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ダヤン=ビシエドの情報 (DayanViciedoPerez)
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【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

ダヤン=ビシエドの情報(DayanViciedoPerez) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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ダヤン=ビシエドさんについて調べます

■名前・氏名
ダヤン=ビシエド
(読み:Dayan Viciedo Perez)
■職業
野球選手
■ダヤン=ビシエドの誕生日・生年月日
1989年3月10日 (年齢35歳)
巳年(へび年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
不明

(昭和64年/平成元年)1989年生まれの人の年齢早見表

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ダヤン=ビシエドの情報まとめ

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ダヤン=ビシエド(Dayan Viciedo Perez)さんの誕生日は1989年3月10日です。

もしもしロボ

家族、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。ダヤン=ビシエドの現在の年齢は35歳のようです。

ダヤン=ビシエドのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ダヤン・ビシエド・ペレス(Dayán Viciedo Pérez、1989年3月10日 - )は、キューバ・ビジャ・クララ州レメディオス出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。

キューバでは同世代リーグでの圧倒的な成績(打率.405・5本塁打・18打点・14盗塁)を携え、2004-2005シーズンに15歳で国内リーグ"セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル"デビュー。

2007-2008シーズンまでナランハス・デ・ビジャ・クララに所属していた。

AA世代(15歳前後)の国際大会出場の頃から注目を集め始め、昔のオマール・リナレスと比較されるようになった。同世代のジュニアナショナルチームの中では遊撃手であったが、三塁手と外野手を掛け持ちで務めて出場した。

2006年の第1回WBCの一次候補にも挙がるなど順調であった。

2006-2007シーズンにおいては90試合で打率.252・8本塁打・OPS.776と前のシーズンより下げ、不振に苦しんだ。

2008年5月にいかだに乗ってキューバから亡命し、アメリカ合衆国のフロリダ半島に上陸した後、ドミニカ共和国で居住権を確立した。同年12月12日に同じくキューバ出身の亡命選手であるホセ・コントレラス、アレクセイ・ラミレスが所属しているMLBのシカゴ・ホワイトソックスと4年総額1000万ドルで契約を結び、入団した。

2009年7月のオールスター・フューチャーズゲームの世界選抜に選ばれた。

2010年6月20日のワシントン・ナショナルズ戦で21歳にしてメジャーデビュー。

2011年はAAA級シャーロット・ナイツで119試合に出場し、打率.296・20本塁打・OPS.856を記録。AAA級のオールスターゲームにも選ばれた。8月26日にカルロス・クエンティンが故障者リスト入りしたためメジャーへ昇格。この年は29試合に出場し、1本塁打6打点1盗塁、打率.255だった。

2012年はホワイトソックスの正左翼手として147試合に出場し、打率.255・25本塁打・78打点・OPS.744を記録した。

2013年2月22日に1年契約に合意。4月半ばには脇腹痛により、約3週間DL入りした。この年も正左翼手として124試合に出場したが長打力は影を潜め、打率.265・14本塁打・56打点という成績に終わり、本塁打が10本以上減少した。守備力も低く、左翼を109試合で守って5失策・守備率.970・DRS - 5という内容だった。

2014年1月13日にホワイトソックスと280万ドルの1年契約に合意。この年は中堅手であるアダム・イートンの活躍により、アレハンドロ・デアザが左翼の守備に就くことが多くなり、ビシエドは左翼手と右翼手を兼任することとなった。145試合に出場し、打率.231・21本塁打・58打点だった。本塁打数は2年ぶりに20本台に戻したが、代償として打率を大きく下げた。

2015年1月12日にホワイトソックスと440万ドルの1年契約に合意した。しかし、1月28日に戦力外となり、2月4日に解雇された。

2015年3月1日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだが、31日に解雇となる。6月11日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結ぶが、7月30日に自由契約となる。8月1日にホワイトソックスとマイナー契約を結ぶが、オフに自由契約となる。結局、2015年はマイナーリーグの2球団(AAA級ナッシュビル・サウンズとAAA級シャーロット・ナイツ)で計66試合に出場、打率.287・8本塁打だった。

