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アンドレイ=タルコフスキーの情報 (AndreiTarkovsky)
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【7月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

アンドレイ=タルコフスキーの情報(AndreiTarkovsky) 映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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アンドレイ=タルコフスキーさんについて調べます

■名前・氏名
アンドレイ=タルコフスキー
(読み:Andrei Tarkovsky)
■職業
映画監督
■アンドレイ=タルコフスキーの誕生日・生年月日
1932年4月4日 (年齢1986年没)
申年(さる年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
不明

(昭和7年)1932年生まれの人の年齢早見表

アンドレイ=タルコフスキーと同じ1932年生まれの有名人・芸能人

アンドレイ=タルコフスキーと同じ4月4日生まれの有名人・芸能人

アンドレイ=タルコフスキーと同じ出身地の人


アンドレイ=タルコフスキーの情報まとめ

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アンドレイ=タルコフスキー(Andrei Tarkovsky)さんの誕生日は1932年4月4日です。

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映画、母親、父親、卒業、現在、兄弟、家族、テレビに関する情報もありますね。1986年に亡くなられているようです。

アンドレイ=タルコフスキーのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

アンドレイ・タルコフスキー(ロシア語: Андре́й Арсе́ньевич Тарко́вский, アンドレイ・アルセーニエヴィチ・タルコフスキー, 英語: Andrei Arsenyevich Tarkovsky, 1932年4月4日 - 1986年12月29日)は、ソ連の映画監督。

「映像の詩人」と呼ばれ、叙情的とも言える自然描写、とりわけ「水」の象徴性を巧みに利用した独特の映像美で知られる。深い精神性を探求し、後期から晩年にかけて、人類の救済をテーマとした作品を制作・監督する。表現の自由を求めてソ連から亡命し、故郷に還ることなく、パリにて54歳で客死する。

1932年4月4日、ヴォルガ川流域のイワノヴォ地区、ユリエヴェツの近郊ザブラジェで生れる。父はウクライナの詩人として著名なアルセニー・タルコフスキー。タルコフスキーの幼少期に父は家を出て別の家庭を作ったために、主に母親に育てられる(この間の事情は、自伝的作品 『鏡』(1975年) に描かれている)。この幼少時にタルコフスキーは、作曲家になる事を夢見ていたと言われる。

赤貧のうちに育ち、芸術学校でまず音楽の勉強をしたが家にピアノが無いので練習不足で断念。次に絵の勉強を始めるが結核で一年間療養生活を送る。東洋大学のアラビア語に入学するが一年半で中退。ちょうどアメリカ文化に影響を受けた「スチリャーガ」と呼ばれた若者が現れた時期であり、タルコフスキーはその流行の先端を行くジャズと女性が好きな不良少年となった。心配した母親がシベリア地質調査隊に入隊させ、1953年から1年間をシベリアのタイガの森で過ごす。

その後、映画大学への進学を決意。父親の尽力もあって1954年に全ソ国立映画大学(現全ロシア映画大学)に入学。落ちこぼれだったタルコフスキーが名門のこの学校へ入学できたのは奇跡だったと友人達は証言している。ミハイル・ロンムのもとで映画を学んで頭角を現し、後にやはりソ連を代表する映画監督となるアンドレイ・コンチャロフスキーやその弟のニキータ・ミハルコフらと親交を結ぶ。アメリカかぶれは健在で3年生のときにヘミングウェイ原作の短編『殺人者』を製作。

タルコフスキーの世代は、スターリン体制が終わりを告げて西側の文化がソ連に急速に流れ込んできた雪解け期が青年期にぶつかっており、タルコフスキーもそうした文化に大きく感化されている。後に彼が書いた映画評論も、ジャン=リュック・ゴダールからルイス・ブニュエル、黒澤明、ロベール・ブレッソン、アンディ・ウォホール、フェデリコ・フェリーニ、オーソン・ウェルズ、ミケランジェロ・アントニオーニ、イングマール・ベルイマンなど西側の映画への言及が多い。

