ドン=シュルジーの情報(DonSchulze) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
ドン=シュルジーさんについて調べます
■名前・氏名 |
ドン=シュルジーの情報まとめ
ドン=シュルジー(Don Schulze)さんの誕生日は1962年9月27日です。
引退に関する情報もありますね。ドン=シュルジーの現在の年齢は62歳のようです。
ドン=シュルジーのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート ドナルド・アーサー・シュルジー(Donald Arthur "Don" Schulze, 1962年9月27日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州ローゼル(英語版)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。2021年シーズンよりMLBのオークランド・アスレチックス傘下のA+級ランシング・ラグナッツで投手コーチを務める。 日本プロ野球での通算打率10割・通算長打率40割・通算OPS5.000という、稀有の記録を有する選手である。この記録は、長い日本プロ野球の歴史の中で、彼と塩瀬盛道(東急)の2例しかない。 1980年のMLBドラフト1巡目(全体11位)でシカゴ・カブスから指名され、プロ入り。1983年、メジャー初昇格。 翌1984年6月に3対3のトレードで、クリーブランド・インディアンスへ移籍した(交換相手にメル・ホールがいる)。その後はニューヨーク・メッツ、ニューヨーク・ヤンキースと渡り歩き、1989年7月にマイク・パグリアルーロと共にサンディエゴ・パドレスへ移籍した。実働6年間で、先発を中心に通算76試合に登板し15勝25敗・防御率5.47を記録。 1990年、オリックス・ブレーブスに入団。当時、ブーマー・ウェルズとガイ・ホフマンが在籍していたため第3の外国人扱いだったが、ブーマーの故障で一軍に昇格した。140km/h台後半の重いストレートを投げることから主にリリーフで20試合に登板し、6勝4敗3セーブ、防御率2.58とまずまずの成績を残す。翌1991年もホフマンの不振により一軍に定着するものの、成績は24試合登板で3勝2敗7セーブ、防御率4.66と平凡だった。 日本でのキャリアのハイライトと言えるのが1991年5月29日に日生球場で行われた対近鉄バファローズ戦。先発した当時新人の長谷川滋利の後を受けて登板したシュルジーだったがリリーフに失敗し、長谷川のプロ初勝利を消してしまい試合は延長戦へ突入した。そして指名打者の飯塚富司が一塁守備に就いていたため11回表にシュルジーに打席が回ると、赤堀元之の初球を左翼スタンド後方の照明塔を直撃する超特大ソロ・来日初打席初本塁打を放ち、球場は騒然となった。そのままシュルジーはその裏を抑えて勝利投手になった。これによりパ・リーグで指名打者制を導入して以降、初めての投手による本塁打が記録された。その上シュルジーの日本での打席はこれ1回きりであったため、日本プロ野球での通算打率が10割、長打率40割という塩瀬盛道(1950年)以来の珍しい記録も誕生した。しかし本人は日本でのその記録にあまり関心が無く、日本での思い出は「1年目のキャンプで体調を崩して入院した際に井箟重慶球団代表から送られた梨が神様からの贈り物のようにおいしかったこと」と語っている。なお、メジャーリーグでの打撃成績は7打数0安打、マイナーリーグでの打撃成績は22打数1安打1本塁打である。 翌1992年は13試合の登板にとどまり、同年限りで退団した。その翌年の1993年はボルチモア・オリオールズ傘下(当時)のAAA級ロチェスター・レッドウイングスに加入し、39試合に登板して8勝5敗7セーブ、防御率4.10を記録した。 引退後、2006年からオークランド・アスレチックス傘下のマイナー球団(ルーキー級アリゾナリーグ・アスレチックス、AA級ミッドランド・ロックハウンズ、A級ベロイト・スナッパーズ(英語版)など)で投手コーチを歴任し、2021年からはA+級ランシング・ラグナッツで投手コーチを務める。 初登板・初先発・初勝利・初先発勝利・初完投・初完投勝利:1990年6月3日、対日本ハムファイターズ戦(グリーンスタジアム神戸) 10回1失点 初セーブ:1990年8月4日、対ロッテオリオンズ戦(グリーンスタジアム神戸) 8回から登板、2回無失点 初打席・初安打・初打点・初本塁打:1991年5月29日、対近鉄バファローズ戦(日本生命球場)、11回表に赤堀元之から左越ソロ 43(1983年 - 1984年途中) 37(1984年途中 - 1986年) 49(1987年) 34(1989年) 51(1989年) 42(1990年 - 1992年) ^ 雑誌「週刊ベースボール」(ベースボールマガジン社刊)2008年6月30日号70-73ページ「記録の手帳」 ^ 『週刊野球太郎』編集部 (2014年4月4日). “これ以上ないデビュー プロ初打席初球本塁打は過去8人”. スポニチAnnex. オリジナルの2018年10月17日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/SrSqB 2018年10月17日閲覧。 ^ 指名打者として先発したのは石嶺和彦で、飯塚が代走として代わって指名打者になった。しかし、飯塚が守備に就いたため、公認野球規則6.10(b)の規定により指名打者が消滅し、投手のシュルジーが打席に立たなければならなくなった。 ^ 「ホームランを知りつくす」(B.B.mook―スポーツ伝説シリーズ (169))、ベースボール・マガジン社、(2001年)143頁 ^ ベースボールマガジン、2011年9月号 P87 ^ Melissa Lockard (2017年12月5日). “ATHLETICS Changes abound for Oakland Athletics 2018 MiLB coaching staffs” (英語). OaklandClubhouse.com. http://oaklandclubhouse.com/changes-abound-oakland-athletics-2018-milb-coaching-staffs/ 2018年1月17日閲覧。 ^ Jesse Goldberg-Strassler (2020年12月15日). “A's announce High-A coaching staff”. Milb.com. 2021年4月24日閲覧。 ^ ただし、通算1安打で1本塁打という記録は竹村元雄(広島)もしている〔竹村の場合は8試合11打数を記録している〕。 メジャーリーグベースボールの選手一覧 S 北米・欧州出身の日本プロ野球外国人選手一覧 オリックス・バファローズの選手一覧 個人年度別成績 D. シュルジー - NPB.jp 日本野球機構 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register) この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。 アメリカ合衆国の野球選手 ドイツ系アメリカ人の野球選手 シカゴ・カブス傘下の選手 シカゴ・カブスの選手 クリーブランド・インディアンス傘下の選手 クリーブランド・インディアンスの選手 ニューヨーク・メッツ傘下の選手 ニューヨーク・メッツの選手 デトロイト・タイガース傘下の選手 ニューヨーク・ヤンキース傘下の選手 ニューヨーク・ヤンキースの選手 サンディエゴ・パドレスの選手 オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手 ボルチモア・オリオールズ傘下の選手 イリノイ州の人物 1962年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子 すべてのスタブ記事 野球選手に関するスタブ 典拠管理識別子が1つもない記事
2024/11/21 20:25更新
|
Don Schulze
ドン=シュルジーと同じ誕生日9月27日生まれの人
TOPニュース
ドン=シュルジーと近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「ドン=シュルジー」を素材として二次利用しています。