岸本辰雄の情報(きしもとたつお) 法学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
岸本 辰雄さんについて調べます
■名前・氏名 |
岸本辰雄と関係のある人
宮城浩蔵: 1881年 - 岸本辰雄・矢代操と共に明治法律学校を創設。 箕作麟祥: なお、同年開いた私塾・共学社には、岸本辰雄らが学んだ。 箕作麟祥: 著名な門下生として、中江兆民、岸本辰雄、大井憲太郎、宮城浩蔵、周布公平らが挙げられる。 加来耕三: 『明治大学を創った三人の男』時事通信出版局 2010 岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操 矢代操: 同校で知り合った岸本辰雄と宮城浩蔵はボアソナードの推挙によりフランスに留学したが、矢代は「新入諸生徒ニモ及ハサル」成績のため 留学も司法省への入省もできず、卒業後、時習社(法律系出版社)の設立に参画し、また法律学校である講法学舎の幹事となる。 西園寺公望: その間、後にフランスの首相となる8歳年上で急進党の政治家ジョルジュ・クレマンソーやレオン・ガンベタ、留学生仲間の中江兆民・松田正久・岸本辰雄・光妙寺三郎らと親交を結び、こうした人脈は帰国後も続いた。 |
岸本辰雄の情報まとめ
岸本 辰雄(きしもと たつお)さんの誕生日は1851年11月13日です。鳥取出身の法学者のようです。
現在、卒業、事件に関する情報もありますね。1912年に亡くなられているようです。
岸本辰雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)岸本辰雄(きしもと たつお、1851年11月13日(嘉永4年10月19日) - 1912年(明治45年)4月4日)は、日本の法学者。明治大学の創設者。 因幡国南本寺町(現在の鳥取市)に鳥取藩士岸本平次郎の三男として生まれる。幼名、辰三郎。当初藩校尚徳館で蘭式兵法を修める。 戊辰戦争に従軍後、1869年、箕作麟祥の共学塾に入門。翌1870年、貢進生として鳥取藩の推薦を受け、大学南校(後の東京大学)に入学。1872年、新設の司法省明法寮(後に司法省法学校)に第一期生として入学。ジョルジュ・ブスケ、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードらにフランス法を学び1876年卒業。 同年宮城浩蔵・小倉久とともにフランスに留学。民法典をビュフノワール、ローマ法をポール・ジイド(ノーベル賞作家アンドレ・ジイドの父)、民事訴訟法をカルソネの下で学び、パリ法科大学でフランス法律学士の学位を取得。1880年に帰国後、判事任官、東京大学法学部講師、太政官御用掛等。 判事の傍ら1881年(明治14年)1月17日、有楽町数寄屋橋の旧島原藩上屋敷(松平主殿頭家(とのものかみけ)旧邸、現在の千代田区有楽町数寄屋橋交差点そば)において、宮城浩蔵、矢代操らとともに明治法律学校を創設。1888年(明治21年)に校長となる。岸本は法学全般に通じていたが、宮城浩蔵が刑事法を担当したのに対し、矢代操と分担して主に民法と商法を担当。 1889年には地元の鳥取県から第1回衆議院議員総選挙に立候補するが、すぐに辞退している。 この間に法制局判事、法制局参事官、司法省参事官等を経て1890年11月、大審院判事となる。 司法官弄花事件に連坐して大審院判事を辞任した後、1893年(明治26年)5月に弁護士登録し、1897年(明治30年)には鳩山和夫らと日本弁護士協会を設立、さらに東京弁護士会会長となる。1905年法学博士となる。商法編纂委員、会社法編纂委員、破産法編纂委員、民商法施行調委員、法典調査会委員などを務める。 明治法律学校が専門学校令によって明治大学と称した後も引き続き校長を務めていたが、1912年(明治45年)4月、市電で大学へ向かう途中に脳溢血で倒れ死去。墓所は谷中霊園乙4号9側。 明治大学駿河台キャンパスのリバティタワー23階に「岸本辰雄記念ホール」がある。出身地鳥取の藩校尚徳館があった鳥取県立県民文化会館前には、2006年に胸像が建立された。 「保守ニ陥ラス急進ニ失セス中正ナル進歩主義ヲ執レリ」と評されている。 宮城浩蔵のような雄弁家タイプではなく、演説の口調に激語は見られなかった。 パリ法科大学の学籍簿の本人署名によれば、「辰雄」は一般的に伝えられるタツオではなくタツユウになっている。 