大山デブ子の情報(おおやまでぶこ) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
大山 デブ子さんについて調べます
■名前・氏名 |
大山デブ子と関係のある人
大山デブ子の情報まとめ
大山 デブ子(おおやま でぶこ)さんの誕生日は1915年4月13日です。奈良出身の女優のようです。
結婚、現在、子役、病気、退社、映画、事件に関する情報もありますね。1981年に亡くなられているようです。
大山デブ子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大山 デブ子(おおやま デブこ、1915年4月13日 - 1981年7月15日)は、日本の女優である。出生名神原 ヤス(かんばら ヤス)、結婚後本名伊勢野 ヤス(いせの ヤス)。一時期、蒲田 デブ子(かまた デブこ)、大山 でぶ子名義で活動していた時期もあった。 1915年(大正4年)4月13日 、奈良県奈良市にある興福寺の僧侶・神原清三郎と妻ハナの四女として同市内に生まれる。 大阪府の旧制・小坂小学校(現在の東大阪市立小阪小学校)に在学中の1924年(大正13年)5月、姉政子が松竹下加茂撮影所に入社、橘喜久子の芸名でデビューした。ヤスも同年、同撮影所の子役として『元禄女』に出演し、田中絹代と共にデビューを果たす。1925年(大正14年)の末、下加茂撮影所が閉鎖、全員が蒲田へと引き揚げた際に、彼女も姉とともに松竹蒲田撮影所へ移り、芸名を「蒲田 デブ子」とする。 1927年(昭和2年)、姉の病気もあり二人で松竹を退社、大和映画に移籍する。1928年(昭和3年)に河合プロダクション(後の河合映画製作社)に入社、その際に「大山 デブ子」に改名している。デブ子は愛嬌たっぷりの肥満体の大女で、かえってそれがユニークな存在となり、巨漢俳優・大岡怪童とともに映画界でも名物的存在となった。二人のコンビは大衆から広く受け入れられ、数多い共演作品が作られた。 河合映画が大都映画となってから一層本領を発揮、200本以上の映画に出演する。彼女がスクリーンに映っただけで観客が沸くほどであった。多い時には年間22本もの映画に出演、そのほとんどが三枚目的な役柄であった。また、大都映画時代には脚本家の伊勢野重任との恋愛を実らせ、1939年(昭和14年)所内にて結婚披露宴を行っている。その2年後の1941年(昭和16年)に、大都映画を退社、その後は夫の郷里である愛媛県松山市に落ち着き、二人の男子をもうけた。夫の伊勢野は、家庭に入った彼女が「良妻賢母の鑑」であったと語っている。 晩年は病気がちとなり、1973年(昭和48年)から糖尿病と高血圧のため入院や通院を繰り返していた。1979年(昭和54年)には緑内障を併発して失明する。1981年(昭和56年)1月19日、松山市土居田町の三宅内科胃腸科医院に入院、同年7月15日午前6時15分、慢性腎不全のために亡くなった。享年67(満66歳没)。告別式は同年7月17日、下伊台町の西法寺で行われた。喪主は二男の春夫が務めた。 寺山修司の寵愛を受け、彼の初の実験映画「檻囚(1964年)」に出演。実際に撮影されたのは2年前の1962年(昭和37年)である。 後に寺山は「演劇実験室天井桟敷」の第二回公演として『大山デブコの犯罪』を1967年に上演するが、大山デブ子の出演は叶わず、オーディションで選んだ女優に「大山デブコ(コが漢字の子ではなく、カタカナ表記)」と命名した。(『ウルトラセブン』 第47話「あなたはだぁれ?」に出演しているのは、「大山デブコ」の方である。) 2018年演劇ユニット「B機関」によって再演された。 