2015年12月1日、中日ドラゴンズが獲得を発表。背番号は落合博満が監督時代に着けていた66。

2016年は開幕から3試合連続ソロ本塁打を放ったが、これは新外国人として史上初の快挙だった。さらに2試合目、3試合目に猛打賞を記録し、開幕3連戦終了時点で12打数8安打 打率.667を記録した。4月17日の対阪神タイガース戦では来日初となるサヨナラ本塁打を放った。5月7日の対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)で2回表に今村信貴から左越ソロ、右越3ランの2本の本塁打を放ち、1イニング2本塁打(史上19人目(21度目))を達成。5月10日には、セ・リーグの3・4月度月間MVPを受賞した。外国人枠の野手による来日1年目開幕月での受賞はリーグ初。このようにシーズン序盤は絶好調だったものの、徐々に調子を落としていき、15試合連続本塁打0などスランプに陥った。さらに8月13日の阪神戦(京セラドーム大阪)で守備機会中にセカンドの高橋周平と衝突し、左足首を痛めて登録抹消を余儀なくされた。9月13日の広島東洋カープ戦で復帰したが、先発での出場はなく、もっぱら代打としての出場のみでシーズンを終了。球宴明けの本塁打数は3本にとどまった。11月22日、翌2017年シーズンの中日残留が発表された。

2017年は交流戦実施期間中の6月16日、米国市民権取得のためチームを離れ、渡米した。当初は1週間程度で再来日できる予定であったものの、手続きが難航した影響で戦線復帰には1か月を要した。背景にはドナルド・トランプ政権下での移民政策の転換があるとされる。8月14日の東京ヤクルトスワローズ戦では近藤一樹が右腕にボールをぶつけて尺骨を骨折、シーズン中の復帰が絶望的となり、結局以降の出場は無いままシーズンを終えた。

2018年は8月から急激に調子を上げて月間46安打を達成し、村田修一の持つセ・リーグ記録に並んだ。そして、8月最後のナゴヤドームでの巨人戦で先発C.C.メルセデスから左前へ先制適時打を放ち、月間安打を「47」としてリーグ記録を更新した。しかし、イチローの持つ月間最多安打のNPB記録であった48安打には、あと一打届かなかった。2018年シーズンの対広島戦は132試合消化時点で打率.404、18打点、5本塁打と、打率、打点、本塁打の全てにおいて、50打数以上を記録した選手の中ではチーム1位の対広島戦打撃成績。9月以降も好調をキープし、首位打者と最多安打の2つのタイトルを獲得した。また、セ・リーグ一塁手部門でベストナインを獲得した。

2019年4月12日対阪神戦で2本の本塁打を放ちチームは連勝を飾った。27日対阪神戦、4回に3点本塁打で逆転し、連敗を止めた。しかし、5月は本塁打が中々出ず、31日に114打席ぶりの本塁打を放った。9月4日対読売戦、4回に自打球を当て途中交代し、「左足関節内側の打撲」と診断された。しかし、強行出場し、全試合に出場、打率.315、18本塁打、93打点を記録し、2年連続でセ・リーグ一塁手部門でベストナインに選出された。

2020年は開幕戦となった6月19日対東京ヤクルトスワローズ戦、1回に先制2点本塁打を放った。また、この本塁打はシーズン12球団最速となった。その後は好調を維持するも7月21日の巨人戦で菅野智之から左肘に死球を受けたのを機に調子が低迷し、シーズン終盤となる10月28日の阪神戦では、8回裏の守備で近本光司の放った打球に飛びついた際に左肩を脱臼。そのままシーズンを終え、打率は規定打席に到達したシーズンでは自己ワーストとなる.267、本塁打数はチームトップながらも自己最少となる17本だった一方で、打点はチームトップかつリーグ4位となる82打点を記録し、勝負強さを発揮した。また、オフに中日の外国人選手としてはアレックス・オチョア以来16年ぶりとなるゴールデングラブ賞を一塁手部門で受賞した。

