カルメン・マキの情報(旧本名:MakiAnnetteLovelace) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
カルメン・マキさんについて調べます
■名前・氏名 |
カルメン・マキと関係のある人
古田たかし: バンド結成前:中学3年生の時にカルメン・マキ&OZに加入してプロデビュー。 田原総一朗: 「『わたしたちは……』〜カルメン・マキの体験学入門」という番組で、カルメン・マキが日記(小説的日記)で、「わたしたちは三畳の部屋に住んでいた」と書いていた。だが、実際はカルメン・マキは母親と一緒に住んでいた。そのため、カルメン・マキと同じく「天井桟敷」にいた支那虎という男と、アパートを借りて同棲させた。当時天井桟敷のスターだったカルメン・マキに変な男がついたということで、寺山修司が怒り、寺山と支那虎は口論して支那虎は退団したが、そのシーンまで撮影した。 丹波博幸: カルメン・マキ 春日博文: 1970年代に、カルメン・マキ&OZのリーダー、ギタリストとして活動した。 樋口晶之: クリエイション脱退後フリーランスで、カルメン・マキ&OZでコンビだった鳴瀬喜博とChaos、土岐英史&Rio Son、宇崎竜童の竜童組など数多くのバンドに参加するかたわらジョー山中、時任三郎、萩原健一、柳葉敏郎、井上堯之などのサポートを務める。 春日博文: 1977年 - カルメン・マキ&OZ解散。 井上陽水: 当時、CBSソニーはカルメン・マキの「時には母のない子のように」のヒットの余勢をかって、さらなる一発を狙っていた。 近田春夫: 同年12月、有楽町で開かれた第1回「日劇ロック・カーニバル」に、カルメン・マキ&タイムマシーンのキーボード奏者として参加。 汐見さやか: ラジオDJオーディション優勝をきっかけに、ラジオDJ、イベントMC、ナレーターとしての活動幅を広げ「汐見さやかのSunsetRock」では、鮫島秀樹、PERSONZ、ユニコーンの阿部義晴、ダイアモンド☆ユカイ、西田昌史(EARTHSHAKER)、寺田恵子(SHOW-YA)、中村中、カルメン・マキ、田村直美、高崎晃(LOUDNESS)といった日本のロックミュージシャンを始め、スティーヴィー・サラス、ジョージ・リンチ、ブーツィー・コリンズ、ポール・スタンレー、コーン、スティーヴ・ヴァイ、ビリー・シーン、ハーマン・リ (dragonforce)、ジョー・サトリアーニ、ポール・ギルバート、イングヴェイ・マルムスティーン、チャド・スミス、リッチー・コッツェン、マイケル・アモット、マイケル・シェンカー、DEVO、Y&T、ギターウルフ、Joan Jett、Rudy Surzo、Ray Luzier (Korn)、Marilyn Manson、The doors、Kelle Rhoads、Buddy Guy、Goo goo dolls、 Sick Puppies、Natalie Cole、Queensryche、Richie Kotzen、dUg Pinnick、Phill Sossan、Kiko(ANGRA)、Marco Mendoza、STEVE STEVENS、T.M. Stevens、Philip Bynoe、Chris Duarte、L. A. Guns、Black Label Society、Jimm Ladd、SLASH、Zebrahead、FISHBONE、MEGADETH、Black Sabbath、Back Cherry、Semi Precious Weapons、Motley Crue、Y&T、Booty Collins、Anthrax、Dragon force、STEVIE SALAS、Andrew W.K.、Gene Simmons (Kiss)、Nuno Bettencourt、Steve Vai、Andy Timmons、Kelly King、Eric Peterson、John Densmore(Doors)等多くの海外ミュージシャン達もゲスト出演している。 川崎真弘: 1970年代からキーボード奏者として、「イエロー」「カルメン・マキ&OZ」「金子マリ&バックスバニー」などに参加。 