もしもし情報局 > 6月4日 > 物理学者

山田延男の情報 (やまだのぶお)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【9月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

山田延男の情報(やまだのぶお) 物理学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

山田 延男さんについて調べます

■名前・氏名
山田 延男
(読み:やまだ のぶお)
■職業
物理学者
■山田延男の誕生日・生年月日
1896年6月4日 (年齢1927年没)
申年(さる年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

山田延男と同じ1896年生まれの有名人・芸能人

山田延男と同じ6月4日生まれの有名人・芸能人

山田延男と同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


山田延男と関係のある人

マリー=キュリー: 日本の山田延男は1923年から2年半、ラジウム研究所でイレーヌの助手としてアルファ線強度の研究を行い、マリの支援も受けながら5つの論文を発表した。


山田延男の情報まとめ

もしもしロボ

山田 延男(やまだ のぶお)さんの誕生日は1896年6月4日です。兵庫出身の物理学者のようです。

もしもしロボ

父親、卒業、家族、病気、再婚に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1927年に亡くなられているようです。

山田延男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

山田 延男(やまだ のぶお、1896年〈明治29年〉6月4日 - 1927年〈昭和2年〉11月1日)は、日本の科学者。フランスのラジウム研究所(後のキュリー研究所)で物理学者であるマリ・キュリーに師事し、その長女の物理学者イレーヌ・ジョリオ=キュリーらと共に放射能の研究に貢献。研究に伴う放射線障害により死去した。ラジウム研究所に留学した最初の日本人であり、放射線化学研究の犠牲となって死去した最初の日本人とされる。

戦前の日本は放射能研究の範囲が狭かったため、日本国内ではマリ・キュリーの偉業とは対照的に、山田の留学や死についてほとんど知られていなかった。山田に関する資料の大部分が関東大震災や東京大空襲で焼失したことも、その一因である。後に山田の息子の山田光男(日本薬史学会)が、1990年代以降に父の個人史解明に本格的に取組んだことで、下記のような詳細な生涯が明らかとなった。

1896年(明治29年)、兵庫県神戸市に生まれた(本籍地は岐阜県岐阜市木田)。父親の仕事の都合で小学校から旧制中学校までを台湾で過ごし、学校での成績は常に首席であった。後に日本本土に移り、1916年に東京高等工業学校(後の東京工業大学)応用化学科を卒業後、東北大学理学部に入学して化学を専攻。大学でも抜群の成績をおさめた。

大学卒業後は同大学の講師としての勤務を経て、東京帝国大学(後の東京大学)航空研究所(後の宇宙航空研究開発機構)に助教授として赴任。東京大学出身でない者としては異例の出世であった。当時、同研究所は軍事に役立つ研究が推進されており、大戦におけるドイツの飛行船の利用が注目されていたため、山田は飛行船の燃料であるヘリウムの研究にあたった。しかし1923年(大正12年)の関東大震災により、研究所は壊滅した。

同1923年、山田は27歳にして日本国政府により、フランスへ派遣された。フランスでの山田は、ラジウム研究所でマリ・キュリーに師事。同研究所で実験助手であったマリの長女イレーヌの共同研究者となり、トリウムとポロニウムから放出される放射線の飛程の研究などを行い、単独論文をいくつかと、イレーヌとの共同論文を書き上げた。その研究ぶりはマリやイレーヌらから、高い評価を受けた(後述)。

1926年に日本へ帰国した。その途中に東大より、アメリカにおけるヘリウム採取方法を視察するよう指令を受けるが、体調を害したためにそのまま帰国した。フランスで吸収した最新技術による日本国内での活躍が期待されていたが、2年半の間の放射線研究による放射線障害(後述)に体を侵されていた山田は、帰国時点ですでに健康を損なっており、帰国直後に入院した。診断結果は脳腫瘍であったが、当時の医学では詳細は不明であった。後には療養中の身でありながらもフランス滞在中の研究報告を提出したことで、東京帝国大学の理学博士号を異例の若さで授与された。

その後も復帰を目指して必死に闘病生活を送ったが、その甲斐もなく翌1927年(昭和2年)に再入院。四肢の自由、聴力や視力も減退した末に、31歳で死去した。死の前月には東京帝国大学の教授に任命され、従六位を授けられている。葬儀では当時の東大総長である農芸化学者の古在由直が弔辞を読んだ。

