寺本圭一の情報(てらもとけいいち1933年5月30日-) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
寺本 圭一さんについて調べます
■名前・氏名 |
寺本圭一と関係のある人
小池哲夫: やがてカントリー歌手の寺本圭一のプロデュースで1966年10月に、日本コロムビア(以下コロムビア)のCBSコロムビアレーベルよりファースト・シングル「暗い砂浜」でデビューした(古関は発売前に脱退するが、初期の2枚のシングルにはいずれもレコーディングに参加している)。 笹井一臣: やがてカントリー歌手の寺本圭一のプロデュースで1966年10月に、日本コロムビア(以下コロムビア)のCBSコロムビアレーベルよりファースト・シングル「暗い砂浜」でデビューした(古関は発売前に脱退するが、初期の2枚のシングルにはいずれもレコーディングに参加している)。 ジミー時田: 脱退後に寺本圭一とカントリー・ジェントルメンに加入。 城卓矢: ヴォーカル 菊地正夫、釜萢ヒロシ、寺本圭一、黒田美治、斉藤任弘、井上高、関口良信、さわたり順 ジミー時田: マウンテン・プレイボーイズ脱退後、寺本圭一とカントリー・ジェントルメンに加入。 ジミー時田: 小坂一也、寺本圭一、ジミー時田、石田新太郎 / オールド・ボーイ / FOR LIFE FLL-5002 (1976) ヴィレッジ・シンガーズ: やがてカントリー歌手の寺本圭一のプロデュースで1966年10月に、日本コロムビア(以下コロムビア)のCBSコロムビアレーベルよりファースト・シングル「暗い砂浜」でデビューした(古関は発売前に脱退するが、初期の2枚のシングルにはいずれもレコーディングに参加している)。 ジミー時田: ジミー時田、寺本圭一、斉藤任弘、大野義夫 / カントリー・パンプキン / MUSHROOM/DENON CD-7026-Z (1972) 津村泰彦: その後、寺本圭一とカントリージェントルマン、石津啓介とバンダルス、ミッキー・カーチスとバンガーズ他のグループに参加。 |
寺本圭一の情報まとめ
寺本 圭一(てらもと けいいち 1933年5月30日 - )さんの誕生日は1933年5月30日です。
卒業、テレビ、現在に関する情報もありますね。
寺本圭一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)寺本 圭一(てらもと けいいち 1933年(昭和8年)5月30日 - )は、日本のカントリー・ミュージック歌手。作詞家・作曲家・音楽プロデューサー。 1933年5月30日生まれ。東京都出身。祖父は不動貯金銀行創業者の牧野元次郎。父は不動貯金銀行頭取の寺本五郎。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校と歩んだ慶應ボーイであったが、大学は青山学院へ進む。 青山学院大学時代にプロのミュージシャンに転向。1957年に明治大学を卒業したばかりの堀威夫と共にロカビリーバンド:スウィング・ウエストを結成し、ボーカリストとして活動。日劇ウエスタンカーニバルにも第1回から出演している。 スウィング・ウエストを離れた後は、渡辺プロダクションに所属して自身のバンドである「寺本圭一とカントリー・ジェントルメン」を結成したり、原田実とワゴン・エースに参加するなどの活動を行った。 サンズ・オブ・ドリフターズの結成当時のメンバーである大野義夫と親交が深かったことで知られる。 渡辺プロダクション時代には、渡辺プロダクション製作で日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)にて1959年に放送されていた音楽番組『ザ・リクエストショー』の司会を担当した。また、音楽プロデューサーとしては、ヴィレッジ・シンガーズのメジャーデビューに関わっている。 2000年にプロデビュー50周年を迎えた。2007年に脳梗塞で倒れて入院したが、その後回復して現在も音楽活動を続けている。 オリジナル・メンバー 寺本圭一 (ギター、ヴォーカル) 斎藤任弘 (ギター、ヴォーカル) 山田幸保 (スティール・ギター) 金城貞則 (エレキ・ギター) 小野光郎 (ベース) 鈴木恒雄 (フィドル) 木村皓昭 (フィドル、ピアノ) 島悦夫 (ドラムス) 後の加入メンバー 深野英明 (ギター、ヴォーカル) 瀬谷福太郎 (エレキ・ギター) 東条英基 (ギター、ヴォーカル) 藤井三雄 (スティール・ギター) 鈴木邦夫 (エレキ・ギター) 若林正彦 (ドラムス) 「君を呼ぶヨーデル」(作詞・作曲) - 大野義夫(歌) 「暗い砂浜」(作詞) - 小松久作曲、ヴィレッジ・シンガーズのデビュー曲 「海はふるさと」(作詞)荒木健太・新城健史 作曲 歌:トニーズ 寺本圭一とカントリージェントルマン / ハイ・ヌーン c/w 駅馬車 (テイチク NS-307) ケイとヨーコ / 