトル, 山本浩二, 若松勉

      1979 J.ライトル, J.スコット, 山本浩二

      1980 J.ライトル, J.スコット, 山本浩二

      1981 J.ライトル, 松本匡史, 山本浩二

      1982 北村照文, 平野謙, 松本匡史

      1983 北村照文, 長嶋清幸, 松本匡史

      1984 長嶋清幸, 屋鋪要, 山崎隆造

      1985 平野謙, 屋鋪要, 山崎隆造

      1986 平野謙, 屋鋪要, 長嶋清幸

      1987 長嶋清幸, 屋鋪要, 山崎隆造

      1988 彦野利勝, 屋鋪要, 山崎隆造

      1989 栗山英樹, 彦野利勝, 山崎賢一

      1990 彦野利勝, 柳田浩一, 山崎賢一

      1991 飯田哲也, 前田智徳, R.J.レイノルズ

      1992 飯田哲也, 亀山努, 前田智徳

      1993 飯田哲也, 新庄剛志, 前田智徳

      1994 飯田哲也, 新庄剛志, 前田智徳

      1995 飯田哲也, 緒方孝市, 音重鎮

      1996 飯田哲也, 緒方孝市, 新庄剛志

      1997 飯田哲也, 緒方孝市, 新庄剛志

      1998 緒方孝市, 新庄剛志, 高橋由伸

      1999 緒方孝市, 新庄剛志, 高橋由伸

      2000 新庄剛志, 高橋由伸, 松井秀喜

      2001 赤星憲広, 高橋由伸, 松井秀喜

      2002 高橋由伸, 福留孝介, 松井秀喜

      2003 赤星憲広, 高橋由伸, 福留孝介

      2004 赤星憲広, アレックス, 英智

      2005 赤星憲広, 金城龍彦, 福留孝介

      2006 青木宣親, 赤星憲広, 福留孝介

      2007 青木宣親, 高橋由伸, 金城龍彦

      2008 青木宣親, 赤星憲広, 鈴木尚広

      2009 青木宣親, 松本哲也, 亀井義行

      2010 青木宣親, 廣瀬純, 赤松真人

      2011 長野久義, 青木宣親, 大島洋平

      2012 大島洋平, 長野久義, 荒波翔

      2013 長野久義, 丸佳浩, 荒波翔

      2014 丸佳浩, 大島洋平, 大和

      2015 福留孝介, 丸佳浩, 大島洋平

      2016 丸佳浩, 大島洋平, 鈴木誠也

      2017 丸佳浩, 桑原将志, 鈴木誠也

      2018 丸佳浩, 大島洋平, 平田良介

      2019 丸佳浩, 鈴木誠也, 大島洋平

      2020 鈴木誠也, 大島洋平, 青木宣親

      2021 鈴木誠也, 近本光司, 大島洋平

      2022 塩見泰隆, 岡林勇希, 近本光司

      2023 近本光司, 岡林勇希, 桑原将志

      2024 秋山翔吾, 岡林勇希, 近本光司

      76 王貞治

      77 王貞治

      78 若松勉

      79 掛布雅之

      80 山本浩二

      81 江川卓

      82 中尾孝義

      83 原辰徳

      84 衣笠祥雄

      85 R.バース

      86 北別府学

      87 桑田真澄

      88 郭源治

      89 斎藤雅樹

      90 斎藤雅樹

      91 佐々岡真司

      92 古田敦也

      93 広沢克己

      94 桑田真澄

      95 斎藤雅樹

      96 松井秀喜

      97 古田敦也

      98 佐々木主浩

      99 上原浩治

      00 松井秀喜

      01 古田敦也

      02 松井秀喜

      03 今岡誠

      04 嶋重宣

      05 金本知憲

      06 福留孝介

      07 阿部慎之助

      08 小笠原道大

      09 坂本勇人

      10 前田健太

      11 浅尾拓也

      12 阿部慎之助

      13 阿部慎之助

      14 菅野智之

      15 山田哲人

      16 新井貴浩

      17 菅野智之

      18 大瀬良大地

      19 丸佳浩

      20-21 中止

      2009 亀井義行

      2010 天谷宗一郎

      2011 長野久義

      2012 和田一浩

      2013 長野久義

      2014 福留孝介

      2015 雄平

      2016 鈴木誠也

