ジミー時田の情報(じみーときた) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
ジミー時田さんについて調べます
■名前・氏名 |
ジミー時田と関係のある人
尾崎紀世彦: アルバム『尾崎紀世彦/カントリー&ウェスタンを歌う』では、演奏を「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」に在籍した石田新太郎とシティライツが担当した。ジミー時田は、1967年から音楽活動の場をアメリカに移している。 寺本圭一: 小坂一也、寺本圭一、ジミー時田、石田新太郎 / オールド・ボーイ (FOR LIFE FLL-5002、1976) 寺本圭一: ジミー時田、寺本圭一、斉藤任弘、大野義夫 / カントリー・パンプキン (MUSHROOM/DENON CD-7026-Z、1972) 飯塚文男: 1958年に日本大学経済学部を卒業後、ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズに参加して活動する。 小坂一也: B面はジミー時田の「パパとママのワルツ」) 飯塚文男: 元々はジミー時田らと活動し[12]、ザ・ドリフターズに参加していたが後に離脱。 ジャイアント吉田: 1958年、大学卒業後、ジャイアント吉田としてジミー時田とマウンテン・プレイボーイズに参加し芸能入り、マンドリン&ボーカルを担当、その後初期の「ザ・ドリフターズ」として活動、メンバーはいかりや長介、小野ヤスシ、猪熊虎五郎、飯塚文雄、加藤茶。 ビリー諸川: しかし、その出来事で自信を付け、カントリー歌手のジミー時田の元へ、自分の歌声を録音したカセットテープとテープレコーダーを持って、新宿のウィッシュボンというカントリーのライヴハウスに出向き、弟子にしてほしいと直談判した(この時の曲はハートブレイク・ホテルとブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー)。そこで楽屋に案内され、テープを聞いたジミー時田から「YOUダメだね」と言われ弟子入りを断られた。それでもエルヴィスになる夢を諦めきれなかった為、何度ダメだしされても、幾度となくジミー時田のもとへ通うこととなる。そして、ジミー時田の方から、「お前には負けたよ。内弟子を取らない主義だったジミー時田だったが、晴れて外弟子になることを許された瞬間だった。 いかりや長介: ミッキー・カーチスが在籍していたロカビリーバンド「クレイジーウェスト」に参加後、ジミー時田や寺内タケシが在籍していたカントリーウェスタンバンド「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」にベーシストとして加わり、立川・横須賀・横田の米軍キャンプで披露していた。 尾崎紀世彦: 1960年にハワイアンバンド「ヒロ・ハワイアンズ」結成、1965年にカントリーバンド「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」加入。 ビリー諸川: ブルー・ムーン・ボーイズ時代、ジミー時田の紹介で「夜のヒットスタジオ」にアマチュアでありながら出演する話があった。 いかりや長介: いかりやは戦後日本のカントリーミュージックの代表格だった「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」に在籍していたが、その頃、ウッドベースからエレキベースギターに転向、または兼任していたジャズ、ロカビリーの古参ベーシストたちが米軍基地でアメリカ人の演奏を見て始めたのが、この「親指弾き」だった。 朝コータロー: 1966年、朝と栗は、四国で行われたジョイントライブで『ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ』のメンバーの一人であった尾崎紀世彦と知り合う。 尾崎紀世彦: 1974年から1980年代、ジミー時田が出演する六本木や新宿にあるカントリーのライブハウスに客として度々現れ、ジミーに「素敵なゲストが来ている。 宮地晴子: 夫はカントリー歌手のジミー時田。 東理夫: 進駐軍放送のAFRSを聴いて育ち、学生時代からカントリー音楽のファンになり、ナッシュビルを訪れ、一時はジミー時田のバンドでも活動する。 尾崎紀世彦: 契約した芸能プロダクション東京ハワイアンズがジミー時田と同じ所属先という縁で、セカンドボーカルとギターで参加する。 寺内タケシ: その後、米軍上瀬谷キャンプ(神奈川県横浜市)で、「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」のベースをしていた碇矢と再会して、寺内も移籍したが、やがて時田からクビを宣告される。 ミッキー安川: 石原裕次郎や兄で作家の石原慎太郎をはじめ、ジェリー藤尾・ハナ肇・ジミー時田・ウィリー沖山・浅香光代・小野ヤスシなど幅広い交友関係を持っていた。 |
ジミー時田の情報まとめ
ジミー時田(じみー ときた)さんの誕生日は1936年3月15日です。神奈川出身のミュージシャンのようです。
卒業、結婚、離婚、再婚、ドラマ、解散、脱退、映画、事故に関する情報もありますね。2000年に亡くなられているようです。