山田の研究対象のうち、ポロニウムは非常に放射能の強力な元素であり、体内に入ると生物学的影響が非常に大きく、数百ナノグラムの摂取で死亡する可能性があり、トリウムもまたラジウムよりもずっと強力な放射能を放つ元素である。しかし当時の放射線防護の知識と技術はまだ不十分だったため、研究中の山田は放射能に対する防御策をほとんど行なっておらず、研究を行っていた部屋には換気装置や防御スクリーンすら備え付けられていなかった。ラジウム研究所での研究中の写真が1枚だけ残されているが、後にこれを見た専門家たちが皆「こんな軽装では、どれほどの放射線を浴びたことか」と漏らすほどの無防備状態での研究であった。

帰国時点で山田はすでに、家族が驚くほど痩せており、入退院を繰り返すうちに、眉毛が薄くなり、皮膚がボロボロと剥げ、両目が失明に近くなり、耳も聞こえにくくなり、付き添いなしでは歩けないほどの病状となっていた。当時は放射能発見から間もなかったため、放射線障害についての医学認識も低く、同様の症例が少ないこともあって、医師の診断でも病気の原因は不明であり、親族たちからは「奇病」としてあつかわれた。山田の恩師である物理化学者の片山正夫もまた、「山田はフランスで勉強し過ぎたとの印象をもっていた」と聞かされていた。しかしながら山田自身は自分の病気と放射能との関係を疑っており、イレーヌに対し、放射線による中毒患者の症例がフランスにあれば教えてほしいとの手紙を書いている。これに対するイレーヌからの返信は、焼失したものと見られている。息子の光男も、父の死の当時は3歳の若さだったために父の記憶がほとんどなく、母の浪江も後に再婚したために再婚先への配慮から山田のことをほとんど話さなかったこともあり、光男は父の死因を奇病と周囲から伝えられていた。

山田の死去から数十年が経って放射線医学総合研究所が設立された後、ラジウム研究所での山田の研究の様子や、帰国後の山田の症状から、山田は典型的な放射線障害と分析されるようになった。学術報告においては、山田の死去から30年以上後の1959年、放射能研究者である飯盛里安が自著にて、山田が実験中に強い放射線を浴び続けたことによる悪性脳症で死去したと述べており、これは日本の学術報告に現れた放射線障害の最初の公式報告と考えられている。その後の1994年、理学博士・古川路明が自著にて、放射能障害の危険性の理解が十分でなかった時代に犠牲となった者として、山田の名を挙げている。

1998年、日本で開催されたラジウム発見百周年の記念講演会を機に、山田の遺品類の残存放射能の測定が行われた。遺品類は妻・浪江の両親により、病気が息子に伝染しないようにとの配慮からすべて廃棄されていたが、かろうじて浪江が密かに保管していたパスポートから放射能汚染が発見され、放射性物質の付着した指でパスポートを手にした痕跡も残されていた。このパスポートは没後から80年以上を経てもなお強力な放射能を帯びた状態で、パリのキュリー研究所古文書館に保管されている。

ラジウム研究所で山田が行なった実験は、主にトリウムとポロニウムから放出される放射線の飛程の研究などであり、その優秀な頭脳と正確な技術により、マリ・キュリーから高い評価を受けたと言われる。イレーヌも山田の仕事ぶりには感服しており、山田の手がけた鮮明なウィルソン霧箱について、母マリ宛ての手紙で「山田はウイルソン装置(霧箱)の鉄板の箱を独創的方法で作り、今まで使用していた線源より9倍以上に強力で故障しない実験装置を完成した」「このまま面倒なことが起こらなければ、結果の様相をみるには、ヤマダが撮ったもので十分でしょう」と伝えている。このイレーヌの手紙の原文は、パリのキュリー博物館に保存されている。

他にも山田は、ポロニウムから放出されるアルファ線や、トリウム、ラジウムに関する論文を、イレーヌやほかの研究協力者たちとともに書き上げ、フランスの科学アカデミー機関誌に発表しており、これらの報告は、ラジウム研究所の真摯な研究成績の礎になったものと見られている。イレーヌが学位を取得した際の博士論文には、山田の生前にイレーヌが山田との連名で発表したポロニウムの研究内容が引用されている。

日本へ帰国した山田が病床についた後でも、ラジウム研究所では彼の独創性が高く評価され、その重要な業績に対して表彰が行われている。山田の死にあたっては、マリはただちに弔意をこめた手紙を書き、彼の素質を礼賛している。後の1995年にアメリカで刊行されたマリ・キュリーの伝記『マリー・キュリー』には、山田がマリからのこの礼賛を受けたことが「ノブ・ヤマダ」の名で触れられている。これらの山田の研究成果は、山田の死後の1935年にイレーヌがノーベル化学賞を受賞したことで結実に至った。

