小松辰雄の情報(こまつたつお) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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小松辰雄の情報まとめ
小松 辰雄(こまつ たつお)さんの誕生日は1959年5月10日です。石川出身の野球選手のようです。
現在、テレビ、結婚、引退、事故に関する情報もありますね。今年の情報もありました。小松辰雄の現在の年齢は65歳のようです。
小松辰雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 小松辰雄の剛速球チャンネル 小松 辰雄(こまつ たつお、1959年5月10日 - )は、石川県羽咋郡富来町(現:志賀町)出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。現在はCBCテレビ・CBCラジオ野球解説者・中日スポーツ野球評論家・YouTuber。 現役時代は中日ドラゴンズで活躍。昭和最後の投手三冠王を達成している。 スピードガンが日本で使用され始めた頃にその活躍で注目を浴びた事から『スピードガンの申し子』と呼ばれた。 小学生当時より強肩ぶりを発揮し、6年生の時に町内の小学生が集まり記録を競う「陸上競技記録会」のソフトボール遠投にて70m88cmの記録を残す。中学入学後に野球を始め、エースピッチャーとして活躍する一方で3年の時には走り高跳びの県大会に参加し3位になっている。 1976年の夏の甲子園に石川・星稜高等学校の2年生エースとして出場。準決勝まで進出し、その年の優勝校である西東京代表の桜美林高と対戦。松本吉啓(明大-明治生命)に抑えられ敗退したものの、その剛速球は注目されることとなった。同年の日韓親善高校野球に松本、酒井圭一、山崎隆造らとともに参加している。 3年生となった翌1977年春の選抜では、1回戦で滝川高のアンダースロー技巧派、西口訓史(國學院大)と投げ合うが完封負け。前の試合が長くなり、ナイター照明が灯されたが、視力が悪くサインが見えないことに焦ってしまい、思うようにプレーできなかった。同年夏の甲子園では、1回戦で奈良・智弁学園の山口哲治と壮絶な投手戦を繰り広げるが、序盤に制球を乱して喫した2失点が響き、1対2で敗退した。 この年の高校球界には、小松や山口の他にも夏の甲子園で優勝した兵庫・東洋大姫路高校の松本正志、福島県予選を無失点で制した福島商業高校の三浦広之、春の覇者、箕島高校を予選で破った和歌山・田辺高校の木下透と才能あふれる投手が数多く高卒でプロ球界に入団したが、長く活躍できたのは小松だけである。 同年のドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受ける(1位指名は入団が1978年秋まで遅れ、1979年に新人王となった藤沢公也)。元々プロ入りの意向は持っていたものの、小松自身は1位指名だろうと思っていたので、当時は2位指名であることが受け入れられず、駒澤大学進学へ気持ちが揺らぎ、入団拒否の姿勢を見せた。駒澤大学は星稜の山下智茂監督の出身校でもあり、太田誠監督が石川まで小松を訪ねてくるほど熱心だった。これに対しドラゴンズは、スカウトの法元英明が1ヶ月以上も小松に張り付いて説得を行い、小松も翻意してドラゴンズ入団を決めた。ただ駒澤大・太田監督への配慮もあり、入団会見では星稜・山下監督が同席しないなど、いろいろとしこりを残す結果となった。 1978年、プロ初登板は10月4日の対ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)。0-8でビハインドの状況、肩の痛みもある中で、主力の杉浦享からプロ初三振を奪った。7回、8回を無失点に抑えたが、その日はヤクルトの初優勝が決定した日となった。 1979年、4月11日の対ヤクルト戦(ナゴヤ球場)で3番手で登板し、プロ初勝利を記録。リリーフとして一軍に定着し、チーム最多の54試合に登板し6勝9敗16セーブを記録。5月には14試合に救援登板し、1勝1敗5セーブの好成績で月間MVPを獲得した。 1980年は9月10日の対広島東洋カープ戦(ナゴヤ球場)でプロ入り初先発し、6回に山根和夫からプロ入り初本塁打を放ったが、投げては7回途中まで2失点で敗戦投手となった。 1981年は藤沢らの不調もあって7月に先発に転向。同月15日の対ヤクルト戦で(明治神宮野球場)はシーズン初の先発登板で、9回2失点でプロ入り初完投勝利。9月21日の読売ジャイアンツ戦ではプロ入り初完封勝利を挙げ、前年から174試合連続得点を続けていた巨人の記録を止めるなど、同月は5勝無敗で自身2度目の月間MVPに選出された。同年は初めて規定投球回(リーグ5位、防御率3.56)に達し、12勝6敗11セーブを記録する。 1982年は、4月4日の広島との開幕戦(広島市民球場)で自身初の開幕投手を務めるも2回5失点で敗戦投手となった。同月6日の対阪神戦(ナゴヤ球場)の試合前、外野で遠投している際に右太腿を痛め、翌7日に出場選手登録を抹消された。8月1日に一軍に復帰後、入れ替わりに故障して二軍落ちした牛島和彦に代わって抑えを務めた。優勝決定試合となった10月18日の大洋戦。監督2年目の近藤貞雄は小松を先発に選んだ。小松は2安打完封に抑え、中日は3回目のリーグ優勝を果たした。同年の西武ライオンズとの日本シリーズでは5試合に登板。第1戦(ナゴヤ球場)では先発登板するが、3回にスティーブに本塁打を打たれるなど、5失点で降板、敗戦投手となる。しかし第4戦(西武ライオンズ球場)ではリリーフで6回から3イニングを好投、牛島和彦につないで自身のシリーズ初勝利を記録した。第5戦(西武ライオンズ球場)では鈴木孝政をリリーフするが、7回にスティーブ、片平晋作にそれぞれ適時打を打たれ、2点を失い惜敗。シリーズ通算1勝2敗で日本一はならなかった。オフの11月24日に扁桃腺切除の手術を受けた。同月30日の契約更改では約8パーセント減の推定年俸1100万円でサイン。12月11日に1歳年上の一般女性と結婚したことを発表した。 1983年、4月14日の対大洋戦(横浜スタジアム)で6回2/3を投げ、3失点でシーズン初勝利、同月26日の対巨人戦(ナゴヤ球場)では自身初の無四球完封勝利を挙げた。10月21日の対阪神戦(ナゴヤ球場)では9回2失点完投勝ちでチームの連敗を8で止めたが、 同年はリーグ5位の防御率3.20、7勝14敗5セーブの成績に終わった。 1984年、4月17日の対阪神戦(岡山県野球場)でシーズン初勝利を完封で飾った。9月2日の対大洋戦(横浜スタジアム)ではシーズン2度目の完封で3年ぶり2度目の2桁勝利を記録した。シーズン中は右足太腿の故障や結膜炎で計2か月の戦列を離れたが、最終的に防御率はリーグ3位の3.05、11勝6敗2セーブという成績であった。オフの12月6日の契約更改では1000万円増の推定年俸2650万円の掲示を保留、同月27日の2度目の契約更改では約80パーセント増の推定年俸3000万円でサインした。 1985年、4月13日のヤクルトとの開幕戦(ナゴヤ球場)で9回2失点でシーズン初勝利、6月7日の対巨人戦(ナゴヤ球場)ではシーズン唯一の完封勝利を挙げた。シーズン中は右足を故障したものの最多勝、最優秀防御率、最優秀投手、沢村賞の投手タイトルを総て獲得、リーグ最多奪三振も記録する。生涯唯一のベストナインにも選出された。オフの12月9日の契約更改では50パーセント増の推定年俸4500万円でサインした。 1986年は開幕戦でピッチャーライナーを足に受けた影響で成績は振るわず。 1987年にはリーグ1位の6完封を含む17勝で自身2度目の最多勝を獲得した。オフの12月10日の契約更改では約5割増の推定年俸6000万円(タイトル料200万円を含む)でサインした。 1988年には開幕戦で内転筋を痛めたものの12勝を挙げて6年ぶりのリーグ優勝に貢献。同年の西武との日本シリーズでも2試合に登板。第2戦では先発し、郭泰源と投げ合い6回を3点に抑えるが勝ち負けはつかなかった。オフの12月3日の契約更改では200万円減の推定年俸5800万円でサインした。 1989年は左足を故障で5試合の登板に止まり、0勝に終わった。オフの12月6日の契約更改では1300万円減の推定年俸4500万円でサインした。 1990年、4月11日のヤクルト戦に先発し、1988年10月16日の同じヤクルト戦以来2年ぶりの勝利投手となる。 1992年、7月4日の対大洋戦(岩手県営野球場)では4年ぶりの完封勝利を挙げた。 1994年限りで現役引退。本人は翌年も現役続行を希望していたものの、自身を高く評価してくれていた高木守道監督の退任が濃厚とされており、コーチ就任を打診される。小松は中山了球団社長に現役続行を直訴したが、中山は首をたてにふらず、「『じゃあ小松辰雄って選手はいらないんですか』って聞いたら『いらん!』と言われて」引退を決めた。また引退試合も、本来であれば同年のシーズン最終戦で行われるはずだったが、その最終戦がいわゆる10.8決戦となってしまったため、結局1995年3月26日、ナゴヤ球場でのオープン戦で行われ、5回に登板した。最後に対戦した打者は、少年時代に小松に強く憧れていたイチローだったが、初球ボールの後の2球目を右中間に二塁打を打たれ、「引退試合」の投球は2球で終わった。 引退後、1995年は中日の二軍投手コーチ、1996年から1997年まで一軍投手コーチを務めた。97年はチーム防御率がリーグ5位と低迷して最下位に転落し、同年オフに宮田征典を一軍投手コーチに招聘したのと入れ替えに解任される。当時監督だった星野仙一は著書の中で「現役陣と年が近すぎたせいか、選手との仲間意識を捨てきれない。時には情を捨て、厳しさを前面に出すことが必要なのだ。ところが小松は兄貴からコーチへ変わって行けなかった。中日OBにもコーチとしてのチャンスを与えたかった。しかし、二年経っても、小松コーチに著しい進歩がない以上、もう一度コーチングスタッフの体制を見直さなければならないと考えてのことだった」と記している。 1998年からは、CBCテレビ・CBCラジオの野球解説者および中日スポーツ野球評論家を務める。 2010年、名古屋市中区錦三丁目に飲食店「焼処 旨い物 海鮮山」を開いた。現役の頃から「能登の食材を使った店を出して、おいしいものを食べてもらいたい」という夢があったという。 2017年12月12日、名古屋市東区赤塚の交差点で自身がトヨタ・クラウンを運転中、自転車と衝突する事故を起こした(自転車に乗っていた男性はその後死亡)。書類送検されてCBCテレビ・CBCラジオ野球解説者および中日スポーツ野球評論家としての活動を自粛していたが、2018年4月26日付けで不起訴処分になった(不起訴の理由は明らかにされていない)。同年7月からCBCテレビ・CBCラジオ野球解説者および中日スポーツ野球評論家に復帰した。2023年11月26日に中日OB会長に選出された。 高校2年生で夏の甲子園に出場した際、入場行進の隣の列に1学年上の原辰徳(東海大相模高校)がおり、「あの人が原さんかぁ!」と憧れの眼差しで見ていた。 二女の小松亜有は2009年度の日本女子プロゴルフ協会主催のプロテストに合格し、プロゴルファーとしてデビューしている。 各年度の太字はリーグ最高 最多勝利:2回(1985年、1987年) 最優秀防御率:1回(1985年) 最多奪三振:1回(1985年) ※当時連盟表彰なし、セントラル・リーグでは、1991年より表彰 沢村栄治賞:1回(1985年) ベストナイン:1回(投手部門:1985年) 最優秀投手:1回(1985年) 月間MVP:2回(1979年5月、1981年9月) 初記録
初奪三振:同上、7回裏に杉浦亨から 初勝利:1979年4月11日、対ヤクルトスワローズ2回戦(ナゴヤ球場)、8回表一死に3番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点 初セーブ:1979年4月12日、対ヤクルトスワローズ3回戦(ナゴヤ球場)、8回表に2番手で救援登板・完了、2回無失点 初先発:1980年9月10日、対広島東洋カープ22回戦(ナゴヤ球場)、6回1/3を2失点で敗戦投手 初先発勝利・初完投勝利:1981年7月15日、対ヤクルトスワローズ14回戦(明治神宮野球場)、9回2失点 初完封勝利:1981年9月21日、対読売ジャイアンツ22回戦(ナゴヤ球場) 節目の記録
1000奪三振:1987年8月26日、対ヤクルトスワローズ15回戦(ナゴヤ球場)、2回表に荒木大輔から ※史上73人目 1500投球回数:1990年4月17日、対広島東洋カープ1回戦(ナゴヤ球場)、2回表三死目に達成 100勝:1990年8月22日、対ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、先発登板で7回4失点 ※史上101人目 その他の記録
オールスターゲーム出場:4回(1981年、1985年、1987年、1992年) 34 (1978年 - 1983年) 20 (1984年 - 1994年) 94 (1995年) 71 (1996年 - 1997年) SAMURAI BASEBALL サンデードラゴンズ J SPORTS STADIUM CBCドラゴンズナイター 久野誠のドラゴンズワールド ^ それぞれ、4月12日の対巨人戦(後楽園球場)、4月19日の対阪神タイガース戦(ナゴヤ球場)、6月19日の対巨人戦(ナゴヤ球場)、7月2日の対中日戦(ナゴヤ球場)、8月14日の対広島戦(広島市民球場)、9月2日の対巨人戦(後楽園球場)で計6度の完封勝利を記録。 ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、229ページ ^ “【甲子園剛球列伝】“スピードガンの申し子”星稜・小松辰雄、手が痛すぎて捕手が次々といなくなった…”. ZAKZAK. 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GDO. (2010年5月21日). http://news.golfdigest.co.jp/news/gdoeye/jlpga/article/19710/1/ ^ “小松辰雄氏次女・亜有 ベストスコアで2差6位発進!”. スポニチアネックス. (2011年7月2日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/07/02/kiji/K20110702001127600.html ^ 小松亜有 Amebaプロフィール ^ 「1000奪三振」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)8月27日付朝刊、23面(スポーツ面)。 ^ 「中日・小松辰雄(三一)が13年目で通算100勝」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1990年(平成2年)8月23日付朝刊、18面(スポーツ面)。 石川県出身の人物一覧 中日ドラゴンズの選手一覧 星稜コンバット 個人年度別成績 小松辰雄 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 表 話 編 歴 1947 別所昭 1948 中尾碩志 1949 藤本英雄 1950 真田重男 1951 杉下茂 1952 杉下茂 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 金田正一 1957 金田正一 1958 金田正一 1959 村山実 1960 堀本律雄 1961 権藤博 1962 小山正明 1963 伊藤芳明 1964 G.バッキー 1965 村山実 1966 村山実, 堀内恒夫 1967 小川健太郎 1968 江夏豊 1969 高橋一三 1970 平松政次 1972 堀内恒夫 1973 高橋一三 1974 星野仙一 1975 外木場義郎 1976 池谷公二郎 1977 小林繁 1978 松岡弘 1979 小林繁 1981 西本聖 1982 北別府学 1983 遠藤一彦 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 大野豊 1989 斎藤雅樹 1990 野茂英雄 1991 佐々岡真司 1992 石井丈裕 1993 今中慎二 1994 山本昌広 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤雅樹 1997 西口文也 1998 川崎憲次郎 1999 上原浩治 2001 松坂大輔 2002 上原浩治 2003 井川慶, 斉藤和巳 2004 川上憲伸 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 ダルビッシュ有 2008 岩隈久志 2009 涌井秀章 2010 前田健太 2011 田中将大 2012 攝津正 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 前田健太 2016 K.ジョンソン 2017 菅野智之 2018 菅野智之 2020 大野雄大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 表 話 編 歴 1950 真田重男 1951 杉下茂 1952 別所毅彦 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 大友工, 長谷川良平 1956 別所毅彦 1957 金田正一 1958 金田正一 1959 藤田元司 1960 堀本律雄 1961 権藤博 1962 権藤博 1963 金田正一 1964 G.バッキー 1965 村山実 1966 村山実 1967 小川健太郎 1968 江夏豊 1969 高橋一三 1970 平松政次 1971 平松政次 1972 堀内恒夫 1973 江夏豊 1974 松本幸行, 金城基泰 1975 外木場義郎 1976 池谷公二郎 1977 高橋里志 1978 野村収 1979 小林繁 1980 江川卓 1981 江川卓 1982 北別府学 1983 遠藤一彦 1984 遠藤一彦 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 小松辰雄 1988 小野和幸, 伊東昭光 1989 斎藤雅樹, 西本聖 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 斎藤雅樹 1993 今中慎二, 山本昌広, 野村弘樹 1994 山本昌広 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤雅樹, B.ガルベス 1997 山本昌 1998 川崎憲次郎 1999 上原浩治 2000 M.バンチ 2001 藤井秀悟 2002 上原浩治, K.ホッジス 2003 井川慶 2004 川上憲伸 2005 下柳剛, 黒田博樹 2006 川上憲伸 2007 S.グライシンガー 2008 S.グライシンガー 2009 吉見一起, 館山昌平 2010 前田健太 2011 吉見一起, 内海哲也 2012 内海哲也 2013 小川泰弘 2014 R.メッセンジャー, 山井大介 2015 前田健太 2016 野村祐輔 2017 菅野智之 2018 大瀬良大地, 菅野智之 2019 山口俊 2020 菅野智之 2021 青柳晃洋, 九里亜蓮 2022 青柳晃洋 2023 東克樹 2024 菅野智之 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 梶岡忠義 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 渡辺省三 1957 金田正一 1958 金田正一 1959 村山実 1960 秋山登 1961 権藤博 1962 村山実 1963 柿本実 1964 G.バッキー 1965 金田正一 1966 堀内恒夫 1967 権藤正利 1968 外木場義郎 1969 江夏豊 1970 村山実 1971 藤本和宏 1972 安田猛 1973 安田猛 1974 関本四十四 1975 安仁屋宗八 1976 鈴木孝政 1977 新浦寿夫 1978 新浦寿夫 1979 平松政次 1980 松岡弘 1981 江川卓 1982 斉藤明夫 1983 福間納 1984 小林誠二 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 大野豊 1989 斎藤雅樹 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 盛田幸妃 1993 山本昌広 1994 郭源治 1995 T.ブロス 1996 斎藤雅樹 1997 大野豊 1998 野口茂樹 1999 上原浩治 2000 石井一久 2001 野口茂樹 2002 桑田真澄 2003 井川慶 2004 上原浩治 2005 三浦大輔 2006 黒田博樹 2007 高橋尚成 2008 石川雅規 2009 チェン 2010 前田健太 2011 吉見一起 2012 前田健太 2013 前田健太 2014 菅野智之 2015 K.ジョンソン 2016 菅野智之 2017 菅野智之 2018 菅野智之 2019 大野雄大 2020 大野雄大 2021 柳裕也 2022 青柳晃洋 2023 村上頌樹 2024 髙橋宏斗 表 話 編 歴 1950 杉下茂 1951 金田正一 1952 金田正一 1953 金田正一 1954 杉下茂 1955 金田正一 1956 金田正一 1957 秋山登 1958 金田正一 1959 金田正一 1960 金田正一 1961 権藤博 1962 小山正明 1963 金田正一 1964 金田正一 1965 村山実 1966 村山実 1967 江夏豊 1968 江夏豊 1969 江夏豊 1970 江夏豊 1971 江夏豊 1972 江夏豊 1973 高橋一三 1974 金城基泰 1975 外木場義郎 1976 池谷公二郎 1977 池谷公二郎 1978 斉藤明雄 1979 新浦寿夫 1980 江川卓 1981 江川卓 1982 江川卓 1983 遠藤一彦 1984 遠藤一彦 1985 小松辰雄 1986 遠藤一彦 1987 川口和久 1988 槙原寛己 1989 川口和久 1990 木田優夫 1991 川口和久 1992 仲田幸司 1993 今中慎二 1994 桑田真澄 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤隆 1997 山本昌 1998 石井一久 1999 上原浩治 2000 石井一久 2001 野口茂樹 2002 井川慶 2003 上原浩治 2004 井川慶 2005 門倉健, 三浦大輔 2006 川上憲伸, 井川慶 2007 内海哲也 2008 C.ルイス 2009 C.ルイス 2010 前田健太 2011 前田健太 2012 杉内俊哉, 能見篤史 2013 R.メッセンジャー 2014 R.メッセンジャー 2015 藤浪晋太郎 2016 菅野智之 2017 M.マイコラス 2018 菅野智之 2019 山口俊 2020 大野雄大 2021 柳裕也 2022 戸郷翔征 2023 今永昇太 2024 戸郷翔征 表 話 編 歴 1967 小川健太郎 1968 江夏豊 1969 高橋一三 1970 平松政次 1971 平松政次 1972 堀内恒夫 1973 高橋一三 1974 堀内恒夫 1975 外木場義郎 1976 池谷公二郎 1977 小林繁 1978 新浦寿夫 1979 小林繁 1980 江川卓 1981 江川卓 1982 北別府学 1983 遠藤一彦 1984 山根和夫 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 小野和幸 1989 斎藤雅樹 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 斎藤雅樹 1993 今中慎二 1994 山本昌広 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤雅樹 1997 山本昌 1998 佐々木主浩 1999 上原浩治 2000 工藤公康 2001 藤井秀悟 2002 上原浩治 2003 井川慶 2004 川上憲伸 2005 黒田博樹 2006 川上憲伸 2007 高橋尚成 2008 S.グライシンガー 2009 D.ゴンザレス 2010 前田健太 2011 吉見一起 2012 内海哲也 表 話 編 歴 投 小松辰雄 捕 八重樫幸雄 一 R.