もしもし情報局 > 1月4日 > 歴史学者(西洋史)

十河佑貞の情報 (そごうすけさだ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月23日】今日誕生日の芸能人・有名人

十河佑貞の情報(そごうすけさだ) 歴史学者(西洋史) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

十河 佑貞さんについて調べます

■名前・氏名
十河 佑貞
(読み:そごう すけさだ)
■職業
歴史学者(西洋史)
■十河佑貞の誕生日・生年月日
1899年1月4日
亥年(いのしし年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
香川出身

十河佑貞と同じ1899年生まれの有名人・芸能人

十河佑貞と同じ1月4日生まれの有名人・芸能人

十河佑貞と同じ出身地香川県生まれの有名人・芸能人


十河佑貞の情報まとめ

もしもしロボ

十河 佑貞(そごう すけさだ)さんの誕生日は1899年1月4日です。香川出身の歴史学者(西洋史)のようです。

もしもしロボ

来歴、著作などについてまとめました。父親、卒業に関する情報もありますね。

十河佑貞のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

十河 佑貞(そごう すけさだ、1899年(明治32年) 1月4日 - 1989年(昭和64年) 1月7日 )は、日本の西洋史学者。専門は、ドイツ近世史。

香川県高松市出身。生家は旧高松藩の御用商人を務めた旧家の次男として生まれる。雅号は悠亭。父の忠貞(襲名権三郎)は、中川愛山に学んだ画人でもあり自由民権運動団体「博文社」の会頭の一人でもあった。

郷里の高松中学時代は、1歳で父親を癌で亡くしたこともあり、身体を鍛えるために海水浴、武徳会での柔道、ボートなど勉強そっちのけで遊んだという。不勉強がたたり浪人を強いられたが、方丈記、徒然草、夏目漱石を耽読し勉強に気が入らなかったという。

2年間の浪人の末、早稲田大学高等予科の文学科に入学した。当初文学を学ぶつもりでいたが、箕作元八、大類伸などの西洋史関係の書物を読み、西洋史研究に志望が変わったという。これには、漢文購読の山口剛および西洋史概論の原随園から受けた示唆も非常に大きかったようである。また、当時大学教授であった煙山専太郎の誠実な人柄に強く打たれ大学での西洋史専攻を決心したという。

大学入学後、当時の史学科は学生数より教員の数の方が多い位の恵まれた環境にあり、歴史専攻での同級生は十河の他、日本史専攻の田中友次郎(ともじろう)(後の群馬県立高崎女子高等学校長)、東洋史専攻の出石誠彦(いずしよしひこ)(後の早大講師・高等学院教授)の2名のみであった。そのため2人が欠席した時の講義は教員1人学生1人ということもあったという。学生時代にジョージ・ピーボディ・グーチの『ドイツとフランス革命』を読みドイツ史に興味を持つこととなった。

大学卒業後、早稲田中学校では、当時臨時講師であり後に立教大学に史学科を創立する小林秀雄(文芸評論家の小林秀雄は同姓同名)と親しくなり、そのことがきっかけで後に立教大学に移ることとなる。しかし、その後の戦争による時代の混乱により文学部が閉鎖となる状況で、立教大学での職を解かれることとなった。

早稲田大学に移り、専門については当時この分野では殆ど唯一の権威ある著作として「フランス革命とドイツ思想」を上梓し、また、専門以外にも「早慶連合史学会」の設立・運営に尽力し、早慶両大学の発展に貢献した。早稲田大学を定年退職した後、東海大学史学科が大学院を設置するに伴い教授として迎えられた。

また、戦時中のエピソードとして、勤労奉仕で十河が高等学院生(早大予科生)を汽車会社に連れて行っていたが、3月10日までの契約だったのを、学生から試験があるので2月末で切り上げたいという要望があったため汽車会社からその許可をもらったところ、結果として3月10日の東京大空襲を免れることとなり十河と学生全員が助かることとなった。汽車会社の方は空襲で丸焼けであったという。

1989年(昭和64年)、奇しくも昭和天皇とほぼ同日時である1月7日朝、肺炎のため死去、満90歳。なお、この年は自身の研究対象であったフランス革命200年目に当たる年でもあった。

来歴

学歴等

1911年(明治44年)-香川県立高松中学校(現・高松高等学校) 入学(修業年限5年)

1914年(大正3年)-中学4年時に漢学者・植田南畝(なんぽ)から「四書」、「十八史略」等を学ぶ。

1915年(大正4年)-中学5年時に脚気を患う。

1916年(大正5年)-香川県立高松中学校 卒業

1918年(大正7年)9月14日(土)-早稲田大学高等予科第三部(文学科) 入学(2学期編入)※1 第三部とは文学科が設置されている区分※2 高等予科は4月入学で、明治34年から修業年限1年半であるが、大正6年から修業年限2年に変更

1920年(大正9年)3月-早稲田大学高等予科第三部(文学科) 卒業

1920年(大正9年)4月-早稲田大学文学部史学科 入学(修業年限3年)※ 大学令による大学としての最初の学年(従来の9月入学から4月入学に変更)

1923年(大正12年)3月-早稲田大学文学部史学科 卒業※ 卒業論文「フィヒテのドイツ国民教育」の指導者は、後の京都大学名誉教授・原随園

職歴等

1924年(大正13年)4月5日(土)-早稲田中学校 教諭(~1929年(昭和4年)4月4日(木))

1929年(昭和4年)4月-立教大学予科 教授

1931年(昭和6年)9月-立教大学文学部 講師

1937年(昭和12年)4月-立教大学文学部 教授(~1942年(昭和17年)9月)

1939年(昭和14年)-立教大学アメリカ研究所図書部 委員

1939年(昭和14年)10月-早稲田大学第二早稲田高等学院 非常勤講師

1943年(昭和18年)4月-早稲田大学第二早稲田高等学院 教授

1946年(昭和21年)4月-早稲田大学文学部 助教授

1949年(昭和24年)4月-早稲田大学 教授(~1969年(昭和44年)3月31日)

1951年(昭和26年)4月-早稲田大学第一文学部史学科西洋史学専修 主任

1952年(昭和27年)4月-早稲田大学大学院文学研究科史学専攻課程 教授

1957年(昭和32年)5月18日(土)~1958年(昭和33年)3月17日(月)-早稲田大学在外研究員としてドイツを中心にヨーロッパに滞在

1960年(昭和35年)4月1日-早稲田大学史学会 会長(~1969年(昭和44年)3月31日)

1969年(昭和44年)4月1日-東海大学文学部 教授(~1981年(昭和56年)3月31日)

1969年(昭和44年)-明星大学 非常勤講師

1989年(昭和64年)1月7日(土)-肺炎のため死去、満90歳

講演等

1932年(昭和7年)11月26日(土)-立教大学史学会講演「独逸のナチオンに就て」

1934年(昭和9年)2月10日(土)-早稲田大学史学会西洋史部会講演「ランケの『歴史政治雑誌』に就て」

1935年(昭和10年)1月26日(土)-早稲田大学史学会東洋、西洋史全会講演「ヘルデルの人文主義について」

1943年(昭和18年)11月6日(土)-東洋史会講演「フランスとドイツ」

1948年(昭和23年)11月-早稲田大学史学会秋季大会講演「フランス革命戦争ついて」

1950年(昭和25年)11月-早稲田大学史学会秋季大会講演「グーヴエルヌウル・モリスの日記及び書簡について」

1952年(昭和27年)5月-第3回日本西洋史学会大会講演「ブラウン・シュワイヒ公の『宣言』について」

1958年(昭和33年)6月21日(土)-早稲田大学史学会春季大会公開講演「西欧雑感」

1961年(昭和36年)5月14日(日)-第12回日本西洋史学会大会フランス史分科会 司会

1968年(昭和43年)6月15日(土)-第16回早慶連合史学会公開講演「ドイツ史の特異性について」

著作

著書

『フランス革命とドイツ思想』(白水社、1949年6月20日) ※既発表論文を主とした論文集

    増補改訂版 『フランス革命思想の研究:バーク・ゲンツ・ゲルレスをめぐって』(東海大学出版会、1976年8月20日)

