大竹英雄の情報(おおたけひでお) 囲碁 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
大竹 英雄さんについて調べます
■名前・氏名 |
大竹英雄の情報まとめ
大竹 英雄(おおたけ ひでお)さんの誕生日は1942年5月12日です。福岡出身の囲碁棋士のようです。
引退、現在、兄弟、父親、テレビ、姉妹に関する情報もありますね。去年の情報もありました。大竹英雄の現在の年齢は82歳のようです。
大竹英雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大竹 英雄(おおたけ ひでお、1942年(昭和17年)5月12日 - )は、2021年に引退した囲碁棋士。名誉碁聖。福岡県北九州市出身、日本棋院所東京本院所属、木谷實九段門下、九段。 碁聖位6連覇、名人位4期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など。 厚く味のよい形を好む本格的な棋風で大器、大竹美学と呼ばれる。布石では小目を好む。またNHK杯優勝5回など早碁を得意とし「早碁の神様」、名人戦では挑戦手合通算12回出場などで「名人戦男」などのニックネームを持つ。同年同月生まれでライバルでもある林海峰と並んで"竹林"とも称される。 通算タイトル獲得数は48で、囲碁棋士の獲得タイトル数ランキング歴代5位。門下に西村慶二八段。木谷門下の塾頭格として、後輩の指導などでも評価が高い。 2008年12月9日 - 2012年6月26日は日本棋院理事長、同日から2020年6月22日は日本棋院顧問。2010年から全日本囲碁連合の会長も務めた。日本棋院の新旧タイトル保持者で作る名棋会の会長でもある。 現在、存命の名誉称号資格者・三大タイトル獲得経験者・碁聖位獲得者・十段位獲得者では林海峰名誉天元と並び最年長である。 1942年(昭和17年)5月12日福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区)に7人兄弟の4番目として生まれる。父は八幡製鐵所に努めていた。3歳の時に八幡空襲に遭う。家が焼けてしまったので隣の戸畑に引っ越す。喧嘩ばかりしていた腕白坊主であだなが「豆雷電」だった。アマ三段の父親が製鉄所の囲碁クラブの幹事をしており、その縁で小学2年の時に八幡の碁会所に通いだす。負けると大泣きしていたが日々強くなり、10か月ほどでアマ三・四段となる。この頃は碁会所の先生に手製の詰碁カードを作ってもらっていた。9際の時にはすでに大竹の強さが評判となり西日本新聞に取り上げられるほどだった。 1951年12月6日、9歳のときに、福岡県柳川市で行われた呉清源と藤沢庫之助の対局の立ち会い人として来ていた木谷實と懇意にしていた高田工業社長・高田寿夫の紹介で九子で試験碁を打つ。大敗したものの認められ、その月の17日に兄弟子の筒井勝美(現六段)とともに上京し木谷門下に入門。戸沢昭宣(現九段)に続く内弟子二号だった。翌年日本棋院院生となる。当時の院生師範は杉内雅男だった。1956年入段。同期に戸沢昭宣・木谷禮子・本田光子(現姓・楠)。初対局は姉弟子の本田幸子。デビューから5連敗するも徐々に成績を上げていく。 1957年に早碁トーナメント戦で初優勝するなど、若手棋戦で活躍。1960年10月、『囲碁クラブ』の企画で内弟子指導碁シリーズと銘打ち、木谷實と二子で対局して勝利。1961年3月から4月にかけて、朝日新聞社の企画で林海峰との新鋭三番碁を打つ。これが宿命のライバルとなる林との初対局だった。林六段・大竹四段だったため、大竹の先番での対局で大竹の二勝・一ジゴとなり、このころから「竹林コンビ」と呼ばれるようになる。工藤紀夫を含めた3名で「三羽烏」ともよばれたこともある。内弟子生活から独立する。 1962年に「木谷一門百段突破記念祝賀会」を企画し3,000人を集めた。