菊池大麓の情報(きくちだいろく) 数学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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菊池大麓と関係のある人
フレデリック=ウィリアム=ストレンジ: この頃から1875年の訪日まで、ストレンジに関する記録は残されていないが、高橋孝蔵は自著『倫敦から来た近代スポーツの伝道師』において、1872年の岩倉使節団の訪英及びイギリス国内の日本ブームという歴史的な背景と、1870年に再度渡英してユニヴァーシティ・カレッジ・スクールを首席で卒業し、ケンブリッジ大学へ入学を果たした菊池大麓が大学のローイング・クラブに所属していたという事実から、テムズ河でローイング・クラブに所属していたストレンジとなんらかの邂逅があり、来日を決断させるに至ったのではないかと推察している。 箕作阮甫: 婿養子に箕作省吾・箕作秋坪が、娘婿に呉黄石が、孫に箕作麟祥・箕作佳吉・箕作奎吾・箕作元八・菊池大麓・呉文聰・呉秀三らが、孫娘の夫に坪井正五郎らが、曾孫に菊池正士・坪井誠太郎・坪井忠二・呉建・呉文炳・呉茂一らが、曾孫の夫に石川千代松・長岡半太郎・美濃部達吉・鳩山秀夫・末弘厳太郎らがいる。 藤岡幸夫: 母方の五世祖父は蘭学者の箕作阮甫、高祖父は蘭学者・教育者の箕作秋坪、曾祖父は東京帝国大学総長、学習院総長、京都帝国大学総長を歴任した数学者の菊池大麓、祖父は物理学者の菊池正士である。 菊池正士: 数学者・教育者・貴族院議員・枢密顧問官として活躍した男爵菊池大麓の四男として東京府に生まれた。 末松謙澄: 英国滞在中はしばらく公使館に勤務したが、歴史研究に専念するため明治13年(1880年)12月に依願免官、明治14年(1881年)10月からケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジへ入学し、法学部を専攻した(箕作佳吉の兄菊池大麓の紹介があったとされる)。 林董: 慶応2年(1866年)、幕府の開成所で行われた留学試験に合格、留学生として川路太郎・中村正直・外山正一・箕作奎吾・大六(後の菊池大麓)兄弟らとイギリスへ渡りユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン、キングス・カレッジ・ロンドンで勉強していたが、慶応4年(明治元年、1868年)6月に幕府滅亡と戊辰戦争勃発のため帰国を命じられ、旅費の工面がつかない所をパリ万国博覧会訪問のためヨーロッパへ来ていた徳川昭武ら使節団に合流、昭武の援助で日本へ帰国した。 田中舘愛橘: この調査経験を機に地震被害の軽減を目的とした観点から、地震研究の必要性を訴え、菊池大麓理科大学長と共に帝国議会へ建議案を提示した。 鳩山玲人: 高祖父(祖父の母方祖父) - 菊池大麓(数学者、政治家、東京帝国大学・京都帝国大学総長) 箕作麟祥: 1861年8月5日(文久元年6月29日)に15歳の若さで蕃書調所の英学教授手伝並出役、このころから家塾を開き、乙骨太郎乙・鈴木唯一・外山正一・菊池大麓・箕作佳吉・大島貞益らに英学を教授し、1864年(元治元年)には外国奉行支配翻訳御用頭取となり、福澤諭吉・福地源一郎らとともに、英文外交文書の翻訳に従事した。 藤澤利喜太郎: 藤沢は数学では菊池大麓についで2人目の日本人教授であった。 フレデリック=ウィリアム=ストレンジ: 14歳で同校を卒業したストレンジは1868年に飛び級で自宅近くのユニヴァーシティ・カレッジ・スクール(英語版)(ロンドン大学)へ入学することになるが、後にストレンジの将来に大きな影響を与えることになる菊池大麓も同じ年に江戸幕府留学生として同校へ留学している。 鳩山玲人: 菊池大麓の子孫には他に主な人物として、菊池正士、美濃部亮吉、藤岡幸夫などがいる。 南条文雄: また、菊池大麓や穂積陳重、櫻井錠二などとも交流したが、共に渡英した笠原は1882年に肺を患って帰国し、翌年死去する。 美濃部達吉: 妻・多美子は菊池大麓の長女である。 野田昌宏: 正士の父で数学者・政治家として活動した菊池大麓は箕作秋坪の次男として生まれ父・秋坪の実家・菊池家の養嗣子となったため、野田家は菊池家を通じて日本最大の学者一族・箕作家と姻戚関係で結ばれており、野田昌宏の弟は箕作阮甫の玄孫と結婚したことになる。 