佐分利貞男の情報(さぶりさだお) 外交官 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
佐分利 貞男さんについて調べます
■名前・氏名 |
佐分利貞男と関係のある人
広田弘毅: 帝大同期の佐分利貞男は首尾よく合格している。 福澤武: 妻は日本興業銀行副頭取・佐分利一武の娘で、その曽祖父に足立孫六、大叔父に佐分利貞男がいる。 仲谷昇: ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる 第11回「佐分利公使の怪死事件」(1984年、ABC / 国際放映) - 佐分利貞男 小村寿太郎: 外務省通商局長や条約局長を務め、幣原喜重郎の側近中の側近といわれた佐分利貞男と1909年に結婚。 西園寺公望: ただ、佐分利貞男は、山東半島問題が紛糾した際に、日本代表団の中から帰国しようという声が上がった際、西園寺が「国際連盟問題は山東問題よりも重要である」とし、「自分一人でもパリに留まる」と発言したことを回想し、日本代表団内部に影響を与えたと指摘している。 佐分利信: 芸名は、蒲田に島津保次郎監督がいたため同じ苗字ではまずいということで、駐華公使で怪死した佐分利貞男と画家の佐分真にちなんで佐分利信と改名した。 |
佐分利貞男の情報まとめ
佐分利 貞男(さぶり さだお)さんの誕生日は1879年1月20日です。東京出身の外交官のようです。
卒業、事件、解散に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1929年に亡くなられているようです。
佐分利貞男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)佐分利 貞男(さぶり さだお、1879年〈明治12年〉1月20日 - 1929年〈昭和4年〉11月29日)は、大正・昭和初期の外交官。広島県出身。妻は小村寿太郎の娘・文子。 佐分利家は備後福山藩士で佐分利流槍術を営む家柄であった。貞男は、1879年(明治12年)1月20日、父・好直、母・八代の五男として出生した。1905年(明治38年)7月、東京帝国大学法科大学仏法科を卒業、10月、外交官及領事官試験に合格した。外交官補として清国、ロシア、フランス在勤などを経て、外務省参事官、大使館参事官、通商局長、条約局長等を歴任。 1929年(昭和4年)8月、浜口雄幸内閣の外相幣原喜重郎に乞われて、駐ソ大使への出世を犠牲に駐支那公使に就任。田中義一内閣による積極外交や張作霖爆殺事件後に悪化した対支外交の打開を期待されていたが、一時帰国中の同年11月29日、箱根宮ノ下の富士屋ホテルにおいて変死体で発見される。警察の鑑定によると死因は自殺とされたが、幣原のように疑いを挟んだ者もいる。墓所は文京区吉祥寺。 1929年(昭和4年)11月29日の朝、佐分利は前日から宿泊していた常宿の箱根宮ノ下富士屋ホテルにおいて死体で発見された。死因はピストルで頭部を打ち抜いたことで、即死状態だった。死体には布団がかぶせられていた。警察当局は、佐分利が右手にピストルを握っており、外部からの侵入者の形跡もないため、自殺と断定した。佐分利は大変な愛妻家として知られていたが、1925年(大正14年)に妻を亡くしており子もおらず、亡妻を慕うあまりの後追い自殺であろうと推測された。また、対支外交の将来を悲観しての自殺とも囁かれた。しかし遺族からは自殺には疑問が呈されていた。 死体は右手にピストルを握っていたが、佐分利は左利きであった。遺書もなかった。また、佐分利は日頃から護身用に小型のピストルを所持していたが、使用された拳銃は銃身六インチもある出所不明の三十八口径大型コルト八連発拳銃であり、ホルスターも見つからなかった。また、身綺麗な外交官に相応しくない寝間着姿での自殺は不自然であり、翌日の行動予定もあった。犯人は大陸浪人説、中国国民党工作員説などがあるが真相は不明である。 佐分利は広田弘毅と帝大の同期であり、入省年次は一期先輩であった。城山三郎の小説『落日燃ゆ』では広田のライバルとして描かれているが、佐分利の名誉を毀損する描写があったとして佐分利家側が城山を相手取り訴訟を起こし、死者に対する名誉毀損が不法行為として民法上の損害賠償の対象となりうるかどうかが注目された。 1911年(明治44年)8月24日 - 勲五等瑞宝章 1912年(大正元年)8月1日 - 韓国併合記念章 1920年(大正9年)9月7日 - 勲三等旭日中綬章 父・佐分利好直 ‐ 福山藩士 母・やゑ(八代) 長兄・佐分利一嗣 - 工学博士。筑波鉄道社長、成田鉄道(初代)社長、京阪電気鉄道取締役、朝鮮中央鉄道社長。岳父に足立孫六。長男の佐分利一武は日本興業銀行副頭取、その娘婿に福沢武。 中兄・秋山広太 - 合同紡績社長。 妻・フミ(通称文子) - 1886年生まれ。小村寿太郎の娘(従って、佐分利は小村欣一の義弟にあたる)。大正14年(1925年)10月、北京で開かれた国際関税会議(北京関税会議)に佐分利が通商局長として出席した際に随行したが、同地で風土病に冒され客死した。 ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。 ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。 ^ 『官報』第2431号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。 服部龍二『広田弘毅 「悲劇の宰相」の実像』(中公新書、2008年) 岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』(PHP文庫、2003年(2000年にPHP研究所発行した本の文庫化)) 佐分利信 - 俳優。芸名は佐分利貞男と画家の佐分真から。 佐分利貞男 『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月] 表 話 編 歴 山田顕義1873-1874未赴任 柳原前光1874代理公使1874-1875 森有礼1875-1878 宍戸璣1879-1882 榎本武揚1882-1885 塩田三郎1885-1889 大鳥圭介1889-1894 林董1895-1897 矢野文雄1897-1899 西徳二郎1899-1901 小村壽太郎1900-1901 内田康哉1901-1906 林権助1906-1908 伊集院彦吉1908-1913 山座円次郎1913-1914 日置益1914-1916 林権助1916-1918 小幡酉吉1918-1923 芳澤謙吉1923-1929 佐分利貞男1929 重光葵1931-1932 有吉明1932-1935 大使館昇格1935 有吉明1935 有田八郎1936 川越茂1936-1938 阿部信行1940 本多熊太郎1940年-1941年 重光葵1942 谷正之1943-1945 南京政府解散 芳澤謙吉1952-1955 堀内謙介1955-1959 井口貞夫1959-1963 木村四郎七1963-1966 島津久大1966-1969 板垣修1969-1972 宇山厚1972 中華民国と断交、中華人民共和国と国交樹立 小川平四郎1973-1977 佐藤正二1977-1979 吉田健三1979-1981 鹿取泰衛1981-1984 中江要介1984-1987 中島敏次郎1987-1989 橋本恕1989-1992 國廣道彦1992-1995 佐藤嘉恭1995-1998 谷野作太郎1998-2001 阿南惟茂2001-2006 宮本雄二2006-2010 丹羽宇一郎2010-2012 西宮伸一2012未赴任 木寺昌人2012-2016年 横井裕2016-2020 垂秀夫2020-2023 金杉憲治2023- 表 話 編 歴 松田道一:1919年 - 1920年 山川端夫:1920年 - 1925年 長岡春一:1925年 - 1926年 佐分利貞男:1926年 - 1927年 松永直吉:1927年 - 1930年 松田道一:1930年 - 1933年 栗山茂:1933年 - 1937年 三谷隆信:1937年 - 1940年 松本俊一:1940年 - 1942年 安東義良:1942年 - 1944年 柳井恒夫:1944年 - 1945年 渋沢信一:1945年 杉原荒太:1945年 - 1946年 萩原徹:1946年 - 1947年 西村熊雄:1947年 - 1952年 下田武三:1952年 - 1957年 高橋通敏:1957年 - 1960年 中川融:1960年 - 1964年 藤崎萬里:1964年 - 1967年 佐藤正二:1967年 - 1969年 井川克一:1969年 - 1972年 高島益郎:1972年 - 1973年 松永信雄:1973年 - 1975年 中島敏次郎:1976年 - 1977年 大森誠一:1977年 - 1979年 伊達宗起:1979年 - 1981年 栗山尚一:1981年 - 1984年 小和田恆:1984年 - 1987年 斎藤邦彦:1987年 - 1989年 福田博:1989年 - 1990年 柳井俊二:1990年 - 1993年 丹波實:1993年 - 1994年 折田正樹:1994年 - 1995年 林暘:1995年 - 1997年 竹内行夫:1997年 - 1998年 東郷和彦:1998年 - 1999年 谷内正太郎:1999年 - 2001年 海老原紳:2001年 - 2002年 林景一:2002年 - 2004年 国際法局に改編 林景一:2004年 - 2005年 小松一郎:2005年 - 2008年 鶴岡公二:2008年 - 2010年 長嶺安政:2010年 - 2012年 兼原信克:2012年 越川和彦:2012年 - 2013年 事務代理 石井正文:2013年 - 2014年 秋葉剛男:2014年 - 2015年 斎木尚子:2015年 - 2017年 三上正裕:2017年 - 2019年 岡野正敬:2019年 - 2021年 鯰博行:2021年 - 2022年 御巫智洋:2022年 - 2024年 金井正彰:2024年 - VIAF 日本 在中華民国日本公使 東京大学出身の人物 広島県出身の人物 勲三等旭日中綬章受章者 勲五等瑞宝章受章者 1879年生 1929年没 2024/11/21 17:28更新
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saburi sadao
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