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箕作麟祥の情報 (みつくりりんしょう)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

箕作麟祥の情報(みつくりりんしょう) 啓蒙政治学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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箕作 麟祥さんについて調べます

■名前・氏名
箕作 麟祥
(読み:みつくり りんしょう)
■職業
啓蒙政治学者
■箕作麟祥の誕生日・生年月日
1846年9月19日 (年齢1897年没)
午年(うま年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
東京出身

箕作麟祥と同じ1846年生まれの有名人・芸能人

箕作麟祥と同じ9月19日生まれの有名人・芸能人

箕作麟祥と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


箕作麟祥と関係のある人

箕作秋坪: 甥・箕作麟祥、箕作秋吉、呉文聰、呉秀三


中江兆民: 福地源一郎(桜痴)の日新社の塾頭となりフランス語を教えたといわれるが長続きせず、箕作麟祥の家塾にも入門。


菊池正士: 経済ジャーナリストの佐藤朝泰は正士を「戦後日本の代表的物理学者」と、長岡を「戦前日本の代表的物理学者」と評しているが、正士の父・大麓と長岡の義父・箕作麟祥は従兄弟同士で大麓・麟祥がともに箕作阮甫の孫にあたるため、菊池正士と長岡半太郎はともに箕作一族が輩出した物理学者であるといえる。


穂積陳重: 1888年(明治21年)、箕作麟祥・田尻稲次郎・菊池武夫・鳩山和夫とともに日本で初めて法学博士号を授与される。


嵯峨根遼吉: 父・半太郎は箕作麟祥の娘婿だが、母は半太郎の後妻・登代なので箕作家の血は流れていない(半太郎の先妻が麟祥の三女・操子)。


岸本辰雄: 戊辰戦争に従軍後、1869年、箕作麟祥の共学塾に入門。


宮城浩蔵: 10月 - 西洋兵学を学ぶため上京し、箕作麟祥の共学社に入る。


鈴木唯一: ^ 大槻文彦著 『箕作麟祥君伝』 丸善、1907年、22頁。


呉秀三: 菊池大麓(数学者・政治家)・箕作佳吉(動物学者)・箕作元八(西洋史学者)兄弟及び法学者の箕作麟祥は従兄。


鈴木唯一: 「鈴木唯一氏の談 三十六年七月十一日」(大槻文彦著 『箕作麟祥君伝』 丸善、1907年、30-31頁、75-77頁、172-173頁)


鈴木唯一: 帰国後の同年8月、文部省編輯寮勤務となり、編輯寮が廃された9月には同寮の責任者であった箕作麟祥らとともに正院翻訳局に転じている。


田中芳男: 養家の姉妹の夫に、判事の三沢元衛(今村信行の実弟)、医師の緒方惟準(緒方洪庵次男)、箕作麟祥がいる。


箕作阮甫: 婿養子に箕作省吾・箕作秋坪が、娘婿に呉黄石が、孫に箕作麟祥・箕作佳吉・箕作奎吾・箕作元八・菊池大麓・呉文聰・呉秀三らが、孫娘の夫に坪井正五郎らが、曾孫に菊池正士・坪井誠太郎・坪井忠二・呉建・呉文炳・呉茂一らが、曾孫の夫に石川千代松・長岡半太郎・美濃部達吉・鳩山秀夫・末弘厳太郎らがいる。


森有礼: 明治6年(1873年)夏、帰国すると福澤諭吉・西周・西村茂樹・中村正直・加藤弘之・津田真道・箕作麟祥らと共に明六社を結成する。


神田孝平: 教え子に箕作麟祥、箕作大六、外山捨八らがいた。


長岡半太郎: 1892年(明治25年)に箕作麟祥の三女・操子と結婚し、3男1女をもうけた。


ヘルマン=ロエスレル: 1887年(明治20年)の箕作麟祥(英学・仏法派)は「ロヱスレル」、1938年(昭和13年)の仁井田益太郎(独法派)は「レースレル」と発音している。


箕作麟祥の情報まとめ

もしもしロボ

箕作 麟祥(みつくり りんしょう)さんの誕生日は1846年9月19日です。東京出身の啓蒙政治学者のようです。

もしもしロボ

結婚、現在に関する情報もありますね。1897年に亡くなられているようです。

箕作麟祥のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

箕作 麟祥(みつくり りんしょう / あきよし、1846年9月19日(弘化3年7月29日) - 1897年(明治30年)11月29日)は、幕末から明治時代の日本の幕臣・官僚、洋学者、法学者。男爵。法学博士。

元老院議官、司法次官、貴族院勅選議員、行政裁判所長官、和仏法律学校(現・法政大学)初代校長を歴任し、民法・商法編纂委員、法律取調委員会委員、法典調査会主査委員を務めた。

明治5年に仮名と実名(諱)の併用が禁止された時、苗字+仮名の「箕作貞一郎」を改め、苗字+諱の「箕作麟祥」と改名(※祥は実際には旧字体)。「麟祥」は易経か書経に由来するという(黒田綱彦証言)。ところが、名乗りの読みを提出せよと命じられたところ、「リンショウ」の読みは知っているが親がどういうつもりで名付けたか知らない、一般的にどう読むのかもわからないというのが本人の認識であった。鷲津毅堂に「アキヨシ」を提案されたのでそれに決めた、とされている(佐原純一証言)。実際に当時の人々がそう呼んだかは不明。国立国会図書館は「りんしょう」の読みを採用している。

箕作省吾・しん夫妻の長男として江戸の津山藩邸に生まれた。幼名は貞太郎(のち貞一郎)。祖父は蘭学者の箕作阮甫で、父・省吾は阮甫の婿養子、母・しんは阮甫の四女だったが、父・省吾が若くして亡くなったので祖父・阮甫に育てられた。阮甫の死後、箕作家の家督を相続した。従兄に数学者菊池大麓、動物学者箕作佳吉、歴史学者箕作元八、大叔父に蘭学者の箕作秋坪がいる。

藤森天山・安積艮斎に漢学を、家と江戸幕府の蕃書調所(東京大学の源流)で蘭学を学んだ後、ジョン万次郎(中浜万次郎)について英学を学んだ。1861年8月5日(文久元年6月29日)に15歳の若さで蕃書調所の英学教授手伝並出役、このころから家塾を開き、乙骨太郎乙・鈴木唯一・外山正一・菊池大麓・箕作佳吉・大島貞益らに英学を教授し、1864年(元治元年)には外国奉行支配翻訳御用頭取となり、福澤諭吉・福地源一郎らとともに、英文外交文書の翻訳に従事した。箕作麟祥といえばフランス法学者のイメージがあるが、彼は元来「英学者」であった。また、法典調査会時代にはドイツ語文献も読めるようになっている。

1867年(慶応3年)、ナポレオン3世のパリ万国博覧会に際して、将軍の名代として出席する徳川慶喜の弟・徳川昭武に、幕府の命により渋沢栄一らと一緒に随行、2月15日横浜を出発。その後、徳川昭武とともにフランスに留学した。

明治元年2月24日の帰国後の1868年(明治元年)、明治新政府の下で、開成所御用掛から兵庫県御用掛となって新設の神戸洋学校教授に着任。時の兵庫県令・伊藤博文(伊藤俊介)は、騎馬で出迎え歓迎を表した。翌1869年(明治2年)には東京に戻り、外国官(現・外務省)翻訳御用掛となるが、外交官を好まず、同年大学南校(現・東京大学)大学中博士に転じる。なお、同年開いた私塾・共学社には、岸本辰雄らが学んだ。明治2年5月ころ、官務のかたわら家塾を開き、中江兆民・大井憲太郎らが入塾、明治4年2月ころ中止。

1869年(明治2年)、参議・副島種臣からフランス刑法典の翻訳を命じられ、翌1870年(明治3年)には制度取調局長官(後の司法卿)・江藤新平からフランス民法典(ナポレオン法典)の翻訳を命じられた。以後、長年にわたり法典の翻訳、編纂に携わっていく。また、1871年(明治4年)に文部省が設置されると、その基礎固めに参画し、学制の起草・制定にあたっては、起草委員長ともいうべき地位にあって、主導的役割を果たした。

