伊志嶺翔大の情報(いしみねしょうた) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
伊志嶺 翔大さんについて調べます
■名前・氏名 |
伊志嶺翔大の情報まとめ
伊志嶺 翔大(いしみね しょうた)さんの誕生日は1988年5月12日です。沖縄出身の野球選手のようです。
現在、父親、引退、卒業に関する情報もありますね。今年の情報もありました。伊志嶺翔大の現在の年齢は36歳のようです。
伊志嶺翔大のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 伊志嶺 翔大(いしみね しょうた、1988年5月12日 - )は、沖縄県平良市(現:宮古島市)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 現在は、千葉ロッテマリーンズ二軍外野守備兼走塁コーチ。 小学1年時にスポーツ少年団に入り野球を始める。野球の練習がない時は海に飛び込んで魚を捕まえていた野生児気質だった。2年の時に宮古島キャンプに来ていたオリックス・ブルーウェーブの野球教室に参加し、そこでイチローからサインを貰ったことでプロ野球選手になりたいという思いが強くなる。3年からは高校で陸上部の顧問をしていた父親に陸上選手としての指導を受け、代表選手として出場した宮古地区大会では新記録で優勝。中学時代は軟式野球部で主に投手を務め、内野手と外野手も経験する。陸上では2年時に県大会の200mで優勝した。 高校進学にあたって陸上選手として複数校から勧誘されたが、野球選手の道を進むため沖縄尚学高に推薦入学する。1学年先輩に比屋根渉、2学年後輩に東浜巨がいた。1年時4月のオープン戦で本塁打を放ち、打撃に目覚めたことで外野手に専念。夏にレギュラーとなったが秋にはその座を奪われ、翌春のセンバツと夏の甲子園では代打として1打席ずつの出場に終わる。秋は九州大会で敗退、3年時の夏も県大会準決勝で敗退し甲子園出場はならなかった。 大学は東海大学に進学。高校3年時の春に左肩を脱臼し、その後も繰り返していたため、進学前に手術を受けた。入学後の3か月はリハビリに努める。同時にウエイトトレーニングなどをこなしていたことで復帰後の練習にも遅れることなく、2年春からレギュラーに定着し夏には第24回ハーレムベースボールウィーク日本代表に選出される。これがプロへ進むための評価を自覚するきっかけとなり、また人生の大きな分岐点になったという。秋に首都リーグベストナインに輝き、同賞を通算4回獲得。大学野球日本代表で3年秋から、東海大では4年から主将を務める。4年時の全日本大学野球選手権大会では15打数9安打、世界大学野球選手権大会でも24打数11安打の成績を残したことでプロのスカウトからは「足はプロでもトップクラス」「大学ではナンバーワンの野手」との評価を受ける。首都大学リーグ通算63試合出場、243打数79安打、打率.325、2本塁打、40打点。 2010年10月28日のプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズとオリックス・バファローズの2球団が1位指名し、抽選の結果ロッテが交渉権を獲得。契約金1億円、年俸1500万円で契約した。背番号は、この年限りで引退した堀幸一が20年間着用していた「5」に決まった。 2011年、開幕一軍入りし、4月14日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦にて初出場。8回には初打席に立ち、プロ初安打となる三塁打を放った。5月頃には左翼手または右翼手としてスタメンに定着するようになり、6月・7月には月間打率が3割を超えるなど好調な打撃を披露した。8月半ばに扁桃炎によって一時離脱して以降調子を落としたが、最終的にはその年の新人としては唯一、規定打席に到達した。また、新人としては2001年の赤星憲広(阪神タイガース)以来10年ぶり、パ・リーグおよび球団の新人としては1997年の小坂誠以来14年ぶりとなる30盗塁も達成した。 2012年は、オープン戦で1番打者として固定されるなど期待されたものの、調子が上がらず開幕スタメンから外れ、その後は二軍に降格するなど2年目のジンクスを味わうシーズンとなった。しかし、二軍では最高出塁率と盗塁王を獲得した。 