バース 二 岡田彰布 三 掛布雅之 遊 高木豊 外 山崎隆造 / 杉浦享 / 真弓明信 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 藤本英雄 1952 別所毅彦 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 大友工 1957 義原武敏 1958 藤田元司 1959 義原武敏 1960 鈴木隆 1961 中村稔 1962 小山正明 1963 伊藤芳明 1964 村山実 1965 金田正一 1966 城之内邦雄 1967 金田正一 1968 金田正一 1969 堀内恒夫 1970 堀内恒夫 1971 堀内恒夫 1972 堀内恒夫 1973 高橋一三 1974 松本幸行 1975 外木場義郎 1976 堀内恒夫 1977 小林繁 1978 安田猛 1979 北別府学 1980 山根和夫 1981 江川卓 1982 小松辰雄 1983 江川卓 1984 山根和夫 1985 池田親興 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 小野和幸 1989 斎藤雅樹 1990 槙原寛己 1991 佐々岡真司 1992 岡林洋一 1993 荒木大輔 1994 桑田真澄 1995 T.ブロス 1996 斎藤雅樹 1997 石井一久 1998 野村弘樹 1999 野口茂樹 2000 工藤公康 2001 石井一久 2002 上原浩治 2003 井川慶 2004 川上憲伸 2005 井川慶 2006 川上憲伸 2007 川上憲伸 2008 上原浩治 2009 D.ゴンザレス 2010 吉見一起 2011 チェン 2012 内海哲也 2013 内海哲也 2014 R.メッセンジャー 2015 石川雅規 2016 K.ジョンソン 2017 井納翔一 2018 大瀬良大地 2019 山口俊 2020 菅野智之 2021 奥川恭伸 2022 小川泰弘 2023 村上頌樹 2024 A.ジャクソン 表 話 編 歴 1936春夏 牧野潔 1936秋 加藤智男 1937春 森井茂 1937秋 森井茂 1938春 松尾幸造 1938秋 森井茂 1939 松尾幸造 1940 村松幸雄 1941 森井茂 1942 河村章 1943 松尾幸造 1944 森井茂 1946 森井茂 1947 松尾幸造 1948 服部受弘 1949 服部受弘 1950 清水秀雄 1951 近藤貞雄 1952 大島信雄 1953 杉下茂 1954 石川克彦 1955 石川克彦 1956 杉下茂 1957 伊奈努 1958 中山俊丈 1959 伊奈努 1960 伊奈努 1961 板東英二 1962 柿本実 1963 河村保彦 1964 河村保彦 1965 柿本実 1966 山中巽 1967 小川健太郎 1968 小川健太郎 1969 小川健太郎 1970 小川健太郎 1971 伊藤久敏 1972 水谷寿伸 1973 稲葉光雄 1974 星野仙一 1975 松本幸行 1976 星野仙一 1977 松本幸行 1978 星野仙一 1979 星野仙一 1980 藤沢公也 1981 三沢淳 1982 小松辰雄 1983 小松辰雄 1984 鈴木孝政 1985 小松辰雄 1986 郭源治 1987 杉本正 1988 小松辰雄 1989 小野和幸 1990 西本聖 1991 小松辰雄 1992 郭源治 1993 今中慎二 1994 今中慎二 1995 今中慎二 1996 今中慎二 1997 山本昌 1998 山本昌 1999 川上憲伸 2000 野口茂樹 2001 山本昌 2002 山本昌 2003 川上憲伸 2004 川崎憲次郎 2005 川上憲伸 2006 川上憲伸 2007 川上憲伸 2008 川上憲伸 2009 浅尾拓也 2010 吉見一起 2011 M.ネルソン 2012 吉見一起 2013 吉見一起 2014 川上憲伸 2015 山井大介 2016 大野雄大 2017 大野雄大 2018 小笠原慎之介 2019 笠原祥太郎 2020 大野雄大 2021 福谷浩司 2022 大野雄大 2023 小笠原慎之介 2024 柳裕也 表 話 編 歴 1位:藤沢公也 2位:小松辰雄 3位:石井昭男 4位:中林伸人(入団拒否) 5位:秋田秀幸 6位:児玉克雄(入団拒否) 日本の野球選手 星稜高等学校出身の野球選手 中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 最多勝利 (NPB) 最優秀防御率 (NPB) 最多奪三振 (NPB) 沢村栄治賞 NPBオールスターゲーム選出選手 日本の野球指導者 野球解説者 日本の男性YouTuber 元NPB選手のYouTuber 石川県出身のスポーツ選手 1959年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/21 17:48更新
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