もしもし情報局 > 12月30日 > 相撲

大砲万右衛門の情報 (おおづつまんえもん)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

大砲万右衛門の情報(おおづつまんえもん) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

大砲 万右衛門さんについて調べます

■名前・氏名
大砲 万右衛門
(読み:おおづつ まんえもん)
■職業
相撲
■大砲万右衛門の誕生日・生年月日
1869年12月30日 (年齢1918年没)
巳年(へび年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
宮城出身

大砲万右衛門と同じ1869年生まれの有名人・芸能人

大砲万右衛門と同じ12月30日生まれの有名人・芸能人

大砲万右衛門と同じ出身地宮城県生まれの有名人・芸能人


大砲万右衛門の情報まとめ

もしもしロボ

大砲 万右衛門(おおづつ まんえもん)さんの誕生日は1869年12月30日です。宮城出身の相撲のようです。

もしもしロボ

病気、引退、現在に関する情報もありますね。1918年に亡くなられているようです。

大砲万右衛門のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

大砲 万右エ門(おおづつ まんえもん、1869年12月30日(明治2年11月28日) - 1918年(大正7年)5月27日)は、岩代国刈田郡三沢村(現:宮城県白石市大鷹沢三沢)出身で尾車部屋に所属した大相撲力士。第18代横綱。本名は角張 萬次(かくばり まんじ)。

明治維新直後の1869年に農家の二男として生まれる。子供の時から身体が大きく怪力で、13歳で四斗俵を左右に軽々と提げて歩いた。この恵まれた体格を持つ少年の噂を聞いた伊勢ノ海部屋の元力士の夫人に見出され、1884年の春に上京して尾車部屋へ入門した。同年5月場所、故郷に因んだ「三沢滝(みさわたき)」の四股名で初土俵を踏んだ。入門当初は「コンニャク」と揶揄されるほど足腰が弱く、初土俵から4場所連続で前相撲から抜けられなかったが、1886年6月場所、師匠の初代尾車が勧進元になった際に、ようやくお情け(いわゆる"お蔭出世")で序ノ口昇進を認めてもらい、1887年1月場所に序ノ口に上がった。1888年には「大砲」(大炮と名乗っていた時期もあった)に改名し、以降成績が安定し、1892年1月場所新十両。

1892年6月場所に新入幕を果たして3勝6敗と歯が立たなかったが、その身体の大きさなのか周囲の崩れに助けられたのか、負け越しにもかかわらず翌場所は小結へ昇進した。当時はまだ大きな体は興業の目玉になるという江戸時代からの慣習が抜け切っていなかった。1899年5月場所に新大関となり、4場所務めて全休1回・途中休場も1回あったが、大関では無敗のまま吉田司家から横綱免許を授与された。横綱免許を獲得した折に止め名であるはずの「谷風梶之助」の襲名を勧められたが、本人は「笑い者になりたくない」と固辞した。

1902年5月場所には8勝1分の好成績を残したが、陸軍の砲兵に志願して、1903年5月場所から3場所全休。陸軍の志願兵になるという当時としては正当性が認められる理由があったものの、怪我・病気などの止むを得ない理由が無いにもかかわらず年月換算で1年半もの間に渡って休場することは現代の大相撲では考えられないことである。復員時には持病のリューマチを悪化させていた。1908年1月場所限りで現役引退し、引退後は年寄・待乳山を襲名して待乳山部屋を経営した。後に小結まで昇進する光風貞太郎が門下だったが、光風の十両昇進を見ることなく、1918年5月27日に背中の腫れ物を手術した後に発症した糖尿病で死去した。48歳没。没後、光風は出羽海部屋へ移籍した。

没後80年が経過した1999年11月28日、生誕130年を記念して故郷・宮城県白石市にある白石城二の丸公園の横綱碑と向かい合う場所に中村晋也が製作した銅像が建立され、除幕式が行われた。

小錦八十吉と並んで、19世紀末期~20世紀初期の相撲黄金時代を築き上げた。身長が実に197cm(六尺五寸)にも達し、伝説上の横綱を除けば史上最長身の横綱(当時)で、大砲の没後から約70年後の1986年に北尾光司が横綱に昇進するまでこの記録は破られなかった。

不器用を絵に描いたような力士だったが、力は強く突っ張って突き切れなければ叩く取り口で右四つ左上手を取って、万全の構えを取れば誰にも負けなかった。しかし、巨体のために不器用ゆえか自分で動くと失敗が多く、相手の立合いを待つ取り口で、しかも非常に相撲が遅いので引分が飛び抜けて多い。特に1907年5月場所は9戦全分という珍記録まで樹立した(この場所の相撲は突っ張って叩くだけの緩慢なものだったと伝わる)が、これには雷の「横綱は負けてはいけない」という発言が関係していたとも伝わる。通常は「(横綱は)勝たないといけない」と解釈しなければならないところをこう持っていくことが出来たのは、当の雷も1880年1月場所で4分6休という記録を残していることから、引分で凌いだこともあるためである。横綱時代の引分率は約40%で、復員後の3年6場所に限ると7勝3敗1預25引分、69%にまで跳ね上がる。こうしたことから横綱ではなく「分け綱」だと言われた。横綱相手に引き分ける実力がありながら平幕相手にも勝負を決めきれないというのは、平成以降の常識では考えられない横綱であった。

常陸山谷右エ門ですら大砲には苦戦し、対戦相手が常陸山だと聞けば安心していたと伝わる(対戦成績は大砲の2敗6分)。両者ともに受ける相撲を得意とし、大砲は自分からはほとんど攻め込まずに右四つに組み止めて左上手で守りを固めると動かない、左腕を引っ張り込む攻め方の常陸山にとってはこれ以上取りにくい相手もいなかっただろう。

現役時代のイメージとは異なり頭は良く、話上手なので引退後は巡業の売込で手腕を発揮した。

焼芋が大好物で、2貫(7.5kg)を軽々食べたと伝わる。親方になってもその食習慣は続いていた。当時庶民の食糧であったサツマイモに馴染んだことか相撲取りとして大成した一因となっている。

なお、出身地の白石市では「大砲万右ヱ門」「大砲万右衛門」「大砲萬右衛門」の表記も用いられる。

大鵬幸喜が十両に昇進にする際、二所ノ関から「お前(の四股名)は、次の場所から『タイホウ』だ」と四股名を付けられた。それを聞いた大鵬が最初に連想した文字が「大砲」だったが、二所ノ関は「それは『オオヅツ』と読むんだ…」と言って、大砲の話を聞かせたという。なお、大鵬は引退後に巨砲丈士(オオヅツ)という弟子を持つことになる。

横綱土俵入りは現在の雲龍型と呼ばれるものに近かったが、せり上がりの後に両腕を広げるという、現在では見られない型で行なっていた。

幕内通算成績:98勝29敗51分4預138休 勝率.772

幕内在位:32場所(途中兵役で3場所休場)

優勝相当成績:2回

この時代は、幕内力士は千秋楽(10日目)には取組が組まれず、出場しないのが常態であったので、各場所の1休はそれに該当するものであり、実質的には9日間で皆勤である。

当時の幕下以下の星取・勝敗数等に関する記録はほとんど現存していないため、幕下以下の勝敗数等は省略。

^ 『大砲万右衛門』 - コトバンク

^ 故郷のヒーロー知って 白石出身の18代横綱大砲 DVDに(河北新報2013年2月7日)

^ 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.58

^ 創刊からの広報しろいし8(白石市)

^ 広報しろいし2001年1月号(白石市)

^ 優勝相当成績。

^ 優勝同点相当成績。

^ 場所後4月に横綱免許。

横綱一覧

引分

看板大関 大砲の番付運の由縁はある程度この概念に説明される

大砲万右衛門 とは - コトバンク

横浜新報著作部 編『当世力士銘々伝』大砲万右エ門,横浜新報社,明36.2. 国立国会図書館デジタルコレクション

相撲レファレンス 大砲 万右エ門

初代明石志賀之助

2代綾川五郎次

3代丸山権太左衛門

4代谷風梶之助

5代小野川喜三郎

6代阿武松緑之助

7代稲妻雷五郎

8代不知火諾右衛門

9代秀ノ山雷五郎

10代雲龍久吉

11代不知火光右衛門

12代陣幕久五郎

13代鬼面山谷五郎

14代境川浪右衛門

15代梅ヶ谷藤太郎(初代)

16代西ノ海嘉治郎(初代)

17代小錦八十吉

18代大砲万右エ門

19代常陸山谷右エ門

20代梅ヶ谷藤太郎(2代)

21代若嶌權四郎

22代太刀山峯右エ門

23代大木戸森右エ門

24代鳳谷五郎

25代西ノ海嘉治郎(2代)

26代大錦卯一郎

27代栃木山守也

28代大錦大五郎

29代宮城山福松

30代西ノ海嘉治郎(3代)

31代常ノ花寛市

32代玉錦三右エ門

33代武藏山武

34代男女ノ川登三

35代双葉山定次

36代羽黒山政司

37代安藝ノ海節男

38代照國萬藏

39代前田山英五郎

40代東富士欽壹

41代千代の山雅信

42代鏡里喜代治

43代吉葉山潤之輔

44代栃錦清隆

45代若乃花幹士(初代)

46代朝潮太郎

47代柏戸剛

48代大鵬幸喜

49代栃ノ海晃嘉

50代佐田の山晋松

51代玉の海正洋

52代北の富士勝昭

53代琴櫻傑將

54代輪島大士

55代北の湖敏満

56代若乃花幹士(2代)

57代三重ノ海剛司

58代千代の富士貢

59代隆の里俊英

60代双羽黒光司

61代北勝海信芳

62代大乃国康

63代旭富士正也

64代曙太郎

65代貴乃花光司

66代若乃花勝

67代武蔵丸光洋

68代朝青龍明徳

69代白鵬翔

70代日馬富士公平

71代鶴竜力三郎

72代稀勢の里寛

73代照ノ富士春雄

雷電爲右エ門

宮城県出身の大相撲力士

尾車部屋

大日本帝国陸軍軍人

1869年生

1918年没

宮城県出身の人物

横綱

2024/11/06 19:15更新

oodutsu manemon


大砲万右衛門と同じ誕生日12月30日生まれ、同じ宮城出身の人

本名 直美(ほんめ なおみ)
12月30日生まれの有名人 宮城出身

本名 直美(ほんめ なおみ、12月30日 - )は、日本の女性声優。宮城県宮城郡利府町出身。リアルテック所属。 ※太字はメインキャラクター。 キャスパー(ミニ) パパ・ママだいすき あ・い・う・え…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


大砲万右衛門と近い名前の人

巨砲 丈士(おおづつ たけし)
1956年4月18日生まれの有名人 三重出身

巨砲 丈士(おおづつ たけし、1956年4月18日 - )は、三重県四日市市出身で大鵬部屋(入門時は二所ノ関部屋)所属の元大相撲力士。本名は松本 隆年(まつもと たかとし)。最高位は東関脇。身長183…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
大砲万右衛門
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

GEM palet ALLOVER E-girls 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「大砲万右衛門」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました