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出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2013年8月)
独自研究が含まれているおそれがあります。(2013年8月)
2003年にイースタン・リーグ2位の打率.347、9本塁打と安打を量産し、シーズン終盤に一軍に昇格してプロ初打点を挙げた。
2004年、プロ7年目にして開幕戦のスターティングメンバーに名を連ね(八番・指名打者)、4月3日にプロ初本塁打。この本塁打は同時に、日本ハム北海道移転後のチーム本拠地初本塁打となった。シーズン中盤には故障もあったが、左打者ながら左投手が得意な事から右投手相手でも左投手相手でも代打として度々起用された。小笠原道大の故障時やアテネオリンピックに派遣されていた間は、小笠原に代わって三番打者を務めた。規定打席には到達できなかったが77試合出場、打率.322と好成績を残し、特に後半戦に限ってはリーグ首位打者の大活躍を見せた。
2005年は自己最多の99試合に出場したが、前年4割近く打ち込んでいた左投手相手に打率.216と苦戦し、三振は急増。前半はまずまずの成績だったが後半不振に陥り、打率も.266と本来の力を出し切れなかった。
2006年、左の代打の切り札として活躍。本塁打は0本に終わったが、松坂大輔や斉藤和巳など大物投手に滅法強い事から「大物打ち」と呼ばれ、とりわけ渡辺俊介に対してはシーズン後半の不調時にさえ得意としていたほどであった。代打出塁率.322はリーグ2位。三振は減り、四球は増えてきた。しかし6月以降打率1割台とまったく打てず、この年も後半戦でつまずいた。また、オフに左ハムストリング慢性的炎症の手術を行ったため、翌2007年は春季キャンプからスロー調整となり、開幕二軍スタート。開幕から一軍の打線の調子が上がらず、まだ万全でない中で4月14日に一軍登録されるも、結果を残せず6月30日に抹消。8月17日に再び一軍登録されるも同27日に再度抹消され、結局打率.164と一軍定着以来最低の数字に終わった。
2008年4月24日、対オリックス戦で加藤大輔からプロ入り初のサヨナラ本塁打を放つ。またこの本塁打は公式戦では3年ぶりであり、その日のヒーローインタビューでは「手術してから、自分のバッティングができなくて苦しかった」と目を潤ませながら話した。その後も代打起用などで確実なバッティングを見せた。
2009年10月9日に現役引退を表明。10月10日に引退試合が行われ、最後の打席で安打を放って有終の美を飾った。試合後には引退セレモニーが行われた。
引退後は日本ハムのスコアラーを担当。2013年からは現場に復帰し、二軍打撃コーチを務めた。その後、2021年は一軍打撃コーチを務め、同年限りで退任し、2022年からはベースボールオペレーション部・打撃テクニカルアドバイザーを担当した。2024年からは再び現場に復帰し、ファーム打撃コーチを務める。
持ち前の巧みなバットコントロールは高校時代から評価が高かった。プロ入団後のチームメイトも「打撃の天才」と舌を巻くほどである。イチローを彷彿とさせる左の好打者で、最後まで体が開かずしっかり振りぬけるバッティングで長打力もあったことから、将来のレギュラー候補と期待された。
守備位置が主力打者と同じ(一塁または三塁)であることが多いため、二軍で高い実績を挙げていても一軍昇格のチャンスになかなか恵まれないでいた。一塁守備が決して下手な訳ではなかったが、足の状態・負担を考慮して、中盤~終盤に代走や守備固めと交代することが多かった。
初出場:2001年10月1日、対西武ライオンズ28回戦(西武ドーム)、5回表に片岡篤史の代走として出場
初先発出場:2002年10月3日、対千葉ロッテマリーンズ26回戦(千葉マリンスタジアム)、7番・三塁手として先発出場
初安打:同上、2回表にネイサン・ミンチーから三塁内野安打
初打点:2003年9月21日、対福岡ダイエーホークス26回戦(福岡ドーム)、3回表にブランドン・ナイトから左前適時打