箕作麟祥: 従兄に数学者菊池大麓、動物学者箕作佳吉、歴史学者箕作元八、大叔父に蘭学者の箕作秋坪がいる。 美濃部達吉: また、1903年(明治36年)には、一木夫妻の媒酌で、文部大臣菊池大麓の三女・民子と結婚した。 蜂須賀茂韶: 三宮義胤、菊池大麓、古澤滋ら日本人留学生の支援もした。 田中舘愛橘: 在学中は主任教授となった山川から引き続き物理学を学び、菊池大麓からは数学を学んだ。 美濃部亮吉: 母・多美子は、数学者・教育者・政治家として活躍した菊池大麓の長女であり、亮吉は箕作阮甫の玄孫にあたる。 呉秀三: 菊池大麓(数学者・政治家)・箕作佳吉(動物学者)・箕作元八(西洋史学者)兄弟及び法学者の箕作麟祥は従兄。 箕作佳吉: 菊池大麓は兄、箕作元八は弟。 鈴木貫太郎: 翌年1915年(大正4年)、東京女子高等師範学校付属幼稚園の教員だったが、同幼稚園の児童を孫に持っていた菊池大麓の推薦により、裕仁親王(昭和天皇)の幼少期の教育係を勤めていた足立たかと再婚。 鳩山秀夫: 妻の千代子は東大総長を務めた菊池大麓の次女。 林董: 慶応2年に幕府留学生に選ばれた理由は、林の回想録によると開成所で行われた英文和訳・和文英訳の試験に合格したからだが、菊池大麓からは留学生の中で初めから英語が話せたと評された。 |
菊池大麓の情報まとめ
菊池 大麓(きくち だいろく)さんの誕生日は1855年3月17日です。東京出身の数学者のようです。
卒業に関する情報もありますね。1917年に亡くなられているようです。
菊池大麓のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)菊池 大麓(きくち だいろく、1855年3月17日(安政2年1月29日) - 1917年(大正6年)8月19日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の数学者、教育行政官。男爵、理学博士。 東京帝国大学(東京大学の前身)理科大学長・総長、文部次官・大臣、学習院長、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、帝国学士院院長、貴族院議員、枢密顧問官を歴任した。 蘭学者の箕作秋坪とつね夫妻の次男として江戸天神下(現・新宿区喜久井町)の津山松平家の下屋敷に生まれ、父の実家・菊池家の養嗣子となった。秋坪は蘭学者箕作阮甫の弟子で、つねはその阮甫の三女である。 蕃書調所(東京大学の前身)で英語を学び、1867年(慶応3年)に幕府派遣で、1870年(明治3年)に新政府派遣で、2度に渡り英国に留学した。2度目の留学ではケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジで数学と物理学を学び学位を取得した。ケンブリッジ大学を卒業した初めての日本人留学生となった。帰国後の1877年(明治10年)、東京大学理学部教授となり、近代数学を初めて日本にもたらし、理学部における数学教育は外国人教師によるものでなくなる。同大学総長、学習院院長、京都帝国大学総長、理化学研究所初代所長等を歴任し、1902年(明治35年)には男爵を授爵された。福澤諭吉とは知己の仲で、1874年(明治6年)には福澤に招聘されて明六社に参加、福澤がその後に設立した交詢社にも発足時常議員としてもその名を連ねている。1889年(明治22年)には帝国学士院の前身・東京学士会院会員に選任された。 英国留学中には高校大学を通じて相関係数で有名なカール・ピアソンと同窓で親友となり、帰国後ピアソンの編集した本を日本で翻訳出版している。1884年には、グリニッジ子午線を経度0と決めた国際子午線会議に日本の代表として出席している。 菊池は数学者・教育者であるとともに政治的手腕もあった。1890年(明治23年)9月に貴族院勅選議員に勅任されると研究会に所属して、1912年(明治45年)5月に枢密顧問官に勅任されて議員辞職するまで22年間国政に参画した。この間、文部省では専門学務局長から、1897年(明治30年)11月から翌年5月まで第2次松方内閣から第3次伊藤内閣にかけての文部次官となり、浜尾新・西園寺公望・外山正一の3大臣を補佐、1901年(明治34年)6月には第1次桂内閣の文部大臣を拝命して翌年7月まで国政の枢機に携わった。1913年(大正2年)6月には京都帝大の名誉教授となっている。 枢密顧問官は1917年(大正6年)8月に死去するまでつとめている。