中村光一の情報(なかむらこういち) ゲームデザイナー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
中村 光一さんについて調べます
■名前・氏名 |
中村光一と関係のある人
青木和彦: 中村光一、堀井雄二、すぎやまこういちといった『ドラゴンクエストシリーズ』の開発チームと仕事をした経験を持つ。 鈴木孝成: この頃エニックス(今のスクウェア・エニックス)が第1回ホビープログラムコンテストを開催、『I/O』からは中村光一、『月刊アスキー』からは森田和郎という二大常連投稿者がこれに応募して上位入賞を果たした。 堀井雄二: コンテストの授賞式で森田和郎や中村光一と知り合う。 本宮泰風: 妻との間には一人息子・平井龍聖がおり、また妻のイトコに中村光一がいる。 千田幸信: 中村光一を発掘したこのコンテストがきっかけで鳥嶋和彦との強い信頼関係を築き、『ドラゴンクエスト』の成功へとつながった。 堀井雄二: この年、エニックスは堀井雄二や中村光一らを、アメリカで開催されたApple関連の見本市「アップルフェスト」に派遣している。 すぎやまこういち: 当初はロック調でと注文されたが、すぎやまが中村光一に「ドラゴンクエストとはどういう世界のゲームか?」と尋ねたところ「中世の騎士物語」と言われ、ゲームの世界が「中世の騎士物語」ならばクラシック調がふさわしいとすぎやまは主張し、クラシックをベースにした基本コンセプトが固まった。 飯野賢治: テレビで見た中村光一がプログラムのコンテストで賞を取った事に影響を受け、自分が作ったゲームをゲームコンテストに出し、小学校5、6年の頃に作った『十和田湖殺人事件』がゲームコンテストに入賞した。 すぎやまこういち: しかし当時の開発陣であるチュンソフトは学生のサークル活動の延長上にあり、さらにはチュンソフトによる「ドラゴンクエスト」のゲームサウンドがある程度出来上がった時期でのすぎやまの参加が伝えられたため、特に中村光一は強く反対をした。 堀井雄二: 中村光一が調布市にチュンソフトを立ち上げた際は毎日のように事務所に遊びに来ており、掛かってきた電話にも勝手に出ていたという。 浅野和之: SEASON9 第5話(2009年8月6日) - 中村光一 役 |
中村光一の情報まとめ
中村 光一(なかむら こういち)さんの誕生日は1964年8月15日です。香川出身のゲームデザイナーのようです。
事件、趣味、テレビに関する情報もありますね。中村光一の現在の年齢は60歳のようです。
中村光一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)中村 光一(なかむら こういち、1964年8月15日 - )は、日本のゲームクリエイター、実業家。株式会社スパイク・チュンソフト取締役会長。香川県出身。タレントの松本明子は従妹にあたる。 丸亀高校時代は数学同好会に所属していた。同会で『ギャラクシーウォーズ』をBASIC言語でタンディ社TRS-80に移植するなどしていた。 『I/O』誌で、芸夢狂人がNECのPC-8001に移植した『ギャラクシアン』等を遊ぶために新聞配達で貯めた金でPC-8001を購入し、以後はそのPC-8001でプログラム開発と投稿を行うようになる。『I/O』誌に機械語入力ツールを投稿し、1981年2月号に掲載されたのが投稿デビューで、これにより原稿料2万円を得る。 この経験から、今度は高校1年の春休みにアーケードゲーム『スペースパニック』の移植作『ALIEN PartII』が1981年5月号に掲載され、同作はカセットテープでも販売されたことで20万円の印税収入となった。続けて1982年1月号には『スクランブル』(権利関係から後に『アタッカー』に改題)も同様にカセットで販売されて印税100万円。 さらに『リバーパトロール』の移植作『リバーレスキュー』は『I/O』別冊『マイコンゲームの本4』に掲載され、高校時代にこれら『I/O』誌への投稿で、計200万円以上を稼いだ。『I/O』誌での活躍によって、当時のマイコン少年の間では知られた存在であった。 これらで得た投稿料、印税でPC-8801を購入、プロのゲームクリエイターになることを決意し、1982年の高校3年の時にエニックス主催の第1回ホビープログラムコンテストに向けて、初のオリジナルとなるゲーム『ドアドア』を製作して応募したところ、準優勝にあたる優秀プログラム賞に入選し、50万円の賞金を獲得した。 1983年、上京して電気通信大学短期大学部電子工学科に入学する。入選作『ドアドア』をパソコンの各機種に移植し、この印税収入で大学生にして1,000万円を超える年収を得ていた。その後、エニックスでの第2作となるパソコンゲーム『ニュートロン』をリリースし、大学2年の春休み中の1984年4月9日に友人らが株主となって、社員5人のチュンソフトを設立。調布市の賃貸マンションの1室で営業活動を開始した。 チュンソフトの第1作は1985年のPC-6001版『ドアドアmkII』。続けて、エニックスのファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)参入に伴って、ファミコン版『ドアドア』でチュンソフトも家庭用ゲーム機のゲーム開発に参入した。パソコン版が8万本だったのに対して、ファミコン版は20万本のセールスを記録し、以後は家庭用ゲーム機に注力する。 続けて、同じくエニックスのプログラムコンテストの入賞者であった堀井雄二の『ポートピア連続殺人事件』のファミコン版の移植作業を行う。 この時期に、中村と堀井が『ウィザードリィ』『ウルティマ』といったコンピュータRPGに熱中したことから、ファミコンの本格的なRPG『ドラゴンクエスト』の開発を担当することになった。ドラゴンクエストシリーズは『ドラゴンクエストV』までの開発に携わるが、その後エニックス作品から離れる。 『弟切草』で自社ブランドデビュー。その後、『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』『かまいたちの夜』『風来のシレン』『街 〜運命の交差点〜』と立て続けに新ジャンルを開拓する。特に『かまいたちの夜』はオリジナル版以外も含めると125万本の売り上げを飛ばし、優良メーカーの代名詞として活躍を見せる。 自身は会社経営のため、プログラマーからは退いている。2012年4月1日付でチュンソフトは、同じドワンゴ傘下のスパイクを吸収合併してスパイク・チュンソフトとなり、中村は社長職を退いて会長に就任した。 2004年に発売された『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』のヒットで復活の兆しを見せ、セガと家庭用ゲーム事業で業務提携を結んだ。2008年に発売されたWiiソフト『428 〜封鎖された渋谷で〜』のプロデューサーを務めた。 2018年にリリースされたスマートフォン向けRPG、位置情報ゲームアプリである『テクテクテクテク』のプロデューサーを務めた。 ドアドア
ニュートロン ドラゴンクエスト:ディレクション、プログラム
ドラゴンクエストIII そして伝説へ…:ディレクション ドラゴンクエストIV 導かれし者たち:ディレクション ドラゴンクエストV 天空の花嫁:スーパーバイザー ファミコンジャンプII 最強の7人:ディレクション テトリス2+ボンブリス:ディレクション 弟切草:ディレクション・プロデュース トルネコの大冒険 不思議のダンジョン:プロデュース
トルネコの大冒険3 不思議のダンジョン:製作総指揮 かまいたちの夜:プロデュース
かまいたちの夜×3 三日月島事件の真相:プロデュース 風来のシレン:プロデュース
不思議のダンジョン 風来のシレン2 鬼襲来!シレン城!:製作総指揮 不思議のダンジョン 風来のシレンGB2 砂漠の魔城:製作総指揮 不思議のダンジョン 風来のシレン外伝 女剣士アスカ見参!:監修 シレン・モンスターズ ネットサル:プロデュース チョコボの不思議なダンジョン:監修
街 〜運命の交差点〜:プロデュース 3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!:プロデュース ホームランド:プロデュース 忌火起草:エグゼクティブプロデュース 428 〜封鎖された渋谷で〜:プロデュース TRICK×LOGIC:エグゼクティブプロデュース テクテクテクテク :プロデュース 征服王 - すぎやまこういちとタッグでゲームに参加。ダイスの目の確率の表を見ながら攻略し勝利を得ている。 モノポリー - 中村の趣味。 竜雷太 - チュンソフト社長時代に社長室にサインが掲げられていた。 ^ 高橋名人Official Blog『16連射のつぶやき』2012/1/6「昨日の番組は」 ^ 『永久保存版 みんながコレで燃えた! NEC8ビットパソコンPC-8001・6001』アスキー、2005年、pp.62-65。中村光一インタビュー ^ 志田英邦『ゲーム・マエストロ VOL.1 プロデューサー/ディレクター編(1)』毎日コミュニケーションズ、2000年、p.138。堀井雄二インタビュー。 ^ 『みんながコレで燃えた! NEC8ビットパソコンPC-8001・6001』p.65 ^ 『みんながコレで燃えた! NEC8ビットパソコンPC-8001・6001』p.66 ^ 多摩豊『テレビゲームの神々 RPGを創った男たちの理想と夢』光栄、1994年、pp.102-104. ^ 滝田誠一郎『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡』青春出版社、2000年、pp.166-168. ^ 志田英邦『ゲーム・マエストロ VOL.2 プロデューサー/ディレクター編(2)』毎日コミュニケーションズ、2000年、p.16。中村光一インタビュー。 ^ 志田英邦『ゲーム・マエストロ VOL.2』p.24. ^ ““歩くドラクエ”だった『テクテクテクテク』が『ポケモンGO』と共存する“一生歩けるRPG”になるまで──『不思議のダンジョン』生みの親・中村光一×麻野一哉が贈る“リアルな冒険”の開発秘話”. 電ファミニコゲーマー. 2019年2月18日閲覧。 ^ 『ジャングル少年ジャン番外編ドッキンばぐばぐアニマル』1巻。 スパイク・チュンソフト VIAF 日本 日本のコンピュータゲームデザイナー 日本のコンピュータゲームディレクター 日本のコンピュータゲームプロデューサー 日本のゲームプログラマー スパイク・チュンソフトの人物 20世紀日本の実業家 21世紀日本の実業家 電気通信大学出身の人物 香川県立丸亀高等学校出身の人物 香川県出身の人物 1964年生 存命人物 プロジェクト人物伝項目 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/15 01:12更新
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nakamura kouichi
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