初本塁打:2004年4月3日、対西武ライオンズ2回戦(札幌ドーム)、8回裏に小谷野栄一の代打として出場、小野寺力から右越ソロ
初盗塁:2004年4月25日、対福岡ダイエーホークス6回戦(札幌ドーム)、7回裏に二盗(投手:新垣渚、捕手:城島健司)
51(1998年 - 2006年)
9(2007年 - 2009年)
77(2013年 - 2021年)
75(2024年 - )
^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、130ページ
^ “北海道日本ハム“1号”小田と伊藤が引退 - 野球ニュース”. 日刊スポーツ (2009年10月10日). 2021年4月8日閲覧。
^ “日本ハムが人事発表 元ロッテ代田建紀氏をプロスカウトとして新規採用”. 日刊スポーツ. (2022年1月5日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202201050000269.html 2022年8月15日閲覧。
^ “日本ハムが2軍首脳陣を発表 稲葉篤紀GMが監督就任…清水雅治氏と“五輪金タッグ””. Full-Count (2023年11月18日). 2023年11月18日閲覧。
静岡県出身の人物一覧
北海道日本ハムファイターズの選手一覧
野久保直樹 - 高校の2年後輩。
個人年度別成績 小田智之 - NPB.jp 日本野球機構
選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
浜松学院野球部後援会
表
話
編
歴
1 新庄剛志
77 林孝哉(ヘッド)
73 武田久(投手)
82 加藤武治(投手)
89 八木裕(打撃)
72 山田勝彦(バッテリー)
85 谷内亮太(内野守備走塁)
80 森本稀哲(外野守備走塁)
79 代田建紀(データ分析担当兼走塁)
90 稲葉篤紀(監督)
78 清水雅治(総合)
83 浦野博司(投手)
91 金子千尋(投手)
92 江口孝義(投手)
75 小田智之(打撃)
81 横尾俊建(打撃)
87 佐藤友亮(打撃)
71 的場直樹(バッテリー)
74 岩舘学(内野守備走塁)
76 紺田敏正(外野守備走塁)
-- 山中潔(捕手インストラクター)
12 矢澤宏太
13 生田目翼
14 加藤貴之
16 達孝太
17 伊藤大海
18 山﨑福也
19 玉井大翔
20 上原健太
22 杉浦稔大
24 金村尚真
25 宮西尚生
26 田中正義
28 河野竜生
29 細野晴希
31 マーフィー
32 黒木優太
34 堀瑞輝
40 福田俊
41 ロドリゲス
42 ザバラ
45 バーヘイゲン
46 畔柳亨丞
47 鈴木健矢
48 齋藤友貴哉
51 石川直也
52 池田隆英
54 安西叶翔
55 松浦慶斗
57 北山亘基
59 根本悠楓
60 鍵谷陽平
62 宮内春輝
63 北浦竜次
67 山本拓実
93 田中瑛斗
94 福島蓮
95 柳川大晟
-- 古林睿煬
2 マルティネス
10 清水優心
23 伏見寅威
27 古川裕大
30 郡司裕也
33 進藤勇也
64 田宮裕涼
98 梅林優貴
4 上川畑大悟
5 野村佑希
9 中島卓也
21 清宮幸太郎
35 福田光輝
38 石井一成
39 有薗直輝
43 水野達稀
44 阪口樂
49 若林晃弘
56 細川凌平
58 奈良間大己
65 明瀬諒介
7 松本剛
8 淺間大基
36 宮崎一樹
37 江越大賀
50 五十幡亮汰
53 水谷瞬
61 今川優馬
66 万波中正
68 星野ひので
99 レイエス
113 加藤大和
114 松本遼大
126 中山晶量
128 山本晃大
168 松岡洸希
196 孫易磊
111 濵田泰希
112 平田大樹
125 藤田大清
127 山口アタル
表
話
編
歴
1位:清水章夫(逆指名)
2位:小田智之
3位:原田健二
4位:飯山裕志
5位:古城茂幸
6位:日里正義
日本の野球選手
浜松学院高等学校出身の人物
北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手
日本の野球指導者
静岡県出身のスポーツ選手
浜松市出身の人物
1979年生
存命人物