山田の葬儀では、先述の古在由直が以下の通り弔辞を読んでいる。

山田の死から約80年後の2006年、フランスの科学史研究者 Jean-Pierre Poirierが、同国の原子科学研究史をまとめた科学書『Marie Curie-et les conquerants de l′atom 1896-2006』を著すにあたり、前述の山田の息子・山田光男の報告を参考に、山田について独立した4ページの1章を割き、その人となりや業績について解説している。

日本国内では山田の死去の翌12月、彼の母校である東北大学の東北化学同窓会報に、山田が病床で理学博士の学位を取得した際の論文が掲載され、その実験結果が高く評価されている。金沢大学名誉教授の阪上正信は、山田の研究がイレーヌのノーベル賞受賞に先駆するアルファ線による丹念な研究だと述べており、京都大学理学博士の大久保茂男も、イレーヌが後にノーベル化学賞を受賞していることから、山田も存命であればその業績が評価されていただろうと意見している。2006年には日本放射化学会で放射化学討論会50周年記念事業として『放射化学用語辞典』が刊行された際、放射化学研究に顕著な功績のあった日本人16人の中に、放射化学の先達の1人として山田の名が挙げられている。

^ この研究の様子の写真は、川島 2010, p. 146、山田 2007, p. 12に掲載されている。

^ 川島 2010, p. 146より引用。

^ 妻の両親ではなく、妻自身が夫の死を奇病と恥じて処分したとの説もある。

^ 山田 2007, p. 13より引用。

^ キュリー 1975, p. 202より引用。

^ 西條 2011, pp. 76–79

^ 飯盛 1959, p. 5

^ 大久保 2011, p. 4

^ 山田 2007, pp. 12–16

^ 川島 2010, pp. 144–155

^ 日本原子力文化振興財団 2010, p. 26

^ 最相 2015, pp. 81–83

^ 最相 2015, pp. 83–87

^ 阪上 1999, pp. 32–33

^ 冨田功(お茶の水女子大学名誉教授) (2008年). “放射能研究に殉じた人々 -マリー・キュリーと山田延男を中心として-”. 桜化会OUCA. 2012年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月9日閲覧。

^ 山田 2001, pp. 2–5

^ 山田光男「放射能研究に殉じた山田延男」(PDF)『東京大学史史料室ニュース』第27号、東京大学史史料室、2001年11月30日、5頁、CRID 1571135650537080064、2023年7月7日閲覧。 

^ 小林義郎(東京薬科大学名誉教授) (2009年8月). “みんみん蝉を聞きながら”. ダイキン ファインケミカルWEBマガジン. ダイキン工業. 2012年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月27日閲覧。

^ 山田光男「放射能研究に殉じた山田延男の生涯(第1報)ラジウム発見100年に因んで」『薬史学雑誌』33巻2号、日本薬史学会、1998年12月、137頁、CRID 1520009408869868928。 

^ 古川路明 著、黒田晴雄他 編『現代化学講座』 15巻、朝倉書店、1994年3月1日、24頁。ISBN 978-4-254-14545-8。 

^ 山田 2008, pp. 12–15

^ マリ・キュリー、イレーヌ・ジョリオ=キュリー『母と娘の手紙』人文書院、1975年6月、202頁。 NCID BN0218468X。 

^ 山田光男 (2006年7月). “「キュリー夫人伝」によみがえる山田延男” (PDF). 私達の教育改革通信 第95号. 京都教育大学附属教育実践総合センター. p. 5. 2012年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月9日閲覧。

^ スーザン・クイン(英語版) 著、田中京子 訳『マリー・キュリー』 2巻、みすず書房、1999年11月26日、686-687頁。ISBN 978-4-622-03671-5。 

^ “マリー・キュリー 2”. みすず書房. 2019年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月9日閲覧。

飯盛里安「放射能測定の歴史」『化学の領域』第13巻第10号、南江堂、1959年10月、CRID 1521699230128530432。 

大久保茂男「原子核発見100年をむかえて」『徳島科学史雑誌』第30号、徳島科学史研究会、2011年12月、NCID AA11345644。 

川島慶子『マリー・キュリーの挑戦 科学・ジェンダー・戦争』トランスビュー、2010年4月2日。ISBN 978-4-901510-89-9。 

最相葉月『生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか 東工大講義』ポプラ社、2015年11月11日。ISBN 978-4-591-14740-5。 