2021年は3月6日の東北楽天ゴールデンイーグルスとのオープン戦で実戦復帰。3月26日の開幕戦(対広島)では、8回表に逆転2点本塁打を放った。5月18日の横浜DeNAベイスターズ戦から20試合連続安打を記録し、交流戦では6月5日のオリックス・バファローズ戦でシーズン初の1試合2本塁打。12球団トップの打率.409を記録し、交流戦の首位打者を獲得した。8月27日の巨人戦で4打点を記録し、レオ・ゴメスが持っていた球団外国人選手の通算打点記録を更新した。最終的に130試合に出場、2年連続となるゴールデングラブ賞を受賞した。また、3年総額1000万ドル(約11億3000万円)で残留した。

2022年は3月25日の対読売ジャイアンツ戦で、4回にソロ本塁打を放った。これで3年連続開幕戦での本塁打となった。7月30日の広島戦では来日初の1試合3本塁打を記録した。しかし最終的にシーズン本塁打は自己最少の14本に留まり、打率は.294だったものの併殺打はリーグワーストの20個だった。

2023年は6月13日の対千葉ロッテマリーンズ戦で、6回にソロ本塁打を放ち、日米通算200号を達成した。シーズンでは91試合に出場し、打率.244、6本塁打、23打点と低調な成績に終わった。国内フリーエージェント権の取得条件を満たし、2024年からは日本人選手扱いとなる。

2024年は15試合に出場し、打率.209(43打数9安打)、1本塁打、2打点で、6月以降は二軍調整が続いていた。10月6日、球団が翌年の契約を更新しない通告をしたと発表。

レベルスイングで広角にライナーを打ち分ける打撃を持ち味とし、本塁打も全方向に打ち込んでいる。速球への対応は平凡だが、変化球を苦にしない。ストライクゾーンの真ん中の球に滅法強い反面、内角や外角の球に弱い。

多少のボール球でも振りに行くフリースインガーで、キューバ人選手特有の早いカウントから積極的に打ちに行く姿勢は年々改善されているが、ボール球を振る悪癖については「わかっていても難しい」と語っている。また、好不調の波がある。

NPB移籍後は特に阪神タイガースとの相性がよく、2016年シーズンは「打率.377(77打数29安打)、7本塁打(22試合)、20打点」で、特に本塁打はシーズンのおよそ3分の1を阪神戦で量産している。来日当初に懸念されていたフリースインガーぶりは改善傾向を示しており、2016年の「PA/K」(1三振までに掛かる打席数)は「6.93」、「BB/K」(四球と三振の割合から打者の選球眼を見る指標の一つ)は「0.65」で、これはセ・リーグの外国人打者としてはいずれもリーグ1位(全体では「PA/K」がリーグ8位、「BB/K」がリーグ12位)の成績である。また、長打力を示す指標であるIsoPは2016年以後の2シーズンで「0.212→0.202」と高い水準で推移している。広角に打ち分けることができるスプレーヒッターでもあり、2016年は左方向、右方向に9本塁打ずつをそれぞれ放っている。その一方で、3月・4月は「打率.347(98打数34安打、9本塁打)」を記録したが、交流戦は「打率.182(66打数12安打、2本塁打)」、球宴明け以後は「打率.219(91打数20安打、3本塁打)」という成績に終わり、懸念されていた好不調の波の激しさを払拭することができない結果に終わった。

対左投手をとても得意にしており、2016年は「140打席、打率.303、8本塁打、OPS.944(対左投手のOPSはリーグ5位)」、2017年は「63打席、打率.339、8本塁打、OPS1.161(対左投手のOPSはリーグ1位相当)」と、高い水準で推移している。また、ハイボールヒッターであり、2016年は22本塁打のうち高めの球が12本塁打、2017年は18本塁打のうち高めの球が10本塁打であった。

守備ではキューバ時代とメジャーデビュー当初は主に三塁手として起用されていたが、2011年から外野手に転向。2012年に左翼手リーグ2位の13補殺を記録した強肩を備えるが、外野守備は敏捷性に欠け守備範囲が狭く、メジャー通算のDRSとUZR共に平均を大きく下回る。一塁手での出場経験もあるが、一塁守備もメジャー通算のDRSとUZR共に平均を下回る。守備の動きの鈍さはキューバ時代から指摘され、ビジャ・クララやキューバ代表で監督を務めていたビクトル・メサからは「彼は優れた打撃技術を持っているが、同時に年齢の割に驚くほど守備の動きが鈍い」と評されていた。

NPB移籍後は、外野手登録ながら一塁手としての起用が主体(2016年は、一塁手として100試合、左翼手として8試合に先発出場)となり、2018年より内野手登録となる。来日後は守備が上達したと指摘されており、伊東勤ヘッドコーチからは「ハンドリングが素晴らしい。難しいワンバウンドした球でも器用にミットにおさめる」と、京田陽太からは「ビシエドが一塁にいると安心して投げられる」と評されている。2020年シーズンは僅か1失策のみでゴールデングラブ賞を受賞している。

愛称は「エル・タンケ(El Tanque)」(スペイン語で「戦車」の意)。「戦車」を表す愛称は元々、シカゴ・ホワイトソックスの実況アナウンサーであるケン・ハレルソンが丸々とした体形から名付けたもので、メジャー時代は英語で「The Tank(ザ・タンク)」と呼ばれていた。

家族構成は妻と子供3人。中日への移籍当初はフロリダに家族を残し単身で来日。2016年オープン戦期間中の3月11日に、第3子出産の立ち合いのために一時帰国。出産後、子供の体調が思わしくなく、予定より遅れて3月20日の再来日となったが、翌日のオープン戦から試合に出場している。2018年現在家族も日本に呼び寄せて一緒に暮らしており、子供のうち1人は名古屋市内の学童野球チームに所属しているほか、2021年2月よりドラゴンズベースボールアカデミーに入校。また、2019年には子供の都合で12月に帰国を延ばしたことにより、通常は外国人選手が参加することがない11月に開催される球団の納会及びファンフェスタにも参加している。

バットは打席ごとにメジャー時代から慣れ親しんだ米ビクタス社製とミズノ製のバットを使い分けている。

キューバ野球の英雄でかつて中日にも在籍したオマール・リナレスを尊敬している。

中日に入団した2016年に作成された応援歌は通常版とチャンステーマの2曲あり、どちらも気に入っている。他球団の応援歌では横浜DeNAベイスターズの筒香嘉智の曲が好きだと述べている。

かつて千葉ロッテマリーンズに所属したレオネス・マーティンとは幼馴染で、ナランハス・デ・ビジャ・クララ時代のチームメイトでもある。

2023年度シーズン終了時

各年度の太字はリーグ最高

キューバで通常用いられる個人通算成績は、プレーオフや選抜リーグなども合算するため、この表の合計とは一致しない

太字年度は規定打席到達年度

-は10位未満(打率は規定打席未到達の場合も-と表記)

2023年度シーズン終了時

各年度の太字はリーグ最高

太字年はゴールデングラブ賞受賞年

キューバで通常用いられる個人通算成績は、プレーオフや選抜リーグなども合算するため、この表の合計とは一致しない

首位打者:1回(2018年)

最多安打:1回(2018年)

ベストナイン:2回(一塁手部門:2018年、2019年)

ゴールデングラブ賞:2回(一塁手部門:2020年、2021年)

月間MVP:4回(打者部門:2016年3・4月、2017年5月、2018年8月、2022年9・10月) ※外国人枠の野手による1年目開幕月での受賞はセ・リーグ史上初

セ・パ交流戦 日本生命賞:1回(2021年)

オールスターゲーム敢闘選手賞:1回(2022年第1戦)

初出場・初先発出場:2010年6月20日、対ワシントン・ナショナルズ3回戦(ナショナルズ・パーク)、「7番・三塁手」で先発出場

初打席:同上、2回表にジョン・ラナンから中飛

初安打:同上、4回表にジョン・ラナンから中前安打

初打点:2010年7月4日、対テキサス・レンジャーズ9回戦(レンジャース・ボールパーク・イン・アーリントン)、5回表にスコット・フェルドマンから遊撃ゴロの間に記録

初本塁打:2010年7月5日、対ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム3回戦(USセルラー・フィールド)、7回裏にスコット・カズミアーから左越ソロ