このほか帝国学士院でも1909年(明治42年)に第2代院長に選ばれ、死去するまでその任にあった。 1917年(大正6年)7月下旬より避暑で茅ヶ崎の別荘を訪れていたが、同年8月19日に新聞を読んでいる最中に脳溢血を起こし、医師による応急治療を受けたがそのまま死去。墓所は谷中霊園。 ケンブリッジ大学時代は数学で常に首席を占めていたため、他のイギリス人学生から嫉視されていた。あるとき大麓が風邪をこじらせて入院すると、イギリス人学生たちは示し合わせて大麓が欠席中の講義ノートを彼に貸さないことにした。それによっていつも2番目の成績だったブラウンという秀才を首席に押し出そうという企みだったが、当のブラウンは病院の大麓を毎日見舞って清書した当日のノートを彼に渡していたため、結局大麓の首位は動かなかった。大麓はその後ことあるごとに「ブラウンの高潔なイギリス魂ほど私を深く感動させたものはない」と当時を回想していたという。 この留学中の1872年にはラグビーの試合に出場したことが記録に残っており、菊池が日本人初のラグビープレイヤーだったことも想像に難くない。 父・箕作秋坪 妻・たつ - 女子高等師範学校舎監・福田米子の長女。大麓との間に4男5女をもうけた。 長女・多美子 - 憲法学者の美濃部達吉妻(のちの東京都知事・美濃部亮吉の母。華やかな美人で、藤村操の失恋相手と噂されたこともあった) 次女・千代子 - 民法学者の鳩山秀夫妻(鳩山秀夫はのちの内閣総理大臣・鳩山一郎の弟) 三女・冬子 - 法学者の末弘厳太郎妻(末広の長男・末広重夫の妻はニッポン放送会長などを歴任した植村甲午郎の姪) 四女・英子 - 鉄道省技官の平山復二郎妻 五女・百合子 - 内務官僚の川村秀文妻(川村秀文の父は台湾総督などを歴任した川村竹治の長男) 長男 - 夭折 次男・泰二(1893-1921) - 物理学者、爵位と家督を継承。1917年に東大を首席で卒業し、逓信省電気試験所、理化学研究所を経て英国ケンブリッジ大学に留学したが、同地にて客死。妻タマは三原繁吉(日本郵船重役、浮世絵収集家)次女。 三男・健三 - 東京大学教授。1925年東京帝国大学動物学科卒。 四男・正士 - 戦後日本を代表する原子物理学者 弟に動物学者の箕作佳吉と歴史家の箕作元八。 1881年(明治14年)9月24日 - 正六位 1883年(明治16年)2月16日 - 従五位 1890年(明治23年)12月8日 - 従四位 1896年(明治29年)1月17日 - 正四位 1901年(明治34年)3月20日 - 従三位 1910年(明治43年)12月10日 - 正三位 1917年(大正6年)8月20日 - 従二位 1890年(明治23年)11月1日 - 藍綬褒章 1892年(明治25年)6月29日 - 勲四等瑞宝章 1896年(明治29年)3月28日 - 勲三等旭日中綬章 1901年(明治34年)12月27日 - 勲二等瑞宝章 1902年(明治35年)2月27日 - 男爵 1906年(明治39年)4月1日 - 旭日重光章 1913年(大正2年)12月27日 - 勲一等瑞宝章 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章 1917年(大正6年)8月20日 - 旭日大綬章 『菊池前文相演述 九十九集』 田所美治編纂、大日本図書、1903年11月
『論理略説』 同盟舎、1882年12月(全3巻) 『初等幾何学教科書 立体幾何学』 文部省編輯局、1889年7月
『初等幾何学教科書 平面幾何学』 文部省編輯局、1888年9月第壱巻 / 1889年1月第弐巻
『初等幾何学教科書 平面幾何学』 大日本図書、1895年3月第八版 『初等幾何学教科書 平面幾何学』 大日本図書、1898年3月第十版 『初等平面三角法教科書』 沢田吾一共編、大日本図書、1893年8月
『初等幾何学教科書随伴 幾何学講義』 大日本図書、1897年4月第一巻 / 1906年8月第二巻
『幾何学小教科書 平面幾何学』 大日本図書、1899年12月
『幾何学小教科書 立体幾何学』 大日本図書、1900年7月 『教科書国定ニ就テ』 文部省官房、1903年7月
『幾何学初歩教科書』 大日本図書、1904年4月 『平面三角法小教科書』 沢田吾一共編、大日本図書、1905年3月 『新日本』 冨山房、1910年7月 『日米教育時言』 弘道館、1913年1月 『米国所観』 弘道館〈通俗学芸文庫〉、1913年6月 『平面解析幾何学』 大日本図書、1913年11月 『幾何学新教科書 平面』 大日本図書、1915年11月