ジミー時田のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)ジミー時田(ジミーときた、1936年3月15日 - 2000年3月10日)は満州生まれのカントリー・ミュージックの歌手。本名は時田 圭介。ジミー・ロジャーズにあやかって「ジミー」を名乗った。 1936年、満州にて出生。 1951年、東京都荒川区立第一中学校卒業。青山学院高等部入学。 高校1年の頃、友人の伝手でウェスタン・ランブラーズと知り合い、カントリー・ミュージックに目覚め、FENから流れてくるカントリー番組を聴いてはコピーしながらレパートリーを増やしつつ、英語力も磨いたという。 1954年、青山学院大学文学部英文学科入学。学生バンド「サンセット・バリー・ボーイズ」を結成。1955年から1年間ほど、山口銀次等のハワイアン・バンドにてギターの修行をした。 1957年9月、マウンテン・プレイボーイズを結成、その後青山学院大学英米文学科を卒業。 1958年、大学卒業。パンアメリカン航空に就職するものの、バンド活動との両立ができず、ほどなく退職。この頃、本名を改名。 1960年、レコード・デビュー。1966年までに共同名義も含めてアルバム18枚をリリースするなど、精力的な活動を行った。 1967年9月、単身で渡米し、アーティスト・ユニオンに加入して現地のクラブ・ハウスを回った。 1969年8月、時田は愛飲家として知られるが、アルコールで体調を崩して帰国。 1970年、数ヶ月の静養を経て、日本での音楽活動を再開。晩年に至るまで、本人の体調不良もあり活動は断続的となったが、複数のレーベルから自己名義の作品を発表、併せて他のカントリー系アーティスの作品で客演した。 私生活では、1975年に女優の宮地晴子と結婚したが、1981年に離婚。同年に一般人と再婚し、死去するまで連れ添った。 2000年3月10日、東京都杉並区で逝去、63歳没。墓所は川崎市春秋苑。 時田はバンド結成の際、カントリー&ウェスタンのみならずブルーグラスもできるような編成とした。 ギター、スティール・ギター、ベース、フィドルを基本としているが、ギタリストが時折マンドリンやバンジョーを兼任している。また、時田は伝統的なドラムレスの編成を好んでおり、一時期を除いてレギュラー・ドラマーを配置していない。 なお、マウンテン・プレイボーイズ単体としてLP1枚をキング・レコードに残している他、トミ藤山の「アメリカ旅日記第2集」、「ウェスターン・ヒット・10」のバックを務めている(ただし、契約の関係から、「コロムビア・ワゴン・ボーイズ」名義)。 1957年9月、結成(初期のラインナップは不明)。当初は各地の米軍キャンプでの活動が中心だった。1959年からジャズ喫茶での演奏を開始。 1960年、レコード・デビュー。1967年まで、メンバー・チェンジを繰り返しながら、レコーディング活動を精力的に行う。 1967年、時田の渡米により活動休止。 1970年、時田の帰国とともに活動を再開。 2000年、時田の死去に伴い、解散。 鍋島常敬(エレクトリック・ギター): 1957年。初代ギタリスト。
名倉あきら(エレクトリック・ギター、バンジョー): 1958-60、61-67年。 吉田一男(ヴォーカル、ギター、マンドリン、コント): 1958-62年。
藤井三雄(スティール・ギター): 1958-60年。
宮城久弥(フィドル): 1958-63年。 安藤正樹(ドラムス): 1959-1960年。
碇矢長一(ベース、コント): 1959-62年。
寺内タケシ(エレクトリック・ギター、バンジョー): 1960-61年。
松平直久(スティール・ギター、ドブロ): 1961-66年。 岩倉忠雄(ベース、コント): 1962-65年。 東理夫(ギター): 1963年。 坂本孝昭(ギター): 1964年。 飯塚文雄(フィドル、バンジョー): 1962-63年。 深野英明(エレクトリック・ギター): 1963年。 鈴木恒雄(フィドル、ピアノ): 1963年。時田晩年期にも参加。 谷岡寿夫(フィドル): 1964-1967年。1980年代前半にも参加。 岸澄夫(エレクトリック・ギター): 1964-65年。 東角俊夫 (ドラムス): 1964-65年。 辻田巌(ベース): 1965-67年。 三田ひろし(サイド・ギター): 1965年。 三橋渡(サイド・ギター): 1965年。
尾崎紀世彦(ヴォーカル、サイド・ギター): 1965-66年。
石田新太郎(スティール・ギター): 1966-67年。1980年代前半にも参加。
トビー門口: バンド・ボーイだった。 椎崎輝也(ギター、ヴォーカル): 1980年代前半。 都留邦彦(ベース): 1980年代前半。 石川眞起(エレクトリック・ギター): 1985年-2000年。時田晩年期のメンバー。 大江俊幸(スティール・ギター): 1986年-2000年。時田晩年期のメンバー。 雨宮直己(ベース): 1986年。 小宮山隆(ベース): 1987年-2000年。時田晩年期のメンバー。 高野秀臣(フィドル): 1988年-2000年。時田晩年期のメンバー。 清水納代(ピアノ、アコーディオン): 1989年-1990年代。 ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / 駅馬車からバファロー大隊まで (西部劇映画主題歌集) / KING SKF-14(Stereo), LKF-1126(Mono) (1961.02) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / 幌馬車は西へ (続・西部劇映画主題歌集) / KING SKF-23(Stereo), LKF-1147(Mono) (1961.06) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / ウェスタン・ハイライト / KING SKF-45(Stereo), LKF-1178(Mono) (1961.10) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / ウェスタン・ホリデイ / KING SKF-59(Stereo), LKF-1199(Mono) (1961.12) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / 谷間の灯ともし頃 / KING SKF-69(Stereo), LKF-1217(Mono) (1962.04) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / ハンクの肖像 / KING SKF-104(Stereo), LKF-1260(Mono) (1962.08) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / ジミーのマウンテン・ジャンボリー / KING SKF-127(Stereo), LKF-1281(Mono) (1962.10) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / 山の人気者 / KING SKG-6(Stereo), LKF-1318(Mono) (1963.03) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / 愛の喜びと悲しみ / KING SKG-23(Stereo), LKF-1347(Mono) (1963.07) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / フォーク・バラードのすべて (ウェスタン全集: 第1巻) / KING KC-50 (1963.12) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / カントリー・バラードのすべて (ウェスタン全集: 第2巻) / KING KC-51 (1964.03) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / ポピュラー・ウェスタンのすべて (ウェスタン全集: 第3巻) / KING KC-52 (1964.05) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / 鉄路に生きる歌 / KING SKK-29 (1964.11) ジミー時田 / ジミー時田のジャニー・ギター / KING SKK-55 (1965.01) ザ・マウンテン・プレイボーイズ / カントリー&ウエスタン・トップ・ヒッツ / KING SKK-117 (1965.08) *時田は不参加 ジミー時田 / モダン・フォークのすべて / KING SKK-170 (1966.01) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / フォーク・ロック・パーティー / KING SKK-258 (1966.10) ジミー時田 / バラードの心 / KING SKK-574 (1970.02) ジミー時田とタム・カントリー / ジミーがうたうカントリー / TAM MPL-2004 (1972.07) ジミー時田とザ・ギャング / アメリカの魂 / KING SKM-1393/4 (1977.02) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / 西部劇主題歌のすべて / KING SKJ-1003(Stereo), KC-22(Mono) (1962.10) *アルバム1,2の再編集盤 ジミー時田とオリジナル・マウンテン・プレイボーイズ / これが西部劇主題歌である(その1) / KING KR-7041 (1971) *アルバム1の再発盤 ジミー時田とオリジナル・マウンテン・プレイボーイズ / これが西部劇主題歌である(その2) / KING KR-7042 (1971) *アルバム2の再発盤 遥かなるアラモ c/w シャイアン / KING SEA-4(Stereo), EA-118(Mono) (1961.02。映画『アラモ』主題歌、映画『シャイアン』主題歌) 独立騎兵隊マーチ c/w 峠の幌馬車 / KING EB-7049 (1961.12。映画『独立騎兵隊』主題歌) ワイアット・アープ c/w アパッチ / KING EB-7050 (1961.12。TV映画『保安官ワイアット・アープ』主題歌。A面にボニー・ジャックスが参加) いとしのクレメンタイン c/w ジャニー・ギター / KING SEB-42(Stereo), EB-7056 (1962.01。