西條敏美「山田延男(1896-1927、31歳4ヵ月、被曝死)放射線被曝で亡くなった最初の日本人」『心とからだの健康』第16巻第1号、健学社、2011年12月、CRID 1520573330319088512。 

阪上正信(金沢大学名誉教授)「山田延男博士のパリでの研究とその科学史的意味」『化学史研究』第26巻第3号、化学史学会、1999年12月、CRID 1520853832099717504。 

山田光男「放射能に殉じた山田延男 (1896-1927)」『東京大学史史料室ニュース』第27号、東京大学史史料室、2001年11月、NCID AN10062690。 

山田光男「放射線化学研究に殉じた最初の日本人:新著「Marie Curieと原子の征服者たち(1896-2006)」より」『放射線科学』第50巻第1号、放射線医学総合研究所、2007年1月、CRID 1521699230206629504。 

山田光男「放射能研究に殉じた山田延男の生涯(第3報)ラジウム発見100年に因んで」『薬史学雑誌』第43巻第1号、日本薬史学会、2008年、CRID 1520290882704041984。 

「キュリー夫人の研究所に初めて留学した日本人」『原子力文化』第41巻第12号、日本原子力文化振興財団、2010年12月、NCID AN10261165。 

VIAF

アメリカ

IdRef

日本の化学者

日本の物理学者

日本の放射線研究者

戦前日本の学者

東京大学の教員

東北大学の教員

キュリー研究所 (パリ)の人物

宇宙航空研究開発機構の人物

東北大学出身の人物

東京工業大学出身の人物

神戸市出身の人物

1896年生

1927年没

解消済み仮リンクを含む記事

VIAF識別子が指定されている記事

LCCN識別子が指定されている記事

SUDOC識別子が指定されている記事

2024/09/28 02:20更新

yamada nobuo


山田延男と同じ誕生日6月4日生まれ、同じ兵庫出身の人

和田 絵莉(わだ えり)
1989年6月4日生まれの有名人 兵庫出身

和田 絵莉(わだ えり、1989年6月4日 - )は、日本の元タレント、元グラビアアイドル。 兵庫県出身。2011年夏にデビュー。 2015年からフリップアップに所属し、芸名を沖 絵莉(おき えり…

岸野 里香(きしの りか)
【NMB48】
1994年6月4日生まれの有名人 兵庫出身

岸野 里香(きしの りか、1994年〈平成6年〉6月4日 - )は、日本のYouTuber。元歌手、元タレント。ロックバンド・Over The Topの元ヴォーカル、女性アイドルグループ・NMB48の…

半田 健人(はんだ けんと)
1984年6月4日生まれの有名人 兵庫出身

テレビドラマ『仮面ライダー555』『新・科捜研の女』『おとり捜査官・北見志穂』シリーズ 半田 健人(はんだ けんと、1984年6月4日 - )は、日本の俳優、作曲家、タレント、歌手、コラムニスト。兵…

押田 令三(おしだ れいぞう)
1943年6月4日生まれの有名人 兵庫出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 押田 令三(おしだ れいぞう、1943年6月4日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 篠山鳳鳴高校から1962年に毎日大…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


山田延男と近い名前の人

山田 暢久(やまだ のぶひさ)
1975年9月10日生まれの有名人 静岡出身

山田 暢久(やまだ のぶひさ、1975年9月10日 - )は、静岡県藤枝市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー、フォワード。元日本代表。弟の山田智紀…

山田 典子(やまだ のりこ)
1966年8月17日生まれの有名人 出身

山田 典子(やまだ のりこ、1966年8月17日 - )は、フリーアナウンサー。元NHKの契約キャスター、および東北放送(TBC)、新潟総合テレビ(NST)、ブルームバーグテレビジョン、BS11各局の…

山田 昇(やまだ のぼる)
1950年2月9日生まれの有名人 群馬出身

8000メートル峰9座登頂 エベレスト登頂3回 山田 昇(やまだ のぼる、1950年〈昭和25年〉2月9日 - 1989年〈平成元年〉2月24日)は、日本のヒマラヤ登山家。8000メートル峰14座…

山田 昇_(実業家)(やまだ のぼる)
1943年2月11日生まれの有名人 宮崎出身

山田 昇(やまだ のぼる、1943年(昭和18年)2月11日 - )は、日本の経営者、実業家。 ヤマダホールディングス(ヤマダデンキ)創業者。同社代表取締役会長兼取締役会議長、東日本実業団陸上競技連…

