山折哲雄の情報(やまおりてつお) 宗教学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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山折 哲雄さんについて調べます
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山折哲雄の情報まとめ
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山折 哲雄(やまおり てつお)さんの誕生日は1931年5月11日です。東京出身の宗教学者のようです。
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人物、宗教観・世界観などについてまとめました。卒業、病気に関する情報もありますね。
山折哲雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)山折 哲雄 (やまおり てつお、1931年〈昭和6年〉5月11日- )は、日本の宗教学者、評論家。専攻は宗教史・思想史。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、21世紀高野山医療フォーラム副理事長、総合研究大学院大学名誉教授、平城遷都1300年記念事業評議員。教育改革国民会議委員。角川財団学芸賞、和辻哲郎文化賞、山本七平賞選考委員。1997年に白鳳女子短期大学赴任以降は行政職に就くことが続いた。岩手県花巻市出身。京都市在住。 日本人の宗教意識や精神構造を研究し、現代社会論や文明論を精力的に展開する。著書に『日本人の霊魂観』(1976年)、『悲しみの精神史』(2002年)、『義理と人情』(2011年)など。 1931年、アメリカ合衆国サンフランシスコに生まれる。1937年に日本へ、東京に転居。太平洋戦争下の1943年、母の故郷である岩手県花巻市に疎開。同地出身である宮沢賢治に何度か言及しており、母の実家は賢治の家と200mほど離れているばかりであった。 1954年に東北大学文学部を卒業し、1959年に東北大学大学院文学研究科博士課程を単位取得退学。 1969年、春秋社編集部入社。1976年に駒澤大学文学部助教授、翌1977年に東北大学文学部助教授、1982年に国立歴史民俗博物館教授、1988年に国際日本文化研究センター教授に就任。 1997年、国際日本文化研究センター(日文研)名誉教授、白鳳女子短期大学学長(2000年まで)。2000年に京都造形芸術大学大学院長。2001年に日文研所長、2005年に退任。日文研教授になった時期より評論家としての活動が多くなり、それ以後は一般向けの著述が多い。 2010年、第20回南方熊楠賞(人文の部)受賞。2010年8月の松下幸之助記念財団設立時には理事を務めていた。同財団評議員には文仁親王妃紀子の父川嶋辰彦が名を連ねていた。 人物学生時代に十二指腸潰瘍のため大量に吐血。このとき臨死体験をし、「このまま死んでいくのも悪くない」と感覚を得た。約3ヶ月間入院するが、点滴を受けながら10日間くらい絶食をする。この際、5・6日目あたりから五感が非常に冴え、清澄な気持ちになることを体験。平安時代末期の念仏結社の人々の体験である「二十五三昧会」が脳裏をよぎる。人間は危機的な状況で、ある生命の反逆作用が起こり、超日常的なイメージを見るのではと覚り、世界観ががらりと変わる。このときから自分自身の肉体が研究対象になる。それ以前は死は無に帰するという近代ヨーロッパ的な観念的無神論者であり、死後を積極的に否定していた。しかし、その体験後は死後の世界を想定したほうが人間の生き方が豊かになると考えるようになった(立花隆対談集『臨死体験と宗教』より)。 上記以外にも急性膵炎、肝炎、脳梗塞など多くの病気を患い、2020年には肺炎で延命治療するかを医師に尋ねられるまで重篤となったが平癒した。それ以降は絶っていたお酒を再び楽しみ、夜は9時頃に寝て夜中に一度起きて湧き上がる突飛な「妄想」と戯れた後に原稿を執筆し、朝食後に朝寝、昼食後に昼寝という「妄想三昧、執筆三昧、昼寝三昧」の生活を送っている。 宗教観・世界観『別冊太陽』1992年春号「輪廻転生」では麻原彰晃と対談し、既に熊本県などの地元民と軋轢があったオウム真理教が法廷闘争を行っているとき、「…宗教集団としては、最後まで俗世間の法律は無視するという手もあると思うんですよ」と、まるで非合法活動を勧めるようなことを言っている。 2009年4月26日の『読売新聞』朝刊の「地球を読む」にては、西欧社会が旧約の神と新約の神を分離して考えていることやキリスト教が肉体の死を認めていない事を示唆するような内容を執筆している。2011年1月17日、同「地球を読む」でパクス・ロマーナやパクス・ブリタニカのように「パクス・ヤポニカ」と呼べる「日本の平和」の事実があったと説く。これは平安時代、平安遷都から保元の乱・平治の乱までの平安貴族の安定した政権の約350年間、江戸時代の島原の乱を除けば幕末期までの江戸幕府による約250年間であるとしている。 熱烈な多神教優位論者であり、一神教を「砂漠の宗教」として、自然豊かな環境で生まれた多神教と対比させ、後者の前者に対する寛容性と優越性を強く主張している。 著書に「素粒子というものは科学的に証明できるかもしれない。けれども実感としてその存在を感じられない。魂というものは、科学的には証明できなくても、実感としては強く感じることができる」と記した。 2024/06/26 19:30更新
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yamaori tetsuo
山折哲雄と同じ誕生日5月11日生まれ、同じ東京出身の人
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