学生スポーツの理解者でもあり、1910年には明大理事会内の反対論を押し切って野球部の創部を承認した。 『仏国法典改正論』 共訳、知新社、1882年 『仏国商事会社法講義』 明治法律学校、1887年 『仏国人事法講義』 共著、明法堂、1888年 『仏国民法売買篇講義』 明治法律学校講法会、1890年 『法学通論』 明治法律学校講法会、1890年 『民法正義』 新法注釈会、1890年 『商法正義』 新法註釈会、1893年 『商事会社法要義』 明治法律学校講法会、1893年 『改正商事会社法正義』 新法註釈会、1893年 『商法講義』 明治法律学校講法会、1895年 『民法財産取得編講義 巻之一』 共著、明治法律学校講法会、1895年 『民法財産取得編講義 巻之二』 共著、明治法律学校講法会、1895年 『民法人事篇講義』 明治法律学校講法会 『法例講義』 明治法律学校講法会、1899年 『帝国憲法要領』 講法会、1899年 従五位(1912年4月5日) 勲五等瑞宝章(1912年4月5日) ^ 「明治大学創立者 岸本辰雄展」解説シート4 (PDF) ^ 向井 1978, p. 278. ^ 「ジョルジュ・ブスケ ― 最初に来日したフランス人法律家 ―」 明治大学法学部教授 村上一博 /日本近代法史 ^ 『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、60頁 ^ 明治大学創立者 岸本辰雄先生墓碑 ^ 明治大学創立者岸本辰雄展 解説シート1 (PDF) ^ 向井 1978, p. 279. ^ 明治大学発祥の地 ^ 選挙運動にともなう買収や情実に嫌気がさしたためといわれている(『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、739頁)。 ^ 『明治大学小史―人物編』 4-5頁 ^ 向井 1978, p. 282. ^ 岸本辰雄先生胸像 (鳥取藩藩校 「尚徳館」 跡地) ^ 明治大学 創立者出身地との連携 ^ 『帝国議会議員候補者列伝』 527頁 ^ 『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、739頁 ^ 明治大学創立百周年記念学術叢書出版委員会編著、岸本辰夫講述『佛国商法講義 法学通論』明治大学、1984年、解説(宮川康) ^ 『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、565頁 ^ 『官報』 第8635号(1912年4月8日) 高橋忠治郎 『帝国議会議員候補者列伝』 庚寅社、1890年 東恵仁 『明治弁護士列伝:肖像入』 周弘社、1898年 明治大学百年史編纂委員会 『明治大学百年史』 全4巻、学校法人明治大学、1986-1994年 明治大学史資料センター 『明治大学小史―人物編』 学文社、2011年 ISBN 978-4-7620-2217-3 向井健「岸本辰雄とその自然法論」『一橋論叢』第80巻第3号、日本評論社、1978年9月、277-292頁、doi:10.15057/13273、ISSN 00182818、NAID 110007639243。 明治大学を創った人々 岸本辰雄|近代日本人の肖像 - 国立国会図書館 表 話 編 歴 岸本辰雄 1888-1903 岸本辰雄 1903-1912 木下友三郎 1912-1920 木下友三郎 1920-1921 富谷鉎太郎 1921-1924 横田秀雄 1924-1934 木下友三郎 1934 鵜沢総明 1934-1938 木下友三郎 1938-1940 志田鉀太郎 1940-1943 鵜沢総明 1943-1946 近藤民雄 1946-1949 鵜沢総明 1949-1951 春日井薫 1951-1953 小島憲 1953-1956 松岡熊三郎 1956-1958 武田孟 1958-1960 小出廉二 1960-1967 中川富弥 1967-1972 小牧正道 1972-1974 斎藤正直 1974-1980 山本進一 1980-1988 木村礎 1988-1992 岡野加穂留 1992-1996 戸沢充則 1996-2000 山田雄一 2000-2004 納谷廣美 2004-2012 福宮賢一 2012-2016 土屋恵一郎 2016-2020 大六野耕作 2020- カテゴリ メディア 明治大学 学校法人 総長 人物 表 話 編 歴 明治大学 