箕作阮甫の情報(みつくりげんぽ) 蘭学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
箕作 阮甫さんについて調べます
■名前・氏名 |
箕作阮甫と関係のある人
箕作秋坪: 前妻・つね - 箕作阮甫の娘 南原伸二: 勝海舟 (1974年) - 箕作阮甫 荒井郁之助: 18歳より西洋砲術を学びはじめ、20歳で幕府出仕(100俵10人扶持)、箕作阮甫のもとで蘭学を修めた後、軍艦操練所教授を命じられた。 南原宏治: 勝海舟 (1974年) - 箕作阮甫 美濃部亮吉: 母・多美子は、数学者・教育者・政治家として活躍した菊池大麓の長女であり、亮吉は箕作阮甫の玄孫にあたる。 坪井忠二: 従って忠二は坪井信道と箕作阮甫の曾孫である、地質学者・鉱物学者・岩石学者の坪井誠太郎は忠二の兄である。 箕作秋吉: 箕作阮甫の曾孫にあたる。 菊池大麓: 秋坪は蘭学者箕作阮甫の弟子で、つねはその阮甫の三女である。 津田真道: 嘉永3年(1850年)に江戸に出て箕作阮甫と伊東玄朴に蘭学を、佐久間象山に兵学を学ぶ。 戸上城太郎: あばれ獅子(1953年、松竹)- 箕作阮甫 勝海舟: 蘭学は、江戸の蘭学者・箕作阮甫に弟子入りを願い出たが断られたので、赤坂溜池の福岡藩屋敷内に住む永井青崖に弟子入りし蘭学を学んだ。 大西洋: 幕末、アトランティック・ オーシャンという呼び名が伝来し、永井則の『銅版万国方図』(1846年)や箕作阮甫の『新模欧邏巴図』(1851年)では「亜太臘海」、山路諧孝『重訂万国全図』(1855年)では「壓瀾的海」という漢字を当てた表記が使われたが名称として定着しなかった。 藤岡幸夫: 母方の五世祖父は蘭学者の箕作阮甫、高祖父は蘭学者・教育者の箕作秋坪、曾祖父は東京帝国大学総長、学習院総長、京都帝国大学総長を歴任した数学者の菊池大麓、祖父は物理学者の菊池正士である。 箕作秋坪: 美作国津山藩士の箕作阮甫、次いで緒方洪庵の適塾にて蘭学を学び、それぞれの弟子となった。 宇田川玄真: 門弟に吉田長淑、藤井方亭、坪井信道、佐藤信淵、緒方洪庵、川本幸民、箕作阮甫、飯沼慾斎、青地林宗らがいる。 呉茂一: 祖母・せきは箕作阮甫の長女なので、茂一は阮甫の曾孫にあたる。 呉秀三: 母・せきは箕作阮甫の長女。 高瀬右光: 陽だまりの樹(山種惣助、原田磊蔵、手塚良斎、井上信濃守、箕作阮甫、有村次左衛門) 呉秀三: 医学史に深い関心を持ち、シーボルトのほか麻酔を研究した華岡青洲、外祖父・箕作阮甫等の伝記を著した。 菊池正士: 経済ジャーナリストの佐藤朝泰は正士を「戦後日本の代表的物理学者」と、長岡を「戦前日本の代表的物理学者」と評しているが、正士の父・大麓と長岡の義父・箕作麟祥は従兄弟同士で大麓・麟祥がともに箕作阮甫の孫にあたるため、菊池正士と長岡半太郎はともに箕作一族が輩出した物理学者であるといえる。 呉文聰: 母せきは箕作阮甫の長女。 安川敬二: 箕作阮甫に始まる日本を代表する知的エリート家系 野田昌宏: 正士の父で数学者・政治家として活動した菊池大麓は箕作秋坪の次男として生まれ父・秋坪の実家・菊池家の養嗣子となったため、野田家は菊池家を通じて日本最大の学者一族・箕作家と姻戚関係で結ばれており、野田昌宏の弟は箕作阮甫の玄孫と結婚したことになる。 箕作麟祥: 祖父は蘭学者の箕作阮甫で、父・省吾は阮甫の婿養子、母・しんは阮甫の四女だったが、父・省吾が若くして亡くなったので祖父・阮甫に育てられた。 大村益次郎: 江戸滞在中は箕作阮甫、大槻俊斎、桂川甫周、福澤諭吉、大鳥圭介といった蘭学者・洋学者や旧友とも付き合いがあった。 |
箕作阮甫の情報まとめ
箕作 阮甫(みつくり げんぽ)さんの誕生日は1799年10月5日です。岡山出身の蘭学者のようです。