『幾何学新教科書 立体』 大日本図書、1916年10月 『普通幾何学大要』 大日本図書、1918年8月 『百科全書 修辞及華文』 文部省、1879年5月
『百科全書 下巻』 丸善商社出版、1884年10月 / ゆまに書房、1985年2月 吉野作造編輯代表 『明治文化全集 第十二巻 文学芸術篇』 日本評論社、1928年10月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第二十巻 文学芸術篇』 日本評論社、1967年11月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第十三巻 文学芸術篇』 日本評論社、1992年10月、ISBN 4535042535 土方定一編 『明治文学全集 79 明治芸術・文学論集』 筑摩書房、1975年2月、ISBN 4480103791 『文部省百科全書 21』 青史社、1986年4月 『職業教育論』 ジェー・スコット・ラッセル著、文部省編輯局、1884年5月 『平面幾何学教授条目』 英国幾何学教授法改良会編纂、博聞社、1887年2月 『数理釈義』 ウィリアム・クリッフォード著、博聞社、1886年11月
『平面幾何学 合同図形論』 オラウス・ヘンリシ著、森外三郎合訳、金港堂書籍、1892年7月 『近世平面幾何学』 ジー・リチャードソン、エー・エス・ラムゼー合著、数藤斧三郎合訳、大日本図書、1895年9月 ^ Catalogue of the officers and alumni of Rutgers College (originally Queen's College) in New Brundswick, N. J. 1766 to 1916. State Gazette Publishing Co., Printers, 1916. p. 377. ^ 『官報』第2182号、明治23年10月6日。 ^ Kikuchi Dairoku: the first Japanese graduate. ^ 公田藏「近代日本における函数の概念とそれに関連したことがらの受容と普及 (数学史の研究)」『数理解析研究所講究録』第1787巻、京都大学数理解析研究所、2012年4月、265-279頁、CRID 1050282810743929856、hdl:2433/172764、ISSN 1880-2818。 ^ 丸山健夫著 『ナイチンゲールは統計学者だった! : 統計の人物と歴史の物語』 日科技連出版社、2008年6月、ISBN 9784817192738、101-104頁。 ^ 『官報』第8670号、明治45年5月16日。衆議院、参議院編 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』 1990年11月、117頁。 ^ 『官報』第269号、大正2年6月23日。 ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)101頁 ^ 本田靖春著 『現代家系論』 文藝春秋、1973年9月、40頁。 ^ 文部大臣男爵菊池大麓君『立身致富信用公録 第5編』 国鏡社 明35.4 ^ 『寺田寅彦の生涯』小林惟司、東京図書, 1995、p193 ^ 美濃部達吉の妻多美について 吉田登、鐘華会高砂支部高崎文庫、2012年㋀26日 ^ 『日英新誌』64号(1921年7月)p.13 ^ 菊池泰二(きくちたいじ) 谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー ^ 『長岡半太郎伝』板倉聖宣、朝日新聞社, 1973、p440-441 ^ 東京帝国大学卒業生氏名録東京帝国大学、1926 ^ 「枢密院文書・枢密院高等官転免履歴書 大正ノ一」。 ^ 『官報』第2237号「叙任及辞令」1890年12月11日 ^ 『官報』第3764号「叙任及辞令」1896年1月18日 ^ 『官報』第5312号「叙任及辞令」1901年3月22日 ^ 『官報』第8243号「叙任及辞令」1910年12月12日 ^ 『官報』第1517号「叙任及辞令」1917年8月21日 ^ 『官報』第2205号「彙報 - 官庁事項 - 褒章 - 藍綬褒章下賜」1890年11月4日 ^ 『官報』第2701号「叙任及辞令」1892年6月30日 ^ 『官報』第3823号「叙任及辞令」1896年3月31日 ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日 ^ 『官報』第5593号「叙任及辞令」1902年2月28日 ^ 『官報』第427号「叙任及辞令」1913年12月29日 ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日 「菊池大麓」(国立公文書館所蔵 「枢密院文書・枢密院高等官転免履歴書 大正ノ一」) - アジア歴史資料センター Ref.A06051173200
「箕作・菊池家 : 箕作阮甫に始まる日本を代表する知的エリート家系」(佐藤朝泰著 『門閥 : 旧華族階層の復権』 立風書房、1987年4月、ISBN 4651700322) 小山騰著 『破天荒〈明治留学生〉列伝 : 大英帝国に学んだ人々』 講談社〈講談社選書メチエ〉、1999年10月、ISBN 406258168X
小山騰 「菊池大麓」(伊藤隆、季武嘉也編 『近現代日本人物史料情報辞典 2』 吉川弘文館、2005年12月、ISBN 4642013466)
菊池本(菊池大麓) - DIJ 東京大学コレクション 幕末・明治期の人物群像 - 東京大学附属図書館。肖像写真が閲覧できる。 帝国議会会議録検索システム - 国立国会図書館 京都大学 歴代総長・教授・助教授履歴検索システム 谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー 菊池大麓 菊池泰二 近代日本人の肖像 菊池大麓 - 国立国会図書館 菊池家 箕作阮甫とその子孫 箕作家関係の系図 科学の菊池家 知られざる活躍を地元で調査(日本経済新聞2020年3月19日朝刊記事) 表 話 編 歴 福澤諭吉 1879 西周 1879-1880 加藤弘之 1880-1882 西周 1882-1886 加藤弘之 1886-1895 細川潤次郎 1895-1897 加藤弘之 1897-1906 加藤弘之 1906-1909 菊池大麓 1909-1917 穂積陳重 1917-1925 岡野敬次郎 1925 桜井錠二 1926-1939 長岡半太郎 1939-1947 長岡半太郎 1947-1948 山田三良 1948-1961 柴田雄次 1961-1970 南原繁 1970-1974 和達清夫 1974-1980 有沢広巳 1980-1986 黒川利雄 1986-1988 脇村義太郎 1988-1994 藤田良雄 1994-2000 市古貞次 2000-2001 長倉三郎 2001-2007 久保正彰 2007-2013 杉村隆 2013-2016 塩野宏 2016-2019 井村裕夫 2019-2022 佐々木毅 2022- 表 話 編 歴 菊池大麓 1917 古市公威 1917-1921 大河内正敏 1921-1946 仁科芳雄 1946-1948 仁科芳雄 1948-1951 阪谷希一 1951-1952 会長 亀山直人 1952-1956 社長/会長 村山威士 1952-1956/1956-1958 佐藤正典 1956-1958 長岡治男 1958-1966 赤堀四郎 1966-1970 星野敏雄 1970-1975 福井伸二 1975-1980 宮島龍興 1980-1988 小田稔 1988-1993 有馬朗人 1993-1998 小林俊一 1998-2003 野依良治 2003-2015 松本紘 2015-2022 五神真 2022- カテゴリ メディア 理化学研究所 表 話 編 歴 初代 木下広次 1897-1907 事務取扱 久原躬弦 1907 第2代 岡田良平 1907-1908 第3代 菊池大麓 1908-1912 事務取扱/第4代 久原躬弦 1912/1912-1913 第5代 澤柳政太郎 1913-1914 事務取扱 荒木寅三郎 1914 第6代 山川健次郎 1914-1915 第7代 荒木寅三郎 1915-1929 第8代 新城新蔵 1929-1933 第9代 小西重直 1933 事務取扱 山本美越乃 1933 第10代 松井元興 1933-1937 第11代 濱田耕作 1937-1938 事務取扱 平野正雄 1938 第12代 羽田亨 1938-1945 第13代 鳥養利三郎 1945-1947 第13代 