同年には新鋭選抜トーナメントで優勝し、初タイトルを獲得。1967年に第6期日本棋院第一位決定戦で坂田栄男に挑戦し、2勝1敗でタイトルを奪取する。日本棋院第一位決定戦で2連覇後、これが発展した全日本第一位決定戦では碁聖戦に発展終了するまでの5期全てで防衛しタイトルを譲らなかった。1970年九段。 1975年に木谷門の弟弟子であった石田芳夫に名人戦で挑戦し、4勝3敗で奪取する。翌年から朝日新聞主催となった名人戦での3期在位を含め、1980年に趙治勲に敗れるまで6年連続で七番勝負出場。1982〜84年には趙治勲に3年連続挑戦、1984年は3連勝後4連敗を喫する。新旧リーグ在籍24期のうち12期挑戦者となり、「名人戦男」と呼ばれる。 全日本第一位決定戦の後継棋戦である碁聖戦では、第1期(1976年)は加藤正夫の挑戦を受け敗れるが、1980年から5連覇して名誉碁聖の資格を得、連覇記録は1985年までの6連覇に伸ばした。 名人戦に比べて不思議に本因坊戦には縁が薄いと言われていたが、1988年に武宮正樹本因坊に挑戦、3-4で敗れる。棋聖戦にも2度挑戦したが、1981年は藤沢秀行に0-4、1990年には小林光一に1-4で敗れる。 1992年には富士通杯に優勝、1993年には応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦の決勝に進むが徐奉洙に2勝3敗で敗れ準優勝、1994年にはテレビ囲碁アジア選手権戦で優勝。日中スーパー囲碁では、第2・7・10・11回に日本の主将を務め、第10回には5人抜きした常昊を止めて自らも4人抜きを果たすが馬暁春に敗れ、第11回には常昊に敗れ6人抜きを許した。 2000年には「木谷一門五百段突破記念の会」を開催。 2007年6月から日本棋院副理事長を務めたのち、2008年12月から2012年まで棋士としては6人目となる理事長に就任した。2010年3月に全日本囲碁連合が設立されると会長となる。2010年アジア競技大会囲碁チームの監督も務めた。 2011年3月28日、通算1200勝達成。史上5人目。68歳10か月・入段から54年11か月での到達。2019年4月25日には史上4人目となる通算1300勝(820敗5持碁1無勝負)を達成。 2021年12月15日付で引退。引退の理由については「頭に浮かんでくる図が、自分が思っているものよりも貧相になってきた」と語り、林海峰についても「彼がいなかったら、今の私はない」と思いを語った。現役最終年となった2021年の成績は8勝9敗、通算成績は1319勝846敗5持碁1無勝負。 1942年5月12日、福岡県八幡市に7人兄弟姉妹の次男に生まれる。 1950年(8歳) 八幡の碁会所に通い始める。 1951年(9歳) 12月、木谷實の試験後を受け、神奈川県平塚市の木谷道場に住み込み、内弟子生活を始める。 1956年(13歳) 3月、入段。 1957年(15歳) 二段。 1958年(16歳) 三段。第2期早碁トーナメント優勝。 1959年(17歳) 四段。 1961年(19歳) 五段。第1回青年選手権優勝。林海峰六段との三番碁で2勝1持碁。木谷道場から独立。 1962年(20歳) 新鋭選抜トーナメント優勝。呉清源との記念碁実施。 1963年(21歳) 六段。第1期プロ十傑戦ファン投票9位。 1965年(23歳) 七段。大手合第1部優勝。第9期首相杯争奪戦優勝。 1967年(25歳) 第6期日本棋院第一位戦タイトル奪取。 1968年(26歳) 第15回NHK杯優勝。日本棋院第一位戦防衛。名人戦リーグ入り。 1969年(27歳) 第8期十段位獲得。王座戦挑戦。棋道賞殊勲賞。 1970年 九段。第1期全日本第一位決定戦で防衛。棋道賞最優秀棋士賞受賞。 1971年 十段失冠。NHK杯優勝。全日本第一位決定戦防衛。 1972年(30歳) NHK杯準優勝。 