三国一朗の情報(みくにいちろう) 司会者、タレント 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
三国一朗の情報まとめ
三国 一朗(みくに いちろう)さんの誕生日は1921年1月12日です。愛知出身の司会者、タレントのようです。
卒業、テレビ、退社、事件、趣味、ドラマ、映画に関する情報もありますね。2000年に亡くなられているようです。
三国一朗のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)三國(三国) 一朗(みくに いちろう、1921年〈大正10年〉1月12日 - 2000年〈平成12年〉9月15日)は、日本の放送タレント、エッセイスト、俳優である。 愛知県名古屋市出身。第八高等学校を経て、東京帝国大学文学部社会学科を繰り上げ卒業し従軍。戦後、劇作家・久板栄二郎の下で修業した後、雑誌編集者を経てアサヒビール社員となる。 1952年に、志摩夕起夫らと行った、深夜放送「イングリッシュ・アワー」(ラジオ東京)での仕事は「日本で最初のラジオ・パーソナリティ」である。 1953年に日本テレビ放送網で放送を開始したアサヒビール一社提供番組「ほろにがショー 何でもやりまショー」の二代目司会者として出演し、以後放送タレントとして各種番組に出演。1956年にアサヒビールを退社した後はタレントを専業とした。近代日本史への造詣が深く、東京12チャンネルの「私の昭和史」(1964年~1974年、放送批評懇談会の期間選奨を受賞)の司会や、二・二六事件を扱ったNHK特集のレポーターを務めている。 晩年は「お好み演芸会」(NHK総合テレビジョン)の「花の落語家5人衆の知恵比べ」の司会も務めた。 スクラップ・ブックが趣味で、技術指南書『ハサミとのり』を刊行。この本は刊行当時、スクラップ愛好家の間で、非常な評判を博した。また、放送タレントの先輩として、徳川夢声を敬愛し、夢声研究の決定版『徳川夢声の世界』を刊行し、芸術選奨新人賞を受賞した。 その他にも「タレントの余技」をこえた、軽妙なエッセイ集を何冊も刊行した。 2000年9月15日、急性心不全のため、東京都稲城市の病院で死去。79歳没。 叔父に俳優の三國周三。その妻が女優の水町庸子。 ほろにがショー 何でもやりまショー (日本テレビ、司会、1953年8月29日 - 1959年4月25日 びっくりスコープ(NHK、司会、1960年4月9日 - 1961年4月1日) 私の昭和史(東京12チャンネル、司会、1964年4月 - 1974年3月) テレビ銀婚式 すてきな夫婦(日本テレビ、司会、1966年8月13日 - 1967年10月7日) 心のともしび(日本テレビ、司会、1966年 - ?) セブンショー(フジテレビ、司会、1967年10月2日 - 1968年3月29日) ドキュメント昭和(朝日放送テレビ 司会・ナレーター・レポーター(一部回) 1975年) お好み演芸会・花の落語家五人衆の知恵比べ(NHK、司会 1980年4月13日 - 1989年3月5日) 歴史と人間(NHKラジオ) イングリッシュ・アワー (ラジオ東京(現・TBSラジオ)) オーナー(TBSラジオ、1964年-1966年)金・土曜。内包の「三菱ダイヤモンドハイウェー」は日曜日(単独番組)も出演 三國一朗の土曜ワイドラジオTokyo (TBSラジオ、パーソナリティ、1975年-1978年) OK横丁に集まれ(日本テレビ 1957年10月-1960年7月) 夕やけ天使(KR、良三役、1960年8月7日 - 1962年9月30日) 東芝日曜劇場/煙の王様(1962年、TBS) 東芝日曜劇場/カルテロ・カルロス日本へ飛ぶ(1963年、TBS) 太閤記(1965年、NHK)- 今川義元 役 あひるの学校 (1968年、NHK) 樅の木は残った(1970年、NHK)- 役名なし 元禄太平記(1975年、NHK)- 大野知房 役 新・坊っちゃん(1975年、NHK) 土曜ドラマ(NHK)
黄金の日日(1978年、NHK)第19話『安土築城』、第20話『聖母昇天』、一観(明朝の瓦工) 役 いちばん星(1979年、NHK)※ナレーション マー姉ちゃん(1979年、NHK)- 牛尾軍平 役 ハイカラさん(1982年、NHK) 銀河テレビ小説・青春前後不覚(1983年、NHK) 花の降る午後(1989年、NHK) - 黄健明 役 痴人の愛 (1960年、大映) 東京オリンピック (1965年)※ナレーション 映画女優 (1987年、東宝) 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日 (1988年、松竹) 『私は司会者』角川書店、1961年12月30日。 『ハサミとのり 私のきりぬき帖』みゆき書房、1970年3月1日。
『徳川夢声の世界』 (1979年、青蛙房) 『肩書きのない名刺』 (1980年、自由現代社/中公文庫 1984年)、第28回日本エッセイスト・クラブ賞受賞 『三國一朗の人物誌』毎日新聞社、1982年3月30日。 『女たちの遠景』(1982年、潮出版社) 『肩書きのない名刺(2)』(1983年、自由現代社) 『話術 会話と対話』(1984年、筑摩書房) 『戦中用語集』(1985年、岩波新書) 『人づきあい50の名言』(1985年、講談社) 『ことばのある風景』 新潮社、1985年 『徳川夢声とその時代』〈もんじゅ選書〉、講談社、1986年6月20日。 『橋』(1990年、青蛙房) 『タレントの本棚』(愛書家交換会・蚤の市 1983年)、著者の一人 『証言私の昭和史』全6巻、東京12チャンネル報道部編、学芸書林、1969年
『証言・私の昭和史』全6巻、テレビ東京編 文春文庫 1989年 『昭和史探訪』全6巻 インタビュアー・編者 番町書房 1974-75年。聞き手表記
『昭和 二万日の全記録』全19巻 編集委員(原田勝正、尾崎秀樹、松下圭一と、講談社 1989-1991年) 『日本の名随筆96 運』作品社 1990年 『昭和生活文化年代記 1 戦前』TOTO出版 1991年 1954年9月、ラジオ東京で番組担当中に「洞爺丸が函館港外で座礁」の臨時ニュースを読んでいる。ニュース終了直後に流れたのはアルゼンチンタンゴの『SOS』(後に『コンデナ』に改名)であったが、意図した選曲ではなく全くの偶然であった。後年になって『この時のような不気味な経験は他に一度もない』と語っている。 濱田研吾『三國一朗の世界 あるマルチ放送タレントの昭和史』清流出版 2008年4月 ^ 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊) ISNI VIAF ドイツ アメリカ 韓国 CiNii Books CiNii Research IdRef 1921年生 2000年没 日本のタレント 日本の司会者 20世紀日本の随筆家 日本の男性著作家 学士号取得者 日本のラジオパーソナリティ 旧制第八高等学校出身の人物 東京大学出身の人物 名古屋市出身の人物 アサヒグループの人物 青山霊園に埋葬されている人物 Pages using the JsonConfig extension 2024/11/17 15:49更新
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mikuni ichirou
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