佐伯孝夫の情報(さえきたかお) 作詞家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
佐伯 孝夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
佐伯孝夫と関係のある人
岡田志郎: 恋をするなら 作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田正 佐々木俊一: 「無情の夢」(作詞:佐伯孝夫、歌:児玉好雄) 佐々木俊一: 「野球小僧」(作詞:佐伯孝夫、歌:灰田勝彦) 佐々木俊一: 「新雪」(作詞:佐伯孝夫、歌:灰田勝彦) 佐川満男: 作詞:佐伯孝夫 / 作曲:清水保雄 福井利男: 恋をするなら 作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田正 吉田正: 1948年(昭和23年)9月、佐伯孝夫が補作詞し、『異国の丘』としてビクターレコードより発売。 佐々木俊一: 「雨の酒場」(作詞:佐伯孝夫、歌:灰田勝彦) 佐川満男: 作詞:佐伯孝夫 / 作曲:吉田正 / 編曲:吉田正 佐々木俊一: 「月よりの使者」(作詞:佐伯孝夫、歌:竹山逸郎、藤原亮子) 岩田裕二: 恋をするなら 作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田正 松尾和子: 作詞:佐伯孝夫 / 作曲:利根一郎 児玉好雄: 無情の夢 (作詞佐伯孝夫、作曲佐々木俊一、1936年) 竹山逸郎: 「誰か夢なき」(1947年8月、作曲:清水保雄、作詞:佐伯孝夫)共唱:藤原亮子 松尾和子: 作詞:佐伯孝夫 / 作曲:吉田正 / 編曲:吉田正 佐々木俊一: 「愛馬とともに」 (作詞 : 佐伯孝夫、歌 : 楠木繁夫) 佐々木俊一: 「南海ホークスの歌」(作詞:佐伯孝夫、南海ホークス球団歌) 竹山逸郎: 「別れの夜汽車」(1949年12月、作曲:佐々木俊一、作詞:佐伯孝夫) 佐川満男: 作詞:佐伯孝夫 / 作曲:吉田正 / 編曲:寺岡真三 佐々木俊一: その後は作詞家・佐伯孝夫とタッグを組み、「僕の青春」、「無情の夢」、「燦めく星座」、「新雪」、「明日はお立ちか」、「月よりの使者」、「桑港のチャイナタウン」、「アルプスの牧場」、「高原の駅よ、さようなら」、「野球小僧」が戦前・戦後を通して、相次いでヒットする。 松尾和子: 作詞:佐伯孝夫 / 作曲:吉田正 佐伯秀男: 同年5月には佐伯が歌った「ヒヤシンスの唄」(作詞佐伯孝夫、作編曲飯田信夫)というレコードが発売されている。 佐川満男: 作詞:佐伯孝夫 / 作曲:吉田正 / 編曲:寺岡真三 松尾和子: 作詞:佐伯孝夫 / 作曲:吉田正 / 編曲:寺岡真三 佐々木俊一: 「赤い灯青い灯」 (作詞:佐伯孝夫、歌:徳山 璉) 松尾和子: 作詞:佐伯孝夫 / 作曲:吉田正 / 編曲:佐野雅美 竹山逸郎: 「月よりの使者」(1949年2月、作曲:佐々木俊一、作詞:佐伯孝夫)共唱:藤原亮子 佐々木俊一: 「僕の青春」(作詞:佐伯孝夫、歌:藤山一郎) 佐々木俊一: 「燦めく星座」(作詞:佐伯孝夫、歌:灰田勝彦) 松尾和子: 作詞:佐伯孝夫 / 作曲:吉田正 / 編曲:吉田正 |
佐伯孝夫の情報まとめ
佐伯 孝夫(さえき たかお)さんの誕生日は1902年11月22日です。東京出身の作詞家のようです。
卒業、現在、映画に関する情報もありますね。1981年に亡くなられているようです。
佐伯孝夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)佐伯 孝夫(さえき たかお、1902年11月22日 - 1981年3月18日)は、日本の作詞家。 東京市出身。本名、和泉 孝夫(いずみ たかお)。 早稲田大学文学部仏文科卒業。在学中西條八十に師事し、その主宰する雑誌『白孔雀』『愛誦』に詩を発表していた。1931年に国民新聞社(現在の東京新聞社)入社、1937年には東京日日新聞(現在の毎日新聞社)へと移る。1939年、ビクターレコード専属作詞家となる。西條八十門下生の1人。 戦前は、佐々木俊一と組み、多くを灰田勝彦や小畑実に作品を提供。戦後は、作曲家・吉田正とコンビを組み、『有楽町で逢いましょう』、『東京ナイト・クラブ』、『潮来笠』、『いつでも夢を』(第4回日本レコード大賞受賞曲)、『恋をするなら』など数々のヒット曲を生み出した。また戦前に『イーグルス応援歌』、戦後に『輝けロビンス』および『南海ホークスの歌』とプロ野球の球団歌を複数手掛けている。 1981年3月18日、食道癌のため死去。享年80(満78歳没)。1980年12月31日のレコード大賞への電話出演が公の場に出た最後となった。墓所は九品寺(東京都葛飾区堀切6-22-16)にあり、多磨霊園(21-2-21)にも分骨されている。 なお『ちいさい秋みつけた』などで知られる作詞家のサトウハチローとは交流が深かった。 さくら音頭(作曲:中山晋平、歌:小唄勝太郎、三島一声、徳山璉、1934年3月) さらば青春(作曲:加藤しのぶ、歌:藤山一郎、1934年6月) 無情の夢(作曲:佐々木俊一、歌:児玉好雄、1935年5月) とんがらがっちゃ駄目よ(作曲:三宅幹夫、歌:渡辺はま子、1936年9月) 熱海ブルース(作曲:塙六郎、歌:由利あけみ、1939年5月) 燦めく星座(作曲:佐々木俊一、歌:灰田勝彦、1940年3月) 森の小径(作曲:灰田晴彦、歌:灰田勝彦、1940年10月) 愛馬とともに (作曲 :佐々木俊一、歌 :楠木繁夫、 1941年3月) 明日はお立ちか(作曲:佐々木俊一、歌:小唄勝太郎、1942年3月) マニラの街角で(作曲:清水保雄、歌:灰田勝彦、歌上艶子、1942年7月) 新雪(作曲:佐々木俊一、歌:灰田勝彦、1942年8月) 鈴懸の径(作曲:灰田晴彦、歌:灰田勝彦、1942年9月) 婦系図の歌(作曲:清水保雄、歌:小畑実、藤原亮子、1942年9月) バダビアの夜は更けて(作曲:清水保雄、歌:灰田勝彦、1942年12月) 勘太郎月夜唄(作曲:清水保雄、歌:小畑実、藤原亮子、1943年1月) 若い力(作曲:高田信一、第2回国民体育大会・大会歌、1947年) 東京の屋根の下(作曲:服部良一、歌:灰田勝彦、1948年12月) 三味線ブギウギ(作曲:服部良一、歌:市丸、1949年3月) 月よりの使者(作曲:佐々木俊一、歌:竹山逸郎、藤原亮子、1949年3月) 