一ノ瀬泰造の情報(いちのせたいぞう) 写真家、ジャーナリスト 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
一ノ瀬 泰造さんについて調べます
■名前・氏名 |
一ノ瀬泰造と関係のある人
浅野忠信: 浅野の誕生日は偶然にも役を演じた一ノ瀬泰造の行方不明が報道された日でもある(実際に一之瀬が死去したのはこの日より前)。 浅野忠信: 地雷を踏んだらサヨウナラ(1999年) - 主演・一ノ瀬泰造 役 川津祐介: TAIZO〜戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の真実〜(2003年、チームオクヤマ) パトリック・ハーラン: TAIZO〜戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の真実〜(2003年) - 英語ナレーション 坂口憲二: TAIZO〜戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の真実〜 - 声の主演・一ノ瀬泰造 役 深町純: TAIZO〜戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の真実〜(チーム・オクヤマ:2003年) パックン: TAIZO〜戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の真実〜(2003年) - 英語ナレーション はづき藍: 以後、奥山がプロデュースした一ノ瀬泰造の映画「TAIZO」にも貢献している。 奥山和由: TAIZO〜戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の真実〜 (2003年) - 製作 |
一ノ瀬泰造の情報まとめ
一ノ瀬 泰造(いちのせ たいぞう)さんの誕生日は1947年11月1日です。佐賀出身の写真家、ジャーナリストのようです。
卒業、退社、結婚、映画、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。1973年に亡くなられているようです。
一ノ瀬泰造のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)一ノ瀬 泰造(いちのせ たいぞう、1947年〈昭和22年〉11月1日 - 1973年〈昭和48年〉11月29日)は、日本の報道写真家。 一ノ瀬清二・信子の長男として佐賀県武雄市に生まれる。佐賀県立武雄高等学校に入学。物理部の部長として写真部門で活躍。夏、野球部に所属し、甲子園(第45回全国高等学校野球選手権大会)に出場。 1966年4月、日本大学芸術学部写真学科に入学。 1971年、卒業後、UPI通信社東京支社に勤務(3ヶ月で退社)。 半年の試用期間をもってUPIを不採用になったため、フリーランスの戦争カメラマンとして活動を開始。米軍キャンプPXの写真屋で1年間働き資金を貯め、インド・パキスタン戦争へ向かう。1972年3月14日、ベトナム戦争が飛び火し、戦いが激化するカンボジアに入国。1972年6月、アンコールワット入りを願いクメール・ルージュの兵士と接触するが、フィルムを抜かれて追い返される。8月15日、好ましからざるジャーナリストとして国外退去となりベトナムへ行く。以後ベトナム戦争、カンボジア内戦を取材、『アサヒグラフ』や『ワシントン・ポスト』などのマスコミで活動し、8月25日、「安全へのダイブ」でUPIニュース写真月間最優秀賞を受賞した。 1973年4月27日、日本へ一時帰国。武雄市の両親のところで9日間過ごす。5月、ベトナムへ再入国。6月、カンボジアに再入国。8月、サイゴンからプノンペンまでメコン川を遡る。11月7日、親友の結婚式に出席。以後、クメール・ルージュの支配下に有ったアンコール・ワットへの単独での一番乗りを目指しており、1973年11月、「旨く撮れたら、東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだら“サヨウナラ”!(ロバート・キャパの最期を捩ったもの)」と友人宛に手紙を残し、単身アンコール・ワットへ潜入、以後消息を絶った。 9年後の1982年、一ノ瀬が住んでいたシェムリアップから14km離れたアンコールワット北東部のプラダック村にて遺体が発見され、1982年2月1日に現地へ赴いた両親によって確認された。享年26歳。その後、1973年11月22日もしくは23日にクメール・ルージュに捕らえられ、29日に処刑されていたことが判明した。 処刑された現場であるシェムリアップ州には、村人が立てた墓がある。 一ノ瀬の生涯は書籍や舞台などで取り上げられた。1985年には、岡本早生主演・渡辺範雄監督による劇映画『泰造』が公開された。また1999年には、浅野忠信主演・五十嵐匠監督による劇映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』が公開され、若者の間でブームとなった。また一ノ瀬の没後30年にあたる2003年には、『地雷を踏んだらサヨウナラ』をプロデュースした奥山和由の制作、中島多圭子監督によるドキュメンタリー映画『TAIZO〜戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の真実〜』も公開されている。 