山村美智アナウンサーの情報(やまむらみち) アナウンサー/フジテレビ→フリー、女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
山村 美智さんについて調べます
■名前・氏名 |
山村美智と関係のある人
長野智子: 初代は先輩の山村美智子、2代目は同じく先輩の寺田理恵子。 田丸美寿々: 「女子アナ」という言葉の初出と見られるのは『週刊宝石』1982年10月29日号であるが、同記事は田丸と頼近美津子、山村美智子を取り上げた記事だった。 深浦加奈子: また、生前はドラマで共演した沢口靖子や松嶋菜々子、加藤貴子、山村美智、戸田恵子などは親交があった。 森岡利行: 第五話『大黒屋』(脚本・監督) - 出演: 塩谷瞬 せんだみつお 橘実里 山村美智 三浦浩一 深浦加奈子: 9月2日に近親者と戸田恵子、松嶋菜々子、森公美子、山村美智、渡辺いっけい、高橋克実などの特に親しい関係者のみで告別式が執り行われた。9月24日に目黒区のウェスティンホテル東京で親友の山村美智が司会進行役を務めてお別れの会が開かれ、三浦友和、沢口靖子、天海祐希、陣内孝則、松嶋菜々子、森公美子、湯山玲子、高橋克実、渡辺いっけい、古田敦也などの友人や芸能関係者など約550人が参列して、小泉今日子が涙を流しながら代表で弔辞を読んだ。 黒岩祐治: 同期入社に山村美智子、坂野尚子、亀山千広、松本方哉がいた。 吉田玲奈: 金曜エンタテイメント「サラリーマン刑事4」(2004年、フジテレビ) - 山村美智子 役 日高真弓: 山村美智 浜田益嗣: 「地域活性化フォーラム in 三重」が開催され、益嗣は山村美智とのトークショーを行った。 深浦加奈子: 闘病中であることは親友の戸田恵子や山村美智、湯山玲子と地元の同級生などの一部の関係者にしか当初は知らせず、深浦と親しかった芸能関係者や俳優仲間などの友人達には迷惑や心配をかけさせたくなかったことから秘密にしていたという。 寺田理恵子: 高視聴率を誇っていた番組『オレたちひょうきん族』の初代“ひょうきんアナ”山村美智子が新婚旅行に行く代役として出演。先輩の山村美智子アナウンサーが新婚旅行に行く時、代打を務めて、退社した時に後釜になりました」と当時を振り返った。 有賀さつき: また、同じくフジテレビ時代の先輩である山村美智によれば、2017年夏にフジテレビ系のバラエティ番組『ネプリーグ』で共演した際に、有賀が痩せたことを山村が指摘すると、有賀は「ダイエットに成功した」と話しており、さらにこのとき、有賀はウィッグを着用していたことも山村に対して明かしていた。 亀山千広: 同期には『報道2001』元キャスターの黒岩祐治(現神奈川県知事)、『ニュースJAPAN』元キャスターの松本方哉、福島テレビ社長の横山淳、北海道文化放送常務取締役編成局長の本間欧彦、フリーアナウンサーで女優の山村美智、現実業家の坂野尚子らがいた。 |
山村美智の情報まとめ
山村 美智(やまむら みち)さんの誕生日は1956年11月5日です。三重出身のアナウンサーのようです。
人物、エピソードなどについてまとめました。テレビ、卒業、結婚、退社、家族、ドラマに関する情報もありますね。山村美智の現在の年齢は67歳のようです。
山村美智のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)山村 美智(やまむら みち、1956年11月5日 - )は、日本のフリーアナウンサー、女優。元フジテレビアナウンサー。本名、宅間 美智子(たくま みちこ)。旧芸名、山村 美智子(やまむら みちこ)。夫は、元・フジテレビ社員(プロデューサー)で制作会社「(株)サンダーストームエンターテイメント」初代CEOの宅間秋史。 三重県伊勢市の出身で、血液型はB型。小学校卒業後、中高一貫校であるセントヨゼフ女子学園高校から津田塾大学学芸学部英文学科へ進学。大学在学中から女優志望で、大学卒業後は英語の教員になることが内定していたが、それを断って大学4年生の12月にミュージカル劇団「東京キッドブラザース」に入り活動していた。 しかし東京キッドブラザースは理想とは合わず1979年に退団。大学卒業後の1980年、アナウンサーとしてフジテレビに入社。同期入社に、土井尚子(現姓名:坂野尚子。ネイルクイック 実業家)、黒岩祐治(現:神奈川県知事)、亀山千広(前:フジテレビ社長)、松本方哉、横山淳(現:福島テレビ社長)、本間欧彦(現:北海道文化放送常務取締役編成局長)。 フジ時代には、『オレたちひょうきん族』の初代ひょうきんアナウンサーとして、「ひょうきんベストテン」などのコーナーに出演。入社直後でまだレギュラー番組が少なく、焦りを感じ始めていた頃に、当時のアナウンス部長から「『ひょうきんベストテン』のコーナー(でアシスタントを)やらない?」との誘いを受けたことがきっかけで出演を決めたという。同コーナーへの出演により一躍人気となり、一部マスコミから「アイドルアナウンサーの草分け的存在」とも言われるようになった。 1984年、同僚(当時はフジテレビ制作局のプロデューサー)の宅間秋史と結婚。翌1985年に退社後、フリーアナウンサーとして、同局の『FNN DATE LINE』で平日にニュースキャスターを務めていた。後に女優へ転身。2001年には、芸名を山村美智子から山村美智に改めた。 2002年と2003年には、『私とわたしとあなたと私』という二人芝居の脚本を執筆。自身の主演・演出による舞台作品として、実際に上演された。2003年には新宿シアタートップスで上演されていて、吉川ひなのを相手役に迎えている。 2003年から2008年まで、ニューヨークに滞在。2007年には、『私とわたしとあなたと私』の英語版に当たる『I and Me & You and I』が、オフ・ブロードウェイのブリーカーズ劇場で上演された。日本人が日本語で執筆したオリジナルの脚本を英語に翻訳したうえで、舞台作品としてオフ・ブロードウェイで上演した事例は初めてで、アメリカ人からも現地在住の日本人からも絶賛された。上演前に親友の深浦加奈子に相談していた事を自身のブログ内で語っている。2009年の帰国を機に、日本での女優業を再開。 人物子供時代伊勢市で建設会社を営む父と専業主婦の母の3人家族だったが、3歳の頃に父が亡くなり会社が倒産。小さな一軒家に引っ越した後キッチンを除く1階を人に貸して2階の一間で母と暮らし始め、ほどなくして保険の外交員となった母に育てられる。 幼少の頃は、気弱な性格で体も弱く幼稚園を休みがちだった。人生で初めて演じた役は、幼稚園の学芸会で演じた『白雪姫』の白雪姫を案内するうさぎの役。セリフは一言だけだったが、本人は後年「演じてすごく嬉しかったのを鮮明に覚えています」と回想している。 小学生になるとテレビドラマを見ては女優に憧れを持つようになり、国語の朗読が好きになった。制服に憧れて中学からセントヨゼフ女子学園に進学し、演劇部に入部。高校1年生の時に上演した『クリスマスキャロル』で主役のスクルージ役を演じ、脚本と演出もこなした。大勢の生徒たちの前で演じる楽しさと、シスターからも好評価を得て芝居に対する喜びを感じ、本格的に女優を目指すようになる。 大学時代上京を決意して津田塾大学に進学し、小平市のキャンパス内にある学生寮で暮らし始めた。同時期から一橋大学との劇団サークル・劇団己疑人(コギト)に入団し、演劇漬けの日々を送る。しかし、その後東大の学園祭で野田秀樹の芝居を観て衝撃を受け、才能の差を感じてしまい女優を諦めようとする。4年生になった頃に教師になることを決めて、母校の校長に志願する手紙を書いて内定をもらった。 残りの大学生活は、観客として芝居を楽しもうと東京キッドブラザースの公演を観に訪れた。するとチケット売り場に現れた劇団主宰の東由多加から、直々に「あなた、女優になりませんか?」と誘われた。