多賀英典: カルメン・マキ 内橋和久: Burkhard Stangl、フェルナンド・カブサッキ、マ—ティン・スィーヴァート、おおたか静流、藤井郷子、田村夏樹、DD Kern、Ned Rothenberg、Shelley Hirsch、吉田達也、ナスノミツル、芳垣安洋、巻上公一、イクエ・モリ(Ikue Mori)、松村和幸a.k.a.ZAK、塩谷博之、権藤知彦、青木タイセイ、ミヒャエル・フィッシャー、シルヴィ・ゴルバジェ、COMBOPIANO、UA、外山明、久土'n'茶谷、日比谷カタン、友部正人、梅津和時、太田恵資、山本精一、内田也哉子、NOID、Phil Minton、七尾旅人、フランツ・ホーツィンガー、中村としまる、田中悠美子、石川高、David Murray、山下洋輔、Hans Reichel、今井和雄、渋さ知らズ、Andy Moor、岡本洋、Samm Bennett、不破大輔、是巨人、鬼怒無月、くるり、Thomas Lehn、Mats Gustafsson、クレステン・オズウッド、八木美知依(Michiyo Yagi)、マッシモ・プッピーロ、高良久美子、酒井俊、ヤチェック・コハン、石橋英子、知久寿焼、Roger Turner、原田郁子、林栄一、二階堂和美、eEyo Idiot、半野田拓、Noël Akchoté、坂田明、大野由美子、大竹伸朗、Mani Neumeier、細野晴臣、Gene Coleman、高瀬アキ(Aki Takase)、関島岳郎、Axel Dörner、ヘルゲ・ヒンテレッガー、パスカルズ、秋山羊子、デイル・バーニング、西川文章、Martin Tétreault、ディアン・ラブローズ、鈴木昭男、高橋悠治、ピア・パルメ、JSX、岡登志子、山本達久、イフクキョウコ、オオヤユウスケ、鈴木正人、灰野敬二、アンゲリカ・カステーヨ、Salyu、Richard Scott、カルメン・マキ、Sainkho Namtchylak、Dagmar Klause、Mark Feldman、Christian Marclay、Bobby Previte、菊地成孔、坪口昌恭、Joke Lanz、Tony Buck、Achim Kaufman、Frank Gratkofski、Gerry Hemingway、Richard Barrett、Senyawa 深町純: カルメン・マキ「III」(1977年) 寺山修司: カルメン・マキの「時には母のない子のように」の作詞を手がける。 浜田朱里: ※原曲歌唱:カルメン・マキ 椎野恭一: カルメン・マキ 寺田恵子: 影響を受けた歌手はカルメン・マキ、アン・ルイス。高校生の頃までは声の高さはソプラノで、高校時代の先生にはその声の高さから合唱部入りを勧められたこともあったが、カルメン・マキへの憧れから、枕を喉に当てながらシャウトしたりして声を潰していったという。 奥平イラ: カルメン・マキ『Trick Star』『鍵をかけない』(アルバム「VOICE OF MOSES」) 寺田恵子: カルメン・マキのルーツがジャニス・ジョプリンであると知ってジャニスも好きになり、ジャニスをモデルとした映画『ローズ』にも惹かれて薔薇好きになったことからだという。 仲井戸麗市: 2015年4月 BSジャパン『オン・ザ・ロック!』の番組MCを半年にわたって務め、湯川れい子、カルメン・マキらと共演。 クニ河内: カルメン・マキ「ノイジーベイビー」(詞・曲・編曲)「二人のこと」「二人の言葉」(編曲) 寺田恵子: 高校1年生の時、文化祭でボーカルを探していた男性バンドに誘われ、「カルメン・マキしか歌わないよ」としながらも加入、最初はこの男性主体の7人組バンドで活動。 小川銀次: 「川上シゲ& Zone」、「カルメン・マキ Band」、「鳴瀬 & Quyz」などに精力的に参加、そして忌野清志郎と仲井戸麗市に出会い、日本語ロックのパイオニアであるRCサクセションに参加する。 人見元基: 大学サークル外で出会った元カルメン・マキ&OZのメンバーらとバンド・NOIZでキャリアをスタート。 西川響: 父が元ブラッディ・サーカス(クリエイションの前身)やカルメン・マキ&OZに在籍していたドラマーだったため、幼少時からROCKに親しむ。 樋口晶之: カルメン・マキ&OZ 忌野清志郎: 春日"ハチ"博文 - カルメン・マキ&OZのメンバーとして知られている。 ダディ竹千代: 高校卒業後、ライブ活動を行いながら、カルメン・マキ&OZのスタッフとなる。ギタリストの春日博文が高校の同級生であり、その縁でカルメン・マキ&OZの楽曲の作詞を担当した。 日高真弓: カルメン・マキ 深町純: カルメン・マキ&OZ「カルメンマキ&OZ」(1975年) |
