マークス寿子の情報(まーくすとしこ) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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マークス寿子の情報まとめ
マークス寿子(まーくす としこ)さんの誕生日は1936年3月23日です。東京出身の作家のようです。
卒業、結婚、離婚、母親、父親に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2024年に亡くなられているようです。
マークス寿子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)マークス 寿子(マークス としこ、英語: Toshiko Marks、1936年(昭和11年)3月23日 - 2024年(令和6年)6月15日)は、日本出身のイギリスの学者、評論家。エセックス大学講師や秀明大学教授を務めた。 正式名は「ブロートンのマークス男爵夫人トシコ・マークス閣下(The Right Honourable Toshiko Marks, Baroness Marks of Broughton)」。旧名は志村 寿子(しむら としこ)。アメリカ文学者の志村正雄(東京外国語大学名誉教授)は兄。 1936年、東京府に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業。旧・東京都立大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。同大学非常勤講師を務めた後、1971年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの研究員として渡英する。 1976年、ユダヤ系イギリス人の実業家で連合王国貴族の第2代ブロートンのマークス男爵マイケル・マークス(1920-1998、マークス&スペンサーの共同創業者マイケル・マークスの孫)と結婚し、彼の生涯計5人の妻のうち3番目の妻となった。これによって彼女はマークス姓になるとともに「ブロートンのマークス男爵夫人(Baroness Marks of Broughton)」の儀礼称号と英国籍を得た。 マークス男爵とは1985年に協議離婚したが、その後も男爵夫人の儀礼称号を保持している。研究者としての経歴はエセックス大学講師、同大現代日本研究所主任を経て、八千代国際大学(1998年に秀明大学に改称)教授を務めた。永く日英間を往き来し、英国では「日英タイムズ」を発行し、著作や講演活動などを通じ保守派・親英の論客として活動。 2010年3月、秀明大学を退職した。 著作は日本と英国の文化の比較研究が中心で、経済的には発展したが文化的に未熟な日本の文化を批判的にエッセイ形式で綴った作品が多い。 日英の教育制度を比較した作品に『ひ弱な男とフワフワした女の国日本』、『とんでもない母親と情けない男の国日本』、ブランド物を海外で買いあさる日本女性を描いた作品に『自信のない女がブランド物を持ち歩く』などがある。 2024年6月15日、ロンドンの自宅で死去。88歳没。 「日本人は英国に学ぶべき」とする論調の本が多いが、マークスに対する批判も若干ではあるが存在する。 『英国貴族になった私』草思社、1986年。
『大人の国イギリスと子どもの国日本』草思社、1992年7月。 『ゆとりの国イギリスと成金の国日本』草思社、1993年。 『イギリス歳時記 粋な話無粋な話 A Year of British life & Events』講談社、1994年。
『男たちよ 全面降伏か』草思社、1994年。
『ゆりかごから墓場まで」の夢醒めて 私が体験した英国の福祉、老人問題』中央公論社、1995年。 『爆弾的英語教育改革論』草思社、1995年。 『戦勝国イギリスへ 日本の言い分』草思社、1996年。 のち中公文庫 『イギリス式 おしゃれな生き方』中公文庫、1997年。 『ひ弱な男とフワフワした女の国日本』草思社、1997年8月。 『イギリスが教えてくれた大人のおしゃれ』大和書房、1998年。 『生まれ変わっても女がいい国って、ホンと?』清流出版、1999年。 のち朝日文庫 『とんでもない母親と情けない男の国日本』草思社、1999年。 『親に頼らない生き方 大人を超えて世界へはばたこう』ポプラ社、2000年。 『ふにゃふにゃになった日本人 しつけを忘れた父親と甘やかすだけの母親』草思社、2000年。 『本物の考える力生きる力勉強法』三笠書房、2002年7月。 『不安な国日本 福祉の国イギリスから見ると』光文社、2002年。 『自信のない女がブランド物を持ち歩く』草思社、2002年。 『本当の英語力をつける本』PHP研究所、2003年7月。 『マークス寿子の英語の王道-始めの一歩』草思社、2005年。 『日本はなぜここまで壊れたのか』草思社、2006年。 『盛りを過ぎてもへこたれない国イギリスに学べ』草思社、2007年11月。 『総崩れのイギリスそれでも踏ん張るイギリス人』草思社、2009年12月。 『行儀の悪い人生』中央公論新社 こころを見つめる 2013年 池田雅之共著『英国貴族と侍日本 憧れの国・イギリス、豊かさの国・ニッポン』PHP研究所、1993年。 中西輝政共著『イギリスの智慧』中央公論社・中公叢書、2000年。 ジョー・キタ『「8つの知恵」ノート 百人の父から息子へ』三笠書房、2001年10月。 クライン孝子 川口マーン惠美 両名共、やはり“外国と日本、住んでみたら日本の勝ち”的な著書を上梓している ^ 英国貴族と結婚したとしても、本人が襲爵もしくは自らの功績により女王より受爵しない限り貴族になれるわけではないが「貴族夫人」としての礼遇を受けることは出来る。『英国貴族になった私』は後『英国貴族と結婚した私』に改題されており、改題後の表題のほうが寿子の立場を適確に表現している。 ^ “マークス寿子さん死去 英国拠点に日本批評”. 産経新聞. 2024年6月18日閲覧。 ^ Lundy, Darryl. “Michael Marks, 2nd Baron Marks of Broughton” (英語). thepeerage.com. 2014年12月1日閲覧。 ^ “Obituary: Lord Marks of Broughton”. インデペンデント. (26 March 2015). http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/obituary-lord-marks-of-broughton-1200358.html 2015年3月5日閲覧。 ^ Lundy, Darryl. “Toshiko Shimura” (英語). thepeerage.com. 2014年12月1日閲覧。 ^ “設置に係る設置計画履行状況報告書秀明大学 学校教師学部”. 秀明学園 (2010年5月1日). 2010年12月17日閲覧。 ^ 林信吾『イギリス・シンドローム-私はいかにして「反・イギリス真理教徒」となったか』 ^ 小田嶋隆1998-02「マークス寿子 出戻り「英国貴族」はそんなにお上品か? (特別企画 怪しげな「言説の流布」に警鐘乱打 この20人を大論破!)」『諸君』30(2), 237-241. この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 韓国 CiNii Books CiNii Research 日本の比較文化学者 20世紀日本の女性随筆家 21世紀日本の女性随筆家 エセックス大学の教員 秀明大学の教員 イギリスに帰化した人物 日系イギリス人 早稲田大学出身の人物 東京都立大学出身の人物 東京都出身の人物 1936年生 2024年没 2025/02/05 18:45更新
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makusu toshiko
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