ベトナム戦争中に一ノ瀬が一時帰国した際、弾丸が貫通したニコンFを自宅に持ち帰っていた。ホーチミン市の戦争証跡博物館には、このニコンFの写真と共に、一ノ瀬を紹介する文章が展示されている。なお、このニコンFに入っていたフィルムは母・信子の希望により写真修復師の村林孝夫らの手で奇跡的に3コマが現像され、写真集『もうみんな家に帰ろー!』に収録された。 両親は、泰造が残した写真を焼き続け写真集の発刊に力を尽くした。2001年、父・清二死去。2007年、母・信子が「一ノ瀬泰造 生誕60周年記念写真展」を観覧している。 2018年12月3日、泰造の死後ネガフィルムの現像などに尽力した母・信子が死去。96歳。 2020年1月6日から3ヶ月間、東京・品川のニコンミュージアムで企画展「一ノ瀬泰造『戦場の真実、硝煙の中に生きる人々』」が開催。ニコンFなどが展示された。監修は泰造の姪の永渕教子が務め、武雄市図書館・歴史資料館が資料等の協力をした。 3ヶ月での終了が予定されていた企画展「一ノ瀬泰造『戦場の真実、硝煙の中に生きる人々』」は新型コロナウイルスの影響で同年9月26日まで会期が延長された。
2023年7月、佐賀県武雄市にある武雄市図書館・歴史資料館において、「令和5年度 武雄市図書館・歴史資料館 企画展」として『没後50年記念 一ノ瀬泰造展』が開催されている。 死の直前、撮影したアンコールワットの写真や1972年から撮影したバングラデシュ、ベトナム、カンボジアなどの戦地のようすや銃後の生活を伝える写真を展示。撮影時に使用したヘルメットや腕章、銃弾の跡が残るカメラなども展示されている。 (前期:7月1日~7月23日、後期:7月29日~8月20日。ギャラリートーク:7月1日、7月15日、8月6日、8月12日) 『地雷を踏んだらサヨウナラ:一ノ瀬泰造写真・書簡集』(講談社、1978年)ISBN 4-06-183434-7 『遥かなりわがアンコールワット:一ノ瀬泰造写真集』(一ノ瀬泰造写真集刊行委員会、1981年) 『戦場より愛をこめて!:1972-73』(窓社、2004年)ISBN 4-89625-068-0 一ノ瀬信子著『わが子泰造よ!:カンボジアの戦場に散った息子を求めて』(合同出版、1985年) 一ノ瀬清二編『一ノ瀬泰造:戦場に消えたカメラマン』(葦書房、1994年)ISBN 4-7512-0569-2 一ノ瀬泰造撮影、一ノ瀬信子編『もうみんな家に帰ろー!:テンオックネァ、タウプティヤ!:26歳という写真家・一ノ瀬泰造』(窓社、2003年)ISBN 4-89625-052-4 一ノ瀬泰造撮影、一ノ瀬信子編『一ノ瀬泰造ぼくが愛した人と村』(窓社、2004年)ISBN 4-89625-063-X 一ノ瀬信子著『泰造見てますか?』(窓社、2005年) ISBN 4-89625-078-8「わが子泰造よ!」の増訂 ^ 1972年1月20日、インド・パキスタン戦争の取材に旅立つ ^ 11月22日ないし23日。 ^ 『没後50年記念 一ノ瀬泰造展』パンフレットに掲載されている「一ノ瀬泰造プロフィール」による。 ^ 『朝日新聞』1982年2月8日東京朝刊23頁「遺体と両親対面 カンボジアで不明のカメラマン一ノ瀬氏」 ^ 一ノ瀬泰造の遺したもの~ いま蘇る封印された最後のフィルム ~、村林孝夫HP ^ 月刊タウンさが 佐賀の人No.145 書籍編集・コーディネーター 一ノ瀬信子さん ^ TAIZO+TAKEO : TAIZOプロジェクトの登紀子さんが信子さんと観覧。 ^ 武雄市役所 (2023年). “武雄市図書館・歴史資料館で企画展「没後50年記念 一ノ瀬泰造展」を開催します(武雄市役所がお届けする たけおポータル)”. http://www.city.takeo.lg.jp/. 2023年7月14日閲覧。 戦場カメラマン 沢田教一 写真家 一ノ瀬泰造 オフィシャルサイト 映画『TAIZO』 オフィシャルサイト 戦場カメラマン一ノ瀬泰造はカンボジア内戦取材中の一九七三年… - 東京新聞「筆洗」(2022年7月16日) 激戦地の写真など約70点 一ノ瀬泰造 没後50年記念展 武雄市図書館・歴史資料館【佐賀県】 (23/07/03 14:30) - サガテレビ - YouTube
FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research 写真家識別目録 オランダ美術史研究所データベース 20世紀日本の写真家 日本のフォトジャーナリスト ベトナム戦争のジャーナリスト 殺害されたジャーナリスト 戦場カメラマン 日本・カンボジア関係 日越関係 UPI通信社の人物 日本大学出身の人物 佐賀県立武雄高等学校出身の人物 佐賀県出身の人物 1947年生 1973年没 日本人墓地 2024/11/17 21:31更新
|
ichinose taizou
一ノ瀬泰造と同じ誕生日11月1日生まれ、同じ佐賀出身の人
TOPニュース
一ノ瀬泰造と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「一ノ瀬泰造」を素材として二次利用しています。