銀座カンカン娘(作曲:服部良一、歌:高峰秀子、1949年4月) 夜来香(作曲:黎錦光、山口淑子(李香蘭)、1950年1月) 火の鳥(作曲:佐々木俊一、歌:渡辺はま子、宇都美清、1950年10月) 桑港のチャイナタウン(作曲:佐々木俊一、歌:渡辺はま子、1950年11月) ミネソタの卵売り(作曲:利根一郎、歌:暁テル子、1951年2月) アルプスの牧場(作曲:佐々木俊一、歌:灰田勝彦、1951年5月) 野球小僧(作曲:佐々木俊一、歌:灰田勝彦、1951年9月) 白樺の小径(作曲:佐々木俊一、歌:淡谷のり子、1951年10月) 弥太郎笠(作曲:吉田正、歌:鶴田浩二、1952年12月) ハワイの夜(作曲:司潤吉、歌:鶴田浩二、1953年1月) 花の三度笠(作曲:吉田正、歌:小畑実、1953年9月) 弁天小僧(作曲:吉田正、歌:三浦洸一、1955年4月) ゴジラさん / うちのアンギラス(作曲:吉田正、歌:青木晴美、1955年6月) 東京の人(作曲:吉田正、歌:三浦洸一、1956年5月) 哀愁の街に霧が降る(作曲:吉田正、歌:山田真二、1956年6月) ああダムの町(作曲:吉田正、歌:三浦洸一、1956年12月) 東京午前三時(作曲:吉田正、歌:フランク永井、1957年3月) 郵便船が来たとヨー(作曲:吉田正、歌:三浦洸一、1957年6月) 有楽町で逢いましょう(作曲:吉田正、歌:フランク永井、1957年11月) 西銀座駅前(作曲:吉田正、歌:フランク永井、1958年6月) 好きな人(作曲:吉田正、歌:藤本二三代、1958年11月) 有楽町0番街(作曲:吉田正、歌:フランク永井、1958年11月) 俺は淋しいんだ(作曲:渡久地政信、歌:フランク永井、1958年11月) 泣けるうちゃいいさ(作曲:吉田正、歌:和田弘とマヒナスターズ、1959年7月) 東京ナイト・クラブ(作曲:吉田正、歌:フランク永井、松尾和子、1959年7月) グッド・ナイト(作曲:吉田正、歌:松尾和子、和田弘とマヒナスターズ、1959年10月) 潮来笠(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1960年7月)○本楽曲で橋幸夫が第2回日本レコード大賞新人賞を受賞 再会(作曲:吉田正、歌:松尾和子、1960年9月) 好き好き好き(作曲:吉田正、歌:フランク永井、1960年9月) 東京カチート(作曲:吉田正、歌:フランク永井、1960年11月) おけさ唄えば(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1960年10月) 喧嘩富士(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1960年11月) 木曽ぶし三度笠(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1960年12月) 磯ぶし源太 (作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1961年3月)○第3回日本レコード大賞(作詞賞受賞曲) 南海の美少年(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1961年6月) 沓掛時次郎(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1961年7月) 江梨子(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1962年2月) 悲恋の若武者(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1962年2月) 寒い朝(作曲:吉田正、歌:吉永小百合、和田弘とマヒナスターズ、1962年5月) 中山七里(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1962年5月) 若いやつ(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1962年6月) あした逢う人(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1962年8月) いつでも夢を(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、吉永小百合、1962年9月)○第4回日本レコード大賞受賞曲 燃ゆる太陽(作曲:吉田正、早稲田大学創立80周年・応援歌、1962年) 花の折鶴笠(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1962年12月) 舞妓はん(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1963年1月) 伊豆の踊り子(作曲:吉田正、歌:吉永小百合、1963年) 若い東京の屋根の下(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、吉永小百合、1963年4月) お祭り小僧(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1963年5月) 白い制服(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1963年8月) お嬢吉三(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1963年10月) 若い歌声(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、吉永小百合、1963年11月) 月夜の渡り鳥(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、吉永小百合、1963年12月) わんわん行進曲(マーチ):東映映画「わんわん忠臣蔵」主題歌(作曲:中村八大、歌:デューク・エイセス、1963年12月) わんわん子守唄:東映映画「わんわん忠臣蔵」挿入歌(作曲:渡辺浦人、歌:松尾和子、1963年12月) 赤いブラウス(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1964年1月) 