山本陽子の情報(やまもとようこ) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
山本 陽子さんについて調べます
■名前・氏名 |
山本陽子と関係のある人
風祭ゆき: 舞台は山本陽子公演、杉良太郎公演など多数出演している。 渡辺梓: "脱東京、リノベ業を兼業…山本陽子&渡辺梓が語る「90年代朝ドラヒロインの今」". 川地民夫: ※吉永小百合、十朱幸代、山本陽子、大楠道代(当時・安田道代)の四大女優と共演 夏樹静子: 襲われた二人(1995年2月18日、主演:山本陽子) 淡路恵子: 後輩の山本陽子も親友の1人であった。 岩下志麻: しかし、山本海苔店と専属タレント契約を締結している山本陽子の契約年数が、42年と岩下を大きく上回ることが判明し、2010年にこちらがギネス記録として認定された。 沢本忠雄: 菊亭八百善の人々 - 共演:山本陽子 山田五十鈴: 葬儀には、生前に山田を慕っていた俳優らでつくる「養子会」のメンバーである市村正親、西郷輝彦、榎木孝明、萬田久子を始め、司葉子、浜木綿子、三田佳子、八千草薫、北大路欣也、平幹二朗、中条きよし、池上季実子、草笛光子、佐久間良子、宇津井健、朝丘雪路、富司純子、江波杏子、山本陽子、三浦布美子、石井ふく子、中村メイコ、坂東三津五郎、南果歩、沢口靖子、など600名が参列した。 伊吹謙太朗: 山本陽子 / 付き馬屋おえん(2005年8 - 10月) ※巡業 沢本忠雄: 女達の夜明け - 共演:山本陽子 加賀まりこ: 中尾彬、山本陽子らと共演した主演映画『月曜日のユカ』は、加賀まりこの代表作の一つである。 田宮二郎: また、撮影開始の辺りから田宮企画に会社ゴロから頻繁に金品要求があり、「金を払わないと山本陽子との不倫関係をマスコミに漏らす」「新ドラマの宣伝をしてやる」といった内容の電話がかかるようになり、6月には田宮から相談を受けていた警視庁が捜査に乗り出す展開にまで発展した(捜査の結果、立件には至らなかった)。 村瀬幸子: 太陽の涙(1971年 - 1972年) - 前田寿美子(山本陽子)の母親 高橋圭三: 山本陽子(1971年)、森光子(1972年 - 1976年)、黒柳徹子(1977年・1978年)、檀ふみ(1979年)、中田喜子(1980年)、竹下景子(1981年 - 1983年)がアシスタントを担当。 日高真弓: 山本陽子 浅丘ルリ子: 松原と同様で日活時代の後輩でもあった山本陽子も麻雀仲間で亡くなるまで仲良しだった事を2024年4月29日出演の『徹子の部屋』トーク内で語っている。 伊吹謙太朗: 山本陽子 / 付き馬屋おえん(1994年9月、明治座) 番匠義彰: 「白い滑走路」(1974年、TBS)、出演:田宮二郎、山本陽子 畠田理恵: 1990年 - 91年に放送されたNHKの連続テレビ小説『京、ふたり』で、ダブルヒロイン(主人公)の一人(もう一人は山本陽子)として漬物屋の若女将役を務める。 和田はつ子: お入学(1987年8月31日-10月9日、全30話、NHK総合「銀河テレビ小説」枠で放送、主演:山本陽子、原作:よい子できる子に明日はない) 小杉健治: 切り裂かれた絵(1992年10月27日、主演:山本陽子、原作:虚飾の自画像) 西尾三枝子: 1963年、第7期日活ニューフェイスとして入社し、1964年にデビュー(同期は山本陽子、谷隼人、沖田峻一郎など)。 谷隼人: 同期?には山本陽子がいた。 伊吹謙太朗: 山本陽子 / 付き馬屋おえん(1996年12月、明治座) 山城新伍: 同年10月9日、梅宮辰夫、松方弘樹らが発起人となった「お別れの会」が都内のホテルで催され、長門裕之、菅原文太、中村玉緒、地井武男、和田アキ子、渡瀬恒彦、小林稔侍、赤木春恵、山本陽子、五月みどりら136人 が出席し、故人を偲んだ。 金子信雄: 女優の山本陽子によると、1966年に共演したNHKのドラマ『太郎』の会議室のシーンでは、金子は「こんな長いセリフ覚えられねえよ」と言って靴下を脱ぎ始めた。 東恵美子: 花の恋人たち(1968年) - 主演:吉永小百合、十朱幸代、山本陽子 |