カルメン・マキの情報まとめ
カルメン・マキ(旧本名:Maki Annette Lovelace)さんの誕生日は1951年5月18日です。神奈川出身の歌手のようです。
現在、解散、家族、ドラマ、映画、事件に関する情報もありますね。カルメン・マキの現在の年齢は73歳のようです。
カルメン・マキのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)カルメン・マキ(旧本名:Maki Annette Lovelace、1951年5月18日 - )は、歌手、ロックミュージシャンである。本名:伊藤牧。日本国籍を取得するまでの本名はMAKI ANNETTE LOVELACEであったが、現在の本名は非公表。 アメリカ人の父と日本人の母との間に神奈川県鎌倉市で生まれる。父方の祖父はアイルランド人、祖母はユダヤ系ポーランド人。生まれて間もなく、父が帰国。母は肺結核を患っていたため、マキとともに日本に残った。母方の祖父母がいる東京都大田区で育つ。 1968年、香蘭女学校高等学校を2年次で中退。イラストレーターか役者になろうかと考えていた時期に、アングラ演劇の寺山修司が主宰していたの劇団「天井桟敷」の舞台『青ひげ』にたまたま友人に連れられていった。その舞台に感銘を受けた彼女は即入団を決意。同じ年の8月に新宿厚生年金会館での「書を捨てよ町へ出よう」が初舞台。この時、CBSソニー関係者の目に止まり、歌手契約。芸名の「カルメン・マキ」は舞台の練習中にたまたま思いついたもの。アングラ劇団から歌手が出るのは初めてのケースだった。 翌1969年に「時には母のない子のように」(作詞:寺山修司、作曲:田中未知)でデビュー。17歳とは思えない妖艶な雰囲気、歌唱力、哀愁のある歌いっぷりが話題を呼んだ。重い旋律が時代の雰囲気と合致して、累計100万枚を超える大ヒットを記録した。この曲で第20回NHK紅白歌合戦に出場した。ステージには裸足にジーンズ姿で登場し、非難を浴びた。司会者に「ジーパンもステージ衣装になる時代が来ました」と紹介された。当時の曲は、作曲は武満徹やクニ河内が、作詞は前述の寺山修司や谷川俊太郎が、手がけた。 これ以降も個性派歌手として活動し、6枚のシングルと3枚のアルバムをリリースする。前述の「時には母のない子のように」の他にも「山羊にひかれて」や「私が死んでも」「戦争は知らない」と言ったヒット曲を出した。 1970年、写真集『篠山紀信集 NUDE』(篠山紀信)でヌードを披露。 彼女のキャリアを語る上で欠かせないのはロックへの転向である。そもそものきっかけは、「時には母のない子のように」のレコード大賞受賞でCBSソニー社長から「ご褒美」としてレコードプレイヤーとLP盤数枚をプレゼントされた時のことである。 そのLP盤の中にジャニス・ジョプリンがあった。それを聴いたマキは衝撃を受け、1970年に突然のロック転向を表明する。直後近田春夫(のちにハルヲフォンを結成)、立川直樹らと「カルメン・マキ&タイムマシーン」と言うバンドを結成するが、すぐに解散。その後さまざまなバンドがバッキングについたが、最終的には当時の実力派バンドであった、ギタリスト竹田和夫率いるブルース・クリエイション(第2期)に落ち着き、1971年にコラボレーション・アルバムである『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』を発表。それまで黒人霊歌を基にしたフォークなどを歌うシンガーから、女性ロッカーへとイメージ・チェンジをした。 1972年には当時18歳であったギタリストの春日博文らとともに「カルメン・マキとOZ」を結成。メンバーは、春日博文(ギター)、鳴瀬喜博(ベース、後にカシオペア加入)、樋口晶之(ドラムス、のちに竜童組)。 結成当初は順風満帆とはいえず、所属事務所からはキャバレー回りを強要され、時には客から「こんな曲では踊れない」とビンを投げつけられることもあったという。 しかし、こうした地道な活動が実を結び、1974年にポリドールからシングル「午前一時のスケッチ」でデビュー。翌1975年1月にはファーストアルバム『カルメン・マキ&OZ』をリリース。10万枚以上を売り、当時のロックアルバムとしては大ヒットとなった。