現在に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1863年に亡くなられているようです。
箕作阮甫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)箕作 阮甫(みつくり げんぽ、寛政11年9月7日(1799年10月5日) - 文久3年6月17日(1863年8月1日))は、日本の武士・津山藩士、蘭学者である。名は貞一、虔儒。字は痒西、号は紫川、逢谷。 蘭方医を始め、語学、西洋史、兵学、宗教学など広範囲にわたり洋学を修め多方面で活躍。江戸幕府が設立した蕃書調所の主席教授を務め、お玉ヶ池種痘所の設立にも尽力し、現在の東京大学の基礎を造った。ペリー来航時には米国大統領国書の翻訳を行ったほか、ブリッジマンの『聯邦志略』を日本で初版し、多くの日本人に影響を与え日本の近代化に貢献した。西洋文明を深く学ぶためキリスト教にも関心を持ち、キリシタン禁制の時代に旧約聖書を訳した『讀旧約全書』を著した。 津山藩医箕作貞固(三代丈庵)の第三子として美作国西新町(後に津山東町、現在の岡山県津山市西新町)に生まれる。医家としての箕作は、阮甫の曾祖父貞辨(初代丈庵)からで、西新町に住み開業した。父貞固の代になり天明2年10月24日(1782年11月28日)津山藩主松平家の「御医師並」に召し出されて十人扶持をもって町医者から藩医に取り立てられた。 阮甫は4歳で父をなくし、12歳で兄豊順をなくして、家督を相続することになる。藩の永田敬蔵(桐陰)・小島廣厚(天楽)から儒学を学ぶ一方、文化13年(1816年)には京都に出て、竹中文輔のもとで3カ年間医術習得にはげんだ。 文政2年(1819年)には、修業を終えて京都から帰り、本町三丁目で開業した。翌年、倉敷(美作市林野の旧名)本澤家養子 本澤篤祐の娘 登井が 篤祐実家の大村家の養女となり、嫁いだ。やがて高50石御小姓組御匙代にすすみ、文政6年(1823年)には、藩主の供で江戸に行き、宇田川玄真の門に入り、以後洋学の研鑚を重ねる。 幕府天文台翻訳員となり、嘉永6年(1853年)のペリー来航時にアメリカ合衆国大統領国書を翻訳、また対露交渉団の一員として長崎にも出向く。 安政3年(1856年)、江戸幕府が蕃書調所を開設すると首席教授を務めた。安政5年(1858年)には、阮甫が尽力してお玉ヶ池種痘所が設立された。当時は蘭方医と漢方医の対立も激しく、開設には非常な困難が伴ったが、主導的な役割を担い、伊東玄朴、大槻俊斎ら80名以上の蘭方医による醵金と幕府への働きかけを行い、私立の施設として開設させたものであった。蕃書調所とお玉ヶ池種痘所は、それぞれ現在の東京大学と東京大学医学部となっており、阮甫が東京大学の基礎を造った。 日本最初の医学雑誌『泰西名医彙講』をはじめ、『外科必読』・『産科簡明』・『和蘭文典』・『八紘通誌』・『水蒸船説略』・『西征紀行』など阮甫の訳述書は99部160冊余りが確認されており、その分野は医学・語学・西洋史・兵学・宗教学と広範囲にわたる。中でも文久元年(1861年)にブリッジマンの『大美聯邦志畧』に訓点を施して日本で初版した『聯邦志略』は、ジョン・リギンズなどが日本で頒布した中国語の原書と合わせて知識階級を始め、多くの日本人が競って読んだ。本書にはアメリカ合衆国の独立宣言、歴史、地理、政治、文化、行政、教育等が具体的に記述されており、近世封建社会下にあった当時の日本の志士たちに多大な影響を与えることとなった。 また、『和蘭文典』は、アムステルダムで1822年(文政5年)に出版された日本で蘭学を学ぶ者必修のオランダ語入門書であるオランダ語『ガランマチカ』及び『セエンタキス』の原書を1842年(天保13年)に翻刻して刊行した書物である。