卒業制作短編 の『ローラーとバイオリン』(監督)はニューヨーク国際学生映画コンクールで第一位を受賞。1962年にウラジーミル・ボゴモーロフのベストセラー小説『イワン』を原作とした『僕の村は戦場だった』に急遽代役起用され、長編映画監督としてデビューし、本作で1962年の第23回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を史上最年少(30歳)で受賞(この記録は現在でも破られていない)。企画段階では参加していなかった作品ではあるが、「水」や「夢」など、将来のタルコフスキー作品を彩るモチーフはこの時期から現れている。

将来を嘱望されたタルコフスキーは、1962年から63年末にかけてロシアの伝説的イコン画家の生涯を描いた歴史大作映画『アンドレイ・ルブリョフ』の脚本を映画大学の後輩コンチャロフスキーと共同執筆。大作ゆえの予算不足と検閲で苦しみながら1967年に完成するがソ連当局より「反愛国的」と指摘されて、国内では5年間上映されなかった。海外では高い評価を受け、1969年の第22回カンヌ国際映画祭で国際映画批評家賞受賞。ソ連では71年12月にモスクワで公開された後、地方都市でも公開されて全国で290万人を動員した。

その後、あくまで芸術家の自律性と表現の自由を求めるタルコフスキーは、ソ連を出国。イタリアにおいてフェデリコ・フェリーニの映画に脚本家として関わっていたトニーノ・グエッラを起用して『ノスタルジア』を撮影。1983年完成。第36回カンヌ国際映画祭創造大賞、国際映画批評家賞、エキュメニック賞受賞。

ロンドンでオペラの演出などをした後1984年、ソ連当局からの帰国要請を撥ね付け事実上の亡命を宣言。ただ、事前に相談を受けたコンチャロフスキーが助言したように、この頃のソ連は各種の規制緩和が進んでおり(ミハイル・ゴルバチョフ書記長のペレストロイカは1985年)、わざわざ亡命を宣言する必要は無かったと言われている。事実コンチャロフスキー、ニキータ・ミハルコフ兄弟は亡命もせずに西側で映画を撮っていたのである。ソ連当局の検閲に対するタルコフスキーの積年の嫌悪と恨みはかくも強烈だった。

その後、スウェーデンで主にイングマール・ベルイマンの映画に携わっていたスタッフのもとで、核戦争勃発を背景とした 『サクリファイス』を監督。1986年に完成。第36回カンヌ国際映画祭審査員特別大賞、国際映画批評家賞、エキュメニック賞、芸術特別貢献賞受賞。映画撮影時に、末期の肺癌が判明してそのまま病床の人となる。

他方、祖国では、新たに共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフが公式にタルコフスキーの名誉回復を宣言し、帰国を認める声明を出すが、1986年12月29日、パリにて客死。翌1987年1月5日、パリの聖アレクサンドル・ネフスキー寺院で葬儀が行われ、同じく反体制亡命音楽家で、友人の、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチが追悼のバッハの無伴奏チェロ組曲を捧げた。

主に「世界の救済」をテーマに、夢と空中浮遊、あるいは犬や水や馬や火などを象徴的に配して独自の映像美を追求した寡黙な作品群は、難解という評価もある一方で、全世界に熱狂的なファンを持つ。現在ではソ連/ロシアを代表する映画監督であり、その冗長とも退屈とも取られる時間感覚は「ロシア的」とも評されるが、かつての同僚コンチャロフスキーは「彼はロシア文化より非常に西洋のカトリック文化の影響をうけている」という見方をしている(ただし、コンチャロフスキー自身の作風がどちらかと言えばアメリカ映画的であり、実際に1970年代後半以降はアメリカで監督として活動もしていた)。1970年代から1980年代初頭にかけて「停滞の時代」のソ連では、宗教への回帰は「作家の映画」における一特徴をなしていた。タルコフスキーの場合には、まさにこの時期にドストエフスキーに関する映画の構想をきっかけとしてロシアの宗教思想への関心を深めつつ、19世紀ロシア・インテリゲンツィアの遺産を継承しようとしていた。