日本で初めて「権利」「義務」という訳語を用い、また「動産」「不動産」「治罪法」「義務相殺」「未必條件」などの訳語を新規に創作し、5年の歳月をかけてフランスの諸法典を全訳した『仏蘭西法律書』(1874年)は、日本国の人々に初めて近代法典というものを実物で知らしめ、近代的裁判制度への大きな転換期にあって手探り状態の中で裁判にあたっていた当時の司法官や、その後の日本の近代的法制度の整備に多大な影響を与え、日本における法律学の基礎を築いた。このことから、箕作麟祥は日本における「法律の元祖」と評される。ちなみに、Constitution(国家の根本の法)を「憲法」と訳したのも箕作麟祥である(福澤諭吉は「律例」、加藤弘之は「国憲」、井上毅は「建国法」とそれぞれ訳していたが、箕作の訳した「憲法」という言葉が後に定着することになる)。法律以外の分野では、1874年に、フランスのモロー・ド・ジョンネ(フランス語版)の統計学の本を翻訳した日本初の「統計学」の本を出版している。明治4年8月、フランスの倫理道徳教科書の翻訳(原典は米書)『泰西 勧善訓蒙』前編刊行、後編は1873年9月刊。1873年3月~1874年8月、ウールジー著箕作訳『国際法、一名万国公法』刊行。

文部省・司法省の官僚として、近代的法制度の整備に尽力する一方、1873年(明治6年)にボアソナードが来日して以降は、彼の下で法典の編纂に従事した。1877年(明治10年)には民法編纂委員となり、その後も商法編纂委員になるなど、諸法典の編纂に大きな役割を果たした。

1890年(明治23年)、商法典論争では政府系断行派としての立場から、衆議院において天皇が公布した法典の延期は天皇の権威を傷つけると演説したが議会の顰蹙を買い、当時の報道によるとこのためにかえって断行派から延期派に鞍替えする議員が続出した。

民法典論争でも実施断行を主張したが、旧民法典の施行延期が決まった後は、法典調査会の主査委員に任命され、新民法典の編纂に積極的に関わった。1894年(明治27年)10月、法典調査会の副総裁だった西園寺公望は、総裁・伊藤博文に対し、副総裁を箕作に譲りたいと願い出ている。

1889年(明治22年)、当時司法次官となっていた箕作は和仏法律学校(現・法政大学)の初代校長に就任する。以後、1897年(明治30年)に死去するまで、公務のかたわら和仏法律学校の校長を務めた。また、森有礼、福澤諭吉、西周、加藤弘之らとともに創立した明六社において、啓蒙活動にも力を注いだ。幅広く活躍し、多忙な生涯を過ごしたが、1897年(明治30年)、狭心症のため51歳で急逝した。死に際して男爵を授けられている。墓所は多磨霊園。

門下生は百数十名を優に超え、日本の近代の幕開けに際し、多くの草分けの人材を輩出した。著名な門下生として、中江兆民、岸本辰雄、大井憲太郎、宮城浩蔵、周布公平らが挙げられる。

先妻・もと(関宿藩医三沢精確と佐藤泰然の娘きはの三女)との間に3男3女を、後妻・とを(大前寛信の三女)との間に四男・俊夫をもうけた。長男・泰一は1873年(明治6年)10月1日に1歳で、次男・正次郎は1876年(明治9年)10月1日に同じく1歳で夭折したので、麟祥の死後、箕作本家の当主および爵位は三男・祥三が継いだ。祥三は独身のまま他界したので、祥三の死後はその異母弟にあたる俊夫が家督と爵位を継いだ。また次女・茂子は1882年(明治15年)4月5日に12歳で早世したが、長女・貞子は動物学者の石川千代松に、三女・操子は物理学者の長岡半太郎にそれぞれ嫁いだ。ちなみに麟祥の“麟”は「麒麟」の2文字目であるが、伝説の動物である麒麟にちなんで、実在する動物であるキリンを命名したのは、石川千代松によるものである。

箕作男爵家の3代目・箕作俊夫は陸軍中将・大島健一の長女・長江と結婚した。元日本大学農獣医学部教授の箕作祥一は俊夫・長江夫妻の長男であり、麟祥の孫にあたる。また極東国際軍事裁判でA級戦犯として終身刑の判決を受けた大島浩は大島健一の長男であり、箕作俊夫の義兄にあたる。

麟祥の先妻・もとの母きは、すなわち三沢精確の妻は佐藤泰然の次女なので、麟祥は佐藤泰然の孫娘と結婚したことになる。もとの長姉・きみの夫は判事の三沢元衛(今村信行弟)、次姉・吉恵の夫は緒方洪庵の次男・緒方惟準、もとの末妹さくの夫は田村初太郎、三沢家の養女ゑいの夫に田中芳男。