    なお、1943年1月に六盟館から『ラテン民族』(民族叢書第12巻)の配本が予定されていたが未刊となった。

    論文

    発表順 タイトル 掲載誌 巻号 出版社 出版年月
    1 浪漫主義的國家學の史的發展(一) 史苑 第1巻第6号 立教大学史学会 1929年3月
    2 浪漫主義的國家学の史的發展(二) 史苑 第2巻第1号 立教大学史学会 1929年4月
    3 浪漫主義的國家学の史的發展(三) 史苑 第2巻第2号 立教大学史学会 1929年5月
    4 浪漫主義的國家学の史的發展(四) 史苑 第2巻第4号 立教大学史学会 1929年7月
    5 浪漫主義的國家学の史的發展(五) 史苑 第2巻第5号 立教大学史学会 1929年8月
    6 浪漫主義的國家学の史的發展(六) 史苑 第2巻第6号 立教大学史学会 1929年9月
    7 浪漫主義的國家学の史的發展(七、完) 史苑 第3巻第2号 立教大学史学会 1929年11月
    8 ゲンツの手記「イエナ會戰秘史」の一節に就いて(一) 史苑 第3巻第4号 立教大学史学会 1930年1月
    9 ゲンツの手記「イエナ會戰秘史」の一節に就いて(完) 史苑 第3巻第6号 立教大学史学会 1930年3月
    10 ヰルヘルム・フムボルトの歴史理念説に就いて 史苑 第5巻第4号 立教大学史学会 1931年1月
    11 フランス革命とドイツにおける反革命思想:主としてバークとゲンツとの思想的關係について 史苑 第6巻第6号 立教大学史学会 1931年9月
    12 一七九七年に於けるライン左岸共和國運動に就いて 史苑 第7巻第4号 立教大学史学会 1932年7月
    13 ユスツス・メェーゼルの獨逸國民主義 史観 第5冊 早稲田大学出版部 1933年12月
    14 ドイツの「第三フマニスムス」 立教大学史学同好会会報 第4巻第2号 立教大学史学同好会 1934年12月
    15 ライン同盟を中心として觀たるナポレオンとダルベルヒとの關係について(一) 史苑 第9巻第3号 立教大学史学会 1935年7月
    16 ライン同盟を中心として觀たるナポレオンとダルベルヒとの關係について(二) 史苑 第9巻第4号 立教大学史学会 1935年9月
    17 ヘルデルの文化的民族主義 史苑:第五十號記念特輯 第10巻第2号 立教大学史学会 1936年7月
    18 ライン同盟を中心として觀たるナポレオンとダンベルヒとの關係について(三) 史苑 第11巻第2号 立教大学史学会 1937年9月
    19 青年時代に於けるギェルレスの革命思想と其転換機について 史苑:小林教授還暦記念史学論叢 第11巻第3・4号 立教大学史学会 1938年3月
    20 ライン同盟を中心として觀たるナポレオンとダンベルヒとの關係について(四・完) 史苑 第12巻第1号 立教大学史学会 1938年7月
    21 ゲンツとメッテルニヒの關係 史苑 第15巻第1号 立教大学史学会 1943年1月
    22 ゲンツとギエルレスの對立について 浮田和民博士記念史學論文集 六甲書房 1943年9月
    23 フランス革命戦争に関する考察 史観:煙山教授古稀頌寿記念号 第34・35合冊 早稲田大学史学会 1951年2月
    24 フランス革命戦争とイギリスの参戦について 史観:早稲田大学創立七十周年記念號 第38冊 早稲田大学史学会 1952年10月
    25 反革命思想からヨーロッパ均衡論へ 史観:野々村先生喜寿祝賀記念号 第43・4合冊 早稲田大学史学会 1955年3月
    26 バークとペインの対立について 史観:定金先生古稀祝賀記念号 第54・5合冊 早稲田大学史学会 1959年3月
    27 ドイツ統一理念について 史観:清水先生古稀祝賀記念号 第57・8合冊 早稲田大学史学会 1960年3月
    28 ドイツ・ロマン主義の政治理念について 早稲田大学大学院文学研究科紀要 第14輯 早稲田大学大学院文学研究科 1968年12月
    29 ヘルダーとフランス啓蒙主義者 歴史における文明の諸相:東海大学創立三十周年記念論文集 東海大学出版会 1971年7月