明治大学付属明治高等学校・中学校 明治大学付属中野中学校・高等学校 明治大学付属八王子中学校・高等学校 明治法律学校 経緯学堂 明治大学短期大学(旧 明治大学専門部女子部) 明治大学商業学校 東京明治工業専門学校 明治農業専門学校 明治大学付属明治第二高等学校・中学校 明治大学付属八丈島高等学校 明治女子短期大学(明治大学短期大学部に統合される形で開校せず) 法学部 商学部 政治経済学部 文学部 経営学部 理工学部 農学部 情報コミュニケーション学部 国際日本学部 総合数理学部 法学研究科 商学研究科 政治経済学研究科 経営学研究科 文学研究科 情報コミュニケーション研究科 国際日本学研究科 理工学研究科 農学研究科 教養デザイン研究科 先端数理科学研究科 グローバル・ガバナンス研究科 ガバナンス研究科(公共政策大学院) グローバル・ビジネス研究科(経営大学院) 会計専門職研究科(会計大学院) 法務研究科(法科大学院) 明治大学先端数理科学インスティテュート(MIMS) 駿台史学会 現象数理学 明治大学国家試験指導センター 大学情報サミット 日本演劇学会 全日本博物館学会 総合人間学会 日本景観学会 ドラッカー学会 大学合同考古学シンポジウム 宇都宮軍縮研究室 リバティアカデミー 味覚メディア アカデミックフェスティバル libqrencode 日本マンガ学会 雄辯部 シェイクスピアプロジェクト マンドリン倶楽部 グリークラブ 交響楽団 明大スポーツ(新聞部) 落語研究会 木曜会Z 漫画研究会 明治大学情報局 明治高校マンドリン部OB孝友会オーケストラ お茶の水JAZZ祭 状況劇場 劇団スーパー・エキセントリック・シアター 紫紺亭志い朝 コント赤信号 第三エロチカ ジョビジョバ 動物電気 声を出すと気持ちいいの会 硬式野球部 ラグビー部 サッカー部 競走部 ピラニアギャングス(バスケットボール部) グリフィンズ(アメリカンフットボール部) 柔道部 スケート部 スキー部 山岳部 馬術部 卓球部 ゴルフ部 應援團 駿台倶楽部 三三七拍子 箱根駅伝 日の丸飛行隊(1972年冬季札幌五輪スキージャンプ競技) 東京‐糸魚川ファストラン ビーチラグビー 明大サッカーマネジメント 植村直己冒険賞 東京六大学リーグ 八十川ボーク事件 一場事件 明早戦 明慶戦 明立戦 雪の明早戦 駿河台キャンパス 和泉キャンパス 生田キャンパス 中野キャンパス 記念館 リバティタワー アカデミーコモン アカデミーホール 黒川農場 グローバルフロント 和泉ラーニングスクエア 和泉第二校舎 図書館 博物館 阿久悠記念館 グローバル・ヴィレッジ 八幡山グラウンド 内海・島岡ボールパーク 平和教育登戸研究所資料館 現代マンガ図書館 司法省明法寮 司法省法学校 明治法律学校設立ノ趣旨 自由民権運動 民法典論争 司法官弄花事件 小松宮邸 植原・笹川事件 専門部女子部 神田カルチェ・ラタン闘争 明大紛争 言論出版妨害事件 明治大学法学部大量留年事件 ヒューマン・ライツ・ウォッチ 多摩テック跡地問題 明治大学校歌 明大通り 暁の鐘 めいじろう 山の上ホテル 高校生直木賞 大岡信賞 現象数理学三村賞 太平洋諸島センター 日本国際飢餓対策機構 御茶ノ水 駿河台 神田駿河台 神田神保町 明大前駅 東京六大学 日本学園中学校・高等学校 虎に翼 JAZZ AUDITORIA in WATERRAS 神田カレーグランプリ フロンタウン生田 明治大学の人物一覧 明治大学学長 岸本辰雄 宮城浩蔵 矢代操 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research IdRef 19世紀日本の法学者 20世紀日本の法学者 戦前日本の学者 日本の弁護士 明治大学学長 明治大学の教員 日本の大審院判事 戦前日本の司法官僚 戦前日本の法制官僚 日本の参事院関係者 司法省法学校の教員 パリ大学出身の人物 司法省法学校出身の人物 貢進生 衆議院議員総選挙の立候補経験者 戊辰戦争の人物 法学博士取得者 鳥取県出身の人物 幕末鳥取藩の人物 在フランス日本人 1851年生 1912年没 谷中霊園に埋葬されている人物 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/17 05:37更新
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