タルコフスキーを考える上で、更に見落としてはならないのがエリート芸術家という自負心である。だが、その「エリート主義」は、彼が生きた時代のソ連社会における映画産業の興隆や国家的威信の象徴としてのステータス、およびソ連の映画人達自身が形成した価値観と無関係ではない。長編デビュー作でヴェネチア映画祭の最高賞を獲得したタルコフスキーは、雪解け期のソ連の映画界のみならず芸術界全体で、実際に「エリート」として認められていたが、その後の彼の構想がソ連当局が求める公式的「社会主義リアリズム」とは相いれなかったため、絶えず当局との軋轢が起きた。タルコフスキーは国営映画会社モスフィルムの映画監督であり、創作家としては特権階級であったとはいえ、その地位は決して経済的に安定した生活を保証するものではなかった。後年には、家族を養うためにアルバイト的な脚本執筆の仕事をしたり、友人達から借金をせねばならなかった実情が、彼の日記からうかがえる。

彼の創作を評価する上で忘れてはならないことは、彼が19世紀インテリゲンツィアの精神的伝統につらなるものとしての、ロシア的な芸術文化を継承していたことである。キリスト教的であり、芸術家のメシア的な役割を常に意識するその芸術文化において、タルコフスキーの芸術家としての自負心は単なるエゴイズムや虚栄心とは異なる、特殊な意味を帯びていた。ソ連時代における当局との軋轢も、芸術の役割に対する宗教的と言ってよい信念が、無神論と唯物論に基盤をおくソ連の公式的イデオロギーと真っ向から対立したということが、多分に影響していた。 

『アンドレイ・ルブリョフ』の撮影中には、どうしても必要だからと、怯えている他のスタッフを尻目に生きている牛に自ら火を放ち、『惑星ソラリス』の撮影中には、セットの一部から出火しスタジオを類焼する火災が起きたが、タルコフスキーは「芸術家は頭を下げないものだ」として関係者には決して謝罪しようとしなかったなどのエピソードも残っている。

ソ連を出国した後も、『ノスタルジア』の撮影中には最上級ホテルのスイートルームと最上級の食事を要求し、その上で西側のプロデューサーの支払いが悪いという愚痴を日記の中に延々と書き連ねているし、「芸術が大事なんですか?お金が大事なんですか?」とプロデューサーに詰め寄ることもあったという。

カンヌへの『ノスタルジア』の出品に際しては大賞受賞との交換条件での出品を強く運営サイドに要請。同時期に『ラルジャン』の出品で同様の要求をしていた、ロベール・ブレッソンとの板挟みになった運営サイドは、『ノスタルジア』には特設賞の創造大賞を贈ることで決着を付けた。日本で翻訳されている『タルコフスキー日記』には、先にブレッソンが大賞受賞を条件にカンヌに出品したため、タルコフスキーは条件を同じにするため運営サイドに同様の要求をしたという記述もある。また、ソ連映画の大作『戦争と平和』の監督セルゲイ・ボンダルチュクが、タルコフスキーの受賞に強く反対していたとも言われる。