このアルバムに収録されている約12分にも及ぶ大作「私は風」は、のちに様々な歌手、ミュージシャンにカバーされ、その中でも特に中森明菜のものが有名である。なお、この録音前後にマキと春日以外のメンバーが総入れ替えとなっている。ドラムは西哲也、古田宣司(たかし)の1stアルバム参加を経て、内藤正美が1975年末まで在籍。ベースは千代谷晃を経て、1stアルバム録音の後から、後期OZの音に決定的影響を与えた川上茂幸に替わった。 1975年5月にグランド・ファンクの、同年8月にジェフ・ベック(やニューヨーク・ドールズら)の、夫々の来日公演の前座を務めた。 1976年にアメリカ合衆国のロサンゼルスでセカンド『閉ざされた町』を4か月かけて制作。ファーストに引き続き「閉ざされた町」や「火の鳥」といった大作路線を継承しながらも風格を漂わせたものに仕上がっている。「閉ざされた町」でドラムを担当したのは久藤賀一。レコーディングの合間にアメリカのコンサートを見て回り、マキは「日本ではお客さんが構えて聴いてるところがあるでしょう。違うんだな、向こうは。もう生活の一部になってるみたいで武道館の二倍もあるようなホールに、子供づれの家族がギッシリ来てる。身障者が見る設備もあるんですよ」などと当時の日本のロックを取巻く現状を憂いた。またロックバンドには珍しくファンクラブが結成された。 翌1977年の10月18日新宿厚生年金会館でのステージを最後に解散。その年の12月にはサードアルバム『III』を発表。前2作とは打って変わってポップな楽曲が並んだ。 また解散の翌年8月にはシングル盤として「私は風」、そして10月の解散ステージと同年5月の日比谷野外音楽堂のライブ音源を収録した『ライヴ』がリリースされている。『III』『ライヴ』録音時のメンバーはマキ、春日、川上、武田治 (Dr)、川崎雅文(川崎真弘)(Kb) であった。 OZ解散後、1979年に数回の渡米を経て、ドラマーで当時ロッド・スチュアート・バンドの一員でもあったカーマイン・アピス(元ヴァニラ・ファッジ→カクタス→BB&A)のプロデュースの下でソロ『NIGHT STALKER』を発表。 翌1980年には「カルメン・マキ&LAFF」を結成。同年『カルメン・マキ&LAFF』をリリース。「60s:時には・・・、70s:OZ、そして時代は今・・・LAFF」とレコードの帯にあるようにレコード会社からも期待がかかっていたが結局思うようなヒットが出ず、1981年にヘヴィメタルバンド『カルメン・マキ&5X』へと発展解消。1982年にファースト『HUMAN TARGET』、ライブ盤『LIVE X』、1983年にはセカンド『CARMEN MAKI'S 5X』をリリースし、解散。また、この期間には村上龍原作の映画『限りなく透明に近いブルー』の音楽に参加。「青白い夕焼け("リュウ"のテーマ)」を歌っている。 1980年9月に覚醒剤所持の現行犯で逮捕され、同年11月に大麻所持で逮捕された。これら事件のため、一時的にカルメン・マキ&LAFFは活動停止を余儀なくされてしまった。 1983年には、週刊プレイボーイ誌上でヌードを披露した。 その後1986年にはOZの初代ベーシストであった鳴瀬喜博や松本孝弘(のちにB'zを結成)などがいたセッションバンド、「うるさくてゴメンねBAND」に参加。ライブ活動を中心とする。1987年にはライブ盤『うるさくてゴメンねLIVE』を発表。その後出産、育児に専念するために一時的に音楽活動の休止を宣言した。 1993年に日本国籍を取得し、音楽活動を再開。同年、寺山修司歿後十年の企画として『時には母のない子のように』(新録音)を発表し、久保田麻琴プロデュースによる子守唄のアルバム『MOON SONGS』を発表。そして翌1994年には「MOSES」を結成。1995年に『VOICES OF MOSES』を発表。1996年にはOZ時代の盟友、春日博文のプロデュースによる「UNISON」を発表。また、この時のセッションメンバーをもとに「UNISON UNIT」を結成し、ライブを中心として活動。この頃に現在もライブ、アルバム制作で組んでいるギタリスト、鬼怒無月と出会っている。 1997年12月29日、「カルメン・マキ&OZ」の一夜限りの再結成を行う(於:京都大学西部講堂)。 1998年には後藤次利、笹路正徳、春日博文、辻仁成などをプロデューサーに迎えて『SPLIT』を発表。 2000年にはライブツアー「CARMEN MAKI 世紀末を歌う」を行い、翌年にはライブ盤『CARMEN MAKI LIVE 世紀末を歌う』をリリース。 