古在由秀の情報(こざいよしひで) 天文学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
古在 由秀さんについて調べます
■名前・氏名 |
古在由秀と関係のある人
小平桂一: カリフォルニア工科大学客員研究員、東大理学部助教授、ハイデルベルク大学客員教授を経て1982年に東京大学東京天文台教授となり、1988年に国立天文台教授(東京大学教授・併任)、1994年古在由秀の後を継いで国立天文台の2代目台長に就任。 祖父江義明: 祖父江および海部宣男の共通の上司であった、古在由秀および小平桂一曰く、明るく社交的な海部と精密な議論を行う祖父江が組めば、日本の電波天文学は一流になりえるという理由から、野辺山宇宙電波観測所時代には、二人は隣同士の席で仕事を行った。 古在由重: 農芸化学者・古在豊樹は由重の息子であり、天文学者・古在由秀は由重の甥(由正・澄江夫妻の長男)にあたる。 海部宣男: IAU会長を務めるのはアジアで3人目、日本では古在由秀に次いで2人目である。 藤井旭: 1978年から1993年まで、小尾信弥、古在由秀、村山定男とともに天文雑誌『星の手帖』(季刊)の編集委員を務めた。 |
古在由秀の情報まとめ
古在 由秀(こざい よしひで)さんの誕生日は1928年4月1日です。東京出身の天文学者のようです。
卒業に関する情報もありますね。2018年に亡くなられているようです。
古在由秀のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)古在 由秀(こざい よしひで、1928年(昭和3年)4月1日 - 2018年(平成30年)2月5日)は、日本の天文学者(天体力学)。位階は正四位。勲等は勲二等。学位は、理学博士(東京大学・1958年)。東京大学名誉教授、国立天文台名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、群馬県立ぐんま天文台名誉台長、日本学士院会員、文化功労者。 東京大学附属東京天文台教授、東京大学附属東京天文台台長(第12代)、国立天文台台長(初代)、国際天文学連合会長、群馬県立ぐんま天文台台長などを歴任した。 古在由正・澄江夫妻の長男として東京府北豊島郡巣鴨町駒込(現・東京都豊島区駒込)に生まれた。 1940年、東京府立第十四中学校(後の東京都立石神井中学校、現・東京都立石神井高等学校)に入学。1945年、旧制第一高等学校理科に入学。1948年、東京大学理学部天文学科に入学。東大理学部時代は萩原雄祐の下で天体力学を学んだ。また旧制一高・東大理学部を通じての級友にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊がいる。1951年、東京大学理学部天文学科を卒業。東大大学院に進み、大学院で学びながら東京天文台に勤務する。 1952年、東京大学附属東京天文台助手に就任。1958年、学位論文「土星の衛星系にかんする研究」で理学博士号を取得。渡米してスミソニアン天体物理観測所及びハーバード大学天文台の客員研究員となった。1961年から『理科年表』編集に携わる。1963年、東京大学附属東京天文台助教授に就任。同年朝日賞を受賞。1965年、東京天文台附属人工衛星国内計算施設長に就任。1966年、東京大学附属東京天文台教授に就任。1973年、東京天文台附属堂平観測所長に就任。1979年6月11日、土星衛星、人工衛星及び小惑星の運動の研究により日本学士院賞及び恩賜賞を受賞。1980年、日本学士院会員となる。 1981年、東京大学附属東京天文台長に就任。1988年7月東京天文台は緯度観測所・名古屋大学空電研究所第三部門と統合され国立天文台となり、古在はそのまま初代国立天文台長に就任した。1988年8月、日本人で初めて国際天文学連合 (IAU) 会長に就任。1989年アメリカ天文学会よりブラウワー賞受賞。1991年、国際天文学連合会長を辞任。1994年、国立天文台長も辞任した。 1997年、群馬県立ぐんま天文台の台長に就任。2002年、秋の叙勲で勲二等瑞宝章を受章。2009年、文化功労者に選ばれた。2010年、三鷹市名誉市民に選ばれた。2012年、群馬県立ぐんま天文台名誉台長となった。 2018年2月5日午後6時15分、肝不全のため東京都内の病院で89歳にて没した。叙正四位。 古在の天文学者としての業績としてはまず「コザイの式」が挙げられる。