      2017 宮﨑敏郎

      2018 下水流昂

      2019 髙山俊

      2020 西浦直亨

      2021 坂倉将吾

      2022 丸山和郁

      2023 坂本勇人

      渡辺元

      岡崎光師

      大和田聡

      大木一哉

      吉年滝徳

      藤井秀悟

      松本輝

      山本省吾

      原俊介

      長岡智宏

      仙波秀和

      梅沢健

      澤井良輔

      丸井健太郎

      渡辺剛史

      福留孝介

      西澤祐介

      佐崎圭介

      宮川篤

      30 川島勝司

      31 垣野多鶴(打撃)

      32 大田垣耕造(投手)

      33 井尻陽久(守備・走塁)

      11 三澤興一

      12 森中聖雄

      14 木村重太郎

      15 川村丈夫

      16 小野仁

      18 森昌彦

      19 杉浦正則

      9 大久保秀昭

      21 黒須隆

      1 福留孝介

      2 野島正弘

      3 松中信彦

      4 今岡誠

      6 桑元孝雄

      7 井口忠仁

      8 西郷泰之

      10 中村大伸

      24 高林孝行

      25 佐藤友昭

      27 谷佳知

      30 佐竹政和

      池田善吾

      伊藤義博

      11 松修康

      14 建山義紀

      16 川上憲伸

      17 前田和之

      18 上原浩治

      19 池添修世

      20 椎葉厚生

      9 大橋晋也

      21 黒須隆

      22 小田幸平

      1 福留孝介

      2 上村匡史

      3 二岡智宏

      5 松葉研志

      6 桑元孝雄

      7 前田健吾

      8 西郷泰之

      10 高林孝行

      24 坪井智哉

      25 佐藤友昭

      26 川崎博孝

      27 石田勝彦

      大田垣耕造

      荒井信久

      筒井大助

      池添修世

      杉浦正則

      建山義紀

      宮田仁

      川上憲伸

      上原浩治

      清水章夫

      黒須隆

      藤井彰人

      阿部慎之助

      西郷泰之

      桑元孝雄

      田頭欣士

      福留孝介

      田原隆三郎

      二岡智宏

      高須洋介

      高林孝行

      梶山義彦

      船尾隆広

      渡辺敦

      高橋由伸

      3 長嶋茂雄

      33 中畑清

      32 大野豊

      31 高木豊

      11 木佐貫洋

      13 岩瀬仁紀

      15 黒田博樹

      16 安藤優也

      18 松坂大輔

      19 上原浩治

      21 和田毅

      30 小林雅英

      61 石井弘寿

      8 谷繁元信

      9 城島健司

      2 小笠原道大

      6 宮本慎也

      7 松井稼頭央

      17 二岡智宏

      48 井端弘和

      1 福留孝介

      5 和田一浩

      10 谷佳知

      23 木村拓也

      24 高橋由伸

      33 中畑清

      31 高木豊(守備・走塁)

      32 大野豊(投手)

      11 清水直行

      13 岩瀬仁紀

      15 黒田博樹

      16 安藤優也

      17 三浦大輔

      18 松坂大輔

      19 上原浩治

      20 岩隈久志

      21 和田毅

      30 小林雅英

      61 石井弘寿

      9 城島健司

      59 相川亮二

      2 小笠原道大

      5 中村紀洋

      6 宮本慎也

      8 金子誠

      25 藤本敦士

      1 福留孝介

      10 谷佳知

      23 村松有人

      24 高橋由伸

      27 木村拓也

      55 和田一浩

      89 王貞治

      86 鹿取義隆(投手)

