中條精一郎の情報(ちゅうじょうせいいちろう) 建築家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
中條精一郎の情報まとめ
中條 精一郎(ちゅうじょう せいいちろう)さんの誕生日は1868年5月10日です。山形出身の建築家のようです。
卒業、父親に関する情報もありますね。1936年に亡くなられているようです。
中條精一郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)中條 精一郎(ちゅうじょう せいいちろう、旧字体:中條 精󠄀一郞、慶応4年4月18日(1868年5月10日) - 昭和11年(1936年)1月30日)は、日本の建築家。曽禰達蔵とともに曽禰中條建築事務所を主宰し、オフィスビルを中心にして多くの建築作品を手がけた。 米沢(現・山形県米沢市)生まれ。幕末の米沢藩士中條政恒の長男。東京帝国大学建築学科を卒業後、文部省の建築技師となり、建築課札幌出張所長として札幌農学校などの建設に当たった。同校土木工学科の建築学講師の嘱託も務めた。1902年に東京に戻り千駄木に一家を構えたが、翌年旧米沢藩主家の上杉憲章とともにイギリスに留学(1904-1907年)、ケンブリッジ大学で建築を学んだ。 帰国後文部省を退官し、1908年に曽禰達蔵とともに東京丸の内に設計事務所を開設。慶應義塾の記念図書館が最初期の代表作である。曽禰中條建築事務所はオフィスビルの佳作を多く生み出した。1928年5月、フランス政府からレジオンドヌール勲章シュヴァリエを贈られた。 晩年には「建築士法」の成立に尽力し、また国民美術協会の会頭も15年間務めた。墓所は青山霊園(1ロ8-33)。 父・中條政恒 ‐ 米沢藩士 妹・てい ‐ 三越会長・倉知誠夫の妻。明治女学校出身。 妻・中條葭江 ‐ 西村茂樹の次女。華族女学校を首席で卒業し昭憲皇后から『言海』を賜わったという才媛であり、『葭の影』の著書もある 長女・宮本百合子 ‐作家。夫に荒木茂 (言語学者)、宮本顕治。 17歳で小説『貧しき人々の群』を著し天才少女と呼ばれた。父親について自伝的作品のほか「わが父」、「父の手紙」、「父の手帳」などで触れている。 長男・中條国男 ‐ 建築家。東京美術学校建築科卒。妻の咲枝は父方いとこ(倉知誠夫・ていの二女) 二男・中條英男 ‐ 大学受験前に自殺 札幌農学校昆虫及養蚕学教室、動植物学教室、図書館(現北海道大学)登録有形文化財 リデル・ライト両女史記念館(1918年、熊本)登録有形文化財 上杉伯爵邸(1925年、米沢市、現米沢市上杉記念館)登録有形文化財 旧山形県庁舎及び県会議事堂(1916年、山形)設計:田原新之助(中條は顧問として参画)重要文化財 (主なもの) 慶應義塾図書館旧館(1912年、東京都)重要文化財 東京海上ビル(1918年、現存しない) 旧日本郵船神戸支店ビル(1918年、神戸市) 郵船ビル(1923年、東京都。現存しない) 旧鹿児島県庁舎(1925年、鹿児島市。玄関部のみ現存) 慶應義塾塾監局(1926年、東京都) 小笠原伯爵邸(1927年) 旧三井銀行小樽支店(1927年、小樽市)重要文化財 慶應義塾大学病院予防医学教室(1929年、東京都) 明治屋ビル(1933年、東京都) 講談社ビル(1933年、東京都) 慶應義塾大学日吉第一・第二校舎(1934-36年、横浜市) 岩崎家熱海別邸(1935年、熱海市) 三井住友銀行大阪中央支店(1936年、大阪市) ^ 宮本百合子 自己形成への軌跡−デビュー作『貧しき人々の群』が書かれるまで正本君子、日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.6, 427-438 (2005) ^ 中條精一郎年譜 8頁(荒城季夫 『中條精一郎』 国民美術協会、1937年) ^ 倉知誠夫『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月] ^ 倉知 誠夫(読み)クラチ マサオコトパンク 荒城季夫 『中條精一郎』 国民美術協会、1937年 中條建築事務所 『曽禰達蔵・中條精一郎建築事務所作品集』 1939年 高松政雄、徳大寺彬麿、中村順平 事務所のスタッフ 中條 精一郎/米沢市役所 ISNI VIAF 日本 20世紀日本の建築家 戦前日本の文部官僚 宮本百合子 レジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章者 東京大学出身の人物 出羽国の人物 山形県出身の人物 1868年生 1936年没 プロジェクト人物伝項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/20 13:06更新
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chuujou seiichirou
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