これは人工衛星の軌道を割り出す公式で、コザイの式の発見により古在は天体力学の世界的権威として脚光を浴びた。次に小惑星の運動の力学的研究において著しい業績をあげたことも古在の業績として挙げられる。特に小惑星の軌道に関する「古在共鳴」の発見でも注目を浴びた。また天体力学が太陽系の起源の問題にかかわりを持つとの新しい考え方を示し、地球の形が西洋梨型であることを発見した。 東京天文台長及び国立天文台長としての業績は欧文研究報告 (PASJ) において、ジャッジ制を取り入れるなどの改革を行った。また研究所の所長職について任期制を取る事を提唱し、古在は実際に任期期間で辞任した。東京天文台長時代及び国立天文台長時代の古在は国立天文台ハワイ観測所すばる望遠鏡の実現のため尽力し、国立天文台長辞任後の1999年にすばる望遠鏡は観測を開始した。 その他の業績として天文雑誌『星の手帖』の編集委員及び「星のチロ賞」の選考委員を務めたことが挙げられる。 大マゼラン雲内に出現した超新星・SN 1987Aからのニュートリノがカミオカンデにより検出された時、カミオカンデによるニュートリノ観測の中心となった小柴昌俊が古在と大学時代からの友人であったため、古在が編集委員を務めた『星の手帖』編集長の阿部昭と『星の手帖』編集委員で天体写真家の藤井旭が古在と小柴の対談を企画した。この対談はニュートリノ検出の翌年に実現したが、ニュートリノ検出の話よりも古在と小柴の学生時代の思い出話で盛り上がった。 父・由正は古在由直(農芸化学者。東京帝国大学総長を務めた)・豊子(清水紫琴及び古在紫琴の筆名で作家として活動した)夫妻の長男で、母・澄江は東洋史学者・幣原坦の次女。従ってマルクス主義哲学者の古在由重は父方の叔父にあたり(由重は由直の次男)、外交官出身の政治家で第44代内閣総理大臣・第40代衆議院議長の幣原喜重郎は母方の大叔父にあたる(喜重郎は坦の弟)。また、父方の従弟に農学博士で第12代千葉大学学長の古在豊樹(豊樹は由重の息子)が、母方の従弟に弁護士の幣原廣(廣の父・幣原顕は幣原坦の長男で由秀の母・澄江の弟)がおり、古在家と幣原家という2つの家系の血を引いている。 『天文学のすすめ』(講談社現代新書 1966年) 『月』(岩波新書 1968年) 『地球をはかる』村田道紀絵(岩波書店 岩波科学の本 1973年) 『ほうき星の話』(NHKブックス・ジュニア 1974年) 『十番目の惑星 太陽系を再点検する』(講談社ブルーバックス 1975年) 『天文学者のノート』(文藝春秋 1984年) 『天文台からみた世界』(読売新聞社 1990年) 『天文学講話 太陽系天体の動きを追って』丸善ライブラリー 1997 『宇宙のしくみ - 特別なことと普通のこと』(高等研選書)2003 『天文台へ行こう』岩波ジュニア新書 2005年) 『地球科学講座 第1巻 太陽系』小尾信彌、守山史生共著 共立出版 1976 『月と小惑星』(編 恒星社厚生閣 現代天文学講座2 1979年) F.L.ホイップル『地球・月・惑星』小尾信彌共訳 岩波書店 1971年) サイモン・ミットン編 『現代天文百科』寿岳潤、森本雅樹共訳 岩波書店 1980年) ^ 交詢社 監修 『日本紳士録 第78版』 交詢社出版局 編集、ぎょうせい 発行、2004年4月5日、こ 436頁。 ^ 職員名簿 - 古在 由秀 ^ 台長の古在由秀が文化功労者に選ばれました - 群馬県立ぐんま天文台公式サイト内のお知らせのページより ^ 藤井旭「初代国立天文台長 古在由秀先生が文化功労者として選出 顕彰記念祝賀会が開催」『天文ガイド』2010年4月号 誠文堂新光社、26頁。 ^ 『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年6月23日発行、コ73頁。 ^ 新・未知への群像 古在由秀氏 1 - インターネットアーカイブ内のページ ^ 新・未知への群像 古在由秀氏 2 - インターネット・アーカイブ内のページ ^ 古在由秀氏ロングインタビュー 第1回:高校時代まで (PDF) - 天文月報オンライン内のページ。 ^ 藤井旭 著 『白河天体観測所』 誠文堂新光社、2015年10月15日発行、ISBN 978-4-416-11537-4、262頁。 ^ 古在由秀氏ロングインタビュー 第2回:大学時代から若手研究者時代 (PDF) - 天文月報オンライン内のページ。 ^ 『朝日ジャーナル』朝日新聞社、1964年1月12日。 ^ 新・未知への群像 古在由秀氏 8 - インターネット・アーカイブ内のページ ^ 新・未知への群像 古在由秀氏 9 - インターネット・アーカイブ内のページ ^ 新・未知への群像 古在由秀氏 14 - インターネット・アーカイブ内のページ ^ 歴史 - 国立天文台 ^ 古在由秀氏ロングインタビュー 第4回:台長時代(1) (PDF) - 天文月報オンライン内のページ。 ^ 「2002年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2002年11月3日朝刊 ^ 初代国立天文台長古在由秀氏が三鷹市名誉市民に! - 国立天文台・天文情報センター・アーカイブ室新聞 第357号 (PDF) ^ 「叙位叙勲」『読売新聞』2018年3月3日朝刊 ^ 日本学士院公式サイト内のプロフィールページ ^ 地球の形 今昔 - 西洋梨型の地球 - 日本測地学会公式サイト内のページ ^ 藤井旭 著 『星になったチロ』 ポプラ社 ポプラ・ノンフィクション、1984年4月、ISBN 4-591-01422-3、193頁。 ^ 『白河天体観測所』、261-262頁。 ^ 『白河天体観測所』、261頁。 ^ 『人事興信録 第9版』、シ22頁。 ^ 『昭和人名事典 第4巻 外地・満支・海外篇』 日本図書センター、1987年10月5日、ISBN 4-8205-0696-X、台湾 32頁。 ^ 『人事興信録 第9版』、シ21-シ22頁。 古在由秀氏ロングインタビュー 第1回:高校時代まで (PDF) - 天文月報2015年4月号に掲載。 古在由秀氏ロングインタビュー 第2回:大学時代から若手研究者時代 (PDF) - 天文月報2015年5月号に掲載。 古在由秀氏ロングインタビュー 第3回:渡米と古在機構 (PDF) - 天文月報2015年6月号に掲載。 古在由秀氏ロングインタビュー 第4回:台長時代(1) (PDF) - 天文月報2015年7月号に掲載。 古在由秀氏ロングインタビュー 第5回:台長時代(2) (PDF) - 天文月報2015年8月号に掲載。 表 話 編 歴 寺尾寿 1888-1919 平山信 1919-1928 早乙女清房 1928-1936 事務取扱/台長 関口鯉吉 1936/1936-1939 事務取扱 福見尚文 1939-1941 関口鯉吉 1941-1946 萩原雄祐 1946-1957 宮地政司 1957-1963 広瀬秀雄 1963-1968 事務取扱 大沢清輝 1968 古畑正秋 1968-1973 大沢清輝 1973-1977 末元善三郎 1977-1981 古在由秀 1981-1988 古在由秀 1988-1994 小平桂一 1994-2000 海部宣男 2000-2006 観山正見 2006-2012 林正彦 2012-2018 常田佐久 2018-2024 土居守 2024- カテゴリ メディア 国立天文台 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ ベルギー アメリカ 日本 チェコ 韓国 オランダ ポーランド CiNii Research zbMATH IdRef 天文学に関する記事 20世紀日本の天文学者 21世紀日本の天文学者 総合研究大学院大学の教員 国立天文台の人物 ハーバード・スミソニアン天体物理学センターの人物 東京大学の教員 東京大学名誉教授 日本学士院会員 文化功労者 日本学士院賞受賞者 朝日賞受賞者 正四位受位者 勲二等瑞宝章受章者 理学博士取得者 理学士取得者 東京大学出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 東京都立石神井高等学校出身の人物 東京都区部出身の人物 1928年生 2018年没 ISBNマジックリンクを使用しているページ FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 KBR識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 PLWABN識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 ZBMATH識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/21 18:19更新
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