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索: "アンドレイ・タルコフスキー" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年4月)
    若い頃から俳句や日本映画に深い関心を抱き、特に黒澤明はタルコフスキーのファンであり、タルコフスキーも黒澤を敬愛し、互いに親交もあった溝口健二にも傾倒していた。黒澤が『デルス・ウザーラ』の撮影でソ連に来た際、タルコフスキーは敬意をもって歓待し、その後長く親交を結んだ。新しい映画を作る前には、必ず『七人の侍』と『雨月物語』を観る事にしていた、という言葉も残している。 『惑星ソラリス』制作の際には、未来都市の場面を大阪万博会場で撮影することを計画するが、当局からの許可が中々下りず、来日した際には既に万博は閉会していた。跡地を訪ねたもののイメージ通りの撮影はできず、仕方なしに東京の首都高速道路の光景を撮影して使用した。黒澤によれば、あの首都高の光景は、タルコフスキーが宿泊していたホテルから当時の黒澤の事務所までの道筋そのままだったという。黒澤も、当時の日本で「難解」という世評が支配的だったタルコフスキーを擁護して「タルコフスキーは難解ではない。彼の感性が鋭すぎるだけだ」などと書いて、タルコフスキー映画を国内に広めるのに手を貸している。

    『惑星ソラリス』では広島の原爆についての会話が交わされるほか、『サクリファイス』では、主人公の父親が自分の前世を日本人と信じており、戦争が起きた日に日本の木を植える描写がある。

    日本の漫画・アニメ関連では、 漫画家の手塚治虫などもタルのファンであり、『ストーカー』の日本公開の劇場パンフに評を書き、このタルコフスキー論も優れているという高い評価を受けている。宮崎駿も『ストーカー』を絶賛しており、しかし「テレビで表装されていたのを途中からみただけ」であるが、それだけでも同作の映像に凄まじい力があると評し、同じような環境で見たビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』と共に渋谷陽一対談で『ストーカー』を絶賛。

    日本側では、作曲家の武満徹(1930年-1996年)がタルコフスキーの作品に傾倒していた事は有名。タルコフスキーの死を悼んで、弦楽合奏曲『ノスタルジア--アンドレイ・タルコフスキーの追憶に』を作曲し、タルコフスキーに捧げている。

    『ローラーとバイオリン』 Katok i skripka (1960年)

    『僕の村は戦場だった』 Иваново детство (1962年) 

    『アンドレイの受難』 …… 「アンドレイ・ルブリョフ」の第一編集版。当局により残酷なシーン等の削除が要求されてタルコフスキー自身が再編集した最終版が、「アンドレイ・ルブリョフ」である。

    『アンドレイ・ルブリョフ』 Андрей Рублёв (1967年)

    『惑星ソラリス』 Солярис (1972年) 

    『鏡』 Зеркало (1975年)

    『ストーカー』 Сталкер (1979年)

    『Tempo di viaggio 』 (1983年) - ドキュメンタリー作品。トニーノ・グエッラと共同脚本・共同監督。

    『ノスタルジア』 Nostalghia (1983年) 

    『サクリファイス』 Offret (1986年) 

    この他、1983年にモデスト・ムソルグスキーの歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』の舞台演出を手がけており、没後1990年のヴァレリー・ゲルギエフ指揮 キーロフ歌劇場管弦楽団による上演が映像で残されている。上演時間は約220分で、タルコフスキーが関わった作品では最も長い。

    アンドレイ・タルコフスキー(鴻英良訳)『映像のポエジア : 刻印された時間』 (キネマ旬報社, 1988)ISBN 4-87376-030-5

      新版『映像のポエジア』(ちくま学芸文庫, 2022)

      アンドレイ・タルコフスキー(鴻英良・佐々洋子訳)『タルコフスキー日記 : 殉教録』(キネマ旬報社、1991)

      アンドレイ・タルコフスキー(武村知子訳)『タルコフスキー日記 : 殉教録 2』(キネマ旬報社 1993)ISBN 4-87376-049-6

      アンドレイ・タルコフスキー(鴻英良訳)『サクリファイス』(河出書房新社 1987)ISBN 4-309-20093-1

      アンドレイ・タルコフスキイ(扇千恵訳)『タルコフスキイの映画術』(水声社 2008)

      Bird, Robert. Andrei Tarkovsky: Elements of Cinema. London: Reaktion, 2008.