山田 英雄_(警察官僚)(やまだ ひでお)
1932年2月3日生まれの有名人 東京出身

山田 英雄(やまだ ひでお、1932年〈昭和7年〉2月3日 - )は、日本の警察官僚。第12代警察庁長官(在任1985年8月25日-1988年1月)。チームおてんとうさま特別顧問。 この節は検証可能…

山田 英雄_(日本史学者)(やまだ ひでお)
1920年4月18日生まれの有名人 東京出身

山田 英雄(やまだ ひでお、1920年4月18日 - 2001年5月7日)は、日本の歴史学者、新潟大学名誉教授。専攻は日本古代史・国文学。 1920年、東京生まれ。父は山田孝雄、兄に山田忠雄、弟に山…

山田 花子_(タレント)(やまだ はなこ)
1975年3月10日生まれの有名人 大阪出身

山田 花子(やまだ はなこ、1975年〈昭和50年〉3月10日 - )は、日本のお笑いタレント、コメディエンヌ。 大阪府堺市北区南花田町出身。吉本興業所属。身長150 cm、体重48 kg、血液型A…

山田 花子_(漫画家)(やまだ はなこ)
1967年6月10日生まれの有名人 東京出身

山田 花子(やまだ はなこ、1967年6月10日 - 1992年5月24日)は、日本の漫画家。本名、高市 由美(たかいち ゆみ)。旧筆名は裏町かもめ、山田ゆうこ。 自身のいじめ体験をベースに人間関係…

山田 稔_(テレビドラマ監督)(やまだ みのる)
1926年6月23日生まれの有名人 東京出身

山田 稔(やまだ みのる、1926年6月23日 - 1995年8月25日)は日本のテレビドラマ・映画監督。東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区牛込)出身。旧制第一高等学校理科甲類卒業。 少年時代を…

山田 太郎_(参議院議員)(やまだ たろう)
1967年5月12日生まれの有名人 静岡出身

山田 太郎(やまだ たろう、1967年〈昭和42年〉5月12日 - )は、日本の政治家、実業家、経済学者、教育者。自由民主党所属の参議院議員(2期)。表現の自由を守る会会長。エンターテイメント表現の自…

山田 太郎_(衆議院議員)(やまだ たろう)
1918年3月24日生まれの有名人 岡山出身

山田 太郎(やまだ たろう、1918年3月24日 - 2002年12月23日)は、日本の政治家、公明党の衆議院議員(6期)。岡山市出身。 1941年、慶應義塾大学文学部を卒業。1967年の第31回衆…

山田 太郎_(歌手)(やまだ たろう)
1948年8月24日生まれの有名人 東京出身

山田 太郎(やまだ たろう、1948年8月24日 - )は、東京都台東区出身の歌手、俳優、馬主、実業家。本名は、西川 賢(にしかわ けん)。芸能プロダクション「新栄プロダクション」代表取締役社長、日本…

山田 三郎_(政治家)(やまだ さぶろう)
1927年3月7日生まれの有名人 埼玉出身

山田 三郎(やまだ さぶろう、1927年(昭和2年)3月7日 - 2010年(平成22年)2月19日)は、日本の政治家、埼玉県富士見市の第2代市長(在任1972年 - 1988年)。 栃木県出身。海…

山田 三郎_(実業家)(やまだ さぶろう)
1930年5月9日生まれの有名人 大阪出身

山田 三郎(やまだ さぶろう、1930年5月9日 - 2022年10月20日)は、日本の実業家。泉陽興業、エキスポランドの社長、会長などを歴任し、全日本遊園施設協会(JAPEA)会長も務めた。 大阪…

山田 隆裕(やまだ たかひろ)
1972年4月29日生まれの有名人 大阪出身

山田 隆裕(やまだ たかひろ、1972年4月29日 - )は、日本の元サッカー選手、実業家。選手時代のポジションはFW(ウイング)、MF(サイドハーフ)。 大阪府高槻市で生まれる。小学校3年生の時、…

山田 卓也(やまだ たくや)
1974年8月24日生まれの有名人 東京出身

山田 卓也(やまだ たくや、1974年8月24日 - )は、東京都世田谷区出身の元サッカー選手。ポジションはDF(右サイドバック)、MF(ボランチ、右ウイングバック)。 東京ヴェルディ在籍時はチーム…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
山田延男
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人 暇空茜 りんごちゃん_(ものまねタレント)

グループ

GReeeeN タッキー&翼 東京女子流 Kis-My-Ft2 ココリコ TEAM★NACS 新選組リアン やるせなす さくら学院 Snow Man 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「山田延男」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました