安達峰一郎の情報(あだちみねいちろう) 外交官 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
安達 峰一郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
安達峰一郎と関係のある人
長岡春一: 1935年、安達峰一郎の死去により、常設国際司法裁判所判事に選出。 若槻礼次郎: 同期に、後に司法大臣、鉄道大臣を歴任した政党政治家・小川平吉、数期にわたり内務大臣を務めた官僚政治家・水野錬太郎、常設国際司法裁判所所長・安達峰一郎らがいる。荒井賢太郎と安達峰一郎とが彼の次席を争っていた。 織田萬: 司法省学校の同期には、後に総理大臣となる若槻禮次郎、後の大臣・小川平吉、荒井賢太郎、常設国際司法裁判所で織田の後任を引き受ける安達峰一郎、京都帝国大学法科大学で同僚となり、のちに財団法人立命館初代協議員となる岡村司らがいた。 たかまつなな: お笑い以外では、2010年と2011年に『高校生の主張コンクール』で2年連続で決勝進出、2回ともに優秀賞を受賞(2010年・安達峰一郎賞、2011年・国連広報センター賞)。 |
安達峰一郎の情報まとめ
安達 峰一郎(あだち みねいちろう)さんの誕生日は1869年7月17日です。山形出身の外交官のようです。
脱退、卒業に関する情報もありますね。1934年に亡くなられているようです。
安達峰一郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)安達 峰一郎(あだち みねいちろう、1869年7月27日〈明治2年6月19日〉 - 1934年〈昭和9年〉12月28日)は、日本の外務官僚、国際法学者。法学博士。メキシコ公使、ベルギー大使、フランス大使を経て、アジア人初の常設国際司法裁判所所長。山形県出身。 アジア系として初の常設国際司法裁判所の所長(判事としては国内2人目)となるが、所長就任早々、祖国の日本が満州事変を起こし、国際連盟を脱退することになる。所長3年の任期を終え、1934年(昭和9年)1月から平判事になったが、日本の国際連盟脱退問題の悩みから6月に体調を崩し、8月に重い心臓病を発症。同年12月28日、オランダのアムステルダムにある病院で死去した。この時、オランダは国葬の礼をもって、国際平和に尽力した多大の功績と栄誉を称えた。墓所は横浜市総持寺。 1968年(昭和43年)より優れた国際法の研究業績をあげた研究者に対し安達の名前を冠した「安達峰一郎記念賞」が授賞されている。 曾孫に詩人の河津聖恵がいる。 1869年 - 羽前国村山郡高楯村(のち山形県東村山郡山辺町)に生まれる。 1882年 - 山形師範学校附属中学校(のち山形県立山形東高等学校)に入学。 1884年 - 上京し、司法省法学校に入学。卒業後東京大学法学部仏法科に入学し、英語、フランス語、イタリア語を習得。恩師・宮城浩蔵(明治大学創設者の一人)の紹介で、お雇い外国人で法理学のボアソナードや国際法学者のアレッサンドロ・パテルノストロの通訳を担当する。 1892年 - 東京帝国大学法科大学仏法科を卒業、外務省に入省。試補となり、和仏法律学校(現・法政大学)、明治法律学校講師も務める。 1893年 - 条約改正取調委員。公使館書記生としてイタリアに赴任し、外交官補に任ぜられる。 1905年 - 日本全権小村寿太郎の随員として、日露戦争講和のポーツマス条約草案作成にあたる。 1913年 - メキシコ公使。 1917年 - ベルギー公使。 1919年 - 第一次世界大戦のパリ講和会議日本代表代理。 1920年 - 国際連盟第1回総会 日本代表代理として活躍。 1921年 - ベルギー大使(公使館が大使館に格上げの為)。 1921年 - 国際連盟第2回総会日本代表(以後、第10回総会まで連続して日本代表)。 1926年 - (駐ベルギー大使のまま)国際連盟組織委員会委員。 1927年 - フランス大使。 1928年 - パリ不戦条約締結に参与。 1929年 - ハーグ対独賠償会議日本代表。この会議でフランスとイギリスが激しく対立した時、調停の依頼を受けた安達は、日本流の茶会を開いて両国代表を招いて和解させ、会議を成功に導いた。 1930年 - 常設国際司法裁判所2期目の判事選挙で最高得票で当選。(判事の任期は9年)。 1931年 - 常設国際司法裁判所の第4代所長(裁判長)となる。(所長の任期は3年)。 1934年 - 逝去。オランダ国葬、常設国際司法裁判所葬。 妻の鏡子(1870年生)は、山形の士族・高澤佐德の長女で、女子高等師範学校出身、元皇后宮御用掛。長女・功の夫に武富敏彦、二女萬里の夫に河津益雄(河津暹の異母弟)、妹・きみの子に今井達夫がいる。 ハーグ国際法アカデミー教授(1924年) 万国国際法学会(定員60名)の日本人初の正会員(1924年) 日本学士院 帝国学士院会員(定員100名)(1925年) ルーベン大学法学部名誉教授(1927年) アメリカ国際法協会名誉会員(1931年) アメリカ芸術科学アカデミー名誉会員(1932年) オランダ科学協会会員(1933年) 1893年(明治26年)12月16日 - 従七位 1897年(明治30年)12月28日 - 従六位 1900年(明治33年)6月11日 - 正六位 1912年(明治45年)3月1日 - 従四位 1927年(昭和2年)4月15日 - 正三位 1895年(明治28年)8月20日 - 勲六等単光旭日章 1900年(明治33年)12月20日 - 勲五等瑞宝章 1901年(明治34年)10月21日 - 双光旭日章 1906年(明治39年)4月1日 - 明治三十七八年従軍記章 1912年(明治45年)5月24日 - 勲一等瑞宝章 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章 1920年 - 旭日大綬章 1934年(昭和9年)12月29日 - 旭日桐花大綬章 1897年(明治30年)
