チャールズ・ワーグマンの情報(CharlesWirgman) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
チャールズ・ワーグマンさんについて調べます
■名前・氏名 |
チャールズ・ワーグマンと関係のある人
アーネスト=サトウ: また、公使館の医師であったウィリアム・ウィリスや画家兼通信員のチャールズ・ワーグマンと親交を結んだ。 高橋由一: 慶応2年(1866年・39歳)チャールズ・ワーグマンと出会い、師事。 小林清親: チャールズ・ワーグマンに西洋画法を習った逸話もあるが、2010年代では、否定的に取られており、明確な師は居なかったと考える説が複数が出てきている。 ジョルジュ=ビゴー: 日本の洋画界への影響に関しても、幕末に来日したチャールズ・ワーグマンとは異なり、洋画を本格的に志す日本人は自ら留学する時代になっており、ビゴーがその手本となることはなかったのである。 ジョルジュ=ビゴー: 発行していたチャールズ・ワーグマンは、ビゴーの絵のうまさを見て決意したという見方もある。 高橋由一: 狩野派を学んだ後に洋画の道へと邁進し、川上冬崖、チャールズ・ワーグマン、アントニオ・フォンタネージらに師事する。 アーネスト=サトウ: 大坂からの帰路は、チャールズ・ワーグマンと共に陸路(東海道)を通った。 |
チャールズ・ワーグマンの情報まとめ
チャールズ・ワーグマン(Charles Wirgman)さんの誕生日は1832年8月31日です。神奈川出身の漫画家のようです。
事件、結婚に関する情報もありますね。1891年に亡くなられているようです。
チャールズ・ワーグマンのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)チャールズ・ワーグマン(Charles Wirgman、1832年8月31日 - 1891年2月8日)は、イギリス人の画家・漫画家。幕末期に記者として来日し、当時の日本のさまざまな様子・事件・風俗を描き残すとともに、「ポンチ絵」のもととなった日本最初の漫画雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊した。また、五姓田義松や高橋由一をはじめとする様々な日本人画家に洋画の技法を教えた。 1832年にロンドンのスウェーデン系の家で生まれ、1852年ごろパリにて絵を学んだといわれ、またそのころ陸軍に入隊して大尉を務めたとされるなど、不明な点が多い。1857年に「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」の特派記者兼挿絵画家として広東にアロー戦争の取材のため来訪。1861年4月25日に長崎を訪れ、その後イギリス公使オールコックの一行に伴って、陸路を通り江戸まで旅行するが、7月5日(文久元年5月28日)にイギリス公使館となっていた東禅寺にて水戸藩浪士の襲撃を受ける。この時ワーグマンは、縁の下に避難しながら事件の一部始終を記録し、これを記事とスケッチにして横浜から発信している。 1862年には居留外国人向けの雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊。これはイギリスの風刺漫画雑誌パンチを模したものである。横浜居留地の人々の暮らしや日本政府への批判、同業の英字新聞への攻撃などを風刺漫画と文章で描いた。ただし多忙のためか、第2号は1865年に発刊されており、そののち22年間にわたって月刊誌として刊行されていった。 1863年、日本人女性の小沢カネと結婚。この年薩英戦争が勃発、ワーグマンも取材のために写真家フェリーチェ・ベアトとイギリス艦隊に同行し記事などを書いている(彼とは後に「ベアト・アンド・ワーグマン商会」を設立している)。また同年から翌1864年にかけて、下関戦争についても記事や挿絵をロンドンに送っている。同年、長男の一郎が誕生。 1865年に五姓田義松がワーグマンの許に入門、翌1866年には高橋由一が入門する。また1874年には小林清親が入門しようと尋ねた。 1867年、ハリー・パークスやアーネスト・サトウに伴い、徳川慶喜との会見に臨むため大坂に出立。このとき大坂の風景スケッチとともに、慶喜の肖像画も描いている。その後、江戸に向かう途中の掛川宿で例幣使の襲撃を受けるが、かろうじて難を避けることができた。 1885年、『A Sketch Book of Japan』を刊行。 1887年3月にジョルジュ・ビゴーへの挨拶を含めた『ジャパン・パンチ』の最終号を発刊。イギリスに帰国する。翌1887年に弟ブレイクとロンドンで展覧会を開いた後、再び来日するが病に倒れる。 1891年、横浜にて58歳で死去、横浜外人墓地に葬られる。毎年命日の2月8日には、横浜文芸懇話会によって、「ポンチ・ハナ祭り」(ワーグマン祭)がワーグマンの墓前にて開かれている。ちなみに彼の直系の子孫は1945年に途絶えて存在しないとされる。 ^ チャールズ・ワーグマンが語る横浜外国人居留地の生活 有隣第440号、2004年7月10日 P4 ^ 清水勲編『ワーグマン日本素描集』 ^ “立教大学図書館パンフレット「ワーグマン『日本素描集』、ちりめん本 (Crepe Paper Book)」” (PDF). 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月27日閲覧。 ^ 妻・カネと長男・一郎は善行寺(横浜市中区)に眠る。 ^ 伊川公司『ハマことば』神奈川新聞社、2000年。 ^ 「開港100年祭」にちなんで、1958年2月8日、ヨコハマ話の波止場や横浜ペンクラブが中心となり「ワーグマン追慕式」が開催され、その後、「ワーグマン祭」として引き継がれた。(羽田博昭「日本愛妻会と横浜ペンクラブ(2)」『市史通信』第5号、横浜市史資料室、2009年7月) 『ワーグマン日本素描集』清水勲編、岩波文庫、1987年 『ワーグマン 素描コレクション』岩波書店(上下)、2002年 - 上・舶来文化、下・幕末・維新事件帖 ほか ジョゼフ・ロガラ編『Mr.パンチの天才的偉業―』山下仁美訳・解説、有隣堂、2004年 ワーグマン『幕末維新素描紀行』山本秀峰編訳、露蘭堂、2017年 オールコック『長崎から江戸へ 1861年日本内地の旅行記録』山本秀峰編訳、露蘭堂、2011年。挿画担当 重富昭夫『ワーグマンと横浜 風刺漫画のルーツ、英人ジャーナリスト』暁印書館、1985年 重富昭夫『ワーグマンとその周辺 横浜を愛したポンチ絵の元祖』ほるぷ出版、1987年 翔田寛『消えた山高帽子 チャールズ・ワーグマンの事件簿』東京創元社、2008年 ISBN 978-4-488-48001-1 - ワーグマンを探偵役とした推理小説。 幕末の人物一覧 明治維新以前に日本に入国した欧米人の一覧 日英関係 アーネスト・サトウ - 一外交官の見た明治維新 イザベラ・バード - 日本奥地紀行 チャールズ・ワーグマンの業績を紹介した展覧会
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2025/02/01 18:22更新
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