今泉健司の情報(いまいずみけんじ) 将棋 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
今泉 健司さんについて調べます
■名前・氏名 |
今泉健司と関係のある人
今泉健司の情報まとめ
今泉 健司(いまいずみ けんじ)さんの誕生日は1973年7月3日です。広島出身の将棋棋士のようです。
家族、姉妹、兄弟、卒業、現在、テレビ、ドラマ、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。今泉健司の現在の年齢は51歳のようです。
今泉健司のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)今泉 健司(いまいずみ けんじ、1973年7月3日 - )は、将棋棋士。棋士番号は299。愛知県豊橋市生まれ、広島県福山市出身。桐谷広人七段門下(1999年に奨励会を年齢制限で退会する前は、小林健二九段門下)。 2014年度に実施されたプロ編入試験に合格し、2015年4月1日付でプロ棋士四段となった。なお、プロ入り直前のアマ段位は七段であった。 家族は父母姉妹。愛知県豊橋市生まれ。社会保険労務士関係の仕事をしていた父の都合で、6歳のとき岡山市に転居。小学校の図書室で読みふけった偉人の伝記で将棋に出会う。小学校4年生のときに広島県福山市に引っ越した。 出身の広島県の隣県である岡山県出身の菅井竜也とは親しく、子どもの頃に将棋を教えたほか、後援会会員であった。三段リーグ編入試験では、初段の菅井と対局し敗れている。詰将棋の作者としても、詰将棋パラダイス半期賞受賞の実績を有する。 小学2年で父から教えられ将棋を覚える。関西研修会に入会後、関西奨励会を受験も1回目は不合格。翌年関西研修会でクラスを上げ1987年9月に中学2年で関西奨励会編入。関西同期では四段入りしたものは居らず、関東同期では川上猛・三浦弘行・田村康介ら。1994年の第15回から三段リーグに在籍していたが、1999年の第25回で年齢制限により退会。この奨励会時代の師匠は小林健二。 奨励会入会後は、上阪し師匠小林宅の近くで一人暮らしを始める。一人暮らしで将棋以外の遊びも覚え、1992年には師匠から「広島に帰ってやり直せ」と叱責され実家に戻った。将棋に対する熱意は捨てがたく、地元でのアマ強豪の励ましもあり飲食店でアルバイトをしながら塾生を続けた。退会まで三段リーグの成績は、11期198戦101勝97敗と勝ち越していた。 三段リーグ初参加の第15回の成績は5勝13敗と降段点を喫する寸前であった。このうち1勝は、対局相手が直前に途中退会したための不戦勝であり、他4勝は全て後に棋士となる相手からであった(野月浩貴、堀口一史座、山本真也、増田裕司)。この成績は、途中退会者を除き最下位の成績。 第18回は瀬川晶司が年齢制限で奨励会を退会した期で、大崎善生著「将棋の子」にも取り上げられた混戦の回であり、最終日に昇段の可能性があったのは、自力昇段の12勝4敗の3名(1位堀口一史座、14位野月浩貴、23位藤内忍)と他勝敗に影響される11勝5敗の2名(6位中座真と11位今泉)と10勝6敗の3位木村一基までの6名。今泉は連勝のみ昇段の可能性があったが、1局目の木村に敗れ昇段を逃す。昇段はなくなったが、2局目の勝てば自力昇段の中座に勝利する。中座が1局目に勝利していたため同じ12勝6敗であったが、順位は中座の方が上位(前期中座は10勝8敗、今泉は9勝9敗)であったため次点に終わり昇段できなかった。 