      Chion, Michel. Andreï Tarkovski. Paris: Cahiers du cinéma, 2007.

      Green, Peter. Andrei Tarkovsky: The Winding Quest. London: Macmillan, 1993.

        ピーター・グリーン『アンドレイ・タルコフスキー: 映像の探究』(永田靖訳、国文社 1994)

        Le Fanu, Mark. The Cinema of Andrei Tarkovsky. London: British Film Institute, 1987.

        Skakov, Nariman. The Cinema of Tarkovsky: Labyrinths of Space and Time. London: I. B. Tauris, 2012.

        Turovskaya, Maya. Tarkovsky: Cinema as Poetry. tr. by Natasha Ward. ed. by Ian Christie. London and Boston: Faber and Faber, 1989.

        ミシェル・エスティーヴ編、『タルコフスキー』(鈴村靖爾訳、国文社 1991)

        アネッタ・ミハイロヴナ・サンドレル編『タルコフスキーの世界』 (キネマ旬報社 1995)

        『タルコフスキー、好きツ!』(ダゲレオ出版 1987)

        落合東朗『タルコフスキーとルブリョフ』 (論創社 1994)

        馬場朝子編『タルコフスキー: 若き日、亡命、そして死』 (青土社 1997)ISBN 4-7917-5559-6

        馬場広信『タルコフスキー映画――永遠への郷愁』(2002・みすず書房)

        西周成『タルコフスキーとその時代――秘められた人生の真実』(2011・アルトアーツ)ISBN 978-4-434-15489-8

        亀井克朗『〈死〉への/からの転回としての映画 : アンドレイ・タルコフスキーの後期作品を中心に』(致良出版社 2011)

        忍澤勉『終わりなきタルコフスキー』 (寿郎社 2022)

        ^ 1907年~1989年、訳書に詩集『雪が降るまえに』(坂庭淳史訳、鳥影社 2007年)がある

        ^ “20世紀西洋人名事典の解説”. コトバンク. 2018年6月24日閲覧。

        ^ 西周成著『タルコフスキーとその時代 秘められた人生の真実』、ISBN 978-4-434-15489-8、アルトアーツ/星雲社、2011年、83-85頁。

        ^ 馬場朝子編『タルコフスキー 若き日、亡命、そして死』青土社、ISBN 4-7917-5559-6、pp.173-174

        ^ 西周成『タルコフスキーとその時代 秘められた人生の真実』、アルトアーツ・星雲社、ISBN 978-4-434-15489-8、pp95-98,107-109.

        ^ 古山敏幸『黒澤明の作劇術』(フィルムアート社、2008年、ISBN 978-4845908189)

        ^ 狩野良規 著「ヨーロッパを知る50の映画」売日 2014/03/20 判型 四六判 ISBN 978-4-336-05783-9。 第11章ロシアの名匠たち42 ニキータ・ミハルコフ『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』43 ヨシフ・ヘイフィツ『小犬をつれた貴婦人』 44 『ストーカー』45 『ノスタルジア』より

        ^ 風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡 単行本 – 出版社 : ロッキング・オン(2002/7/19) ISBN 4860520076

        アンドレイ・タルコフスキー映画祭 - 2003年の生誕70周年記念上映の公式サイト

        アンドレイ・タルコフスキー - allcinema

        アンドレイ・タルコフスキー - KINENOTE

        Andrei Tarkovsky - IMDb(英語)

        Andrei Tarkovsky - Find a Grave(英語)

        図書館にあるアンドレイ・タルコフスキーに関係する蔵書一覧 - WorldCatカタログ

        特集上映<ソビエト時代のタルコフスキー>

        殺し屋 (1956)

        Сегодня увольнения не будет... (1959)

        ローラーとバイオリン (1960)

        僕の村は戦場だった (1962)

        アンドレイ・ルブリョフ (1971)