2003年には鬼怒無月らとともに「CARMEN MAKI & SALAMANDRE」を結成。また同年に同名のアルバムをリリースし、ライブ活動も活発化させていく。 2004年には全曲アコースティックのアルバム『ANOTHER WAY』を発表。 2008年には、初の朗読(ポエトリー・リーディング)CD『白い月』をリリース。中原中也、萩原朔太郎らの詩を水城雄(ピアノ)の即興演奏にのせて読み、歌に留まらない表現に新境地を開いた。 現在も全国各地をライブハウスを中心に精力的に回っている。 2014年11月25日にはLIQUIDROOMにて「カルメン・マキ45周年記念VOL.1 〜ONE NIGHT STAND〜 《ROCK SIDE》」が行われた。出演はカルメン・マキの他、春日博文 (g)、川上茂幸 (b)、武田治 (ds)、厚見玲衣 (kbd)、ジョージ吾妻 (g)、盛山キンタ (b)、大内貴雅 (ds)、Dr.kyOn (kbd)、澤田浩史 (b)、古田たかし (ds)、木暮武彦 (g)、金子マリ (vo)、Char (g) であった。 2015年2月6日・7日の2日に渡って、ザムザ阿佐ヶ谷にて「カルメン・マキ45周年記念VOL.2《アングラSIDE》2days」が行われた。出演はカルメン・マキの他、春日博文 (g)、Dr.kyOn (kbd)、太田恵資 (Vl)、桜井芳樹 (g)、佐藤正治 (ds)、清水一登 (pf)、西嶋徹 (b) であった。 2018年10月、「カルメン・マキ&OZ」名義のライブを約21年ぶり(単独公演では41年ぶり)に開催。そしてファンから多くの要望を受け、翌2019年11月より開催するデビュー45周年記念再結成ツアーを発表。 1978年、ギタリストCharが、芸能界から追放処分を受け、四面楚歌状態にあったとき、救いの手を差し伸べたのが彼女である。当時、精神的な沈鬱状態で、ギターを弾く状態になかった彼を、自身のツアーにサイドマンとして誘って、ギターを弾く機会と場を与えた。「救われた。マキちゃんのおかげで再スタートさせてもらった」と後年Charは、デビュー20周年記念のリットーミュージックのインタビューで語った。この再スタートを足掛かりにCharは、ジョニー,ルイス&チャー(後のピンククラウド)を結成した。 レーシング・ドライバー 福沢幸雄の光と影 補:クニ河内 訳:Linda Hennrick Carmine Appice A面 時には母のない子のように 家なき子 二人のこと 戦争は知らない マキの子守唄 B面 山羊にひかれて だいせんじがけだらなよさ さよならだけか人生ならば ロバと小父さん かもめ 時には母のない子のように ボーナストラック 時には母のない子のように(イタリア語ver.) ボーナストラック1曲入 A面 アダムとイヴ 欲望 種子 ペルソナ 嘘とほんと B面 女と男 子供 -家族の肖像- 指 本能 過ち Goodbye My Memories A面 想い出にサヨナラ 朝まで待てない あなたが欲しい 長い髪の少女 そしてもうひとつの朝 誰かおしえて B面 坊や大きくならないで 手紙 死んだ男の残したものは 戦争は知らない チューリップのアップリケ 風に吹かれて A面 Understand [アンダースタンド] And You [アンド・ユー] Lord, I Can't Be Going No More Empty Heart [空しい心] B面 Motherless Child [母のない子] I Can't Live For Today [今日を生きられない] Mean Old Boogie [ミーン・オールド・ブギー] St. James Infirmary [セント・ジェイムス病院] ドイツでの発売 2012年デジタルリマスター盤 A面 It's Only Rock'n Roll(2:57) Jamaican Getaway(4:47) I Just Fell In Love Again(3:57) Hey, Babe(3:40) Take Me For A Little While(3:35) B面 J-Rock(3:27) Easy Come, Easy Go(4:56) Eye To Eye(3:07) Never On A Monday(3:33) Bringing