鳥養利三郎 1947-1951 第14代 服部峻治郎 1951-1953 第15代 瀧川幸辰 1953-1957 第16代 平澤興 1957-1963 第17代 奥田東 1963-1969 第18代 前田敏男 1969-1973 第19代 岡本道雄 1973-1979 第20代 沢田敏男 1979-1985 第21代 西島安則 1985-1991 第22代 井村裕夫 1991-1997 第23代 長尾真 1997-2003 第24代 尾池和夫 2003-2008 第25代 松本紘 2008-2014 第26代 山極寿一 2014-2020 第27代 湊長博 2020- 肥田昭作 1872 奥山政敬 1872-1873 奥山政敬 1873 学長/校長 奥山政敬 1873/1873-1874 奥山政敬 1874 奥山政敬 1874-1875 高橋是清 1875 高良二 1875-1879 綜理 服部一三 1879-1880 折田彦市 1880 折田彦市 1880-1885 折田彦市 1885 中島永元 1885-1886 中島永元 1886-1887 折田彦市 1887-1894 折田彦市 1894-1910 酒井佐保 1910-1918 事務取扱 高橋鉉太郎 1918-1919 金子銓太郎 1919-1922 森外三郎 1922-1931 溝淵進馬 1931-1935 事務取扱/校長 森総之助 1935/1935-1941 前田鼎 1941-1946 落合太郎 1946-1949 事務取扱 島田退蔵 1949-1950 松本信一 1939-1940 小川睦之輔 1940-1942 舟岡省五 1942-1944 舟岡省五 1944 木村廉 1944-1947 木村廉 1947-1948 平澤興 1948-1949 荻生規矩夫 1949-1952 カテゴリ メディア 京都大学 京都大学 源流・前身諸機関 人物 表 話 編 歴 心得/校長 立花種恭 1876/1876-1877 初代 立花種恭 1877-1884 第2代 谷干城 1884-1885 事務代行 木村弦雄 1885-1886 心得 谷干城 1886 第3代 大鳥圭介 1886-1888 御用掛 谷干城 1888 第4代 三浦梧楼 1888-1892 第5代 岩倉具定 1892 第6代 田中光顕 1892-1895 第7代 近衛篤麿 1895-1904 心得 細川潤次郎 1904 第8代 菊池大麓 1904-1905 事務取扱/第9代 山口鋭之助 1905-1906/1906-1907 第10代 乃木希典 1907-1912 事務取扱 白鳥倉吉 1912 第11代 大迫尚敏 1912-1917 第12代 北条時敬 1917-1920 事務取扱 井上勝之助 1920 第13代 一戸兵衛 1920-1922 第14代 福原鐐二郎 1922-1929 第15代 荒木寅三郎 1929-1937 第16代 野村吉三郎 1937-1939 事務取扱 武者小路公共 1939 第17代 山梨勝之進 1939-1946 事務取扱 松平康昌 1946 第18代 安倍能成 1946-1947 第18代 安倍能成 1947-1951 第18代 安倍能成 1951-1966 代行 小山直彦 1966 第19代 麻生磯次 1966-1970 第20代 櫻井和市 1970-1981 第21代 磯部忠正 1981-1987 第22代 内藤頼博 1987-1993 第23代 島津久厚 1993-2002 第24代 田島義博 2002-2006 代行 内藤政武 2006 第25代 波多野敬雄 2006-2014 第26代 内藤政武 2014-2020 第27代 耀英一 2020- 谷干城 1885 事務代行 下田歌子 1885-1887 大鳥圭介 1887-1888 西村茂樹 1888-1893 細川潤次郎 1893-1906 下田歌子 1906-1907 松本源太郎 1907-1918 大島義脩 1918-1923 松浦寅三郎 1923-1932 長屋順耳 1932-1940 芝田徹心 1940-1945 下村寿一 1945-1946 安倍能成 1946-1947 カテゴリ メディア 学校法人学習院 学校法人 学習院大学学長 学習院大学の人物 学習院女子大学の人物 表 話 編 歴 大木喬任 木戸孝允 西郷従道 寺島宗則 河野敏鎌 福岡孝弟 大木喬任 森有礼 榎本武揚 芳川顕正 大木喬任 河野敏鎌 井上毅 