1973年 NHK杯優勝。全日本第一位決定戦防衛。 1974年 早碁選手権優勝。「早碁の神様」と呼ばれ始める。全日本第一位決定戦防衛。 1975年 NHK杯4度目の優勝。第14期名人位獲得。全日本第一位決定戦5連覇。第23期王座位獲得。棋道賞最優秀棋士賞・秀哉賞受賞。 1976年 名人位防衛。碁聖戦挑戦。王座位失冠。 1977年(35歳) 早碁選手権優勝。名人位失冠。 1978年 名人戦復位。碁聖位獲得。棋聖戦九段の部優勝。棋道賞最多勝利賞(39勝16敗)・連勝賞(13連勝)受賞。 1979年 名人位防衛。碁聖位失冠。 1980年 名人位失冠。十段位獲得。碁聖位を獲得し三冠となる。 1981年 棋聖戦挑戦。十段位防衛。碁聖位防衛。鶴聖戦優勝。第3期アジア航空杯優勝。 1982年(40歳) 名人位失冠。十段位失冠。碁聖位防衛。 1983年 鶴聖戦優勝。碁聖位防衛。名人位挑戦。 1984年 鶴聖戦優勝。碁聖戦5連覇を達成し「名誉碁聖」の称号を受ける。 1985年 十段戦挑戦。碁聖戦6連覇。 1986年 碁聖位失冠。 1987年(45歳) 鶴聖戦優勝。第6期NECカップ優勝。 1988年 本因坊戦挑戦。 1989年 棋聖戦挑戦。 1990年 名人戦挑戦。 1992年(50歳) 名人戦挑戦。 1993年 名人戦挑戦。十段位獲得。 1994年 NHK杯トーナメント5度目の優勝。十段位防衛。 1995年 十段位失冠。NECカップ優勝。 1998年 JT杯優勝。 1999年 通算1000勝達成。 2003年 北九州市民文化賞受賞 2004年(62歳) 紫綬褒章。通算1100達成。 2011年 通算1200勝達成。 2012年(70歳) 大倉喜七郎賞受賞。 2019年 通算1300勝達成。 2021年(79歳) 引退。 タイトル獲得数48は歴代5位、七大タイトル獲得数17は歴代8位。 国際棋戦 世界囲碁選手権富士通杯 1992年 テレビ囲碁アジア選手権 1994年 国内棋戦 早碁トーナメント戦 1957年 青年選手権戦 1961年 新鋭選抜トーナメント戦 1962年 首相杯争奪戦 1965年 日本棋院第一位決定戦 1967-68年 NHK杯テレビ囲碁トーナメント 1968、71、73、75、94年 十段 1969、80-81、93-94年 全日本第一位決定戦 1970、71、73、74、75年 達人杯争奪戦 1970年 早碁選手権戦 1974、76年 名人(旧) 1975年、名人(現) 1976、78-79年 王座 1975年 碁聖 1978、1980-1985年 7期(歴代2位) 6連覇(歴代1位タイ) 名誉碁聖 鶴聖戦 1981、1983、1984、1987、1988年 日本アジア航空杯 1981年 NECカップ囲碁トーナメント戦 1987、1989、1996年 IBM早碁オープン戦 1989年 竜星戦 1991年 JT杯星座囲碁選手権戦 1999年 応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦 準優勝 1993年 囲碁選手権戦 高松宮賞 1964年 プロ十傑戦 3位 1965、1970年 王座戦 挑戦者 1969、1983年 棋聖戦 挑戦者 1981、1990年、九段戦優勝 1978年 名人戦 挑戦者 1982-1984、1990、1992-1993年 十段戦 挑戦者 1985年 本因坊戦 挑戦者 1988年 大手合第一部優勝 1965年 日中スーパー囲碁
1993年 出番なし 1995-6年 4-1(○常昊、○兪斌、○劉小光、○曹大元、×馬暁春) 1996年 0-1(×常昊) CSK杯囲碁アジア対抗戦