これにより女優活動を続けることを決め、母に「一年だけ」との条件で芝居を続けることを許された。 1978年12月に同劇団の稽古に加わり、同年末の公演に参加し(一般の女優としての)初舞台は日本武道館だった。ちなみに大学3年生から国立駅近くの四畳半のアパートで暮らしながら家庭教師のバイトをし、大学院浪人中の恋人と付き合っていた。 その後母と約束した1年が来て同劇団を退団。 エピソード「ひょうきんベストテン」では、元ネタになった『ザ・ベストテン』(TBS)における黒柳徹子の司会振りを参考に、黒柳のパロディを交えながら進行していた。当時(1980年代)の放送局では社員である女性アナウンサーにスタイリストを付けていなかったため、収録には山本寛斎などの衣装を借りて出演。衣装を汚さないよう留意していたものの、エンディングで放送されていた「ひょうきん懺悔室」(収録中にNGを出してしまった出演者やミスを犯したスタッフがブッチー武者扮する神様の前でNGやミスを懺悔させられるコーナー)で(「反省が足りない」と判断されて)水を容赦なく被らされた時には、着用していた衣装を自腹で買い取ったという。宅間との結婚直後に臨んだ『ひょうきん族』の収録では、NGやミスを犯していなかったにもかかわらず「ひょうきん懺悔室」へ出演させられたが、番組終了後の2021年に臨んだインタビューでは「今となってはいい思い出です」と語っている。『ひょうきん族』での芸人たちによるイジリや掛け合いでは、本人は「それまで舞台で培われた度胸や臨機応変さで何とか乗り切れた」としている。 なお、フジテレビ退社後の1986年6月からは、本格的な音楽番組である『ロッテ 歌のアルバムNOW』(TBS)で1年3ヶ月にわたって司会を担当。同局が延べ20年以上制作してきた『ロッテ 歌のアルバム』シリーズの歴史を締めくくる役割を果たした。 『FNN DATE LINE』では初回(1987年10月1日)から平日版のキャスターを務めていたが、同年11月16日放送分での担当を最後に、わずか1ヶ月半で降板を余儀なくされた。降板をめぐっては、「11月16日の放送で三原山噴火関連のニュースを伝えた際に、『あんな島に住まなければいいのに』と発言したことが原因」とされる見解が当初から広まっているが、本人は後年のインタビューでこの見解を明確に否定。「実際の放送では『あんな島に住まなければいいと言う人もいますが、生活されている方にとっては、大切な故郷ですから』と言っていたにもかかわらず、前段の部分だけが切り取られる格好で広まってしまった」と述べている。 アルベルト・ザッケローニと内田篤人の存在をきっかけにサッカーにのめり込み、日本代表の試合を観戦するため海外まで訪れている。2014年にはブラジルW杯の日本対コロンビア戦を現地観戦、2017年にはW杯アジア最終予選・UAE対日本戦をUAEで現地観戦した。 一人っ子で、3歳の時に実父を亡くしてからは、宅間と結婚するまで実母と2人で暮らしていた。実母に認知症が現れてからは、実母を看護施設に預けながら、女優業の合間を縫う格好で看護に努めている。さらに、夫の宅間が食道ガンに罹患していることが2019年に判明してからは、13回にわたる宅間の入退院にも立ち会った。宅間も一人っ子であったが、1年半もの闘病生活を経て、2020年12月18日に65歳で永眠。宅間との間に実子はおらず、実母の看護については、宅間を看取ってからも一人で続けている。その一方で、2021年10月27日には、結婚生活や宅間の闘病中でのエピソードを綴った『7秒間のハグ』というエッセイが幻冬舎から刊行された。 2024/06/14 09:46更新
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yamamura michi
山村美智と同じ誕生日11月5日生まれ、同じ三重出身の人
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