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佐伯千仭の情報 (さえきちひろ)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

佐伯千仭の情報(さえきちひろ) 刑法学者、弁護士 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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佐伯 千仭さんについて調べます

■名前・氏名
佐伯 千仭
(読み:さえき ちひろ)
■職業
刑法学者、弁護士
■佐伯千仭の誕生日・生年月日
1907年12月11日 (年齢2006年没)
未年(ひつじ年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
熊本出身

佐伯千仭と同じ1907年生まれの有名人・芸能人

佐伯千仭と同じ12月11日生まれの有名人・芸能人

佐伯千仭と同じ出身地熊本県生まれの有名人・芸能人


佐伯千仭と関係のある人

左藤恵: 本人が真宗大谷派寺院の住職であったことから、宗教的信条から署名をしないとする報道もあったが、後の本人の述懐によると、宗教的信条よりもむしろ京都帝大時代に師事した刑法学者佐伯千仭の教えによるものだとされる。


滝川幸辰: その立場は佐伯千仭、中山研一、平野龍一らに継承されているが、瀧川の刑法理論は、当時の左翼的・マルクス主義的な思想を背景に、階級対立社会では、罪刑法定主義が厳守されなければ、刑法が階級抑圧の手段とされてしまうとして客観主義を強調するもので、このような立場からは、社会防衛・主観主義を強調する牧野英一らの新派刑法理論が批判されるのは当然のことながら、同じ客観主義を主張する小野に対してもその道義的責任を強調する国家主義的な刑法理論は批判されることになり、このような反国家的な思想が危険思想とみなされ後に滝川事件を引き起こすきっかけとなった。


中山研一: 主著『刑法総論』は、佐伯千仭、平野龍一の刑法学説を継承する体系書であるとともに、執筆当時の通説的立場の代表であった団藤重光、大塚仁の行為無価値論的な刑法学説に対する批判の書でもあり、初期にソ連刑法を研究しただけあって、第2章「刑法の歴史と理論」では、マルクス主義的立場からの記述が目立ち、刑法改正問題にも積極的に反対の立場を明らかにした。


中山研一: 滝川幸辰と佐伯千仭の弟子。


前田雅英: 同書は、1,400件の裁判例を検討して「佐伯千仭が提唱して藤木英雄が発展させた可罰的違法性の概念は曖昧である」と批判し、構成要件該当行為とは、処罰に値する程度のものに限定されるべきであり、実質的違法性も可罰性判断と不可分であるとして、「可罰的違法性」という概念をわざわざ用いる必要性はないと主張した。


山口良忠: 大学院に進み宮本英脩・佐伯千仭に師事、高等文官試験司法科試験に合格、判事となる。


佐伯千仭の情報まとめ

もしもしロボ

佐伯 千仭(さえき ちひろ)さんの誕生日は1907年12月11日です。熊本出身の刑法学者、弁護士のようです。

もしもしロボ

卒業、事件に関する情報もありますね。2006年に亡くなられているようです。

佐伯千仭のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

佐伯 千仭(さえき ちひろ、1907年(明治40年)12月11日 - 2006年(平成18年)9月1日)は、日本の法学者(刑法)。弁護士。熊本県出身。

熊本県上益城郡木山町生まれ。旧制熊本県立中学済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)を経て、1927年旧制第五高等学校卒業。1930年、京都帝国大学法学部卒業後、同大学助手。1932年、同助教授。1933年の滝川事件の際に京都大学を離れ、立命館大学教授に就任するも、1934年に京都大学法学部助教授に復帰した。1941年、同大学教授。

戦後、自著『刑法総論』の国家主義的内容が問題となって教職不適格指定を受け、1947年に京都大学を追放された。同年、弁護士登録。1951年、法学博士(京都大学、学位論文「刑法に於ける期待可能性の思想」)。1954年、立命館大学教授に就任。1973年定年退職、名誉教授。

2006年9月1日、98歳で逝去。

近代派の宮本英脩の弟子であるが、宮本と異なり、古典派の中でも瀧川幸辰と同じ前期旧派の立場に立つ。日本における陪審制度の研究のほか、熱心な死刑廃止論者としても知られている。

いわゆる滝川事件の復帰組の一人であるだけでなく、極東国際軍事裁判をはじめ、松川事件、東京中郵郵便法違反事件、東京都教組地公法違反事件など、戦後史に残る事件に関わった。また、日本学術会議会員、法制審議会委員などを歴任した。