2013年は、開幕を一軍で迎え、4月16日の北海道日本ハムファイターズ戦で2年ぶりの本塁打を放つ。シーズン序盤は、主に左投手が先発の時にスタメンで出場するも荻野貴司の復帰後は守備固めでの出場が増える。 2014年は、89試合に出場したが、打率.220と不調に終わった。 2015年は、34試合の出場に終わった。 2016年は、右太ももを痛めた影響で3試合の出場に留まり、安打を打つことができなかった。12月8日に背番号を「38」に変更することが発表された。 2018年は、7月10日に一軍に再昇格。はじめは代走や代打での出場だったが、20日のオリックス・バファローズ戦で「7番・中堅手」で出場し、シーズン初の猛打賞を記録。さらに22日のオリックス戦、24日の福岡ソフトバンクホークス戦で2試合連続マルチ安打を記録。18試合の一軍出場ながら打率.283を記録した。 2019年は、プロ入り後初めて一軍の試合に出場できないままシーズンを終え、二軍成績も82試合に出場して打率.192、1打点、5盗塁(3盗塁死)という結果に終わった。10月3日、球団から翌年の契約を結ばないことが通告され、トライアウトを受けずに現役引退を示唆するコメントを残した。戦力外通告を受けるまでの数年は怪我に悩まされていたという。一方で、翌10月4日に、千葉ロッテからコーチ就任要請があったほか、他球団から選手としてのオファーがあったことが明かされた。10月13日、2020年より、一軍のコーチに就任することが発表された。11月17日には、ファン感謝デーにおいて引退式が行われた。 2020年から、ロッテの一軍走塁コーチ兼打撃コーチ補佐兼外野守備コーチ補佐を担当。背番号は81。その後、2022年まで同コーチを、2023年は育成野手コーチ兼二軍走塁コーチを務め、2024年からは二軍外野守備兼走塁コーチを担当する。 50メートル5.7秒、右打者ながら一塁到達4.09秒を記録する俊足を生かした広い守備範囲が持ち味で、守備走塁に重点を置いているという。 打撃では強く柔らかいリストを生かし、広角に鋭い打球を放つ。 主将を務めた世界大学野球でリーダーシップを発揮し、代表チームは周囲から「伊志嶺ジャパン」とも呼ばれた。準決勝でアメリカに敗れた後榎本保監督は会見に一人で出席しようとしたが、自分も行くべきだと考えた伊志嶺も同席して記者の質問に答えている。伊志嶺について、大会の代表メンバーだった斎藤佑樹は「優しくて面白いが、野球に対する姿勢はとても真面目。気配りができる人物」。大石達也は「口ではなくプレーで引っ張るタイプ。信頼できる選手だった」と評している。 これまで対戦した中で一番すごいと思った投手には前田健太を挙げている。 東洋大学の高橋昭雄監督から、マイケル・ジャクソンに似ているため「マイケル」と命名され、そのニックネームで呼ばれることを希望した。 2歳下の弟・大地も翔大と同じく沖縄尚学高から東海大に進み、大学卒業後は千曲川硬式野球クラブに加入、翔大と同じ背番号5をつけている。 プロ野球人生の一番の思い出として、本拠地でプロ初本塁打を放った2011年6月12日の試合後、完成したばかりの自身の応援歌を、大勢のファンと共に初めて聴いたことを挙げている。伊志嶺はこの応援歌を非常に気に入っており、引退セレモニーではファンに感謝を伝えている。 初出場:2011年4月14日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(QVCマリンフィールド)、7回表に左翼手で出場 初打席・初安打:同上、8回裏に小山伸一郎から右中間三塁打 初先発出場:2011年5月4日、対埼玉西武ライオンズ5回戦(西武ドーム)、9番・左翼手で先発出場 初盗塁:同上、2回表に二盗(投手:石井一久、捕手:銀仁朗) 初打点:2011年5月25日、対阪神タイガース1回戦(阪神甲子園球場)、2回表にジェイソン・スタンリッジから左翼線適時二塁打 初本塁打:2011年6月12日、対広島東洋カープ4回戦(QVCマリンフィールド)、7回裏に福井優也から左越決勝3ラン 5(2011年 - 2016年) 38(2017年 - 2019年) 81(2020年 - ) ケツメイシ 『カーニバル』(2011年 - 2019年) 節丸裕一『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』講談社、2011年 ^ 『野球小僧』2010年10月号、白夜書房、雑誌18801-10、90-91頁。 ^ 「ロッテ指名の伊志嶺選手「活躍して沖縄も盛り上がれば」」『朝日新聞』2010年10月29日。2024年3月31日閲覧。 ^ 節丸裕一『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』講談社、2011年。ISBN 978-4-0629-5066-4。 ^ 「新人王へ意欲 伊志嶺がロッテと契約」『スポーツニッポン』2010年11月26日。2024年3月31日閲覧。 ^ 「ドラ1、伊志嶺“ミスターロッテ”継承に意欲」『スポーツニッポン』2010年11月21日。2024年3月31日閲覧。 ^ ルーキー1年目総括『週刊ベースボール』2011年12月26日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-12/26, 41頁。 ^ 「ロッテ伊志嶺550万減「来年、見返すつもりです」」『日刊スポーツ』2016年12月7日。2024年3月31日閲覧。 ^ 「ロッテ 大嶺祐の背番号「11」から「30」に、伊志嶺は「5」→「38」」『スポーツニッポン』2016年12月8日。2024年3月31日閲覧。 ^ 「2019年度 千葉ロッテマリーンズ 個人打撃成績(イースタン・リーグ)」NPB.jp 日本野球機構。2019年10月3日閲覧。 ^ 「ロッテ 10年ドラ1伊志嶺に戦力外通告、引退示唆 大嶺ら7選手にも」『Sponichi Annex』2019年10月3日。2019年10月3日閲覧。 ^ 「【ロッテ】戦力外・伊志嶺に来季1軍入閣を要請…他球団から現役続行オファーも届く」スポーツ報知、2019年10月5日。2019年10月6日閲覧。 ^ 「伊志嶺翔大氏 一軍コーチ就任のお知らせ」千葉ロッテマリーンズ、2019年10月13日。2019年10月13日閲覧。 ^ 「ロッテ伊志嶺翔大は、輝きは失わず。最後は笑顔のヘッドスライディング。」『Number Web』2019年12月2日。2021年12月21日閲覧。 ^ 「2020年コーチング・スタッフのお知らせ」『千葉ロッテマリーンズ』2019年11月1日。2021年12月21日閲覧。 ^ 「ロッテ、来季のコーチングスタッフを発表」『BASEBALL KING』2022年12月14日。2022年12月14日閲覧。 ^ 「ロッテが来季のコーチ陣を発表 腰椎骨折の小坂誠氏は配置転換…引退の2選手が入閣へ」『Full-Count』2023年11月29日。2022年11月29日閲覧。 ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、2頁。ISBN 978-4-331-51519-8。 ^ 『アマチュア野球』第29号、日刊スポーツ出版社、2010年、雑誌66835-98、15-17頁。 ^ 2010ドラフト 有力候補選手一挙紹介 『アマチュア野球』第29号、日刊スポーツ出版社、2010年、雑誌66835-98、20-21頁。 ^ 「伊志嶺のお願い「マイケルって呼んで」」『日刊スポーツ』2010年10月30日。2024年3月31日閲覧。 ^ 「ロッテ・伊志嶺コーチがファン感で引退セレモニー「応援歌が大好きでした」」『SANSPO.COM(サンスポ)』2019年11月17日。2021年1月20日閲覧。 沖縄県出身の人物一覧 東海大学の人物一覧 千葉ロッテマリーンズの選手一覧 第5回世界大学野球選手権日本代表 ハンカチ世代 個人年度別成績 伊志嶺翔大 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE 伊志嶺翔大 (@s_ishi5) - X(旧Twitter) 伊志嶺翔大 (@shota.ishimine) - Instagram 表 話 編 歴 21 吉井理人 70 福浦和也(ヘッド兼打撃) 84 黒木知宏(投手) 82 小野晋吾(投手) 71 村田修一(打撃) 73 金澤岳(バッテリー) 88 金子誠(戦略) 87 根元俊一(内野守備兼走塁) 80 大塚明(外野守備兼走塁) 90 光山英和(一軍・二軍統括兼統括コーディネーター) 86 サブロー(監督) 85 大谷智久(チーフ投手) 78 大隣憲司(投手) 75 堀幸一(打撃) 77 栗原健太(打撃) 76 江村直也(バッテリー) 72 三木亮(内野守備兼走塁) 