        惑星ソラリス (1972)

        鏡 (1975)

        ストーカー (1979)

        ノスタルジア (1983)

        サクリファイス (1986)

        ルネ・クレマン(1946、1949)

        ルイス・ブニュエル(1951)

        クリスチャン=ジャック(1952)

        ジュールズ・ダッシン/セルゲイ・ワシリーエフ(1955)

        セルゲイ・ユトケーヴィッチ(1956)

        ロベール・ブレッソン(1957)

        イングマール・ベルイマン(1958)

        フランソワ・トリュフォー(1959)

        ユリア・ソーンツェワ(1961)

        リヴィウ・チュレイ(1965)

        セルゲイ・ユトケーヴィッチ(1966)

        フィレンツ・コーシャ(1967)

        グラウベル・ローシャ/ヴォイチェフ・ヤスニー(1969)

        ジョン・ブアマン(1970)

        ヤンチョー・ミクローシュ(1972)

        ミシェル・ブロー/コスタ=ガヴラス(1975)

        エットーレ・スコラ(1976)

        大島渚(1978)

        テレンス・マリック(1979)

        ヴェルナー・ヘルツォーク(1982)

        ベルトラン・タヴェルニエ(1984)

        アンドレ・テシネ(1985)

        マーティン・スコセッシ(1986)

        ヴィム・ヴェンダース(1987)

        フェルナンド・E・ソラナス(1988)

        エミール・クストリッツァ(1989)

        パーヴェル・ルンギン(1990)

        ジョエル・コーエン(1991、1996)

        ロバート・アルトマン(1992)

        マイク・リー(1993)

        ナンニ・モレッティ(1994)

        マチュー・カソヴィッツ(1995)

        ウォン・カーウァイ(1997)

        ジョン・ブアマン(1998)

        ペドロ・アルモドバル(1999)

        エドワード・ヤン(2000)

        ジョエル・コーエン/デイヴィッド・リンチ(2001)

        イム・グォンテク/ポール・トーマス・アンダーソン(2002)

        ガス・ヴァン・サント(2003)

        トニー・ガトリフ(2004)

        ミヒャエル・ハネケ(2005)

        アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(2006)

        ジュリアン・シュナーベル(2007)

        ヌリ・ビルゲ・ジェイラン(2008)

        ブリランテ・メンドーサ(2009)

        マチュー・アマルリック(2010)

        ニコラス・ウィンディング・レフン(2011)

        カルロス・レイガダス(2012)

        アマト・エスカランテ(2013)

        ベネット・ミラー(2014)

        ホウ・シャオシェン(2015)

        オリヴィエ・アサヤス/クリスティアン・ムンジウ(2016)

        ソフィア・コッポラ(2017)

        パヴェウ・パヴリコフスキ(2018)

        ダルデンヌ兄弟(2019)

        レオス・カラックス(2021)

        パク・チャヌク(2022)

        トラン・アン・ユン(2023)

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            ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民芸術家

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            イヴァノヴォ州出身の人物

            結核に罹患した人物

            1932年生

            1986年没

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2024/07/27 23:06更新

Andrei Tarkovsky


アンドレイ=タルコフスキーと同じ誕生日4月4日生まれの人

ジョン=ハナ_(アメリカンフットボール)(John Allen Hannah)
1951年4月4日生まれの有名人 出身

ジョン・アレン・ハナ(John Allen Hannah、1951年4月1日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州カントン出身の元アメリカンフットボール選手。 NFL史上最高のオフェンシブラインマン…

春山 泰雄(はるやま やすお)
1906年4月4日生まれの有名人 東京出身

春山 泰雄(はるやま やすお、1906年4月4日 - 1987年6月17日)は、東京都出身の会社役員、新聞記者、サッカー選手である。 東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)…

