トニー=ザイラーの情報(Anton“Toni”Sailer) アルペンスキー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
トニー=ザイラーさんについて調べます
■名前・氏名 |
トニー=ザイラーの情報まとめ
トニー=ザイラー(Anton “Toni” Sailer)さんの誕生日は1935年11月17日です。
映画、引退に関する情報もありますね。2009年に亡くなられているようです。
トニー=ザイラーのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)アントン(トニー)・ザイラー(Anton("Toni") Sailer, 1935年11月17日 - 2009年8月24日)は、オーストリア・チロル州キッツビュール出身のスキー選手・俳優。姉のロージ・ザイラー(ドイツ語版、英語版)もスポーツ選手であり1952年オスロオリンピックの回転に出場している(17位)。 2歳でスキーを始め、1947年からはキッツビュールスキークラブに所属。10代の頃から非凡な才能を発揮し、1952年冬、16歳で国際大会で初めて優勝した。フランスのモルジヌでは滑降とアルペン複合、ムジェーヴ(w:en:Megève)では大回転とアルペン複合で優勝した。しかし練習中に足を骨折して1952/53シーズンを棒に振った。 満を持して臨んだ1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックにてアルペンスキー回転・大回転・滑降の金メダルを獲得し初の三冠を達成した(なお、この大会が兼ねていた世界選手権も2大会連続三冠王である)。この大会では、開会式においてオーストリア選手団の旗手を務めた。なお、このときの回転で、のち国際オリンピック委員会(IOC)副会長となる猪谷千春(日本)が銀メダルを手にしており(日本人初の冬季オリンピックメダリスト)、日本でも猪谷の報道にあわせてザイラーの名が知られるようになる。 1957年のオーストリア選手権では回転、大回転、アルペン複合の三冠に輝き、翌1958年自国で開催されたアルペンスキー世界選手権で滑降、大回転、アルペン複合と3個の金メダルを獲得。 しかしその爽やかな美男子ぶりを買われて1957年に映画に出演したためにアマチュア資格を問われ1960年スコーバレーオリンピックには出られないこととなり1958年のシーズン後22歳で引退を表明。 それから本格的に俳優に転向し、並行して歌手活動も行った。日本の映画やCMにも出演したことがあり、1959年(昭和34年)には、11月25日から11月30日までの6日間にわたって東京で開催されたドイツ映画祭(俳優兼監督のベルンハルト・ヴィッキ、女優のリゼロッテ・プルファー、マルギット・ニュンケ達も出席。開会式の司会は俳優の三船敏郎が務めた。)と日本映画『銀嶺の王者』(翌1960年公開)出演の為、同11月14日、午後5時10分東京国際空港(羽田空港)着のノースウエスト航空機で訪日。それから約5ヶ月間滞在し、1960年4月11日午後7時30分羽田空港発の航空機で離日。ほか、1957年、1972年(札幌オリンピック)、1974年、1979年、1998年の長野オリンピックでも訪日。 一方で1972年から1976年までオーストリアナショナルチームの監督を務め、アルペン最強国家としてのオーストリアの地位を確固たる物としている。また、非常に人望が厚く、国際大会でコーチ会議が紛糾したときに最終意見が求められることも多かった。1985年にはIOCからオリンピック活動に対しオリンピック勲章(Olympic Order)が授与されている。 また、各地のスキー場・スキーコース設計に携わり、トニー・ザイラーが設計したスキーコースは日本にもあり、シャトレーゼリゾート八ヶ岳(旧称・八ヶ岳ザイラーバレースキー場)や白山瀬女高原スキー場(石川県白山市)や安比高原スキー場(一部)がある。安比高原スキー場には、彼の名前にちなんで「ザイラーゲレンデ」というゲレンデがある。CM出演としては、1980年代末にJR西日本のスキー列車「シュプール号」の事例がある。 また、2006年(平成18年)3月にも、長野県白馬村の白馬八方尾根スキー場で開催された第60回八方尾根リーゼンスラローム大会のゲストで訪日した。 チロル州・キッツビュールでスキー学校を経営していたが、2009年に脳腫瘍のためインスブルックで死去。73歳没。 (※日本公開作品のみ) 『ザイラーの世界選手権 大回転』 Das Gesicht des Rennläufers1958年オーストリア、バドガスタインで開かれた、世界スキー選手権大会の短篇記録映画。1959年12月19日、「ザイラーを囲む夕」で、『初恋物語』とともに特別試写。 その後、東京劇場で『ザイラーの初恋物語』と同時上映。 『ザイラーの初恋物語』 Ein Stück vom Himmel (1958年) 『スキーの王者』Gold auf silbernen Pisten (1958年) 1958年、アルペンスキー選手権のカラー記録映画。日本公開は1960年2月27日、日比谷映画。 『黒い稲妻』 Der Schwarze Blitz (1958年) 『白銀は招くよ!』 12 Mädchen und 1 Mann (1959年)主演であり、主題歌は(原題「Ich bin der glücklichste Mensch auf der Welt」。