実吉捷郎の情報(さねよしはやお) ドイツ文学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
実吉 捷郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
実吉捷郎と関係のある人
フリードリヒ=フォン=シラー: 実吉捷郎訳 岩波文庫、1934 フリードリヒ=フォン=シラー: 実吉捷郎訳 世界文学大系・筑摩書房、1959 徳永康元: 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)から同中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を4年修了で卒業し、府立高等学校文科乙類で実吉捷郎や石川道雄に師事。 アルトゥール=シュニッツラー: 実吉捷郎 訳『美しき寡婦』新潮社〈新潮文庫〉、1954年1月。 |
実吉捷郎の情報まとめ
実吉 捷郎(さねよし はやお)さんの誕生日は1895年1月20日です。東京出身のドイツ文学者のようです。
翻訳などについてまとめました。卒業、結婚、離婚、再婚に関する情報もありますね。
実吉捷郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)実吉 捷郎(さねよし はやお、1895年(明治28年)1月20日 - 1962年(昭和37年)2月15日)は、日本の独文学者、翻訳家。 1895年に実吉安純の六男として東京に生まれる。 東京帝国大学卒業後、水戸高等学校(旧制)、府立高等学校などで教師生活を経て、1949年旧・東京都立大学教授となる。 後に桐朋学園大学教授、立正大学教授。 一時期は伯爵・日野資秀の三女と結婚し、婚姓から「日野 捷郎」という名前で著作活動をした。 義兄日野資謙の死去に伴い、1925年6月1日に伯爵を襲爵。 1931年2月27日に隠居し、同年4月10日に離婚したため復姓した。 トーマス・マンなどの日本への紹介で貢献的な役割を果たした一人である。 長男は、国語学者で静岡大学名誉教授の日野資純。 再婚後生まれた次男は、ドイツ文学者でシューベルトの歌曲の翻訳などをした北里大学教授の実吉晴夫(1940 - 2003)。 府立高等学校時代には、同校の校歌を作曲をした。教え子に徳永康元などがいる。 翻訳「マインツ攻囲」(大村書店、日野捷郎名義、『ゲーテ全集14』) 1925 『トオマス・マン短篇集』(トーマス・マン、日野捷郎名義、岩波書店、岩波文庫) 1927、のち改版 1979 『たくみと恋』(シラー、岩波文庫) 1934、のち度々復刊 『悪童物語』(ルートヴィヒ・トーマ、岩波文庫) 1935
『新悪童物語』(ルートヴィヒ・トーマ、白水社) 1938 『蜜蜂マーヤ』(ワルデマル・ボンゼルス、岩波文庫) 1937
『ヴェニスに死す』(トーマス・マン、岩波文庫) 1939、のち再改版 2000 『ヘッベル短篇集』(ヘッベル、岩波文庫) 1940 『インド紀行』上・下(ボンゼルス、岩波文庫) 1943、のち復刊 1994、2008 『タッソオ』(ゲーテ、育生社、ゲーテ全集5) 1948、のち岩波文庫 1950 『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ、思索社) 1949、のち芸術社 1955 『アンナ・妙な晩 他六篇』(ヘッベル、養徳社) 1949 『トーニオ・クレーガー』(トーマス・マン、岩波文庫) 1952、のち再改版 2003 『ブッデンブローク家の人々』(トーマス・マン、河出書房) 1954 『ザッフォオ』(フランツ・グリルパルツァー、岩波文庫) 1953、のち復刊 2001 『美しき寡婦』(アルトゥール・シュニッツラー、新潮社) 1954 『親和力』(ゲーテ、岩波文庫) 1956 『車輪の下』(ヘルマン・ヘッセ、岩波文庫) 1958 『デミアン』(ヘッセ、岩波文庫) 1959 「子じかバンビ」(フェリックス・ザルテン、白水社、『ザルテン動物文学全集』) 1960 2024/06/28 07:35更新
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saneyoshi hayao
実吉捷郎と同じ誕生日1月20日生まれ、同じ東京出身の人
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