山本陽子の情報まとめ
山本 陽子(やまもと ようこ)さんの誕生日は1942年3月17日です。東京出身の女優のようです。
エピソード、人物などについてまとめました。卒業、兄弟、映画、テレビ、ドラマ、子役、結婚、趣味、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。81歳で亡くなられているようです。
山本陽子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)山本 陽子(やまもと ようこ、1942年〈昭和17年〉3月17日 - 2024年〈令和6年〉2月20日)は、日本の女優。東京府東京市(現東京都)中野区出身。株式会社三陽企画所属。國學院高等学校卒業。 4人兄弟(兄、姉、弟)で、4人年子。 高校卒業後は野村證券投資相談部に勤務していたが、1963年に知人が日活に山本の応募書類を送ったところ合格し、第7期日活ニューフェイスとして芸能界に入る。同期には、西尾三枝子、谷隼人、沖田峻一郎などがいる。1963年に女優デビュー(ただし、マスメディアによっては「1964年4月にデビュー」とする場合もある)。 映画では吉永小百合ら「日活三人娘」の人気に押され、なかなか作品には恵まれなかったが、テレビドラマに進出してからは日本的で清楚な美貌で人気を集めた。 清楚な役から悪女までカバーし、女優としての地位を確立。以後、幅広い役をこなす高視聴率女優の1人として人気を博す。 1971年森光子主演の『放浪記』悠起役で初舞台を踏む。1980年、『花埋み』で舞台初主演して以来、舞台女優として数々の作品に出演し精力的な活躍をしており、演技力も高く評価されている。 テレビドラマ黒革の手帖では、世代を超えて同じ銀座のママである原口元子役と岩村叡子役を演じた。 1994年の『おはん』の演技で第19回菊田一夫演劇賞を受賞し、上演回数は400回以上を記録している。2006年には、舞台『いろどり橋』の演技にて名古屋演劇ペンクラブ賞を受賞。2008年、2009年には『放浪記』の舞台では今度は日夏京子役で、上演回数2000回記念舞台に出演している。 高校時代の友人やデビュー前に勤めていた野村證券の同僚達とは、40年以上経っても仲が良く、それぞれの仲間たちと時々会って交流を続けていた。友人たちからは、「がめちゃん」と呼ばれていた(がめつい性格から)。 山本海苔店のイメージモデルを長年務めており、2010年、42年という専属タレント契約の世界最長記録として『ギネス・ワールド・レコーズ』に認定された。 2012年頃から、第二の人生を楽しむために70歳を機に、東京から静岡県熱海市へ移住し生活を送っていた。 2024年2月20日、熱海市内の病院で急性心不全のため死去した。81歳没。亡くなる数時間前まで元気な様子で甥と行動をともにしており、帰宅直後の急性心不全が死因と発表された。 最晩年も積極的に仕事をこなしており、2024年2月2日放送のテレビ朝日『徹子の部屋』に高橋英樹と共に出演していたが、これが生前最後の出演となった。同年4月にも舞台出演の予定があったという。 エピソード中高校時代戦時中の1945年に一家であきる野市で疎開生活を送り、終戦後国分寺市に転居し、一般的なサラリーマン家庭に育った。子供の頃はおとなしい性格で、中学生くらいまでは人前にあまり出ず、きょうだいとケンカしたり親に叱られることもなかった。 高校進学後弓道に興味を持って入部すると、徐々に積極的な性格になっていった。 高校卒業後は「いい会社に入って結婚したい」という思いが強かったことから、堅実な証券会社に就職。証券会社では営業部に配属されて主に投資信託を担当し、電話や手紙で客とやり取りをした。 デビュー当時デビュー当時、同期の年下女優が映画で主演に抜擢されたのに対し、山本はその映画で端役を演じた。別の作品では、撮影の待ち時間にお喋りに夢中になっていたスター役者の代わりに、一言も喋っていない山本が名指しで「うるさい!」と助監督に怒鳴られるという悔しい思いもした。 