花の舞子はん(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1964年3月) そこは青い空だった(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、吉永小百合、1964年4月) 青いセーター(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1964年5月) 愛と死のテーマ:映画『愛と死をみつめて』主題歌(作曲:吉田正、歌:吉永小百合、1964年8月) 恋をするなら(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1964年8月)○第7回日本レコード大賞(企画賞受賞曲) ゼッケンNO.1スタートだ(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1964年9月)○第7回日本レコード大賞(企画賞受賞曲) チェッ・チェッ・チェッ -涙にさよならを-(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1964年11月)○第7回日本レコード大賞(企画賞受賞曲) 千葉県立小金高等学校・校歌(作曲:吉田正、1965年) あの娘と僕(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1965年6月)○第7回日本レコード大賞(企画賞受賞曲) 残侠小唄(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1965年11月) 奈良の春日野(作曲:大野正雄、歌:吉永小百合、1965年) 夢みる港(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、吉永小百合、1966年4月) 喧嘩笠(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1966年4月) 恋と涙の太陽(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1966年6月) 勇気あるもの(作曲:吉田正、歌:吉永小百合&トニーズ、1966年) 海に泣いている (作曲:吉田正、歌:トニーズ 1966年) シンガポールの夜は更けて(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1966年12月) 殺陣師一代(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1967年1月) 恋のメキシカン・ロック(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1967年5月) 愛の世界 (作曲:吉田正、歌:吉永小百合&トニーズ、1967年) 恋人たち (作曲:吉田正、歌:吉永小百合&トニーズ、1967年) 佐久の鯉太郎(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1967年10月) 花太郎笠(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1968年2月) 夜明けの二人(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1968年4月) 赤い夕陽の三度笠(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1968年8月) 東京ワルツ(作曲:吉田正、歌:フランク永井、1968年9月) 乙女川(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1968年11月) 新宿サタデー・ナイト(作曲:鈴木庸一、歌:青江三奈、1968年12月) 鯉名の銀平(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1969年1月) 夜霧のインペリアル・ロード(作曲:渡久地政信、歌:黒沢明とロス・プリモス、1969年8月) 人生無情(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1971年10月) 日本のこころ(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1973年9月) 花の喧嘩旅(作曲:吉田正、歌:橋幸夫、1975年6月) 1961年 第3回日本レコード大賞・作詞賞 「磯ぶし源太」(歌・橋幸夫)、「白い花のブルース」(歌・平野こうじ) 1962年 第4回日本レコード大賞・大賞 「いつでも夢を」(歌・橋幸夫・吉永小百合) 1969年 第11回日本レコード大賞・特別賞 1980年 第22回日本レコード大賞・特別賞 西條八十 サトウハチロー 清水保雄 鈴懸の径 -佐伯孝夫 優しい詩集- 早稲田大学の人物一覧 ^ 佐伯孝夫 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」コトバンク 2018年7月9日閲覧 ^ 野村宏平、冬門稔弐「11月22日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、331頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。 VIAF WorldCat アメリカ MusicBrainz 日本の作詞家 国民新聞社の人物 東京日日新聞社の人物 日本ビクターの人物 福岡ソフトバンクホークス関連人物 早稲田大学出身の人物 東京都区部出身の人物 1902年生 1981年没 多磨霊園に埋葬されている人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ 2024/11/20 00:22更新
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saeki takao
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