      84 武田一浩(投手)

      87 大島康徳(打撃)

      85 辻発彦(内野守備走塁)

      88 弘田澄男(外野守備走塁)

      11 清水直行

      12 藤田宗一

      15 久保田智之

      18 松坂大輔

      19 上原浩治

      20 薮田安彦

      21 和田毅

      24 藤川球児

      31 渡辺俊介

      40 大塚晶則

      41 小林宏之

      47 杉内俊哉

      61 石井弘寿(途中離脱)

      61 馬原孝浩(追加招集)

      22 里崎智也

      27 谷繁元信

      59 相川亮二

      1 岩村明憲

      2 小笠原道大

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      8 今江敏晃

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      25 新井貴浩

      52 川﨑宗則

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      23 青木宣親

      51 イチロー

      83 原辰徳

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      71 山田久志(投手)

      92 与田剛(投手)

      81 篠塚和典(打撃)

      63 高代延博(内野守備走塁)

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      11 ダルビッシュ有

      14 馬原孝浩

      15 田中将大

      16 涌井秀章

      18 松坂大輔

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      20 岩隈久志

      22 藤川球児

      26 内海哲也

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      10 阿部慎之助

      29 石原慶幸

      5 栗原健太(追加招集)

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      9 小笠原道大

      25 村田修一(途中離脱)

      52 川﨑宗則

      1 福留孝介

      23 青木宣親

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      51 イチロー

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      3位:小笠原孝

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      中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手

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      首位打者 (NPB)

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      名球会

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      日本のオリンピック銀メダリスト

      日本のオリンピック銅メダリスト

      野球のオリンピックメダリスト

      ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選手

      2006 ワールド・ベースボール・クラシック選手

      2009 ワールド・ベースボール・クラシック選手

      ワールド・ベースボール・クラシック優勝選手

      野球解説者

      日本生命硬式野球部の選手

      PL学園高等学校出身の野球選手

      鹿児島県出身のスポーツ選手

      1977年生

      存命人物

      最高出塁率 (NPB)

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2024/11/17 04:30更新

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福留 亮(ふくどめ りょう)
1978年6月26日生まれの有名人 熊本出身

福留 亮(ふくどめ りょう、1978年6月26日 - )は、熊本県出身のサッカー選手。ポジションはFW。 熊本市立錦ヶ丘中学校 熊本県立大津高等学校 1997年-1998年 京都パープルサンガ 19…

福留 功男(ふくとめ のりお)
1942年1月28日生まれの有名人 高知出身

福留 功男(ふくとめ のりお、1942年(昭和17年)1月28日 - )は、日本の男性フリーアナウンサー、タレント、総合司会者、ニュースキャスター、エグゼクティブ・プロデューサー。元日本テレビ エグゼ…

福留 宏紀(ふくとめ ひろき)
1975年5月21日生まれの有名人 愛知出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 福留 宏紀(ふくとめ ひろき、1975年5月21日 - )は、愛知県名古屋市南区出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。右投右打。…

福留 光帆(ふくとめ みつほ)
2003年10月22日生まれの有名人 兵庫出身

福留 光帆(ふくとめ みつほ、2003年〈平成15年〉10月22日 - )は、日本のタレント。女性アイドルグループ・AKB48の元メンバー。兵庫県尼崎市出身。プライム所属(スペースクラフト業務提携)。…

福留 慧美(ふくどめ さとみ)
1997年11月23日生まれの有名人 京都出身

福留 慧美(ふくどめ さとみ、1997年11月23日 - )は、日本の女子バレーボール選手である。 京都府京都市出身。2人姉妹の次女。小学3年次のとき、姉がバレーボールをしていたことをきっかけに自身…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「福留孝介」を素材として二次利用しています。

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