映画『荒野の決斗』主題歌、映画『大砂塵』主題歌) 連邦保安官 c/w 失恋の海 / KING EB-7068 (1962.03) ブロンコ c/w マーベリック / KING EB-7087 (1962.04) 駅馬車 c/w 遥かなる山の呼び声 / KING EB-7091 (1962.05。映画『シェーン』主題歌) お山三千尺 c/w 山小径 / KING EB-683 (1962.05。バックはミュージカル・アカデミー) ローハイド c/w ライフルと愛馬 / KING EB-7096 (1962.06) 黄色いリボン c/w テキサスの黄色いバラ / KING EB-7112 (1962.08。映画『黄色いリボン』主題歌、映画『拳銃稼業』主題歌) リバティ・バランスを撃った男 c/w ウォーク・オン・バイ / KING EB-7120 (1962.09。映画『リバティ・バランスを撃った男』主題歌) 拳銃無宿のテーマ c/w 西部の掟 / KING EB-7166 (1963.02。TV映画『拳銃無宿』主題歌) 誇り高き男 c/w ハイ・ヌーン / KING EB-7183 (1963.04。映画『誇り高き男』主題歌、映画『真昼の決闘』主題歌) わらの中の七面鳥 c/w テネシー・ワルツ / KING ED-70 (1963.04) マクリントックのテーマ c/w 牧場の我が家 / KING EB-7257 (1964。ユナイト映画『マクリントック』主題歌、MGM映画『西部開拓史』主題歌) 花はどこへいった c/w 幌馬車隊 / KING BS-7013 (1964.07。B面: TV映画『幌馬車隊』主題歌) イエスタデーズ・ゴーン c/w マイ・ハート・クライズ・フォー・ユー / KING BS-7037 (1964.10) 平和の誓い c/w 朝日のあたる家 / KING BS-7057 (1965.01) リオ・コンチョス c/w グッド・バイ・チャーリー / KING BS-7072 (1965.04) シェナンドア c/w トム・ドゥリー / KING BS-7104 (1965.09。映画『シェナンドー河』主題歌) かわいい小鳥 c/w 雨に消えた想い / KING BS-7112 (1965.10。伴奏は寺内タケシとブルー・ジーンズ) 東京ぐらし c/w 今夜は泣いてくれ / KING BS-389 (1966.04。伴奏はオールスターズ・レオン) 荒野の1ドル銀貨 c/w 青い瞳 / KING BS-7150 (1966.09。映画『荒野の1ドル銀貨』主題歌) 君が若者なら c/w 烏と枯れ木とカレイともぐらと恋人と原爆のうた / KING BS-514 (1966.12。B面はボニー・ジャックス) 放浪 c/w 乾杯天国 / KING BS-546 (1967.01) 想い出のグリーン・グラス c/w 慕情の旅路 / KING BS-7164 (1967.06) カウライジャ c/w パパとママのワルツ / GREEN CITY W-1023 (1971.05。A面は小坂一也) 遥かなる旅人 c/w 裏街道のバラード / CANYON A-161 (1973.05。時代劇『木曽街道いそぎ旅』主題歌。B面の台詞は露口茂) ある歌手の履歴書 c/w ある女の肖像 / CANYON A-162 (1973.05) すばらしき仲間 c/w ビューティフル・サンデー / RCA RVS-1008 (1976.06。ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズII名義。TBS系TV『すばらしき仲間』主題曲、TBS系TV『おはよう720』キャラバンIIのテーマ) Sunshine, Good Rider c/w セーフティクラプ・ソング~空も光も風も / TEICHIKU RE-511 (1981.02。B面は溝渕和雄) 西部劇主題歌集: 駅馬車~いとしのクレメンタイン~ハイ・ヌーン~ライフルと愛馬 / KING BB-25 (1963.11) ジミー時田、岸田今日子、他 / 君が若者なら: いずみたく作品集 / KING SKK-274 (1966.12) *「君が若者なら」を演奏 ジミー時田、ボニー・ジャックス、他 / あつまれ!ちびっこ / KING SKK-316 (1967) *「ちびっこ子守唄」を演奏 ジミー時田、エディ稲垣、他 / 決定盤!フォーク&カントリー名曲集 / KING SKM-1058/9 (1970) *1960年代の録音からのコンピレーション ジミー時田、小坂一也、他 / 豪華盤カントリー&ウエスタン大全集: テネシー・ワルツからマンダムまで / GREEN CITY W-9001/2 (1971) ジミー時田、小坂一也、他 / 日本のウエスタン歌手たち: 進駐軍華やかなりし頃 / VICTOR SPX-1034 (1976) ジミー時田、小坂一也、他 / TOKYOジャンボリー'83 / 東芝EMI EWS-66027/8 (1983) ジミー時田、岸田今日子、他 / オフ・オフ・マザー・グース / Disques Kizna TOCT-9286 (1995) *「ヤンキー男」収録。 ジミー時田、加山雄三、他 / コカ・コーラCMソング集 1962-89 / Geneon GNCP-1005 (2005) *「意見が合うのは」(1966年)収録。 