原書が日本に入ってくる数は少なく、多くの学生は筆写したが、阮甫が翻刻版を出版することで、後の大庭雪斎の翻訳した邦語版の『訳和蘭文語』とともに、蘭学とオランダ語学習において、大きな便益をもたらした。 阮甫は洋学を学ぶに当たり、西洋文明の背後にあるキリスト教にも関心を持ち、キリシタン禁制の時代に漢訳聖書を学んでおり、旧約聖書を訳した『讀旧約全書』を著している。墓所は多磨霊園。 明治43年(1910年)、従四位を追贈された。 阮甫の子孫には有名な学者が多数輩出している。婿養子に箕作省吾・箕作秋坪が、娘婿に呉黄石が、孫に箕作麟祥・箕作佳吉・箕作奎吾・箕作元八・菊池大麓・呉文聰・呉秀三らが、孫娘の夫に坪井正五郎らが、曾孫に菊池正士・坪井誠太郎・坪井忠二・呉建・呉文炳・呉茂一らが、曾孫の夫に石川千代松・長岡半太郎・美濃部達吉・鳩山秀夫・末弘厳太郎らがいる。 阮甫の生家は箕作阮甫旧宅として津山市西新町に現存している。江戸時代の商家の姿を今に留めており、昭和50年(1975年)3月18日に国の史跡に指定されている。 ^ 箕作阮甫が初版した1861年版の『聯邦志略』は、江戸幕府の検閲によってキリスト教に関する記述箇所が削除・改変されている。 ^ 『箕作阮甫』 - コトバンク ^ 岡山県 『お玉ヶ池種痘所跡』 ^ 津山市 歴史・文化 『東京大学の創立に関わった津山人 箕作阮甫(みつくり・げんぽ)』 ^ 坂本 恵子「『聯邦志略』を読む」『新島研究』第110号、同志社大学同志社社史資料センター、2019年2月、120-143頁、ISSN 02875020。 ^ 中村聡、谷本亮、市川直子、渡辺洋司「江戸後期より明治初期に至る科学の進歩と科学教育の研究」『玉川大学学術研究所紀要』第21号、玉川大学学術研究所、2016年3月、19-28頁、ISSN 1341-8645。 ^ 国立国会図書館憲政資料室 『箕作阮甫・麟祥関係文書(寄託)目録』 2021年4月 ^ 早稲田大学百年史 第一巻 第一編 序説 東京専門学校創立前史 『第八章 大庭雪斎の教えた蘭学』 ^ 京都外国語大学附属図書館 世界の美本ギャラリー 『大庭雪斎訳「訳和蘭文語」』 ^ 森下辰衛公式サイト 向こう岸へ渡ろう『箕作阮甫と城下町津山』 2020年10月14日 ^ 津山衆楽ライオンズクラブ・会計のブログ 津山津山衆楽LC通常例会『津山衆楽LCの学習例で洋学者・箕作阮甫の活躍を下山純正津山洋学資料館長に講演して頂きました』 2009年10月08日 ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.27 幕末の人物一覧 日本の史跡一覧 箕作阮 (小惑星) 津山洋学資料館 美作町史(地区誌編) 箕作家 箕作阮甫とその子孫 箕作家関係の系図 歴史が眠る多磨霊園 箕作阮甫 - ウェイバックマシン(2021年2月24日アーカイブ分) 国立国会図書館 憲政資料室 箕作阮甫・麟祥関係文書(寄託) 箕作阮甫(おかやま人物往来) 箕作氏家蔵 - 国文学研究資料館蔵書印データベース 2021年5月2日閲覧。 [1]無料公開マンガふるさとの偉人「津山出身の洋学者 箕作阮甫」 発行 岡山県津山市 2023年3月 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 18世紀日本の科学者 19世紀日本の科学者 18世紀の蘭学者 19世紀の蘭学者 18世紀日本の医師 19世紀日本の医師 18世紀日本の翻訳家 19世紀日本の翻訳家 18世紀日本の著作家 19世紀日本の著作家 江戸時代の医学者 江戸時代の医師 旧約聖書学者 キリスト教書籍の著作家 開成所の教員 幕末の旗本 箕作家 幕末津山藩の人物 従四位受位者 1799年生 1863年没 2024/11/21 01:34更新
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