イタリア王国:王冠三等勲章 1900年(明治33年) - フランス共和国:レジオンドヌール勲章シュヴァリエ 1901年(明治34年)12月5日 - スペイン王国:イサベル・ラ・カトリカ星章付二等勲章 1902年(明治35年) - フランス共和国: レジオンドヌール勲章オフィシエ 1907年(明治40年) - フランス共和国: レジオンドヌール勲章コマンドゥール 1908年(明治41年) - ロシア帝国:神聖スタニスラス一等勲章 1910年(明治43年)2月4日 - オーストリア=ハンガリー帝国:フランツ・ヨーゼフ星章付第二等勲章 1913年(大正2年) - フランス共和国:レジオンドヌール勲章グラントフィシエ 1916年(大正5年)
中華民国:第一双龍宝星勲章二等 1922年(大正11年) - ベルギー王国:レオポール勲章グランドクロス 1926年(大正15年)
ルーマニア王国:ルーマニア星勲章グランドクロス エストニア共和国:第一種第一級自由十字章 1929年(昭和4年)9月28日 - ユーゴスラビア王国:聖サヴァ勲章グランドクロス(en) 1930年(昭和5年)
フランス共和国: レジオンドヌール勲章グランクロア 柳原正治、篠原初枝[編](2017年)『安達峰一郎:日本の外交官から世界の裁判官へ』東京大学出版会。ISBN 4130362593 安達峰一郎[著]、柳原正治[編](2019年)『世界万国の平和を期して:安達峰一郎著作選』東京大学出版会。ISBN 4130362704 柳原正治(2022年)『帝国日本と不戦条約:外交官が見た国際法の限界と希望』NHKブックス。ISBN 4140912766 ^ “奨学金制度と安達峰一郎賞”. 公益財団法人安達峰一郎記念財団. 2015年9月6日閲覧。 ^ 山辺町には生家が残っており、安達峰一郎博士顕彰会が設立され、書簡集『国際法にもとづく平和と正義を求めた安達峰一郎』編纂、山形大学との共催による中高生記念弁論大会、ふるさと資料館での生誕150周年特別展(2019年)といった事業が行われている。【Topics】生誕150周年安達峰一郎特別展 名声と苦悩の生涯概観 戦前の代表的国際人、出身の山形で『毎日新聞』朝刊2019年11月28日(文化面)同日閲覧。 ^ “生家 安達峰一郎博士”. adachi-mineichiro.jp. 2020年12月18日閲覧。 ^ 安達峰一郎『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月] ^ 石井全権が総会副議長に『大阪毎日新聞』大正15年9月9日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p189 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年) ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 40頁。 ^ 『官報』第3142号「叙任及辞令」1893年12月18日。 ^ 『官報』第4350号「叙任及辞令」1898年1月4日。 ^ 『官報』第8608号「敍任及辞令」1912年3月2日。 ^ 『官報』第106号「叙任及辞令」1927年5月10日。 ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。 ^ 『官報』第5243号「叙任及辞令」1900年12月21日。 ^ 『官報』第5492号「叙任及辞令」1901年10月22日。 ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。 ^ 『官報』第8678号「敍任及辞令」1912年5月25日。 ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。 ^ 『官報』第2403号「敍任及辞令」1935年1月9日。 ^ 『官報』第5531号「叙任及辞令」1901年12月9日。 ^ 『官報』第7988号「叙任及辞令」1910年2月10日。 ^ 『官報』第828号「叙任及辞令」1929年10月1日。 ^ 敍任及辭令。 国立国会図書館 憲政資料室 安達峰一郎関係文書 安達峰一郎文献資料一覧 (山形県立図書館内) 世界の良心 安達峰一郎(安達峰一郎博士生家&記念対賢堂) 公益財団法人 安達峰一郎記念財団 前坂俊之アーカイブス この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 表 話 編 歴 向山黄村1866-1868 鮫島尚信1870-1873 少弁務使→中弁務使→弁理公使 / 1873-1875 /1878-1880 井田譲1881-1883 蜂須賀茂韶1882-1887 田中不二麿1887-1890 野村靖1891-1893 曾禰荒助1893-1897 栗野慎一郎1897-1901 本野一郎1901-1906 大使館昇格 栗野慎一郎1906-1912 石井菊次郎1912-1915 松井慶四郎1915-1920 石井菊次郎1920-1927 安達峰一郎1927-1929 芳澤謙吉1930-1932 長岡春一1932-1933 佐藤尚武1933-1935 杉村陽太郎1937-1938 沢田廉三1939-1940 加藤外松1941-1942 三谷隆信1942-1946 大使交換中断1946 萩原徹1950-1952 萩原徹1952臨時代理大使 西村熊雄1952-1956 古垣鉄郎1957-1961 萩原徹1961-1967 松井明1967-1970 中山賀博1970-1975 北原秀雄1975-1979 井川克一1979-1982 内田宏1982-1984 本野盛幸1984-1989 木内昭胤1989-1992 矢田部厚彦1992-1994 松浦晃一郎1994-1999 小倉和夫1999-2002 平林博2002-2006 飯村豊2006-2009 齋藤泰雄2009-2011 小松一郎2011-2013 鈴木庸一2013-2016 木寺昌人2016-2019 伊原純一2019-2022 下川眞樹太2022- 表 話 編 歴 柳原前光1873 代理公使(未赴任) 鮫島尚信1878-1880 長岡護美1880-1882 蜂須賀茂韶1883-1887 西園寺公望1887-1891 青木周蔵1892-1898 井上勝之助1898 本野一郎1898-1901 加藤恒忠1902-1906 秋月左都夫1907-1909 鍋島桂次郎1910-1913 阿部守太郎1913 (未赴任) 陸奥広吉1914 (未赴任) 安達峰一郎1917-1921 大使館昇格1921 安達峰一郎1921-1928 永井松三1928-1930 佐藤尚武1931-1933 有田八郎1934-1935 来栖三郎1936-1939 栗山茂1939-1940 大使交換中断 与謝野秀1951-1952 在外事務所長 荒川昌二1952-1955 武内竜次1955-1957 倭島英二1957-1960 下田武三1961-1963 湯川盛夫1963-1968 小田部謙一1968-1971 安倍勲1971-1976 西堀正弘1976-1979 徳久茂1979-1983 山本鎮彦1983-1987 加藤吉彌1987-1990 矢田部厚彦1990-1992 加藤淳平1992-1994 中村順一1994-1997 兵藤長雄1997-2000 佐藤俊一2000-2003 内藤昌平2003-2006 林梓2006-2009 横田淳2009-2012 坂場三男2012-2014 石井正文2014-2017 林肇2017-2019 下川眞樹太2019-2022 三上正裕2022- 表 話 編 歴 在アメリカ合衆国公使が兼轄 陸奥宗光1890 建野郷三1891-1894 栗野慎一郎1894-1896 室田義文1896-1900 佐藤愛麿1900-1902 杉村虎一1903-1906 荒川巳次1906-1907 堀口九萬一臨時代理公使1909-1913 安達峰一郎1913-1915 大鳥富士太郎1917-1919 古谷重綱1922-1926 青木新1927-1930 堀義貴1931-1936 越田佐一郎1937-1940 三浦義秋1940-1942 引揚1942 加瀬俊一1952-1953 久保田貫一郎1953-1958 千葉皓1958-1960 林馨1960-1965 石黒四郎1965-1968 関守三郎1968-1970 加藤匡夫1970-1974 鈴木孝1974-1976 和田力1976-1978 松永信雄1978-1981 菊地清明1981-1984 内藤武1984-1988 今井隆吉1988-1990 田中常雄1990-1993 堂之脇光朗1993-1995 寺田輝介1995-1998 田中克之1998-2001 堀村隆彦2001-2003 西村六善2003-2005 成田右文2005-2007 小野正昭2007-2011 目賀田周一郎2011-2014 山田彰2014-2017 髙瀨寧2017-2021 福嶌教輝2021- FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ アメリカ 日本 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 19世紀日本の法学者 20世紀日本の法学者 日本の国際法学者 帝国学士院会員 在フランス日本大使 在ベルギー日本大使 戦前日本の大使 大正日本の公使 国際連盟日本代表 常設国際司法裁判所の裁判官 東邦協会の人物 東京大学の教員 法学博士取得者 司法省法学校出身の人物 東京大学出身の人物 山形県立山形東高等学校出身の人物 山形県出身の人物 ベルギー王立アカデミー会員 フランス語通訳 在オランダ日本人 勲一等旭日桐花大綬章受章者 勲一等旭日大綬章受章者 勲一等瑞宝章受章者 イタリア王冠勲章受章者 レジオンドヌール勲章グランクロワ受章者 レジオンドヌール勲章グラントフィシエ受章者 レジオンドヌール勲章コマンドゥール受章者 レジオンドヌール勲章オフィシエ受章者 レジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章者 聖スタニスラフ勲章受章者 聖アンナ勲章受章者 国葬された人物 1869年生 1934年没 経歴が年譜のみになっている人物記事 プロジェクト人物伝項目 すべてのスタブ記事 学者関連のスタブ項目 法学者関連のスタブ項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/17 14:13更新
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