初盗塁:2010年6月29日、対カンザスシティ・ロイヤルズ8回戦(カウフマン・スタジアム)、6回表に二盗(投手:カネコア・テシェイラ、捕手:ジェイソン・ケンドール)

オールスター・フューチャーズゲーム選出:2回(2009年、2011年)

初出場・初先発出場:2016年3月25日、対阪神タイガース1回戦(京セラドーム大阪)、4番・一塁手で先発出場

初打席:同上、2回表にランディ・メッセンジャーから三塁ゴロ

初安打・初打点:同上、6回表にランディ・メッセンジャーから二塁適時内野安打

初本塁打:同上、8回表に鶴直人から右越ソロ

初盗塁:2016年8月10日、対東京ヤクルトスワローズ20回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に二盗(投手:ジョシュ・ルーキ、捕手:西田明央)

100本塁打:2020年10月21日、対横浜DeNAベイスターズ20回戦(ナゴヤドーム)、7回裏にエドウィン・エスコバーから右越3ラン ※史上298人目

1000安打:2023年9月24日、対阪神タイガース23回戦(バンテリンドーム ナゴヤ)、9回裏に才木浩人から三塁内野安打 ※史上317人目、中日の外国人では史上初

1イニング2本塁打:2016年5月7日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、2回表に今村信貴から左越ソロ、右越3ラン ※史上19人目(21度目)

月間47安打:2018年8月 ※セ・リーグ記録

オールスターゲーム出場:3回(2016年、2021年、2022年)

1000安打:2020年7月19日、対阪神タイガース6回戦(阪神甲子園球場)、2回表に岩貞祐太から二塁内野安打

200本塁打:2023年6月13日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(バンテリンドーム ナゴヤ)、6回裏に小島和哉から左越えソロ

24(2010年 - 2014年)

66(2016年 - )

「Action」Def Leppard(2016年)

「Flying B」AK-69(2016年)

「El Mio Tu Si Suenas」Los Desiguales(2018年 - )

^ 中日に所属する外国人選手が一塁手部門で受賞することは、球団史上初。

^ 谷繁元信監督の選曲。

^ 「Williams believes Viciedo is ready to contribute」『MLB.com』(英語)。2013年4月1日閲覧。

^ 「中日ビシエド3年総額11億円超で残留、鷹デスパイネは1年契約 地元メディア報じる」『Full-Count』2021年12月3日。2021年12月28日閲覧。

^ 「Mostró su talento a plenitud」『ESPN Deportes.com』(スペイン語)。2013年9月2日閲覧。

^ 「Viciedo's four-year pact finalized White Sox willing to take time to work impact Cuban into mix」『MLB.com』(英語)。2008年12月14日閲覧。

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^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2014』廣済堂出版、2014年、178頁。ISBN 978-4-331-51711-6。

^ 「White Sox agree to terms with outfielder Dayan Viciedo」『MLB.com White Sox Press Release』(英語)、2014年1月14日。2014年1月14日閲覧。

^ 「White Sox agree to terms on one-year contract with Dayan Viciedo, avoiding arbitration」『MLB.com White Sox Press Release』(英語)、2015年1月12日。2015年1月13日閲覧。

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^ 中日ビシエド 1イニング2発!大島以来球団39年ぶり 巨人粉砕 スポニチ 2016年5月8日

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^ 連発の中日ビシエドは眼力好調「よく見える気が…」 日刊スポーツ 2019年4月12日

^ 中日ビシエドV弾、連敗止める 阪神は4連勝ならず 日刊スポーツ 2019年4月27日

^ ビシが打たねば誰が打つ! 5月0発…きょうから巨人戦頼む 東京中日スポーツ 2019年5月31日

^ 中日・ビシエド 5月初本塁打!114打席ぶりのアーチ スポニチ 2019年5月31日

^ 自打球交代の中日ビシエド、左足関節内側打撲と診断 日刊スポーツ 2019年9月4日

^ 中日ビシエドV弾、負傷も強行出場でナイン引っ張る 日刊スポーツ 2019年9月6日

^ 助っ人が異例の球団納会出席…中日・ビシエドの家族は日本が大好き サンスポ 2019年11月4日

^ 高橋選手、ビシエド選手がベストナインに選出 中日ドラゴンズ公式サイト 2019年11月25日

^ 中日ビシエド12球団最速1号! 開幕ヤクルト戦1回先制2ラン「ツーシームかな。良いスイングができたよ」 東京中日スポーツ 2020年6月19日

^ 「“あの死球”以降まるで別人に…今季の中日ビシエドの分岐点 三冠夢見た1ヶ月からの暗転を数字が語った」『中日スポーツ』2020年12月7日。2020年12月31日閲覧。

