北川冬彦の情報(きたがわふゆひこ) 詩人 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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梶井基次郎: 他の北野中学出身の理科の友人や、同年入学の文科の飯島正、浅野晃、大宅壮一、北川冬彦たちは全員卒業し、東京帝国大学へ進んでいった。 梶井基次郎: 姉を呼んで自分もタクシーで母の看護に通い、病院から「闇の絵巻」「のんきな患者」の構想を北川冬彦に手紙で知らせた。 伊藤整: 宿直室に泊まり込んで下宿代を浮かせたり、夜間学校の教師の副職をするなどして、1300円の貯金を蓄え、2年後に教師を退職し上京し、北川冬彦、仲町貞子らと同居。 梶井基次郎: 同人間の合評で「檸檬」の評判はあまり好くなかったが、第三高等学校時代の音楽仲間で帝大法学部フランス法の小山田嘉一は、同科で三高出身の北川冬彦に「これはすごいんだ」と推奨していた。 梶井基次郎: 女性にも紳士で、北川冬彦の妻の仲町貞子が、用事で電話をかけに行かなければならなくなり、その場所が分らず、夫に同行を頼むが北川がぐずぐずしていると、たまたま遊びに来ていて高熱で横になっていた基次郎がすっと立ち上がり、遠慮する貞子を制止し、その電話の場所まで連れていってあれこれ全てやってくれたという。 桜井勝美: 『新しい世代の詩 その作り方と解説・批評』北川冬彦共著 宝文館 1954 村野四郎: 『近代詩入門講座 第1巻 (詩の歴史)』金子光晴,北川冬彦,伊藤信吉共編 新興出版社 1951 梶井基次郎: 北川冬彦から詩集『戦争』(10月刊行)を送られ、基次郎はその評論を書き、堀辰雄、川端康成と横光利一が参加している雑誌『文學』11月号に発表した。 梶井基次郎: この頃、「江戸カフェー」で、例の同志社大学の猛者・渡辺をうまく追っ払った文丙の北川冬彦(本名・田畔忠彦)を見て、基次郎は感激した。 伊丹万作: 1961年(昭和36年)11月15日、筑摩書房より『伊丹万作全集』全3巻が志賀直哉、伊藤大輔、北川冬彦、中野重治の監修で刊行された。 梶井基次郎: 6月、『青空』28号が発行されたが、この月から北川冬彦、三好達治、淀野隆三が脱退を決めた。 横光利一: 同一月、北川冬彦の詩集「三半規管喪失」を賞賛し、激励した。 梶井基次郎: 基次郎は井上良雄の書評を喜んだことを北川冬彦に書き送り、〈僕の観照の仕方に「対象の中へ自己を再生さす」といふ言葉を与へてくれただけでも、僕は非常に有難いことだつた〉と告げた。 高田三郎: 水戸市立赤塚中学校校歌(北川冬彦) 梶井基次郎: 1年ほど静養して再び飯倉片町の下宿に戻るつもりで手荷物以外はそのままにし、基次郎は東京駅で中谷孝雄、淀野隆三、飯島正、北川冬彦に見送られた。 梶井基次郎: 4月、麹町区富士見町(現・千代田区)の小山田嘉一(帝大卒業後、住友銀行東京支店に就職)の家で、「檸檬」を褒めていた北川冬彦と再会した。 梶井基次郎: 『青空』を寄贈されていた川端は、飯島正や北川冬彦の名を知っていた。 奥成達: 早熟な詩人であり、北園克衛の影響をうけて10代から詩作をはじめ、15歳にして、北川冬彦が主宰する詩誌『時間』の同人になる。 竹中郁: 1924年に北川冬彦、安西冬衛らの「亜」のグループと交流をもち、モダニズムのスタイルの影響をうける。 梶井基次郎: これは新人作家の八重樫昊が基次郎を推薦したためで、その話を同誌4月号に「北方」が推薦された北川冬彦から伝え聞いた基次郎は文壇の総合文芸誌にデビューできる嬉しさを味わった。 桜井勝美: 『北川冬彦の世界』宝文館出版 1984 高田三郎: 男声合唱組曲「季節と足跡」(北川冬彦) 桜井勝美: 北川冬彦の『麺麭』同人となり、ネオリアリズム詩運動に参加。