棋道賞最優秀棋士賞 1970、1975年 秀哉賞 1975年 北九州市民文化賞 2003年 紫綬褒章 2004年 大倉喜七郎賞 2012年 旭日中綬章 2015年 「囲碁クラブ」および「碁ワールド」誌上にて1999年から2001年まで、林海峰とともに竹林杯戦を企画、実施。主催は1999年は「囲碁クラブ」「碁ワールド」誌、2000-2001年は「碁ワールド」誌。 1999年、2000年は、精鋭八強戦として、若手選抜棋士8名によるトーナメント、2001年はチーム別・四世代対抗戦。この2001年第3回には大竹、林も選手として参加し、大竹は決勝で羽根直樹に敗れて準優勝となった。 1978年、第3期名人戦にて大竹が林海峯名人に挑戦したシリーズの第3局。黒1のヒラキに対し、白の大竹は1時間29分の長考の上、2から4とカケる珍しい手段を選んだ。 以下白12までとシボリ、黒13に対しては白14,16と二段バネして黒を辛抱させ、サバキに成功。 さらに局面が進み、黒1のカケを迎えた場面。白aからgと下辺で生きるようでは、黒hの攻めを受けて形勢を損じる。 ここで大竹は白2と打ち込み、△の3子を捨てる作戦を採った。白4,6を利かして厚くした上、白8から攻め立てて左上の模様を拡大。主導権を握って、快勝した。本局は大竹の名局とされ、多くの書籍で紹介されている。 『現代花形棋士名局選〈3〉大竹英雄』日本棋院 1975年 『親仙徳・大仙知 (日本囲碁大系7)』 筑摩書房 1977年 『明解 大竹囲碁講座』(全5巻)日本棋院 1977年 『定石全科』(全6巻)平凡社 1979年 『大竹英雄(上)(下)』(現代囲碁大系35,36)講談社 1980年 『大竹英雄打碁選集 (全5巻)』朝日新聞社 1984年 『基本置碁事典 上・下』日本棋院 1986年 『大竹英雄 (現代囲碁名勝負シリーズ5巻)』講談社 1986年 『大竹囲碁直伝シリーズ』(全5巻)日本棋院 1988年 『大竹兵法の極意 (碁の心発見シリーズ) 』日本棋院 2001年 川端康成の小説『名人』で本因坊秀哉名人と対戦する大竹七段とは英雄のことではなく英雄の師匠の木谷實のことある。木谷の弟子である大竹と同姓なのは偶然と思われる(川端が『名人』を書き始めたのが1942年頃で初掲載が1951年8月号。英雄が木谷道場に入門したのが1951年の12月なため)。なぜ「大竹七段」なのかは英雄自身も疑問に思っており、そこで川端本人に真意を尋ねようと食事会の場を設け約束もしていたが、直前に川端は亡くなってしまった(逆に木谷がこの作品を意識して大竹の姓の少年を探したという説もある。いずれにしろこの時9歳の大竹少年がまさか名人位を取るとは予想できなかっただろう)。 木谷が地方を周る時は大竹が一番お供をしていた。 15歳プロ初段のときに木谷とともに名古屋に行き、当時8歳の石田芳夫(現:二十四世本因坊秀芳)と対局している。この対局により石田は木谷道場への入門が許された。 原尞のハードボイルド小説に登場する私立探偵沢崎は大竹のファンであり、張り込み時などの時間潰し用に、常に大竹の棋書を持ち歩いている。これは原尞自身が大竹ファンであることによる。 戦後の碁が生産的でないと見なされていた頃、大竹も碁が大事にされてないと複雑な心境だった。八幡にいた子供の頃、大竹は蔵に入って書物を読み漁り独学を重ね、将来は医者になろうとも思っていた。 「特集 天才大竹英雄のすべて」(『囲碁クラブ』1979年1月号) 「石心 囲碁棋士大竹英雄評伝」井口幸久 石風社 2013年 タイトル戦の欄の氏名は対戦相手。うち、色付きのマス目は獲得(奪取または防衛)。色付きは名誉称号獲得。青色は挑戦者または失冠。黄色はリーグ成績。 棋道賞は、最 : 最優秀棋士賞、 優 : 優秀棋士賞、 特別 : 特別賞、率 : 勝率一位賞、 勝 : 最多勝利賞、 対 : 最多対局賞、 連 : 連勝賞、国際 : 国際賞、 新人 : 新人賞、 哉 : 秀哉賞 賞金&対局料は、度区切りではなく1月 - 12月の集計。単位は万円。色付きのは全棋士中1位。 ^ “タイトル通算48期、大竹英雄名誉碁聖が引退会見 囲碁普及へ「黄門役を」”. 