邦題は同じく「白銀は招くよ」)が日本で大ヒットし、日本語の歌詞も作られ、日本の歌手達にも歌われた。また、「みんなのうた」(NHK)でも紹介されたり、「第22回NHK紅白歌合戦」では当時1972年札幌オリンピックを翌年に控え、有名なウィンターソングとしてダークダックスの出場曲にもなった。近年では「そう言えば あの時このうた」(NHK BS-2)でも放送された。今でも日本ではそのメロディーが広く知られている。 『銀嶺の王者』(1960年)※日本映画。ドイツ語での題名は「Der König der silbernen Berge」。松竹作品。共演は日本人とドイツ人のハーフでバイリンガルの女優・鰐淵晴子、東京大学出身の俳優・南原宏治、と言語面(ドイツ語)は万全を期して制作された。また、ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースの映画「東京画」「夢の涯てまでも」にも出演した笠智衆も出演している。 『白銀に躍る』 Kauf dir einen bunten Luftballon (1961年)共演は女子フィギュアスケート選手のイナ・バウアー。ウィーン・アイス・レビュー団 (Wiener Eisrevue)総出演。ゲザ・フォン・ツィフラ監督の自作、Der weiße Traum (1943) のリメイク。主題歌「初恋の人」(Du sollst meine erste Liebe Sein)。 『空から星が降ってくる』 Ein Stern fällt vom Himmel (1961年)共演は同じくイナ・バウアー。 『アイガー氷壁 決死の救援』 Sein bester Freund (1962年) 『アルプスの若大将』 (1966年) - ※日本映画東宝作品。「若大将シリーズ」の1作。共演は加山雄三(俳優デビュー前にスキーで国体出場経験あり) (日本放映番組のみ) NHK特集(1979年) 黒い稲妻~トニー・ザイラーのスーパースキー(1993年、NHK教育) アルプスをあ・そ・ぶ トニー・ザイラーと仲間たち(1994年、NHK BS-2)NHK&ORF(オーストリア放送協会)共同制作。猪谷千春、ヨーデル歌手の石井健雄、フランツ・ベッケンバウアーらも出演。 オリンピック 雪と氷の伝説 黒い稲妻~トニー・ザイラー(1997年、NHK BS-1) 五輪対談 メダリストは永遠に 猪谷千春とトニー・ザイラー(1998年、NHK) 世界・わが心の旅 猪谷千春編(1998年、NHK) 黒い稲妻/リラの花パリに咲く頃, ポリドール・レコード, DP-1124独ババリア・フィルム 大映配給 黒い稲妻よりトニー・ザイラー(唄), ベルト・ケムプフェルト楽団 白銀は招くよ/ペルシャの王様, ポリドール・レコード, DP-1147, 1960独ウファ映画 東和映画配給「白銀は招くよ」主題曲 初恋物語/口笛の街, ポリドール・レコード, DP-1148独ババリア・フィルム 松竹セレクト配給「初恋物語」よりトニー・ザイラー(唄), ベルト・ケムプフェルト楽団 初恋の人/がらくた市, ポリドール・レコード, DP-1249 , 1962東和映画配給「白銀に踊る」主題歌トニー・ザイラー 唄, ミヒャエル・ヤーリー楽団 白銀は招くよ/黒い稲妻, ポリドール・レコード, DPQ 6901トニー・ザイラー(唄) ザイラーは唄う, ポリドール・レコード, LPP-1039A) 1. 黒い稲妻 2. リラの花パリに咲く頃 映画「黒い稲妻」主題曲より 3. 初恋物語 4. 口笛の街 映画「初恋物語」主題曲より B) 1. 白銀は招くよ 2. ペルシャの王様 映画「白銀は招くよ」主題曲より 3. チロルのフラ・フープ 4. 銀嶺のかなたトニー・ザイラー(唄), ベルト・ケムプフェルト楽団 A) B) 1.2, カルル・デ・グループ楽団 B) 3.4. 白銀は招くよ トニー・ザイラー・ベスト6, ポリドール・レコード, KP-2015A) 1. 白銀は招くよ 2. 初恋物語 3. 口笛の街 B) 1. 黒い稲妻 2. 初恋の人 3. 銀嶺のかなたに 白銀は招くよ/黒い稲妻, ゴールデン・ヒット・シリーズ Vol. 3, ポリドール・レコード, DP 3028トニー・ザイラー(ヴォーカル) 『オリンピック金メダルへの道』横川文雄訳 朋文堂 1956年 『雪に憑かれた男 ザイラー自伝』横川文雄訳 朋文堂 1959年 『ザイラーのスキー』奥幸雄訳 講談社 1965年 「松竹大船撮影所覚え書 小津安二郎監督との日々」(山内静夫著、かまくら春秋社、2003年) ^ “世界スキーヤー名鑑 トニー・ザイラー(M)”. 時事通信社. https://www.jiji.com/jc/v2?id=skier_01 2018年4月14日閲覧。 ^ “「黒い稲妻」トニー・ザイラーさん死去”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009年8月25日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2009/08/25/kiji/K20090825Z00001000.html 2018年4月14日閲覧。 ^ 三上孝道『これだけは知っておきたい(11) オリンピックの大常識』株式会社ポプラ社、2004年、67ページ、ISBN 4-591-08135-4 ^ Toni Sailer: Olympic skiing champion of grace and power who went on to a career in films and pop music 英インデペンデント紙、2009年8月29日更新、2010年4月20日閲覧 ^ ザイラーさん、あなたに憧れて北海道新聞ブログ、2009年8月27日更新、2010年4月20日閲覧 ^ トニー・ザイラーの魅力, 南俊子, 白銀に踊る, 日比谷スカラ座 No.61-16, 1962, p11 ^ 東劇1年間の回顧(下), 尾ヶ井武, 大都会の女たち, TOKYO GEKIJO No. 179, 松竹事業株式会社, 1960, p10 訃報 トニー・ザイラー氏 世界をわかせた人と記録 - 日本オリンピック委員会(JOC)公式HPより トニー・ザイラー - 国際スキー連盟のプロフィール (英語) トニー・ザイラー - Olympedia(英語) トニー・ザイラー - IMDb(英語) トニー・ザイラー - allcinema 表 話 編 歴 1948: アンリ・オレーユ (FRA) 1952: ツェノ・コロ (ITA) 1956: トニー・ザイラー (AUT) 1960: ジャン・ヴュアルネ (FRA) 1964: エゴン・ツィマーマン (AUT) 1968: ジャン=クロード・キリー (FRA) 1972: ベルンハルト・ルッシ (SUI) 1976: フランツ・クラマー (AUT) 1980: レオンハルト・シュトック (AUT) 1984: ビル・ジョンソン (USA) 1988: ピルミン・ツルブリッゲン (SUI) 1992: パトリック・オルトリープ (AUT) 1994: トミー・モー (USA) 1998: ジャン=リュック・クレティエ (FRA) 2002: フリッツ・シュトロブル (AUT) 2006: アントワーヌ・デネリア (FRA) 2010: ディディエ・デファゴ (SUI) 2014: マティアス・マイヤー (AUT) 2018: アクセル・ルンド・スヴィンダル (NOR) 2022: ベアト・フォイツ (SUI) 表 話 編 歴 1948: エディ・ラインアルター (SUI) 1952: オトマール・シュナイダー (AUT) 1956: トニー・ザイラー (AUT) 1960: エルンスト・ヒンターゼーア (AUT) 1964: ヨーゼフ・シュティグラー (AUT) 1968: ジャン=クロード・キリー (FRA) 1972: フランシスコ・フェルナンデス・オチョア (ESP) 1976: ピエロ・グロス (ITA) 1980: インゲマル・ステンマルク (SWE) 1984: フィリップ・メーア (USA) 1988: アルベルト・トンバ (ITA) 1992: フィン・クリスチャン・ヤッゲ (NOR) 1994: トーマス・シュタンガッシンガー (AUT) 1998: ハンス・ペテル・ブロース (NOR) 2002: ジャン=ピエール・ヴィダル (FRA) 2006: ベンヤミン・ライヒ (AUT) 2010: ジュリアーノ・ラッツォーリ (ITA) 2014: マリオ・マット (AUT) 2018: アンドレ・ミレル (SWE) 2022: クレマン・ノエル (FRA) 表 話 編 歴 1952: スタイン・エリクセン (NOR) 1956: トニー・ザイラー (AUT) 1960: ロジェ・シュタウプ (SUI) 1964: フランソワ・ボンリュー (FRA) 1968: ジャン=クロード・キリー (FRA) 1972: グスタヴォ・トエニ (ITA) 1976: ハイニ・ヘンミ (SUI) 1980: インゲマル・ステンマルク (SWE) 1984: マックス・ユーレン (SUI) 1988: アルベルト・トンバ (ITA) 1992: アルベルト・トンバ (ITA) 1994: マルクス・ヴァスマイヤー (GER) 1998: ヘルマン・マイヤー (AUT) 2002: シュテファン・エバーハーター (AUT) 2006: ベンヤミン・ライヒ (AUT) 2010: カルロ・ヤンカ (SUI) 2014: テッド・リゲティ (USA) 2018: マルセル・ヒルシャー (AUT) 2022: マルコ・オデルマット (SUI) FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ アメリカ 日本 チェコ オランダ CiNii Books CiNii Research MusicBrainz ドイッチェ・ビオグラフィー オーストリアの男子アルペンスキー選手 オーストリアのオリンピック選手 アルペンスキーのオリンピックメダリスト オーストリアのオリンピック金メダリスト オーストリアの俳優 オーストリアの歌手 オリンピック功労章受章者 チロル州出身の人物 1935年生 2009年没 脳腫瘍で亡くなった人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ ウィキデータにあるallcinema人物識別子 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事 DTBIO識別子が指定されている記事
2024/11/19 12:01更新
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