83 諸積兼司(外野守備) 81 伊志嶺翔大(外野守備兼走塁) 79 松永昂大(育成投手兼二軍投手) 11 澤村拓一 12 石川歩 14 小島和哉 15 美馬学 16 種市篤暉 17 佐々木朗希 18 二木康太 19 唐川侑己 20 東條大樹 24 東妻勇輔 28 菊地吏玖 29 西野勇士 30 廣畑敦也 31 大谷輝龍 33 八木彬 34 高野脩汰 35 田中晴也 36 坂本光士郎 37 小野郁 40 西村天裕 41 カイケル 42 メルセデス 43 秋山正雲 46 岩下大輝 47 鈴木昭汰 48 中村稔弥 49 本前郁也 52 益田直也 53 木村優人 56 中森俊介 58 河村説人 59 早坂響 60 横山陸人 62 森遼大朗 66 澤田圭佑 69 コルデロ 91 二保旭 92 国吉佑樹 93 吉田凌 2 松川虎生 27 田村龍弘 32 佐藤都志也 45 植田将太 55 柿沼友哉 65 寺地隆成 00 池田来翔 4 友杉篤輝 5 安田尚憲 7 藤岡裕大 8 中村奨吾 10 上田希由翔 13 平沢大河 39 大下誠一郎 44 井上晴哉 57 小川龍成 67 茶谷健太 68 金田優太 99 ソト 0 荻野貴司 1 藤原恭大 3 角中勝也 22 ポランコ 23 石川慎吾 25 岡大海 38 髙部瑛斗 50 愛斗 51 山口航輝 61 山本大斗 63 和田康士朗 64 菅野剛士 120 田中楓基 121 土肥星也 124 古谷拓郎 125 永島田輝斗 127 吉川悠斗 128 白濱快起 133 武内涼太 126 村山亮介 137 富山紘之進 129 勝又琉偉 130 黒川凱星 134 松石信八 135 髙野光海 136 藤田和樹 138 マーティン 表 話 編 歴 50 河原井正雄 30 應武篤良 40 山路哲生 70 松岡憲次 11 岩田慎司 14 武内久士 16 櫻田裕太郎 17 中林伸陽 18 坪井俊樹 19 藤原正典 21 乾真大 22 巽真悟 34 井上雄介 12 井上結貴 20 田辺真悟 25 大野奨太 2 山崎憲晴 3 高島毅 7 仲澤広基 8 中田亮二 10 十九浦拓哉 15 荒木貴裕 44 岩﨑恭平 5 中倉裕人 9 岩本貴裕 23 小道順平 26 伊志嶺翔大 27 柴田講平 表 話 編 歴 30 榎本保 40 應武篤良 50 横井人輝 55 古川祐一 1 斎藤佑樹 11 菅野智之 14 乾真大 15 大石達也 16 澤村拓一 17 東浜巨 18 二神一人 19 野村祐輔 20 中後悠平 22 小池翔大 25 佐藤貴穂 4 萩原圭悟 5 中田亮二 6 小島脩平 7 加藤政義 8 林﨑遼 10 荒木貴裕 2 伊志嶺翔大 3 中原恵司 9 土生翔平 23 田中宗一郎 24 亀谷信吾 表 話 編 歴 30 榎本保 40 應武篤良 50 横井人輝 44 古川祐一 1 斎藤佑樹 11 菅野智之 14 乾真大 15 大石達也 17 藤岡貴裕 18 加賀美希昇 20 野村祐輔 21 中後悠平 22 小池翔大 27 伏見寅威 2 井上晴哉 3 渡邉貴美男 4 阿部俊人 5 鈴木大地 6 荒木郁也 7 岡崎啓介 8 松本幸一郎 26 多木裕史 9 伊藤隼太 10 伊志嶺翔大 24 長谷川雄一 25 若松政宏 表 話 編 歴 1位:伊志嶺翔大 2位:南昌輝 3位:小林敦 4位:小池翔大 5位:江村直也 6位:藤谷周平 1位:黒沢翔太 2位:山口祥吾 3位:石田淳也 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。 日本の野球選手 沖縄尚学高等学校出身の野球選手 東海大学硬式野球部の選手 日米大学野球選手権大会日本代表選手 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 日本の野球指導者 沖縄県出身のスポーツ選手 1988年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子 すべてのスタブ記事 野球選手に関するスタブ
2024/11/04 08:44更新
|
ishimine syouta
伊志嶺翔大と同じ誕生日5月12日生まれ、同じ沖縄出身の人
TOPニュース
伊志嶺翔大と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「伊志嶺翔大」を素材として二次利用しています。