異父妹・直子は人類学者・坪井正五郎に嫁いだ。数学者・政治家の菊池大麓、動物学者の箕作佳吉、歴史学者の箕作元八、統計学者の呉文聰、医学者の呉秀三はいずれも麟祥の従弟にあたる。

1846年(弘化03年) 江戸に生まれる。

1861年(文久元年) 蕃書調所(東京大学の源流)英学教授手伝並出役。

1864年(元治元年) 外国奉行支配翻訳御用頭取。

1867年(慶応03年) 徳川慶喜の弟・徳川昭武に随行してパリ万国博覧会視察後、フランスに留学。

1868年(明治元年) 明治新政府の下で、開成所御用掛から兵庫県御用掛となって神戸洋学校教授。

1869年(明治02年) 東京に戻り、外国官(現・外務省)翻訳御用掛。大学南校(現・東京大学)大学中博士。

1871年(明治04年) 文部省、司法省兼勤。文部省による学制の起草責任者となる。

1873年(明治06年) 正院翻訳局長に就任。森有礼・福澤諭吉らとともに明六社創立。

1877年(明治10年) 司法大書記官、翻訳課長兼民法編纂課長。民法編纂委員。

1880年(明治13年) 太政官大書記官。元老院議官。東京学士会院会員。

1884年(明治17年) 会社条例編纂委員。

1885年(明治18年) 破産法編纂委員。

1886年(明治19年) 商法編纂委員。

1887年(明治20年) 法律取調委員会委員。明治法律学校名誉校員に推される。

1888年(明治21年) 司法次官。

1889年(明治22年) - 1897年(明治30年) 和仏法律学校(現・法政大学)初代校長。

1890年(明治23年) 貴族院勅選議員(9月29日)。

1893年(明治26年) 法典調査会主査委員。

1896年(明治29年) 行政裁判所長官。

1897年(明治30年) 死去。51歳没。

明治2年9月2日 - 従六位

明治4年4月20日 - 正六位

明治4年12月14日 - 従五位

1880年(明治13年)6月8日 - 従四位

1885年(明治18年)10月1日 - 正四位

1886年(明治19年)10月20日 - 従三位

1896年(明治29年)7月20日 - 正三位

1897年(明治30年)12月1日 - 従二位

1882年(明治15年)6月17日 - 勲三等旭日中綬章

1887年(明治20年)11月25日 - 勲二等旭日重光章

1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章

1891年(明治24年)3月30日 - 勲一等瑞宝章

1894年(明治27年)3月9日 - 大婚二十五年祝典之章

1897年(明治30年)12月1日 - 男爵

「箕作麟祥篇」(大久保利謙編 『明治文学全集 3 明治啓蒙思想集』 筑摩書房、1967年1月、ISBN 4480103031)

『経済原論』 巻七-巻九

Arthur Latham Perry. Elements of Political Economy. の抄訳。巻三から巻六は緒方正(若山儀一)が訳出。

『仏蘭西法律書 刑法』 大学南校、1870年(明治3年)一-五

    『仏蘭西法律書 民法』 大学南校、1871年(明治4年)一-四 / 文部省、1871年五-十六

    『仏蘭西法律書 訴訟法』 文部省、1873年4月一・三 / 1873年9月二・四 / 1874年1月五・六 / 1874年4月七・八

    『仏蘭西法律書 憲法』 文部省、1873年8月

    『仏蘭西法律書 商法』 文部省、1874年3月一-五

    『仏蘭西法律書 治罪法』 文部省、1874年4月一-四

    『仏蘭西法律書』 翻訳局訳述、印書局、1875年4月(2冊)

    『増訂 仏蘭西法律書』 博聞社、1883年9月(2冊)

    前田達明編 『史料民法典』 成文堂、2004年1月、ISBN 4792324408 - 『仏蘭西法律書 民法』を収録。

    『泰西 勧善訓蒙』 名古屋学校、1871年(明治4年)上・中・下

      『泰西 勧善訓蒙後編』 中外堂、1873年一-四 / 1875年五-八

      『泰西 勧善訓蒙続編』 永楽屋正兵衛ほか、1874年一-四

      『改正 泰西勧善訓蒙後編』 中外堂、1881年12月一-四

      吉野作造編輯代表 『明治文化全集 第十五巻 思想篇』 日本評論社、1929年6月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第二十三巻 思想篇』 日本評論社、1967年7月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第十六巻 思想篇』 日本評論社、1992年7月、ISBN 453504256X - 前編を収録。

      海後宗臣編纂 『日本教科書大系 近代編第一巻 修身(一)』 講談社、1961年11月 - 前編上・中・下、後編一-四を収録。

      山住正己校注 『日本近代思想大系 6 教育の体系』 岩波書店、1990年1月、ISBN 4002300064 - 後編の抄録。

      『国際法 一名万国公法』 弘文堂、1873年3月一-五

      Theodore Dwight Woolsey. Introduction to the Study of International Law. の翻訳。

      『百科全書 教導説』 文部省、1873年9月上・下

      ウィリアム・チェンバース、ロバート・チェンバース編 Chambers's Information for the People. 中の "Education" の翻訳。
        『百科全書 第十八冊』 文部省 / 有隣堂 - 「百科全書 教育論」に改訳。

        『百科全書 下巻』 丸善商社出版、1884年10月 / ゆまに書房、1985年2月

        『百科全書 教導説』 雄松堂書店〈明治初期教育稀覯書集成〉、1980年8月上・下

        仲新ほか編 『近代日本教科書教授法資料集成 第1巻 教授法書1』 東京書籍、1982年9月

        『文部省百科全書 19』 青史社、1986年2月

        『学校通論』 文部省、1874年4月一・二 / 1876年1月三・四/ 1876年5月五・六/ 1876年9月七-九

        James Pyle Wickersham. School Economy. の翻訳。
          『学校通論』 クレス出版〈近代日本学校教育論講座〉、2001年12月

          『統計学』 文部省、1874年6月一-五 / 1878年3月六-十

          Alexandre Moreau de Jonnès. Éléments de Statistique. の翻訳。
            統計学社纂輯 『統計叢書 第一輯』 統計学社、1925年9月

            『泰西 自然神教』 文部省、1874年6月一・二 / 1876年3月三・四

            William Fleming. A Manual of Moral Philosophy. 中の "Theistic Ethics or Natural Theology" の翻訳。

            『万国政体論』 中外堂、1875年10月一-三

            Caspar Thomas Hopkins. Manual of American Ideas. の翻訳。

            『仏国民法等親並相続法図解』 テオヒール・グレゴアール編纂、法制局、1876年10月

            『仏国 法律提要』 大井憲太郎合訳、1876年10月第一帙

              『仏国 法律提要』 大井憲太郎合訳、信山社出版〈日本立法資料全集〉、2013年1月、ISBN 9784797264463

              『堅土氏 万国公法』 蕃地事務局訳、阪上半七、1876年11月

              James Kent. Kent's Commentary on International Law. の翻訳。大島貞益、阿部泰蔵、佐原純一らとの共訳。

              『仏国民法 契約書解釈方法説明』 司法省、1877年8月

              『仏国民法詳説』 司法省、1877年9月

                『仏国民法詳説 身分証書之部』 信山社出版〈日本立法資料全集〉、2004年2月、ISBN 4797248440

                『仏国民法解釈』 司法省、1877年11月第三篇自第六巻至第九巻 / 1877年12月第三篇自第十巻至第十七巻・第三篇第二十巻 / 1878年4月第三篇第十八巻第十九巻

                  『仏国民法解釈』 信山社出版〈日本立法資料全集〉、2008年9月第三篇自第六巻至第九巻、ISBN 9784797253634 / 2008年10月第三篇自第十巻至第十七巻、ISBN 9784797253641 / 第三篇第十八巻第十九巻第二十巻、ISBN 9784797253658

                  『埃及法律書埃及』 司法省、1878年1月

                  『仏国 民法釈義』 稲田佐兵衛ほか、1879年4月第壱巻 / 1880年12月第弐巻 / 1882年6月第参巻

                  『仏国 常用法』 司法省、1880年4月 / 1883年3月第二集

                    『仏国 常用法』 信山社出版〈日本立法資料全集〉、2004年6月-9月(6冊)、ISBN 4797248602, 4797248610, 4797248629, 4797248637, 4797248645, 4797248653

                    『百科全書 自然神教及道徳学』(情報) 文部省、1880年5月

                    Chambers's Information for the People. 中の "Natural Theology-Ethics" の翻訳。
                      『百科全書 第十六冊』 文部省 / 有隣堂