山本 昌邦(やまもと まさくに)
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山本 昌邦(やまもと まさくに、1958年4月4日 - )は、静岡県沼津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。サムデイ所属。 国士舘大学時代から冷静な判断と鋭いタックルが売り物のディフェンダーとし…

齋藤 学(さいとう まなぶ)
1990年4月4日生まれの有名人 神奈川出身

齋藤 学(さいとう まなぶ、1990年4月4日 - )は、神奈川県川崎市幸区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アスルクラロ沼津所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 Kリーグ…

小山田 春樹(おやまだ はるき)
1953年4月4日生まれの有名人 神奈川出身

小山田 春樹(おやまだ はるき、1953年〈昭和28年〉4月4日 - )は、日本のフリーアナウンサー、元政治家。元日本テレビアナウンサー、報道記者。京都市会議員を1期務めた。神奈川県逗子市出身。 1…

三谷 紬(みたに つむぎ)
1994年4月4日生まれの有名人 千葉出身

三谷 紬(みたに つむぎ、1994年4月4日 - )は、テレビ朝日のアナウンサー。 千葉県佐倉市出身。実家は呉服店を営んでいる。 共立女子中学校・高等学校、法政大学社会学部メディア社会学科卒業後…

川野 一宇(かわの かずいえ)
1943年4月4日生まれの有名人 東京出身

川野 一宇(かわの かずいえ、1943年4月4日 - )は、日本放送協会(NHK)の元アナウンサー。 千代田区立麹町中学校、東京都立八潮高等学校を経て東京大学卒業後、1967年入局。初任地は佐賀。フ…

三原 勇希(みはら ゆうき)
1990年4月4日生まれの有名人 大阪出身

三原 勇希(みはら ゆうき、1990年4月4日 - )は、日本の女性ファッションモデル、グラビアモデル。スターダストプロモーション所属。夫はプロサッカー選手の犬飼智也。 中学生時代、愛読していたティ…

本田 紗来(ほんだ さら)
2007年4月4日生まれの有名人 京都出身

本田 紗来(ほんだ さら、英語: Sara Honda, 2007年4月4日 - )は、日本の女優、元子役、タレント、モデル、YouTuber、フィギュアスケート選手(女子シングル)。京都府京…

細木 数子(ほそき かずこ)
1938年4月4日生まれの有名人 東京出身

細木 数子(ほそき かずこ、1938年〈昭和13年〉4月4日 - 2021年〈令和3年〉11月8日)は、日本の作家、占術家、宗教家。テレビ出演の際の肩書きは心照学研究家、人間学研究家などと称する場合も…

林 姫奈妙(はやし ひなた)
2007年4月4日生まれの有名人 長野出身

林 姫奈妙(はやし ひなた、2007年4月4日 - )は、日本の女性タレントで、Ranzuki専属モデル。長野県出身。トイボックスエージェント所属。母親はプロダーツ選手の林倫代。 小学4年生頃からT…


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アンドレイ=タルコフスキーと近い名前の人

ALEXANDRE(あれきさんだー)
1982年4月20日生まれの有名人 出身

ALEXANDRE(アレキサンダー、1982年4月20日 - )は男性ファッションモデル、「Dreseed」アパレルデザイナー。日本とブラジルのハーフである。タイクーンモデルエージェンシー所属。 R…

アンドレ=デュメリル(Andre Marie Dumeril)
1774年1月1日生まれの有名人 出身

アンドレ・マリー・コンスタン・デュメリル(フランス語:André Marie Constant Duméril、1774年1月1日 – 1860年8月14日)は、フランスの動物学者である。1801年か…

ダナ=アンドリュース(Dana Andrews)
1909年1月1日生まれの有名人 出身

ダナ・アンドリュース(Dana Andrews,本名Carver Dana Andrews,1909年1月1日 - 1992年12月19日)は、アメリカ合衆国ミシシッピ州出身の俳優。 人生とキャリア…