    その他

    「海」『立教学院学報』第3巻第1号(財団法人立教学院、1936年2月3日)

    「西欧的勢力の失墜」『立教学院学報』第7巻第9号(財団法人立教学院、1941年6月30日)

    「大東亜民族の潜勢力」『立教大学新聞』第5号(立教大学新聞部、1942年2月1日)

    「跋(畏友出石誠彦君を憶ふ)」『東洋近世史研究』(大観堂、1944年)

    「浮田先生の人格と文明史眼」『浮田和民先生追懐録』(故浮田和民先生追懐録編纂委員会、1948年)

    書評:「大類伸監修井上幸治編『年表世界歴史』」『早稲田大学新聞』62号(早稲田大学新聞会編、1949年4月21日)

    随筆:「新と舊」『讃岐公論』第22巻9月号(讃岐公論社、1952年9月)

    「アンケート特輯:教授からはなむけの言葉;真実の平和な精神」『早稲田学報:卒業記念号』1954年3月号・通巻638号(早稲田大学校友会、1954年3月)

    書評:「佐藤堅司著『歴史』」『史観』第46冊(早稲田大学史学会、1956年3月)

    「小林先生を憶ふ」『面影:小林秀雄先生追悼録』(立教大学文学部史学研究室、1957年9月)

    「海外旅行十ヵ月:西欧に旅して」『早稲田学報』1958年6月号・通巻681号(早稲田大学校友会、1958年6月)

    「津田左右吉先生の面影」『心』第15巻第2号(平凡社、1962年2月)

    「津田先生を偲んで」『銅鑼』第9号(校倉書房、1962年9月)

    「幻想としての現代」『銅鑼』第11号(校倉書房、1964年4月)

    「京口元吉教授の永眠を悼む」『史観』第76冊(早稲田大学史学会、1967年10月)

    「研究室の思い出」『史苑:100号記念特集立教大学史学小史』第28巻第1号(立教大学史学会、1967年12月)

    随想:「歴史と人間」『東海史学』第5号(東海大学史学会、1969年12月)

    ぶっく・がいど:「〈危機〉の社会的根源を探究:井上幸治・江口朴郎『危機としての現代』」『望星』第2巻第11号・通巻18号(東海教育研究所、1971年12月)

    「母校を去ってから」『史観:文化交流の諸問題』第100冊(早稲田大学史学会、1979年3月)

    「早稲田大学史学会の歴史を語る:『史観』第百冊記念座談会」『史観:文化交流の諸問題』第100冊(早稲田大学史学会、1979年3月)

    「私にとっての古典 」『望星』第10巻第4号・通巻105号(東海教育研究所、1979年4月)

2024/06/23 00:47更新

sogou sukesada



TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


十河佑貞と近い名前の人

十河 圭祐(そごう けいすけ)
10月15日生まれの有名人 香川出身

十河 圭祐(そごう けいすけ、10月15日 - )は、日本の男性声優、フォーリーアーティスト。 声優として、メディアフォース、ディーカラーに所属していた。 2024年現在は、evance.incに所属…

十河 信二(そごう しんじ)
1884年4月14日生まれの有名人 愛媛出身

十河 信二(そごう しんじ、1884年(明治17年)4月14日 - 1981年(昭和56年)10月3日)は、日本の鉄道官僚、政治家。愛媛県西条市長(在任1945年(昭和20年) - 1946年(昭和2…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
十河佑貞
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

King & Prince なにわ男子 MAGiC BOYZ XOX DISH// amorecarina Splash! Chelip OCTPATH SUPER★DRAGON 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「十河佑貞」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました