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増嶋竜也の情報 (ますしまたつや)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

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増嶋 竜也さんについて調べます

■名前・氏名
増嶋 竜也
(読み:ますしま たつや)
■職業
サッカー選手
■増嶋竜也の誕生日・生年月日
1985年4月22日 (年齢39歳)
丑年(うし年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
千葉出身

(昭和60年)1985年生まれの人の年齢早見表

増嶋竜也と同じ1985年生まれの有名人・芸能人

増嶋竜也と同じ4月22日生まれの有名人・芸能人

増嶋竜也と同じ出身地千葉県生まれの有名人・芸能人


増嶋竜也と関係のある人

渡辺広大: 市立船橋高校では1年先輩の増嶋竜也とセンターバックのコンビを形成。


小川佳純: 当時のチームメイトに青木良太、大久保裕樹、小宮山尊信、原一樹、1学年後輩に増嶋竜也、カレン・ロバート、鈴木修人、佐藤優也がいる。


佐藤優也: 市立船橋高校の正GKを務め、2003年の第83回天皇杯では横浜F・マリノス相手に好セーブを連発、同級生であるカレン・ロバートや増嶋竜也らと共に市船旋風の立役者の一人となった。


森岡隆三: 2007年はキャプテンとしてチームを牽引しJ1昇格に貢献したが、2008年は増嶋竜也などにポジションを奪われスタメンから外れるようになった。


鎌田次郎: ユースでのチームメイトの攻撃陣・李忠成や梶山陽平らがトップチームに昇格したのに対して、DFは市立船橋高校から増嶋竜也の獲得が決まったこともあり、昇格が叶わなかった。


中林洋次: 2002年、市立船橋高校に入学、同期に渡辺広大、一つ上の先輩にカレンロバート、増嶋竜也等がいる。


潮田玲子: 2012年9月30日、29歳の誕生日にサッカー選手増嶋竜也と結婚したことを発表。


柳楽智和: 柳楽は主に増嶋竜也及び水本裕貴と3バックを組み、ストッパーに配された。


石井秀典: 高校時代の同期に増嶋竜也・カレン・ロバート・佐藤優也らがいる。


潮田玲子: 夫は元サッカー選手の増嶋竜也


潮田玲子: 2021年元旦に昨年引退した増嶋竜也のYouTuber転身を報告。


小宮山尊信: 当時のチームメイトに青木良太、大久保裕樹、小川佳純、原一樹、1学年後輩に増嶋竜也、カレン・ロバート、鈴木修人、佐藤優也、石井秀典らがいる。


那須大亮: 柏では近藤直也や増嶋竜也がCBとして出場した際は両SB、両者の欠場時にはCBを務めるも、リーグ戦での出場は23試合と5年振りに30試合を下回る結果に終わった。


増嶋竜也の情報まとめ

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増嶋 竜也(ますしま たつや)さんの誕生日は1985年4月22日です。千葉出身のサッカー選手のようです。

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人物・エピソード、所属クラブなどについてまとめました。引退、家族に関する情報もありますね。去年の情報もありました。増嶋竜也の現在の年齢は39歳のようです。

増嶋竜也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

増嶋 竜也(ますしま たつや、1985年4月22日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロサッカー選手。サッカー指導者。YouTuber。ポジションはディフェンダー(DF)。妻は潮田玲子。2児の父。

小学2年生の時に兄に誘われてサッカーを始める。 小学6年時にはジェフユナイテッド市原ジュニアユースのセレクションを受けるものの、1次テストで不合格となり地元の生浜中学に入学する。 チームでは1回戦負けが多く、目立った成績を収められなかったが、個人では千葉市トレセン、千葉県選抜や関東選抜に選出経験があった。1999年度の全国高校選手権を制した市立船橋高校に憧れ、中学3年の秋に受験した市立船橋のセレクションに不合格となったため、一般入試で2001年に同校へ進学。 1年生の7月に監督の布啓一郎に身体能力の高さを見込まれ、FWからDFにコンバート、右サイドバックのレギュラーとして同年のインターハイで優勝に貢献。1年生で唯一優秀選手に選出された。その後1学年上の大久保裕樹と入れ替わる形でセンターバックとして、2年時には全国高校選手権、3年時には高円宮杯で優勝し、高校生年代の3大タイトルを獲得した。高校No.1DFとして 多くのJリーグクラブが獲得に名乗りを上げる中、2003年10月にFC東京への加入内定が発表された。また、この年には主将としてチームを牽引し、同期の石井秀典、カレン・ロバート、佐藤優也、鈴木修人、高橋昌大らと共に冬の天皇杯で3回戦に進出。J1で優勝したばかりの横浜F・マリノスを相手に互角以上の闘いを演じたが、増嶋は後半終了間際に2度目の警告を受けて退場。その後PK戦までもつれチームは敗退。なお、この試合の退場による出場停止処分は、2週間後の全国高校選手権の初戦に課された。