                      前掲『百科全書 下巻』

                      『文部省百科全書 22』 青史社、1986年5月

                      ギュスターヴ・エミール・ボアソナード『再閲民法草案』、1886年 - 明治時代の帝国議会設置前の1890年に成立した国内初の日本民法(明治23年3月法律第28号、10月第98号)。この民法に対しては反対派が民法典論争を起こし、第2次伊藤内閣がその施行日を延期し、梅謙次郎・富井政章・穂積陳重らの法典調査会や法律取調委員会が審査を行い、1896年には代替の現行民法が成立したので、施行されないまま廃止された。

                      『萬国新史』 玉山堂、1871年(明治4年12月)上篇巻之一-中編巻之六 / 1877年2月下編巻之一-下編巻之六。平成年間に歴史学者の南塚信吾らが自費出版で復刻。

                      ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、7頁。

                      ^ 『箕作麟祥君伝』, p. 64-66.

                      ^ 国立国会図書館「近代日本人の肖像 箕作麟祥 みつくり りんしょう」2013年、2021年12月3日閲覧

                      ^ 箕作家は宇多源氏佐々木氏の支流といわれ、室町時代に六角定頼が、近江国箕作城(現在の滋賀県東近江市)に住んで箕作を称したのに始まる。その後、箕作家は戦乱の世の中に幾多の変遷を経て、美作国に移り、現在の岡山県美作市楢原に住んだのである。

                      ^ 後年、「英と仏とどちらが読みよいか」との磯部四郎の問いに対して、箕作は「実は英書である」と答えている(『現行民法典を創った人びと5』)。

                      ^ 『現行民法典を創った人びと5』

                      ^ 「文部省の設置」(『学制百年史 記述編』 帝国地方行政学会、1972年10月)。

                      ^ 「学制の制定」(前掲 『学制百年史 記述編』)。

                      ^ 中国語訳の万国公法から採用(大槻、88-89頁、101頁)。

                      ^ 大槻、89頁、101頁。

                      ^ 岸本辰雄・名村泰蔵らの言(大槻、96-97頁)。

                      ^ “法格言集・法学者列伝 第1回:箕作麟祥” 神奈川大学法学部、2016年1月28日閲覧。

                      ^ 「憲法」(穂積陳重著 『法窓夜話』 有斐閣、1916年1月)。

                      ^ 丸山健夫著 『ナイチンゲールは統計学者だった! : 統計の人物と歴史の物語』 日科技連出版社、2008年6月、ISBN 9784817192738、58-64頁。

                      ^ 福島正夫「日本資本主義の発達と私法」『法律時報』25巻、日本評論新社、1953年、684-686頁

                      ^ 法典調査会での発言回数は第2位となっている。七戸克彦「現行民法典を創った人びと(新連載・1)序論、総裁・副総裁(1)伊藤博文・西園寺公望」『法学セミナー』第54巻第5号、日本評論社、2009年5月、40-44(p.42)、ISSN 04393295、NAID 120001730648。 

                      ^ 服部敏良著 『事典有名人の死亡診断 近代編』 吉川弘文館、2010年5月、ISBN 9784642080354、296頁。

                      ^ 明治大学 『明治大学六十年史』 1940年、11頁

                      ^ 『官報』第2182号、明治23年10月6日。

                      ^ 『官報』第678号「賞勲叙任」1885年10月2日。

                      ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。

                      ^ 『官報』第3918号「叙任及辞令」1896年7月21日。

                      ^ 『官報』第4327号「叙任及辞令」1897年12月2日。

                      ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。

                      ^ 『官報』第2322号「叙任及辞令」1891年3月31日。

                      ^ ウィキソースには、再閲民法草案の原文があります。

                      ^ 南塚信吾:生きた近代世界史 翻刻◇洋学者の箕作麟祥がつづった「萬國新史」を出版◇『日本経済新聞』朝刊2018年10月2日(文化面)2018年10月4日閲覧。

                      花房吉太郎, 山本源太 編『日本博士全伝』p45-47,法学博士 箕作麟祥君,博文館,1892. 国立国会図書館デジタルコレクション

                      大槻文彦『箕作麟祥君伝』丸善、1907年。https://books.google.co.jp/books?id=OoEa5iVtll8C。 

                        『箕作麟祥君伝』([私家複製版])丸善、1907年。doi:10.11501/992291。全国書誌番号:53015560。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992291。 