第21回は、次点の弟弟子伊奈祐介と同星の11勝7敗であったが、順位が4位伊奈で5位今泉のため今泉は次々点であった。なお直接対決では敗れている。伊奈は次期も次点を獲得し、次点2回で制度変更後初のフリークラスの四段昇段を果たしている。12勝6敗の2位で昇段した増田裕司は年齢制限ぎりぎりであり、直接対決では今泉が敗れている。 第23回は、最終的に昇段した山本真也と中尾敏之の同星である12勝6敗の成績も、順位差で次点に終わる。最終日までに連勝で無条件の11勝5敗の2名(8位安用寺孝功と19位今泉)と10勝6敗の5名(1位山本、2位金沢孝史、3位大平武洋、4位松本秀介、7位中尾)の7名に昇段の可能性があった。1局目の大平には勝利したが、2局目の中尾に敗れた。敗れた場合でも順位上位の11勝6敗の3名(山本対大平、松本対宮田敦史、安用寺対金沢)が後者に負けた場合のみ、中尾と共に昇段であったが、山本が勝利したため今泉は昇段を逃した。なお中尾は、畠山成幸と畠山鎮以来の兄弟棋士を目指した松本秀介(第17回にプロ入りした松本佳介の3学年下の弟)が敗れたため、昇段を果たした。 第18回、第23回と2度次点を獲得しているが、「次点2回でフリークラス編入」という規定ができたのは第20回のため、第18回の次点はカウントされず、第23回三段リーグを終えた時点でフリークラス編入の権利は与えられなかった。1999年度前期の第25回三段リーグで26歳の年齢制限を迎え、奨励会を退会する。 退会後、通信制高校を卒業。レンタルビデオ店アルバイトを経て日本レストランシステムの正社員となる。その傍ら、将棋も続けアマチュア棋戦に参加。アマ竜王戦準優勝により参加した2003年の第16期竜王戦6組では、藤倉勇樹、安西勝一、佐藤義則とプロ棋士を立て続けに破り、ベスト8に進出した。準々決勝では、先述の因縁の相手である中尾敏之に敗れた。 2006年には、3つのアマチュア棋戦で優勝を収め、秋山太郎とともに、2007年に創設された三段編入試験(6勝で合格、3敗で不合格)の第一号の適用者となった。試験では6勝1敗(後述)の成績を収め合格した(秋山は5勝3敗で惜しくも不合格)。その秋山とは、日本レストランシステムに入社を誘われ、ともに調理師として働いていた仲であった。再度の奨励会入りに際して、小林健二に師匠を依頼したが、小林は再び労苦を共にするのは辛いと考え、今泉と同郷の桐谷広人に師匠を託した。なお現在に至るまで三段編入者は他に出ておらず、今泉は史上唯一の三段編入試験合格者である。 2007年の第41回から2008年の第44回の4期、奨励会三段リーグに参加したが、四段に昇段することはできず、規定 により退会した。この間の最高成績は9位(2回)、4期通算の勝敗数は33勝39敗と負け越し。この奨励会在籍中に、2手目△3二飛戦法の開発により、将棋大賞の升田幸三賞を受賞した。奨励会員の受賞は史上初。再度の奨励会退会後、畠山鎮の紹介で証券会社に勤めた後、地元福山市で介護職として働く。 2013年の第26期竜王戦6組は、八代弥、東和男、藤森哲也のプロ棋士3人に勝ち、第16期以来10年ぶりにベスト8に進出。竜王戦6組でプロ3人抜きを2度達成したアマチュアは今泉のみである。2014年6月8日、朝日アマ名人戦で5連覇中の清水上徹を2勝1敗で降して初優勝し、史上2人目(史上初は桐山隆)のアマタイトル大三冠(アマ竜王戦、アマ名人戦、朝日アマ名人戦)を達成した。同年7月5日、朝日杯オープンのプロアマ一斉対局で星野良生に勝利し、プロ編入試験の条件である対プロ棋士戦績が良いところをとって10勝かつ勝率6割5分を満たし、受験することを表明した。7月22日に日本将棋連盟へ2度目の奨励会と同様桐谷広人を師匠とし、プロ編入試験の受験申込を行った。 同年8月1日、朝日杯オープン一次予選2回戦で船江恒平を降し、3回戦に進出を決める。9月3日、3回戦の相手はプロアマの師弟対決2例目となる奨励会時代の師匠の小林健二。小林は和服で現れ、相入玉の末持将棋に1点足りず249手で今泉が勝ち、恩返しを果たす。小林からは「よくがんばった」「もう少し序盤を研究したほうがいい」などと労いの声を掛けられた。同日の1次予選決勝では、長沼洋に敗れた。同年9月19日、プロ編入試験第1局を4日後に控えた状態で銀河戦に出場。Fブロック1回戦で所司和晴に勝利する。プロ編入試験2局目から4日後の10月9日、先述2回戦で八代弥に、前年竜王戦6組の借りを返された。同年11月30日、3連覇中のアマ王将戦決勝で、元アマ王将の中川慧梧に敗れ4連覇を逃す。 編入試験の対局は、現地で大盤解説会が開かれ、将棋連盟のモバイル中継やニコニコ生放送においても棋譜及び解説が放送された。 試験は棋士番号が若い順に新四段と最大5局指し3勝または3敗した時点で終了という規定で行われた。 5局の前後番は1局目開始直前に振り駒を行い、歩が3枚出たため、後手となった。そのため奇数局が後手、偶数局が先手に決定した。 第1局は、9月23日に関西将棋会館で指され、宮本広志四段に140手で白星を挙げる。宮本とは第42回三段リーグと第44回の2度対局して全敗していた。 第2局は、10月5日に同じく関西将棋会館で指され、先述プロ編入試験に必要な10勝目を献上した星野良生四段と再戦。145手で勝利し、プロ入りに王手をかけた。星野とは第34回でも対局しており、その時は負けていた。 第3局は、11月18日に対局相手の三枚堂達也四段の所属する東京の将棋会館で指され、139手で敗れストレート勝ちでのプロ入りは叶わなかった。三枚堂は初三段リーグ入りが今泉退会後の第53回のため、前述2名とは異なり対局は初であった。なお、三枚堂は三段リーグを1期で四段昇段を果たしている。 第4局は、12月8日に将棋会館で石井健太郎四段と指し、105手で勝利。編入試験で3勝目を挙げ、2015年4月1日付でプロ四段となることを決めた。プロ編入試験が制度化されてからの合格者第1号であり、かつ、41歳でのプロ入りとなるため、新四段の最高齢記録(戦後)を更新した。石井は三段リーグ入りが第47回のため、三枚堂同様初対局であった。 今泉以前にアマから奨励会からの昇段を経ないでプロ棋士になったのは花村元司と瀬川晶司がいるが(うち花村は飛付五段で四段以下を経験しなかった)それぞれ特例でのプロ入りであり、プロ編入が制度化されてからのプロ編入試験受験者第一号となった。 プロ編入試験合格後、ブログ「今泉健司さんを応援する会公式ブログ」は「今泉の日常」と名前を変えた。2014年末限りで介護施設を退職し、将棋一本での生活に入る意思表示をした。2015年の指し初め式にはプロ棋士予定者として、元師匠である小林の誘いにより参加を果たしている。 2015年2月21日、囲碁将棋チャンネルでプロ編入記念対局と銘打ち、プロ編入の先輩である瀬川晶司と対局して敗れる。 2015年度、4月1日付で四段に昇段して正式に棋士となった。フリークラス編入のため順位戦には参加できず、10年以内のC級2組昇格を目指すことになった。 2016年度、11月17日の王位戦予選で畠山鎮に勝利して直近30局の対戦成績を20勝10敗(勝率.667)とし、順位戦C級2組への昇級条件の一つ「2.良い所取りで、30局以上の勝率が6割5分以上であること」を満たして順位戦C級2組への昇級を決めた。 