住吉敞とワゴン・スターズ、ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / ウェスターン・サンセット / POLYDOR LPJ-20(1960.11) ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ、ポス宮崎とコニー・アイランダース / 山の歌、海の歌 / KING SKF-90(Stereo), LKF-1239(Mono) (1962.06) ジミー時田、寺本圭一、斉藤任弘、大野義夫 / カントリー・パンプキン / MUSHROOM/DENON CD-7026-Z (1972) 小坂一也、寺本圭一、ジミー時田、石田新太郎 / オールド・ボーイ / FOR LIFE FLL-5002 (1976) マイク&アリス・シーガー / マイク・シーガー・イン・コンサート / KING SKK-662 (1971) *「わが祖国」で客演。 寺内タケシとブルー・ジーンズ / カントリー・ギターの魅力 / KING SKD-228 (1975) *3曲で客演 宮川泰 / ハッピーコンサート / KING SKD-366/7 (1976) *ライブアルバム。「ジミー時田のC&Wメドレー(レッド・リヴァー・バレー~いとしのクレメンタイン~ライダース・イン・ザ・スカイ)」を演奏 瀬谷福太郎 / クレスト・ライン / RCA RHL-6006 (1982) *ゲストとして1曲で客演している。 加藤登紀子 / さよならの口笛 c/w 五右衛門節 / POLYDOR DR-1651 (1972.01。A面でジミー時田とウエスタン・オールスターズとして客演) 灘康次とモダンカンカン / 三度笠 c/w あなたの妻と呼ばれたい / RVC RVS-1044 (1977.01。A面曲の作曲・編曲。両面ともに作詞が立川談志) 藤浦敦監督の日活ロマンポルノの各作品に音楽を提供している。 劇中には、インストゥルメンタル・ナンバーの他、歌詞つきのナンバー(以下に列挙する)が挿入されている。演奏はジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ。 宇能鴻一郎の 伊豆の踊り子 (にっかつ、1984年5月25日公開)
Home! Sweet Home! - 埴生の宿 Oh, My Darling Clementine - いとしのクレメンタイン 女子大生 温泉芸者 (にっかつ、1984年12月8日公開)
ダンディ気質 My Bonnie - マイ・ボニー 絶倫海女 しまり貝 (にっかつ、1985年7月20日公開)
タイトル不明 (日本語歌謡) She'll Be Coming ’round the Mountain when She Comes バイタリス・フォーク・ビレッジ(ニッポン放送) 初代パーソナリティ、1966年8月 - 1967年9月) ミッキー安川のずばり勝負(アール・エフ・ラジオ日本) ゲスト出演し、生歌を披露した。 ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus「ジミー時田」(コトバンク) ^ 『現代日本人物事典 : 20世紀Who's who』(旺文社、1986.11)」 ^ ミュージック・ライフ1961年1月号36頁 ^ 山下勝利『芸バカ列伝』(朝日ソノラマ、1981年)。本人へのインタビュー。1章を割いて、時田の幼少時代から当時までの出来事に触れている。 ^ 津田敏之「1960年代の日本におけるブルーグラス音楽愛好者の交流の進展」 ^ いかりや長介『だめだこりゃ―いかりや長介自伝』(新潮社、2001年)。2000年、盟友だった荒井注とジミー時田が相次いで死去したことをきっかけに書かれた自伝。マウンテン・プレイボーイズへの加入から脱退に至るまでのエピソードが書かれている。 ^ 寺内タケシ『テケテケ伝』(講談社、2000年)。マウンテン・プレイボーイズへの加入から脱退に至るまでのエピソードが書かれている。 ^ 寺内タケシ『誰が為に俺は弾くのか』(佼成出版社、2012年)。 ジミー時田とは - コトバンク 番組表検索結果 | NHKクロニクル - ジミー時田 ジミー時田の「私の歴史館」 ジミー時田を偲んで MusicBrainz この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。 日本の男性歌手 日本のギタリスト カントリー・ミュージシャン キングレコードのアーティスト ポニーキャニオンのアーティスト 落語立川流 青山学院大学出身の人物 青山学院中等部・高等部出身の人物 東京都出身の人物 1936年生 2000年没 春秋苑に埋葬されている人物 外部リンクがリンク切れになっている記事/2020年5月 MusicBrainz識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 歌手に関するスタブ
2024/11/19 02:44更新
|
jimi tokita
ジミー時田と同じ誕生日3月15日生まれ、同じ神奈川出身の人
TOPニュース
ジミー時田と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「ジミー時田」を素材として二次利用しています。