日刊スポーツ (2021年12月15日). 2021年12月15日閲覧。 ^ 七大タイトルでは工藤紀夫九段 ^ 『石心 囲碁棋士・大竹英雄小伝』石風社 2013年 ^ 内藤由起子(囲碁観戦記者)『それも一局 弟子たちが語る「木谷道場」のおしえ』水曜社、1969年、9–22頁。ISBN 978-4-88065-396-9。 ^ 柳田邦夫「木谷一門の秘密」(現代新社)P.54 ^ 小堀啓爾『現代の棋士12人の世界』(日本棋院)P.54 ^ “大竹英雄名誉碁聖が通算1300勝達成!【史上4人目】”. 日本棋院 (2019年4月25日). 2021年12月15日閲覧。 ^ 参考 : 1200勝達成棋士 日本棋院 ^ “大竹英雄名誉碁聖が現役引退、手厚く味のいい形を好む棋風…林名誉天元と戦後の囲碁界先導 : 囲碁・将棋 : ニュース”. 読売新聞オンライン (2021年12月15日). 2021年12月15日閲覧。 ^ “囲碁の大竹英雄名誉碁聖が引退 名人4期、ライバルとのチクリン対決:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2021年12月15日). 2021年12月15日閲覧。 ^ 日本棋院第一位戦を含めれば7期連続 ^ 公式戦のみ。女流棋戦・地方棋戦(王冠戦・関西棋院第一位決定戦など)は除く。 ^ “大竹英雄名誉碁聖(日本棋院顧問)の「旭日中綬章」授章について”. 日本棋院 (2015年4月29日). 2023年7月4日閲覧。 ^ “春の叙勲 4087人が受章へ”. NHK NEWS WEB (2015年4月29日). 2015年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月30日閲覧。 ^ 「碁風をさぐる 大竹英雄 厚みの美学」成美堂出版 p. 222 ^ 内藤由起子(囲碁観戦記者)『それも一局 弟子たちが語る「木谷道場」のおしえ』水曜社、1969年。ISBN 978-4-88065-396-9。 p.46 ^ 内藤由起子(囲碁観戦記者)『それも一局 弟子たちが語る「木谷道場」のおしえ』水曜社、1969年。ISBN 978-4-88065-396-9。 日本棋院の大竹英雄 紹介ページ 囲碁データベース 表 話 編 歴 坂田栄男 林海峰 加藤正夫 小林光一 大竹英雄 趙治勲 羽根泰正 武宮正樹 王立誠 山城宏 石田芳夫 依田紀基 工藤紀夫 小林覚 片岡聡 王銘琬 淡路修三 石井邦生 彦坂直人 山下敬吾 高尾紳路 羽根直樹 張栩 山田規三生 小県真樹 橋本昌二 本田邦久 結城聡 今村俊也 苑田勇一 清成哲也 表 話 編 歴 藤沢秀行(第2-6期) 小林光一(第11-17期) (井山裕太〈第38–45期〉) 趙治勲(第5-9期) 小林光一(第13-19期) 二十二世秀格(第7-15期) 二十三世栄寿(第16-22期) 二十四世秀芳(第26-30期) 二十五世治勲(第36-37期、44-53期) 二十六世文裕(第67-77期 ) 加藤正夫(第27-28期、30-37期、41期) 林海峰(第15-19期) (井山裕太〈第37–39期、第41–45期〉) 大竹英雄(第5-10期) 小林光一(第13-18期) (井山裕太〈第37-42期〉) (不在) 坂田栄男(第2-8期) 坂田栄男(第4-6期、8-9期、11-12期、19期、23-24期、29期) 橋本昌二(第9-11期、14-18期、22-23期、32期、34期) (余正麒〈第61-65期〉) (謝依旻〈第26-31期、34期、36期〉) (謝依旻〈第20-28期〉) (藤沢里菜〈第29-33期〉) (藤沢里菜〈第4-8期〉) (謝依旻〈第13-14期、16-20期〉) 表 話 編 歴 第1回(1967) 坂田栄男 第2回(1968) 高川格 第3回(1969) 林海峰 第4回(1970) 大竹英雄 