                        加藤周一、丸山真男校注 編『日本近代思想大系』 15(翻訳の思想)、岩波書店、1991年9月。ISBN 4002300153。  - 抄録

                        『明治後期産業発達史資料』 732巻(復刻版)、龍溪書舎、2004年10月。ISBN 4844754688。全国書誌番号:20703480。https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007559811-00。 

                        大久保泰甫、高橋良彰『ボワソナード民法典の編纂』雄松堂出版、1999年2月。ISBN 4841902554。 

                        吉井蒼生夫「西欧近代法の受容と箕作麟祥」 神奈川大学人文学研究所編 編『『明六雑誌』とその周辺 : 西洋文化の受容・思想と言語』御茶の水書房〈人文学研究叢書〉、2004年3月。ISBN 427500325X。 

                        七戸克彦「現行民法典を創った人びと(5)主査委員 2 : 箕作麟祥・村田保」『法学セミナー』第54巻第9号、日本評論社、2009年9月、72-73頁、ISSN 04393295、NAID 120001730652。 

                        「従二位男爵箕作君墓碑銘」 三島毅『中洲文稿第二集』 二、二松学舎、1900年11月。 

                          磯ケ谷紫江『大東京名家墳墓考』 第壱、後苑荘、1943年4月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1141031/22。 

                          日本学士院編 編『学問の山なみ : 物故会員追悼集』 第一、日本学士院、1979年1月。 

                          『津山洋学者の墓誌・顕彰碑文』津山洋学資料館〈津山洋学資料〉、1985年3月。 

                          山中永之佑「箕作麟祥」 潮見俊隆、利谷信義編 編『日本の法学者』日本評論社〈セミナー叢書〉、1975年6月。 

                          坂本保富、唐沢富太郎「箕作麟祥 : 「泰西 勧善訓蒙」「百科全書 教導説」などの訳述者」 唐沢富太郎編 編『図説 教育人物事典 : 日本教育史のなかの教育者群像』 中巻、ぎょうせい、1984年4月。 