涙の便り c/w バイ・バイ・ラブ (GREEN CITY/日本ビクター W-1022、1971.05) *当時の妻である寺本燿子との共同名義 寺本圭一 / それだけの幸せ c/w 離れていても (MUSHROOM/DENON、1972.04) V.A. / トウキョウ・ジャンボリー (東京芝浦電気、1958) V.A. / トウキョウ・ジャンボリー第2集 (東京芝浦電気、1959) 関口良信、寺本圭一、斉藤任弘 / Three Country Hearts (ジュピター TDK-106、1959) 寺本圭一とカントリー・ゼントルマン/ 寺本圭一のウエスタン・カーニバル (テイチク NL-1127、1960) 寺本圭一とカントリー・ジェントルメン / 流行歌をウエスタンで (日本ビクター LV-259、1962.06) 寺本圭一とカントリー・ジェントルメン / 寺本圭一のウェスタン・ヒット・パレード (キング SKF-128(Stereo), LKF-1282(Mono)、1962.10) V.A. / 世界ポピュラー大全集Vol.7: ウエスタン音楽 (日本ビクター SJL-5107、1963.04) ★寺本圭一とカントリー・ジェントルメン 寺本圭一とカントリー・ジェントルメン / スチール・ギター・ラグ (日本コロムビア PS-3040、1964.05) V.A. / ウエスタンのすべて (上) (日本ビクター SJV-35、1964.08) ★寺本圭一とカントリー・ジェントルメン V.A. / ウエスタンのすべて (下) (日本ビクター SJV-36、1964.08) ★寺本圭一とカントリー・ジェントルメン V.A. / コンサート・イン・トーキョー (日本コロムビア PS-1229、1965.10) ★寺本圭一とカントリー・ジェントルメン V.A. / 決定盤!これぞウェスタン (日本コロムビア YS-10037-J、1968) ★原田実とワゴン・エース 寺本圭一とカントリー・ボーイズ / モダン・カントリー・サウンド '69 (フィリップス/日本ビクター FS-5037、1969) V.A. / 豪華盤カントリー&ウエスタン大全集: テネシー・ワルツからマンダムまで (GREEN CITY/日本ビクター W-9001/2、1971) ジミー時田、寺本圭一、斉藤任弘、大野義夫 / カントリー・パンプキン (MUSHROOM/DENON CD-7026-Z、1972) 寺本圭一 / Time Changes Everything: Still I'm Country (インターコム ICR-1034/5、1976) 小坂一也、寺本圭一、ジミー時田、石田新太郎 / オールド・ボーイ (FOR LIFE FLL-5002、1976) V.A. / 日本のウエスタン歌手たち: 進駐軍華やかなりし頃 (日本ビクター SPX-1034、1976) 寺本圭一 / Kelly's Part 1: Singing Only Country Music (Tokyo Promotion A-9843、1970s) 瀬谷福太郎 / クレスト・ライン (日本ビクター RHL-6006、1982) V.A. / TOKYOジャンボリー'83 (東芝EMI EWS-66027/8、1983) 寺本圭一 / ウエスタン・ヒッツ (キング・レコード NKCD-1151、1993) *「寺本圭一のウェスタン・ヒット・パレード」の再発 寺本圭一 / レッツ・ターン・バック・ザ・イヤーズ (ステージコーチオフィース、2001) V.A. / ポップスヒストリーVol.1: ウエスタン・カーニバルの時代(1958~61)(東芝EMI、2002) *「ホンキー・トンク・マン」歌唱を収録 「カントリー音楽一筋 寺本圭一が語るカントリー音楽と人生」(かまくら春秋社/2010年) ^ 『人事興信録 第13版 下』テ17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月2日閲覧。 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。 寺本圭一 - STAGECOACHによる公式サイト VIAF カントリー・ミュージシャン 日本の作詞家 日本の男性作曲家 日本の音楽プロデューサー 日本の司会者 過去の渡辺プロ系列所属者 慶應義塾幼稚舎出身の人物 慶應義塾高等学校出身の人物 青山学院大学出身の人物 東京都出身の人物 1933年生 存命人物 VIAF識別子が指定されている記事
2024/11/22 00:33更新
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teramoto keiichi 1933年5月30日 -
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