上村雅之の情報(うえむらまさゆき) 電子技術者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
上村 雅之さんについて調べます
■名前・氏名 |
上村雅之と関係のある人
横井軍平: 横井はコンピューター嫌いであり、上村雅之曰く「(コンピュータ好きの僕とは)技術者としての道がおのずから別れていった」。 久夛良木健: 任天堂の上村雅之は、任天堂がソニーと音源を共同開発する事に任天堂の社内外で数多上がった反対を押し切り共同開発を推進したが、当時ニンテンドー・オブ・アメリカ(NOA)の社長であった荒川實がそれを危惧、CD-i向けのゲームをフィリップスと共同開発することを土壇場で山内溥に強く進言した事から共同開発は決裂。 田中宏和: その後は、上村雅之の下でファミリーコンピュータの、横井軍平の下でゲームボーイやバーチャルボーイのハードウェアの音源開発などに携りつつ、ゲームソフトのサウンドデザイン、サウンドプログラムも多数手がける。 |
上村雅之の情報まとめ
上村 雅之(うえむら まさゆき)さんの誕生日は1943年6月20日です。奈良出身の電子技術者のようです。
テレビ、卒業に関する情報もありますね。2021年に亡くなられているようです。
上村雅之のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)上村 雅之(うえむら まさゆき、1943年6月20日 - 2021年12月6日)は、日本の技術者。任天堂統合開発本部アドバイザー。 任天堂開発第二部部長として「ファミリーコンピュータ」や「スーパーファミコン」などの開発に携わり、2003年から立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。東京都生まれ。 子供の頃はラジオ少年だったが、小学校高学年の頃にテレビという新メディアが登場して心奪われる。テレビ技術者を志し、1967年に千葉工業大学電子工学部電子工学科を卒業し、早川電機(現・シャープ)に入社。電子回路の技術者を志しての入社だったが、「これからはコンピュータや半導体の時代だ」といわれ、コンピュータや半導体の技術者としてキャリアを積み始める。 太陽電池の開発を手がけていた際に、当時の取引先の一つに「光線銃シリーズ」を手掛けていた任天堂があり、1971年1月、任天堂に引き抜かれる形で入社(当時、シャープから海外転勤や奈良県天理市への転勤の話があり、任天堂では転勤がない事も決め手の一因となったと語っている)。「光線銃シリーズ」の延長線上で生まれた「任天堂レジャーシステム」のゲーム機開発、据え置き型ゲーム機「カラーテレビゲーム15」、「ブロック崩し」などの開発に携わり、1979年1月に新設された製造本部開発第二部部長となる。 1981年、ファミコンの開発責任者となる。開発コスト削減や発売後の初期不良など多くの問題を解決し、ファミコンを大ヒットさせることに成功する。その後、「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」や「スーパーファミコン」などの開発に携わった。サテラビューでは開発の他にも、衛星放送事業部部長も務めた。この際、独自にテレビ研究を深め、任天堂の「テレビを敵に回さない路線」を生み出した。この路線はその後の任天堂のゲームハード設計に強い影響を与えている。 しかし、サテラビューは予定していた結果を出す事は出来ず、また、スーパーファミコンの開発を多くの人の反対(社外の人からもビデオでソニーだけが儲かる条件を突きつけてきて他社がVHSに乗り換えた経緯もあり、ソニーとの提携は要注意を助言されていた)を押し切ってソニーとの提携を推し進めた結果、その後、問題となり、当時の山内溥社長の判断で以降の「NINTENDO64」や「ニンテンドーゲームキューブ」の開発にはかかわっていない。 2004年、任天堂退職と同時に同社開発アドバイザーに就任。同年、立命館大学大学院先端総合学術研究科特任教授に就任し、コンピュータゲームの学術的研究に尽力。その成果はCEDEC2010などで報告されている。2009年より、同大学映像学部において「遊びの映像化」をテーマとしたゼミナール(上村・尾鼻ゼミ、通称UOゼミ)を開講し、後進の育成にも尽力している。ただし同ゼミ自体は2014年までとなっている。 2011年、同大学ゲーム研究センター(RCGS)の初代センター長に就任した(2021年3月まで)。 2012年4月、同大学映像学部客員教授に就任した(2017年3月まで)。 2015年、第19回文化庁メディア芸術祭において「功労賞」を受賞した。 2017年4月、同大学衣笠総合研究機構教授に就任した(2019年3月まで)。 2019年4月、同大学映像学部客員教授に就任した。 2020年、メディア芸術(ゲーム)の分野で令和元年度京都市芸術振興賞を受賞。 2021年12月6日、死去。78歳没。同年12月9日に死亡の事実が公表された。 上村雅之、細井浩一、中村彰憲『ファミコンとその時代 テレビゲームの誕生』NTT出版、2013年6月28日。ISBN 978-4-757-17046-9。 上村雅之「ファミコンメディア その技術背景について」『計測と制御』第29巻第6号、1990年6月、551-556頁、doi:10.11499/sicejl1962.29.551。 ^ “上村雅之 「ファミコン生みの親」、大学教授に | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス”. 情報・知識&オピニオン imidas. 2021年12月13日閲覧。 ^ 勝田哲也 (2010年9月3日). “「テレビゲームとはなにか ―ゲームプレイの記録と分析を通じて」 元ファミコン開発責任者、上村雅之教授が取り組むプレーヤー側からのゲーム研究”. GAME Watch. 株式会社インプレス. 2021年12月13日閲覧。 ^ “上村 雅之 | 功労賞 | 第19回 2015年”. 文化庁メディア芸術祭 歴代受賞作品. 文化庁. 2021年12月13日閲覧。 ^ “【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第4回:携帯型ゲーム機を発想”. 日経BP. 2008年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月6日閲覧。 ^ “【訃報】 上村雅之先生逝去のお知らせ”. 立命館大学ゲーム研究センター : Ritsumeikan Center for Game Studies (RCGS) (2021年12月9日). 2021年12月13日閲覧。 ^ “上村雅之さん 大いに語る。 ファミリーコンピュータ インタビュー(後編)(2013年10月号より)”. www.ndw.jp. アンビット (2018年7月21日). 2021年12月13日閲覧。 ^ 相田洋、大墻敦『新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防』日本放送出版協会〈NHKスペシャル 新・電子立国〉、1997年1月20日、268頁。ISBN 978-4-140-80274-8。 ^ “テレビゲームとはなにか ―ゲームプレイの記録と分析を通じて”. CEDEC 2010 | CESA Developers Conference. CESA、日経BP. 2021年12月13日閲覧。 ^ Mr.Katoh (2021年12月9日). “ファミコンやディスクシステムの生みの親・上村雅之氏が逝去―ゲーム産業の発展に多大に貢献した人物”. Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト. 2021年12月13日閲覧。 ^ “上村雅之客員教授がメディア芸術(ゲーム)の分野で「令和元年度京都市芸術振興賞」を受賞”. 立命館大学. 立命館大学 (2020年1月16日). 2021年12月13日閲覧。 ^ ““ファミコンの父”元任天堂の上村雅之氏が逝去。ディスクシステムや光線銃、スーパーファミコンなどの開発に携わる”. ファミ通.com. KADOKAWA Game Linkage (2021年12月9日). 2021年12月13日閲覧。 ^ “「ファミコン」生みの親・上村雅之さん死去 78歳”. ORICON NEWS. oricon ME (2021年12月9日). 2021年12月13日閲覧。 立命館大学大学院 先端総合学術研究科 上村 雅之(うえむら まさゆき) - ウェイバックマシン(2017年12月1日アーカイブ分) - 立命館大学による教員紹介 ディスクシステムの生みの親 上村雅之氏インタビュー - N.O.M 2004年8月号 社長が訊く「スーパーマリオ25周年」 ファミコンとマリオ 篇 永井美智子 (2007年9月30日). “「遊びをせんとや生まれけむ」--生みの親が語るファミコン成功の秘訣”. CNET Japan. 2021年12月10日閲覧。 “[CEDEC 2010]「スーパーマリオ」の上ボタンはなぜ押される? ゲームプレイの記録からゲームの本質に迫る,立命館大学上村研究室の研究報告”. 4Gamer.net. Aetas (2010年9月3日). 2021年12月10日閲覧。 立命館大学グローバルCOEプログラム 日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点 - 立命館大学 上村研究室ウェブページ ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 日本のコンピュータゲーム開発者 任天堂の人物 立命館大学の教員 千葉工業大学出身の人物 東京都出身の人物 1943年生 2021年没 プロジェクト人物伝項目 2024/11/22 08:10更新
|
uemura masayuki
上村雅之と同じ誕生日6月20日生まれ、同じ奈良出身の人
TOPニュース
上村雅之と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「上村雅之」を素材として二次利用しています。