Me Down(3:03) Night Stalker(1:30) マキの子守唄 月の砂漠 七つの子 ケ・セラ・セラ ジェルソミーナ お月さましか話相手がいなかったら 星に願いを 白いブランコ 時計をとめて 時には母のない子のように 赤とんぼ トリック・スター 時には母のない子のように ダンサー・イン・ザ・シティ ミッドナイト・ロンリー・ガール 鍵をかけない 夜間飛行 ルワンダ 空と陸の交わったところ カム・ダウン・モーゼス いつまでも はこぶねの唄 人魚 ムーンビーチの砂の上 Lilly was gone with window pane ペルソナ Every time we say good-bye 星の河を渡ろう 記憶の海 ジュゴン ありがとう Awakening 百億の孤独 ユメノクスリ すてられたイブ たつまき 愛し合えるベッドに… Sky Was Blue 1999 アポトーシス ワイルドフラワー Trick Star (5:36) Lilly was gone with windowpane (8:14) 世界の果ての旅 (14:21) OVER THE RAINBOW (9:57) 空と陸の交わったところ (8:57) 変わらないもの (9:45) The Water is Wide Monday Bluesong かもめ 我自由丸 半分のこころ 戦争は知らない アフリカの月 時には母のない子のように~サマー・タイム かもめ ペルソナ 虹の彼方に BAR FLY(新曲) FOR YOU(板橋・太田デュオ) AJITTO SAN にぎわい 北の海/人魚 真夜中の花|ふしあわせという名の猫 LOVESONGを唄う前に 戦争は知らない 海の詩学 街角 ペルソナ 友だち|てっぺん ジェルソミーナ それはスポットライトではない(5:38) No Face, No Name, No Number(7:05) As Tears Go By(5:42) The Man I Love(6:58) A Bird And Flower(12:40) ジプシーソング(4:59) ソウル(7:00) Nord-北へ-(9:15) TRICK STAR ムーン・ビーチの砂の上 人魚(リュック・ベッソン監督「つめたく冷えた月」に捧ぐ) 捨てられたイブ 時計を止めて 記憶の海〈ROCK SIDE〉 Rock’n Roll Star 1999 私は風 時には母のない子のように A Red Flower(水城雄) 白い月(萩原朔太郎) 骨(中原中也) 詩人はつらい(中原中也) 眠らない男(水城雄) 恋を恋する人(萩原朔太郎) 人に(高村光太郎) 北の海(中原中也) 祈り(水城雄) 月夜の浜辺(中原中也) Bird Song A面 あなたが欲しい 時には母のない子のように 山羊にひかれて かもめ さよならだけが人生ならば 想い出にサヨナラ B面 誰かおしえて 戦争は知らない 指 種子 ペルソナ そしてもうひとつの朝 Disc1 ノイジー・ベイビー 2:25 燃え過ぎた炎 3:32 東京はみなし児 3:13 ある少年の連想 3:25 私が死んでも 3:36 マキの子守唄 2:43 山羊にひかれて 3:15 二人のことば 3:08 想い出にサヨナラ 3:47 誰かおしえて 3:20 あなたが欲しい 2:45 戦争は知らない 3:50 だいせんじがけだらなよさ 2:18 さよならだけが人生ならば 3:03 ロバと小父さん 1:38 かもめ 2:44 サチオのテーマ 1:17 のこされた人形の唄 1:39 時には母のない子のように 3:23 Disc2 朝まで待てない 3:39 あなたが欲しい 3:23 長い髪の少女 3:02 そしてもうひとつの朝 3:46 坊や大きくならないで 4:40 死んだ男の残したものは 2:51 風に吹かれて 4:05 アダムとイヴ -ひとりとひとり- 4:11 欲望 -蛇を飼う唄- 4:39 種子 -はだしで駆けて行くと- 3:38 ペルソナ -言えない愛- 3:28 嘘とほんと 2:11 女と男 -小舟と海- 4:29 子供 -家族の肖像- 2:56 指 -地上の愛より- 2:15 本能 [スキャット] 3:59 過ち 3:15 時には母のない子のように [イタリア語ver.] 3:50 午前1時のスケッチ (Single ver.) きのう酒場で見た女 (Single ver.) 