2004年よりFC東京に加入。第1節の新潟戦で早速公式戦デビューを果たした。同年開催のAFCユース選手権ではU-19日本代表の主将を務め、3バックの中央に入り守備を統率。翌年のワールドユース出場権を確保したものの、増嶋にとってはPK失敗やオウンゴールなど苦い経験を味わった。大熊清U-20代表監督からの信頼は厚く、ワールドユースでも代表主将を務め、全試合に出場した。2006年、J1第6節横浜FM戦でFC東京での初得点を記録。後半ロスタイムに今野泰幸のヘディングからの落としをボレーで蹴りこんだ。同年8月より2008年のオリンピックを目指す日本代表が新たに発足し、増嶋も名を連ねたが、FC東京では茂庭照幸・ジャーンのCBコンビに阻まれ、起用は彼らの負傷時などに限定され、レギュラー奪取には至らなかった。

2007年、日本代表から遠ざかりつつあった状況に危機感を抱き、出場機会を求めヴァンフォーレ甲府へ1年間の期限付き移籍。中心選手との一角となり空中戦の強さを見せた。

2008年は京都サンガF.C.へと期限付き移籍。レギュラーを確保したが、代表復帰は果たせなかった。京都では右サイドバック(SB)でも起用され、新たな武器としてロングスローを放ち好機を演出した。2009年からは京都へ完全移籍。

2011年、地元千葉県でのプレーを望み柏レイソルへ完全移籍。開幕当初は右SBとして出場するも、その後はSB酒井宏樹の台頭やCB朴東赫の離脱により、CBとして出場機会が増えていった。最終的にリーグ戦では25試合に出場し、チームのJ1初優勝に貢献した。2012年も前年に続いてCBのレギュラーを確保し、キャプテンの大谷秀和からキャプテンマークを託されることもあった。2013年は鈴木大輔の加入や橋本和の負傷もあり、序盤は左SBとして出場することが多かった。夏場以降、鈴木の台頭や自身の負傷離脱 もあったが、最終的にリーグ戦25試合に出場。最終ラインの何処に入っても遜色のないプレーでチームを支えた。2014年は、シーズン半ばまで出場機会が得られなかったが、中盤戦以降はケガ人が出たチーム状況もあって先発出場の機会を増やし、公式戦20試合に出場。同年12月に両足関節遊離体除去手術に臨んだ。2015年開幕に復帰を間に合わせたものの、1st第2節仙台戦で前十字靭帯を損傷し長期離脱を強いられた。2016年開幕節で先発復帰。

2016年12月15日、ベガルタ仙台へ期限付き移籍することが発表された。移籍期間は2017年2月1日から2018年1月31日までの1年間。なお、2017シーズンにおける柏レイソルとの対戦には出場できない。

2017年12月27日、ジェフユナイテッド市原・千葉へ期限付き移籍することが発表された。2020年からは、完全移籍にて加入。

2020年12月10日に契約満了により千葉を退団する事が発表され、現役を続けるとコメントしていたが、同月20日に行われたシーズン最終節の日に引退を発表した。

2021年元旦、YouTuberへの転身を妻の潮田玲子が自身のInstagramで報告。家族4人の写真とともに「増嶋家ちゃんねる。」のチャンネル画像を投稿した。

2021年1月、市立船橋高校サッカー部のコーチに就任した。

2023年1月、SHIBUYA CITY FCの監督に就任した。

人物・エピソード

現ロアッソ熊本コーチであり、母校市立船橋や藤枝MYFCでもコーチを務めた増嶋真也は実弟。

2012年9月30日、元バドミントン日本代表・潮田玲子との入籍を発表。

ロックバンド・10-FEETのファンであることを公言しており、メンバーとも交流がある。彼らが主催している音楽フェス「京都大作戦」にも足を運んだことがある。

所属クラブ

日本の旗 生浜FC (千葉市立生浜西小学校)

日本の旗 千葉市立生浜中学校

日本の旗 船橋市立船橋高等学校 (体育科)

2004年 - 2008年 日本の旗 FC東京

    2007年 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府 (期限付き移籍)

    2008年 日本の旗 京都サンガF.C. (期限付き移籍)

    2009年 - 2010年 日本の旗 京都サンガF.C.

    2011年 - 2019年 日本の旗 柏レイソル

      2017年 日本の旗 ベガルタ仙台 (期限付き移籍)

      2018年 - 2019年 日本の旗 ジェフユナイテッド市原・千葉 (期限付き移籍)

      2020年 日本の旗 ジェフユナイテッド市原・千葉

2024/06/10 20:59更新

masushima tatsuya


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