2017年度、初参加となる第76期順位戦C級2組では、7連勝の後に2連敗して2018年3月15日の最終局をキャンセル待ち(自力では昇級できない)で迎え、最終局(対 瀬川晶司)に勝利したものの最終成績は8勝2敗となり、頭ハネでC級1組への昇級を逃した。 2018年度、第68回NHK杯テレビ将棋トーナメントで予選を勝ち抜き本戦に初出場した。7月15日放映の1回戦で藤井聡太を破り、「史上最年長で棋士になった今泉が、史上最年少で棋士になった藤井聡太を撃破」と話題を呼んだ。今泉と藤井は共に関西所属だが、この対局が初手合であった。続く2回戦で深浦康市を破りベスト16に入るも、3回戦で久保利明に破れた。 2020年6月1日、プロ通算100勝目を賭けたヒューリック杯棋聖戦一次予選・出口若武四段相手に2手差しの反則で負け。なお次戦6月18日順位戦C級2組1回戦・田中悠一五段に勝利し五段昇段を決めている。 アマ時代は、純粋な振り飛車党だったが、プロ編入後は、振り飛車党同士の対局のみ、居飛車を採用している。 遅咲きかつ奨励会退会後にプロ編入した数少ない実績としてNHKの将棋番組などで取り上げられるが、将棋研究をしなければいけない時間すらパチンコに逃げてしまったこともあるほどのギャンブラーであり、ギャンブルのやりすぎで将棋にマイナスに働いたこともある。 1986年 関西研修会C2入会 1987年 研修会A2昇級、小林健二門下で奨励会6級編入 1987年 初段 1994年 三段リーグ入り 1999年 年齢制限により奨励会を退会(三段リーグ通算101勝97敗、最高3位2回) 2001年 全国アマチュア将棋レーティング選手権優勝、グランドチャンピオン戦優勝 2002年 アマチュア竜王準優勝 2003年 第16期竜王戦ランキング戦6組でプロ棋士3人を破り、ベスト8進出 2005年 アマチュア竜王準優勝 2006年 アマチュア竜王、アマチュア王将、平成最強戦優勝 2007年2月3日~3月28日 奨励会三段リーグ編入試験合格 2007年4月30日 第41回奨励会三段リーグに参加 2009年3月14日 第44回奨励会三段リーグ戦を5勝13敗で終え、再び奨励会を退会(三段リーグ編入後通算33勝39敗、最高9位) 2011年 アマチュア名人、アマチュア王将 2012年 アマチュア王将2連覇(史上初の連覇及び最多優勝の更新)、アマチュア竜王準優勝 2013年 第26期竜王戦ランキング戦6組でプロ棋士3人を破り、ベスト8進出、アマチュア王将3連覇(史上初の3連覇及び最多優勝の更新) 2014年 朝日アマ名人戦全国大会で優勝し、朝日アマ名人に挑戦し2-1で奪取に成功。アマ将棋「大三冠」を達成。プロ編入試験で3勝し、編入試験に合格する(プロ編入は2015年4月1日付)。 2015年 プロ棋士四段 1987年00月00日 : 6級 = 奨励会入り 1994年00月00日 : 三段 1999年09月30日 (奨励会退会、年齢制限) 2007年04月01日 : 三段(三段編入試験合格) 2009年03月31日 (奨励会退会、在籍期限=2年間) 2015年04月01日 : 四段(棋士編入試験合格) = プロ入り 2020年06月18日 : 五段(勝数規定/公式戦100勝、通算100勝77敗) 第35回(2007年度)升田幸三賞(2手目△3二飛) 段位・肩書きは対局時点。6勝、または3敗した時点で終了。 対局は全て関西将棋会館で行われた。 段位・肩書きは申請時点。3勝、または3敗した時点で終了。 1局目と2局目は関西将棋会館、3局目と4局目は将棋会館(東京都渋谷区)で指された。 