                          山室信一「箕作麟祥と河津祐之」 法政大学大学史資料委員会編 編『法律学の夜明けと法政大学』法政大学出版局、1993年3月。 

                          鈴木正裕『近代民事訴訟法史・日本』有斐閣、2004年2月。ISBN 4641133530。 

                          中野目徹「箕作麟祥」 伊藤隆、季武嘉也編 編『近現代日本人物史料情報辞典』吉川弘文館、2004年7月。ISBN 4642013415。 

                          箕作家

                          明六社

                          明六雑誌

                          憲政資料室の所蔵資料 箕作阮甫・麟祥関係文書(寄託) - 国立国会図書館リサーチ・ナビ

                          箕作文庫(箕作麟祥) - DIJ

                          帝国議会会議録検索システム - 国立国会図書館

                          近代日本人の肖像 箕作麟祥 - 国立国会図書館

                          法格言集・法学者列伝 第1回:箕作麟祥 - 神奈川大学法学部

                          歴史が眠る多磨霊園 箕作麟祥

                          箕作家

                          箕作阮甫とその子孫

                          箕作家関係の系図

                          『箕作麟祥』 - コトバンク

                          箕作麟祥

                          小畑美稲

                          近衛篤麿

                          二条基弘

                          箕作麟祥

                          大原重朝

                          箕作麟祥

                          小笠原忠忱

                          村田保

                          徳川達孝

                          富井政章

                          二条基弘

                          三好退蔵

                          廣澤金次郎

                          大原重朝

                          名村泰蔵

                          松平康荘

                          芳川顕正

                          京極高徳

                          波多野敬直

                          奥山政敬

                          岡部長職

                          吉井幸蔵

                          大原重朝

                          徳川頼倫

                          万里小路通房

                          寺島誠一郎

                          川村鉄太郎

                          廣澤金次郎

                          清棲家教

                          近衛文麿

                          吉井幸蔵

                          中山輔親

                          松平頼寿

                          吉井幸蔵

                          寺島誠一郎

                          伊東祐弘

                          土方寧

                          松平頼寿

                          柳原義光

                          溝口直亮

                          青木信光

                          柳原義光

                          浅野長之

                          織田萬

                          溝口直亮

                          青木信光

                          安保清種

                          秋元春朝

                          奥平昌恭

                          廃止

                          新設

                          黒田清綱

                          伊丹重賢

                          醍醐忠順

                          黒田清綱

                          黒田長成

                          大久保忠順

                          箕作麟祥

                          児島惟謙

                          鍋島直彬

                          本田親雄

                          大原重朝

                          板倉勝達

                          京極高典

                          細川護成

                          松平康荘

                          島津忠亮

                          松平康荘

                          二条基弘

                          大原重朝

                          島津忠亮

                          松木宗隆

                          松岡康毅

                          柳原義光

                          松浦厚

                          松岡康毅

                          柳原義光

                          寺島誠一郎

                          尾崎三良

                          柳原義光

                          林博太郎

                          山川健次郎

                          廣澤金次郎

                          徳川慶久

                          徳川圀順

                          松平頼寿

                          小笠原長幹

                          松平頼寿

                          小笠原長幹

                          細川護立

                          浅田徳則

                          柳原義光

                          松木宗隆

                          大久保利武

                          山内豊景

                          徳川家達

                          大久保利武

                          島津忠重

                          西郷従徳

                          大久保利武

                          樺山愛輔

                          柳原義光

                          高木喜寛

                          廃止

                          近衛篤麿

                          徳川篤敬

                          箕作麟祥

                          槇村正直

                          二条基弘

                          津田真道

                          細川護成

                          平松時厚

                          村田保

                          二条基弘

                          大原重朝

                          伏原宣足

                          坊城俊章

                          名村泰蔵

                          柳原義光

                          鍋島直彬

                          二条基弘

                          寺島誠一郎

                          廣澤金次郎

                          徳川頼倫

                          寺島誠一郎

                          松平直之

                          奥平昌恭

                          寺島誠一郎

                          徳川慶久

                          一条実輝

                          徳川慶久

                          大木遠吉

                          細川護立

                          西村精一

                          細川護立

                          兒玉秀雄

                          奥平昌恭

                          堀田正恒

                          中川久任

                          樺山愛輔

                          中御門経恭

                          伊藤安吉

                          千田嘉平

                          四条隆愛

                          二荒芳徳

                          紀俊秀

                          辻太郎

                          千田嘉平

                          佐佐木行忠

                          鷹司信輔

                          千田嘉平

                          辻太郎

                          東久世秀雄

                          周布兼道

                          千田嘉平

                          小畑大太郎

                          深尾隆太郎

                          周布兼道

                          飯田精太郎

                          廃止

                          主幹 薩埵正邦 1881-1888

                          河津祐之 1888-1889

                          心得 古市公威 1886-1887

                          大島誠治 1887-1889

                          箕作麟祥 1889-1897

                          心得 飯田宏作 1897-1898

                          横田国臣 1898

                          梅謙次郎 1899-1900

                          富井政章 1900-1902

                          梅謙次郎 1902-1903

                          総理 梅謙次郎 1903-1910

                          専任理事 古賀廉造 1910-1913

                          松室致 1913-1920

                          初代 松室致 1920-1931

                          事務取扱/第2代 秋山雅之介 1931-1933/1933-1934

                          第3代 水町袈裟六 1934

                          第4代 小山松吉 1934-1943

                          第5代 竹内賀久治 1943-1946

                          第6-7代 野上豊一郎 1946-1950

                          事務取扱 錦織理一郎 1950

                          第8代 大内兵衛 1950-1959

                          第9代 有沢広巳 1959-1962

                          代行/第10代 谷川徹三 1962-1963/1963-1965

                          代行 小田切秀雄 1965-1966

                          代行 菰淵鎮雄 1966-1967

                          第11代 渡邉佐平 1967-1968

                          代行 菰淵鎮雄 1968

                          第12代 中村哲 1968-1983

                          代行/第13代 青木宗也 1983-1984/1984-1988

                          第14代 阿利莫二 1988-1995

                          代行 鬼塚豊吉 1995

                          第15代 下森定 1995-1996

                          第16代 清成忠男 1996-2005

                          第17代 平林千牧 2005-2008

                          第18代 増田壽男 2008-2014

                          第19代 田中優子 2014-2021

                          第20代 廣瀬克哉 2021-

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2024/11/20 00:25更新

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