寺本比呂文の情報(てらもとひろふみ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
寺本 比呂文さんについて調べます
■名前・氏名 |
寺本比呂文と関係のある人
豊田次郎: これによってカウントも取りやすくなって投球の幅が広がり、エースとして寺本比呂文らとともに先発投手陣を支え、チームは4年ぶりに都市対抗出場を果たした。 |
寺本比呂文の情報まとめ
寺本 比呂文(てらもと ひろふみ)さんの誕生日は1973年6月7日です。熊本出身の野球選手のようです。
引退に関する情報もありますね。寺本比呂文の現在の年齢は51歳のようです。
寺本比呂文のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 寺本 比呂文(てらもと ひろふみ、1973年6月7日 - )は、熊本県上益城郡甲佐町出身の元プロ野球選手(投手)。 甲佐高では速球を持ち味として地区大会で優勝したが、県大会は3年春ベスト8が最高。社会人野球の川崎製鉄神戸では3年目の1994年に先発投手の一人として都市対抗出場などに貢献、全国大会ではエース豊田次郎の存在があって登板はなかった。同年で野球部が廃部となったが、ドラフト会議で西武ライオンズから指名を受け、契約金6700万円、年俸1000万円(いずれも推定)で入団契約を結んだ。背番号は工藤公康の47を引き継いだ。 2年目の1996年には出身地・熊本の藤崎台球場で行われたジュニア・オールスターゲームでイースタンの先発を任されたものの、敗戦投手となっている。一軍でも登板機会を与えられ、翌1997年はキャンプ終了後から肩痛に悩まされ、オフまで投球練習ができなかった。加藤初二軍コーチの激励もあって1998年は一軍で初先発・初勝利を挙げ、16試合に登板した。1999年以降は一軍登板がなく、2001年限りで現役を引退した。スライダーが武器。 初登板:1996年8月14日、対近鉄バファローズ15回戦(西武ライオンズ球場)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点 初奪三振:同上、9回表に鈴木貴久から 初セーブ:1996年9月16日、対福岡ダイエーホークス25回戦(西武ライオンズ球場)、7回表に2番手で救援登板・完了、3回無失点 初先発・初勝利:1998年6月18日、対日本ハムファイターズ12回戦(西武ドーム)、5回 被安打6、与四球3、奪三振4、自責点1 47 (1995年 - 2001年) ^ 朝日新聞、1991年6月22日付朝刊、熊本地方面 ^ '95スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社 ^ 毎日新聞、1994年6月10日付朝刊、兵庫地方面 ^ 読売新聞、1994年11月26日付朝刊、P.21 ^ 読売新聞、1996年7月20日付朝刊、P.18 ^ 読売新聞、1998年6月19日付朝刊、P.24 熊本県出身の人物一覧 埼玉西武ライオンズの選手一覧 個人年度別成績 寺本比呂文 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 表 話 編 歴 1位:富岡久貴(逆指名) 2位:小関竜也 3位:西口文也 4位:高木浩之 5位:寺本比呂文 6位:山田和幸 日本の野球選手 川崎製鉄神戸硬式野球部の選手 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 熊本県出身の人物 1973年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/19 20:57更新
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teramoto hirofumi
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