4局目までに3勝を挙げ、四段編入が決まったため、5局目は行われなかった。 1局目に振り駒で手番を決定し後手番となった。奇数局は1局目と同じく後手番、偶数局は逆の先手番となる。 アマチュアとして、プロ棋士との公式戦対局の成績を記述する。三段リーグ編入試験以前と奨励会退会以降で分割する。 奨励会2度目の退会以降 段位・肩書きは対局時点。 プロ編入試験の条件である良いところから見て10勝時点を満たした時点で、10勝4敗勝率0.714。2012年以降では、13勝7敗勝率0.65。 最強アマ直伝! 勝てる将棋、勝てる戦法. マイナビ将棋BOOKS. マイナビ. (20140423). ISBN 978-4839951344 介護士からプロ棋士へ 大器じゃないけど、晩成しました. 講談社. (20150326). ISBN 978-4062194389 プロ合格の原動力! 今泉の勝てる中飛車. マイナビ将棋BOOKS. マイナビ. (20151215). ISBN 978-4839957827 自由自在! 中飛車の新常識. マイナビ将棋BOOKS. マイナビ. (20181121). ISBN 978-4839967680 受けが弱いと将棋は勝てない 今泉流受けの極意. マイナビ将棋BOOKS. マイナビ. (20191114). ISBN 978-4839971236 WELFARE group presents それU.K.!! ミライbridge(FM大阪、2020年4月26日) ^ 「奨励会三段リーグ編入試験」の合格者は三段リーグには最長4期しか在籍できず、勝ち越し延長も認められていない ^ アマ強豪の今泉さん、悲願のプロ棋士に!編入試験に合格 - スポーツニッポン 2014年12月8日 ^ 2015年4月1日付昇級・昇段者 更新: 2015年4月 1日 13:40 - 日本将棋連盟 ^ 藤井聡太七段を撃破!介護士からプロ棋士へ、今泉健司四段「3度目の逆転人生」 -週刊女性2020年6月23日号 ^ 菅井竜也後援会竜棋会 ^ 今泉さん大健闘 朝日杯将棋予選、プロに3連勝朝日新聞 2014年9月9日 ^ 元奨の真実 将棋世界 2006年10月号 ^ 第15回アマチュア竜王戦日本将棋連盟 2002年 ^ 第16期竜王戦【6組】ランキング戦・昇級者決定戦日本将棋連盟 2003年 ^ 今泉流振り飛車人生ファイル12 進撃篇今泉健司さんを応援する会公式ブログ 2014年9月22日 ^ 朝日アマ将棋名人の今泉さん、プロ編入試験を受験へ朝日新聞 2014年7月5日 ^ 「アマチュアの今泉健司さん、プロ編入試験受験へ」『』2014年7月24日。オリジナルの2018年7月15日時点におけるアーカイブ。2018年7月15日閲覧。 ^ 初は2004年の朝日オープン将棋選手権1次予選2回戦、桐山隆アマと石田和雄戦。結果は桐山が勝ち ^ アマの今泉名人、1次予選で敗退 朝日杯将棋オープン戦朝日新聞 2014年9月4日 ^ 「今泉健司氏、プロ合格」『日本将棋連盟』2014年12月8日。オリジナルの2018年7月15日時点におけるアーカイブ。2018年7月15日閲覧。 ^ 今泉アマが編入試験合格 産経ニュース 2014年12月8日 ^ 将棋一本の生活へ 今泉の日常 2014年12月27日 ^ 指し初め式 今泉の日常 2015年1月8日 ^ プロ編入記念対局 ~今泉健司新四段 vs 瀬川晶司五段~囲碁将棋チャンネル 2015年4月4日閲覧 ^ 「今泉健司四段、 フリークラスからC級2組へ昇級」『日本将棋連盟』2016年11月18日。オリジナルの2018年7月15日時点におけるアーカイブ。2018年7月15日閲覧。 ^ 相崎修司「第76期順位戦最終局-C級2組 最後の最後に起こったドラマ」、『将棋世界』(2018年5月号)、日本将棋連盟 pp. 82-89 ^ “史上最年少ルーキー藤井聡太七段、NHK杯1回戦で戦後最年長ルーキーの今泉健司四段に敗れる” (日本語). スポーツ報知. (2018年7月15日). オリジナルの2018年7月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180715131613/https://www.hochi.co.jp/entertainment/20180715-OHT1T50074.html 2018年7月15日閲覧。 ^ 苦労人・今泉健司四段(46)五段昇段の一番を「二手指し」の反則負けで落とすYahoo!ニュース(松本博文)2020年6月1日、6月19日閲覧 ^ 遅咲きのオールドルーキー今泉健司新五段(46)デビュー以来6年目で通算100勝を達成し昇段を決めるYahoo!ニュース(松本博文)2020年6月19日 ^ 逆転人生 「凡人、天才に勝つ 遅咲き棋士の大勝負」 ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。 ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。 ^ [1] ^ [2] ^ [3] ^ [4] ^ [5] ^ [6] ^ [7] ^ [8] ^ [9] ^ [10] ^ “FM大阪「WELFARE group presents それU.K.!! ミライbridge 2020年4月25日」”. 2020年4月25日閲覧。 棋士紹介:今泉 健司- 日本将棋連盟 今泉健司のブログ(新ブログ) 今泉の日常(旧ブログ、元「今泉健司さんを応援する会」公式ブログ) チーム久保 (@Team_Kubo) - X(旧Twitter) 表 話 編 歴 竜王・名人(王位・王座・棋王・王将・棋聖) 藤井聡太 (永世王位・永世棋聖) 叡王 伊藤匠 十七世名人 谷川浩司 九段 羽生善治 (永世竜王・ 九段 佐藤康光 (永世棋聖) 九段 森内俊之 (十八世名人) 九段 渡辺明 (永世竜王・ 南芳一 高橋道雄 藤井猛 塚田泰明 丸山忠久 郷田真隆 森下卓 屋敷伸之 福崎文吾 中村修 島朗 深浦康市 久保利明 井上慶太 三浦弘行 先崎学 佐藤天彦 鈴木大介 木村一基 豊島将之 行方尚史 阿部隆 永瀬拓矢 脇謙二 広瀬章人 富岡英作 中川大輔 日浦市郎 浦野真彦 北浜健介 泉正樹 山崎隆之 阿久津主税 神谷広志 糸谷哲郎 松尾歩 稲葉陽 神崎健二 真田圭一 野月浩貴 畠山成幸 中田功 杉本昌隆 畠山鎮 菅井竜也 斎藤慎太郎 佐藤秀司 長沼洋 飯島栄治 有森浩三 小倉久史 堀口一史座 中村太地 佐々木勇気 飯塚祐紀 村山慈明 小林裕士 千田翔太 増田康宏 (中座真) 所司和晴 豊川孝弘 平藤眞吾 田村康介 藤原直哉 北島忠雄 矢倉規広 佐藤紳哉 阿部健治郎 窪田義行 戸辺誠 木下浩一 川上猛 大石直嗣 千葉幸生 岡崎洋 宮田敦史 高見泰地 片上大輔 西尾明 八代弥 三枚堂達也 横山泰明 村中秀史 佐藤和俊 村田智弘 佐々木慎 近藤誠也 勝又清和 高崎一生 澤田真吾 安用寺孝功 都成竜馬 梶浦宏孝 近藤正和 及川拓馬 阿部光瑠 松本佳介 佐々木大地 大橋貴洸 石井健太郎 船江恒平 増田裕司 渡辺和史 高野秀行 大平武洋 金井恒太 山本真也 中村亮介 西川和宏 村田顕弘 遠山雄亮 阪口悟 瀬川晶司 青嶋未来 長岡裕也 牧野光則 黒沢怜生 伊藤真吾 高野智史 渡辺大夢 渡辺正和 出口若武 服部慎一郎 本田奎 田中悠一 古賀悠聖 池永天志 島本亮 石田直裕 佐藤慎一 門倉啓太 宮本広志 藤森哲也 竹内雄悟 上村亘 古森悠太 今泉健司 星野良生 黒田尭之 西田拓也 井出隼平 杉本和陽 斎藤明日斗 石川優太 折田翔吾 長谷部浩平 山本博志 冨田誠也 高田明浩 藤本渚 狩山幹生 井田明宏 谷合廣紀 横山友紀 岡部怜央 徳田拳士 齊藤裕也 小山怜央 小山直希 森本才跳 柵木幹太 宮嶋健太 上野裕寿 (2024年04月1日付 昇段者) 山川泰熙 高橋佑二郎 (2024年10月1日付 昇段者) 獺ヶ口笑保人 吉池隆真 表 話 編 歴 第36期 竜王 藤井聡太 伊藤匠 稲葉陽 羽生善治 永瀬拓矢 丸山忠久 広瀬章人 木村一基 松尾歩 森内俊之 久保利明 都成竜馬 山崎隆之 渡辺明 豊島将之 佐藤康光 菅井竜也 斎藤慎太郎 (在籍17名/1名超過) 佐藤天彦 阿部健治郎 八代弥 三枚堂達也 糸谷哲郎 ★佐々木勇気 高見泰地 増田康宏 屋敷伸之 藤井猛 深浦康市 佐藤和俊 三浦弘行 郷田真隆 阿久津主税 近藤誠也 鈴木大介 佐々木慎 及川拓馬 澤田真吾 行方尚史 大橋貴洸 中村修 千田翔太 梶浦宏孝 金井恒太 西川和宏 黒沢怜生 大石直嗣 佐々木大地 池永天志 本田奎 高橋道雄 野月浩貴 飯島栄治 遠山雄亮 石井健太郎 高野智史 宮田敦史 戸辺誠 杉本昌隆 村山慈明 船江恒平 渡辺大夢 飯塚祐紀 横山泰明 阿部光瑠 折田翔吾 北浜健介 北島忠雄 中座真 佐藤紳哉 高崎一生 伊藤真吾 村田顕弘 青嶋未来 谷川浩司 川上猛 村中秀史 石川優太 服部慎一郎 石田直裕 杉本和陽 (在籍31名/1名欠員) 中村太地 小林裕士 千葉幸生 西尾明 阪口悟 藤森哲也 真田圭一 高田明浩 井上慶太 窪田義行 矢倉規広 門倉啓太 阿部隆 畠山鎮 斎藤明日斗 長谷部浩平 南芳一 先崎学 日浦市郎 中川大輔 片上大輔 渡辺正和 竹内雄悟 星野良生 田村康介 伊奈祐介 村田智弘 佐藤慎一 出口若武 渡辺和史 井田明宏 狩山幹生 森下卓 安用寺孝功 瀬川晶司 古賀悠聖 富岡英作 藤原直哉 牧野光則 藤本渚 島朗 塚田泰明 神谷広志 豊川孝弘 高野秀行 中村亮介 井出隼平 岡部怜央 齊藤裕也 室岡克彦 有森浩三 木下浩一 岡崎洋 近藤正和 長岡裕也 田中悠一 西田拓也 古森悠太 青野照市 脇謙二 浦野真彦 堀口一史座 所司和晴 平藤眞吾 増田裕司 島本亮 宮本広志 山本博志 黒田尭之 谷合廣紀 冨田誠也 横山友紀 長沼洋 佐藤秀司 勝又清和 松本佳介 今泉健司 福崎文吾 神崎健二 徳田拳士 大平武洋 上村亘 小倉久史 泉正樹 山本真也 中田功 畠山成幸 小山怜央 小山直希 森本才跳 柵木幹太 宮嶋健太 上野裕寿 (出場棋士61名) 西山朋佳 福間香奈 伊藤沙恵 加藤桃子 (出場4名) 慶田義法アマ 竹内広也アマ 小林康太郎アマ 中川慧梧アマ (出場4名) 山下数毅(三段) (出場1名) 山川泰熙 高橋佑二郎 (左記2名 4月昇段) 獺ヶ口笑保人 吉池隆真 (左記2名 10月昇段) 表 話 編 歴 第82期 名人 藤井聡太 豊島将之 永瀬拓矢 渡辺明 菅井竜也 稲葉陽 佐藤天彦 佐々木勇気 中村太地 千田翔太 増田康宏 広瀬章人 斎藤慎太郎 近藤誠也 澤田真吾 羽生善治 大橋貴洸 糸谷哲郎 佐藤康光 三浦弘行 山崎隆之 大石直嗣 高見泰地 石井健太郎 屋敷伸之 木村一基 横山泰明 青嶋未来 谷川浩司 深浦康市 村山慈明 松尾歩 北浜健介 渡辺和史 郷田真隆 佐々木慎 行方尚史 阿久津主税 戸辺誠 及川拓馬 久保利明 丸山忠久 藤井猛* 中川大輔* 鈴木大介* 服部慎一郎 古賀悠聖 伊藤匠 髙﨑一生* 杉本昌隆* 阿部隆 中村修 畠山鎮 飯島栄治 井上慶太 都成竜馬 出口若武 斎藤明日斗 黒田尭之 三枚堂達也 古森悠太 先崎学 西田拓也 宮田敦史 西尾明 片上大輔 門倉啓太 佐藤和俊 宮本広志 村田顕弘* 千葉幸生* 野月浩貴 金井恒太* 飯塚祐紀 船江恒平 畠山成幸* 阿部健治郎 冨田誠也 高田明浩 藤本渚 真田圭一* 阪口悟* 窪田義行* 北島忠雄* 高橋道雄 日浦市郎 梶浦宏孝 八代弥 岡部怜央 石田直裕 村中秀史 池永天志 石川優太 星野良生* 谷合廣紀* 高野智史 佐藤紳哉* 佐々木大地 徳田拳士 狩山幹生 黒沢怜生 中村亮介 井出隼平* 佐藤慎一* 本田奎 山本博志 森下卓 伊藤真吾* 西川和宏* 渡辺大夢 井田明宏 牧野光則 横山友紀* 小山直希 森本才跳 杉本和陽 遠山雄亮* 佐藤秀司 田村康介 藤森哲也 阿部光瑠* 島朗 長岡裕也** 齊藤裕也 今泉健司 長谷部浩平* 上村亘** 小林裕士* 田中悠一** 髙野秀行* 平藤眞吾* 安用寺孝功** 瀬川晶司** 折田翔吾 宮嶋健太 上野裕寿 山川泰熙 高橋佑二郎 竹内雄悟 柵木幹太 矢倉規広 堀口一史座 大平武洋 村田智弘 島本亮 渡辺正和 中田功 岡崎洋 藤原直哉 小倉久史 長沼洋 増田裕司 近藤正和 森内俊之 豊川孝弘 勝又清和 塚田泰明 富岡英作 南芳一 浦野真彦 神崎健二 松本佳介 神谷広志 山本真也 脇謙二 泉正樹 所司和晴 福崎文吾 有森浩三 木下浩一 川上猛 (竜王戦 4組/特例出場1期目→5組/特例出場2期目) 伊奈祐介 (2024年5月10日 引退) 青野照市 (2024年6月13日 引退) 室岡克彦 (2024年6月18日 引退) 中座真 (2024年6月19日 引退) 小山怜央 (2024年7月15日 昇級決定) 獺ヶ口笑保人 吉池隆真 表 話 編 歴 95 内藤國雄 96 中原誠 97 藤井猛 98 青野照市 99 中座真 00 米長邦雄 01 三浦弘行 02 近藤正和 03 児玉孝一 04 谷川浩司 , <立石勝己> 05 鈴木大介 06 淡路仁茂 , <森下卓> 07 佐藤康光 08 今泉健司 , <真部一男> 09 久保利明 10 飯島栄治 11 星野良生 12 佐藤康光 , <山崎隆之> 13 藤井猛 14 松尾歩 15 菅井竜也 , <塚田泰明> 16 富岡英作 17 千田翔太 , <加藤一二三> 18 青野照市 , 佐々木勇気 , <大内延介> 19 藤井聡太 , <丸山忠久> 20 elmo , <脇謙二> 21 大橋貴洸 , <藤井聡太> 22 千田翔太 , <田中寅彦> 23 嬉野宏明 24 伊藤匠 , <村田顕弘> VIAF 日本 将棋棋士 広島県出身の人物 1973年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension 名無しリンクを引用している記事/2024年8月 外部リンクがリンク切れになっている記事/2023年10月 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/21 05:43更新
|
imaizumi kenji
今泉健司と同じ誕生日7月3日生まれ、同じ広島出身の人
TOPニュース
今泉健司と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「今泉健司」を素材として二次利用しています。