第5回(1971) 石田芳夫 第6回(1972) 坂田栄男 第7回(1973) 林海峰 第8回(1974) 石田芳夫 第9回(1975) 大竹英雄 第10回 (1976) 加藤正夫 第11回 (1977) 加藤正夫 第12回 (1978) 加藤正夫 第13回 (1979) 加藤正夫 第14回 (1980) 趙治勲 第15回 (1981) 趙治勲 第16回 (1982) 趙治勲 第17回 (1983) 林海峰 第18回 (1984) 趙治勲 第19回 (1985) 小林光一 第20回 (1986) 加藤正夫 第21回 (1987) 加藤正夫 第22回 (1988) 小林光一 第23回 (1989) 小林光一 第24回 (1990) 小林光一 第25回 (1991) 小林光一 第26回 (1992) 小林光一 第27回 (1993) 小林光一 第28回 (1994) 趙治勲 第29回 (1995) 小林覚 第30回 (1996) 趙治勲 第31回 (1997) 趙治勲 第32回 (1998) 趙治勲 第33回 (1999) 趙治勲 第34回 (2000) 王立誠 第35回 (2001) 王立誠 第36回 (2002) 加藤正夫 第37回 (2003) 張栩 第38回 (2004) 張栩 第39回 (2005) 張栩 第40回 (2006) 山下敬吾 第41回 (2007) 張栩 第42回 (2008) 張栩 第43回 (2009) 張栩 第44回 (2010) 張栩 第45回 (2011) 山下敬吾 第46回 (2012) 井山裕太 第47回 (2013) 井山裕太 第48回 (2014) 井山裕太 第49回 (2015) 井山裕太 第50回 (2016) 井山裕太 第51回 (2017) 井山裕太 第52回 (2018) 井山裕太 第53回 (2019) 井山裕太 第54回 (2020) 井山裕太 第55回 (2021) 井山裕太 第56回 (2022) 井山裕太 第57回 (2023) 一力遼 表 話 編 歴 瀬越憲作1946-1948 岩本薫1948-1949 津島壽一1949-1951 足立正1951-1955 三好英之1955-1956 有光次郎1956-1975 長谷川章1975-1978 坂田栄男1978-1986 色部義明1986-1987 朝田静夫1988-1993 渡辺文夫1993-1998 利光松男1999-2004 加藤正夫2004 岡部弘2006-2008 大竹英雄2008-2012 和田紀夫2012-2016 團宏明2016-2019 小林覚2019-2024 武宮陽光2024-現在 表 話 編 歴 1 藤沢秀行 2 坂田栄男 3 坂田栄男 4 林海峰 5 林海峰 6 林海峰 7 高川格 8 林海峰 9 藤沢秀行 10 林海峰 11 林海峰 12 林海峰 13 石田芳夫 14 大竹英雄 1 大竹英雄 2 林海峰 3 大竹英雄 4 大竹英雄 5 趙治勲 6 趙治勲 7 趙治勲 8 趙治勲 9 趙治勲 10 小林光一 11 加藤正夫 12 加藤正夫 13 小林光一 14 小林光一 15 小林光一 16 小林光一 17 小林光一 18 小林光一 19 小林光一 20 武宮正樹 21 趙治勲 22 趙治勲 23 趙治勲 24 趙治勲 25 依田紀基 26 依田紀基 27 依田紀基 28 依田紀基 29 張栩 30 張栩 31 高尾紳路 32 張栩 33 張栩 34 井山裕太 35 井山裕太 36 山下敬吾 37 山下敬吾 38 井山裕太 39 井山裕太 40 井山裕太 41 高尾紳路 42 井山裕太 43 張栩 44 芝野虎丸 45 井山裕太 46 井山裕太 47 芝野虎丸 48 芝野虎丸 表 話 編 歴 1 橋本宇太郎 2 高川格 3 橋本宇太郎 4 橋本宇太郎 5 島村利博 6 藤沢朋斎 7 橋本昌二 8 半田道玄 9 坂田栄男 10 宮下秀洋 