上野瞭の情報(うえのりょう) 児童文学作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
上野瞭と関係のある人
アラン=シリトー: 上野瞭訳 栗田八重子絵 あかね書房 1971 乙骨淑子: 『8 ピラミッド帽子よ、さようなら(2)』(解説:上野瞭) 今江祥智: この時期、灰谷健次郎、上野瞭、佐野洋子などが、同様に、児童文学や絵本から、大人向け作品へ移行していく現象があり、それは踵を接して、よしもとばななや角田光代のような、最初から少年文学風に書く作家を生む一因をなした。 寺村輝夫: アフリカの話II(上野瞭、杉浦範茂) - ンガイの指がなるとき、かいじゅうムズング 永瀬清子: 『港野喜代子選集 詩・童話・エッセイ』上野瞭共編 編集工房ノア、1981 山下明生: 宝島へのパスポート 子どもの本はいま 今江祥智、上野瞭 解放出版社 1998.8 堀川とんこう: また、黒井千次原作「袋の男」を『恋人たちのいた場所』、池澤夏樹の芥川賞受賞作『スティルライフ』、上野瞭原作『アリスの穴の中で』を『父さんが子供を産むことになった理由』とタイトルして、企画・演出。 田島征三: 『さらば、おやじどの』(上野瞭、理論社) 古田足日: 別巻 甲賀三郎・根の国の物語(1983年-1985年・日本児童文学者協会) - 石井直人、田畑精一、上野瞭 |
上野瞭の情報まとめ
上野 瞭(うえの りょう)さんの誕生日は1928年8月16日です。京都出身の児童文学作家のようです。
兄弟、卒業、映画、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。2002年に亡くなられているようです。
上野瞭のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)上野 瞭』(うえの りょう、1928年8月16日 - 2002年1月27日)は、日本の児童文学作家。 息子の上野宏介はイラストレーター。 京都府京都市生まれ。本名は瞭』(あきら)。父は炭や米を扱う商人で、戦後は食糧公団に勤め、京都米穀株式会社の役員となるが、晩年は不遇だった。母は眼を病んでいた。6人兄弟の長男。第二錦林尋常小学校時代から「少年倶楽部」を愛読するが、「よい子」「頑張る子」「できる子」への反発から佐藤紅緑と佐々木邦だけは読まなかった。 京都市立第二商業学校時代に太平洋戦争が開戦し、舞鶴へ学徒動員に送られる。立命館専門学校二部在学中から「木馬」「子ども・詩の国」に童話を発表し始める。同志社大学文学部文化学科に編入し、哲学を専攻して卒業。1952年に平安高校の国語教師となり、同人誌「児童文学界」に作品を書く。 1954年に岩本敏男らと児童文学同人誌「馬車」を創刊。乙骨淑子と雑誌「こだま」を通じて交流を持つ。1958年にいぬいとみこ、佐野美津男、神宮輝夫、古田足日らの「児童文学実験集団」に参加。1963年より思想の科学研究会にも参加。 今江祥智のすすめで1967年に『戦後児童文学論 「ビルマの竪琴」から「ゴジラ」まで』を出版。児童文学評論家となる。奈良佐保女学院短期大学、同志社女子大学教授も務め、児童文化を講じた。 1983年の『ひげよ、さらば』は、チャールズ・ブロンソンの『さらば友よ』から着想した猫を登場人物にしたハードボイルド仕立ての作品で、刊行と同時に話題を呼び第23回日本児童文学者協会賞を受賞。NHKで『ひげよさらば』として人形劇化された。 一般小説も手掛け、『砂の上のロビンソン』は映画・舞台・テレビドラマ化され、『アリスの穴の中で』は第3回山本周五郎賞の候補作に残るなど、この分野でも高い評価を受けた。 2002年1月27日、胆管癌のため死去。享年73。 