西園寺公望 蜂須賀茂韶 濱尾新 外山正一 尾崎行雄 犬養毅 樺山資紀 松田正久 菊池大麓 児玉源太郎 久保田譲 桂太郎 牧野伸顕 小松原英太郎 長谷場純孝 柴田家門 奥田義人 大岡育造 一木喜徳郎 高田早苗 岡田良平 中橋徳五郎 鎌田栄吉 犬養毅 岡野敬次郎 江木千之 岡田良平 三土忠造 水野錬太郎 勝田主計 小橋一太 田中隆三 鳩山一郎 斎藤実 松田源治 川崎卓吉 潮恵之輔 平生釟三郎 林銑十郎 安井英二 木戸幸一 荒木貞夫 河原田稼吉 松浦鎮次郎 橋田邦彦 東條英機 岡部長景 二宮治重 兒玉秀雄 太田耕造 松村謙三 前田多門 安倍能成 田中耕太郎 高橋誠一郎 森戸辰男 下条康麿 高瀬荘太郎 天野貞祐 岡野清豪 大達茂雄 安藤正純 松村謙三 清瀬一郎 灘尾弘吉 松永東 灘尾弘吉 橋本龍伍 松田竹千代 荒木万寿夫 愛知揆一 中村梅吉 有田喜一 剱木亨弘 灘尾弘吉 坂田道太 高見三郎 稲葉修 奥野誠亮 三原朝雄 永井道雄 海部俊樹 砂田重民 内藤誉三郎 谷垣専一 田中龍夫 小川平二 瀬戸山三男 森喜朗 松永光 藤尾正行 塩川正十郎 中島源太郎 西岡武夫 石橋一弥 保利耕輔 井上裕 鳩山邦夫 森山眞弓 赤松良子 与謝野馨 島村宜伸 奥田幹生 小杉隆 町村信孝 有馬朗人 中曽根弘文 大島理森 町村信孝 正力松太郎 宇田耕一 正力松太郎 三木武夫 高碕達之助 中曽根康弘 荒木万寿夫 池田正之輔 近藤鶴代 佐藤栄作 愛知揆一 上原正吉 有田喜一 二階堂進 鍋島直紹 木内四郎 西田信一 平泉渉 木内四郎 前田佳都男 森山欽司 足立篤郎 佐々木義武 前田正男 宇野宗佑 熊谷太三郎 金子岩三 長田裕二 中川一郎 安田隆明 岩動道行 竹内黎一 河野洋平 三ッ林弥太郎 伊藤宗一郎 宮崎茂一 中村喜四郎 斎藤栄三郎 大島友治 山東昭子 谷川寛三 中島衛 渡辺省一 江田五月 近江巳記夫 田中眞紀子 浦野烋興 中川秀直 近岡理一郎 谷垣禎一 竹山裕 有馬朗人 中曽根弘文 大島理森 町村信孝 町村信孝 遠山敦子 河村建夫 中山成彬 小坂憲次 伊吹文明 渡海紀三朗 鈴木恒夫 塩谷立 川端達夫 高木義明 中川正春 平野博文 田中眞紀子 下村博文 馳浩 松野博一 林芳正 柴山昌彦 萩生田光一 末松信介 永岡桂子 盛山正仁 阿部俊子 省庁再編により、文部大臣と科学技術庁長官は文部科学大臣に統合された。テンプレート中の科学技術庁長官は国務大臣としてのもの。 カテゴリ 表 話 編 歴 法理文三学部綜理 加藤弘之 1877-1881 医学部綜理 池田謙斎 1877-1881 加藤弘之 1881-1886 事務取扱 外山正一 1886 事務取扱 外山正一 1886 初代 渡辺洪基 1886-1890 第2代 加藤弘之 1890-1893 第3代 浜尾新 1893-1897 第3代 浜尾新 1897 第4代 外山正一 1897-1898 第5代 菊池大麓 1898-1901 第6代 山川健次郎 1901-1905 第7代 松井直吉 1905 第8代 浜尾新 1905-1912 事務取扱 桜井錠二 1912 第9代 山川健次郎 1913-1920 第10代 古在由直 1920-1928 第11代 小野塚喜平次 1928-1934 第12代 長与又郎 1934-1938 事務取扱 佐藤寛次 1938 第13代 平賀譲 1938-1943 事務取扱 寺沢寛一 1943 第14代 内田祥三 1943-1945 第15代 南原繁 1945-1947 第15代 南原繁 1947-1951 第16代 矢内原忠雄 1951-1957 第17代 茅誠司 1957-1963 第18代 大河内一男 1963-1968 事務取扱/第19代 加藤一郎 1968-1969/1969-1973 第20代 林健太郎 1973-1977 第21代 向坊隆 1977-1981 第22代 平野龍一 1981-1985 第23代 森亘 1985-1989 第24代 有馬朗人 1989-1993 第25代 吉川弘之 1993-1997 第26代 蓮實重彦 1997-2001 第27代 佐々木毅 2001-2005 第28代 小宮山宏 2005-2009 第29代 濱田純一 2009-2015 第30代 五神真 2015-2021 第31代 藤井輝夫 2021- 辻新次 1872 辻新次 1872 柳本直太郎 1872 副長 伴正順 1872-1873 学長/校長 伴正順 1873/1873 畠山義成 1873-1874 畠山義成 1874-1876 校長補 浜尾新 1875-1877 綜理 加藤弘之 1877 学長 長谷川泰 1872 学長/校長 相良知安 1872-1873/1873-1874 相良知安 1874 長与専斎 1874-1877 池田謙斎 1877 権頭/頭 楠田英世 1871-1873/1873-1875 第二局法学課長 杉山孝敏 1875-1877 学校課長 青山貞 1877-1879 学校課長/生徒課長 植村長 1879-1880/1880 生徒課長/第七局長 黒川誠一郎 1880-1881/1881-1884 書記局学務課長 加太邦憲 1884-1886 心得 加太邦憲 1884-1885 山尾庸三 1871-1872 権頭/頭 大鳥圭介 1875/1875-1877 大鳥圭介 1877-1882 大鳥圭介 1882 副長 竹田春風 1882-1886 関沢明清 1877-1882 関沢明清 1882-1885 岩山敬義 1885-1886 前田献吉 1886 松野礀 1881-1886 前田献吉 1886-1889 高橋是清 1889 前田正名 1889-1890 肥田昭作 1874-1876 服部一三 1876-1877 主幹 服部一三 1877-1879 主幹 浜尾新 1877-1880 主幹/予備門長 服部一三 1880-1881/1881-1882 杉浦重剛 1882-1885 事務取扱 小林小太郎 1885 心得/予備門長 野村彦四郎 1885-1886/1886 野村彦四郎 1886-1887 古荘嘉門 1887-1889 木下広次 1889-1893 嘉納治五郎 1893 心得 久原躬弦 1893-1894 心得/校長 久原躬弦 1894/1894-1898 澤柳政太郎 1898 狩野亨吉 1898-1906 事務取扱/校長 今村有隣 1906/1906 新渡戸稲造 1906-1913 瀬戸虎記 1913-1919 事務取扱/校長 菊池寿人 1919/1919-1924 杉敏介 1924-1929 森巻吉 1929-1937 橋田邦彦 1937-1940 事務取扱 佐久節 1940 安倍能成 1940-1946 事務取扱 日高第四郎 1946 天野貞祐 1946-1948 麻生磯次 1948-1949 矢内原忠雄 1949-1950 湯原元一 1921-1927 塚原政次 1927-1934 近沢道元 1934-1940 藤原正 1940-1945 峰尾都治 1945-1949 矢内原忠雄 1949-1950 高木貞二 1950-1951 塩谷不二雄 1939-1943 事務取扱/主事 颯田琴次 1943/1943-1944 部長/事務取扱 颯田琴次 1944-1947/1947 事務取扱 颯田琴次 1947-1952 カテゴリ メディア 東京大学 東京大学 源流・前身諸機関 人物 ISNI VIAF WorldCat ドイツ 日本 オランダ CiNii Books CiNii Research MathSciNet zbMATH 19世紀日本の数学者 20世紀日本の数学者 日本の枢密顧問官 理化学研究所の人物 貴族院勅選議員 明治時代の貴族院議員 京都大学総長 日本の宮内省関係者 明治時代の閣僚 日本の文部大臣 東京大学総長 戦前日本の文部官僚 理学博士取得者 東京大学の教員 帝国学士院会員 東京学士会院の人物 明六社の人物 ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ出身の人物 日本の男爵 従二位受位者 勲一等旭日大綬章受章者 勲一等瑞宝章受章者 勲二等旭日重光章受章者 勲二等瑞宝章受章者 勲三等旭日中綬章受章者 勲四等瑞宝章受章者 藍綬褒章受章者 箕作家 東京都区部出身の人物 武蔵国の人物 在イギリス日本人 1855年生 1917年没 数学に関する記事 谷中霊園に埋葬されている人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ プロジェクト人物伝項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 MATHSN識別子が指定されている記事 ZBMATH識別子が指定されている記事
2024/11/21 01:44更新
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