11 坂田栄男 12 坂田栄男 13 半田道玄 14 坂田栄男 15 藤沢秀行 16 藤沢秀行 17 藤沢秀行 18 坂田栄男 19 坂田栄男 20 坂田栄男 21 林海峰 22 石田芳夫 23 大竹英雄 24 趙治勲 25 工藤紀夫 26 石田芳夫 27 加藤正夫 28 加藤正夫 29 橋本昌二 30 加藤正夫 31 加藤正夫 32 加藤正夫 33 加藤正夫 34 加藤正夫 35 加藤正夫 36 加藤正夫 37 加藤正夫 38 羽根泰正 39 藤沢秀行 40 藤沢秀行 41 加藤正夫 42 趙治勲 43 王立誠 44 柳時熏 45 山田規三生 46 王立誠 47 王立誠 48 王立誠 49 趙治勲 50 王銘琬 51 張栩 52 張栩 53 張栩 54 山下敬吾 55 山下敬吾 56 張栩 57 張栩 58 張栩 59 張栩 60 井山裕太 61 井山裕太 62 村川大介 63 井山裕太 64 井山裕太 65 井山裕太 66 井山裕太 67 芝野虎丸 68 芝野虎丸 69 井山裕太 70 井山裕太 71 井山裕太 表 話 編 歴 1 加藤正夫 2 加藤正夫 3 大竹英雄 4 趙治勲 5 大竹英雄 6 大竹英雄 7 大竹英雄 8 大竹英雄 9 大竹英雄 10 大竹英雄 11 趙治勲 12 加藤正夫 13 小林光一 14 小林光一 15 小林光一 16 小林光一 17 小林光一 18 小林光一 19 林海峰 20 小林覚 21 依田紀基 22 依田紀基 23 依田紀基 24 小林光一 25 山下敬吾 26 小林光一 27 小林光一 28 依田紀基 29 依田紀基 30 依田紀基 31 張栩 32 張栩 33 張栩 34 張栩 35 坂井秀至 36 羽根直樹 37 井山裕太 38 井山裕太 39 井山裕太 40 井山裕太 41 井山裕太 42 井山裕太 43 許家元 44 羽根直樹 45 一力遼 46 井山裕太 47 井山裕太 48 井山裕太 49 井山裕太 表 話 編 歴 1 橋本宇太郎 2 半田道玄 3 藤沢朋斎 4 高川格 5 坂田栄男 6 坂田栄男 7 坂田栄男 8 大竹英雄 9 橋本宇太郎 10 坂田栄男 11 坂田栄男 12 橋本昌二 13 林海峰 14 加藤正夫 15 加藤正夫 16 加藤正夫 17 加藤正夫 18 大竹英雄 19 大竹英雄 20 趙治勲 21 加藤正夫 22 小林光一 23 小林光一 24 小林光一 25 加藤正夫 26 趙治勲 27 趙治勲 28 武宮正樹 29 武宮正樹 30 武宮正樹 31 大竹英雄 32 大竹英雄 33 依田紀基 34 依田紀基 35 加藤正夫 36 彦坂直人 37 小林光一 38 小林光一 39 王立誠 40 王立誠 41 王立誠 42 王立誠 43 趙治勲 44 趙治勲 45 趙治勲 46 高尾紳路 47 張栩 48 張栩 49 井山裕太 50 井山裕太 51 結城聡 52 高尾紳路 53 伊田篤史 54 井山裕太 55 井山裕太 56 井山裕太 57 村川大介 58 芝野虎丸 59 許家元 60 許家元 61 芝野虎丸 62 井山裕太 FAST VIAF WorldCat アメリカ 日本 韓国 日本の囲碁棋士 紫綬褒章受章者 旭日中綬章受章者 北九州市特命大使 NHK杯テレビ囲碁トーナメント テレビ囲碁アジア選手権戦 私の履歴書の登場人物 北九州市出身の人物 1942年生 存命人物 FAST識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事
2024/11/12 18:45更新
|
ootake hideo
大竹英雄と同じ誕生日5月12日生まれ、同じ福岡出身の人
TOPニュース
大竹英雄と近い名前の人
注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「大竹英雄」を素材として二次利用しています。