宮城喜代子の情報(みやぎきよこ) 箏曲家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
宮城 喜代子さんについて調べます
■名前・氏名 |
宮城喜代子と関係のある人
宮城道雄: 1918年(大正7年)に吉村貞子と再婚し、貞子の姪である牧瀬喜代子(後の宮城喜代子)、数江(後の宮城数江)姉妹がのちに道雄のもとへ入門した。 |
宮城喜代子の情報まとめ
宮城 喜代子(みやぎ きよこ)さんの誕生日は1905年1月29日です。滋賀出身の箏曲家のようです。
家族、結婚に関する情報もありますね。1991年に亡くなられているようです。
宮城喜代子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)宮城喜代子(みやぎ きよこ、1905年1月29日 - 1991年2月19日)は、生田流箏曲家。妹である宮城数江と共に宮城道雄の門弟として有名。重要無形文化財保持者に各個認定(いわゆる人間国宝)、日本芸術院会員。 13歳で叔父の宮城道雄に入門してから、弟子、家族として道雄の死まで37年をともにした喜代子は、妹の数江と共に道雄の楽曲を最もよく理解し、演奏を体現していたといわれる。生涯独身を通し、道雄の国内外の数多くの演奏旅行に随行し、貞子夫人と共に、盲目であった道雄の音楽活動を支えた。道雄の死後も宮城箏曲の普及につとめ、後継者の育成にも尽力した。著書に自伝『箏ひとすじに』(文園社、1990年)がある。 1905年(明治38年) 滋賀県大津市に牧瀬家の長女として生まれる。清子と命名。 1918年(大正7年) この年1月叔母である吉村貞子が道雄に入門し、5月に結婚。貞子の勧めと本人の希望とで道雄の門下に入り、以降家族として道雄夫妻と生活を共にする。 1923年(大正12年) 関東大震災。宮城家は被災を免れる。この年から姓名判断により、「喜代子」の名を使うようになる。 1931年(昭和6年) 東京音楽学校の講師になる(1938年迄) 1952年(昭和27年) 東京芸術大学講師(1959年迄)。 1956年(昭和31年) 宮城道雄、関西演奏旅行への途次、列車から転落死。 1959年(昭和34年) 東京芸術大学助教授。 1969年(昭和44年) 生田流協会副会長に選任される(1978年迄)。 1971年(昭和46年) 母・牧瀬スミ死去。 1975年(昭和50年) 勲四等宝冠章受章。 1978年(昭和53年) 生田流協会会長に選任される(死去迄)。宮城道雄記念館が竣工・落成。 1983年(昭和58年) 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。LP10枚組『箏曲 宮城喜代子全集』発売(ビクター)。 1986年(昭和61年) 日本芸術院会員。 1988年(昭和63年) 勲三等瑞宝章受章。 1991年(平成2年) 逝去。 ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ アメリカ 日本 MusicBrainz 日本伝統音楽の音楽家 人間国宝 日本藝術院会員 東京芸術大学の教員 (音楽) 滋賀県出身の人物 勲三等瑞宝章受章者 勲四等宝冠章受章者 1905年生 1991年没 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事
2024/11/21 11:49更新
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