私は風 空へ (Single ver.) 青白い夕焼け J-ROCK 風に乗って 恋はエクスタシー ROCK’N ROLL STAR EVERYBODY NEEDS THE MUSIC 午前1時のスケッチ (Single ver.) 私は風 きのう酒場で見た女 (Single ver.) 崩壊の前日 空へ 嘆きのチャールストン 南海航路 青白い夕焼け (“リュウ"のテーマ) J-ROCK 風に乗って 恋はエクスタシー ROCK'N ROLL STAR 私は風 (Live ver.) ※ 2014年デジタル・リマスター版。 BLUE disc 時には母のない子のように マキの子守唄 のこされた人形の唄 坊や大きくならないで 死んだ男の残したものは 戦争は知らない 種子-はだしで駆けて行くと- 子供-家族の肖像- 時には母のない子のように (イタリア語ヴァージョン) 月の砂漠 赤とんぼ The Water is Wide アフリカの月 海の詩学 ペルソナ 街角 ジェルソミーナ ムーンビーチの砂の上 Lilly was gone with Windowpane (我友“CISCO”に捧ぐ) RED disc UNDERSTAND LORD, I CAN’T BE GOING NO MORE JAMAICAN GETAWAY ]B.C.STREET FLY HI FLY ROCK’N ROLL STAR FEVER EASY COME, EASY GO 私は風 六月の詩 崩壊の前日 閉ざされた町 PURPLE disc 夜間飛行 AWAKENING アポトーシス 時計を止めて 記憶の海 いつまでも A Red Flower Lilly was gone with Windowpane (我友“CISCO”に捧ぐ) 空と陸の交わったところ それはスポットライトではない 1999 NORD-北へ- 春日博文 A面 六月の詩 朝の風景 IMAGE SONG B面 午前1時のスケッチ きのう酒場で見た女 私は風 ボーナストラック 午前1時のスケッチ(Single ver.) きのう酒場で見た女(Single ver.) A面 INTRODUCTION 崩壊の前日 振り子のない時計 火の鳥 B面 LOST LOVE 閉ざされた町 EPILOGUE A面 南海航路(4:19) Love Song を唄う前に(7:42) とりあえず・・・・・・・(3:10) 26の時(7:03) B面 空へ(4:39) 街角(2:58) 昔(14:04) Age(1:47) 1977年10月18日の新宿厚生年金会館解散コンサートと、同5月の日比谷野音ライヴを収録。 A面 メドレー
午前1時のスケッチ~ シゲのソロ(Inst.) 崩壊の前日 六月の詩 IMAGE SONG とりあえず……(ROCK’N ROLL) B面 あどりぶ(Inst.)~ 閉ざされた町 26の時 空へ 私は風 A面 南海航路 空へ Love Songを唄う前に 六月の詩 B面 とりあえず・・・(Rockn' Roll) 崩壊の前日 私は風(LIVE ver.) Disc1 午前1時のスケッチ(Single ver.) 六月の詩 私は風 きのう酒場で見た女(Single ver.) Image Song 閉ざされた町 崩壊の前日 嘆きのチャールストン 26の時 街角 Disc2 空へ(Single ver.) 昔 とりあえず...... Love Songを唄う前に(Remix '96 ver.) 南海航路(Remix '96 ver.) 私は風(LIVE ver.) George Azuma A面 INTOROMENTAL NOW'S THE TIME B.C. STREET 恋はエクスタシー ROCK'N ROLL STAR B面 EVERYBODY NEEDS THE MUSIC TRY ME AGAIN WIND SONG (I.L.Y.P.) FLY HIGH FLY MOTOR CYCLE CITY A面 悪い夢 スキャンダル ハーレー イージー・カム・イージー・ゴー B面 ザ・ロンリー・ローズ カモン・エヴリバディ ムーヴィン・オン トーキョー・ロックン・ローラーズ モーターサイクル・シティ A面 ムーヴィン・オン 悪い夢 デヴィルズ・イン・ザ・シティ ワンス・アンド・フォー・オール B面 ダウン・トゥ・ピーセズ ミッドナイト・トレイン アースクェイク トーキョー・ロックン・ローラーズ A面 ファンタジー / Fantasy サニー / Sunny ビー・マイ・サン / Be My Sun ファースト・タイム / First Time このままで / Love Is Fading B面 ガナー / Gunnar フィーバー / Fever ハイアー・アンド・ストロンガー / Higher And Stronger ラヴ・コンフェッション / Love Confession ※ オムニバス作品、カルメン・マキ&OZの「閉ざされた町」収録。 