佐伯は、師である宮本による被害が軽微な場合の可罰類型阻却原因に関する研究を発展させて可罰的違法性論を提唱し、構成要件は単なる没却的・記述的な行為類型ではなく、可罰的な違法行為の類型であると主張した。また、間接正犯の成立範囲を狭め、かえって要素従属性を緩和していくことによって共犯として処理していく拡張的共犯論などでも知られる。門下生として、中川祐夫、中山研一。

「理論の世界には疑うことの許されない権威はない」(刑事法講座第2巻309頁)

滝川事件当時、京都大学法学部助教授だった佐伯は、文部省による瀧川幸辰の休職処分に抗議して辞職、立命館大学法学部教授に転じた。しかし、京都大学に残留した教授陣に不安を抱いた京都大学法学部卒業生からの説得を受け、翌1934年、京都大学に復帰して助教授に再任された。

立命館大学を退職する際、京都大学に復帰する者と復帰しない者が生じてしまい、かつ立命館大学に迷惑をかける形となったため、佐伯自身は「立命に対しては本当に申し訳ないことになってしまった」と後日述懐している。彼らの復帰は「滝川ら辞任組が復帰できる状況になった時にくさびになるような人間がいなければ困る」という「残留組」教官の言い分に抗し得なかったからだとされる。また当時この件について、久野収(滝川の免官処分に反対し学問の自由と大学自治を擁護する運動を進めていた)から非難された際、佐伯は「敗北して帰るのだからどんな批判も甘受する」と答えている。

その後1941年に教授に昇任した佐伯は、第二次世界大戦終結とともに黒田覚(法学部長)ら他の復帰組教官とともに滝川の復帰工作を開始し実現させた。この際、佐伯は鳥養利三郎京大総長とともに、「大学自治を滝川事件以前の状態に復帰する」旨の総長・文部省の合意文書草案を作成している。

しかし京大法学部再建のため全権を委任されて復帰した滝川を委員とする法学部の教員適格審査委員会は、戦争中の佐伯の著作の国家主義的内容を問題にして佐伯を教職不適格とした(これと前後して他の復帰組教官も京大を去っている)。これら一連の事態の背景には復帰組に対する滝川の個人的感情があったという見方もある。

なお、この不適格処分に対して、佐伯は京都大学新聞社発行の「学園新聞」1946年11月11日号に「刑法に於ける私の立場-追放の判定を駁す-」と題する反駁文を発表している。

『ドイツにおける刑法改正論』(有斐閣、1962年)

『犯罪と刑罰 佐伯千仭博士還暦祝賀』(上)(下)(有斐閣、1968年)

『刑法改正の総括的批判』(日本評論社、1975年)

『刑事訴訟の理論と現実』(有斐閣、1979年)

『刑法講義総論』(四訂版)(有斐閣、1984年)

『刑法における期待可能性の思想』(増補版)(有斐閣、1985年)

『共犯理論の源流』(成文堂、1987年)

『死刑廃止を求める 法セミセレクション』(団藤重光、平場安治との共編)(日本評論社、1994年)

『刑事法と人権感覚 -ひとつの回顧と展望』(法律文化社、1994年)

『陪審裁判の復活』(第一法規出版、1996年)

『刑法における違法性の理論』(有斐閣、1974年)

『新・生きている刑事訴訟法 -佐伯千仭先生卆寿祝賀論文集』(刑事訴訟法研究会佐伯先生卆寿祝賀論文集編集委員会)(成文堂、1997年)

『戦争と犯罪社会学』(有斐閣、1946年)

『総合判例研究叢書刑法(22)期待可能性』(米田泰邦との共著)(有斐閣、1964年)

『法曹と人権感覚』(法律文化社、1970年)

『刑事裁判と人権』(法律文化社、1957年)

『生きている刑事訴訟法』(編著)(日本評論社、1965年)

『刑法総論』(有信堂高文社、1952年)

『刑法各論』(補訂版)(有信堂高文社、1981年)

『刑法総論』(弘文堂書房、1944年)

死刑廃止を求める刑事法研究者のアピール

北潟谷仁

^ 中山研一『佐伯千仭先生の死を悼む』日本刑法学会、2008年8月1日。doi:10.34328/jcl.48.1_169。https://doi.org/10.34328/jcl.48.1_169。2022年10月1日閲覧。 

^ 『佐伯千仭先生に「京大事件」を聞く』立命館百年史編纂委員会、1997年3月。doi:10.34382/00015713。https://doi.org/10.34382/00015713。2022年10月1日閲覧。 

^ 以上、松尾尊兊 『滝川事件』 岩波現代文庫、2005年 ISBN 4006001363 による。

^ 中山研一『佐伯博士の刑法思想と「日本法理」(中)』(判例時報2015号、2008年)にその全文が掲載されている。

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2006年没

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2024/11/21 18:01更新

saeki chihiro


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