1955年時間賞、1966年詩集『葱の精神性』で北川冬彦賞受賞。 佐分利信: 『キネマ旬報』誌上で北川冬彦は「俳優では、島津元の素朴な芸は、いままでの俳優が持っていない意思的なところを示しているのは特に眼を引いた」と評しているが、本人は後年に「僕は芝居に乗らない気持ちで出てるだけ。 高田三郎: 駒場東邦中学校・高等学校校歌(北川冬彦) 梶井基次郎: 12月、北川冬彦の要望で、「櫻の樹の下には」が詩の季刊誌『詩と詩論』に発表され、「器楽的幻覚」も同誌に再掲載された。 梶井基次郎: 5月上旬、留守の間に北川冬彦に貸していた麻布区飯倉片町の下宿に戻った基次郎は、1階を間借りして「ある崖上の感情」を書いた。 梶井基次郎: 同人に北川冬彦、浅見篤、龍村謙(美術史学科)、英文科で八高出身の阿部知二と古澤安二郎が参加することになり、本郷4丁目の「青木堂」2階で顔合わせ会を開いた。 梶井基次郎: 6月、「愛撫」が北川冬彦と三好達治、淀野隆三らの同人誌『詩・現実』創刊号に発表された。 伊藤整: また北川冬彦の紹介で入った下宿屋にいた梶井基次郎、三好達治、瀬沼茂樹らと知り合い親交を結び、瀬沼茂樹の主催していた『一橋文芸』に短編小説を寄稿し、瀬沼とはその後も生涯にわたって親交を結んだ。 |
北川冬彦の情報まとめ
北川 冬彦(きたがわ ふゆひこ)さんの誕生日は1900年6月3日です。滋賀出身の詩人のようです。
映画、父親、卒業に関する情報もありますね。1990年に亡くなられているようです。
北川冬彦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)北川 冬彦(きたがわ ふゆひこ、1900年〈明治33年〉6月3日 - 1990年〈平成2年〉4月12日)は、日本の詩人、映画評論家。『悪夢』(1947年)などの小説作品もある。本名は田畔 忠彦(たぐろ ただひこ)。 第1詩集『三半規管喪失』(1925年)を自費出版、詩誌「詩と詩論」を創刊し、新散文詩運動を展開した。戦後は新現実主義を提唱し、現代詩の可能性を追究した。作品に詩集『戦争』(1929年)など。 滋賀県大津に生まれながら、父親の仕事関係で満州で育ち、軍国主義の旅順中学で5年間寄宿舎生活を送った。 1919年(大正8年)に第三高等学校(現・京都大学 総合人間学部)文科丙類(フランス語必修)に入学。柔道をしていた北川は、1921年(大正10年)秋頃、新京極の「江戸カフェ」にたむろする同志社大学の猛者を追っ払い、それを見ていて感激した梶井基次郎(三高理科甲類)と言葉を交わす。 1922年(大正11年)に三高を卒業し、東京帝国大学法学部フランス法に入学。詩の創作を始めた北川は、1924年(大正13年)11月、安西冬衛らと詩誌『亜』を創刊。現代詩、特に新散文詩を発表。1925年(大正14年)1月に詩集『三半規管喪失』を出版し、横光利一から激励の手紙を送られ高評価された。 1925年(大正14年)3月に仏法を修了した後、改めて文学を勉強するため4月から文学部仏文科に再入学。帝大文芸部の『朱門』の同人となり、池谷信三郎、阿部知二、古澤安二郎、久板栄二郎、舟橋聖一と知り合った。 同年、三高で顔見知りだった梶井基次郎らの同人誌『青空』に掲載された梶井の「檸檬」に感銘を受ける。共通の友人宅で梶井と再会し、同人参加の誘いを受け、その後1926年(大正15年)12月の第22号から同人となった北川は、第24号に発表した「軍港を内臓してゐる」(初出では「内蔵」だった)という一行詩「馬」を梶井から激賞された。 1928年(昭和3年)、春山行夫、西脇順三郎、北園克衛らと詩雑誌『詩と詩論』創刊に参加し、1929年(昭和4年)10月刊行の詩集『戦争』で脚光を浴びた。梶井基次郎はこの詩集の書評を『文學』11月号に寄せた。 北川は詩を発表しながら、飯島正の誘いもあって映画評論を書き続けた。