^ 「中日ビシエド左肩脱臼していた「動かすことは禁止」」『日刊スポーツ』2020年11月8日。2020年12月31日閲覧。

^ 「ビシエド、竜外国人16年ぶりのゴールデン・グラブ賞受賞「また獲得できれば最高だね」」『中日スポーツ』2020年12月19日。2020年12月31日閲覧。

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メジャーリーグベースボールの選手一覧 V

キューバ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧

中南米出身の日本プロ野球外国人選手一覧#キューバ

中日ドラゴンズの選手一覧

個人年度別成績 D.ビシエド - NPB.jp 日本野球機構

選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

Dayan Viciedo stats MiLB.com (英語)

Cuban Baseball Career statistics - キューバ国内リーグ通算成績

選手名鑑 - 中日ドラゴンズ公式サイト

選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

73 立浪和義

88 片岡篤史(ヘッド)

76 大塚晶文(投手)

77 落合英二(投手兼育成)

75 和田一浩(打撃)

86 上田佳範(打撃)

80 小田幸平(捕手)

71 堂上直倫(内野守備走塁)

79 大西崇之(外野守備走塁)

89 井上一樹(監督)

83 山井大介(投手)

82 浅尾拓也(投手)

78 森野将彦(打撃)

84 福田永将(打撃)

72 大野奨太(捕手)

81 森越祐人 (内野守備走塁)

87 中村豊(外野守備走塁)

85 渡邉博幸(育成野手)