アンドリュー=バルモン(Andrew Orlando Valmon)
1965年1月1日生まれの有名人 出身

アンドリュー・オーランド・バルモン(Andrew Orlando Valmon、1964年4月9日 ‐ )は、アメリカ合衆国・ニューヨーク出身の元陸上競技選手。専門は短距離走の400m。1992年バル…

マイケル=アンダーソン_(宇宙飛行士)(Michael Phillip Anderson)
1959年12月25日生まれの有名人 出身

マイケル・フィリップ・アンダーソン(Michael Philip Anderson、1959年12月25日 - 2003年2月1日)は、アメリカ空軍の大佐、アメリカ航空宇宙局の宇宙飛行士である。STS…

ブライアン=コックス_(物理学者)(Brian Edward Cox)
1968年3月3日生まれの有名人 出身

ブライアン・エドワード・コックス(英: Brian Edward Cox, OBE FRS、1968年3月3日 - )は、イギリスの物理学者、マンチェスター大学物理・天文学科(英語版)…

ブライアン=コックス_(俳優)(Brian Denis Cox)
1946年6月1日生まれの有名人 出身

ブライアン・デニス・コックス(Brian Denis Cox, CBE, 1946年6月1日 - )は、イギリスの俳優。スコットランドのダンディー出身。アイルランド系。 5人兄弟の末子。9歳の時に父…

カルロス=ビアンチ(Carlos Bianchi)
1949年4月26日生まれの有名人 出身

カルロス・ビアンチ(Carlos Bianchi, 1949年4月26日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手としてアルゼンチン代表だった。選手時代のポ…

山口 純(やまぐち じゅん)
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1990年5月13日生まれの有名人 兵庫出身

山口 純(やまぐち じゅん、1990年5月13日 - )は、日本の男性歌手、ファッションモデル、タレント。兵庫県出身。身長187cm。立命館大学卒業。 男性アイドルグループ・新選組リアンの元メンバー…

榊原 徹士(さかきばら てつじ)
【新選組リアン】
1989年12月6日生まれの有名人 愛知出身

榊原 徹士(さかきばら てつじ、1989年12月6日 - )は、日本の歌手、俳優、モデルであり、アイドルグループ吉本坂46の元メンバーである。愛知県豊田市出身。京都外国語大学中退。身長172cm。愛称…

関 義哉(せき よしや)
【新選組リアン】
1989年4月7日生まれの有名人 京都出身

関 義哉(せき よしや、1989年4月7日 - )は、日本の男性歌手、J-pop、ダンサー、タレント。京都府京都市出身。身長171cm。京都府立洛北高等学校、滋賀大学経済学部卒業。 男性アイドルグル…

國定 拓弥(くにさだ ひろや)
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國定 拓弥(くにさだ ひろや、1988年7月8日 - )は、日本の男性歌手。兵庫県出身。現在はhiroyaとして活動中。 身長175cm、体重58kg。大手前大学出身。愛称は「ひろにゃん」、「さだち…

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森 公平(もり こうへい、1988年4月12日 - )は、日本の男性歌手、タレント、俳優。大阪府出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。 男性アイドルグループ・新選組リアンとサーターアンダ…

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アンナ・リー(英: Anna Lee; 中: 安娜・李、本名:李 宗望〈リ・ゾンワン〉、1984年4月22日 - )は、台湾・台北市出身の歌手、タレント、女優。 話す言葉は中国語、台…

原 アンナ(はら あんな)
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原 杏奈(はら あんな、1985年8月21日 - )は、日本のタレント、モデル。旧芸名は「原 アンナ」(読み方同じ)。岐阜県中津川市出身。ケイダッシュステージ所属。元夫はお笑いコンビHi-Hiの上田浩…

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中村 アン(なかむら アン、英: Anne Nakamura、1987年9月17日 - )は、日本の女優、ファッションモデル、タレント。 東京都江東区出身。プラチナムプロダクションを経て、2…

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