伊藤大輔が代表する「韻文映画」に対して、「散文映画」を提唱し、その旗手として伊丹万作を高く評価した。シナリオ文学の独自性をも標榜した。北川が中心となって「シナリオ研究十人会」が結成され、機関誌として『シナリオ研究』が刊行され、萩原朔太郎がそこにシネポエムや『文学としてのシナリオ』なるエッセイを発表した。 戦後、詩、映画ともに対してネオリアリズムを標榜し、第2次『時間』を主宰していた。また、戦前からレーゼシナリオに関心を持ち、「レーゼシナリオはまた新形式として文學の野を豊かにするだろう」と述べている。 晩年は1963年(昭和38年)から立川市に住まいを構え、現代詩の改革を続けた。1980年(昭和55年)には、詩「石」が彫られた「青少年に贈る碑」(縦80センチ、横180センチの詩碑)が立川市市民体育館(泉町786-11)の前庭に建立された。 『北方』(蒲田書房、1935年) 『詩人の行方』(第一芸文社、1936年) 『古鏡』(河出書房、1940年) - 小説集 『悪夢―小説』(地平社、1947年) 『詩の話』(宝文館、1949-1951年。のち角川文庫) 『現代詩鑑賞』(有信堂、1970年) 『三半規管喪失』(至上藝術社、1925年) 『檢温器と花』(ミスマル社、1926年) 『戰爭』(厚生閣書店、1929年) 『氷』(蒲田書房、1933年) 『いやらしい神』(蒲田書房、1936年) 『實驗室』(河出書房、1941年) 『蛇』(爐書房、1947年) 『氾濫 長編叙事詩』(草原書房、1948年) 『夜陰』(天平出版部、1948年) 『花電車』(宝文館、1949年) 『北川冬彦詩集』(宝文館 1951年) 『馬と風景 1947-1952』(時間社、1952年) 『カクテル・パーティ 詩と随筆集』(宝文館、1953年) 『北川冬彦詩集』(角川文庫、1954年) 『現代詩』第1-3(角川新書、1954-1957年) 『しんかん 信管, 振撼, 森閑, 心肝』(時間社、1964年) 『北京郊外にて』(時事通信社、1973年) 『カラー詩と風景』(山と渓谷社、1975年) 『大蕩尽の結果』(未来工房、1977年) 『北川冬彦全詩集』(鶴岡善久編 沖積舎、1988年) 『北川冬彦詩集』(鶴岡善久編 沖積舎、2000年) 『純粹映畫記』(第一藝文社、1936年) 『シナリオ文學論』(作品社、1938年) 『散文映畫論』(作品社、1940年) 『現代映畫論』(三笠書房、1941年) 『映画への誘い』(温故堂出版部、1952年) 『シナリオの魅力』(社会思想研究会出版部、1953年。現代教養文庫) 鶴岡市民歌(作曲:中田喜直、1956年) - 鶴岡市の新設合により失効、2017年制定の現市民歌とは同名異曲。 『培養土 麺麭詩集』(山雅房、1941年) 『昆侖詩文集』(昆侖社、1941年) 『世界映画の鑑賞』岩崎昶共編(双竜社、1951年) 『新しい世代の詩 その作り方と解説・批評』桜井勝美共著(宝文館、1954年) 『骰子筒』マックス・ジャコブ(現代の芸術と批評叢書 厚生閣書店、1929年) 『最後の戦闘機』ジョセフ・ケツセル 井原彦六共訳(西東書林、1936年) 『神曲 現代訳 地獄篇』ダンテ(創元社、1953年) 『「パロール」抄』ジャック・プレヴェール(有信堂、1960年) シネポエム 阿Q正伝 - 本作をシナリオ化した。 萩原朔太郎 ‐ 北川が『日本近代文学大系』(1971年、角川書店)に朔太郎の解説を書いた。朔太郎もエッセイ『文学としてのシナリオ』で、北川に言及した。 ^ 北川冬彦、デジタル版 日本人名大辞典+Plus ^ 南方徴用作家参考資料 ^ 北川冬彦、歴史が眠る多磨霊園 ^ 中谷孝雄・北川冬彦・飯島正・浅野晃「座談会 梶井基次郎――若き日の燃焼」(浪曼 1974年2月号)。