元禄女(1924年10月1日:松竹下加茂・野村芳亭) 九官鳥(1927年1月28日:松竹蒲田・野村芳亭) - 「蒲田デブ子」名義 女敵愛憎曲(1928年4月6日・丘虹二) 我れこそ英雄(1928年5月4日・亀井清一) ぬかるみ小路(1928年6月1日・松本英一) 恋慕斬(1928年6月8日・丘虹二) 悪童変化・第一篇(1928年8月10日・曾根純三) そばやの小僧(1929年6月7日・高見貞衛) 男は必要よ(1930年4月3日・森田京三郎) 村で三日目の恋物語(1930年11月14日・吉村操) キネマの人気者(1931年2月6日・吉村操) 福の神(1931年9月11日・吉村操) 角力取り(1931年12月31日・根岸東一郎) 惨劇の一夜(1932年2月19日・田中重雄) 想い起せ乃木将軍(1932年3月18日・吉村操) アフリカ探険(1932年7月15日・吉村操) 下宿屋の娘(1932年10月20日・根岸東一郎) あら太いわね(1932年・吉村操) インチキ金鉱大当り(1933年2月22日・吉村操) 拳闘選手(1933年3月15日・吉村操) インフレ大盡(1933年3月23日・小沢得二) 新婚と居候(1933年4月1日・吉村操) 浮気はその日の出来心(1933年11月8日・吉村操) 春来る(1933年12月7日・根岸東一郎) 暁の浚渫船(1934年6月21日・大江秀雄) 空飛ぶ癇癪玉(1934年11月30日・大江秀雄) 旅姿念仏噺(1935年4月10日・石山稔) じゃじゃ馬と坊や(1935年5月30日・吉村操) 切支丹魔伏隼人(1935年7月14日・岡田敬) 郊外の雑音(1935年12月12日・大伴龍三) 浪人街の顔役(1936年6月11日・白井戦太郎) てるてる天助後篇(1936年10月29日・大伴龍三) 丸髯とボーナス(1936年12月10日・吉村操) おのろけ横町(1936年12月31日・吉村操) 春は嬉しや(1937年1月21日・土方雄) 眉目麗しく情けあり(1937年1月28日・土方雄) 乳房(1937年3月25日・吉村操) 豪傑忍術比べ(1937年4月8日・吉村操) ターザンの冒険(1937年4月8日・吉村操) 鉄砲とやせ浪人(1937年5月20日・弥刀研二) 大江山鬼退治(1937年7月15日・田坂実) 弥次喜多岡崎猫退治(1937年12月31日・吉村操) 弥次喜多助太刀道中(1938年1月5日・吉村操) 銀平追分嵐(1938年3月3日・白井戦太郎) 涯しなき愛情(1938年3月17日・山内俊英) 密林の怪獣群(1938年5月26日・山内俊英) 国際スパイ網(1938年8月25日・八代毅) 元禄伝法ぶし(1938年9月15日・中島宝三) 結婚武勇伝(1938年9月22日・八代毅) 夫婦戦線異状あり(1938年10月6日・和田敏三) 赤垣源蔵徳利の別れ(1938年12月31日・石山稔) 新婚はずかし(1938年12月31日・吉村操) 大陸の花嫁(1939年1月15日・吉村操) 泣き笑ひの友情(1939年1月22日・八代毅) 新妻(1939年6月29日・和田敏三) 空飛ぶ青春(1939年7月13日・八代毅) 百万円事件(1939年8月31日・吉村操) 青春万才(1940年2月8日・八代毅) 唄へ朗らかに(1940年3月14日・八代毅) 檻囚(1964年) ^ ノーベル書房編集部編・池田督監修、『写真集 もう一つの映画史 懐しの大都映画』、1993年3月20日、87頁 ^ 『月刊ノーサイド』株式会社文藝春秋、1995年9月1日発行、58頁 ^ 『日本女性人名辞典』株式会社日本図書センター、1993年6月25日発行、217頁 ^ 稲垣浩、『日本映画の若き日々』毎日新聞社、1978年3月1日発行、238頁 ^ 毎日新聞、1981年7月19日朝刊 ^ エントレニュース・大山デブコとは何者だったのか?! 舞踏家点滅が演劇で描く寺山修司の世界「大山デブ子の犯罪」8月21日からザムザ阿佐ヶ谷で上演 鈴木澄子 同時期に河合映画に所属した後の「化け猫女優」 藤間林太郎 大都映画で共演した藤田まことの父 ハヤフサヒデト 大都映画で共演したアクションスター 大山デブ子 - 日本映画データベース 蒲田デブ子 - 日本映画データベース 日本の女優 日本の子役 松竹の俳優 戦前の松竹の俳優 大都映画の俳優 サイレント映画の俳優 奈良県出身の人物 1915年生 1981年没 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子
2024/11/16 07:25更新
|
ooyama debuko
大山デブ子と同じ誕生日4月13日生まれ、同じ奈良出身の人
TOPニュース
大山デブ子と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「大山デブ子」を素材として二次利用しています。