『ゲリラ隊の兄弟』(金の星社) 1959年 『空は深くて暗かった』(三一書房、高校生新書) 1965年 『ちょんまげ手まり歌』(理論社) 1968年、のちフォア文庫 - 解説:新村徹 『目こぼし歌こぼし』(あかね書房) 1974年、のち講談社文庫 - 解説:鶴見俊輔 『日本宝島』(理論社) 1976年 『もしもしこちらライオン』(理論社) 1978年 『もしもし、こちらオオカミ』(小学館) 1980年、のち小学館てんとう虫ブックス - 解説:灰谷健次郎 『ひげよ、さらば 』(理論社) 1982年、のち新潮文庫 - 解説:鶴見俊輔 『さらば、おやじどの』(理論社) 1985年、のち新潮文庫 - 解説:河合隼雄、復刻版 - 解説:酒寄進一 『そいつの名前は、はっぱっぱ』(理論社) 1985年 『そいつの名前はエイリアン』(あかね書房) 1994年 『グフグフグフフ』(あかね書房) 1995年 『もしもし、こちらメガネ病院』(理論社) 1995年 『砂の上のロビンソン』(新潮社) 1987年、のち文庫 『アリスの穴の中で』(新潮社) 1989年 『三軒目のドラキュラ』(新潮社) 1993年 『戦後児童文学論』(理論社) 1967年 『ちょっと変わった人生論』(三一書房、高校生新書) 1967年 『わたしの児童文学ノート』(理論社) 1970年 『現代の児童文学』(中央公論新社) 1972年 『ネバーランドの発想 児童文学の周辺』(すばる書房盛光社) 1974年 『子どもの国の太鼓たたき』(すばる書房) 1976年 『われらの時代のピーター・パン』(晶文社) 1978年 『アリスたちの麦わら帽子 児童文学者の雑記帖』(理論社) 1984年 『日本のプー横丁 私的な、あまりにも私的な児童文学史』(光村図書出版) 1985年 『晴れ、ときどき苦もあり』(PHP研究所) 1992年 『ただいま故障中 わたしの晩年学』(晶文社) 1998年 『宝島へのパスポート』(今江祥智, 山下明生共著、解放出版社) 1998年 『映画をマクラに』(解放出版社) 1999年 『猫の老眼鏡』(同志社女子大学児童文化研究室) 2003年 - 有志による小冊子 『晩年学通信 最後の日記抄・闘病記』(同志社女子大学児童文化研究室) 2003年 - 有志による小冊子 『田島征三』(すばる書房) 1978年 『絵本・猫の国からの挨拶』(すばる書房) 1978年 『空想の部屋』(世界思想社、叢書児童文学3) 1979年 『想像力の冒険 ~わたしの創作作法~』(今江祥智, 灰谷健次郎共著、理論社) 1981年 『児童文学アニュアル1982』(共著、偕成社) 1982年 『オルリー空港22時30分』(ポール・ベルナ、学習研究社) 1968年 『ながぐつをはいたねこ』(シャルル・ペロー、あかね書房) 1969年 『ファーブルこん虫記』(ファーブル、文研出版) 1970年 『マーマレード・ジムのぼうけん』(アラン・シリトー著 あかね書房) 1971年) 『カイツブリ号の追跡』(R=ピルキントン、学習研究社) 1972年 『小さな船長の大ぼうけん』(パウル・ビーヘル、あかね書房) 1979年 『小さな船長と七つの塔』(パウル・ビーヘル、あかね書房) 1980年 『アーサーのめがね』(マーク・ブラウン、佑学社) 1981年 村瀬学『児童文学はどこまで闇を描けるか - 上野瞭の場所から』JICC出版局、1992年2月。 上野瞭を読む会・編著『上野瞭を読む 「ひげよ、さらば」の作家』創元社、2020年1月。 ^ “上野 瞭 Profile”. ueno-ryo.com. 2022年2月8日閲覧。 ^ 『現代児童文学作家対談7』偕成社、1992年、256-261p。 ^ 『日本のプー横丁』上野瞭 日本の小説家一覧 児童文学作家一覧 上野 瞭の世界 公式ホームページ FAST VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research 20世紀日本の児童文学作家 20世紀日本の小説家 同志社女子大学の教員 同志社大学出身の人物 京都市出身の人物 1928年生 2002年没 胆管癌で亡くなった人物 FAST識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事
2024/11/15 06:20更新
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