7 根尾昂

11 小笠原慎之介

12 田島慎二

13 橋本侑樹

14 草加勝

16 岩嵜翔

17 柳裕也

18 梅津晃大

19 髙橋宏斗

20 涌井秀章

22 大野雄大

24 福谷浩司

26 石森大誠

28 森博人

31 仲地礼亜

33 祖父江大輔

34 福敬登

36 福田幸之介

38 松葉貴大

41 勝野昌慶

46 梅野雄吾

47 砂田毅樹

48 土生翔太

50 清水達也

54 藤嶋健人

59 齋藤綱記

64 福島章太

67 上田洸太朗

69 松木平優太

90 松山晋也

91 メヒア

92 マルティネス

93 フェリス

96 加藤竜馬

35 木下拓哉

39 宇佐見真吾

43 味谷大誠

49 加藤匠馬

57 山浅龍之介

58 石橋康太

2 田中幹也

3 高橋周平

5 村松開人

6 中田翔

9 中島宏之

25 石川昂弥

27 津田啓史

29 辻本倫太郎

32 石垣雅海

45 龍空

60 山本泰寛

66 ビシエド

68 福永裕基

95 ロドリゲス

97 樋口正修

99 カリステ

00 尾田剛樹

1 岡林勇希

4 鵜飼航丞

8 大島洋平

30 三好大倫

37 濱将乃介

42 ブライト健太

44 川越誠司

51 上林誠知

52 加藤翔平

53 後藤駿太

55 細川成也

63 板山祐太郎

94 ディカーソン

208 石川翔

210 岡田俊哉

212 野中天翔

213 森山暁生

214 近藤廉

216 菊田翔友

215 日渡騰輝

207 星野真生

218 川上理偉

209 福元悠真

220 モニエル

1950 藤村富美男

1951 川上哲治

1952 西沢道夫

1953 川上哲治

1954 与那嶺要

1955 川上哲治

1956 与那嶺要

1957 与那嶺要

1958 田宮謙次郎

1959 長嶋茂雄

1960 長嶋茂雄

1961 長嶋茂雄

1962 森永勝治

1963 長嶋茂雄

1964 江藤慎一

1965 江藤慎一

1966 長嶋茂雄

1967 中暁生

1968 王貞治

1969 王貞治

1970 王貞治

1971 長嶋茂雄

1972 若松勉

1973 王貞治

1974 王貞治

1975 山本浩二

1976 谷沢健一

1977 若松勉

1978 水谷実雄

1979 F.ミヤーン

1980 谷沢健一

1981 藤田平

1982 長崎啓二

1983 真弓明信

1984 篠塚利夫

1985 R.バース

1986 R.バース

1987 篠塚利夫, 正田耕三

1988 正田耕三

1989 W.クロマティ

1990 J.パチョレック

1991 古田敦也

1992 J.ハウエル

1993 T.オマリー

1994 A.パウエル

1995 A.パウエル

1996 A.パウエル

1997 鈴木尚典

1998 鈴木尚典

1999 R.ローズ

2000 金城龍彦

2001 松井秀喜

2002 福留孝介

2003 今岡誠

2004 嶋重宣

2005 青木宣親

2006 福留孝介

2007 青木宣親

2008 内川聖一

2009 A.ラミレス

2010 青木宣親

2011 長野久義

2012 阿部慎之助

2013 T.ブランコ

2014 M.マートン

2015 川端慎吾

2016 坂本勇人

2017 宮﨑敏郎

2018 D.ビシエド

2019 鈴木誠也

2020 佐野恵太

2021 鈴木誠也

2022 村上宗隆

2023 宮﨑敏郎

2024 T.オースティン

1994 野村謙二郎

1995 野村謙二郎

1996 A.パウエル

1997 L.ロペス

1998 石井琢朗

1999 R.ローズ

2000 R.ローズ

2001 石井琢朗

2002 清水隆行

2003 A.ラミレス

2004 嶋重宣

2005 青木宣親

2006 青木宣親

2007 A.ラミレス

2008 内川聖一

2009 A.ラミレス

2010 M.マートン

2011 M.マートン

2012 坂本勇人, 長野久義

2013 M.マートン

2014 山田哲人

2015 川端慎吾

2016 菊池涼介

2017 丸佳浩, J.ロペス

2018 D.ビシエド

2019 大島洋平

2020 大島洋平

2021 近本光司

2022 佐野恵太, 岡林勇希

2023 牧秀悟, 中野拓夢

2024 長岡秀樹

 投  菅野智之

 捕  會澤翼

 一  D.ビシエド

 二  山田哲人

 三  宮﨑敏郎

 遊  坂本勇人

 外  鈴木誠也 / 丸佳浩 / N.ソト

 投  山口俊

 捕  會澤翼

 一  D.ビシエド

 二  山田哲人

 三  高橋周平

 遊  坂本勇人

 外  鈴木誠也 / 丸佳浩 / N.ソト

 投  菅野智之

 捕  梅野隆太郎

 一  D.ビシエド

 二  菊池涼介

 三  高橋周平

 遊  坂本勇人

 外  鈴木誠也 / 大島洋平 / 青木宣親

 投  柳裕也

 捕  中村悠平

 一  D.ビシエド

 二  菊池涼介

 三  岡本和真

 遊  坂本勇人

 外  鈴木誠也 / 近本光司 / 大島洋平

2005 金本知憲, 中村剛也

2006 佐藤充, 松中信彦

2007 高橋尚成, サブロー

2008 金本知憲, 岩隈久志

2009 T.ブランコ, ダルビッシュ有

2010 阿部慎之助, 和田毅

2011 内海哲也, 坂口智隆

2012 杉内俊哉, 吉川光夫

2013 能見篤史, 田中将大

2014 山田哲人, 則本昂大

2015 畠山和洋, 菊池雄星

2016 鈴木誠也, 大谷翔平

2017 丸佳浩, 松本剛

2018 石山泰稚, 石川歩

2019 柳裕也, 鈴木大地

2020 (中止)

2021 D.ビシエド, 伊藤大海

2022 大山悠輔, 杉本裕太郎

2023 牧秀悟, 近藤健介

2024 才木浩人, 近藤健介

キューバの野球選手

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