また時間が不規則な仕事に加え、何をどうやって次に進めばいいのかさっぱり見えず、「私には芸能界なんて無理なのでは?」と悩んだ。しかし1年後、映画『赤いハンカチ』の出演から色々な役がもらえるようになったという。 ライフスタイル40代の頃は女優業が一番忙しい時期としながらも、合間にゴルフ、乗馬などをしたり、恋愛に燃えている時期でもあった。50代の頃に「一生の趣味になることを始めたい」との思いから、当時姉が絵を習っていたことから、自身も同じ先生の所で日本画を習い始めた。主に風景や静物画を描き、その後一度だけ個展も開催したとのこと。60代になると、「自分の中で流れに沿って人生を歩いて行きていこう」との考えが強くなった。 70代に入ると「人生の色々なものを整理しよう」との思いから洋服や靴など色々と断捨離を行った。ただし、和・洋・クリスタルとセットで揃えたお気に入りの器だけは捨てられず、現在(2022年)も使っている。79歳を迎えた現在(2022年)は、「健康でいられることが、私の一番の財産」としている。 性格について本人は、「日常生活で辛さや苦しさはもちろん感じますが、色んな意味で落ち込まない性格」と自己評価している。また、結婚については「過去に結婚したいと思う人はいたけれど、縁がなかったんでしょうね」と回想している。 基本的に子供が大好きで、子役と共演すると仲良くなって、その子達が大きくなってから食事をしたことも何度かあった。本人は、「自分の子供はできなかったけれど、これも私が選んだ道」としている。 食と健康OL時代に市ヶ谷にあった料理研究家・江上トミの教室で料理の基礎を学んだこともあり、毎日自炊している。2020年からのコロナ禍で3食自炊して食べていたら体重が増えたため、現在(2022年)はダイエットと健康を兼ねて1日2食で「18時以降は食べない」という食生活をしている。また掃除・洗濯などの家事も大好き。 食べ物に関して、日々の食事に欠かせない食べ物として海苔を、好物としてわかめの酢の物を挙げている。他によく食べるものとしてブロッコリー、玉ねぎ、キャベツ、しいたけ、納豆。夏場はキュウリ、トマトなどがある。戦時中(当時3歳)、疎開先で放し飼いのニワトリに追いかけられたことがトラウマとなり、それ以来鶏肉がダメである。 以前から足腰を鍛えたり、(2022年時点)30年以上に渡り高麗人参を煎じて飲むなど健康に気を使っている。 人物「山本陽子と言えば、和服姿」のイメージもあるが、プライベートではジーンズなどのデニム素材が大好きで現在(2022年)も履き続けている。高価なジュエリーを身につけるのは、あまり好きではない。 大の車好き(特に外車)で有名で、20代後半で憧れの赤のポルシェ911を所有し、日本人女性として初めてポルシェに乗る第一号となった。その後、30代の頃に初めて買ったジャガーをとても気に入り、3台ほど乗り継いだ。最後に購入したジャガーは、(2022年の)最近2年ほどかけてレストアし、30年以上に渡り所有している。 趣味は車の運転の他、日本画制作、ゴルフ、麻雀、骨董品収集。 女優・大地真央のファンで、これまでに何度も彼女の舞台を観劇してきた。2021年には、大地主演の舞台『夫婦漫才』で初共演し全国4ヶ所で公演し、「出演の話を聞いた時は飛び上がるほど嬉しかった。真央さんと毎日同じ舞台に立てたことはこの上ない喜びでした」と評している。 山本海苔店のCM出演は、1965年のドラマ『七人の孫』に出演したことがきっかけ。当時山本陽子の知名度はまだまだ低かったが、山本海苔店社長(当時)がたまたま同ドラマを見て彼女に目が留まり、起用が決まった。 OL時代のエピソードとして、ある日上司の態度に怒り、業務のために自身が書いた手紙を目の前で破いた話を明かしている。 2024/06/19 14:00更新
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yamamoto youko
山本陽子と同じ誕生日3月17日生まれ、同じ東京出身の人
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