カルロス=ミラバルの情報(CarlosMirabal) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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カルロス=ミラバルの情報まとめ
カルロス=ミラバル(Carlos Mirabal)さんの誕生日は1973年4月24日です。
引退に関する情報もありますね。カルロス=ミラバルの現在の年齢は51歳のようです。
カルロス=ミラバルのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート カルロス・ミラバル(Carlos Mirabal, 1973年4月24日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州バーゲン郡出身のプロ野球選手(投手)。右投両打。台湾プロ野球時代の登録名は「馬來寶」。 バーゲン・カウンティ・テクニカル高校を経て、1996年にアメリカの独立リーグであるノース・アトランティック・リーグのアルトゥーナ・レイルキングスにてプロとしてのキャリアをスタートする。 1997年と1998年はTMLの嘉南勇士、1999年はCPBLの和信ホエールズでプレーした。和信在籍時の1999年には、アレックス・カブレラとチームメイトだったが、性格が合わずお互いに不仲を公言するほどの犬猿の仲だった。2002年にはカブレラに死球をぶつけたことがきっかけで乱闘騒ぎを起こしている。 2000年にNPBの日本ハムファイターズに入団。前年に抑えを任されていたエリック・シュールストロムが退団したことで不在となっていた守護神の期待を受け、150kmを超えるストレートとナックルカーブを武器に48試合に登板し、1勝3敗19セーブの数字を残したが、走者を背負うと不安定になる弱点があり、絶対的な信頼は得られなかった。 2001年も抑えとして起用され2勝6敗18セーブとまずまずの数字を残すも、依然抑えとしては不安定だったことやルーキーの井場友和を抑えとして育成する方針から終盤に先発に転向、最後の登板で5回無失点と結果を残した。 2002年から本格的に先発投手へ転向。後半戦はケガで棒に振るも、エース金村曉に次ぐチーム2位の9勝を挙げた。また、同年4月10日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、8回終了まで一人の走者も許さぬ好投を見せるが、9回の先頭打者・吉鶴憲治に安打され、外国人投手としては初となる完全試合を逃した。また、この試合で9回まで投げた球数はわずか80球であり、80球以内での完投は1969年の坂井勝二(ロッテオリオンズ)以来、パ・リーグ史上17人目であり、両リーグを通じても1977年の江本孟紀(阪神タイガース)以来25年ぶりであった。 2003年はケガで出遅れた金村に代わり開幕投手を務め、シーズンではリーグ2位の16勝(11敗)を挙げチームの勝ち頭となる。ただし、自責点と防御率がリーグワーストであった。 2004年は前半は不振に喘いだが、後半に巻き返し11勝をマークした。プレーオフ第1ステージ第2戦に先発すると8回まで1失点に抑え、9回に3失点し完投は逃したが8回2/3を4失点で勝利投手となった。 2005年にも開幕投手に指名されたが、故障により勝ち星を挙げることができないまま3試合のみの登板に終わりシーズン途中で解雇された。 2006年から2008年まで、独立リーグのアトランティックリーグに加盟するニューアーク・ベアーズでプレーしたのを最後に一度引退。 2015年に独立リーグのカナディアン・アメリカン・リーグで現役復帰。そこでのプレーしているとドイツのブンデス・リーガ1部のケルン・カージナルスからオファーがあり、2018年には監督兼選手としてプレーした。その後はプエルトリコで投手兼コーチとしてもプレーした。 2018年11月に結成された「一般社団法人 日本プロ野球外国人OB選手会」(JRFPA)で代表理事を務める。 2019年8月30日から、四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスで、シーズン終了まで臨時コーチを務めた。 その後はニューヨークに在住し、子供からプロレベルの選手たちまで向けて、野球とソフトボールのコーチ活動を行っていた。また、2020年5月に行われたパシフィック・リーグからのインタビューに対しては現役としてのプレー復帰も目指していたことを明かした。 2022年に独立リーグのフロンティアリーグで再び現役復帰。同年と2023年に1試合ずつ登板した。 打たせて取るクレバーな投球だが、やや熱くなりすぎて一本調子になることが課題だった。 日本ハム時代の背番号00は、2000年に加入したことと、防御率0.00を目指したことから。ミラバルの退団後に日本ハムで背番号00を着用した選手は現れず、かつ日本ハムは2009年以降、背番号0および00を使用しない方針を採っているため、ミラバルは日本ハムで背番号00を着用した最後の選手である。 各年度の太字はリーグ最高 最優秀防御率:1回 (1999年) 月間MVP:1回 (投手部門:2004年9月) 初登板:2000年4月1日、対西武ライオンズ1回戦(西武ドーム)、9回裏に2番手として救援登板、1回1/3を3失点で敗戦投手 初セーブ:2000年4月5日、対オリックス・ブルーウェーブ2回戦(東京ドーム)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点 初奪三振:2000年4月11日、対大阪近鉄バファローズ1回戦(東京ドーム)、9回表2死で中村紀洋から 初勝利:2000年5月19日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(東京ドーム)、8回表2死から5番手で救援登板、1回1/3を無失点 初先発登板・初先発勝利:2001年10月1日、対西武ライオンズ28回戦(西武ドーム)、5回無失点 初完投勝利・初完封勝利:2002年4月10日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム) 24 (1997年 - 1998年) 10 (1999年) 00 (2000年 - 2005年) ^ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=miraba001car ^ “外国人OB選手会の代表理事就任 元ハム・ミラバルのゴールは「日本で指導者」”. Full-Count. (2018年12月17日). https://full-count.jp/2018/12/17/post267645/ 2022年2月1日閲覧。 ^ “ハムOBミラバル氏、46歳も最速144キロ 札幌での球団人気に「本当に嬉しい」”. Full-Count. (2019年4月28日). https://full-count.jp/2019/04/28/post358230/ 2022年2月1日閲覧。 ^ 「みんな日本に恩返しをしたいと思っている」日本プロ野球外国人OB選手会はなぜ生まれたか ^ カルロス・ミラバル氏 徳島IS 臨時投手コーチ就任のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2019年8月30日) ^ “カルロス・ミラバル(元北海道日本ハム) 徳島インディゴソックス臨時投手コーチとして若手投手才能開花へ!”. 高校野球ドットコム. (2019年9月1日). https://www.hb-nippon.com/news/36-hb-bsinfo/38181-bsinfo20190901002 2022年2月1日閲覧。 ^ カルロス・ミラバル(インタビュアー:高木隆)「We Are Pacific! 外国人OB選手インタビュー カルロス・ミラバルさん 離れてもなお、ファイターズに寄せる慕情」『パ・リーグ.com』、2020年5月22日。https://pacificleague.com/news/24622。2022年2月1日閲覧。 ^ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=miraba001car ^ 『プロ野球選手名鑑2003』ベースボール・マガジン社、2003年、291頁。ISBN 4-583-61214-1。 ^ 『プロ野球選手名鑑2001』ベースボール・マガジン社、2001年、237頁。ISBN 4-583-61131-5。 中華職業棒球大聯盟個人タイトル獲得者一覧 北海道日本ハムファイターズの選手一覧 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register) 選手の各国通算成績 CPBL 個人年度別成績 C.ミラバル - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 90 史東 91 黄平洋 92 沙勒 93 陳義信 94 王漢 95 王漢 96 勞勃 97 賈西 98 郝有力 99 馬來寶 00 楓康 01 蕭任汶 02 宋肇基 03 威森 04 林英傑 05 林恩宇 06 林恩宇 07 彼得 08 廖于誠 09 潘威倫 10 卡斯帝 11 銳 12 強納森 13 希克 14 鄭凱文 15 羅力 16 羅力 17 張耿豪 18 羅里奇 19 羅力 20 德保拉 21 德保拉 22 黄子鵬 23 布里悍 24 古林睿煬 表 話 編 歴 1946 一言多十 1947 白木義一郎 1948 吉江英四郎 1949 白木義一郎 1950 白木義一郎 1951 米川泰夫 1952 寺川昭二 1953 米川泰夫 1954 米川泰夫 1955 米川泰夫 1956 牧野伸 1957 米川泰夫 1958 牧野伸 1959 土橋正幸 1960 土橋正幸 1961 久保田治 1962 富永格郎 1963 土橋正幸 1964 久保田治 1965 久保田治 1966 尾崎行雄 1967 森安敏明 1968 森安敏明 1969 高橋善正 1970 森安敏明 1971 金田留広 1972 藤原真 1973 金田留広 1974 渡辺秀武 1975 高橋直樹 1976 高橋直樹 1977 高橋直樹 1978 佐伯和司 1979 高橋直樹 1980 高橋直樹 1981 高橋一三 1982 高橋一三 1983 工藤幹夫 1984 田中幸雄 1985 津野浩 1986 津野浩 1987 津野浩 1988 西崎幸広 1989 西崎幸広 1990 西崎幸広 1991 西崎幸広 1992 柴田保光 1993 西崎幸広 1994 西崎幸広 1995 西崎幸広 1996 岩本勉 1997 西崎幸広 1998 岩本勉 1999 岩本ツトム 2000 岩本ツトム 2001 金村曉 2002 岩本勉 2003 C.ミラバル 2004 金村曉 2005 C.ミラバル 2006 金村曉 2007 ダルビッシュ有 2008 ダルビッシュ有 2009 ダルビッシュ有 2010 ダルビッシュ有 2011 ダルビッシュ有 2012 斎藤佑樹 2013 武田勝 2014 吉川光夫 2015 大谷翔平 2016 大谷翔平 2017 有原航平 2018 B.ロドリゲス 2019 上沢直之 2020 有原航平 2021 上沢直之 2022 北山亘基 2023 加藤貴之 2024 伊藤大海 2025 金村尚真 アメリカ合衆国の野球選手 台湾職業棒球大聯盟の選手 中信ホエールズ及び和信ホエールズの選手 北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 ニュージャージー州イングルウッド出身の人物 徳島インディゴソックス 1973年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2025/01/12 19:54更新
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