あらかじめ失われた恋人たちよ - 自閉症の女役(1971年、日本アート・シアター・ギルド) 探偵はBARにいる - マキ役(2011年、東映)主題歌「時計をとめて」も担当。 新平四郎危機一発 第6話「まぼろしの女」(1969年、TBS) 出演順は「出演順/出場者数」で表す。 真夜中のスケッチ(ニッポン放送) ^ “Carmen Maki Official Web”. carmenmaki.com. 2018年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月16日閲覧。 ^ 名田貴好; 橋倉正信『青春音楽グラフィティ タイガースからYMOまで』集英社〈集英社文庫 COBALT-SERIES〉、1981年4月、162–165頁。 ^ “BIOGRAPHY - Carmen Maki | カルメン・マキ - UNIVERSAL MUSIC JAPAN”. カルメン・マキ. 2023年5月24日閲覧。 ^ “カルメン・マキ(歌手) ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~”. BS朝日. (2017年3月4日). https://www.bs-asahi.co.jp/interview/lineup/309/ 2021年7月4日閲覧。 ^ “カルメン・マキ(歌手) ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~”. BS朝日. (2017年3月4日). https://www.bs-asahi.co.jp/interview/lineup/309/ 2021年7月4日閲覧。 ^ “ファンクラブもできました 人気のカルメン・マキとOZ再び活動 お客の心にお土産を”. 報知新聞 (報知新聞社): p. 15. (1976年7月15日) ^ カルメン・マキによると、15万枚くらいはいっただろうとのこと。月刊オンステージ編集部『日本ロック&フォークアルバム大全 1968〜1978 (上)』白夜書房、1990年、260頁。ISBN 4-89367-186-3。 ^ “カルメン・マキ&OZ、41年ぶり単独公演が実現「ようやく再結成できました」”. BARKS (2018年10月10日). 2019年8月15日閲覧。 ^ “カルメン・マキ&OZ、45周年記念で再結成&期間限定の全国ツアー開催”. Rolling Stone Japan (2019年7月17日). 2019年7月20日閲覧。 ^ 映画「限りなく透明に近いブルー」。 ^ 歌:アレックス・イーズリー。 ^ 筑紫哲也ニュース23エンディングテーマ。 ^ “Arakajime ushinawareta koibitotchiyo (1971) - IMDb”. The Internet Movie Database. 2012年3月14日閲覧。 1969年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手 カルメン・マキ-Carmen Maki[1] - 公式サイト カルメン・マキ (@maki_carmen) - X(旧Twitter) ISNI
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2025/01/27 06:28更新
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旧本名:Maki Annette Lovelace
カルメン・マキと同じ誕生日5月18日生まれ、同じ神奈川出身の人
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