別巻 2000, pp. 217–228に所収 ^ 「第五章 青春の光と影――三高前期」(大谷 2002, pp. 74–104) ^ 「第七章 天に青空、地は泥濘――本郷と目黒にて」(大谷 2002, pp. 137–161) ^ 「第二部 第一章 大学生活」(柏倉 2010, pp. 111–122) ^ 「第八章 冬至の落日――飯倉片町にて」(大谷 2002, pp. 162–195) ^ 北川冬彦・鈴木沙那美「北川冬彦氏に聞く」(早稲田文学 1981年11月号)。別巻 2000, pp. 106–110に抜粋所収 ^ 「第九章 白日の闇――湯ヶ島その一」(大谷 2002, pp. 196–215) ^ 「第十二章 小さき町にて――王子町四十四番地」(大谷 2002, pp. 259–282) ^ 「第四部 第三章 社会への関心」(柏倉 2010, pp. 377–385) ^ ゆまに書房HP 、朔太郎著作一覧「文学論」を検索すると本エッセイが載っている ^ 自著「純粋映画記「『野生の叫び』の一場面」の章「端緒」の節」 ^ 『北川冬彦全詩集』巻末年譜(沖積舎) ^ 筑摩書房から刊行された『萩原朔太郎全集 第十一巻』所収(576頁) 『梶井基次郎全集第3巻 書簡』筑摩書房、2000年1月。ISBN 978-4-480-70413-9。 『梶井基次郎全集別巻 回想の梶井基次郎』筑摩書房、2000年9月。ISBN 978-4-480-70414-6。 大谷晃一『評伝 梶井基次郎』(完本)沖積舎、2002年11月。ISBN 978-4-8060-4681-3。 初刊(河出書房新社)は1978年3月 NCID BN00241217。新装版は 1984年1月 NCID BN05506997。再・新装版は1989年4月 NCID BN03485353 柏倉康夫『評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ』左右社、2010年8月。ISBN 978-4-903500-30-0。 北川冬彦 - 近現代詩まとめ 北川冬彦 - ウェイバックマシン(2015年12月22日アーカイブ分) - 文学者掃苔録図書館 『詩集『戦争』』:新字新仮名 - 青空文庫 - 梶井基次郎が北川冬彦の詩「馬」についても触れている。 Gardner, William (1999), Colonialism and the Avant-Garde: Kitagawa Fuyuhiko's Manchurian Railway, Stanford Humanities Review 7.1 (英語) 北川によるシナリオ版『阿Q正伝』についての研究:「北川冬彦のシナリオ版『阿Q正伝』の構成特色への分析-「長篇叙事詩」の詩作との関連を探って-」 立徳大学准教授・蔡宜静 北川の長編叙事詩についての研究:「北川冬彦の「長編叙事詩」創作方法に関する初探 シナリオ形式との関連に着眼して」 - 蔡宜静 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 チェコ 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 20世紀日本の詩人 日本の映画評論家 20世紀日本の小説家 滋賀県出身の人物 旧制第三高等学校出身の人物 東京大学出身の人物 1900年生 1990年没 多磨霊園に埋葬されている人物 Titlestyleにbackgroundとtext-alignを両方指定しているcollapsible list使用ページ FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/16 22:57更新
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